薬指・人差し指: 肩の前側
中指: 肩の真ん中
薬指・小指: 肩の後ろ側
引用― https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Grant_1962_663.png
今朝は、早朝の目覚め。
■安眠について
夜寝る前にストレッチを充分しないと、寝ている間に休まらない。体があちこち凝っていて起きてしまう。ところが、寝る前は別に凝っているとか実感がない。
■クライミングジムのクライミングについて
クライミングジムでのクライミングは、普通に登れば、ただ楽しいだけだ。
が、ムーブを考えたり、取り組み、になってしまうと? 別に楽しくない。正直、言えば、外の岩登りのほうが10倍くらい楽しい…んだが。
外での岩登りに必要だと言われるから行く、ということになって、そこがやっぱり不満の種かなぁ…
行かないと強くならない、とか、うまくならない、と言われるんだが、強くなりたいとも、うまくなりたいとも思っていないのになぁ~という感じというか…。
いったい、それって誰の思い?みたいな?
ホントに、いったい、誰が強くなりたくて、いったい誰が上手くなりたいんだろうなぁ…?
それは私じゃないんじゃないだろうか?
たぶん、甲府時代は、私が登りたいのではなくて、私をビレイヤーにしたかった人が登りたかっただけなのではないだろうか?
私はただ楽しみたいのに?みたいな? なんか急かされ感あるよなぁ。
ただ楽しむ、急がずに楽しむ、ということが欠けているように思うんだよなぁ。
なんでなんだろ?
■ 楽しいということについて
では楽しいとはどういうことか?
昨日はとても楽しかった。
ロージックという花屋さんで、フライングリースというのを頼んであったので、引き取ってくる用事があったんだが、その前にヒカルロースターに立ち寄って豆購入。
朝に飲むコーヒー豆のエチオピアが今深入り豆しかなく、浅煎りのおいしいのを買いたいと思っていたので、光るコーヒーというロースターさんに出かけた。そしたら、コーヒーの淹れ方を丁寧に教えてくれたり、いろいろロースター業界がコーヒー豆の価格が上がって大変だという話で盛り上がった。
コーヒー業界の話がとっても楽しく、一杯のコーヒーを楽しんだ。
その後、ロージックさんに行って、小一時間は、おしゃべりしていたと思うんだが…
つまり、おしゃべりが楽しいのかなぁ?
でも、私は別におしゃべりなほうではない。何かを探求する会話は好きなんだが。
ジムでは、クライミングの話題だったら、だいぶしゃべれると思うんだがな…。
ジムで登ってる人は外の岩は登らない人が多いから、共通の話題がないんだよなぁ。
■ 外ボルダーについて
ジムクライマーの定番入門クライミングは、外ボルダーらしいのだが、足首を、アキレス腱を切った者には、ランディングが再断裂が怖くていやだし、ビレイヤーなしで登れますよとか言われても、じゃ6級が充実しているボルダーって知っています?と聞いてみたら、
「いや、そういわれると難しいけど!」という答えで、
そうだろうと思った。
■ ボルダーの級について
ボルダーは、そもそも外岩でも1級からのスタートである。
外ボルダーの一級はアイスクライミングの4級と同じだ。そもそも初心者でもこれくらいなら登れるでしょう、というのがアイスの4級だが、外ボルダーの基準岩は、エイハブ船長1級で、基本的に、若い男子だったらこれくらい一日あれば登るでしょう、というのに1級が付いているのである。なので、若い男性で、1級が登れなかったら、俺は平均以下だ、という意味。
私はアイスクライミングは、本当の1回目以外は、4級は当然だが登れていた。2度目から小滝育ちだ。それまでの普通の登山の蓄積で、登れるグレードに4級ってつけてある。アイスでは6級に行くまではムーブは不要だ。
フリークライミングの5.12も、日本人の一般的な大学山岳部男子つまり、18~22歳くらいのいきのいい男性が頑張ったらぎりちょん登れるってのに、5.12がつけてあるので、それ以前のグレードしか登れていない男性は、俺も18歳から比べて衰えたなぁという感想になるはずだ。
大体は登攀能力が落ちると言っても、5.11までで、5.9が登れないようには早々ならない…ってことになっているのではないかと思う。
そもそも、最初から5.12まで行かなかった男性たちもいると思うが…、昔はアルパインをやる人は、5.9で自慢になったそうなので、その時代の人は、5.9で自慢で、クライミングシューズで拓かれたフリーのルートにも、登山靴で来てしまうが…
逆に登山靴で拓かれたルートでも、今ではクライミングシューズで登るのが、慣例なんだが…そういう慣例に厳しい目を向けるような人種…ということになる。もう…、ずいぶん昔の価値観と言えそうだ。それで文句言うような人は、もうダイナソーレベルかもしれない。
■ 女性とグレード
こういう感じで、アイスクライミングではグレードは、ユニセックスだが、フリークライミングでは、グレードは男性を基準に作られている。ボルトも男性の標準身長をもとに打たれている。
したがって、男性がギリギリ感が出てくる5.12以上のルートでは、大抵が適正ボルト。それ以外のルートでは、大体がボルトが遠く、適正ボルトとは言えない手抜きルート。手抜きのルートに、著作権を叫ばれてもなぁ。ってところだ。
男性の標準身長に満たない女性は、5.12以下の手抜きで作られたルートで怖い目に遭うことになっているので、その怖い目をグレードに加担すると、5.12を登っている男性が出さなくてもよいズク…根性…を出さないといけない。
その女性が出さないといけない根性の量は、そのグレードでは出さなくていい男性には、たぶん、一生分からない。
そういうことがないのがアイスで、結構、平等なクライミングであるなぁと思った。
女性にもっとも厳しいのは、たぶんボルダーだと思う。
■ フルートブーツについて
クライミングシューズで拓かれたか、登山靴で拓かれたか?みたいな違いがルートにあると言ったが、トップクライマーの人たちでも、氷と岩のマルチにフルートブーツを持っていくみたいな世界に代わっている。
アイスクライミングのコンペに分厚いダブルのブーツとモノポイントとはいえ、アイゼンで出たのは、私くらいだった…
私もフルートブーツは購入したが、あれ、使っていないんだよなぁ。使いたい。
というので、こんな画像が回ってきたので、あーあ、これをやろうとして、途中停止ボタンが押されたんだった…と思い出している。
■ 私が本当にクライミングによる地域おこしでやりたいこと
現在のクライミングによる地域おこしでは、本当に地域おこしという活動から、利益を得る主体である人、つまり、地域の人、はなんらの便益も得ていない。
地域おこしなのに、肝心のステークホルダーが不在、その名は、地域市民…。
ロクスノで、小鹿野の地域おこしに関する話を読んだが、小鹿野も、地域おこしについて、地主や地権者しか、地域おこしについて、関心を持ってもらう、利益を得てもらう、という発想がないみたいだった…。
地域おこしに地域の人が参加しなかったら、その地域おこしは、肝心の当事者不在の活動になる。
地域というのは、自分の家、であり、自分の故郷であり、まぁ、拡大した自分自身、ということだ。
自分が日本人でない、と思う人はいないだろう。同じことで、自分が○○町民、〇〇市民、〇〇県人、と思わない人はいない。なのに、クライマーでないから、小鹿野の町おこしには関係ないとか、地主じゃないから関係ない、意見できない、というのは、間違った発想だ。
他人事、ではない。その他人ごとではない、という感覚を日本人は戦後忘れてしまった。
私がアメリカに行ったのは、94年95年だが、教会活動が盛んで、震災の時は物資を送る活動に私も参加した。その時、アメリカでは地域活動がきちんとあるんだなぁと思った。
その後サンフランシスコ市内の日赤に同様に参加してボランティア活動しようとしたが、あまりにも悲惨で機能しておらず、なんじゃこりゃ感があった。すでに自分の町という活動が成り立っていなかった。要するに、貧すれば鈍するのである。
思えば、九州福岡で経験したクライミング活動の廃れぶり…は、同じだったかもしれない。
みんなが自分さえよければいい、となった結果、こういうことになったんじゃないだろうか?
伊藤貫先生は、中国の日本が属国に陥ることを懸念しているが…アメリカに対して売国奴だった人たちが、今度は中国に対して売国奴になるだけのことで、日本市民、国民は、また、ただ黙ってその事態を受け入れるだけのことなのだろうか?
私は市民の自主性が失われた町というのは、ほとんどすべての市町村なのではないか?と思っている。
夕張以外の… いっそ、全く市町村機能が無くなれば、人々は自分の力で立つことを思い出すのではないだろうか。
昨日は、不思議なシンクロニシティに導かれて、合気道教室に行った、合気道一色の日でした。
驚いた。
帰りにランチに誘ってもらい、ご一緒して、結構、疲れ、お昼寝したら、もう、夕方の合気道教室の時間の10分前で、なんだか、気が高揚した日でした☆
■ 出会い
朝、起きると外はザーザー雨でした。
昨日はすごい明晰夢を二つも見たので、それについて考察しようとしていたのですが、雨があまりにもザーザーで、とても、気持ち良さそうなので、雨に打たれようかな♪って気分で、お散歩に行くことにしました。
特に目的を持たず、直観のままに歩く、ということを目的にした”アーティストデート”と言われる方法による散歩です。これをすると、私は気分がスッキリするのです。
自分にとって価値があるもの…それを発見する。自分軸に戻るための散歩、ともいえるかな。
そこで、まずは高津神社では、アーモンドの木を発見…誰かがお供えしたものでした。お供えって、寄付、ドネーションの口語です。捧げるもの。
高津の宮は、台風によるザーザー雨にも関わらず、いつも通り、全開に開かれて、神様は、雨でも晴れでも、構わず、受け入れるものなんだなぁと思いました。
朱色が印象的なお稲荷さんの方へ行くと、木の周りにぐるっと鉄格子が回してあり、一見何の役に立っているのだろうか?という感じ。お稲荷さんの朱色が雨に濡れてきれいでした。
境内に古い井戸があった。(ちなみに焼却炉もあり、神社は自己完結している)
井戸水はもう飲めないのか?社務所に頼んでねと書いてあり、水の都と言われた大阪でも、空堀では、水は貴重だったのかも?などと、想像。でも、水道につながっていない井戸は、地域に一つは欲しいですよね、災害時。
その後、雨水で出来た小さな地形が、まるで空撮した河川のようだと思い、その河川に沿って歩いてみることにしました。もともと、自然地形を辿る、というのが好きなのです。冒険好き。
それで、出てきたのが、社務所の隣の小屋で、日ごろは近寄らない。なんでかな?なんとなく、遠くで見るだけでいました。そのことに気が付いたので、近づいてみようかなと思ったのです。チラシが置いてあったので、へぇ~と思って眺めていたのでした。
すると、奥から人が。胴着と袴をはいた男性でした。
今から、”気の教室”が開催されるということで、へぇ~と思い、時間は9時半の予定だが、もう過ぎているそうだった…。誰かを待っているみたい?
私を待っていたわけでは当然ないのですが、その男性のお顔がとてもやさしそうだったので、ふと、思いついて「急ですが、参加してもいいですか?」ということで、参加しました。
まさかそういうことになると思っていなかったので、参加費3000円がないかも?と思い、急遽、お財布を確かめると…4000円入っていたので、ホッとしました…(笑)。
で、参加したのが、こちらの教室です。
https://www.youtube.com/@yuuyuuaikido-osaka
■ 400~500%成長
クライミングジムブームって、日本ではひところより、ひと段落感がありますが…
福岡ではすでに淘汰の波が来ているくらいです。
大阪でも小さいジムは大変そうにしていますが…外国では、ファイナンシャルタイムズという経済ニュース系のサイトが珍しく、ニュースにしていました。
https://youtu.be/etvigdtJlnk?si=Vfcb8cf2vPMiL7za
たいして目新しいことは言っていなかった。
古いクライマー業界からは、外岩文化に、ジム文化を持ち込む、ことが懸念されている、そうですが…すでにビデオトポとか、ボルダーでは持ち込まれており、懸念は
とっくの昔に現実化
しており、ニュースの癖にとろいなぁという印象でした(笑)。
つまるところ、こんな一般誌、経済紙ですら取り上げるくらいなら、市場浸透のステージとしては、もうメインストリームなわけです。
https://www.onemarketing.jp/contents/chasm_re/ より引用■ ジムの記録をつけるのを忘れていた…(汗)
ムーブの再習得… いや~なんか、すっかり忘れて、普通に楽しく登っていたんだった。
さて、記録。
1)行きたい方向に、先に足を出してはならない。右手、右足、ではなく、重心を考える。
2)ホールドの向きを考えましょう。
3)核心だけでなくて、全部のムーブの整合性を考える
出来ないムーブでは、踏みかえ。
踏みかえがかなり苦手系だと分かった。あと、恐怖心が湧くと、腕が曲がるので、ムーブが余計に難しくなるのである。
■ 指力= テーピング?
すでに指が痛いのであるが… 例のレイバック応用のやつは、これは指をテーピングで、ガチガチにしたら、いけるかも?と思いついて、やってみたら、できた。
あっけないほど簡単に習得してしまったんだが…
たぶん、テーピングを取ったら、またできないんじゃないかなぁ?
てか、これエイド?
このジムはグレードが辛いので、たぶん6級くらいの課題であり、私にとっても、まぁ、これくらいはできて当然的な難易度で、未知の領域ではない。
しかし…それでも最初はできなかったし、なんでかな?みたいな感じだった。
お手本の小島さんのムーブを見ても、特に難しい要求をしているような感じではなかった。
それで、彼と私のフィジカルの違いを考え、これは指力かも?と思ったので、右手薬指のテーピングを1本だけ増やしたのである。たった一本の指ですよ。
すると、腕を伸ばすことができ、右腕を伸ばせた結果、左足、立ち込めた。
というので、この課題での核心は、なんと、右手の薬指の強度、だったわけである。
いや、びっくりですね。
というわけで、このように、クライミングにおける習得の核心というのは、まったく摩訶不思議系なのである。
バレエの習得とか、水泳の習得とか、テニスの習得とかでも、実はこういうことは起きているのだろうか?
みなさんも、どうにも、腕を伸ばせる気がしないとき、指にテーピングを増やしてみてくださいね。
余談だが、体操競技では鉄棒とかで、選手は手のプロテクションをしている。なんかグリップが良いグローブみたいなのをつけている。あれ、なんか人工壁登るときに欲しいんですよね、私…
というのは、人工壁でのリードの時、ドガバでも、手が開いてきて怖いんですよ。特にクリップ時。人工壁のリードって、もうしょっちゅうクリップが出てきて、しかも、私は右手にぶら下がりたいのに、大体左手ぶら下がり、右手クリップが多い。すぐ左手がギブアップする…ので、人工壁は嫌いなんです。
なんせ、手繰り落ちたら、しょっちゅうクリップしている意味なくなります。
■ こんなに登れないのに外岩登ってきたの…?
さて、そんなこんなの、ジムクライミング… ジム店長の小島さんは、ムーブ解析力が素晴らしいです。
しかし、私があまりにも、ムーブを知らずに、外岩でのグレードを上げてきたことを知って、驚いているようです…
だよねぇ…?
私もそう思う。 私は外岩デビューが早すぎたんではないか?と、もう10年くらい前から思っています…
でも、いろいろな人に聞いたけど…
全く登れないときから、外岩に行くのは良いことだ
という意見が多数でした…特にアルパイン人種から。フリークライミング人種からすると、早すぎると思う。
というか、そういう人たちは、ジムがない時代に育っているので、ジムでムーブ習得してからのほうがより安全だ、という理解がないまま、現代の若者と同じ、これくらいは登れるはず、という期待を私に掛けていたようでした。
たしかに、私も、登れないころから外で登る、という風に成長してきてよかったなという面はあります。特に、外特有の外的リスクに自覚的になる。
たとえば、ピンが遠いとか、ボルトの強度が保証されていない、とか、1ピン目がかなり遠いとか、長ぬんで伸ばすとか、ビレイがシビアとか… 車中泊スキルや外トイレスキル、天候スキル、いわずもがな。
しかし、マイナス面もあります。自分の登攀力、ムーブ能力、そして、フィジカルにゆとりがないので、心が擦り切れます…
■ もう伸びしろがない人が粋がる?
例えば、台湾の5.4のクラック、私はカム3つで終わってしまいましたが… それと同じことをカサブランカでやっているのが、往年クライマーなんですが…でも、それって、たぶん、
登攀力を上げるという、のりしろがもうないので、やっているんじゃないかなぁ…
例えば、ボルダーだと、もっとすごいの、みんな登っていますよね。だって、ボルダーって1級からスタートなんですよね。
もう、よりハードに登れるということがなくなった人たちが、次なるチャレンジを求める先が…カム飛ばしだったり、スラブでも、40mランナウト、っていう気がするのは、私だけではないでしょう…
で、それに付き合う羽目になって、初心者なのに5.8で40mランナウトを登る羽目になるのが現代のジム上がりクライマー…。
彼らはジムでムーブのゆとり、フィジカルのゆとりを上げて、それから岩場に来る…けど、外的リスクも、懸垂下降も、登り返しも、クラック登りも、スラブ登りも、クライミングジムでは学べない。
学べないことをすでに学んでいる前提になって、挑戦される…
ということになっています。
そこが、理解されないのは、デシマルにしても、ボルダリングの段級にしても、グレードで、どんなクライミングか?スラブか、オーバーハングか、クラックか、なんてことを考えず、全部一緒に表示するからです。
無意識に、俺は、5.12が登れる、とか、俺は1級が登れると思ってしまうので、スラブの5.10Aで落ちたり、クラックの5.9も登れなかったりします。そりゃ当然ですよね?
この問題の解決に、小川山では、本来5.9とグレードされていたクラックを、5.10Aにしたり、となんかグレードを甘めにすることで解決しようとしているみたいなんですが…
その方向は間違っていると思う。
そうじゃなくて、真実は、
・ジムグレードと真実の登攀力は異なる
・スラブとジム壁は異なる
・クラックとフェイスは異なる
・ジムでも垂壁とオーバーハングは異なる
・石灰岩と花崗岩は異なる
と
様々なクライミングごとにすべてを初心で習得する、
という方向性が正しいと思います。
昨日ジムでも、小島さんが垂壁で指摘したことを、薄被りに応用しようとしたら、
「こっちの壁では別の話」
と言われました。
分かっている人は、一つのグレードで、すべてのクライミングの能力を統括しようとは思っていないのです。
ジャミングとカチが別の力って言うのは、当然のことだからです。
■ ご褒美
昨日はまた、博物館並みにすごいメキシコ雑貨の店、トンボラさんに行って、目を保養して帰りました☆
店のお姉さんとも、素敵なメキシコ雑貨の話で盛り上がりました。
自然農で教わる定番の手仕事に、蛍かご作り、というのがありますが…蛍かごのメキシコバージョンを発見しました!

考えられる理由のリスト。
1)知識が豊富すぎ、未来が予見できるため、興味関心がもはや薄い
2)もはや、それが実現したいことではない
3)実現できたとして、それが価値あることとは、もはや感じられない
4)自分にとって良い出来事なのか?不明
5)夢を実現させたが、幸福にならなかった経験がある
である。
どれも、自分の心に問うようなことであり、そうであれば、やって見なければ分からない、というのが実際のところだ。
以下、心が疲れていることの解析。
■ 愛着の対象をコロコロ変える?ことにお疲れ中?
長引く転勤で、いらだったのは、愛着の対象…壮年期の女性の場合、それは、
家庭づくり
だと思うが…を、毎回、作り上げた、その愛着対象を取り上げられるので、いらっちスイッチが入っているということは確かなことだろう。しかも、自分が十分満足した、というタイミングではなく、え?やっと作り上げたのに?みたいなタイミングで取り上げられる。
その喪失感から、毎回、回復しなくてはならないのだ。
私にとっては、家庭を作る、家族をスタートする、ということが、最初の希望だったわけだが、それらは、2度の流産で失脚?した。
その後、山梨でのヨガでの生徒さんたちが、その地位にあった。私の、作り上げたもの、ということだ。良い雰囲気のクラスだった。
さて、それを喪失させられ、ここ最近、6年はクライミングによる地域おこし、が入ってきた、というのは、否めない。
このブログでも度重なる思考を重ねている。
■ 女性の愛着の対象
愛着の対象が、家庭や家族、なのが女性なのである。これは、ヨガ講師時代にアーユルヴェーダで学んだ。
最近、メンタルだいぶ調子よいが…その理由は、自分の愛着の対象が、大阪の家になって、結局、”今のところ感”がなくなってきたからだ。
福岡の賃貸の家に住んでいても、バカ高い賃料を取られるだけで、何もいいことがない。家もう一個ローン組めるくらいの高額家賃を払って、自分の家はもぬけの殻とは…。
それはただの愚痴であろうが、さりとて、経済的に、非搾取的な立場を度外視しても、転勤生活は落ち着かない。
今か、今かと、いつその地を離れるか、という気分で暮らすことになる。
そもそも、そこに居たいから、居るのではない、というのも、重要な点だ。
■ アメリカは行きたいから行った
私の青春は、間違いなく、アメリカにいた2年である。で、居たいから居た。
生活は、かつかつで大変だったんだが、それは、私が英語が話せるようになることを優先して、週に2日しか働かないという選択肢を取っていたせいだ。人のせいではない。自分自身の選択の結果。5日は、ずっとカフェで本を読んで、周りのおじさんに英語を手伝ってもらう生活をした。
先日、伊藤貫さんの話を聞いていたら、高校生あたりから、私と全く同じような生活をしていらしたらしくて、驚いた。
というのも、学校の勉強、退屈だったんですよね。母校熊本高校はトップスクールなので、放任で、授業自体も2年生の夏ごろには教科書終わってしまい、あとは自分たちで受験に必要な勉強しなさい、みたいな感じなので、学校には行かないでも済んでしまった…ので、大体、図書館で自習するために、学校は存在する、みたいな感じだった。
その後の生活も、学校の図書館や自習室が、カフェに置き換わっただけで暮らしている。
きちんと専門書が読めれば、それで私は幸せなようなのだ。
現在の生活も、同じようなもので、どうやって勉強するか?みたいなところが、私の生活の中心だ。
結局、身体技法系の知識というのは、ヨガの知識や整形外科の知識、栄養学の知識だが…、ずっと同じ姿勢で勉強していたら、体がこわばるから、みたいなところが実際だ。
というので、本来、私はクライミングよりも、勉強しているのが好きなのらしい…。だが、ずっと勉強し続けるにも、ヨガマットや山での散策は必要だ。
■ 行動リスト
1)しばらく引っ越してみる
2)2週間の瑞牆くらし
意外に癒される。カラードカーネーション。やっぱり活けるセンス次第なのだ。最近、自分の夢への実現が一歩前進するようなことが起きている。
しかし… 問題が…この夢の実現に関して、なんか躊躇があるのだ。
■ 地域おこしのスキル?
クライミングによる地域おこしをするのにあたって必要なスキルは、クライミング能力ではなく、地域おこし能力のほうだ。
だとすると、地域おこし、さらに言えば、最も大事なことは何だろうか?
地域に、愛着を持てるかどうか?が核心になるのではないだろうか?
では、私はクライマー連中に、愛着を持てるだろうか?
いや~持てませんね。あいつら、自分のことしか考えていない究極の自己中ピープルなんで。
では、地域の人は? 地域の人に対して愛着が持てるかどうか?は、どのような地域性を持っているか?によるだろう。
儒教文化の人は私は愛着は持てない。なぜなら、儒教の教えというのは、支配者が支配を楽にするための教えであるからだ。
■ 日本人の日本人らしさ
海外にいると日本人の日本人らしさは、いいなって思う人が多いだろう…。
日本人同士でも、相手の領域に、土足で入るようなことはしない。まずは相手を配慮して、そして、自分の居場所を確保する。
海外でも、お先にどうぞ、という文化はある。AfterYou、というが。
そうした文化はどちらかというと、ヨーロッパにあり、アメリカにはないと思うが、アメリカ人の中にもいない訳ではない。
私のアメリカでの人格は、そうした人たちに近かったと思う。
しかし、問題は、アメリカでも、日本でも、
わがままで駄々っ子で俺はダメな奴だと主張して、こちらから慈悲という行為を引き出して、裏であっかんべーとやっているような奴ら
である。この人たちは、日本的気質と言えるのだろうか?私には日本的というよりも、むしろ、アメリカの功利主義的な人に見えるのだが。
例えば、怪我をした仲間を置き去りにして、自分は登りに行ってしまうような奴とか、である。山でも、高山病になった仲間をほっぽって山頂に行く人いますからね。
そういうような人たちを利するようなことは絶対に嫌だなと思っているのである。
しかし、地域おこしビジネスには、そうした人は多い。それは、結局、政府からの大量の補助金が流れ込んで、楽して儲けられる仕事になってしまっているからだ。
■ 外国人による、乗っ取りを避ける
立山に行く前に、非常にマナーの悪い外国人(観光客ではなく、住んでいるのではないか?と思われる人たち)でいっぱいの谷町線を天王寺で見た。
なんとなく、日本が乗っ取られるのではないか?みたいな危機感を抱いた。
その危機感は、立山で、リアルな現実として具現していた。
実際、乗っ取られていた、のである。
乗っ取っていた人たちは、国内外国人のタイプで言えば、良いほうの外国人だったと思う。特に中国人のLee君は小屋の親父さんからも信頼が厚く、仕事もうまく回していたと思うが…それでもやっぱり日本人の自己主張力が弱いので、治外法権化してしまう。
いい人なのになぜそうなるの?と思う人が多いだろう…
例えば、餅事件があった。賄いの朝食の卵焼きをフライパンで作るのだが…
「これ、どう焼いてほしいの?」
「餅」
「え?餅って?」
「…。もーいい!」
結局、餅って薄焼きのことで、日本では餅と言わない。ところが、中国人のほうは餅と言わない、という学習機会ではなく、ったく日本人は分かっていない、という学習機会にしてしまうのである… いや、ここ、日本ですよね? 日本語使いましょうよ。
たぶん、薄焼きではなく、日本の卵焼き風に丸めてしまうくらいの自己主張パワーが日本人には必要らしいのだが、自己主張をしないで相手に寄り添うのが、日本人の日本人たるところなので、国際社会ではそういう性格は
透明人間
ってことになる。そういう人が生きやすいか、生きづらいか?明白であろう。
そして、乗っ取っているほうも不幸だし、乗っ取られている日本の側も決して幸せそうには見えなかった。
Lee君は一生懸命働いてくれたが、それが日本の山小屋の親父さんには、ちょっと違う、と感じられる。だから、日本人が欲しくなる。でも、その日本人らしさが何なのか?親父さんは言語化ができないのだ。
海外にはクライマーの町はいっぱいある。しかし、そこは、外国人の文化で運営されているから、日本人が出かけて行っても、楽しいのである。日本人は郷に入れば郷に従うから。
逆に、日本的な家庭的なノリで、運営したら、日本人は、相手に過剰に親切すぎ、軒先貸して母屋取られる、ことになるし、それは双方にとってハッピーではない。
受け取った側は、返礼しないといけないくらいなら、最初から親切を求めていない、と思うだろう。
まず与えて、そして、受け取る、は、ほぼ日本でしか通用しない。
■ 治外法権、ニセコの二の舞?
しかし、海外にあるようなクライマーの町をそっくり、日本に持ってきたらどうなるだろう?
ラオスを事例にすると、地元のラオス人に対する恩恵はないのである。
グリーンクライマーズホームは3度も火をつけられている。つまり、地元の人からは、歓迎されていない。
そりゃそうだ、クライマーズパラダイスを作っただけで、そのパラダイスには、地元の人は含まれていない。
それでは、地元の人は面白くないのが普通だろう。
考えても見れば、西洋人というのは、こういうことを延々と歴史の中でやってきた人たちなのである。
例えば、ある国にコーヒーの木を見つける。そして、そのコーヒーを安く買って高く売る。
儲かったのは誰か? 見つけた西洋人だ。それだけなら、現地の人は何も言わなかったかもしれない…しかし、それ以上のことを起こす。平和な現地の生活を捨てさせ、コーヒー農園の労働に駆り出され、結局、利益は? 西洋人ががっつり取っていく、ということになって、ローカルの人々は伝統的な生活を破壊され、貧困に追いやられる。
クライミングだって、同じやり方をグリーンクライマーズホームはしてしまったのだ。
無自覚に。
■ ローカルビジネス
一方で、そういう事態を見て、クライマーの増加に目を付けた一般のラオス人がやっているゲストハウスもいる。
そうしたゲストハウスは、楽しいのではないか?と思って、次回は、何泊か、そういうゲストハウスに宿泊したいなと思ったりもしているんだが…前回、だいぶ現地で見つけてきたので…
そうすれば、ラオス経済に、ちゃりんとお金を落としたことになるだろう。
ラオスでも言っていたが、西洋人は、別にお金を落としたくないのではない。ただ、ラオスが提供するものに、先進国の彼らが欲しいものがないのだ。
西洋先進国では目が肥えてしまっているのである。
近所の雑貨屋ひなたさんがやっているようなハイレベルな雑貨だったら、みんな買っていくだろう。
■ 以上が躊躇の理由だ。
ということで、機会は舞い込んだ。
後は実践をするだけなんだが…私はどうしたら、良い形で、これらの実践を地域にもたらせるだろう?
なんせ、訪れてくる西洋人は、ローカル経済への貢献が、岩場存続のカギだとは考えていないのである。
ただ、便乗できる岩場が見つかった、それだけのことしか考えていない。
無料で遊べる安い岩場がある、彼らの狙いは、それだけのことだ。
そんな、穴場みっけ!みたいな扱いを受けて、地域経済はうれしいか?
うれしくないに決まっているだろう… ゴミと迷惑と事故しか、クライマーは落として行かない…それが、これまでの日本国内のでの日本人クライマーの歴史で、クライマー本人はそのことに無自覚だ。
その日本人クライマーに、さらに輪をかけてパワーアップしたのが外国人クライマー…
クライマー側からしてみれば、ただ登りに来ただけなんですけど…
そりゃそうだろう…
でも、一般の観光客だって、京都でオーバーツーリズムとなり、迷惑がられているんである。
ゴミ、迷惑、事故は、言わずもがなだが、自国の風習を勝手に日本に持ち込むのは、文化の破壊行動だ、という自覚が、外国人にはない。
あまりにも、自己中すぎるので、どんなに内向的でおとなしい人でも、自国の習慣、例えば、公衆の面前で、裸同然のキャミソール姿になるとか、熱烈キスやハグをしてそれで普通である、とか、そんなことをしても、本人らは気が付かないのである。
それを阻止できるか?一般の地域のおじいちゃんやおばあちゃんが?
まぁ、無理であろう…
その、きっかけを作る、そんな存在にはなりたくないのである。私は。
したがって、考えついたのが、
小値賀方式
である。外国人は一か所に集めると、そこで外国文化を形成するのは当然だ。なら、分散させれば、日本人が主導権を握ったままでいれる。
小値賀は、それを地域住民による民泊という形でうまくやっている。1組しか泊まれない。
植樹祭広場が、治外法権化しないことを祈るばかりである。
■ 雑貨屋好き
学生のころから、雑貨屋さんが好きで、日本ではホームインテリアのことを雑貨屋、と呼ぶと思う。
神戸元町には通っていて、今では普通にどの駅にもある、カルディだの、成城石井だの、でしか買えない輸入食品は、その昔、神戸グローサリーまで出かけて、一缶800円もする、ブラックチェリーを買って、学生寮でチェリータルトを作るような学生生活をしていた。アメリカの郷土料理である。
今思えば、卒業論文はポリティカルコレクトネスだったのは、現在を先取りしていて、私は非常に先見の明があったのだ、と思う・・・当時は卒論はやっつけ仕事で、本当に楽しんでいたのはアメリカ料理の習得。
あの頃、使っていた世界の料理という百科事典的レシピブックは、今探してもどこにもなく、また手に入るなら、手に入れたい…。おかげでだいぶ、アメリカには行く前からアメリカ料理に詳しかった。
最近、偶然発見した、このサイトが、マイヒット中だ。
『アメリカの食卓』という本間さんの本を長く愛読した。本間長世教授は、東大のアメリカ研究者だが、今思えば、アメリカが見せたいと思ったアメリカしか見ていない学者で、御用学者、と言えるのかもしれない。
遠い過去、アメリカにも主婦がいたのだ、今はいないけど。
■ 人種問題と民主党
そのような学習をして臨んだアメリカだが…意外なことが多くあった。
サンフランシスコで会った南部からの黒人さんは、街の人が黒人差別がないことに非常に驚いていた。
アメリカと言っても、人種的多様性があるのは、大都市のことで、田舎では違う。
サンフランシスコ、といえば、極左の町、先鋭的な民主党員ばかりみたいな町である。日本人というだけでアイドルになれる。日本で、ガイジンというだけでアイドルみたいなものである。サンフランシスコはそうゆう街だが、外国人であるということと同程度に自分を
特別
にしてくれるのは、同性愛であることだ。性的倒錯は、自分を
特別
にする手段になっている。
サンフランシスコでは、住んでいても、ちょっと変だな、ということは頻繁に起こる。
例えば、私がいたころは、中学の入試で、血筋にインディアンの人がいると、有色人種枠で有利だ、というので、必死に親戚筋にインディアンいなかったっけ、とレズビアンの大家さんが探していたのであった…。レズビアンなのに、子供がいるというのが不思議だったが…。
要するに、当時から、アメリカはおかしかった。30年前から。
■ 伊藤貫
さて、現在のアメリカでは、トランプ大統領に代表されるような、共和党が台頭…というか、民主党の極左…社会主義的政策は、実際は誰を利しているか?という真実に目覚めた国民とそうでない国民の一騎打ち、みたいな様相になっている。
結局のところ、勤勉な日本人が労働で得た対価も、アメリカの0.1%の富裕層、つまり、オリガーキーに富を吸い取られるだけのことなのである。オリガーキーって、世界の富を独占している上位1%の人たちのことだ。DS、ディープステイとという人もいる。
伊藤さんの解説を聞いていたら、政治献金の7割が、誰から来たのか、分からない匿名の資金だそうで、これが例えば、税を払わないジェフ・ベゾスやら、ザッカーバーグから来ているらしいのだ。
日本でも似た構造で、結局、民主主義だと、まともな人は誰も政治家になりたがらない、と話をしている。
https://youtu.be/c-dgMfr-FtI?si=w8MSnyXJh8NUoXjR
その人たちって、シリコンバレーの民ですよね?ってので、またもやサンフランシスコベイエリアは、沸点みたいな場所であるのだが、その時代は終わりつつあり、もはや、古き良きアメリカを求めて、テキサスまでIT拠点ですら移動しているそうである。
そういえば、IBM関係の仕事をしていた山梨時代の前、17,8年前、関連会社がみな、テキサス系で、自家用ジェットで飛ぶ経営者たちの世界観に、日本人経営者の社長さんは毒されているようであった…。
以上は時代を目撃した私の目撃情報ってところである。
■ 30年前の富裕層
しかし、私が見た、30年前のアメリカ富裕層の暮らしは、金銭的には豊かでも、心はそれは寂しいもので、ビバリーヒルズ青春白書に出てくるようなプール付き豪邸に、昼間住んでいるのは家事使用人ばかり、という世界だったけどなぁ…。
私の最近気に入っている子供動画のような、健全な家庭生活は存在していなかった。富裕層の暮らしには。親は子供の世話を焼かず、知的で優秀な教育係が焼くのがアングロサクソンの伝統で、そこに日本人大学生はぴったりのようだったが。暖かい家庭生活がそもそもない、ということにかなりびっくりした私だった。
欧米人の大人としての生活は、誰が誰と寝たとか年がら年中その話で辟易だった。
アメリカでクライミングしていたら、たぶん、同じように誰が誰と寝たとか、そういう話ばかりでくたびれるんだろうなぁ…関係ない世界に生きたい。
■ 大阪にある幸せ
さて、大阪では、近所の雑貨屋さん巡りで、昨日と今日の収穫が素晴らしい。
■ 谷六 日本の雑貨ひなた&フランス雑貨Carbon
ひなたさんもCarbonさんも、とってもかわいい雑貨屋さんで、隣り合っている。目のご褒美である。
思うに、女性は日常のちょっとしたかわいいものが必要に出来ている。可愛いもの、を持つ程度で、心が満たされるのなら、安い買い物ではないだろうか?
Carbonさんは、金曜と土曜しかやっていないそうだが、とってもすてきなフレンチ雑貨屋さんである。
となりのひなたさんは、日本の手仕事作家さんの作品を置いている。手仕事のレベルが高く素晴らしい。行った時は野鳥シリーズの日だったらしくて、作家物のアクセサリーなど、こまやかな仕事ぶりの野鳥の作品がすごかった。山で見るお土産も野鳥物は多いが、はるかにしのぐ、レベル感だった。https://maps.app.goo.gl/Xot5seZqSGiG7VE89
上高地とかでやったら、売れそう。
■ ココア専門店 アカイトリ
仕事で使うような普通のビルの一階にあって、空堀に引っ越してきて20年なのに、今頃知った老舗ココア専門店。
一か月ローテーションしても、まだ違うココアが飲めそうなメニューの充実ぶりだったし、しかも、ヨーロッパのショコラティエ並みにおいしい。
レッドペッパーチョコレートなんてあります。
オレンジのココアを飲んだのだが…これが、まるで、バルセロナの高級ショコラティエの味がした。
ヨーロッパのショコラティエって、ホントおいしいですよね。
しかし、カカオも、コーヒー同様、植民地での搾取をベースにした作物…あまり深入りしないほうがいいかもしれない。
まぁ近所にすごい実力派のココアを飲ませる店がある、というのは不幸なことではない。
https://maps.app.goo.gl/QPWGUYMwMNAbHYo19
今日は、女性の日でもあったので、クライミングは取りやめて、パカラ堂でのんびり読書して、乙女に過ごすことにした。
近所の高津神社の境内入り口にある、こじんまりしたカフェで、焼き菓子がとてもおいしい。
そこで読んだショートショートが印象的だった。
浮気を妻に告白した男の一人語りなんだが…、妻の逆上する様子やその逆上を甘んじて受け入れる姿、どっちも好き、みたいな女性の側からしたら、は?!みたいな返事をする本人…、
人間ってこんなものだよね~みたいな、割り切れない部分が描かれている。
そういえば、子供のころは、こういうのばかりを読んでいたよなぁ…。
小説の世界は、割り切れない人間の心情を描くもの、であるが、ビジネス書や心理学などの学術書は、割り切れないものを説明しようと追及するものだ。
割り切れないものは割り切れないまま、やり過ごす感というか…
ビデオトークでOKというか、実況中継でOKなのだ感というか…
というので、心理学の本も持って行ったが、解明よりも、実況中継、の意味を感じた。
神は人生を解明しろ、と人間に言わず、人生を楽しめ、と言ったらしい。
■ おしゃれ花屋のMojo
その後、花屋のMojoさんへ出かけた。ここは、観葉植物も生花もおしゃれなのである。
が、谷町九丁目は寺町なのに、お寺の副業でラブホをやっているところが多く、なんと今日は高校生が制服姿で、まるでゲーセンから出てくるように普通のノリで、これまた、どこにでもいるような男性と出てくるのを見かけた…
アメリカもくるっているが、日本もくるっている。
ひとしきり、花屋さんとの相談で、花瓶はあきらめ、月桃をドライフラワーにする予定で購入した。
花はなかなか満足の世界は遠い。福岡では、花屋が安くて良かったなぁ。
でも、一輪でもいいので、花があると生活の潤いが違う。
生活のうるおい…こんな漠然とした言葉に、真理を見出せるようになるとは!
小さなことに幸福を見出すのが大事、とはよく言われる。が、若いころは、ただの負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
それが、本当に見出せるようになる、という実感が、良き発見かな。
若いときから花には慰められてきたが、ある意味、敗者の慰めというか、大きな成功への郷愁的な感傷もあった。今は全然ない。
こだわりみたいなものが減ってきている。好きな花もあるが、好きでない花もきれいだ。
花があるといいなって単純に思う。
わざわざ深山に行って、高山植物を大げさに眺めたり、写真を取ったりするのと違う。
単純にきれいだな、って思うその気持ちが穏やかで、幸福だなって感覚である。
だから、花が道端の花でも、野菜の花でも、スーパーで買ってきたのでも、オサレ花屋さんのでも、どれでもよくて、ただ、花があるといいな、っていうもの。
カラードフラワーは人工的で嫌いだと思っていたが、そうでもなかった。子どもが楽しそうだと見ていて嬉しい、とか、犬が無邪気にボールを追っているのが平和だ、とか、そんなのと似ている。
クライマーは、登る者。ただ登りなさい、みたいな(笑)?
ただ登ったり下りたり…、それで幸せになって、なぜそれ以上を望むんだい?みたいな?
英語では、whatever というんだが…クライマー間の主義主張の小競り合いの不自由さというか、自己呪縛というか…小ささというか…いつまでそんなどうでもいいことにこだわって、楽しむ時間を無駄にしているんだい?みたいな???
クライマーが年を取り、そして、クライミングって楽しいなって、良さを実感するというときには、こんな気分になるのではないだろうか?
…というわけで、読書好きで、家が好きで、コーヒーとチョコとワインが好きで、世界情勢が気になる私は、まぁ、そのままでいい、みたいなんですよね(笑)。
いいみたいってのは、幸福みたい、ってこと(笑)。
どこかへ向かおうとしなくても…。何者かになろうとしなくても。
ただ、在れば。
自分であることを楽しむ。…その自分であることの一部に、私は不思議なことにクライミングがあったのである。いい香りの石鹸を買いたい、とかと同列に。ということを実感した一日でした☆ 幸福☆
最近の本棚 あまり増やさないようにしてる