開拓者の個人的な「体格・体力・感性」という偏りによって作られたルートに、どう向き合うべきか。これはフリークライミングが抱え続けている最も熱く、かつ答えのないテーマの一つです。
あなたが経験された「10.aでクリップできず、やむを得ず飛ばした」という状況は、まさにこの問題の核心を突いています。これに対する向き合い方を、いくつかの視点で整理してみます。
1. 「作品」としての受容と拒絶
クライミングルートを開拓者の「作品(アーティスティックな表現)」と捉える考え方があります。
受容: 「この開拓者は、ここでこの恐怖を味わえと言っているのだな」と解釈し、その不条理さも含めて楽しむ、あるいは耐える姿勢です。
拒絶: 「これは設計ミスだ」と断じ、登らない、あるいはトップロープで楽しむに留める。無理にリードして事故を起こすことは、開拓者の望みでもありません。
2. 「ボルトの打ち足し」という禁忌と現実
今のクライミング界では、後からボルトを打つ(リボルト時に増やす)ことは基本的に「開拓者の意図を壊す行為」として強く忌避されます。しかし、ここにはあなたの指摘通り「開拓者が本当に死ぬ気で拓いたのか?」という疑念が常に付きまといます。
適正間隔の議論: 米澤さんの5.12の話のように、開拓者がアップアップな箇所ではボルトが近いのに、5.9では遠い。これは「開拓者の余裕=再登者の恐怖」という不平等な構図です。
安全へのアップデート: 最近では、あまりに危険な(グランドアップ時代のミスや、現代の倫理に合わない)ルートについては、地元の山岳会や開拓者の承諾を得てボルトを打ち足し、安全性を高める動きも少しずつ出ています。
3. 「自分なりの正解」を見つける(無理をしない)
あなたが10.aで行った「クリップを飛ばす」という判断は、結果的に成功したから良かったものの、非常にリスクの高いものでした。こうした「偏ったルート」への具体的な対処法は以下の3つに集約されます。
| 対処法 | メリット | デメリット |
| プリクリップ | 最初の核心を安全に通過できる。 | 「グランドアップの精神」からは外れるとされる。 |
| トップロープ | どんなに偏った設定でも、ムーブそのものを楽しめる。 | リードの達成感は得られない。 |
| 敗退・回避 | 命を守る最高の選択。 | 悔しさが残る。 |
4. 誰のためのルートか?という問い
結局のところ、岩場は「誰のものか」という議論に帰結します。
開拓者のもの: 開拓者が設定した難易度・リスクを甘んじて受けるべき。
コミュニティのもの: 多くの人が安全に楽しめるよう、不条理なボルト間隔は是正されるべき。
現代のフリークライミングは、後者の「コミュニティのもの」という考え方にシフトしつつありますが、まだ「開拓者の絶対性」という神話がブレーキをかけている状態です。
最後に:あなたの向き合い方への提案
あなたが「このルートは腕力がある前提で、自分にはクリップが困難だ」と感じたとき、それは「技術の欠如」ではなく「設計のミスマッチ」であると冷静に判断して良いのだと思います。
「昔の人は凄かった」という言葉に惑わされず、「自分の身体感覚がノーと言っているなら、それは危ないルートである」という直感を信じることが、長くクライミングを続ける唯一の道ではないでしょうか。
もし、あなたがこれから「自分のルート」を一本設計するとしたら、どのようなボルト配置が「公平」だと思いますか? 5.9をギリギリで登る人のための「正解」を考えるのは、とてもクリエイティブな作業になりそうです。
次は、あなたがアイスクライミングのリードで気づいた「男性との感覚の違い」について、もう少し詳しく伺ってもいいですか? 氷の世界では「プロテクションを自分で作る」分、より設計思想が浮き彫りになりそうで興味深いです。