2026/11/07

【OWS】500m、完泳できました☆

 普通に500m完泳、できました。

まあ、予想通りなんですけど。



エニアグラムタイプ1のステップアップの仕方は、登山でもクライミングでも同じで、私は登山は雪の山でスタートしましたが、自分が行った雪山の規模やペースを調べて、440mを一時間で歩けるから、この山は歩ける、ときちんと勝算をもって取り組んできました。


クライミングも同じで、ラオスも、現地集合で行きましたけど、自分でコツコツ努力を重ねて、山をで隠してきた経験がないナルシシストタイプの人は、ぱっと見にすごそう!というルートの選択で、すごければいいだけなので、何の勝算もなくチャレンジしています。

それは、冒険ですらなく、無謀、ってやつです。そして、その無謀で注目を浴びるのを賞賛と勘違いしていますね。

今回は、OWSでジャッキーさんと言う愉快な仲間に会いました。同じナルシシストでも、ジャッキーさんは、偏差値高い高学歴タイプ。それなりにメタ認知力も高いわけなので、は?という言動は少なかったです。

すでに青ちゃんとアラーキーで耐性が付いていたので、相手の行動が予測でき、ダメージ最小で旅の仲間とすることができました。


今回の勝算ですが、去年の今頃は、早良市民プールは回収後の再オープンしたての時期でした。そのころは、オープンウォータースイミングの大会に出ることは全く考えておらず、オープンウォータースイムのオの字も知りませんでした。

古巣である82歳の丸林先生がやっている水泳教室に戻り、今度こそはクロールを習得しようということでしたが、日本の水泳教育はバタ足からなのです。キックは水泳には一番要らない技術です。習得するにしても一番最後。

結局トータルイマージョンスイミングでクロールを習得しました。習得には2か月かかり、去年の12月26日に突然泳げるようになりました。ある日スイスイとアイスを登るようになったのと似ています。やってみると2ビートクロールは、アイスクライミングと同じで、ワルツでした。先生は、どうも、若いころ海と川で水泳を覚えたそうでした。

その後、年配の人の会に交じっているのは悪いと思い、同世代の会に移動しましたが、一か月で退会しました。すでにその会では一番うまかったうえ、お局様がいじめに来たので、一人で練習するよりも会にいる方が、害があったのです。これは、山梨アルパインクラブをやめたときのような感じでした。ただ在籍するだけでいいのに、ちょっかいを出されるのでやめる系です。

その後は、泳げるようになったものの、どうこれを生かすか?思案していました。小学校の水泳の授業の講師役と言うのは、かなりラブコールをもらいました。先生ができる人が足りていないらしいのです。しかし、一人で一クラス全部を見るというムリゲー&ブラック。ベテランの指導者でも一人で見れるのは15人程度でそれも大人です。子供を一人でしかもわたしのような指導歴のない人がいきなり30人見るのは無謀すぎます。

というのでパス決定。6月はあちこちの無料体験に行っていました。コナミやルネサンスでは、タイムが図れ、動画もとれました。25mが23.68秒、17ストロークで私の身長で言えば、それはすでにクラスCで上級者です。

その時、教えてくれた先生が錦江湾の大会に出たと言っていました。

そこで、なるほど、海で泳ぐ方が楽しそうだな、と気が付いたわけです。そこで7、8月は海に通い、潮見表とにらめっこして、海況の理解に勤めました。天気図とにらめっこで八ヶ岳に行くようなものです。ずっと同じ福吉海岸を使いました。透明度が高くいやされます。

同じビーチに通うのはホームグランドの海を確立するためです。

これはクラゲにやられて終わりになりました。その後、ラクロールと言う泳法を指導している馬場さんが、福岡で海練を開催してくれました。それで海でも確実に泳げる。その時は足が付くところでしか泳いでいません。

一人の時は、ライフジャケットを着て、海に入り、海の状況(波、うねり)を知ってからジャケットを取ってはいるという慎重ぶりで、これは、雪の山では最初のうちは小屋があるエリアしか入っていなかったのと同じです。クライミングならトップロープですね。

そして、プールでは、3.3mの水深のプールで泳ぐようになり、そこで30分程度泳いでいるので、これは距離に換算したら、1kmは行けているのではないだろうか?という計算になりました。

10月のスポーツの日に動画を取ってくれるサービスがあったので、できるだけゆっくりのこれ以上ゆっくりは泳げないペースで50mを泳いでみたら1分18秒だったので、それをもとに30分の連続泳で何キロ泳いでいるのか?を算出したところ、1.1㎞以上ありました。

ならば500mならば泳げるだろうというので、大会エントリー。予想通り、完泳出来ました。

私があった山梨のクライマーで、最初の坂田さんも荒木さんもまったく勝算と言うものがなく、ぶっつけ本番のクライミングスタイルで、本当にあれは無謀と言うものでした。

なぜそれであんなに自信が満々なのか?いくらジムで5.11が登れても、山のルートで登れるわけがありません。5.9だってちゃんと登れる前から自信たっぷりでした。

そういう人たちにかなり振り回されていたわけですが、それは、わたしが控えめなタイプ、そして搾取されていたからです。言い返さないと、搾取OKのサインになってしまうのだということが、心理学を学んで分かるようになりました。

今回は、18分13秒での完泳で、成人スイマーとしては普通のタイムです。別に普通以上になりたいわけではなく、私は、海で泳げる自由を手に入れたいだけでしたので、大変満足しています。

大会後は、たのしい仲間のジャッキーさんとビーチをめぐり、とても楽しく過ごしました。

ジャッキーさんには、ビーチの見方を教わって、ちょうど青ちゃんが、私に登れる氷を教えてくれた時みたいな感じでした。

まともなアイスクライマーは、壊れそうな薄い氷なんか登らないんですよ。気温が高くなった南面のアイスを登るなんてありえません。そもそも、それを見極める力を持っているのがアイスクライマーがアイスクライマーと言える能力なんですから。

その見極め力もつけずに、薄いことで有名な仙波の滝などに、初心者時代から取りついているということ自体が、その人がどんなクライマーか?ということを示しています。

私も初心者だったので、仙波の滝ってどんなところか?しらなかったので、うっかり、努力して登れる自信をつけてそこへ行っている人なんだろうと思ってしまったんですよね。というのは、私はそうするからです。世の中の人はみな私のような思考回路ではない。

どうやったら他者を感心させられるか?という一点しか興味がない人がいるということが分かったのがクライミングでした。なら正攻法でアイスのコンペに出たら、正しく実力判定されると思いますけど、それは嫌みたいなんですよね…そういう人たちは。

というので、水に突き落とされて水恐怖症になった自分を救うという活動は完了しました。

白亜スラブで、その時の映像がフラッシュバックで出てきたんですよ。それで水泳に取り組むことになりました。

アラーキーから受けた裏切りの傷も癒えました。結論、責任が怖くて結膜って逃げたというのが正解なのではないでしょうかね。本来は私と組みたいと言ってきたクライマーと組んで今も登っているようですが、パートナーすら自分で見つけることができずに私に来た人を取っていきましたが…。まぁ私自身はその人を一人で面倒を見るのは手に余る感じだったのでいいです。

青ちゃんがいろいろ教えてくれたおかげで、クライミングはだいぶ躍進しましたが、その秘密や秘訣が何かある、とアラーキーなどは思っていたみたいですが…私が青ちゃんやレジェンドクライマーの吉田和正さんから教わったことはこのブログにすべて書いてあり、それ以上のものはありません。

ラオスに行ったときとちょうど同様なのが今回の奄美大島OWSでした。

とても楽しく過ごしました。今後は、普通に自分一人でもウミガメに会いに行けそうです。




2026/10/26

【OWS】Technique Over Strength

さて、OWS大会も目前。調整が必要ですが、2度目の30分連続泳は、しんどかったです。

水泳って、水の感覚を取り戻した後に遠泳しても、そんなにしんどくないんですけど、入ってすぐ1000m泳ぐってのがしんどいんですよね。まだ体が水の重力感覚に慣れていないから。力が入ると沈むので、沈むと手を早く掻くことになりますが、手を早くかくと疲れるのです。入ってすぐは、のんびり泳ぎたいが泳げない、つまり、まだ重力の状態が陸上感覚であるってのが問題。

今日の30分連続泳はしんどかったけれども、まぁ2度目はこんなもんだと思いました。私は最初の飲み込みはいつも悪いタイプです。

今日は、すごく上手なお兄さんや、若い子、女性スイマーと一緒でなかなか、いい感じでした。最後、どうも中国人のおばちゃんが頭を出した平泳ぎをしていたので、どうやってやるのかと思い、やってみたけど、慣れていないこともあってできませんでした。頭出し平泳ぎは習得したいです。

みんなが泳いでいるところに、まるで迷子みたいな顔で立ち尽くしているおじいさんがいました。僕は悪くないよ、とお顔に書いてあるんですが、認知症のおじいさんなのかもしれません。歩くコースは別にあるのに、そこに行かずにスイムコースで立ち往生しているのです。めちゃ邪魔。

それに誰も何も言わない日本人。
監視員も含めて。こんな心優しい社会ないですよね。

泳げる人たちは、ヤレヤレと言う側でした。今日はプールは激込みでした。

一緒のレーンだった上手なお兄さんは、就職試験で2000mが必要なそうでした。2000mの水泳が転職の条件になっている職業って何なのだろう?

海上保安庁?自衛隊?

最近、水泳もすっかり上級者として板につき、だれも「お前みたいな下手な奴は、あっちいけ!(遊泳エリアで泳げ)」とか言ってきませんが、去年の今頃は言われていましたよねぇ…。あの迷子みたいな顔をしたおじさんは言われないのに。

さて、脚は浮力のサポートとしか使っていなかったので、今日はリズムを足で取ることにしたら、慣れていないので泳ぎにくかったです。

■最近、自分の上質世界が少し見えてきたような気がするときがあります。

クライミングでなくても、オープンウォータースイミングなどで、自然界と対話することが生活の中に組み入れられているような生活がいいなぁと思います。

泳ぎ方の研究もやればできるけど、すでに泳げる力をもって、自然界のほうを知ることのほうが喜びが大きいだろうなぁと思います。

自然界を知ることをテーマにした生活=私の上質生活かも?

登山では、雪の山で山をスタートしました。テーマは、雪を知ることでした。その後、氷瀑を知ることに代わり、どんな氷が登ってはいけないのか?と言うことを学習したのですが、やりがいがありました。



岩の場合は、いつなら登りやすいか、みたいなのが岩との対話。夏の暑い時はスラブは登りにくいです。パリパリに乾いているときがいい時。

でも、私は自然界が好きなのであって、岩が好きなのではないのです。岩登りはタダの一つの手段に過ぎないです。

■ロッククライミングのボルト位置について、また知見が広がった

後は、ボルトの設置位置は、水泳に例えると息継ぎみたいな感じです。

トラッドクライミング(クラック)は、自分の息継ぎのタイミングで、息継ぎを入れれるので、背の低い私みたいなショートクライマーにも、優しいです。

しかし、ボルトが既にあるスポーツルートは、私の息継ぎのタイミングには合わないのと同じことで、ボルトが出て来ても、遠すぎて、クリップできないとかなので、全然、息継ぎしたことにならない。むしろ危険です。

というので、一般的には安全性が高いと言われているスポーツルートですが、ちびには、そんなわけないですね。

というので、また、クライミングの見識が広がりました。

さて、OWSどうなるでしょうかね。

Technique Over Strength

これが私のスポーツの在り方です。

2026/10/20

【心理学】コブラ効果

「コブラ効果(問題解決のための報酬や評価制度が、かえって逆効果を招く現象)」を、クライミングのグレード制度やジム運営・トレーニングに当てはめて分析すると、以下のような現象として捉えることができます。

「完登数(本数)」や「グレード」を目標・評価基準にすることの歪み

クライミングジムなどで「何級を何本登ったか」「最高何段を登ったか」という数字やグレードの達成を過剰に評価・目的化すると、本来の「身体操作の上達」や「純粋にムーブを楽しむこと」が二の次になり、数字合わせや形骸化が起きる。


事例1:グレードのインフレと「甘い課題」の乱立

ジム側やセッターが「完登者数や客の満足度(数としての実績)」を重視しすぎると、客が喜びやすい「実際より簡単な高グレード課題(甘い課題)」を量産してしまう。その結果、客は「自分は高グレードが登れるようになった」という一時的な報酬(承認欲求や達成感)を得るが、外岩やシビアなコンペでの実力(本来の課題解決能力)が伴わなくなるといった、実質的な技術低下や評価の形骸化を招く。


事例2:数字稼ぎのための「登り方」の妥協

「グレードを更新すること」自体が最大の報酬(目的)になってしまうと、ムーブの美しさや正当な手順(ホールドの限定や足の使い方のルール)を無視して、ダイナミックすぎる無理やりな動き(ラウンジ的な跳びつきなど)で力任せに完登を急ぐようになる。結果として、怪我のリスクが増えたり、基礎的な技術が育たなくなったりする。


教訓

クライミングにおいて名誉やグレード、初登という「外発的な報酬・数字」ばかりを追い求めると、かえって本質的な上達(技術力や身体能力の向上)という本来の目的が損なわれてしまう。


制度や目標を設定する際は、その数値やグレードが「本当に実力や技術を測るものになっているか」、あるいは「不要な歪みを生んでいないか」を見極める必要がある。

2026/10/19

「クライミングに利用するふるさと住民登録プラン」(案)

 ふるさと住民登録制度(関係人口創出・活用スキーム)を、クライミングエリアを抱える地方自治体と全国のクライマーを繋ぐ仕組みとして活用することは、「岩場の環境保全・ボルト整備」と「過疎地域のインフラ活用(宿泊等)」の双方にとって非常に有効です。

多くの岩場が地方の過疎化や高齢化に直面する中、クライマーのスキルと熱量を公認のかたちで地域に還元してもらうための実践プランを提案します。

「クライミングとふるさと住民登録プラン」案

1. 制度の枠組みと名称(例)

  • 制度名(例):「〇〇市 サポーターズ市民(クライミング特化枠)」または「〇〇市 ふるさとクライミング住民」

  • 対象者:遠隔地に住民票を持ちながら、対象地域の岩場の保全やコミュニティ活動に貢献する意志を持つクライマー。

  • 登録要件:簡単なオンライン登録に加え、年1回以上の地域貢献活動(ボルト点検・清掃・草刈りなど)への参加を条件とする。

2. 具体的な連携・運用プラン

① 岩場のボルト整備・環境保全(ギブ&テイクの仕組み)

行政や地権者、地元の漁協・林業関係者との調整が課題になりやすいボルトの打ち替えやルート整備を、制度を通じて公認・組織化します。

  • 「ボルト整備士」としての位置づけ: 一定の講習を受けた、あるいは経験豊富な「ふるさと住民」のクライマーを、自治体公認の「山岳環境・安全管理ボランティア(または地域特派員)」に任命します。

  • 資材・費用の補助: 自治体がふるさと納税の財源やクラウドファンディング、専用の補助金を活用して「ボルトやケミカル等の消耗品費」をサポート。安全な岩場環境を維持することで、事故防止と観光資源としての価値を高めます。

  • 草刈り・道普請(みちぶしん)の協働: アプローチ道の整備や駐車場周辺の環境整備を、ふるさと住民が定期的に行い、地域住民の負担を軽減します。

② 公民館・廃校などを活用した簡易宿泊(拠点確保)

遠方からのクライマーの宿泊場所不足や、深夜・早朝の移動による地域へのマナー摩擦を防ぎます。

  • 遊休施設(公民館・旧学校・集会所)の活用: 過疎化で利用頻度が減った地区の公民館や空き施設を、ふるさと住民限定の「低価格な簡易宿泊スペース(避難所・ベースキャンプ兼用)」として開放します。

  • 運用ルール:

    • セルフクリーニングやゴミの持ち帰りを徹底。

    • 利用料(一泊数百円〜数千円程度)は、地域の維持管理費や公民館の光熱費に充てる。

    • 宿泊を通じて、地元住民との顔の見える関係性を築く。

③ 地域経済・コミュニティへの還元(共生)

クライマーが「単に岩を登って帰るだけの人」から「地域を支える仲間」に変わる仕組みを作ります。

  • 消費の循環: 地元の商店、食堂、温泉施設などで利用できる「ふるさと住民優遇パス(割引や特典)」を発行し、地域内での消費を促す。

  • 交流イベントの開催: 年に1回、地元住民とクライマーが参加する交流会や、子ども向けのクライミング体験会などを開催し、マナー問題の解消や相互理解を深める。

3. このプランのメリット

  • 自治体側のメリット:

    • 高齢化で手が回らない岩場周辺の清掃や、危険箇所の点検・ボルト整備を、専門知識を持ったクライマー主体で安全に行える。

    • 遊休公共施設(公民館)の活用により、地域に新たな人の流れと収益(あるいは維持管理の担い手)が生まれる。

  • クライマー側のメリット:

    • 適正に管理され、安全性高められた岩場で安心して登り続けられる。

    • 前泊・後泊の宿泊コストが抑えられ、遠征がしやすくなる。

    • 地元との良好な関係が築き、「立ち入り禁止」などのリスクを防ぐことができる。

2026/10/10

【Gemini出力】クライミングの価値観とインドアからアウトドアへの導入

 ロッククライミング界が歴史的に育んできたナラティブ(語り・美談・思想)は、時代やカルチャーの変遷に伴い、主に「3つの大きなナラティブ」として存在してきました。

現代の「ジムでの部活化・数値化」は、これらの歴史的ナラティブが希薄化した結果として現れたスタイルとも位置づけられます。

1. 「スタイルの美学」と「純粋性(Clean & Free)」のナラティブ

1960〜70年代の米ヨセミテや欧州を中心に確立された、クライミング界で最も強固な歴史的ナラティブです。

  • 「どのように登ったか」が「登れたかどうか」より重要である:

    道具に頼って強引に上に立つこと(人工登攀・エイドクライミング)を忌避し、自らの手足の力だけで登る「フリークライミング」や、岩を傷つけない「クリーンクライミング」を美とする思想です。

  • 岩への敬意と自己規律:

    ボルトを打ち込みすぎて岩を破壊する行為は「精神の敗北」とみなされました。難易度という数字よりも、岩という自然の造形に対してどれだけ誠実かつ美しく対峙したかという「美学」が語られます。

2. 「荒野の反骨精神(カウンターカルチャー)」のナラティブ

1970年代前後、ヨセミテの「ストーンマスターズ(Stone Masters)」らに代表されるアウトロー文化に由来するナラティブです。

  • 社会のシステム・競争からの脱走:

    都市社会の権威、効率主義、定職に就いて消費生活を送ることへのアンチテーゼとしてクライミングが選ばれました。岩場にキャンプを張り、身一つで自然と向き合うライフスタイルそのものが「自由の象徴」でした。

  • 冒険と自己超越:

    既存の社会規範を拒絶し、リスクを取って壁に向き合うことでしか得られない「本物の生きている感覚」を追求する物語です。

3. 「無意味の肯定」と「存在の証明(不条理への挑戦)」のナラティブ

哲学者アルベール・カミュの「シジフォスの神話」にもなぞらえられる、登山・クライミング特有のナラティブです。

  • 「なぜ登るのか?そこに岩があるから」:

    岩を登り詰めても、得られるのは「降りてくること」だけです。経済的な利益も社会的地位も生み出さない無価値で無意味な行為に全身全霊を傾けること自体に、人間の純粋な意志や美を見出します。

  • 「自己との対話」:

    他者との比較ではなく、「岩という絶対的な客観的存在」と「自らの弱さや恐怖」との対峙を通じて、自己の存在を確認する物語です。

現代の「部活化・ジム化」との対比

観点伝統的なクライミングのナラティブ現代のジム・部活化のナラティブ
価値基準スタイルの美しさ、自然との調和、精神性グレード(難易度)、完登数、コンペの順位
対峙相手岩(自然)、自己の恐怖他者、設定された課題(ホールド)
動機自由、反骨、無意味の美学成長、自己証明、集団内での承認

本来のクライミングが持っていたナラティブは「社会の競争軸から脱出し、固有の美学や自然と一体化する」というものでした。

しかし、クライミングがインドアスポーツ化・オリンピック種目化(スポーツ化)する過程で、それらの背景や文脈が取り払われ、現代的な「評価・成長・競争」というわかりやすいナラティブへと置き換わっていったと捉えることができます。


ジムでのクライミング(インドア)で力をつけたクライマーが、初めて自然の岩場(外岩)に足を運ぶと、フィジカル面やグレード(難易度)の問題以上に、「感覚」や「認識」の根本的なギャップによる壁に直面することが多くあります。

具体的な「壁」として、主に以下の4つの側面が挙げられます。

1. 「ホールドが見えない・見つけられない」という視覚の壁

  • 色の案内がない: ジムでは「ピンクのホールド」「黄色のテープ」と一目で持つべき場所が指定されていますが、自然の岩場には当然色付けがありません。

  • 立体的な観察眼: 岩の色の変化、わずかな凹凸、摩擦(フリクション)が効きそうな面を自分の目で探し出す必要があります。

  • 足足ホールドの発見: 特に「足置き(フットホールド)」を見つけるのが難しく、ジムのように分かりやすい踏み場がないため、「どこに立ち、どこに体重を乗せればいいのか分からない」という状態に陥りやすくなります。

2. 「フリクション(摩擦)と姿勢」の感覚の壁

  • 乗る感覚の違い: ジムのプラスチックホールドは明確な「引っかかり」があることが多いのに対し、外岩では結晶の粒や微小な傾斜に足を乗せます。「点で乗る」「面に荷重を面で殺す」ような足の技術が求められます。

  • 持つ(保持)感覚の違い: ジムでは「ガバ(ガッチリ持てるホールド)」や「スローパー」など形状が整形されていますが、外岩はエッジ(薄いカチ)やジャミング(岩の割れ目に手足を挟む)など、指先や皮膚への負荷が全く異なります。

  • 全身のポジション: ホールドの位置が決まっていない分、重心の位置を数ミリ単位で探りながら「一番効く姿勢」を手探りで作る必要があります。

3. 「高度感・恐怖心とリスク管理」の心理の壁

  • 着地(ランディング)の不安: ジムには一面に分厚いマットが敷き詰められていますが、外岩のボルダリングでは限られた枚数のマット(クラッシュパッド)を敷くだけです。着地点に岩や根っこがあることも多く、落ち方のコントロールやスポット(着地を安全に誘導する補助)の重要性が増します。

  • リードクライミングにおける恐怖: ルートクライミングの場合、ボルトの間隔や高度感がジムとは全く異なり、フォール(落下)に対する恐怖心が跳ね上がります。これにより、ジムなら容易にこなせる動作が固くなって出来なくなるケースが多発します。

4. 「環境適応と状況判断」の壁

  • コンディションの左右: 気温、湿度、岩の乾燥状態、日の当たり方で登りやすさが劇的に変わります。「ジムなら落とせるグレード」でも、外岩では環境に左右されて手も足も出ないことが珍しくありません。

  • 体力配分(アプローチ): 岩場に辿り着くまでの登山・アプローチ歩行で疲弊したり、寒さや暑さでウォーミングアップがうまく行かなかったりといった、クライミング以外の身体管理が求められます。

2026/10/06

【クライミング心理学】再演

これが再演構造のような気がしますね。


  • 「優等生(ゴールデンチャイルド)」から「問題児(ブラックシープ)」への移行プロセス [00:00]

    • 優等生としてのスタート: 学校の成績やスポーツなどで優秀な成果を収め、親に自慢されることで、親の承認や満足感の源となっている状態から始まります [00:03]。

    • 変化の訪れ: やがてルールに従うのをやめ、自分の意見を主張したり、これまでタブー視されてきた問題について話し始めたりします [00:10]。

    • 「問題児」扱いされる理由: 境界線(バウンダリー)を持ち、自身の真実を語ることで周囲に気まずさを与え、他者に内省を促す存在になるため、「ドラマチックすぎる」「敏感すぎる」として非難の対象や「問題」にされてしまいます [00:20]。

    • 脅威となる変化: 周囲の期待通りに振る舞い、他者を安心させる役割を降りたことで、結果的に周囲にとっての「脅威」とみなされるようになります [00:39]。

2026/10/05

【OWS】奄美大島の大会に行くことにしました☆

 

パッと見て、ピンときた!ってだけで行くことにしたのですが、偶然、大会主催者の人の動画がYouTubeで出てきたのでまとめました。

素敵な価値観。

1)メジャーデビューして有名になることよりも、「自分たちの文化を未来へ守り、引き継いでいくこと」が最も大切にされています。

2)地域の人々がその文化を愛し、誇りを持っている。


「順位やタイムを競うこと(プロ志向)」だけでなく、「その場や文化を楽しみ、仲間と共に守り育てていく」という、別の形の豊かさや価値観が存在する

3)縦の関係から横の繋がりへ
 年齢や順位で格付けする「縦の関係」よりも、世代を超えた仲間との「横の繋がり(ご縁)」やコミュニティを重視することの重要性を説いています。

4)多様な関わり方
 競技として勝つことだけがゴールではなく、趣味として長く楽しんだり、仲間と一緒にその場を共有したりすることに、人生を豊かにする価値があると考えています。

5)マイナースポーツの自立
 補助金やスポンサーに依存する形ではなく、ファンを増やし、地域やコミュニティと共に価値を創造することで、ビジネスとしても持続可能な「新しいスポーツの形」を目指しています。

水泳でできることがクライミングでできないはずがないと思いますけどね。



2026/10/04

【クライミング心理学】這っても黒豆の理由

 1. 「同調圧力への同化」がもたらす無謬性の錯覚(アイデンティティの砦)

危険をあえて冒す文化やコミュニティ(サブカルチャー)において、その規範(「リスクを取ることこそがかっこいい」「恐怖に打ち克つのが本物のクライマーだ」という価値観)は、単なる意見ではなく集団に所属するための忠誠の証として機能します。

  • 規範の内面化と防衛: メンバーがその規範を疑うことは、自分が属するコミュニティからの「精神的な追放」や、自分自身のアイデンティティの崩壊を意味します。したがって、現実の事故や合理的な批判(「リスクは避けるべきだ」という現実)が突きつけられたとき、それを直視することは自己否定につながるため、人は無意識に認知の歪み(防衛機制)を起こします。

  • 「同化していることへの絶対の自信」の正体: あなたが看破されたように、彼らが依拠しているのは「リスクそのものに対する冷静な計算」ではなく、「この過激な規範を疑いなく体現している自分(および仲間たち)は、選ばれた強者である」という集団的確信(同調の正当化)です。この同調に疑いを持たないこと自体が、彼らにとっての絶対的な自己肯定の源泉(自己愛の補給源)になっているため、現実のデータや否定的な現実が入り込む余地がなくなります。

2. 現実の否定と「認知的不協和」の解消

現実の危険や非合理性(=否定する現実)に直面したとき、本来であれば行動を修正すべきですが、人間は矛盾を抱えたまま生きることが心理的に苦痛なため、「認知的不協和」を解消するためのバイアスが働きます。

  • 合理化の逆転: 「危険すぎて合理性がない」という現実に対し、「それをあえてやる俺たちは特別だ」というロジックにすり替えることで、現実のショックを無効化します。

  • 客観的事実の排除: 安全管理や客観的なリスク評価という「外部の基準」を、「それは萎縮した者の言い訳だ」「魂の無い安全主義だ」とラベリングして排除することで、内側の閉じた論理体系(エコチェンバー)を維持します。ここには、客観的な妥当性よりも、内輪の論理(同調圧力)を優先させる構造があります。

心理学者としての総括

あなたの仮説通り、彼らの姿勢が現実の前でも覆らないのは、それが「リスクテイクの技術論」ではなく、「危険な規範に完璧に適応・同化している自分への絶対的な信仰(およびそれをもたらす集団への帰属意識)」によって支えられているからだと考えられます。

つまり、彼らが守っているのは「生身の身体の安全」ではなく、「過激な世界観に耐えうる強靭な自分」という幻想のアイデンティティであり、それを脅かす現実は、どれほど明白であっても心理的防衛によってシャットアウトされてしまうのです。

2026/10/03

スキルを上げるクライマーが理解されない理由

5.10代を登るというのは、身長152cmで、握力が17㎏の人にとってはかなりのムーブの習得と、墜落リスクのコントロールが必要なわけで、それは、男性の標準身長があり、握力60㎏の人とは異なる到達度であるのだが、クライミング界では、統一的なグレードでしか個人の成長を測らないので、となると、私は5.13を登るまで鞭うたれることになるなーと透けて見えた九州でのクライミング。

なぜ、山梨ではしっかりした評価を得ることができたのに、九州では、3本登ったらハイ次のグレードみたいな、思春期の選手みたいな登り方を強要されないといけないのだろうか?と感じた。あるいは、ボロ雑巾になったおじさんでビレイもできない人や、5.12が人工壁で登れるだけでプライドが高止まりした生意気な高校生や、ジム店長なのに結び変えなしでカラビナ直がけがローカルルールと、クライミング界の質の向上ではなくて、質の低下のほうに加担しているような人へ、「お前がカム貸してやれ」とばかりに組まされそうになった。かなり嫌だった。

あきらかに、ただのドアマットにされている。

アイススケートをある程度習得したところで、水泳の習得に戻り、今、1年かけて習得したところだが、スキルの習得であり、その結果のスピードや距離は、万人に共通のモノサシでは測れない。50m、17ストローク、23.68秒、これはすでに上級スイマーcグレードだ。
だが、これを聞いて、その泳ぎの質が分かる人が周囲にいるかと言うといない。

○○m泳げました、大会で何位でした、みたいな、わかりやすさを求める人が多い。

一般大衆からは、

クライマーとしての認知も
スイマーとしての認知も

もらえず、分かってくれるのは玄人さんだけ、と言う状況に、なぜなるのか?分かるようになった(笑)。

私は、パワーや優越性で他者を凌駕して、比べて、実力を誇示するタイプではなくて、そもそもない、存在しない「パワー」や「身体的な優位性」を、「スキルの卓越」や「身体知」で乗り越えてきたからですね。

水泳でも、全然沈まずに、延々と泳げますけど…感じが、
・アイスクライミングで中級者化して相沢大滝のリードが課題になったときや、
・登山で18時間歩いても、まだ歩けそうなので、これ以上歩いて予備力を確かめなくてもいいか…

となったときのことを思い出しました。

つまり、実力を示すための「既存の枠組み、つまり大会など」が、力を測る物差しとしてマッチしていないのです。

だから、私の水泳を見ていない人に上手ねと言ってもらうための

水泳〇〇キロ泳げます、

とか、クライミングなら

○○級です

とか、わかりやすい指標には表れない。

アイスクライミングならアイスをよくわかっている人にしか、
私の今の実力、現在地、を分かってもらえないのです。

たとえば、水泳で、既存の100mメドレー、とか、1500m自由形で、優勝したり大会に出たりして「私は上手です」と言う証拠を残せるか?
というと、残せないでしょう。そんなのしたいとも思っていませんしね。

その既存の「勝利の枠」に、体が浮くことを習得する、とか、2ビートクロールのキックとプルのタイミングを合わせる、とか、まったくマッチしていませんよね。

体力も、体格も、不利ですし、何より、自分が磨いているものが、

「水泳の原理原則の習得」という、

そもそも勝ち負けのフレームワークに合わないもの。

そもそも、「スキルの習得・洗練度」で戦っているわけです。

というので、これが私が「わたしこそ、まっとうな山をやっているのに、世間様からは、全然評価がされない」と感じる理由なんだなーと分かりました。

ま、他者評価されなくてもいいけど、だからと言って、「力がない人」と言う扱いを受けて、「そういう振る舞い」つまり、「私なんて大したものではないです」みたいな自己卑下した態度をさせられていいわけじゃない。

そういえば、ロボット開発部では尊敬を受けていました。理由は、「え?工学部出ていない?情報処理は持っているの?持っていない?なんで、それでこんなことも、あんなことも分かっているの?」と私が開発部にいること自体が奇跡でした。それで、「逆にすごい」ってことになっていました。

「私だって○○できるもん」でやってきたことはないです。

私は、「スキル習得型」なんです。「パワー型」とか「承認欲求ドライブ型」ではなく。

なにがあると、頑張れるか?と言う動機が違うってことです。

私は、「スキル的に正しく登ろう」とか、「正しく泳ごう」とか、「正しく動こう」という動機で、上達できるタイプ。

登山も、読図をまじめにやって、雪の山も一からやって、セルフレスキューを学んで、と丁寧にステップを積み上げてきました。そうじゃなくて、「お買い得5.10a」「お買い得5.11a」「お買い得5.12」…とお買い得を積み上げて作っていくような要領の良いことをしたいとは、発想すら思わないわけですよね。

そんなずるを山でやったら、いつか山に足元救われると思っているくらいだから。

「○○さんに負けないように」とか「俺のパワーを見せつけたい」ではない。

そういう人向けに、コンペや競泳など、競争、グレードというものは、設計されているので、水を修業的にとらえて、水と親しもうとしている人に向かって、”競泳”を押し付けられたりすると、しらけちゃうんですよね。

ラクロールでは、馬場さんと山下さんが、はるばる鎌倉から駆けつけてくれました。

それは、同じような人が「同類だ!」と気が付いて、ココは支援してあげなくては!と思ってくれたからかもしれません。

そして、私だけに、クライミングの師匠が二人もできて、レジェンドクライマーの故・吉田さんと登ることになったのも、同じ理由かもしれませんね。

分かっていない普通のクライマーが私を勝手に格下扱いして、「奴隷ヤー」として利用し、才能をつぶされるから。

九州では分かっていない指導者につぶされそうになったと思う。
分かっていない人は下手をしたら相手を追い詰めて殺してしまう。

しかも、それは本人が屈している同調圧力による。突っ込むのがクライマーだ、彼女が突っ込めないのはクライマーとして未熟だからだ、だから突っ込むようにサポートしてやるのだ、と言って、運が悪ければ、その行為が相手を殺すことになるのだ。

盲目にツッコムのがクライマーだという観念は、相手が屈している同調圧力に過ぎない。添いう仲間に入りたい人が、その圧力に同調するのだ。


危ないところでした。分かっていない人とつるむより、単独は危険だというタブーを破ったとしても、一人でいる方がいいですね。