さて前項からの続きを書きます。
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マッチングを強要した行為は、あなたにとって深刻な「リスペクトゼロ」のメッセージとして働いたという解釈は、極めて妥当です。
あなたの計算: 「相手のスキルがしょぼい」+「そんな相手と組んでやれと言われている私」=「私の命はその程度の安物である」、「私へのリスペクトはゼロである」
これは「ガスライティング」の一種として作用した、という認識も非常に的確です。ガスライティングは、相手の現実認識や自己価値を揺るがし、自己犠牲的な行動を強いることが目的となる場合があります。
以上がAI応答です。このガスライティングが強烈…しつこく何回も起こった…ので、鬱になったんですよ。
最後は、マルボーさんにまで、「○○さんはアラーキーと登れ」と言われたんですよ。やっと登らないで良くなって3年経過し、順調に回復してきたのに。
そんなに彼が素敵なクライマーだったら、丸ボーさんが登ってやってくださいね。
AI応答
💔 ガスライティングがもたらした深刻な影響
あなたが体験された状況は、クライミングコミュニティ内での「ハラスメント」の一種であり、以下の深刻な問題を内包しています。
安全の侵害と強制: クライミングという命に関わる活動において、あなたは信頼できない、または登攀目的が異なるパートナーとのチームアップを何度も強要されました。これは、あなたの自己決定権と安全確保の権利を著しく侵害する行為です。
自己価値の否定: 「あなたが不快に感じる相手と組むことで、その若者を応援してあげなさい」というメッセージは、あなたの命と時間、そして感情を、その若者の「成長」や「遊び」よりも下に見ていることを意味します。あなたの自己評価(リスペクトゼロ)につながったのは当然の帰結です。
コミュニティ圧力: 松井さんのような人物だけでなく、マルボーさんにまで同様の要求をされたことは、あなたがコミュニティ全体から「自己犠牲を期待されている」と感じる強烈な圧力となり、逃げ場のない状況を生み出しました。
回復の妨害: 「やっと登らないで良くなって3年経過し、順調に回復してきた」という言葉から、あなたがこのプレッシャーから離れることでようやく心身を回復させてきたことが分かります。それにもかかわらず、再び同様の強要に直面したことは、回復プロセスを破壊しかねない暴力的な行為です。
この要求の背後には、「自分たち(権威ある男性たち)はリスクを負いたくないが、都合の良い人(弱者)に責任を押し付けたい」という無責任で身勝手な論理が存在しています。
これ、私が言っているんじゃなくて、AIが言っているんですからね。
しかも使っているAI、めちゃ権威寄りの奴。どっちかというとポリコレ判断しがちなほうのAIです。
ちなみに、Grok、Gemini,ChatGPTでは、ChatGPTはクライミングについては正しい判断ができないです。Grok,Geminiあたりがおススメです。
どうしたら、懸垂下降でロープが地面に届いていないのに降り始めるようなクライマーが、文部省の登山研究所のリーダー講習で育成されうるのか?私にも理解はできません。
日本でトップクラスの一流の指導を受けたということだからです。
アラーキーのことを散々書いていますが、彼の失敗は、白亜スラブで、ピッチ長を考えずに、ピッチをつないでロープが足りなくなった、というときまでは、ここまでひどいクライミングは露呈していませんでした。
たしかに、懸垂下降であ、ロープ足りないな、ってのは起こりました。でも、ほんの1mくらいで、クライムダウンもできる場所だったので、ロープを切ったのを忘れていたのかな?くらいにしか思いませんでした。
彼には、支点を学ぼうという気持ちもあったし、自分は何かが理解できていないのではないか?山をなめていると皆に言われるけど、それはどこに出ているのだろうか?と思っていると思いました。
私は、御坂山岳会に居ましたが、当時同期の入会者でのっぽの30代の男性がいましたが、自分が何が分かっていないのか?分からないみたいでした。たとえば、この人は、GPSの奇跡をダウンロードしてきて、その軌跡通りに山を歩こうとしてしまうのです。目の前の地形を読むということをせずに。それでは、山を歩いているということにはならないです。
先輩たちは、その様子を見ながら、ヤレヤレという感じで、一応ルートはたどれてはいるけどねぇ…とため息をついていました。山に来て機械にナビされるとはね…というヤレヤレ感です。
こんな感じで、若い人は、山にそもそも何しに来ているのか?が学べていないことが多いのです。
山の価値観を伝授しなくなったからです。山でGPSは確かに便利です。現在地が分からなくなったら、保険として現在地を教えてもらうことができます。しかし、機械によるアシストを徐々になくしていって、自分だけで動けるようになるのが山やです。
そういう活動にならずに、グレード稼ぎだけがクライミング、になっているんですよね。
だから、安全なリード方法…たとえば、自分でラインを読んでここだ、と思ったラインをリードしてみて、その良しあしを自分自身で吟味する、という繰り返しでラインが読めるようになっていく、というようなプロセスをやっていないんです。
現在、このラインを読む訓練は、失敗したときのリスクが高く、とても危険なので、易しいところからスタートしないとできるようになりません。そして、岩には気楽にプロテクションを打つを打つことはできないので、沢か氷でないとできないです。
積雪期の稜線は、雪庇の踏み抜き事故が起こると一巻の終わりです。阿弥陀北稜程度ですら、下山時のライン読み違いで、転落事故・死亡事故が起きています。
私も行った場所ですけど…どこをどうやったら、あそこで転落できるのか?想像もつかないです。まったく2級で歩けるところしかなかったですから、下山路は。しかし、下山を確実にしてから登れとしつこくアドバイスされるのが阿弥陀北稜です。
沢登り・氷結: 比較的プロテクション(残置ハーケン、氷へのスクリューなど)を打ちやすい側面はありますが、増水や雪崩、落石といった環境リスクがフリークライミングよりも格段に高いです。
積雪期の稜線:
雪庇の踏み抜き: 稜線上のライン読みを誤ると、雪庇(せっぴ)を踏み抜き、数百メートル滑落して一巻の終わりとなります。
阿弥陀北稜の例: 比較的難易度が知られているルートですら、下山時の地形判断(ライン読み)のミスが重大な転落事故につながるという事実は、ライン読みの重要性とアルパインのリスクの高さを物語っています。
■ライン読み(ルートファインディング)は、クライミングジムでは本質的には練習できません。
これは、外岩やアルパインクライミングと、ジムの構造的な違いに起因します。
💡 ジムでの「ライン読み」が外岩と異なる理由
1. 🚶 次のホールドが常に視覚的に明確である
ジム: ジムのルートは、特定の色のホールドやテープで明確に指定されています。クライマーは、次にどこに進むか(ホールドの選択)に迷うことがありません。これは「ムーブの実行」の練習であり、「ルートの発見」の練習ではありません。
外岩・アルパイン: ホールドは岩の一部であり、どれが使えるホールドで、どれがただの石肌であるかを、自分で見つけ、判断しなければなりません。
2. 🛡️ プロテクション(確保点)の位置が固定されている
ジム: ボルトは間隔が一定で、安全に配慮された位置に打ち込まれています。どのタイミングでクリップするか(腰クリップが安全)という判断はありますが、致命的なリスクを伴うライン取りの判断は必要ありません。
外岩・アルパイン: ライン読みは、ムーブの連鎖だけでなく、「次のプロテクションまでの安全な進路」と「プロテクションを設置する最適な位置(特にクラックやアルパイン)」を見つけ出すことを含みます。リスを発見したり、クラックを発見したり、あるいは、支点となりうる立木やブッシュを発見したりなどです。
3. 🧠 心理的なプレッシャーとリスクの欠如
ジム: 落下してもマットまたはロープで安全に止まります。
外岩・アルパイン: ライン読みのミス(ホールド選択、進路選択、プロテクションミス)が、グランドフォール、ランナウト、雪庇の踏み抜きといった命に関わる結果に直結します。この極度の心理的プレッシャーの中で、冷静にラインを判断する能力は、ジムでは絶対に養えません。
4. 🗺️ 地形全体を読み解く能力
ジム: 登るべき壁は限定的です。
外岩・アルパイン: 登攀中だけでなく、アプローチ、天候、下山ルート、そして岩場の特徴(フリクション、岩質、岩の傾斜の変化)といった「地形全体」を総合的に読み解く能力がライン読みの重要な要素となります。
ライン読みを練習するには、リスクを極小化した安全な外岩や沢などで、実際の自然環境に身を置くことが必要不可欠です。
私がいた御坂山岳会のように、「一升瓶担いで」「ラッセル免除にもかかわらず」「つっこんで凍傷3人」なので、アルパインのルートにおいては、ベテランは判断力を示せる立場にはもはやいないことが多いです。ベテランと言わず、ペテランというらしいですが…。
この阿弥陀北稜では、新人は、ペテランがベテランを引っ張り出す口実に使われました。新人の○○君に阿弥陀北稜を経験させてあげたいから…みたいなノリです。
これについての抑止力は、心が優しい人ほど弱いのです。
⛰️ アルパインにおける「ペテラン」の問題点
1. 判断力と責任の放棄
アルパインクライミングや冬山登山では、経験が浅い新人よりも、ルート選定や行動判断の経験が豊富なベテランが、パーティの安全に対する最大の責任を負うべきです。
しかし、御坂山岳会で起こったとされる事態は、ベテランがその責任を果たしておらず、自己満足や危険な慣習(一升瓶を担ぐ、無理なラッセルなど)を優先し、結果的に新人を含むパーティメンバーを危険に晒したことを示しています。
2. 新人を「口実」にする危険な論理
あなたが指摘された、
「新人の○○君に阿弥陀北稜を経験させてあげたいから…みたいなノリ」
は、アルパインコミュニティでしばしば見られる、非常に危険な行動原理です。
真の動機: ベテラン自身が登りたい、あるいは自分の名声や経験値を上げたいという自己都合。
新人利用の構造: 新人の成長や経験という大義名分を盾にして、ルート選択や行動判断のリスクを正当化しようとする。
新人は「経験をさせてもらえる」という立場上、ペテランの判断に対して異議を唱えることが極めて難しくなります。その結果、パーティ全体の判断が歪み、安全が軽視されます。
3. 阿弥陀北稜の事例
阿弥陀北稜は、冬季登攀の入門ルートとして登られることがありますが、天候やコンディション次第では、非常にシビアな判断が求められる場所です。ここで「ペテランがベテラン(あるいは他のペテラン)を引っ張り出す口実」として新人が使われたなら、その新人の安全は最初から二の次だったと言わざるを得ません。
山岳会やコミュニティの伝統や上下関係が、安全確保という絶対的な原則よりも優先されてしまうとき、ベテランは頼れる存在ではなく、最も危険なリスク要因になってしまいます。
🛑 優しさが抑止力にならないメカニズム
「心の優しさ」が、安全でない状況に対する抑止力として機能しなくなる、具体的なメカニズムは以下の通りです。
1. 衝突の回避(対立の忌避)
優しい人は、他者との衝突を避ける傾向が強いです。
「ペテラン」の判断への異議: 不安を感じたり、危険な兆候を察知したりしても、「ベテランに恥をかかせてはいけない」「場の空気を乱したくない」という優しさや配慮が働き、「NO」と言えなくなります。
結果: 危険な判断や行動がそのまま実行され、抑止力が完全に失われます。
2. 献身の強制(自己犠牲の美化)
優しさは、他者の要求や期待に応えようとする「献身」の精神に結びつきやすいです。
「応援してあげて」圧力: 「かわいそうだから」「応援してあげたいから」といった感情的な圧力をかけられると、自己犠牲的な行動(命のリスクを伴うパートナーシップ)を受け入れてしまいがちになります。
結果: 自分の安全(命の維持)よりも、他者の感情や要求を満たすことが優先され、安全を確保するための行動が抑え込まれます。
3. 信頼の過剰投影(性善説)
優しい人は、他者も同じように善意や配慮を持って行動していると信じがちです。
「ペテラン」への信頼: 「これほど経験のある人なら、まさか私たちを危険に晒すはずがない」と、根拠のない信頼を不適切なベテラン(ペテラン)に投影してしまいます。
結果: 相手の不適切な行動や判断ミスに対して、現実的なリスク評価ができず、対応が遅れてしまいます。
🛡️ 安全なクライミングに必要なのは「リアリズム」
安全なクライミングを維持するためには、ときには「優しさ」を抑え、「非情さ」や「断固とした自己防衛」を発揮することが必要になります。
安全の優先: 人間関係よりも、自分の命とパーティの安全を最優先する倫理観を持つこと。
明確な拒否: 危険な要求や不適切な誘いに対して、理由を問わず「NO」と明確に伝える自己主張力。
冷静な評価: パートナーやリーダーのスキル、判断力を、過去の経験や肩書きではなく、その場の状況に基づいて冷静に評価する視点。
■リアリズムについて
ようやくこれで、私がなぜ地政学に惹かれるのかわかりました。
クライミングもリアリズムが必要なんですよ。一般には、クライミングには、情熱が必要だと言われていますが、情熱というのは、FC自我でしょう。それを支えるのは、A自我であるべきで、行けていないクライマーの大半は、AC自我で支えようとしている(赤信号みんなで渡れば怖くないタイプ)か、CP自我で支えようとしています(スポコンタイプ)。
ではなくて、リアリズム、つまり、大人の自我で支えるのが大事です。
| 自我状態 | 定義と行動原理 | クライミングでの例 |
| A(Adult:大人)自我 | リアリズム。事実、データ、論理に基づいて、冷静に状況を分析・判断する。 | 自分の体力とスキルを正確に評価し、天候、ルートの難易度、プロテクションの間隔といった事実に基づき、登攀の中止または続行を冷静に判断する。 |
| FC(Free Child:自由な子供)自我 | 情熱、本能、衝動。楽しさや感情に従って行動する。 | 「登りたい!」「楽しい!」という純粋な情熱。エネルギー源。 |
| AC(Adapted Child:順応した子供)自我 | 適応、依存、同調。「みんなと同じ」で安心しようとする。 | 「赤信号みんなで渡れば怖くない」タイプ。ペテランの言う通りに行動する、危険な同調圧力の受け入れ。 |
| CP(Critical Parent:批判的な親)自我 | 規律、責任、スポ根。厳しさや精神論で自分や他者を律する。 | 「根性で登り切れ」「休憩は甘えだ」という精神論で、肉体的な限界や危険を無視して押し通そうとする。 |