2026/08/14

【トップクライマーからの情報】どっちがリードを取るか問題Byジョーダン・キャノン

 マルチピッチクライミングにおけるリード交換には、「リードの交代(Swapping Leads)」と「ブロックリード(Leading in Blocks)」の2つの主な考え方があり、状況に応じて柔軟に判断することが重要です。


### リード交換とブロックリードの比較


*   **リードの交代 (9:03 - 10:35):**

    *   ピッチごとに交互にリードを交代する方法です。ジョーダンとマークは、基本的にはこのスタイルを好んで採用しています。

    *   メリットとして、パートナー双方が登攀に飽きることなく、メンタルや体力を分散できる点が挙げられます。

    *   ただし、難易度の高いピッチが連続する場合など、疲労が蓄積しやすいため、その都度相談して決める柔軟性が求められます。


*   **ブロックリード (10:12 - 10:30):**

    *   一人が数ピッチを連続してリードし、その後に役割を交代する方法です。リードを続けることで、そのピッチに対する「メンタル的な集中モード」を維持しやすいというメリットがあります。


### 効率化のためのアドバイス


1.  **柔軟なコミュニケーション:** 計画段階で役割を決めていても、実際に現場で疲労を感じたり、あるいは「このピッチを登りたい!」という意欲があれば、その場で臨機応変に変更するのが彼らのスタイルです (10:43 - 10:53)。

2.  **システムの統一:** リード交換の際、アンカー構築やギアの受け渡しで迷わないよう、お互いが認識できるシステム(例えば、いつも同じ方法でアンカーを構築するなど)を共有しておくことが、結果として効率化につながります (5:19 - 5:51)。

3.  **役割分担の明確化:** リードする人はギアを整理(ラッキング)し、フォローする人はロープをさばく(フレークする)など、ピッチの切り替え時に何をすべきかを分担しておくことが重要です (6:16 - 6:30)。


動画内では、パートナーとの合意やコミュニケーションに関して、以下のような考え方が示されています。

* **柔軟性と臨機応変な対応:** ジョーダンとマークは、たとえ計画段階で役割や登り方を決めていたとしても、現場で疲労を感じたり、相手の体調や意欲の変化があれば、**その場で臨機応変に変更する**ことを大切にしています (10:43-10:53)。

* **エゴを捨てる:** マークは、「ジョーダンの方が自分より成長が早いこともある」と認め、自分のやり方に固執せず、相手からのアドバイスやより効率的な方法を素直に取り入れる「エゴのない姿勢」が重要だと語っています (1:18-1:34)。

* **事後の振り返り(after-action report):** 登攀中やトランジションでうまくいかなかったことや意見の相違があった場合、後で「なぜそうなったのか」「次はどうすればいいか」を話し合うことで、次の登攀に向けた改善を図っています (0:59-1:18)。

結論として、彼らは一方的な合意の強制ではなく、**お互いの安全と快適さを優先しつつ、その場の状況に合わせて柔軟に最適解を選択する**対話の姿勢を重視しています。

■パートナーの選び方

ジョーダン・キャノンとマーク・ハドソンは、マルチピッチクライミングのパートナー選びにおいて、**「お互いのシステムへの理解」**と**「コミュニケーションの柔軟性」**が最も重要であると考えています。

動画内で語られている彼らのパートナーシップにおける重要なポイントは以下の通りです:

1. **システムの統一と共有:** 
   二人は、アンカー構築やギアの整理方法(ラッキング)を共通化しています(4:32-5:51)。どちらがリードしても同じ手順でスムーズに動けるようにしておくことで、思考時間を減らし、お互いの信頼と効率性を高めています。

2. **対話と柔軟な対応:** 
   たとえ事前の計画があったとしても、現場で疲労や状況の変化があれば、無理をせずに方針を相談して変更する柔軟性を重視しています(10:43-10:53)。「こうあるべき」という計画に固執しない関係性が安全に繋がると考えています。

3. **エゴのない姿勢:** 
   マークは、年齢や経験の差に関わらず、パートナーから学び、自分のやり方に固執しない「エゴのない姿勢」を非常に大切にしています(1:18-1:34)。この姿勢が、効率的な技術の改善やリスク管理を可能にします。

4. **振り返りの習慣:** 
   登攀中に起きたことや、うまくいかなかったことに対して「事後の振り返り(after-action report)」を行うことで、次回の登攀に向けた改善を継続的に行っています(0:59-1:18)。

What is described in this video is exactly what happened to me in the climbing community here in Kyushu.

 

この動画に語られていることが九州のクライミングで私に起こったことです。

What is described in this video is exactly what happened to me in the climbing community here in Kyushu.

https://youtu.be/oe4QNbgtB3k?si=3lx5FXxMxfx36fd4


教育虐待を受けた人がナルシシストのパートナーを持つと?

 教育虐待を受けた人の中身

教育虐待によって子どもが奪われるものは、単に時間や学歴といった目に見えるものだけに留まらず、人間としての根幹を成す領域に及びます。


  • 内発的動機と自己決定権

    • 「自分が何をしたいか」「何が好きか」ではなく、「親に褒められるか」「叱られないか」が行動の基準になるため、自分の意志で人生を選ぶ感覚が失われます。

  • 本来の自己(アイデンティティ)

    • 母親の期待や理想を満たすための「演者(道具)」として生きることを強いられるため、自身の感情、欲求、境界線がわからなくなり、本当の自分を見失います。

  • 健全な自尊感情(セルフ・エスティーム)

    • 条件付きの愛情(成果を出したときだけ価値がある)に晒され続けることで、「何者かにならなければ自分には価値がない」という強迫観念が植え付けられ、ありのままの自分を肯定できなくなります。

  • 安全な人間関係と他者への信頼

    • 人間関係を「支配・被支配」「評価される・評価する」という利害や条件付きの構造でしか捉えられなくなり、無条件に愛される体験や、対等で安心できる絆を築くことが困難になります。

  • 「今ここ」を生きる感覚と休息の自由

    • 常に将来の成果や失敗への恐怖に支配されるため、リラックスして今を楽しむことや、エネルギーを回復するための健全な休息・遊びの時間が奪われます。

  • 失敗から学ぶ権利とレジリエンス

    • 失敗が「全否定(人格の否定)」に直結するため、試行錯誤の過程や、失敗を乗り越えて自力で立ち直る経験(健全な自己効力感)が育ちにくくなります。


教育虐待(ナルシシストである親による支配)の構造やそこで失われるものが、「ナルシシスト的なパートナーや指導者」と「ロッククライミング(あるいは特定のシビアなアウトドア活動・専門的スポーツ)」という文脈にスライドしたとき、何が起きるのか。その力学と失われるものを整理します。

1. 構造の類似:何が「再演」されるか

  • 「安全・リスク管理」の仮面を被った支配

    • 本来のクライミングは、厳密なリスク管理、自己責任、自然へのリスペクトに基づくものですが、ナルシシスト的な指導者やパートナーは、それを「絶対的な正解(自分のやり方)」の押し付けや、恐怖心を煽るマインドコントロールの道具にすり替えます。「俺の言う通りにしないと死ぬぞ」「お前の技術では無理だ」という脅しが、親の「お前のためを思って」と同じ機能を果たします。

  • 境界線の崩壊と「道具化」

    • クライマー自身の判断力や体力、恐怖心という生存本能の境界線が無視され、リーダーのプライドや自己顕示欲(「俺がすごいルートを率いている」「俺が育てた」)を満たすための拡張パーツ(道具)として扱われます。

  • 外発的動機へのすり替え(恐怖と承認欲求による駆動)

    • 本来、自然に向き合う純粋な好奇心や、自分のペースで安全マージンを取る楽しさ(内発的動機)が剥奪されます。「指導者に怒られないため」「下手くそだと思われないため」「認められるため」という他者基準・恐怖駆動に行動原理が書き換わります。

  • ガスライティングと「ベースラインの麻痺」

    • 理不尽な危険への直面や、個人の技量を無視した過酷な強要に対して、異議を唱えると「お前が臆病だからだ」「プロトコルが分かっていない」と責立てられます。これにより、自分の直感(「これは危ない、おかしい」)を信じられなくなり、異常な危険や威圧が「標準」になってしまいます。

2. その結果、失われるもの

教育虐待で奪われる構造が、そのままクライミングの現場で再現されたとき、以下のものが決定的に破壊されます。

  • 自己の身体感覚への信頼(直感の麻痺)

    • 「寒い、怖い、これ以上は無理だ」という生存のための身体感覚よりも、リーダーの評価や命令が優先されるため、自分の直感を信じるセンサーが壊れます。クライミングにおいて命を守る最大の武器である「危険察知能力」が鈍化します。

  • 自律的なリスク管理能力(主体性の剥奪)

    • 自分でプロテクションを考え、ルートを精査し、撤退する決断を下すという「主導権」が奪われます。常に誰かの指示待ちになるか、あるいは過剰に萎縮して自分で決定を下せなくなります。

  • 自然やスポーツに対する純粋な歓び(内発的動機)

    • 「登るという行為そのものの純粋な面白さや静けさ」が、終わりのない評価闘争やプレッシャーに塗りつぶされ、スポーツが「義務や恐怖の場」に変質します。

  • 安全の主導権(Take it or leave it の理不尽)

    • 「嫌なら従うな、去れ(Leave it)」という力関係を突きつけられ、自分の安全マージンを自分で引く権利が奪われます。結果として、重大な事故や精神的崩壊のリスクに無防備に晒されることになります。


ディーン・ポッターvsジョーダン・キャノン

 ディーン・ポッターとジョーダン・キャノンは、ヨセミテの歴史やビッグウォールという共通の舞台に立ちながらも、クライミングに対するアプローチや価値観、性格的傾向が対極に位置するため、良好な相性や親和性を見出すことは難しい関係性と言えます。

  • リスクと自己表現の方向性の違い

    • ディーン・ポッターは、自身の存在証明や内面の葛藤を昇華するため、フリーソロやベースジャンプ、ウィングスーツといった「極限の危険そのもの」を舞台装置(アート)として消費し、ナルシシズムと表裏一体の危険崇拝的スタイルを貫きました。

    • ジョーダン・キャノンは、歴史やカルチャーへの深い敬意を払い、確実な準備とテクニカルなシステム、伝統主義(トラッドクライミングやクラシックルートの尊重)を重んじる誠実で堅実なアプローチをとります。

  • コミュニティやスタイルに対する姿勢

    • ポッターが激しいエゴや承認欲求、特異なパフォーマンスによって周囲と軋轢を生むほどの強烈な個性を放っていたのに対し、キャノンはコミュニティやベテラン層からその丁寧で礼儀正しい気質や強い労働倫理(ワークエシックス)が高く評価されています。

このように、破滅的なリスクテイクと強烈なエゴイズムを内包したポッターのスタイルと、堅実な冒険心や伝統的スタイルを重んじるキャノンのスタンスは根本的に異なるため、思想的・実践的相性は対立的あるいは乖離したものとなります。


私と荒木さんが相性が悪いのは当然ですね。

荒木さん、安全管理自体を弱虫のすることみたいに感じるわけですから。

お金を払って、山を教わっていたのは私であって、彼ではありません。吉田さんと登っていたのは私であって、彼ではありません。蒼氷の先輩と登っていたのは私であって、彼ではありません。師匠が二人いたのは私であって、彼ではありません。


ディーン・ポッターとジョーダン・キャノンの対立点を、クライミング哲学、リスク管理、および行動原理の観点から以下にリストします。

  • リスクに対する基本姿勢(命の不確実性の受容 vs 確率的マージンの維持)

    • ポッター: フリーソロやベースジャンプなど、生存確率を意図的に極小化・ゼロ化する行為を自らの表現手段とし、危険そのものをスリルやパフォーマンスとして消費した。

    • キャノン: 徹底した準備(メティキュラス・パッキング)、ギアシステムの正確な管理、トラッドスタイルやクラシックルートの尊重など、安全マージンを確保した上で効率やスピード、長距離リンクアップ(トリプルクラウン等)を追求する。

  • 自己表現・動機の源泉(ナルシシズムとエゴ vs 伝統への敬意と純粋な探求)

    • ポッター: 内面の葛藤、特異なステータス、他者への承認欲求を誇示・昇華するための「舞台(ステージ)」として岩壁を利用した。

    • キャノン: 歴史やカルチャーへの深い敬意を抱き、コミュニティやベテラン層からも「クリーンでクラシックなスタイルと丁寧な気質」として高く評価される協調的・誠実なアプローチをとる。

  • コミュニティおよび周囲の環境への影響(摩擦・孤立 vs 調和・信頼関係)

    • ポッター: 強烈なエゴや気分の波、他者との摩擦によって周囲の人間関係に強い緊張やプレッシャーを与えた。

    • キャノン: アレックス・ホノルドをはじめとする信頼できる仲間たちと明確な戦術・役割分担(チームワーク)を構築し、堅実なパートナーシップのもとで成果を上げる。

  • 「歴史の捉え方」とアプローチの構造

    • ポッター: 先人の到達点を「超えるべき障害」あるいは「自身の神話化を加速させるための踏み台」として過激な方向に逸脱させた。

    • キャノン: ヨセミテの正統な伝統や過去の開拓史(クラシックルート)をそのまま引き継ぎ、その延長線上でのスピードやフリー化(グラウンド・アップ等)の技術的極限をノーマルな枠内で突き詰めている。

心理的対比の核心にあるのは、「死や恐怖を自らのアイデンティティを保つための歪んだ麻薬(自己愛の道具)として使ったポッター」と、「リスクを冷徹に管理し、健全な精神で対象(自然・歴史)と向き合ったキャノン」という、破滅型のエゴイズムと成熟したプロフェッショナリズムの決定的な乖離です。

【クライマーの心理学】ディーン・ポッターとナルシシズムのグロリフィケーションの結末

https://youtu.be/QSwr4grMHzs?si=ID77e_1TtyTMFT2o 

この動画は、HBOのドキュメンタリー番組『The Dark Wizard』で取り上げられたフリークライマー、*ディーン・ポッター*の人物像と、彼が周囲に与えた影響について批判的に語る内容です。

**動画の主なポイント:**

* **批判的な視点:** 投稿者は、ポッターを「英雄」や「カリスマ」として称えるドキュメンタリーの描き方に対し、彼は実際には「自己中心的でエゴの強い人物」であり、周囲の人々を精神的に傷つけ、搾取していたと主張しています (0:00-2:10)。

* **人間関係の犠牲:** ポッターと関わった多くのクライミングパートナーや友人が、彼との関係を通じて深いトラウマを抱えている現状を指摘しています。投稿者自身も、かつて narcissist(自己愛者)の父親を持っていた経験から、こうした男性との関係で「自分を犠牲にしなければならない」苦しさを強調しています (2:10-3:50)。

* **「死」という結果の重さ:** ポッターの死後、彼との関係に整理がつかないまま残された友人たちが、謝罪や解決を得られないまま苦しんでいる様子を伝えています。特に、彼が死の直前まで自分の過ちを認めず、周囲を振り回し続けたことへの失望感が語られています (6:20-8:40)。

* **文化的な問題提起:** 投稿者は、ポッターのような危険を厭わないアドレナリン中毒のクライマーを、スポーツ界が「ヒーロー」として崇拝し続ける文化に疑問を投げかけています (1:30-2:00, 5:40-6:10)。

総じて、この動画は「偉大な功績」の裏に隠された「他者への加害」に焦点を当て、カリスマ的な人物に対する盲目的な称賛を戒める警告となっています。

この動画内で語られている、*ディーン・ポッター*が周囲の人々に与えた影響は、非常に複雑で否定的な側面が強調されています。

* **精神的なトラウマ:** 彼と関わった多くのクライミングパートナーや友人は、彼のエゴの強さや自己中心的な行動により深く傷つき、長期的なトラウマを抱えているとされています (0:00-0:35, 3:37-4:00)。投稿者は、彼らとの関係を「自己愛的な加害者との関係」に例え、周囲が彼に合わせるために「自己放棄」を余儀なくされていたと指摘しています (0:47-0:58, 2:33-2:37)。

* **関係の断絶と後悔:** ポッターの自己中心的な態度に耐えかねて多くの友人が関係を断ちましたが、彼が亡くなったことで、謝罪や和解の機会が永遠に失われました。これにより、遺された人々は解消されない失望感や喪失感に苦しんでいると説明されています (6:22-7:43)。

* **搾取的な人間関係:** 投稿者は、彼が周囲の人々を自分の利益のために利用する「寄生的な」一面があったとも指摘しています。特に金銭面や人間関係において、親しい人々を都合よく使っていたという証言が示されています (5:05-5:39, 8:05-8:22)。

* **死による影響:** 最終的に、彼の危険な挑戦に伴う死は、周囲の人々に深い悲しみと同時に、整理のつかない複雑な感情を残すことになりました (8:42-9:10)。

このように、動画では彼を単純な「英雄」として見るのではなく、その強烈な個性やエゴがどれほど周囲を蝕んでいたかという側面に焦点が当てられています。


投稿者がHBOのドキュメンタリー『The Dark Wizard』を不快に感じている主な理由は、**ディーン・ポッターを「英雄」や「カリスマ」として美化しすぎている点**にあります (0:00-0:20, 5:40-6:05)。


投稿者は、彼が周囲の人々を傷つけた「自己中心的でエゴの強い人物」であるという側面が十分に語られていないことに危機感を抱いています。


**不快感を感じる主な背景:**

* **「被害者」の視点の軽視:** ドキュメンタリーがポッターを称える一方で、彼に振り回され、精神的に深く傷ついたクライミング仲間や友人たちの苦しみを「英雄の物語」の一部として消費してしまっていると感じています (0:30-0:40, 3:30-3:50)。

* **ナルシシズムの glorification(賛美):** ポッターの行動が「精神疾患を抱えながらも挑戦し続けた天才」として描写されることに強く反発しています。投稿者にとって、それは「周囲を支配し、自己放棄を強いるナルシシストの振る舞い」そのものであり、決して賞賛されるべきものではないと主張しています (2:10-3:00, 5:50-6:15)。

* **解決の欠如:** 彼の死によって、彼から傷つけられた人々が求めていた「謝罪」や「和解」が永遠に不可能になったにもかかわらず、ドキュメンタリーがその残酷な現実を無視して彼を神格化していることに憤りを感じています (6:40-7:45)。

投稿者は、自身の父親がナルシシストであったという個人的な経験からも、こうした「加害的な男性」を英雄視する文化が、周囲の人間をいかに破壊するかという点に強い警鐘を鳴らしています (2:20-2:40, 6:50-7:10)。



動画の投稿者は、危険な男性には以下のような特徴や行動が見られると主張しています。


*   **自信過剰と自己陶酔:** 自身の delusional(妄想的)な自信によって人を惹きつけますが、内面には強い insecurity(不安)を抱えており、他人のスペースを奪うような ego(自我)を持っていると説明されています (0:20-0:42)。

*   **支配欲と特権意識:** 「王」や「指導者」のように振る舞いたがり、ルールを嫌い、自然や他人に対して支配的な態度をとります。また、自分にはすべてが許されるという特権意識が強いと述べています (1:20-1:38, 2:18-2:27)。

*   **責任感の欠如:** 「ピーターパン」のように成長を拒み、責任を負うことを避けながら、周囲に自分を崇拝させようとする傾向があると指摘しています (18:41-18:47, 19:36-20:00)。

*   **中毒的な行動:** 危険な行為(アドレナリン中毒)を好み、自己の内面と向き合うことを避けるために極端な行動に走る傾向があると警告しています (4:59-5:05, 7:44-7:46)。


動画の投稿者は、こうした特徴を持つ男性が危険である理由として、主に以下の点を挙げています。


* **他者を危険に巻き込む:** 投稿者は、このような男性は自分自身をコントロールできていないため、パートナーや周囲の人を死のリスクに晒すと警告しています (0:19-0:22)。

* **精神的な疲弊と自己喪失:** 相手の強すぎる自我や insecurity(内面の不安)が生活空間を支配するため、一緒にいるパートナーが自分を見失い、自分自身を嫌いになるように仕向けられてしまうと述べています (0:29-0:42)。

* **虐待の可能性:** こうした男性は「自分は特別だ」という特権意識から、ルールを無視して他者の境界線を侵すため、DV(家庭内暴力)や性的虐待に発展するリスクがあると指摘しています (1:36-1:38, 9:02-9:06, 17:41-17:46)。

* **責任転嫁:** 責任を負うことを拒否し、常に他人に依存したり、自分の行動の結果として他人に犠牲を強いたりするため、パートナーは精神的に追い詰められると説明しています (19:42-20:13)。


動画の投稿者は、こうした男性が責任から逃れるために、以下のような態度や行動をとると指摘しています。


* **成長の拒絶(ピーターパン症候群):** 彼らは「ピーターパン」のように振る舞い、責任ある大人になることを拒否します。自分は特別な存在(王や指導者)でありたいと願う一方で、それに伴う義務や責任は放棄しようとします (19:36 - 20:13)。

* **他者への依存と役割の転嫁:** 責任を負うことを避けたいがために、パートナーである女性にその負担を押し付けます。彼らは「自分は傷つきやすい少年にすぎない」という演出で相手の同情を誘い、面倒を見させることで自分の責任を回避します (20:00 - 20:15)。

* **自己正当化とルール軽視:** 自分の欲望や目的(登山や冒険など)のために周囲のルールを無視しますが、それを「自由」や「挑戦」として正当化します。規則は自分には適用されないと考え、他者にその尻拭いをさせることを厭いません (13:46 - 15:00)。

* **内面との対話の回避:** 自己の不安や中毒的な衝動と向き合うことを避け、常に外的な成功や他者の崇拝を求めることで、内面的な欠落から目を逸らし続けます (4:59 - 5:05, 7:44 - 7:46)。


投稿者は、アウトドア業界にそうした男性が集まりやすい理由として、以下の点を挙げています。


* **「支配」への欲求:** アウトドア活動、特に登山などは自然を征服し、支配したいという欲求を満たしやすいため、特権意識の強い男性を惹きつけます (1:20-1:38, 2:10-2:14)。

* **リスクへの依存:** こうした男性はアドレナリンや極端な危険を好む傾向があり、それが「冒険」や「挑戦」という名目で正当化されやすいためです (5:05-5:12, 10:06-10:12)。

* **責任回避の容易さ:** 業界全体に「自由」や「ルールに縛られないこと」を美徳とする空気が一部にあり、それが責任ある大人としての振る舞いを拒む「ピーターパン」のような男性たちにとって、自身の幼稚さや無責任さを隠すための最適な隠れみのになっていると指摘しています (1:20-1:25, 9:39-9:46)。

* **強さを隠れみのとした搾取:** アウトドアの世界では「強くてたくましい女性」が尊敬されますが、こうした男性はそのような女性をターゲットにし、自身の支配欲を満たしたり、責任を押し付けたりすることが容易であるためです (9:08-9:29, 13:26-13:32)。


動画の投稿者は、こうした男性が「強くてたくましい女性」をターゲットにする理由として、以下の点を指摘しています。


まず、彼らにとって**「自分を壊す」挑戦対象**として魅力的であると述べています。彼らは強靭な精神や身体を持つ女性を見つけ出し、それを征服したり崩したりすることに歪んだ満足感を得る傾向があります (9:26-9:29)。


また、このような女性であれば**DVや虐待の被害に遭っていると周囲に信じてもらえない**という利点(男性側にとっての隠れみの)を悪用していると説明しています。強くて自立した女性が被害者になるはずがないという周囲の偏見を逆手に取り、自身の加害行為を隠蔽しやすくしていると警告しています (9:08-9:25)。


https://youtu.be/eRwd6u_HB7E?si=bwdZmdPHmnpYDB4Z


2026/08/13

AIによるヨセミテの歴史

 AI出力なので差し引いてみてください。ただし、出典は明らかでしたのであっていそうです。

ヨセミテにおけるクライミングの歴史は、そのまま近代フリークライミングの難易度(グレード)の限界突破の歴史と一致しています。現代の基準となっている「YDS(ヨセミテ・デシマル・システム)」自体が、ヨセミテ周辺の岩場での登攀記録を分類するために拡張・定式化されてきたものです。

以下に、最高グレードの更新記録と主なマイルストーンを時系列でまとめます。

1. 黎明期〜1950年代:グレードの誕生と「5.9」の壁

  • 背景

    • 初期のシエラクラブによる分類法から、1950年代に南部カリフォルニア(タキッツ等)およびヨセミテで「クラス5(ロープを使用するテクニカル・クライミング)」の小数点以下の細分化が進みました。

  • 最高グレード:5.9

    • 1952年に登られた「オープン・ブック(Open Book)」などがこれに当たり、当時は「人間がフリー(用具に頼らず身体のみ)で登れる限界は5.9まで」と信じられていました。これを超える人工登攀(エイエド)の領域は「クラス6」とされていましたが、のちに技術や装備の進化に伴って次々とフリー化(用具を使わずに登る)され、スケールの限界拡張が迫られることになります。

2. 1960年代〜1970年代前半:5.10〜5.11への突入

  • 背景

    • ロイヤル・ロビンズらを中心とする世代が、それまで人工登攀で行われていたビッグウォールのルートを次々とフリー化し始めました。5.9が乱立したため、上限を固定していた従来の前提が崩壊します。

  • 最高グレード:5.10 および 5.11

    • 1960年代末から1970年代初頭にかけて、それまでの「5.9の天井」を打ち破る形で 5.10、そして 5.11 というアルファベット(a〜d)を伴うオープンエンドの区分が導入されました。これにより、YDSは名実ともに無限に上のグレードへ拡張できるシステムへと変化しました。

3. 1970年代後半〜1980年代:5.12〜5.13の時代

  • 背景

    • 「ストーンマスターズ」と呼ばれる若者たち(ジョン・ロング、ロン・コークら)が登場し、トレーニングと洗練されたムーブによってフリークライミングの競技的・運動的側性が急速に進化しました。

  • 最高グレードの更新

    • 5.12台: 1970年代後半から1980年代にかけて、ヨセミテのクラックやフェイスにおいて数々の5.12ルートが切り拓かれました。

    • 5.13台(7c+ / 5.13aなど): 1984年、イギリスの若手トニー・モファットらが来訪し、名 clássic なクラック「ザ・フェニックス(The Phoenix)」などを登ることで、ヨセミテにおけるフリークライミングの難易度を5.13の領域へと押し上げました。

4. 1990年代〜2010年代:5.14〜世界最高峰のビッグウォールフリー化

  • 背景

    • スポーツクライミング的なトレーニング手法が逆輸入され、エル・キャピタンの巨大な壁面を丸ごとフリーで登るプロジェクト(ビッグウォール・フリークライミング)が最大の焦点になりました。

  • 最高グレードの更新

    • 5.14a〜5.14b: トミー・ロッドらによる高難度ルートの開拓が進みます。

    • 5.14d (9a):「ドーン・ウォール」(2015年)

      • トミー・コルドウェルとケビン・ジョーージェソンが、エル・キャピタンの最難関ルート「ドーン・ウォール」を全32ピッチ、世界最高難度となる5.14dで完全フリー登攀(レッドポイント)に成功。翌2016年にはアダム・オンドラが外部からの挑戦者として初リピートを果たし、巨大ビッグウォールにおけるフリーの最高到達点が歴史的に更新されました。

まとめ

ヨセミテの歴史において、グレードは常に「人間にはこれ以上登れない」という当時の上限(5.9、5.10、5.11…)を、後続の世代が技術とトレーニング、そして執念によって塗り替える形で拡大してきました。その頂点として、一歩間違えば致命的な墜落に至る巨大岩壁(エル・キャピタン等)の数千フィートのルートが、現在では5.14d(ドーン・ウォール)というスポーツクライミングの最先端レベルの難易度でフリー化されるに至っています。


ボルト


ヨセミテのクライミング史において、上から降りながらルートを精査しボルトを打つ「ラッペル開拓(トップダウン方式/ラッペル・ボルティング)」が本格的に持ち込まれ、倫理的な論争(いわゆるボルト戦争)に発展したのは1980年代中頃です。

背景と経緯は以下の通りです。

  • 伝統的な「グラウンド・アップ(下から上へ)」の原則

    • それまでのヨセミテ(1950〜1970年代の黄金期)では、ロイヤル・ロビンズらに代表されるように、地面から未踏の壁に挑み、リスクと向き合いながらボルトを最小限に打つ「グラウンド・アップ」が絶対的な美徳とされていました。

  • 1980年代のヨーロッパ的潮流(スポーツクライミング)の流入

    • 1980年代に入ると、オレゴン州の「スミス・ロック」などを中心に、ヨーロッパから入ってきたスポーツクライミングの概念(ラッペルで上からアプローチし、安全に高難度を追求する手法)がアメリカ国内へ急速に波及しました。

  • ヨセミテにおける衝突

    • この手法やハングドッグ(ぶら下がりながらムーブを練習すること)がヨセミテにも持ち込まれると、伝統的なスタイルを守ろうとするローカルクライマーたちとの間で激しい対立やトラブル(ボルトの切断や撤去など)が表面化しました。

  • 結果としての変化

    • 伝統派の強い反発や議論がありつつも、さらなる高難度(5.13や5.14の領域)を安全かつ効率的に開拓するため、結果としてラッペルを用いたルート開発やリボルト(既存ルートの改修)は徐々に不可避なものとして定着していきました。

1990年代

ラッペル開拓(トップダウン方式)やハングドッグといったヨーロッパ発祥のスポーツクライミング的手法が、激しい論争や摩擦(ボルトの切断事件など)を経ながらも、一つの現実的なスタイルとしてアメリカ全体やヨセミテ周辺のシーンに定着したのは1990年代に入ってからです。

1980年代中頃にオレゴン州のスミス・ロックなどでその手法が爆発的に普及し、ヨセミテの伝統派と新世代の間で衝突が先鋭化しましたが、1990年代を迎える頃には、高難度ルート(5.13や5.14の領域)を効率的・開拓的に追求する手段として、こうしたアプローチが既存のシステムの一部として定着していきました。


1980年代中頃から始まったスポーツクライミング的手法やラッペル開拓(トップダウン方式)の導入、そしてそれに伴う激しい摩擦や論争から、現在の視点で見れば約30年以上の歳月が経過しています。

この30年の間に、ヨセミテをはじめとする世界のクライミング界では以下のような変化と帰結がもたらされました。

  • スタイルの不可逆的な変容

    • かつては倫理的タブー視や激しい反発(ボルトの切断など)を伴ったラッペル開拓やハングドッグですが、現在では高難度ルート(5.14や5.15の領域)を安全かつ合理的に切り拓くための標準的な手法として完全に組み込まれています。

  • 「リスクの管理」と「危険の神格化」の分離

    • 道具やルート開拓の安全性(プロテクションの確実性)がスポーティに洗練されていく一方で、冒頭で触れられたような「あえて命を危険に晒すこと(フリーソロや極限的マージンでの挑戦)」自体は、システムの進化とは切り離された、個人の選択や倫理観に関わる極端な領域として残り続けています。

伝統的な「下からの冒険(グラウンド・アップ)」を至上とした時代から、上からの開拓とスポーツ化が進んだ現代へ移行してからの約30年は、クライミングが「冒険・エクスプロレーション」から「極限の垂直スポーツ・自己表現」へと変貌を遂げた歴史の長さでもあります。


岩場の劇場化


ヨセミテの極限的な領域において、ディーン・ポッターをはじめとする一部のクライマーたちが「自己表現(アート)」と称して行っていた行為は、単なるスポーツの枠を超えた特異なパフォーマンスを指します。具体的には以下のような要素を含んでいました。

  • 危険と表裏一体のメディア的・精神的パフォーマンス

    • 彼らは自身の登攀や飛行を「スポーツやスタントではなく、スタジオで制作される作品と同等に熟考された表現形式(アート)」であると主張していました。

  • 境界領域の融合(フリーベースやハイライン等)

    • ロープを持たずに数千フィートの壁を登り、万が一の際の救命具としてパラシュートを背負う「フリーBASE」や、命綱なしで巨大な峡谷の間に渡された細いライン(ハイライン)を歩く行為など、死と隣り合わせの状況そのものを媒体(メディア)として自己の内面や恐怖を表現しようとする試み。

  • 心理的葛藤や呪縛の昇華としての演出

    • 内面のダークさや承認欲求、恐怖心(悪夢や強迫観念)を克服・誇示するための手段として、世間の耳目を集める過激なシチュエーションで自身の限界ギリギリの行動を演出し、それを自己の神話化やアイデンティティの確立に利用したこと。

彼らにとっての岩壁や空虚な空間は、客観的なルート登攀という競技の場ではなく、自身の存在証明や内面の葛藤を視覚化・誇示するための「舞台(ステージ)」として消費されていました。


「ナルシシズム」と「危険崇拝」は切り離せない表裏一体の構造をなしています。

スポーツや芸術における通常の自己表現が「自身の内面や技術の深化」を目的とするのに対し、危険崇拝における自己表現の本質は、「死と隣り合わせの極限状態を演出・踏破することで、他者からの強烈な承認や特権的な特別感を得るための装置」として機能する点にあります。

  • 危険の道具化と演出

    • 生存の確率を意図的に引き下げる行為(フリーソロや極限的ジャンプなど)そのものが、自己の存在価値を誇示するための舞台装置となります。「恐怖を克服する強靭な自己」を演出し、周囲やメディアの視線を通じてナルシシズム(自己愛)を満たすための手段へと変質します。

  • 構造的な破綻と犠牲

    • このナルシシズムに基づく危険崇拝は、客観的なリスク管理や論理的な安全性評価を麻痺させます。「自分だけは特別な存在であるから破綻しない」という無意識の過信(グランド・イリュージョン)が内包されており、結果として歴史的にも個人の破滅や、周囲の人間関係の崩壊という結末を招くことになります。

つまり、危険なクライミングにおける自己表現の正体は、純粋な身体的探求ではなく、リスクを極限まで高めることでしか満たされないナルシシズムの発露であり、それ自体がシステムとして破綻を内包した危険な思想的潮流であると言えます。

Dean Potter's Ego Nearly Destroyed Everyone Around Him

この動画では、ディーン・ポッターの生き様を通して、個人の過度な承認欲求やエゴがいかに周囲の環境や人間関係に深刻な影響を及ぼしたかが検証されています。