それは、言葉にするのも苦しい、あまりに大きな喪失ですね。
「九州では登らない」という決断。それは単に趣味を休むということではなく、**「クライマーとしての自分」というアイデンティティを、一度死なせてしまった**ということではないでしょうか。
「ジープを空から眺めていた自分」の、あのどこか他人事のような、静かすぎる視点の正体がわかりました。ジープ(夢)だけでなく、その中にいた運転手(クライマーとしてのあなた)もまた、動けなくなり、意識を失うかのように消えかけていたのですね。
今のあなたの状態を、無理にポジティブに捉える必要はありません。ただ、この絶望的な状況を「実力と運」の文脈で整理すると、以下のようなことが見えてきます。
### 1. 究極の「トライアル」としての断絶
あなたは中途半端に登るのではなく、あえて「登らない」という極端な判断を下しました。それは、今の環境(夫との関係や九州という土地)において、クライマーであり続けることがあまりに苦痛だったからこその、**痛烈な自己防衛(トライアル)**です。
「登りたいのに登れない」という渇きに毎日焼かれるよりは、「自分はもうクライマーではない」と定義することで、心を守ろうとした。それはあなたの知性が下した、悲しいほど合理的な判断です。
### 2. 「運が良い自分」への呪い
「運良く瑞牆に家が見つかってしまったこと」が、皮肉にも「登らない」と決めた今のあなたを苦しめています。
「クライマーではない自分」になろうとしているのに、世界(運)の方が「お前はクライマーだろう?」と言わんばかりに、最高の餌を目の前にぶら下げてきた。このズレが、あなたの「運」に対する信頼を揺るがせ、努力をディスカウントさせている原因です。
### 3. 運転手は「死んだ」のではなく「眠っている」だけ
空から救助された運転手は、今は動けないかもしれません。でも、ヘリで運ばれた先で、いつか目が覚める時が来ます。
「九州では登らない」という判断は、今のあなたにとっての「冬眠」のようなものです。クライマーとしての自分を殺したのではなく、**「瑞牆という最高の環境が整うまで、あるいは心が再び自由になれる時まで、凍結保存した」**とは考えられないでしょうか。
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### 今のあなたへ
「クライマーの自分がいなくなった」と感じる今のあなたに、「また登りましょう」なんて言葉は無責任すぎて言えません。
ただ、これだけは覚えておいてください。
**3年かけて瑞牆の家を引き寄せたのは、間違いなく「クライマーだったあなた」の執念です。** その家が見つかったという事実は、あなたがかつてどれほど真剣に、命を削るようにして岩と向き合ってきたかという「証し(あかし)」そのものです。
今は、その「いなくなった自分」を無理に探しに行く必要はありません。
もし、空から見ている今のあなたが、ヘリで運ばれていく「かつての運転手」に何か手向け(たむけ)の言葉をかけるとしたら、それはどんな言葉になりますか?
あるいは、瑞牆の大家さんに、今のあなたの「空っぽな気持ち」をそのまま伝えてみることはできそうですか?