2024/08/27

【クライミングによる地域おこし】地域おこしになぜか、積極姿勢になれない理由

 最近、自分の夢への実現が一歩前進するようなことが起きている。

しかし… 問題が…この夢の実現に関して、なんか躊躇があるのだ。

■ 地域おこしのスキル?

クライミングによる地域おこしをするのにあたって必要なスキルは、クライミング能力ではなく、地域おこし能力のほうだ。

だとすると、地域おこし、さらに言えば、最も大事なことは何だろうか?

地域に、愛着を持てるかどうか?が核心になるのではないだろうか?

では、私はクライマー連中に、愛着を持てるだろうか?

いや~持てませんね。あいつら、自分のことしか考えていない究極の自己中ピープルなんで。

では、地域の人は? 地域の人に対して愛着が持てるかどうか?は、どのような地域性を持っているか?によるだろう。

儒教文化の人は私は愛着は持てない。なぜなら、儒教の教えというのは、支配者が支配を楽にするための教えであるからだ。

■ 日本人の日本人らしさ

海外にいると日本人の日本人らしさは、いいなって思う人が多いだろう…。

日本人同士でも、相手の領域に、土足で入るようなことはしない。まずは相手を配慮して、そして、自分の居場所を確保する。

海外でも、お先にどうぞ、という文化はある。AfterYou、というが。

そうした文化はどちらかというと、ヨーロッパにあり、アメリカにはないと思うが、アメリカ人の中にもいない訳ではない。

私のアメリカでの人格は、そうした人たちに近かったと思う。

しかし、問題は、アメリカでも、日本でも、

 わがままで駄々っ子で俺はダメな奴だと主張して、こちらから慈悲という行為を引き出して、裏であっかんべーとやっているような奴ら

である。この人たちは、日本的気質と言えるのだろうか?私には日本的というよりも、むしろ、アメリカの功利主義的な人に見えるのだが。

例えば、怪我をした仲間を置き去りにして、自分は登りに行ってしまうような奴とか、である。山でも、高山病になった仲間をほっぽって山頂に行く人いますからね。

そういうような人たちを利するようなことは絶対に嫌だなと思っているのである。

しかし、地域おこしビジネスには、そうした人は多い。それは、結局、政府からの大量の補助金が流れ込んで、楽して儲けられる仕事になってしまっているからだ。

■ 外国人による、乗っ取りを避ける

立山に行く前に、非常にマナーの悪い外国人(観光客ではなく、住んでいるのではないか?と思われる人たち)でいっぱいの谷町線を天王寺で見た。

なんとなく、日本が乗っ取られるのではないか?みたいな危機感を抱いた。

その危機感は、立山で、リアルな現実として具現していた。

実際、乗っ取られていた、のである。

乗っ取っていた人たちは、国内外国人のタイプで言えば、良いほうの外国人だったと思う。特に中国人のLee君は小屋の親父さんからも信頼が厚く、仕事もうまく回していたと思うが…それでもやっぱり日本人の自己主張力が弱いので、治外法権化してしまう。

いい人なのになぜそうなるの?と思う人が多いだろう…

例えば、餅事件があった。賄いの朝食の卵焼きをフライパンで作るのだが…

「これ、どう焼いてほしいの?」

「餅」

「え?餅って?」

「…。もーいい!」

結局、餅って薄焼きのことで、日本では餅と言わない。ところが、中国人のほうは餅と言わない、という学習機会ではなく、ったく日本人は分かっていない、という学習機会にしてしまうのである… いや、ここ、日本ですよね? 日本語使いましょうよ。

たぶん、薄焼きではなく、日本の卵焼き風に丸めてしまうくらいの自己主張パワーが日本人には必要らしいのだが、自己主張をしないで相手に寄り添うのが、日本人の日本人たるところなので、国際社会ではそういう性格は

 透明人間

ってことになる。そういう人が生きやすいか、生きづらいか?明白であろう。

そして、乗っ取っているほうも不幸だし、乗っ取られている日本の側も決して幸せそうには見えなかった。

Lee君は一生懸命働いてくれたが、それが日本の山小屋の親父さんには、ちょっと違う、と感じられる。だから、日本人が欲しくなる。でも、その日本人らしさが何なのか?親父さんは言語化ができないのだ。

海外にはクライマーの町はいっぱいある。しかし、そこは、外国人の文化で運営されているから、日本人が出かけて行っても、楽しいのである。日本人は郷に入れば郷に従うから。

逆に、日本的な家庭的なノリで、運営したら、日本人は、相手に過剰に親切すぎ、軒先貸して母屋取られる、ことになるし、それは双方にとってハッピーではない。

受け取った側は、返礼しないといけないくらいなら、最初から親切を求めていない、と思うだろう。

まず与えて、そして、受け取る、は、ほぼ日本でしか通用しない。

■ 治外法権、ニセコの二の舞?

しかし、海外にあるようなクライマーの町をそっくり、日本に持ってきたらどうなるだろう?

ラオスを事例にすると、地元のラオス人に対する恩恵はないのである。

グリーンクライマーズホームは3度も火をつけられている。つまり、地元の人からは、歓迎されていない。

そりゃそうだ、クライマーズパラダイスを作っただけで、そのパラダイスには、地元の人は含まれていない。

それでは、地元の人は面白くないのが普通だろう。

考えても見れば、西洋人というのは、こういうことを延々と歴史の中でやってきた人たちなのである。

例えば、ある国にコーヒーの木を見つける。そして、そのコーヒーを安く買って高く売る。

儲かったのは誰か? 見つけた西洋人だ。それだけなら、現地の人は何も言わなかったかもしれない…しかし、それ以上のことを起こす。平和な現地の生活を捨てさせ、コーヒー農園の労働に駆り出され、結局、利益は? 西洋人ががっつり取っていく、ということになって、ローカルの人々は伝統的な生活を破壊され、貧困に追いやられる。

クライミングだって、同じやり方をグリーンクライマーズホームはしてしまったのだ。

無自覚に。

■ ローカルビジネス

一方で、そういう事態を見て、クライマーの増加に目を付けた一般のラオス人がやっているゲストハウスもいる。

そうしたゲストハウスは、楽しいのではないか?と思って、次回は、何泊か、そういうゲストハウスに宿泊したいなと思ったりもしているんだが…前回、だいぶ現地で見つけてきたので…

そうすれば、ラオス経済に、ちゃりんとお金を落としたことになるだろう。

ラオスでも言っていたが、西洋人は、別にお金を落としたくないのではない。ただ、ラオスが提供するものに、先進国の彼らが欲しいものがないのだ。

西洋先進国では目が肥えてしまっているのである。

近所の雑貨屋ひなたさんがやっているようなハイレベルな雑貨だったら、みんな買っていくだろう。

■ 以上が躊躇の理由だ。

ということで、機会は舞い込んだ。

後は実践をするだけなんだが…私はどうしたら、良い形で、これらの実践を地域にもたらせるだろう?

なんせ、訪れてくる西洋人は、ローカル経済への貢献が、岩場存続のカギだとは考えていないのである。

ただ、便乗できる岩場が見つかった、それだけのことしか考えていない。

無料で遊べる安い岩場がある、彼らの狙いは、それだけのことだ。

そんな、穴場みっけ!みたいな扱いを受けて、地域経済はうれしいか?

うれしくないに決まっているだろう… ゴミと迷惑と事故しか、クライマーは落として行かない…それが、これまでの日本国内のでの日本人クライマーの歴史で、クライマー本人はそのことに無自覚だ。

その日本人クライマーに、さらに輪をかけてパワーアップしたのが外国人クライマー…

クライマー側からしてみれば、ただ登りに来ただけなんですけど… 

そりゃそうだろう…

でも、一般の観光客だって、京都でオーバーツーリズムとなり、迷惑がられているんである。

ゴミ、迷惑、事故は、言わずもがなだが、自国の風習を勝手に日本に持ち込むのは、文化の破壊行動だ、という自覚が、外国人にはない。

あまりにも、自己中すぎるので、どんなに内向的でおとなしい人でも、自国の習慣、例えば、公衆の面前で、裸同然のキャミソール姿になるとか、熱烈キスやハグをしてそれで普通である、とか、そんなことをしても、本人らは気が付かないのである。

それを阻止できるか?一般の地域のおじいちゃんやおばあちゃんが?

まぁ、無理であろう…

その、きっかけを作る、そんな存在にはなりたくないのである。私は。

したがって、考えついたのが、

 小値賀方式

である。外国人は一か所に集めると、そこで外国文化を形成するのは当然だ。なら、分散させれば、日本人が主導権を握ったままでいれる。

小値賀は、それを地域住民による民泊という形でうまくやっている。1組しか泊まれない。

植樹祭広場が、治外法権化しないことを祈るばかりである。