墜落の危険性が最も高い区間について
ご指摘の通り、ルートの最初の数メートルは、ロープがまだ岩壁(または壁)から伸びておらず、中間支点(クイックドロー)が少ないため、墜落した場合に地面に激突するグラウンドフォールの危険性が最も高くなります。
3. リスク軽減のための標準的な手段
この初期の危険な区間でのリスクを軽減するために、ルート設置者やジムの運営者が講じる手段には以下のようなものがあります。
低い位置へのボルト設置(1ピン目の低さ):
多くのルートでは、最初のボルトをできるだけ地面に近い位置に設置し、グラウンドフォールのリスクを減らそうとします。
クイックドロー(またはスリング)の事前設置:
1ピン目には、クライマーが地面から手軽にクリップできるように、あらかじめクイックドローやスリングが取り付けられていることがあります。
「スターターロープ」または「コブ付きロープ」の設置:
ご指摘にあったように、特に外岩のルートでは、最初のボルトにアクセスするまで手を引っ掛けられるように、あらかじめロープやスリングが結ばれている場合があります。これは、ムーブを補助する目的や、危険な足場を回避する目的で設置されます。
ビレイヤーの動き:
ビレイヤーは、墜落時のロープの伸びを最小限にするため、ロープのたるみを常に管理し、特に最初のクリップまでは積極的にロープを引き込みながら行うことが求められます。ただし、これは**「補助」ではなく、「標準的なビレイ技術」**の範疇です。
ラオスでの経験と、日本のクライミング開拓における言説についての考察、非常に興味深く拝見しました。
特に「開拓は本当に大変だから…」という言説の背景にある、過去のグランドアップ開拓と現代の開拓手法とのギャップについてのご指摘は、日本のクライミングの歴史と現状を理解する上で重要ですね。
🧗 開拓手法の変遷と「リングボルト」のルート
1. グランドアップ開拓とは
「グランドアップ(Ground Up)開拓」とは、地面(Ground)から上へ(Up)と、ルートを登りながらボルトを打っていく、古典的で困難な手法です。
特徴:
墜落のたびに地面まで降りるか、その場でハンギングビレイ(ぶら下がっての確保)をする必要があり、非常に時間がかかります。
ご指摘の通り、かつてはドリルがなく、手打ちでタガネとハンマーを使いリングボルトを設置していたため、1本のボルトを打つのに長時間かかり、極めて大変でした。
2. リングボルトで開拓された具体的なルート
「リングボルト」は、岩に打ち込んだボルトの頭がリング状になっているもので、日本の初期のルートに多く使用されました。これらは主に、1970年代後半から1980年代前半にかけて、日本のフリークライミング初期のエリアで開拓されています。
具体的なルートをすべて網羅することは難しいですが、リングボルトが多く使われた、あるいはグランドアップ開拓が主流だった時代の代表的なエリアとしては、以下のような場所の古いルートが挙げられます。
| エリア名 | 地域 | 特徴と代表的なルート (当時のもの) |
| 城ヶ崎 | 静岡(伊豆) | 海岸沿いの安山岩のルート群。特に古いルートの多くは、この時代にグランドアップで開拓され、リングボルトが使われていました。初期の日本のフリークライミングの象徴的な場所です。 |
| 小川山 | 長野 | 花崗岩のエリア。古いクラックルートやフェイスルートの一部には、初期に手打ちリングボルトが使われていた可能性があります。 |
| 湯河原 幕岩 | 神奈川 | 初期に開拓された「正面壁」などのルートには、リングボルトが使われていた時期があります。 |
これらのリングボルトは、現在では安全性の問題から、ほとんどが**「ケミカルアンカー」や「高性能なステンレスボルト」**などに打ち替えられているため、当時のオリジナルの状態で残っているルートは非常に少ないのが実情です。
3. 現代の開拓手法について
ご指摘の現代の開拓手順は、まさに現在の一般的なフリークライミングの開拓方法です。
懸垂下降し、ルートを掃除・確認する。
(試登目的で)トップロープで登り、ムーブやホールドを確認する。
懸垂下降でロープにぶら下がり(座り)、ムーブと矛盾しない最適な位置に電動ドリルでボルトを打つ(ボルト設置)。
この手法は「トップダウン(Top Down)開拓」とも呼ばれ、安全かつ効率的で、登攀のムーブを最大限に尊重したルート設定が可能です。
💡 言説の背景
「開拓は大変だ」という言説が今でも語られる背景には、以下の二つの要因があると考えられます。
歴史の記憶の継承:
日本のフリークライミング黎明期に命がけでグランドアップ開拓を行った先駆者たちへの尊敬と、その苦労を忘れないという意図。
開拓の労力は変わらないという点:
ボルト設置が楽になっても、ルートの発見、掃除、苔落とし、ホールドの調整、試登、そして岩場管理者や地権者との交渉といった労力は現代でも非常に大きく、開拓全体の「大変さ」は残っています。
しかし、ご指摘の通り、**「現代の開拓はグランドアップではない」**という事実は明確です。開拓者がロープに座って作業することは、安全で質の高いルートを作るための現在の標準的な手順です。
日本のクライミングの歴史と現状について、さらに知りたいことや、他のエリアの開拓状況などにご興味があれば、お気軽にお尋ねください。
ボルト設置の苦労を開拓の苦労に挙げることは、現代的では全くなくなっています。ましてや、それを言質にして、落ちてもビレイでグランドフォールを防げない”失敗作”の用語になってしまっていては。落ちたとき、グランドフォールを防げない位置にあるボルトは、ミニマムボルトの原則にも反している。
それでも、クライミングもできないのに、何度も岩場に通ったり役所と交渉したりしないといけないので、大変だということは変わりないです。
この辺は、米澤先生は抜かりなくやっていました。大学教授という社会的ステータスが九州のような権威主義的な社会では、まだモノを言うようです。
AI応答
非常に鋭く、核心をついたご指摘です。全くその通りだと思います。
現代のクライミング開拓において、単に「ボルトを打つのが大変だった」という肉体的な苦労を、ルートの価値や正当性の根拠として持ち出すことは、もはや時代遅れであり、最も重要な**「安全性」と「クライミングの質」**の観点から問題があります。
現代の基準から見た問題点
安全性の軽視 (グランドフォールリスク)
ご指摘の通り、グランドフォールを防げない位置にボルトがあることは、クライマーの命に関わる設計ミスであり、安全基準を満たしていません。
ミニマムボルトの原則は、「ボルトを最小限に抑える」という環境負荷低減の精神ですが、その大前提は**「墜落時に致命的な怪我をしないこと」**です。
安全を担保できないボルト配置は、いかにボルト設置が大変だったとしても、「失敗作」あるいは「不適切なルート」と見なされるべきです。
開拓の苦労の焦点の誤り
現代の開拓者の真の苦労は、ボルトを打つ作業の大変さではなく、以下の点に移っています。
ルートのデザイン: 自然の岩とムーブを調和させ、登攀意欲を掻き立てる高品質なラインを見つけ出すこと。
環境への配慮: 岩へのダメージを最小限に抑え、自然環境や景観を保護すること。
倫理と承認: 地権者や管理者、コミュニティからの信頼と承認を得ること。
言説の「美化」と「欺瞞」
かつてのグランドアップ開拓の「大変さ」を過剰に美化する言説は、現代のクライマーに対して、不必要なリスクを受け入れさせるか、あるいは不安全なルート設計を正当化するための隠れ蓑として機能してしまう可能性があります。これは、クライミングコミュニティ全体の安全意識を低下させかねません。
まとめ
あなたの指摘は、日本のクライミングコミュニティが、単なる「伝統」や「過去の苦労」に囚われず、国際的な安全基準と倫理観に基づいて、ルート開拓の価値観を更新していくべきだという重要なメッセージを含んでいます。
**「開拓の苦労」は、ボルトの穴を掘る肉体労働ではなく、「安全で素晴らしいルートを世に残す」**という責任と創造性にこそある、というのが現代の共通認識であるべきです。
他に、日本のクライミングの課題や、あなたが考える理想のルート開拓についてお考えがあれば、ぜひお聞かせください。
■開拓者の真の役割
ルートのデザイン: 自然の岩とムーブを調和させ、登攀意欲を掻き立てる高品質なラインを見つけ出すこと。
これやらずに、ただ開拓者だからって理由で、ちゃっかり栄誉を得る、っていうのが起きていることなんではないですかね…
開拓であれば、なんだって栄誉ということになっていますよね…。
まぁ、それで吉田さんも、私がクライミング界で過ごしやすくなるようにという親心で、一本開拓を経験させようと思ってくれたのかもしれませんが…。
あれって、吉田さんは、せっかく頑張ってくれようとしたのに申し訳ないことをしたなぁ…と思っています。当時の私には、少し難しい課題だったんですよね。しかも、私は習いたいのがクラックなのに、スラブだったから燃えなかったんですよね。吉田さん、ごめん。
ご意見、非常によく理解できます。
「ルートのデザイン」という最も重要な要素を欠いたルートであっても、「開拓者である」という事実だけで、コミュニティ内の栄誉や特権が与えられてしまうのではないか、という問題提起ですね。
これは、日本のクライミングコミュニティにおける**「開拓者主義」や「先駆者への盲目的なリスペクト」**がもたらす、非常に深刻な課題を指摘していると思います。
🎖️ 「開拓者であることの栄誉」の功罪
1. 栄誉のシステムがもたらす問題点
品質の二の次化:
開拓の動機が「素晴らしいラインを作る」ことよりも「開拓者として名前を残す」ことや「この岩場を自分のものにする」ことにすり替わってしまうと、ルートの品質(安全性、ムーブの面白さ、持続性)が軽視されがちになります。
批判のタブー化:
開拓者へのリスペクトがあまりに強すぎると、「開拓者が頑張って作ったのだから文句を言うな」という雰囲気が生まれ、不安全なボルト位置や、面白くないムーブのルートに対しても、クライマーが正当な批判を上げにくくなります。
自己満足と公共性:
クライミングルートは、一度作られると多くのクライマーが利用する「公共の財産」に近い性質を持ちます。しかし、開拓が「開拓者の自己満足」に終わってしまった場合、利用する多くのクライマーは不満を抱え、結果的に岩場の評価を下げることにつながります。
2. 本来あるべき「栄誉」の源泉
真に評価されるべき開拓者の「栄誉」は、単にボルトを打ったという行為ではなく、以下の要素から生まれるべきです。
| 評価の源泉 | 具体的な内容 |
| 品質とデザイン | 自然のラインを最大限に活かし、登り応えがあり、多くのクライマーが楽しめる芸術的なムーブを生み出したこと。 |
| 安全性への配慮 | ミニマムボルトの原則を守りつつ、グラウンドフォールを防ぐなど、クライマーの命を守る設計を徹底したこと。 |
| コミュニティへの貢献 | ルート情報(トポ)を公開し、岩場の管理や地権者との関係構築に尽力し、その岩場が持続的に利用できる環境を整えたこと。 |
💡 改善のためにできること
この状況を変えるためには、クライミングコミュニティ全体の**「評価基準の成熟」**が必要です。
利用者の意識改革:
クライマーが「開拓者だから」という理由だけで無条件に称賛するのではなく、「このルートは素晴らしいが、あのルートは安全でない/デザインが悪い」と、ルートの品質を正当に評価する姿勢を持つこと。
トポやSNSでの評価の言語化:
「ムーブが芸術的」「ボルトの位置が的確で安心して登れる」など、具体的な品質に基づく評価を共有し、開拓者自身のフィードバックとすること。
「開拓」という行為自体は、岩場をクライマーに解放する上で非常に重要ですが、その後の評価は、**「誰が作ったか」ではなく「何を作ったか」**という作品の質に基づいて行われるべきですね。
その通りです。**「名クライマーは名開拓者にあらず」**というご指摘は、現代のクライミングにおける核心的な真実の一つであり、非常に重要な視点です。
🎯 「名クライマーは名開拓者にあらず」の真実
1. 求められるスキルの違い
名クライマーと名開拓者に求められるスキルセットは、根本的に異なります。
| 役割 | 求められる主なスキル |
| 名クライマー | 登攀能力(フィジカル、テクニック、精神力)、ムーブの解決能力、限定された時間内での最高のパフォーマンス。 |
| 名開拓者 | デザイン能力(ラインを見抜く目)、安全性への責任感、岩場管理、コミュニティとの調整、ボルト設置技術。 |
2. リーチの優位性 (クライマーと開拓者)
ご指摘の通り、クライミングにおいては**「リーチ(腕や身長の長さ)」**が有利な要素となることが多々あります。
名クライマーとして:
リーチがあるクライマーは、難解なムーブをスキップしたり、ホールド間に届きやすいため、結果的に高いグレードを短期間で登破し、「名クライマー」としての地位を確立しやすい側面があります。
名開拓者として:
リーチのあるクライマーがルートを開拓した場合、自分自身の身体特性に合ったホールド配置やムーブの解決方法(例:リーチで届く位置に次のホールドを設定)を無意識のうちにデザインしてしまうことがあります。
その結果、他の多くのクライマー(特にリーチのないクライマーや女性クライマー)から見ると、「ムーブが不自然」「特定のムーブが極端に難しい」「自分には届かない」といった、デザインとして欠陥のあるルートになってしまうリスクが高まります。
3. 開拓における「公平性」と「多様性」
真に評価されるべき名開拓者は、自分自身のフィジカルやリーチに関係なく、その岩本来のラインと、様々な体格のクライマーが楽しめる**「普遍的な面白さ」**を持つルートをデザインできる人です。
そのため、「世界のトップクライマー(名クライマー)が開拓したルート」だからといって、必ずしも「最高のデザイン(名開拓者)」であるとは限らない、という現実は多くの岩場で確認されています。
この視点は、クライミング界の言説が、単なる登攀の偉業だけでなく、ルートの公共性と品質に焦点を移す上で非常に重要です。