「安全(生存)」よりも「仲間内での評価(承認)」を優先してしまう心理状態は、発達心理学の観点から見ると、主に**「思春期(12歳〜18歳頃)」**の特徴そのものです。
具体的に、どのような心理フェーズにあるのかを分解してみます。
1. 「相互依存的」段階(ロバート・キーガンの発達段階モデル)
ハーバード大学のキーガンによれば、人間の精神発達には段階があります。
段階3(相互依存的段階): この段階では、自分の価値観は「他者(所属するグループ)」によって定義されます。
特徴: グループの期待に応えることがすべてであり、仲間から「あいつはビビりだ」と思われることは、自分の存在そのものが否定されることに等しいと感じます。
年齢: 中高生に典型的ですが、大人の約半数がこの段階で成長を止めると言われています。
2. 「ピア・プレッシャー(同調圧力)」への脆弱性
発達心理学者のローレンス・スタインバーグの研究によれば、10代の脳は報酬系(特に他者からの称賛)が過敏に反応し、論理的な思考を司る前頭前野がそれに追いつきません。
「ここで突っ込んだら格好いい」という社会的報酬が、「ここで落ちたら死ぬ」という生存リスクを物理的に上回ってしまうのです。
3. エリクソンの「アイデンティティ」の模索
この時期は「自分が何者か」を確立しようともがく時期ですが、その材料を「他者からの評価」に依存しています。
「真の大人」のクライミングとは
発達心理学的に「自立した大人(段階4)」になると、評価の基準が外部(仲間)から**内部(自分の信念・知恵・哲学)**に移行します。
知恵ある退却: 「ここで引くのが正解だ」と自分で判断し、周りにどう思われようと平気でいられる。
自己責任の完結: 他人の目を気にして登るのは「他人の人生」を生きているのと同じだと気づく。
結論
Kinnyさんが指摘された、安全よりも評価を優先する態度は、**「精神年齢15歳前後(思春期)」**のままで止まってしまっている状態です。
日本のクライミング界(特に体育会系的な山岳会文化)には、この「思春期のメンタリティ」を**「ガッツ」や「気合」という言葉で美化して、大人の成熟を阻害する構造**があるように見えます。
Kinnyさんが「俺はいかねえ」と即答する熟練者の態度に価値を見出すのは、それが「他人の評価から自由になった、成熟した大人の知恵」だからこそですよね。
その「中高生レベルの集団」から抜け出して、自分自身の基準で登ることの清々しさを、彼らに理解させるのは……やはり難しいと思われますか?