2016/08/31

ピラ24

■ 日々インドア

今日ピラニアへ。今日は朝から大快晴で、山恋しくなった。360度大快晴。久しぶりに南アルプスの稜線が見えた。

それにしても・・・晴れたせいか、ジムはガラガラだった。

今日は今月最後のジムのつもりで出かけたが・・・友人が来月の月会員になろうかというので、それなら、来月も月会員でいようかとも思う・・・

ピラでは、黄色青課題まで進んだ。青で登れる課題もある。だいぶ進んだなぁ。黄色を登り込むべきだが、飽きもあるので、他のジムに行くべしな感じ。

少なくとも、1,2回は他のジムを試すべきだ。

もう大体何が登れて何がダメなのか課題も出尽くした感じ。

今のパワーとムーブ力で取れるノリシロは全部取ってしまった。ムーブ解決力があれば、パワーがなくても登れる、という部分は登ってしまった。

パワーがあればムーブがなくても登れる、という部分も登ってしまった。

ダイアゴナルと正対の違いと使い分けだけで、登れる部分はもう登ってしまったって意味だ。

■ 柔らかい靴

しばらく、ダウントウした靴を履いていたんだが、このところ、そこがヘナへナのファイブテンスパイアを履いているが、なんだか、スタンスの形状が感じられる。

柔らかい靴の方がいいのかも?!な感じ。

実は私は登山靴も、登山靴より、地下足袋があっていたなぁ~な感じだった。

バレエをやっていたから、足首が強いのだろう・・・足裏の感覚も発達している。地下足袋だとそういう足裏感覚を生かせる。

クライミングシューズは柔らかいのが好みだということが分かった。

■ 小川山

明日は小川山。

2016/08/30

ピラ23

■ 5.10b

今日もピラへ♪

ボルダリングの課題は、黄色青(6級)で、

  ムーブ解決が必要で登れない課題=めんどくさい課題

が残っており、少々めんどくさい・・・今日はリード壁を久しぶりにしなくては!と思って出かけた。

最近は、6級は被った壁なら楽勝で登れる。

被った壁=腕力?と思っていたら違う・・・被った壁でも足が自由なので、単純にダイアゴナルで振れば登れてしまう。

ので、ムーブ解決が必要な壁は、かぶっていない垂壁・・・ムーブの解決力が必要な課題。

今日は混んでいた。

ので、ボルダリング課題は早々に辞めて、リードへ。

アップ課題にしている、かつて難しく感じていた課題は楽勝化していた。まぁ、暗記してしまうくらい登ったからなぁ。

でもって、5.10Aの別の課題も、ちょっとクラムジーな感じがあったのが、楽勝化していた。

ので、調子の良いとき登れていた5.10bへ。これは、ムーブが正対も含まれているのだが、この課題になると・・・腕がパンプ。

課題の質的に、パンプするような課題ではない。傾斜は隣の5.10Aと同じはず。しかも、途中で足の限定を外して自由にしたので、パンプする理由もない。

にもかかわらずパンプ。

というのは、精神的な問題だ。登れないと自覚すると、きっと、腕に不必要な緊張が走りパンプするのだろう。

やはり、私の課題は、ムーブが分かっている!という感覚かもしれない。

自分がやっていること、やろうとすること、できるかできないか自分で自覚できること、それが私にリラックスをもたらす、ということが納得できた今日だった。




あなた、何者?

■ 失望

信用残高という考え方があるのをご存じだろうか? 人は相手を信用するとき、残高を積み上げる。

しばらく前に失望を味わった。失望が大きかったのは、理由がある。パートナーを信頼していたからだ。

信頼と言うのは曲者だ。信じれば信じるほど、失望の幅は大きくなる。

しかし、失望の痛みを恐れて、信頼しないと言うのは、弱虫のやることだ。

■ 同レベルと登るのが一番楽しいこと

そもそも論になるが、クライミングというのは、レベルが同じくらいの者同士で登るのが一番楽しい。

それは誰だって知っている。

だから、すごいクライマーがそのまま自分に合ったクライマーとは言えない。

レベルが離れすぎていると、互いに登りたい課題が違ったりして、楽しめないものだ。

そんなことは改めて言わなくても、誰にでも明白で、私が一緒に登って一番楽しい人は、正直な所、すごいクライマーではない。(すいません)。

しかし、休みの都合などで、そうそう、いつも釣り合ったパートナーと登れるとは、限らない。誰にとっても、パートナーというのは、そういう事情であり、相手が理想的な相手ではなくても、まったく登れないよりは、うんと良いのだ。

だから、パートナーには常に「ありがとう」と言う。”当たり前”の反対語としての”ありがとう”、だ。

そういう風に妥協しているのではあっても、それを「妥協です」と、面と口に出して言う必要はない。
それどころか、害悪だろうから、誰も言わない。言わなくても分かるからだ。

そもそも、大抵の人にとっては、きちんとビレイしてくれる人なら何でもいい。

プロがプロジェクトを登るときだってそうだ。そもそも、ビレイだけで謝礼が出る。時給千円。でもクライマー同士なら、返礼は、代わりに一本ビレイする、で良い。

でも、そんな自己中心的で、アケスケなことは誰も言えない。

一方、誰でも登れないところも、触ってみたい。だから、トップロープになれば、もっといいな~と下心があるが、それは贅沢というものだ。

初心者の場合は、その贅沢を贅沢とも知らないで、当然視しているから、参ったな、になる。

■ 見返り?

そういう訳からか、初心者には、見返りを要求するベテランもいる。

みな内心は、もっと見返りが欲しいらしい。トップロープ張ったんだから、ガイド料を払ってもらいたい、そんな気分なのかもしれない・・・。

それを知ってから、私はいつも小川山の駐車料は払うことにしている・・・。

イコールパートナーなら、お互い様、なので、信用残高の貸借対照表は、貸し借りゼロだ。

■ 出世魚

そもそも、クライミングは難しい活動で、1グレード上げるのも、大変だ。すぐに上達はしない。

クライミングの上達には時間がかかる。しかも、クライミングには、”センス”の有無が大きく関係している。

それでも、無いセンスを頑張って、みな11だの、12だのまで頑張る。最近は、センスがある人なら、1年で12まで行ってしまう。

すぐに習得するタイプの人、登れる人は、もっと登れる相手と登りたくなって、次々とパートナーを出世魚のように脱皮して行ってしまう。

だから、置いて行かれる側は、とても寂しいものだ。

しかし、置いて行かないで、と泣きつくわけにもいかないし、恩知らずと、ののしるわけにもいかない。だから、一抹の寂しさを感じつつも、受け入れるしかない。

だから、登れない時代に一緒に登ってくれた人は恩師だ。

そういうことは、昨日クライミングを始めたような、経験の浅いクライマーにだって、1年も登れば、すぐに明らかになる。

ちゃっかりしている人は、お得な部分だけを吸い取って、恩は着ない。そういうちゃっかりタイプとだと、寂しすぎて、捨てられる前に自分から捨てる人もいる。どうせ相手はすぐ自分を捨てるだろうから・・・、ということだ。

残念ながら、私はあまりちゃっかりしているタイプではないので、なかなかそういうことはできない。

いいとこどりはできず、結局、損得勘定なしで、不器用に2年待っても、自分の力でルートに行く方を取る。

■ 過去の傷

しかし、大変だった。過去の傷が大きく傷口を開いた。まるで狙いを定めて、傷をえぐりだすようだった。

つらかった子供時代が思い起こされた。残酷だ。

苦しみの理由は、そんな過去の話を持ち出さなくても、パートナーの信頼を得ていると、それだけ厚く信頼していたからだった。

私と過ごす時間が他の人より長くなり、理解してもらえていると期待していた。

が、仕方ない。

自分のことは、ほとんど話をしていなかったからだ。その必要があるとは、思ってもみなかった。

クライミングするのに身の上話が必要とは思わなかった。

私の去年の登山日数は100日越えである。それだけで十分、分かってもらえると思っていた。

■ 情熱

登山の実力というものが、どういうものを指しているのかわからないが、山の内容はどうあれ、100日以上、山に登る人は、努力と情熱を傾けている。そのことは誰にも明らかに分かる。

努力は、意思のなせる業。結果は、運と実力。

結果(グレードや本チャンルートの凄さ)が出ても出なくても、努力自体(プロセス)に意味があるのが、趣味というものだと思う。

だから、結果(=実力)で判定されることは、理不尽だったし、それに私は客観的に見ても、登山者として見たとき、キャリアの浅さに比して、実力不足でもなんでもない。

トントンどころか、その浅いキャリアで良くやってるね~ってところだ。

でも、まぁ同じように浅いキャリアでも、スイスイ登る人もいる。それは認める。才能の差だ。

才能の有無は運みたいなものなので、才能がある人と登りたい人はそうするしかない。

■ プライベートを語る

私はあまり人の人生には興味がない。人のプライバシーに興味がないのは、良いことなのだと思っていた。

山は人を区別しない。苦労した人も、苦労していない人も、山は山。だから、山はいい。

私自身の生い立ちは、大抵の人よりも、苦労した話だ。

たいていの人は面食らい、受け止められない。

そんな話を誰かに語りたいとも、あまり思わない。頼んでもいない同情を買って、えこひいきされるのは嫌だし、そもそも、思い出すと、痛みで涙があふれてくるからだ。自己憐憫に染まるようで、好きではない。

でも、中には、自分の人生を語る人もいるし、人は語りたいことを語りたいので、大抵は聞く側に回っている。

なぜ家族の話や人生の話を聞いているのか、とても不思議な気分になる時もある。

そういう話をする人には、お返しの話が必要なのかもしれなかった。

■ 裏付け情報?

私は、元々あまり詮索好きなタイプではない。

私は人を信頼するとき、目の前のその人以外の情報をあまり必要としない。

今から築く人間関係に過去の履歴書が添付していないと不安になる、ということはない。

目の前の相手の言動と態度だけを見て、信頼できるか、できないか、判断できる。

その判断力には自信があり、これまで、あまり失敗したことはない。それは確実に強みだ。

予断や前情報、名刺に書いてある会社名では判断しない。

しかし、多くの人は、そうではなく、相手を信頼したい!と思った時に、過去の情報や所属、その他地位を表す、何らかの情報を求めるようだ。

例えば、職業は何か?結婚はしているのか?

それは自分の判断力に自信がないからかもしれない。

あるいは、目の前の情報と履歴書を突き合わせて、納得したいからなのかもしれない。

有名大企業の名前を出すと、「なるほどね」と落ち着いたり、「子供は欲しかったけれど、できないんです」という当たり障りのない言葉を聞いて、安心したりする。

■ 関係を深めるのは怖いもの・・・

私が疑問なのは、相手が求めている私からの受容、アクセプタンス・・・言い換えれば、安心や保障・・・を、どうしたら、相手が満足する十分な量だけ、与えることができるのか?ということだ。

平たく言えば、一体何を差し出したら、相手は安心と満足を得るのか、ということだ。

■ 過剰反応

人は誰しも心に傷を抱えている。癒されない傷もある。そうした傷をなでる言葉には、普通の対応ではなく、過剰反応してしまう。私自身もそうだ。

子供の養育が大変だと言う愚痴が私にとってそうだ。

そうした愚痴を聞かされると、私自身がその問題の解決をなんとかしなくては!という気持ちに駆り立てられる。

それは、子供に同情するからだ。親の側ではなく、子供の側に自分を重ねてしまう。

親が苦しんでいると、自分のせいだと感じるのが子供なのだ。これは、どの子も普遍的にそう感じる。

たぶん、愚痴っている当人が得たいのは、ただの慰めの言葉だったかもしれない。

・・・が、私には子供が多くて養育が大変だと愚痴っている人を慰められない。それは、その人が担って当然の苦労でしかない。

子供を持つという選択をその人はした。選択には責任がつきもので、経済的苦難のあることは、最初から分かっている。

その愚痴の共感者役を、私に求めるのは、男親に捨てられた娘であるという過去からして、非常に酷なことと言えるだろう。

■ 過去を赦す

私はつらかった過去は断ち切りたいと思っている。

結婚する相手を間違った母を許したいし、充分なだけの収入がなかった母を許したい。

私と弟と妹と母を捨てた父を許したい。

経済的に困窮するシングルマザーの娘を助けなかった祖父母を赦したい。

孫を助けてくれなかった祖母や祖父を許したい。

25歳にもなって、姉の私の家に転がり込んだ妹を許したい。

私の結婚式でバッグを無心してきた祖母を許したい。

年金代わりにまだ26の私へ無心をしてきた祖母を許したい。

そして、そうした家族の求めに応じられるほど、強くなかった自分を許したい。

いまだに弱い自分を許せない自分、それさえも、許さなくてはならない・・・。私は弱く、無力な立場にいる。

「男の子でさえあったらよかったのに・・・」という皆の、溜め息が聞こえてくる。でも、私は女の子に生まれてしまったし、期待には応えられない。

■ 自分自身を見た

愛する家族の皆を救う、スーパーマンになれたら、どんなに良かったろう・・・かつて、そう思っても、いた。でも、冷静に考えると、どんな人もそれぞれが自立すべきだ。

だから本当はスーパーマンなんていらない。子供に必要なのはお金ではなく愛情だ。

それでも、困窮することは怖い。怖いのは人の弱さで弱さは許されなくてはならない。困窮しても死にはしないが、大変なことはやはり大変である。

誰かに頼られるのも、大変で苦しい。みなが頼るスーパーマンであっても、やはり人は人だ。

人と人は、学びあうことあるから引合される。出会いに偶然はない。

私は、私自身をその人の中に見た。家族の中で、唯一まともな判断力が備わっている人。現実を動かす力がある人。

そのことは、昔、恋人のデイブに指摘された。

You were the only one who understands things.

物事が見えている人が引き受けざるを得ない。 大体いつもそうなる。山でも同じだ。
 
■ ディストラクション

本来やるべきことから目が逸れてしまう場合、距離を置かなくてはならない。

ただ楽しいはずのクライミングが楽しめず、めんどくさいな~ = タイムオフ。

本来、人生のモロモロ・・・そういうことをすべて忘れられるのが、山の良さ。

とはいえ、人は弱いもの。弱さは許されねばならぬもの。






2016/08/29

類は類を呼ぶ方法

■ チャンスロスはない時代

今日は、こんな動画が回ってきた。すごいギタリストだ。

現代は、自分自身が何ができ、どういう人間なのか、誰かに見出されなくても、自ら世界に発信することができる。

つまり、”才能があるにも関わらず、才能が見出されない”という古典的な機会喪失は、経験しなくて良いのだ。



ちなみに、ネット上で新人アーティストの登竜門としては、次のようなものも有名だ。

Jango http://www.jango.com/  著作権切れの無料音楽が聞け、数曲に一曲、無名アーティストの曲が混じり、投票によって、アーティストは世間の評価を聴くことができる。

http://thisisgallery.com/  画家の作品発表の場。

これは、芸術活動だけにとどまらず、才能を見出されたい運動系の人たちも、かならず自分のサイトに、動画なり、作品なり、自分の才能を表現するもの・・・を置いている。

■ 一億総表現者の時代

クライミングはクリエイティブなものだ・・・と言われる。

私自身は、まだクライミングが創造的なものでることを理解するための、ベーシックなスキルを得る途上にあり、クライミングにおけるクリエイティビティについては、全く理解の範疇外だ。

ので、クライミングにおけるクリエイティビティをここで論じるつもりはない。

が、創造的なクライミングをしている人は、それを表現者として世界に示すことができる。

今、ここで論じたいことは、創造性を、あるいは、単純に自分らしさ・・・を理解してもらう、理解する・・・のは、世間の側の責任ではなく、表現者の責任である時代だということだ。

世間に見る目がないから、俺の(私の)才能が埋もれているという、古典的言い逃れは、もはや現代では通用しない(笑)。

■ 等身大の自分をさらけ出す

たとえ、創造者と言えるような上級クライマーではなくても、当サイトのようなサイトは有効だ。

クライマー間で、パートナーを組む場合、最初に問題になるのは、

 相手が安全な相手かどうかワカラナイ

ということだ。

面接でも履歴書を見るだろう。その履歴書に相当するものが必要だ。

むろん、半径10mでパートナーニーズが満たせるような、幸運な環境にあれば必要がない。しかし、現代では、そのような恵まれた環境にあることはおそらく稀だろう。

パートナーは全国に散らばっていることが多い。

現ナマ情報、つまり、登ってみて、ビレイヤーの手元を見て、あるいは発言を聞いて、そのクライマーを理解する。それが基本だ。面接と同じことだ。

しかし、それには、相当な洞察力が必要になる。このような洞察力は、人生経験に属すため、一朝一夕に得ることはできず、結果として、洞察力に欠ける人は、誰が見ても危険な相手だと分かるクライマーを避けることができないかもしれない。

それにまた、自分自身が相手を危険に陥れないためには、

 等身大の自分を理解してもらう

必要もある。 自分の至らなさが相手を危険に陥れることは、避けては通れないことでもあるのだ。

登山の安全は多くは、過信にあり、過信が起らないためには、客観的に自分の実力を評価できる、ということが必要だが、それが非常に難しい世界であることは否めない。

安全かどうか、ビレイが確実かどうかの端的目安は

 経験の量

である。経験は年数では情報に偏差が大きすぎる。登山歴10年のベテランと言っても、1年に数回登山するレベルだったりもするからだ。

登山歴が10年であっても、ムンターで懸垂下降することもできない人もいるし、気象判断、危険の認知などになると、ほとんど意識の差になってしまい、何年の登山経験があっても、リーダーのあとをついて歩くだけの登山をしていた人は、まったく無知と等しい。

ので、そうしたことは、表現されなくてはならない。

表現することで、その登山者の身の丈の姿が表現され、そして、表現されると言うことは理解されるということだ。

≪クライマーズサイトの利点≫

 1) 自分のポリシーが明らかになることによって、自然と危険なクライマーを遠ざける
 2) 自分の履歴書となる
 3) 等身大の自分の姿を知ってもらうことにより、相手も安心が増す

■ 類は類を呼ぶべし 

逆説的だが、サイトを作れば、個性は否応なしに表現されてしまう・・・表現したくなくても、出てしまうのが個性なのだ。

好みがあう、嗜好があう、そういったことは、視覚情報だけでなく、文字情報だけでもなく、非言語な情報が必要だ。

自分自身のカルチャー、価値観、そういうものが表現される、されてしまう、のは、

 類は類を呼ぶ

ことになり、人生の質を上げるため、歓迎すべきことだ。





2016/08/28

自分がリードできるのか見極めること

■ リードとパートナー

クライミングは、初めて丸2年近くなった。 

現在の課題は、

  自分がリードできるかどうか、見極める

ことにある。

■ 初めてのリード

初めてリードしたのは、岩場へアイゼントレに行った1月から、4ヶ月後の十二ヶ岳の岩場で、5.8のルートだった。

パートナーはまったくの初めての人。その人も同じところをリードしたが、トップアウトして何をしたらよいのか分からなくなり、ローワーダウンに苦労した。

この時、私はこの彼とパートナーを組むとはつゆ知らず出かけた。会で出かけたので、ちゃんと信頼できる”先輩格”の人がビレイしてくれるのだろうと、信頼して行った・・・ら、全然違った。

目の前のパートナーは、初めてのカンタンマルチピッチで目を白黒させており・・・結局、私がセカンドの確保などを教えることに・・・。

まだマルチ用のビレイ器を持っていない人だった。

ので、リードは私になり、こっちのマルチを教えるほうが責任重大感があり、まったく5.8の初リードのことは覚えていない。

でも、落ちなくて良かったなぁ・・・。あれ、落ちていたら、彼、止めれたのだろうか?

■ 三つ峠

その後、三つ峠に行って、一回目はセカンド。次から、もう連れて行く側だった・・・。

登れたところしか登っていないから、落ちることはないと思って登っているが、落ちたらどうなるかチェックして行ったわけではない。

その1年くらい後で、登山教室でクライミングを教わっている人たちに会ったら、彼らは次回も全然自分たちだけで三つ峠に来ることはできない様子だった。

1回目は連れて行ってもらっても、次からはリードだと思っていたので、ちょっとビックリ。

最初の三つ峠は何も怖くなかった・・・のに、三つ峠は、クライミング経験が増えるほど、どんどん怖くなってしまい、今ではビビりまくっていたりする(笑)

■ 十二ヶ岳の岩場

十二ヶ岳の岩場には、カンテのラインがあるが、そこがもっとも易しいラインだ。

以前はそこにフィックスが張ってあった。ので、まぁいざとなれば、そのフィックスを使えばいいかと思っていた。

5.7くらいかなぁ・・・上の方はランナウトしていて、7mほど中間支点がない。ので、落ちれない。

下は支点があると言っても、ちょっと悪いので、カムが2個必要。1番と2番。

そこは初年度つまり2年前でリードできたから、今でもリード出来て当然なハズなんだが、落ちれないビレイヤーでは行きたくないかもしれないと思ったりもする。

でも、落ちれるビレイヤーはベテランで、ベテランにはこの岩場は易しすぎる。初心者が通うのに適した岩場だ。

■ ソロクライミング

最初の頃は、通いたかったので、ソロクライミングをしきりに考えた・・・でも、ソロはアブナイ・・・と思いとどまった。

最近もソロクライミングについて考えてしまう・・・

男性パートナーはめんどくさいことが多いからだ。ただ楽しくクライミングする、ということが難しかったりすることが多い。

向こうも向こうで、女性とだと大変そうだし・・・。それも分からない心情ではない。私にも男の兄弟がいたので、なんとなく分かるが、男性と女性では同じ遊びをしても遊びが違う。

例えば、男性のサッカーチームと女性のサッカーチームを混ぜて、男女混合チームで競うというは、あんまりない状況だろう・・・

ただし、クライミングそのものは、他のクライミングと比べて、あまり性差が出ない活動だ。

■ 行っていいのか悪いのか

今、安心できるビレイヤーが欲しいのは、単純に、何が登れて、何が登れないのかよく分からないから。

リードする前に、岩をよく見ているけれど・・・、

登れそう・・・と思っても、登れなかったりするし、登れないかなぁ・・・と思っても、登れたりする(汗)。

そこに法則が見いだせない。

去年は、沢へ通って、滝が登れるかどうか?を見極めるのは、できるようになった。

弱点は見極められる。

けれど、フリーの岩場では、弱点を登らない・・・弱点の方に行くと、叱られちゃう・・・。

ということは、強点?

でも、一番難しいラインを登るわけではないし(当然!)、どういうライン取りで、ルートが設計されているのか?

つまりルートの良しあし、おもしろさ、

というのが、まだてんで分からない。

フリーは、登れそうに見えないのを登らないといけないということになっているらしい・・・という感想だ。

というわけで、落ちるのかなぁ、落ちないのかなぁ、どうなのかなぁ・・・とよく分からないでリードしている。

■ ムーブ

さらに、ムーブについても、クライミング理論って言われるけれど、それが何なのか?

よく分かってやっているわけではない。

なので、理論どおりに登ったら登れるハズと言われても・・・

クライミング理論って、教わっていましたっけ~?な感じ。

なので、考えていると登れなくなり、考えていないと登れる(汗)

という困った状態にいる現在・・・というわけで、やっぱり今のところ、落ちれたとき止めてもらえることが確実な人と登る以外に、命の安全が保障されそうな選択肢が見当たらない。



理想と現実のはざま

■ 夫婦クライミングは夢の夢

連日お天気も悪く、一緒に岩に行く人もいないので、レスト中である・・・

・・・というので、平日パートナーの見舞いに夫と二人で出かけることにした。 

行ったら、クライマーが二人来ていた。やっぱり小川山も最悪に雨だったからなぁ。

ご夫婦でクライミングしている人たちをみると、率直に羨ましい

私のビレイをしてくれる、頼りになる夫はいない。去年はモウアラさんご夫婦が、はるばる関西から来てくれて、夫も湯河原のクライミングには参加した。

婦唱夫随で始めたそうで、だんな様は奥さまのビレイヤーとして、クライミングを始めたそうだった。

とても羨ましい関係・・・夫にも見習ってもらいたいなーと連れて行ったが、が、夫は、取り組む姿勢を全く見せず、岩場でスマホをいじっているだけだった(汗)。

ダメだ、こりゃ。

■ 挑戦がキライみたいなんだよなぁ

彼は、基本的に、なんでも、食わず嫌いである。

 何事も挑戦!

”取り組む前からあきらめないこと”を信条として、生きてきた私とは全く違う。

まぁ違うから夫婦としてバランスがとれているのだろうと達観することにしている。

でも、過去を振り返ると、私の方が彼に無理強いした結果、彼にとって、大きな心の自信につながった活動が多くある。

無理やりNO1は、オーストラリアで運転したこと。次はダイビング。手作りの海外旅行。

彼にとっては、一皮むける経験。

クライミングも、おそらくきちんと取り組めば、それなりに登れるようになると思うし、私がパートナーがいなくて困っているというのはあきらかなことなのだが・・・。夫は一向に協力してくれない。

クライミングどころか山にも行かない。(というか、行けない。体力がまた下がってしまっている・・・)

■ 離れ離れの夫婦

私の周りの年輩の夫婦は、反面教師が多い・・・夫婦がなぜ乖離するのか?

それは一緒に過ごす時間を持たないからだと思う。

同じことをする、分かち合う、と思考せず、それぞれ好きなことをしていたら、ただの同居人になってしまう。

そのような例は、特に日本人に顕著なようで、自立した妻を持っている人に多い。自立は素晴らしいが、だからと言って、互いの都合でエゴを張りあうと、一緒にいること自体が不成立になってしまう。

友達で、夫の転勤に附随して失職し、転勤先で再就職したら、もう一度夫の転勤が起きてしまい、同じ失職を繰り返すのを回避した結果、離婚に至った人がいる。というわけで、なぜか一度目の転勤先で彼女は第二の人生スタート。

だから、たぶん、大事なことは、それぞれやりたいことが多少違っても、相手に合わせてあげる、ということだと思うんだが・・・ 違うのだろうか?

それで今日は、パートナーの見舞いにも連れて行ったわけなんだが・・・。

私と夫の関係をもっともきちんと理解してくれているのは、イタリア人の友人アメリゴで、いつも、例え、夫が同じことをできなくても、夫を山に連れて行けと言う・・・確かにそうするべきだと思う。アメリゴは正しい。私のメンターの一人である。

■ お料理のこと

パートナーは、術後の回復期だし、いつも作ってもらっていて悪いなーと思い、料理くらいはしようかな~、とお料理を担当することに。

人の家の台所は勝手が分からない・・・塩が、塩化ナトリウムしかなくて、困った・・・。

学生時代は、「お料理研究家になるの?」と先輩に言われるくらい、毎日料理を作っていた。

私のお料理歴は長い。8歳から料理している。実家にいた頃は作らねばならないから作っていたが、独り立ちしてからは、自分の好きに出来て楽しかった。

学生時代は寮生活だった。7人暮らし。私が一番年下だったので、先輩たちには、随分かわいがってもらった。若い女性ばかりの7人暮らし。

たくさん作っても、「余ったので食べてください☆」と書いておけば、誰かが食べておいてくれる。

松和荘に住んでいた頃は、学生寮時代の友達で、お腹を空かせた男友達が良く何人かでつるんで、遊びに来てくれた。口実は、「銭湯行くのに石鹸忘れた、貸して」というもの・・・(笑)

見え透いているなーと思っていたが、まぁ互いに苦労者同士だったし(夜学の出身)、一緒にご飯を食べて、一緒に銭湯に行っていた。

私の家は、当時、よく人が集まる家だった。友達が別の友達を連れてきては、泊まっていく。まだ皆若かったから、自宅の人はたまり場に不自由していたし、寮の人は寮の規則がうるさかったからだ。

バンドマンしながら豊中の自動車工場で働いていた友人は、その後、自殺してしまった・・・。仕事にも未来にも希望の無い時代の星回りだった。

当時は、アメリカ人の恋人がいて、彼もドラムをたたいていたので、一度ライブをしたのだが、それがとても良い思い出。

私も蟹工船みたいな職場に長く努めたが、それでも、もっとも成功した例かもしれない。

当時は、まだ20代中ごろで、結婚したら、友達がたくさん訪ねてくるような家庭を築きたいと思っていた。

でも、実際は、夫が私の家に転がり込むと、皆の足が遠のいてしまった。

なかなか、夢の実現は難しいものである。


2016/08/26

ピラ22

■ ボルゼミ

今日は、いつも金曜のレッスンをアミさんが変わってくれたので、ボルゼミに行ってきた。

シールにない課題を設定されて、皆で登る。

なるほど、体格が大きいだけが、クライミングでお得なわけではないんだなーと分かる。

大きな人はキョンで狭そうにしてた。

しかし保持力は、やはり優位がありそうだった。

今日はなんだか当たりの日みたいで、友達もできたし、めでたし。

一方、沢の予定は、二つとも怪しい・・・去年はたくさん行けたのに、今年は沢がない・・・

まぁ自分で歩きに行けばいいんだけど・・・少しはあるいておかないと、冬用の体力作りを始めるシーズン開始かな。

ここのところ、少し涼しくなり、まったく体調が違う。6,7月は、だいぶ消耗してしまっていたんだなぁと感じる。

今日は腱鞘炎もあるし、クライマー肘も心配なので、ボルゼミ前にアップでいくつか登った以外は、あまり執着せずに帰ってきた。


What turns you on?

■ ラリーキングライブ

アメリカで有名なトークショーがある。ラリーキング、ライブスペシャル。アメリカ版徹子の部屋と言ったらよいだろうか?

そのトークショーで、かならずゲストにする質問がある。

What turns you on?あなたをその気にさせるのは何ですか?いうことだ。(文脈に気を付けないと、エッチな気にさせるの意になる)。

Turn on の反対は、Turn off。 あなたをゲンナリさせるものは何ですか?

■ What Makes me turn on?

人生で大事なことは、何が自分に火をつけるのか知ることだ。

私の場合は、知的探究。 

クライミングも、登れるようになりたいのではなく、登れた結果、知ることができるだろう、その心境を知りたい。

最初の頃は、山自体をあまり知らなかったので、地理的な探究心が大きかった。北アってどんなところかな?とかそういうこと。

でも、行ってみたら、人で大混雑でゲンナリのお祭り騒ぎの場所だと分かって興味が一気になくなった。山小屋泊まりの山には、もう全然興味が湧かない・・・。

ベテラン、ルグリのドキュメントを見ても、まだダンサーの卵のドキュメントを見ても、心を打たれる。
だから心打たれるのは、生き方であって、”成功”にあるのではない。

そのような生き方が素晴らしい!と感じる。子供のころは修道院に憧れており、中学の頃は海に生きる航海士の生き方に憧れた。ヨガのグールーの生き方にも素晴らしさを感じるし、料理家もそうだ。

一つのことに自分をささげ、突き詰める生き方、ひたむきさが好きだ。実際バレエを習っていたときはそうしていたような気がする。価値基準がひとつの指針に収れんされるのが好きなのだ。

海の生活は、海が掟だから好きで、山が好きなのは山が掟だから。基準が明確。人を基準にしてはいない。

良い意味でのアマチュアリズム。現代は、職業バレエダンサーではなくても、それができるラッキーな時代だ。趣味だから才能の有無は関係ない。

それが素晴らしい点なのに、それでも職業ダンサーの階級制と同じ思考で考えて、報われないと言って、つぶれてしまう人が多いのは残念なことだ。

仮に報われてしまったら、職業ダンサーにならないといけなくなってしまう・・・報われないからこそ続けることができるのだ。

それは子供からやった人を見れば分かる。みな三羽の白鳥まで行って終わり、二度とバレエをしない。三羽の白鳥が踊れて5年でバレエを辞めるのと、踊れなくて、20年ずっとバレエしているのとどっちがいいだろうか?

同じことがアルパインに言える。バンバンやっていた人は引退が早い。

というわけで、ここしばらく、私の人生は山一色で、幸せだった。

今はフリークライミングを基準に生活を組み立てようとしており、それはそれで、幸せ。

個性。個性的な人が好きだ。変わった人のほうが興味がわく。芸術家連中はみんな好き。これは母が芸術家で、東京女子美卒の人だったから。

クリエイティビティ。創造性と想像性。そのために必要になる基礎力は地道だ。


■ What makes me turn off?

逆に、萎えてしまうのもある。

自己顕示欲。ミーハーリズム。ナルシシズム。競争。名誉への渇望。嫉妬と羨望。結果至上主義。悪いアマチュアリズム。過保護。偏狭。群れ意識。損得勘定。階級主義。

クライミングしていて、後ろから、カッコいい~と言われると萎える。カッコよさのためにクライミングしているわけでないからだ。

バレエの時も、キレイですよ~と言われると、なんだかうまく行かなくなっていた(^^;) 私の場合、他人の目を意識させられるような言葉を掛けられると、途端に下手くそ化するのだった(笑)。

つまり、そもそも、みんなに見られているから頑張る、という報酬体系にないわけなんだな。

”誰もいなくてもやること”が、その人が本来好きなことで、やるべきことだ。

クライミングで後ろから、ごちゃごちゃ言われても萎える。瞑想中なんで、黙っていてください、な感じ。

誰もいない山が好き。山とだけ向き合っていたいから。大勢でわいわいってのは大の苦手だ。だから、おばちゃんといく山はうるさくて嫌い。

でも、バレエのコールドで踊って揃うと気持ちがいいなと思うんだけど・・・ バレエを習っていた女性はみんな、男っぽい性格の人が多く、付き合いが楽だった。

登山の女性は湿っぽい性格の人が多く、イチイチ面倒を見てやらないといけないので疲れる。

クライミングも同様で、曖昧な言い方だが、女っぽい性格の人とは疲れる。そして、なぜか女っぽい性格の人はクライマー内にもいる。嫉妬心の多い人、人のモノを取りたがる人、楽しそうにしていると混ぜてもらいたがる人、つまり他人の芝は青いってタイプってことだ。

■ 考えられる欠点

物事には何でも、二面性がある。

というわけで、求めるものを得ても、副作用と言うようなことはある。

副作用として考えられること

・飽き 
・早とちり

飽きと早とちりは、どちらも頭の良い人に見られる欠点だと言うことを、非常に頭脳明晰な師匠から学んだ。すぐ理解するから、すぐ飽きるし、その”すぐ”には誤解がかなり含まれるのだ。

・偏り

一つのことしかしないと言うことは、偏るということだ。バレエはバレエダンサーの形を作る。水泳をしていれば水泳選手の体格になる。つまり、言い換えれば、奇形を作っている。

なので、偏りを取り除くための カウンターバランス的な活動 が必要になる。

・一歩進んだ理解

偏りについては、肉体的な方よりだけでなく、考え方も偏る。職人も同様だし、サラリーマンも同様で、物事の味方も偏ってくる。男性か女性かという事でも同じで、男性は女性の視点に立つことができないし、女性は男性の支点に立つことができない。

ので、包括的な理解、鳥瞰図的な理解、相互理解、など、より一歩進んだ理解が必要だ。

・寛容と謙虚さ

そのためには、小さな相違点にとらわれない寛容の精神が必要だ。なにしろ、相違と感じられたことは、誤解に基づく可能性もあるのだから。そう思うことは謙虚さの表れでもある。

・ヒューマニティ

相手の立場に立つ、気の毒に思う、そういう心が必要だ。ヒューマニティは子供にはない。子供は自分のことしか考えられないから、とても残酷。

というわけで、ヒューマニティ(慈悲の心)は、精神的成熟に基づく。

・純粋さ

一方子供から学ぶべきは純粋さだ。単純であることは美徳だ。

頭が良いと言うことは思考が深いということであり、思考が深まれば、複雑にもなりうる。

思考と感情が切り離されることも起こる。そういう場合は、羅針盤とすべきは、純粋さをもとめることだ。

基本に立ち返る、という言葉で表現されることが多い。

■ 外発的モチベーションは本来の姿を現さない

人間が持つモチベーションには、内発的なものと外発的なものがある。

大人はモノで子供をつるので、「100点取ったらおもちゃを買ってあげる」式に教育された人は、なにか得がないと動かない人間になる。

山でいうと、いま行っておくほうが得、というようなケース。せっかく来たのだからも入るかもしれない。

そうではなく、内発的なモチベーションで行うことが、その人がやるべき真の活動だ。

思うに、内発的モチベーションを山に感じている人が山ヤであって、それは会えばすぐ分かるようなことなんでは?

今までこの人は・・・と思ってくれた山ヤの先輩は常にこの点でつながっていると思う。













2016/08/25

ピラ21

■ 毎日1時間作戦

今日もピラへ。暑い日だ。途中夕立があり、買い物帰りには、すごく大きな虹の柱が見えた。なかなか消えない虹だった。

短い時間で、同じことをする、という作戦の初日。毎日1時間、同じことをする。というつもりで出かけたが、いまいち何をしたらいいんだかなーな感じだった。

今日も15本くらい登ったが、あまり痛みは出なかったので、アイシングしてお終い。2時間弱

6級 スターウォーズ ムーブ不明
6級 愛の16号    ムーブ不明 どうもヒールフックとマントリング?

7級 初めてなんです 易
7級 寄せてあげて 普通
6級 ムービング芋 易
8級 ビビリブラート 易
7級 鮭タバコ UP課題 易
6級 飲む信玄餅 UP課題 易 ルーフ
トラバース
7級 凸角のお手本 易
6級 人間失格 易
7級 しゃけバター 易
6級 ロールケーキ星団 前回できていない→3便 150度
9級 贅沢に仕上げた逸品 フラッギングムーブ練習
7級 モノタロウ 易 クールダウン

ストレッチ

大体、何回かやっていると簡単になっていくので、今回は、150度傾斜の壁の6級ロールケーキ星団ができたのが、良かったかな。

6級 ムービング芋 もカンタン化していた。

以前はアップ課題は、9級の課題にしていたが、今はアップは6級のルーフでいいような気がする。

 調子が悪い=足の位置が低くなる 

ということに私の中ではなっているようだ。

 毎回同じことする=調子の差が分かる。 

私は毎朝太陽礼拝をしているので、今日の調子が分かる。同じことをしなかったら分からないのではないだろうか?

■ 上腕三頭筋の硬縮

故障がある。左手薬指の腱鞘炎とクライマー肘。

肘は、内側が痛いので、調べていたら、どうも上腕三頭筋の硬縮が原因のようだ。

なんだか、思い当たる節があるぞ。

ということで、必要なストレッチは、

・上腕三頭筋のストレッチ
・リバースプッシュアップ

■ 関連の読書

スポーツ障害については、ちょっと勉強したいと思い勉強中。


http://hide-yamamoto.com/pare-stretch.html




強みを生かす

■ リスクフリーは退屈人生

20代のころから、ちょっと思っているのは、人生が退屈なのは、リスクがないから、ではないか?ということだ。

これはアメリカに行っても、そう思った。海外へ単独で出かけて、ゼロから生活を作ったことがある。

住むところを探し、銀行口座を開き、電話を買い、免許を取り、仕事を探す。全部、自分でするのだが、日本でするのとは大違い。

何もかもが難しい・・・。だが、日本でのんびり暮らすにはない、生きている実感、というものがあった。

自分の人生を作り上げている実感と言うもの。

なぜ、アメリカでは、”生きている実感”があり、日本では”ない”のか? 

それは、リスクフリーだからである。要するに、日本は過保護すぎ、安全過ぎ、守られすぎていて、その上、さらに保身を身上とする生き方を当然のものと受け入れて、皆が生きている。

選択肢があれば必ず安全な方。であれば、これはまったく選択肢として成立していないのと同じだ。

その結果、退屈が蔓延している。

・・・ということに、9割の人が陥っている。毎日同じことをして、毎日平凡、使命感もなく、何のために生きているのだろうか?と自分の人生にため息をつく。

■ 登山 = 人生の縮図

私が登山を気に入ったのは、登山にはリスクがあるから、である。

リスクを取る、それが、そのまま、私の人生の縮図であったので、あんまり登山が難しいことはなかった。

リスクに対しては、避けるのではなく、それを具体的に知ろうとする、これがコツだ。

一般登山には、ごく正常で常識的な知性が備わっている人、体力が平均の人には、リスクはほぼない。

休憩したら反対に歩き出してしまうような、平和ボケ&天然の人もいるが、そういう人は、生き方が山に現れていて、人の後ろを金魚の糞のようについて歩く山をしている。

一人で歩けない。一人で歩く意思もないから、地図も持たない。そもそも精神的に自立が出来ていないので、一人前の大人であっても、メールの一つも打てない。挨拶一つきちんとできず、社会的にも個として確立していない。

このような人たちとは、一緒にいる方が山ではリスクで、あれがないとこれができない、とうるさいので、思わぬレスキューをしてやらなくてはならなくなるかもしれない・・・。

ガイド業をやる人は、よくやるよなと思う。子供をベビーシッターするのは楽しいが、大人をベビーシッターしなくてはならないなんて。

私はそんな選択肢取らないなって感じだ。

■ ヨセミテ

登山が気に入ったのは、自己責任で人生を歩んできた考え方をそのまま生かせるからだ。

私の子供としての経済的自立は早く18歳だ。これは母への愛情の証である。大学進学以降、1円も、母には出してもらっていない。

これは、私から母へ、あるいは後へ続く弟、妹への、姉としての愛情の表現であり、子育ての経済的負担に苦しむ母と、私同様に経済的には恵まれない立場である弟と妹への、平たく言えば、”口べらし”のための自立だ。

やってみたら、意外に簡単だった。もちろん、時間が大変だ、というのはあったが、それは他の人と同じだった。力が余ったので、ついでにアメリカくんだりまで行ってしまった。

その頃、私はヨセミテに誘ってもらったのだが、どうせベビーシッターさせられるのかなぁ・・・と思ったので、行かなかった。

その後、もう一度ヨセミテの誘いが来て、それは、碧眼のボーイフレンドのデイビッドと行くヨセミテだったが、仕事の都合がつかず、行けず終い。当時、84歳のメイおばあちゃんのお世話をしていた。無理しても行けばよかった。

それで、ヨセミテを断ったことを残念だと思っている自分に気が付き、後年、夫と結婚してから、再度、ヨセミテにでかけた。積み残し課題の消化だ(笑)。

とても楽しいヨセミテだった。

■ ウェリントン

その後、仕事で、1か月間ウェリントンに出かけた。総勢20人のエンジニアを連れて行く、副キャプテンのような立場で行ったのだが、リーダーが全く使い物にならない男性だったので、ほぼ私が指揮をとらないと行けなかった。

その証拠に、この仕事では客先のテレコムニュージーからヘッドハンティングが来た。私が私室へ招かれ、ヘッドハンティングされている姿を見て、無能のリーダーは、会社に私が秘密保持契約を守っていないと告げ口した。昼間っからビールを飲んで仕事をしていなかったのは、彼のほうだった。

まぁ、この件は不愉快な事件だったが、客先で仕事をしていると、誰の目にも誰がボスか、一目瞭然らしく、下っ端―ずのエンジニアの人たちは、私に仕事をもらいに来て、報告も私にしていたし、あとで感謝状みたいな言葉ももらったので、完全無視。

その男性の嫉妬もいたしかたないなと思った。何しろ、態度と図体が大きいだけで、必要な能力は何も身につけていない人がリーダーに祭り上げられているだけだった。英語も話せず、仕事も理解していない。職場経験の長さだけが買われていた。山岳会と似ている。

能力がないにも関わらず、責任だけがあって気の毒だと思った。が、多分、私がその次に備え付けられていた理由だ。上もそのようなことは見て取れるものである。私が見て取れたのだから。

まぁ、会社は帰国してすぐに買収されて解体されてしまったので、問題そのものも消失した。

何が言いたかったかというと、ウェリントンでは、インターコンチネンタルに1ヶ月泊まり、朝は波止場に散策に出かけ、そこで長ーいクライミングウォールを毎日見た、ということだ。

朝から運動している人は、開発チームでは私一人だった。

クライミングウォールを知らなかったので、何だろう?と眺めていると、そこのお兄さんが一度、「登ってみる?」と私に声を掛けてきた。

私はびっくりして、「No Way!」 と返事をしてしまった… 

ウェリントンでは、店は17時に締り、スーパーは19時に締ってしまう。飲食店も20時くらいで締るし、仕事するだけの退屈な日々だったので、クライミングでも試してみたら良かった、と、今になって思う。

あのクライミングウォールの印象が残って、今リード壁しているような気がする。

この時は、ミルフォードトラックについても学んだ。バックパッカーが多い国柄なので、会社に飼われてる羊の身だったから、バックパッカーがとにかく輝いて見えたのかもしれない。

ウェリントンは30年前のイギリスのような感じらしかった。韓国好きの日本人が、韓国に魅かれるのと同じような感じなのかもしれない。

余談だが、オーストラリア、ニュージーランドは、ヨーロッパ、英国圏の人にとって、Iターン先になっている。東京から長野に移り住むように、スローライフを目指しています、みたいな人が多い。

■ サンフランシスコ

他にも外国は色々行ったが、主に仕事で、だ。数えてみたら10か国ほど。

外国には、以前は行きたいなと思っていたが、今ではあんまり外国に行きたい気持ちにはならない。

サンフランシスコは、私の心の町で住みたい。住むのでなければ、あまり興味がない。

ただ住むだけで良ければ、飛行機券を買って、一泊のホテルだけ予約して行けば、明後日にも生活が開始できるのを知っているが、そのような形で生活をスタートしても仕方ないと思っている。

住めればいいってわけでもないからだ。中身が重要だ。

日本のような、何もかもお膳立てがされて、ぬくぬくと生きて行ける環境で、自分らしく生きる、ということができない人が、外国で出来るわけがない。

私がソフトウェアエンジニア職を目指したのは、数年日本で仕事をしたら、またサンフランシスコに戻ろうと思っていたからだ。

当時、婚約していた人がいたので。ただ彼は待つことができず、日本に来てしまった。豊津。大阪の下町だったが、下町は人情味があふれる街なのに、日本社会に適応できず、困った結果になってしまった。結婚の予定も狂った。ので、私のサンフランシスコ行きは実現していない。

が、そもそも実現しなくて良いから与えられないのかもしれない。

今与えられているのは、クライミングとヨガで、それを頑張るべしなのだろう。

前もこのようなことはあり、何かを頑張っていたら自然と運が開けるものである。

■ 女性の強み

小さいころ、弟と一緒に並んでいることが多かったので、よく男の子と間違われた。

さらに、小中高と、先生たちには「お前が男だったらなぁ・・・」とよく言われたものだった。母もそう思っているらしかった。祖母もそうで、常に女の子であることを残念がられたように思う。

でも仕方ないじゃんね。生まれ持った性は、変えることができないし、変えることができないものを嘆いても、無駄だ。

子供のころは、大人の嘆きを理不尽に思うだけだったが、社会人になって、世の男性たちの実像を見るにつけ、私自身も、かつての周囲の大人がそういう感想を持ってしまうのを理解するようになった。

例えば、私はロボット開発部が最初の職場で、ロボットを操作するには1週間の講習を受けないと触ることさえできないのだが、1週間の内容を3日で終って、講師には、「今まで1000人くらいに教えたが、1番か2番くらいに覚えが早いから自信を持って取り組むように」と言われた。そんなに難しい講習ではなく、これまでの講習生はどんな人たちだったんだろう・・・と思った。

大学の頃は、一昔前のフェミニズム的な成功した女性像を私に求める人も多く、辟易させられたのだが、あんまり、そうなりたいとも思えない。あんまり楽しそうな生き方に見えない。闘争的な生き方だ。

とはいえ、私もそういう生き方をした時期があった。男性並みに有能であることを証明しないといけない、と感じさせられる職場もあり、市場調査の職にある時は、周囲に脅威を感じていた。まわりはみなすごい学歴で、イギリスの大学院帰りとか、コロンビアユニ卒とか、で萎縮した。

でも、女性には女性しかできない役割があるだろうに、なんで男性と張り合わないといけないのだ?と思う。

ので、強みを生かした道は模索中。山ではロングな山歩き。クライミングではイマイチ分からない。

■ 5.11

クライミングのグレードについても、頑張れと発破かけられると、「ああ、めんどくさいな~」とそういう気持ちになる。

クライミングは、強い男性は強いので、同じように強い女性がいても、役割分担にならないじゃないか。役割の取り合いになってしまうだけだ。

ある一点のグレードへの到達で見ると、男性が到達するのに必要な努力と女性に必要になる努力では、倍以上の開きがあり、そのような負け戦をしたいとは思えないのだ。

それは強みを生かす道ではない。

それにそもそも、時間的に短時間で、到達してしまうこと自体が、味わいにかけ、面白みに欠ける。

ただ5.11というのは、男性・女性関係なく、山ヤの最低限ラインな気がする(その辺はベテランが知っている基準だと思うが・・・)ので、そこまではいかないといけないな、とは思っている。

5.11へ到達するのに、男性なら指の強さや腕力の強さを生かすだろうし、私はそれらは生かせないから、ムーブの巧緻性を利用する以外ない。

でも、この先20年も山をやるのだから、急いで達成してしまうと、やる山が自体が無くなってしまうかもしれない・・・。と危惧している。

■ 強みを生かす

山でも山でなくても、担いだり、危険個所を突破したりは、男性の仕事で、女性である私の強みを生かした仕事とは思えない。

だからと言って、私の分まで担いでもらおうとか、自分が突破できないところを突破してもらおうとかは思わないが、どっちがやった方が効率的か?とみると、要救助者が出たら、私が背負うより、男性が背負い、私が先導した方が効率が良いのは目に見えている。

クライミングのパートナーシップにおいて、女性の私はどんな役割を担うの?と言われると、強みを生かした役割は何か?と頭を抱えてしまう・・・が、以前の上司は、私とだと男性の部下とよりも、仕事が大変やりやすいと言ったものだ。

同行者のリクルートには、女性のほうが向いているような気がする。これまであまり同行者が切れたことがない。男性同士だとつい競争してしまうが、女性はそうした緊張の場を和ませる効果がある。

とは言っても、私固有の強みではなく、女性なら誰でも、というような話だが。

女性がパーティに混じると、雪崩遭難にあう危険が増すと言われている。つい良い恰好を見せたくなる男性心理がその理由。

というわけで、鎧兜を脱げる間柄、であることが、男性女性が組んだときには必要なことなのだろう。










2016/08/24

ピラ20

■ 子供達

今日は、腱鞘炎もあるので、一時間くらいのつもりで行ったら、3時間近くもいてしまった。

かわいい4歳の女の子が、小学校二年生のお兄ちゃんとパパに連れられてきていた。私はとりあえず、子供には受けがいい。

20歳のころ、ベビーシッターしていたのは、マシュー6歳とダニエル11歳。二人とも大きくなっただろうなぁ。20年足すと、26歳と31歳・・・ああ、月日が経つのは恐ろしい・・・。

6歳が26歳になる伸び率と、21歳が41歳になる伸び率はだいぶ違うだろう・・・が、やっぱり私の20年での成長も、かなりすごいと思う。全く別人と言って良いくらい違う人になっている。

過去、7年を考えても、違う人だと言える・・・。山梨に来た頃は、まったく登山も知らず、クライミングは登山をしなければ、一生することがなかっただろうと思う。

■ 今日のまとめ

今日は、勘をにぶらせないために、1時間程度で帰ってくる予定にしていたのだが、結局、漫然と色々な課題を触った日になった。子供がいたから、ちょっと楽しかったというのが理由。

全部、書き留めたわけではないが・・・

黄青 自分探し 最後の1手のみちょっとクラムジー

黄青 人間合格 一撃

黄青 愛の16号 意味不明

黄青 ミス信玄 よく分からない

黄青 ムービング芋・・・ 1手目だけ最初苦戦したが、カラダの向きを変えたら楽勝化

黄青 ミス漬物石 一撃

黄色 私のマイナンバー・・・一撃

黄色 エリカ様  意味ワカラナイ 後回し

黄色 ひとりバックドロップ 一撃

黄色 初めてなんです

ピンク黄色 自分に易しく 易

黄色 チョーミフー 易

黄色 アレで行こう 易

トラバース、アップ課題、フラッギング練習、1手飛ばし練習 

これくらいしても、あまり疲れていないので、疲れるのは、やっぱり精神的課題と言うか、リードの時は、

 技術に裏打ちされた自信

が不足しているのだろうと思う。

今取り組んでいる黄色青課題では、かぶっている課題の方が、足が自由で易しく、かぶりが深いだけであり、垂壁の方が難しい。

垂壁の方が苦手になってしまった・・・。7級はゆとりがあり、6級は半分くらいはできる。6級の垂壁のほうが難しい。

そういえば、今日は、佐藤さんも来ていた。先日はミキヤツさんにも会ったし、クライミングの世界はどうも狭そう。

幸せが先で、結果が後

■ 幸せが先

クライミングをする人は、クライミングが楽しいから、クライミングをする。バレエをする人もバレエをするのが楽しいからバレエをする。

楽しい=幸せ

「なぜ幸せになりたいのですか?」

この質問にはもう答えはない。誰だって幸せになりたい。 

幸せになるための方法や手段として、クライミングや山がある。

つまり、本当の夢や目標は、〇〇山、例えば、エベレストではない。山は

「(自分が)幸せになるためには、この方法がいいんじゃないかな」

と思っている一つの手段にすぎない。

■ 楽しい人と楽しく登る

私たち・・・クライマーが、本当に欲しいものは、何だろうか?

高い登攀能力や優れたパートナーではなく、実は‘一緒にクライミングしていて楽しい!って感情’だ。

ただ、”感情”を手に入れるための手段・・・山行、あるいは、そのためのパートナー確保・・・を最終目標(幸福)だと勘違いしないことがすごく大事なのです。

クライマーだから普通にしていれば楽しいはずの山を楽しくなくする元凶は

 ・勝ち負け偏重 
 ・取引的な考え方

だ。

■ よくある間違い

たとえば、「結婚したら幸せになれる」と思って多くの人が結婚する。

ところが、結婚している人の何%が今でも幸せを感じ続けているだろうか?

そう思うと、結婚は幸福の条件ではない。

つまり、結婚する(した)ことで、その後ずーっと幸せでなければ、幸せという目標達成したとは言えない。

同じことが山にも言える。

■ 自分で自分を満たし、その後に満たされる

すごい山歴なのに、それで、まだ満足していない。自尊感情が満たされていない。

だから、嫉妬します。幸福な人に対して、嫉妬が辞められない。

有名ガイドを悪く言うとか。

ですが、嫉妬の元凶は、自分が満たされていないからなので、どうしようもない。

どれだけ山に行っても満たされない。

多くの人は手段を達成することに多大な時間やパワーを使います。

一般的には、金銭、名声、、女性なら結婚、山なら、すごいルートや、海外遠征のような人にすごい奴だと印象付けるためのもの・・・そういう何かを手に入れても、手に入るのは一瞬の幸福で、持続的な幸福感を手に入れることはできないです。

幸福は、他人が自分をどう思うかにはなく、自分が自分をどう思うか?にあるからです。

■ 永遠に足りない

今、「これが足りないから幸せではない」と考えている人は、どんなに恵まれた環境になっても、今と同じように足りないものを探し出して幸せを遠ざけます。

どんなに素晴らしい山に行っても。どんなに素晴らしいパートナーを得ても。

他の人から見たら苦境であっても、幸せを見つけ出して幸せになれる人もいます。必ずしも潤沢と言えない資金の中で進学した時、多くの人が助けの手を差し伸べてくれました。

今私に助けの手が差し伸べられているのも同じ理由からです。

人は与えられて当然と思っている人ではなく、困っている人を助けたいと思うもの。

ないことではなく、あることに集中しましょう。

内面を磨くということは、持てるものに満足を感じられる自分自身になることです。

いいことがあったから一瞬幸せになる、というだけの感情の応報反応ではなく、

周りの出来事に関係なく自分自身で幸せになる。

いわば、意図的に幸せを見出せるということ。ありがたいと言う気持ちが土台です。

■ ありがたいを連続していたら、

幸せを作り出していたら、勝手に夢や目標を実現してしまった・・・

というのが私の過去のパターンでした。

楽しくて本を読んでいた → オールAになってしまった
海外に憧れていて、英語を勉強していた → カリフォルニアから仕事のオファーがきた
海外で楽しく暮らして帰ってきた → TOEIC925点。
元々パソコンが好きで中学の頃プログラミング自習&エナメル線クラブ → 開発者
英語&開発&マネジメント → 海外出張
仕事が楽しい → ビジネススクール
ビジネススクール → 商社の仕事
バレエを楽しく続けていた → ヨガイントラ
商社の仕事 → 自由快適&登山快適

いつも、なんだか、わくわくしていただけのことで、”わらしべ長者”。

山も同じで、素晴らしい師匠を得てしまいましたが・・・勝手に素晴らしい相手が向こうからやってくるってのが私の印象です。

まぁ、危なっかしいから心配、ということもあるかもしれませんが・・・(笑)。

いつも素晴らしいパートナーが得れて、私はホントに幸せ者だなぁ~と思っているからかもしれません。


ウォームアップ

■ ウォームアップ

大体やっていることは同じだった。

この人がやっているダイナミックストレッチはもっと質を上げることができるが、そうなっていない。

トラバースは毎回やっている。ジプス練習はしていなかったので入れようと思った。

まぁ、ウォームアップよりも、パワーアップしたいところだなぁ。クライミングで、山みたいにヘトヘトになるまで、オールアウトするまで登ったことってあったっけな?小川山のクラックだけかな。

パワーとテクニックは相反する

■ クライミング原則 

で、クライミングの原則だが・・・ま、誰でも知っている知識だと思うが・・・

 パワーとテクニックは相反するということ

だ。

 1) テクニックを使わずに登ればパワーがつく

 2) テクニックがあれば、パワーが要らない

カンタンに言うと、手だけで登れば、パワーがつく。キャンパシングを考えれば分かるだろう。男性クライマーの懸垂回数と同じ。

一方、登れるクライマーは最小限の力しか使わない。だから、筋肉ムキムキにはならない。

私が知っているクライマーでも強い人で筋肉ムキムキタイプはいない。

■ スタミナ

しかるに、スタミナがないのは、パワーがないのではなく、無駄な力を使っているという意味。

課題は脱力であって、パワーアップではない。脱力するには、ムーブの洗練が必要。

 1)腕を伸ばす

 2)足はできる限り切らない

 3)完全に脱力クライミングをマスターするまで易しい課題を登り続ける

ムーブの解決が不要で楽に登れる壁にできるだけ長居するのが正しく、できない課題をできるようになる(突破力をつける)はいらない。

■ パワーを付けたい時

 1)足を切って登る

 2)ダイアゴナルを使わないで登る (つまり正対&デッドになる)

 3)マッチ禁止


2016/08/23

ピラ19

■ ゲリラ豪雨

今日もピラニアへ。

今日はすごい土砂降りで、家を出るタイミングが見いだせない(汗)。

昨日は台風と言うから、用心していたのに、なんともなかったが、今日は台風というか、ゲリラ豪雨というような日だった。

今日は、気温が下がったためか、体力回復して、クライミングに行ったくらいでは体力が余って仕方なく、もっとどこかで体力を燃焼しないとマズイっ!!って感じだ。

余った力は使わないと、体力ダウンになってしまうことは、体験上、知っている。明日はどこかを歩いて来よう。

■ 教えると勉強になる

今日は、火曜日の友となった、E藤さん、いるかなーと思ったら、いた。

それでカンタンピンク課題を。 

しかし、私の方が勉強になる。ピンク課題はまったくムーブゼロで登れる。

が、ダイアゴナルを覚えてもらう。

けど正対でも登れるから、彼女が正対で登った時は、正対のムーブのアドバイスをしている。

正対の場合、二等辺三角形が作れていないのが彼女の課題。足を開いて置かないといけないのに、かならず足を閉じて、近すぎる場所に置いてしまう。

ダイアゴナルは、彼女はまったく習得していないので、全然できないのだが、それを教えていると、私の方が逆に勉強になって、教えるために、えっと私、どこに足を置いたんだっけ?と考える・・・

・・・とすごく勉強になる。実は分かっていたんだなぁ・・・ムーブ。分かっていても、できないってやつ?

正対も、ダイアゴナルも分かっていて、使い分けも分かっていて、最適な足の位置も分かっていて、それで、なんで登れないんだっ?!

・・・パワーですかねぇ・・・な感じ?

今日は、そういうわけでテキトーに流して、クライミングムーブが悪くないのだけを確認した。

≪今日の成果≫

・教える方が勉強になる

・スローパーからのデッドは、も一回したら楽勝になっていた

・でも絶対に届かなさそうなデッド一つ

・スタミナは別の運動でやらないとつかないかも 

・クライミングのスタミナトレーニングとは別にトレーニングしないと体力が余る

■ 腱鞘炎&上腕骨内側上顆炎

で、左手の薬指は腱鞘炎である。そして、肘の痛みは、上腕骨内側上顆炎だ。両方ともアイシングで良くなる。

でもって、全然、私には、体力的にクライミングでくたびれたとか、前腕のパンプで登れないとか、なく、単純に、筋組織が弱いのであった・・・

腕が壊れるのが、先になってしまう・・・

これは、”やっぱり感”があり、そうなるであろうと思ったシナリオである・・・なんだか、やる前から分かっていたような気がする。

ので、結局、もともと上半身(肩・腕・背中)が弱点だというハナシ。

それは前から分かっていて、筋肉量の分布で、上体は常に平均点以下だったんだよな~。

腕力を付けたいから、疲れるまで頑張る、という作戦は、やっぱり無しであることが、これで確定した。

筋力をつけるには限界まで行かないといけないと言われるが、その作戦はやはり私にはない。

私にあるのは、毎日1時間のほうである。

体力の50%程度の負荷を毎日。そういうスタイルでないと、

 ・もともと筋力がない
 ・正しいフォーム自体を習得中

という人には、習得前に体が壊れるのである。

なにしろ、疲れない体の使い方自体が、分かっていないのであるから。

丁寧に正しいフォームで疲れないように登る、そういう風にしないと。

なにしろ、”無駄な力を使っている”というのが登れない理由なのだから。

■ バレエ

このところ、クライミングをすればするほど、またバレエをしたくなる。自分が良く知っている、身体感覚、身体知というものから、類推を引き出そうとしているらしい・・・

でも、クライミングムーブとバレエってホント関係ないなって感じ。

バレエで使う反力は、床を押す力だ。 床を押して、ピルエットで回る。床を押して、ジャンプする。

何もかも、床を押すことで始まる。

これは、登山では斜面で大地を踏みしめることと同じで、だから、私には登山でキックステップするなどは、かなり簡単だった。

クライミングではスラブも、押す系で、鉛直のラインを押す、ということは理解しやすい。

鉛直がそもそも存在しないような壁をスメアのフリクションで登るのは、まったく意味不明・・・(汗)

■ ナンバ

最近、クライミングはナンバだと理解しつつある。

ナンバとは、ナンバ歩きのナンバである。右手右足。同じ側を使う。




その活動がプラスかマイナスか見極める

■ なぜバレエを辞めたのか?

バレエは19歳で始めた。大学の新生活も落ち着いた頃、自分らしく生きるために始めた趣味だ。

私がバレエに傾けたエネルギーは大きい。就職して、4、5年のブランク、2~3年のブランクがあっても、なんだかんだと、都合をつけて再回し、山梨に来るまで20年続けた。

カリフォルニアに2年住んだことがあるが、そこでもバレエのレッスンを日常的に受け、先生はアメリカ人だった。

他に、パリとメルボルン、カンザスでレッスン経験がある。海外出張に行ったら、バレエのレッスンか、バレエ公演、あるいはバレエ用品店がないかな~、と探すからだ。

その大事なバレエを山梨に来て辞めた。大きな転換点だ。

その理由は・・・ 先生が体を壊すレッスンを強要するから。

山梨は子供中心の社会なので、”大人が趣味で行うバレエ”については、後進県である。大人の趣味のクラスはあるが、力は入れられていない。あくまで、子供の才能発掘が活動の中心だ。ただ経営上の理由で子供のレッスンが行えない時間帯に、子供のレッスン収入だけでは不足する収入を補うために大人向けクラスが行われている。

そういうクラスでも、自分一人でバーレッスンするよりはマシなので、「ま、現状維持でいっか~」と当初、思っていた。

・・・が、子供の育成と同じメソッドを大人に適用しようとするレッスンは、体が壊れるのが先だと気が付いた。

それまで、都会暮らしが長く、そして、都会では競争が激しく、一流の先生しかバレエ教師として生き残れない・・・ので、ハッキリ言って一流からしか指導を受けていない。

・・・なので、子供のついでという意識レベルの指導では、大人は体が壊れる、と分かってしまったのだった。

実は、私自身も初期のころ、小学生と一緒にレッスンしていた(^^;)。20代は、まだ体が子供の側に近く、私は若かったし、初心者なので、無理なレッスンの無理さもよく分からず、吸収が早く、2~3年で、あっという間に上達した。

その後、一旦就職でブランクが空き、20代後半で再スタート。大人として、オープンクラスでレッスンした。

だから、かろうじて、だが、子供から始めること、大人から始めること、の両方が分かるのである。

話を戻そう・・・なんで、バレエを辞めたか?

体を壊すこと確実な指導にお金を払うことはできないからだ。

体を壊してしまっては、現状維持にさえもならない・・・。

しかも、お金を払ってまで、自分のカラダにマイナスなことをすることはできない。

趣味は、人生をより豊かにするためにあるからだ。

幸いなことに、カラダの維持はヨガで教えるほうに回ってやっている。しかも、この分野はとても幸せになれる。

■ 教えて気が付くこと

ヨガもバレエと同じで、先生の側からみると、”なんでこんなこともできないのっ!!”というようなことが生徒さんはできない。

例えば、”骨盤を立てる”こと。

骨盤を立てるなんて、あまりにも初歩過ぎて、教えようがない。立てるのは立てるのだ。

それ以上説明しようがない。というのが、多くの先生のホンネだろう・・・

でも、大人の生徒さんの約7割は骨盤を立てて、座ることがそもそもできない。

私自身も、どうやってできるようになったのか?自分でも説明しようにも説明ができない。

でも、基礎なので、できるようになってもらわないと、ヨガをしても体を整える活動でさえなく、逆にカラダに悪い活動になってしまう・・・。

ので、自分の体を実験台にして、どうやったら骨盤を立ててもらえるか、思考錯誤する。

それが先生業だと思っている。

しかも、かなり報いがある先生業で、5年同じことをやっていると、初心者で来た生徒さんでも、かなりの人が、骨盤を立てて、スカーサナできるようになっている。

これには本当に感動している。継続は力なり、は本当なのだ。

一方一向にできない人もいる。その人たちは、本人の努力がないのかというと、違うと想定すべきなので、私のチャレンジ課題になっている。

■ 山

山岳会も、山仲間も、クライミングジムも、クライミングのパートナーも、自分の人生を趣味によって、より良く、より豊かに、より幸福に、より充実感を持って、生きるためにある。

人生がより良くならない・・・ 複雑怪奇現象化する・・・なら、イラナイ。

つまり、誰かの不勉強のために、自分の命が短くなる・・・より命のリスクに晒される・・・ようなら、全然、人生はより良くなっていないどころか、より悪く、マイナスになっている。

そのような場合は、切り捨てるべきだ。

日本人は真面目で、Mなので、自分にとってプラスになっていないことでも我慢して続けようとする。

しかし、それは間違っている。

趣味は、自分の人生をより良くするためのもの。

友人は、自分の人生をより楽しくしてくれるもの。

その基本が抑えられていないところに、何を築いても、無駄だ。

2016/08/22

女性クライマーのパートナー探し

■ 女性クライマーの事情

女性クライマーのパートナー探しは、非常に難しい。

 1)組める女性クライマーがそもそもいない

 2)男性クライマーには、”人間的成熟”と”クライミングに対する正しい理解”がある人が、ほとんどいないため、女性の側が生命の危険にさらされてしまう

というのが事情だ。

はっきり言おう!

精神的に未熟な男性クライマー諸君と一緒に登るほうが、単独で登るより、女性にとって、命のリスクが高まる。

私は登山2年目で厳冬期甲斐駒の誘いを受けたが、同行者が危険だと思ったのでお断りした。その後、自分で厳冬期甲斐駒はソロで登った。行けるようになる(その山の危険認知ができるようになる)まで、時間がかかったとしても、安全なほうが良い。

仲間とは命の保証をし合う相手だ、という山仲間の最低限の要件が満たされないため、未熟な男性クラマーとは基本的に登れない。

例: 

 ・そもそもデートレイプされる恐れが拭えない

 ・単純明快。ビレイがそもそもできていない 

 ・実力以上のルートを無理強いされる

 ・体力的無理を強いられる

 ・体格的無理を強いられる  たとえば大きな飛び石のジャンプ

 ・危険認知が疎か。通常、避けられる危険にさらされる

 ・人はそれぞれ強みが違うものだという事情を考慮できない

 ・自分さえよければいい

 ・救急救命を知らない 

 ・相手が無茶をするので、こちらは救助する側になる確率が高い

したがって、

私が円熟クライマーとしか登らないのは、そうでないと、時間の問題で殺されてしまうからだ。

■ 誰に貸し出すか

パートナーを誰が誰に貸し出すか、見ていたら分かるのである。

自分のパートナー(女性)を会内の誰にも(男性)貸し出さなかったら、つまり、それらの人々(男性)は、み~んな”落ちれない(つまり危険な)ビレイヤー”。

そんな人たちにビレイされて登っていたあの頃・・・、ああ、ホントに落ちなくて良かったな~。

落ちれないビレイヤーとしか登れなければ、当然ながら登れるようにはならない。

恐怖があれば登れない(登らない)のが当然であり、恐怖の克服には、信頼関係が必要だ。

■ 信頼関係構築には時間がかかることが受け入れらない人が多い

信頼できるかできないか?

それも難しい問題なので、信頼しない人とは登れない(登らない)。

信頼というのは、一朝一夕に築けるものではない。にも関わらず、築いた信頼は、一晩で崩れうる。

体調が悪い、あるいは怖いと言っているパートナーに、同行を無理強いする人は、信頼がおけるパートナーではない。

人間関係において、どのような無理強いも、自己中心の反映でしかない。

信頼できない人に命を預けてまで、登らないといけないか?と言うと、いけなくない。誰が考えてもそうだ。

ので、最近は運を天に任せる気分でいる。

なぜクライミングしているのかというと、エンジョイマイライフのためであり、死にちかづくためではない。





  

2016/08/18

ピラ18

■ 今日もピラニアへ

今日は暑い日だった(汗)。 今日もピラニアへ・・・ガラガラ!空いていた。

今日は行ったら、私と同じことをしている人がいた・・・課題名のリストアップ中・・・あら~。しかも、シールの形まできれいにリストアップしていて、ビックリ。

私は課題名と課題がある壁以外は、自分でする勉強用なので、ま、いっかとしていたのだった。

今日の目的は、黄色青課題がこなせるか調べる。

 結論: 垂壁の黄色青課題は難しい!!

黄色青課題になると、足限定が出てくるが、そのほとんどが垂壁周辺。振らないといけない急傾斜の壁では足限定は出てこないのだ。

・・・ので、一つのホールドに対して、最適な足の位置を研究中の私としては少々ツライところ。

できない課題をやるよりは、できる課題を数やってフィジカル(要するに腕力の持久力)をアップした方がいいので、あまりムーブ解決にこだわることは辞めた。

突破力、今のところイラナイ・・・。

■ 痛み

昨夜は左手の薬指が痛くて、夜中に目が覚めた。うーん?突き指みたいな痛さなんだけど?

テーピングの強度が強すぎて、剥ぐときに指が折れそう・・・フィンガージャムで全体重を指にかけるなんてないなー。サイコキネシスは、当分無関係な世界にいよう・・・

フィンガージャムは、やっぱり昇仙峡で勉強しよう・・・ あそこの課題は少し寝ているので、指が折れそう!と思ったら、普通のフェイスに逃げることができるから。

しかも、少し前からのことだが、両方の肘が痛い。腕を引っ張りすぎなのだ。関節が外れそう・・・ということだ。

子供のころからウンテイが特に苦手だった。のは原因は明らかで、母が私の腕を引っ張るので、すごく良く脱臼していたのだった。軽い児童虐待ですね。まぁ母は色々ストレスにさらされていたので、仕方ありませんねー。

子供の頃、うんていが苦手でも特に人生に差しさわりはなかったが、現在クライミングをするにあたっては、肘が痛いというのは、だいぶ、やりたいことがやれないというわけで、差しさわりが。負の遺産。

・・・というわけで、アイシングが必要になってしまった。 ヨガでも、なんでも、痛みは、カラダからのメッセージと言う訳なので、痛くないように体を使う方法を考えなくてはならない。

何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。

■ ランジ

今日は、ピラ15の日に課題として浮上した、スローパーからのランジができた♪

今日の成果は、このランジ。あーあ、ついに飛びつく女になっちゃったよ。

■ 今日の成果

前回難しかった課題 3つ → 解決

ランジ → 解決

フラッギング → 新しいやり方で

易しい4級課題を難題化 → 一個とばしで 到達

手がうまく行かなくなってからは、易しい課題にグレードを下げて、トータル3時間

■ 次回の課題

壁から降りないで登るスタミナトレーニング 

■ 体組成計

なんと、アマゾンで、2500円強で、入手。 しかも、翌日配送な勢いで来た!

夫が喜び、トレイに行っては「あ、う○ち100gだったんだ~」 ご飯を食べては「500g増えてる~」とやっている。

しばらく楽しめそう☆

計ってみたら、私はBMI21.4 体脂肪率22.8% やっぱり7年前と何も変わっていなかった・・・

”至って普通”体型・・・

夫は体脂肪率13%。 夫の”痩せすぎ”が心配・・・ 体重も実は4kgくらいしか変わらない。

2016/08/17

体力についての謎

■ 夫がぐったり

今朝は起きたらピーカンで、今日は夫と温泉に遊びに行く日。なのに夫が朝から全然起きてくれない。

・・・というか、昨日、クライミングジムから帰ったら、夫がバテてぐったりしてしまい、なんだかソファで小さく丸まってしまって、使い物にならなくなってしまった(汗)。

うーん・・・。

 「〇君も、たまには運動しないとね」

 「毎日運動してるよ。五階まで、階段を使って上り下りしてるんだよ」

夫は、特に山歩きしなくても、運動が十分だと主張して譲らない。

しかし・・・ジムで3時間遊んだだけで、この様子じゃ、やっぱり体力的なものがダメってことでは?

夫はまだ50代の前半で、そりゃひょろっとした体格ではあるけれど・・・つまりメタボとは無縁で、痩せているから、運動が必要ないという訳ではないだろう・・・。

ひょろ~としているから、パワーウェイトレシオ的には、私なんかより、クライミングには有利なハズだ。

夫は当然だが、まだクライミングは初心者なので、腕を引きつけて曲げて登っており、結構大変そうにしていた。

それを勘案しても、前腕が疲れて大変というのは、私にもあったが、ジムでこんなにぐったりと言うのはない。

クライミングで一番ぐったりしたのは、去年、クラックに行って、左上する「ムードはいい線」を落ちながら、無理くり登った翌日。惨敗兵みたいにヘトヘトになった。翌日は畑の予定だったが、予定を返上。まったく使い物にならなかった。

今年は岩で翌日の予定を変えなくてはならないような、くたばり具合はない。

■ 講師と二人っきり

3年前に参加したリーダー講習で、男性3人と私の女性1人の4人の班になった。

班分けはおそらく、登山経験が考慮されて、10班程度あったが、私は、たぶん上から数えて、9班とか10班に属していたのだろう。今から考えれば。弱い子グループ。

班では、歩荷負担に一悶着あった。私が担ぐと主張したのに、つまり皆と平等の負担でいいと言ったのに、結局、20kg、19kg、18kg、17kgの歩荷負担になり、私は一番軽い17kgを背負った。七倉沢まで1時間半のよく踏まれた雪道を歩荷するだけだ。

講師を先頭に、弱い人の定位置セカンドで私、後ろに男性が好きな順番でついた。

・・・ら、講師と歩いていたら、いつのまにか、講師とふたっりきりになっていた。気が付くと、仲間は、はるか後方に。

「悪いけどトレース外して歩いて」と私だけ、雪上の上をラッセルしながら歩く羽目に。

仲間のうち2人はメタボ気味な体型で、一人は夫のようなスラリ体型だった。私の班は、滑落停止をやるよりも、雪上歩行をやるほうが良いということで、雪上歩行を特訓したが、雪上歩行、なんどやっても、できない人もいた。仰向けで寝てスタートするタイプの滑落停止も同じだった。あとは雪上のラン。

この時の経験から、体格が良くても、体格の小さい私より強いとは限らないし、運動神経も人それぞれなのだと学んだ。

■ 沢で置いてきぼり

モロクボ沢に行った時は、全然歩けなかった。 沢泊一泊だったが、寝るときに敷くマットを私はバックパックの中に縦に入れて、存在感を消してしまうのが好きで、そうしようとすると、大型ザックしかない。

それで、大型ザックに入れていったんだが、ザックが振られて沢を飛び石するのが一苦労。

仲間ははるか前方に離れてしまい、沢が屈曲したら、姿が見えないほど・・・

しかも、この時は沢継続だったので、踵を返して、入渓点に戻るという選択肢もない。どうやっても、同じ道を追いかけるしかなかった。

ので、ザックに振られながら、頑張って追いつくしかなく、非常につらい沢山行となってしまった。

師匠には「もっと早く歩いてください」とさえ言われ、おもいやりのない言葉だと思った。

この時、とても嫌だったので、初めて一緒に歩く人が遅くても、「はぁ~」とか嫌味な態度は取らないようにしている。

山は弱い人を中心にして動くものである。そうでない山は、歩きでも登攀でもダメ登山だ。

■ 白峰御池まで、80分

北岳のバットレスの偵察に、会の先輩と同期入会の自衛隊隊員と3人で出かけた。先頭で、白根御池小屋まで1時間20分で歩いたら、二人に早すぎると文句を言われてしまった。

でも、まったくの初心者で山歩きもまだ4回目とか言う時に、単独で北岳にでかけ、そのときも、同じコースで白峰御池小屋まで1時間半で歩いている。

ので、なんで文句が出たのか意味が分からなかった。2度めはテント泊とはいえ、軽量化していたし。

強い男性二人を後続に持っていると思っていたのだった。一番弱い人(つまり私)が、ペースメーカーになるのではダメなのだろうか?

■ 富士山 8時間半

須走から、5月の富士山に出かけた。この時は山で出会った自衛隊の人と一緒だ。

彼は、山頂まで4時間なのだそうだ。私は生まれて初めての富士山で、そんなに短時間で登る気は、そもそもなかった。

自分のペースを守って登り、きっちり6時間で登った。ら、下山ではヒョウが振って、雷までなってきてしまい、怖くなって、走って降りた。

・・・ら、2時間半だった。富士山往復、8時間半。

■ 厳冬期の黒戸尾根

今冬、正月に黒戸尾根をソロで登った。まぁ一般道だから。そうしたら、登って行く人の大方を追い抜いてしまった。

・・・みなさん、山岳会の人たちで、アイスクライミングの方たちだった。小屋には2番についた。

が、20代のメンバー主体のパーティは、黒戸尾根は日帰りだそうだった。

桁違いの体力があるのは、20代のほうで、山岳会の人は20代には追いつけなさそうだった。

■ 総括

・・・というわけで、体力については、いまいち、よく分からない。

分かっているのは、

 ・特段強くもなく、特段弱くもない、ということ。

 ・暑さに弱いということ

 ・トレーニングするとすーぐ筋肉質になり重くなってしまうこと

大体、夏は毎年苦手だ。

私は、152cmしかないのに、体重が48kgもあり、重い。たとえば、野中選手は、160以上あって、体重は47kgと私より軽いくらいだった。

私は、体脂肪率も、23%もある。ちなみに、この体脂肪率は、女性がもっとも健康的である体脂肪率であり、多いとは言えないが、女性のアスリートで、この体脂肪率はない。(別にアスリートになりたい気持ちがないから、いいのだが)

私は太っているとは見えない。が痩せているようにも見えない。つまり、ちょうど良いってことだ。

今より、1~2kg軽くなれば、バレエやヨガでは体が軽く動かせて、気分も良い。

でも、スリムになると、レッスン3本連続とか、公演前のリハーサルとか長時間の行動で、スタミナが減ってしまって、アミノ酸ドリンクにお世話になることになる。

私の体重は、ここ20年ほど一定で、体重計自体に乗ることが、めったにない。歩荷量を計る時くらいだ。

それでも、大きな変動はまったくないから、やっぱり体重はこのままでいいのではないか?という気がする。

まぁ1~2kgくらいなら、クライミングのために減らしても、すぐもとに戻るような僅差でしかないが、体重計の奴隷になる気がしない。

めんどくさいなぁ・・・

まぁクライミングのためには、少し痩せておくかなぁ・・・。











2016/08/16

ピラ17

■妻孝行の日

今日は夫とクライミングジムに行った。知り合いが夫を見て「お気の毒に・・・」とつぶやいた。

その通りなのである。夫は、まったくクライミングには興味のキの字もないのだからして。

だから、今日は妻孝行の日☆

■ 〇〇バカ

”〇〇バカ”という言葉がある。以前の私はバレエ馬鹿で、バレエ馬鹿はバレエ馬鹿同士、瞬時に分かりあうことができた。

以前、メルボルンに一人旅に出かけた。なにかの講演で、たまたま隣に座った男性とは、なぜかジャック・ケルアックの話題で盛り上がり、ディナーを奢ってもらった。彼はアメリカ文学馬鹿(この場合は、かぶれ、というべきか?)で、私の大学での専攻はアメリカ文学。それでケルアックで盛り上がったのだった。

山ヤで言えば、ガストン・レヴュファで盛り上がりました、というようなハナシ。

同じようなことは、よく起る。今西錦司が好きだと言ったから、とか。(私は今西錦司が好きです。)

こと、夫に関しては、彼は秋葉原のパーツショップの話なら盛り上がれる。ただ、最近はパソコンは自分で組み立てるものではなく、オールインワンのラップトップを買うものに、時代が変化してしまった。

パソコン自作に代わる何か良い趣味が持てればいいのだが・・・。

■ 健康的で素直な子供たちと戯れる日

今日はリストアップして行った、黄色と黄色青の課題を全課題。できないものは執着せず飛ばした。

できない課題の分析、解析は後回しだ。

今日は、知り合いの子供がいっぱい来ていて、リード壁を登って見せろといってうるさいので、登って見せた・・・ 子供はすごいかスゴクナイか、が到達高度だけだ。

単純明快なすごさでないと、子供の心には訴えない(笑)

小さい女の子が、初めてボルダリングジムに来て、一番易しい垂壁のガバの課題にも苦労していた。

彼女は、一つも課題が登れなかったが、負けん気を発揮しているのが、率直で、健康的で、子供らしかった。

私は7歳とか6歳の頃は、きわめて臆病に、人の影に隠れるようにして、生きていたっけな~。

先生に爪が長いと言われ、涙ぐむだけで、うつむいているような子供だった。

世間が怖いところだという世界認識は母親からハンドダウンされたものだろうと思う。

男の子たちは若いクライマーに群がって、クライマーの方も、「登って見せて~」に答えていたが、12登れるクライマーの凄さが伝わったかどうかは・・・怪しい。



2016/08/15

フィジカル

■ 同じことを毎回やり続ける

最近、クライミングについて考えると、どうしてもバーレッスンをしたくなってしまう・・・多分、使う脳の領域が同じなのだろう・・・

バレエでは、バーレッスンは一日も欠かさずやる”稽古”だ。 つまり、舞台=本番ではない。下積みということ。

バーにつかまって、年がら年中同じことをしている。一番から、タンジュ、プリエ、デガジェ、パッセ、ロンデジャンプ、レベランス、グランバットマン、ピルエット、そしてジャンプ。決まった流れがあり、それはどこの稽古場に行っても、ほぼ同じだ。

流派により、小さな違いがあるが、バレエを知っていれば世界共通言語のようなもの。なので、私は、アメリカ、メルボルン、パリでレッスン経験があるが、別に言葉が分からなくても、そう困らなかった。

最近、それをどうしても、クライミングで思ってしまう。ピンク黄色課題を”おさらい”していたときは、ほぼ気分はバーレッスン。

これは単調なようで、実は、本人の脳内では、毎回、新鮮なので・・・私は何年バーレッスンしても、バーレッスンに飽きるということがなかった。(いつも完璧にはできないからなのだ・・・笑)

余談ではあるが、瞑想も似ている気がする。

■ 山瞑想が不要に

・・・というわけで、今、別に山に行きたくない・・・(笑)

かつて、山に行くことは、私にとっては瞑想を意味していた。脳の活性化。&レスト。

ところが、今は、クライミングのほうが、脳のレストになっているような???

■ 再定義

ということで、私は自分の幸福の定義を再定義しなくてはなるまい。

始めのころは、景色、だった。山で良い景色を見て、心洗われる、良い思い出を作ることが目的だった。それは叶い、とても幸せな気分に包まれた。

その次にやってきたのは、山瞑想だった。山で精神の平衡を取り戻す。心のリセット。

次に、やってきた幸せは冒険だった。夫と知らないところへ行くのが楽しかった。

次は、挑戦だった。どんどん難しい山に行けるようになること、が楽しかった。夫と二人でどんどん山を難しくしていった。

ただ、私一人がどんどん難しい山に行きたくなってしまい、夫とは一緒に行けなくなってしまった。この領域はまだ満たされていないままに、ブーム終了。本来、挑戦できると思える最難の山には、挑戦していない。

ただ同時に、難しい山と思われている山がラクラクになってしまったので、難しさを追求すること自体に魅力を感じなくなった。

次に、どんな山でも、山さえ行けたら幸せ、という時代が続いた。沢や岩は目新しい体験で、好奇心をかきたてられた。沢をどうするのか、岩をどうするのか?とにかく”知る”のみ!

山なら何でも楽しかったので、そのまま好きなように山に行っていたら、108日も山に行くことになってしまい・・・まぁ、かなり幸せ満喫ってことだな。量の時代ということだ。

ただ、量をこなすうち、山なら誰と行っても楽しいわけではないことに、気が付いた。スタンプラリーみたいな登山や、安全をアナタ任せの同行者、どんなすごい山に行ったか、その自分がどんなにすごいやつかを自慢したい同行者と行くと、楽しいはずの山も、リスク満点で、くつろげない。なにしろ、危険認知が甘々だからだ。

つまり、また質が重要になったということだ。

ということで、まとめると

景色(ご褒美)→瞑想→冒険→達成感→量→知識欲→質

という変遷をたどっている。

山行の質を重視する人が、人で充満した夏山なんて行きたくないのは、普通のことだ。

私が山に行きたいのは、そもそも、アイソレーション、人から離れるためなのだからして。

というわけで、自分の幸福のことを考えると、結局、今は、クライミング瞑想のために、ジムに行くのが一番幸せってことなのかもしれない(笑)。

なんか、ピースがつながりそうな感じがするんだもんな。

■ 幸せの再定義

フィジカルのアップ。精神の充実。

2016/08/14

ピラ16

■ フラッギング

今日は昼から、ピラニアへ。

今日は、前回できなかったリストアップの目的で出かけた。黄色課題、黄色青課題をリストアップすること、フラッギングの練習。

ところが人が多く、落ち着いて壁に取り組む環境ではなさそう・・・特に初心者向けの緩傾斜壁は、混雑していた。

が、なんとか人の合間を縫って、やりたかったことはやり遂げた。

4~5手、平行にガバが続いている壁で、今日はフラッギングの練習をした。

こちらが練習用ムービー。




■ あっという間に上達

自分でやっていたら、どうも左手側がうまく行かない・・・ので、近くにいた山森オーナーに質問したら、その答えであっという間に上達してしまった。

≪フラッギング≫
・足の位置は、ホールドの真下より逆進行側
・足の位置が遠いと、手を引きつけで持たなくてはならなくなる

とたったの2点。これだけで、あっという間にできるようになってしまった・・・。

インサイドとアウトサイドを、4~5回ずつやって、ムーブがマスターできた。

■ 最適な足の位置を見つける  (背の低い人の事情)

私は背が低いので、足の位置を見つけるのが大事なことになってくる。

もし、足が限定されてしまったら、ムーブは、正対引付かダイアゴナルか、の二つしかなくなる。足は2本で、手は2本だから、スタティックに行く限り、結局、4通りのスタイルしかないからだ。

そうなると、面白いはずがない・・・

足限定課題はムーブを強いるためにある。それは、背の高い人は、私がやっている課題などは、まったくムーブの何も知らなくても、リーチ&腕力で解決できてしまうから、そういう人に無理やりムーブをさせるには、足限定にするしかないわけだ。

しかし、腕力がなく、リーチもない人には、誰でもできる課題の段階から、ムーブが必要だ。

つまり、

・どこに足を置いたら、ダイアゴナルになるのか?(腕力がない場合)
・どこに足を置いたら、ラクか?(リーチに問題がある場合)

先に分かっていないと、ムーブに結びつかない。

という、”背の低い人固有の”事情が分かってきた。

■ 成長に必要な蓄積

私は、外岩に行きはじめ、去年は1か月に一回程度の外岩だったので、毎回リセット状態になり、蓄積せず、今年、毎週岩に行くようになり、あるとき突然上手になった。

一泊二日が4回ほど続いたときだ。(また梅雨時に2ヶ月岩に触らなくなったら、リセットされてしまったが。)

振り返ってみると、易しい課題を数触ることが、経験値の蓄積になった。決して、できない課題を無理して登っている時ではない。

やはり、成功体験の蓄積の方が、できないことを頑張って執着している時間より有効なのだと思う。

ジム課題に置き換えると、9級程度のピンクとピンク黄色の課題がまったく何も問題と感じずにラクラクできるようになった。

が、これらは、まったく初心者の時も出来ていた課題だ。だから、グレードとしてみると何も成長していない。ただ質が上がっただけなのだ。

皆は質が上がる前から上のグレードに進むようにアドバイスしてきたけれど、そのアドバイスは信用できない。おそらく、リーチも腕力もある若い男性に通用するアドバイスなのだろう。

ピンクとピンク黄色課題の蓄積の結果、5.10代へつながった。ダイアゴナルの習得、つまり腕力をセーブして登る登り、になったからだ。

これを次にステップに置き換えると、黄色と黄色青をスムーズ化すれば、5.10代の後半へつながるだろう。

ムーブプラスワンのフィジカル、が今課題だから・・・だ。プラスワンのフィジカルが出ない。

今の段階でも黄色青の次で青の課題でできるのがあり、黄色でもできないのがあるので、この部分で質を上げることが良い課題だと思う。

■ グリコーゲンローディング

今日は断食中に、クライミングに行った。朝は浄化の時間だから、何も食べないのだ。

それでクライミングに行ったら、行っている間は良かったが、終わって帰ってきてから、ぐったりとしてしまい、電池切れ。

これは、外でのクライミングでもよく起っていた症状だ。同じことが起きたので、分かった。

前の日の夕食がパワーを十分供給してくれず、ストーンとエネルギーが切れてしまったのだろう。

電池切れの原因が分かったので、ちゃんと食べないと。

あと靴がまったく関係ないのを発見した。ぶかぶかのスパイアでも何の問題もなし(笑) これくらいのグレードなら、靴は何だって良いということなのだろう(笑)。

≪まとめ≫
・フラッギングはできるようになった
・黄色と黄色青を習熟する
・靴は関係なし
・電池切れ=エネルギー切れ





2016/08/13

ピースがつながる感じ

■ 自閉症を読書で打開したこと

子供の頃、私は自閉症と診断された。

小学校に入学した時は、ひらがなが書けなかった唯一の生徒だった。かろうじて書けたのは、自分の名前。入学時点から、落ちこぼれということだ。

私が小学校に上がるか、上がらないかの頃、私の両親は離婚と再婚を繰り返した。子供心には、それは大人の出来事でしかなかったが、母親のストレスがそのまま、子供である私のストレスとして、現れていたのを理解したのは、大人になってからだ。私はひどいアトピーで、弟はひどいアレルギー性鼻炎だった。

当時は、ただ、無力で、目の前の状況を受け入れることしか、6歳の私にできることはなかったから、ストレスであるとも感じなかった。7歳の頃、一度自殺を決意した。今考えると、決意したのは、私ではなく、母親で、私の決意はただのその反映だったのだろう。

この経験で、小さな子供はストレスをストレスを感じることができない、ということを学んだ。

厳しい現実から逃避したい私が見つけた、唯一の居場所は、本の中だった。本を読んでいる間だけは心穏やかに生きることができたのだ。

弟はスポーツに居場所を見出した。打ちこんで県大会にでるような選手に育った。妹は学校にしろ、病院にしろ、大人の男性を見ると甘えて、抱っこされたがった。

妹は、私たちの父親の姿をまったく見たことがなかった。酒に溺れ、前後不覚になり、玄関でお小水の上に座り込んでいる、成人男性がいかに気持ち悪いものか、赤ちゃんだったから、知らないのだった。それで、私と弟のもつ嫌悪感を持っておらず、大人の男性に対する感受性が違った。ただ父を恋しがるだけだった。私たち兄弟には、恋しい父はおらず、避けたい男性がいるだけだった。

私は今でも、酔っぱらった男性には嫌悪感というより、単純に恐怖感がある。荒れたときの手の付けられない父親の暴力が、脳裏に浮かぶのだ。

だから、山ヤがお酒を飲んで暴れるのは、できたら見ないで済ませたい。

■ 初歩的な本を繰り返し読んだこと

話を戻そう。子供の頃、私は、本の世界に逃げ込んだ。

それは母親の都合とも一致することだった。手のかからない子、それが、働くのに忙しい母親が期待する、子供像だったから、本を与えていれば、満足する子は、都合がよかったのだ。

同じ本を何度も何度も読んだのを覚えている。世界の童話全集だ。心に残ったのは、安寿と厨子王、石の花、人魚姫アラビアンナイトに出てくる、川を渡るのに負ぶってくれというおばあさんの話。同じ本を飽きずに20回も30回も読んだ。

文字を覚えたての頃は、お菓子の原材料表のようなものを読むのも楽しかった。ありとあらゆる活字を読んだ。

余談だが、同じようなことは第二言語である、英語を習得した時にも起きた。あらゆる文字列が魅力だった。バスに乗っても、歩いても、あらゆる標識を読んだ。

■ 忙しい子供時代

こうした読書のおかげで、小学校2年に上がるころには、いつのまにかクラスのトップの成績になっていた。

子供は徒党を組むものだ。だが、私は誰とも徒党を組まなかった。いや、そんな時間がなかったのだ。

家では私の家事労働力を必要としていたから、夜に読書をしていると、本を取り上げられた。学校では、成績優秀者に学級委員長が回ってくる。

私は2年生から、毎年、3学期あるうちの2期間も学級委員長を務めなくてはならなかったから、本を読みたい私は、休み時間は読書に費やしたいと思っており、トイレに行くにも一緒に行くという女の子たちの習慣は、私には時間の無駄でしかなかった。

当時ですでに週に10冊くらい読んでおり、酷い時は、教科書の下に、本を隠して、授業中も本を読んでいたが、先生たちは事情を察して、気が付かないふりをしてくれた。

そのような調子だったので、小学校4年生に上がるころには、すでに校内で有名な生徒だったし、5年生では生徒会がスタートした。中学に上がった時には、隣の小学校から来た生徒たちにも、既に名前をよく知られていた。

読書のおかげで、何も特別な勉強をしなくとも、通知表はオール5だった。なぜか体育までも5なのだったのは、先生たちの先入観がなしたことだろう。

朝礼では、前以外立ったことがない。先生の代わりにマイクを持つこともあり、文化祭では壇上に上がり、運動会ではアナウンサーで、部活ではキャプテンなので、メニューを作ったり、先頭でランニングしたりしないといけなかった。そうしたことは、私には特別なことではなく、日常だった。

公的な予定・・・生徒会や委員会など・・・で忙しく、スケジュールは15分刻み。学校へは一番に教室に入り、窓を開け、帰りは一番遅く出る。何かをしてほしいときは、忙しい人に頼みなさいと言うが、常に頼まれる側にいたのだった。

非常に忙しい子供時代だった。これはお人よしで単に人に利用されやすいという意味だ。現に他の成績優秀な子供たちは余計な活動はせず、塾通いをしていた。

中学三年の時は、部活と生徒会、受験が重なり、ストーカーの被害もあって先生や男友達に送り届けてもらわなくてはならず、大変で、やっと家に帰りついたら、玄関で気を失って、倒れたことがある。

■ 落ちこぼれ

高校へ上がると、優等生から、落ちこぼれに180度転換した。

高校は各中学のトップが集まる進学校だったが、1回目の定期試験で、成績が489番だった。500人しかいないのに(笑)。君は高校で終りかい?というのが、数学の先生の言葉。

高校は特殊な学校だった。エリート養成だということを隠しもしない。ことあるごとに”ノブレス・オブリッジ”と言われ、エリートというものには社会的責任が伴うことが強調された。

授業は予習が前提で、教科書は、「35ページ、はい、読めば分かる」という具合で、先生は読んでも分からない難しい箇所しか説明しない。教科書の内容は、半年で終ってしまい、残りは応用問題をやるのだ。

校風は自己責任が徹底しており、パーマをかけようが、化粧をしようが、自由で、3年生になれば学校にさえ来なくていいのだ。

私にとって高校時代は、暗黒時代だった。大学進学100%の高校に進学してしまったのに、大学へ進むための経済的めどが立たない。前途の暗さに苦しみ、希望はなく、鬱病患者となり、勉強など何も手につかなかった。それより、バイトとばかりに、バイトに精を出した。

学校では成績上位者50名の名前が張り出される。

まぁ当然だが、私の名がでることはなかった。誰が見ても、落ちこぼれであったのだ。私は、といえば、ただ時間が過ぎるのを耐える日々。美術部の部室と演劇部の部室が拠り所だ。

2年の終わりまでに、3年生までの教科書はすべて消化してしまっている。3年生の1年間は、学校に来なくても、すべての必修の教科が2年生までに、履修済みになっている。だから、本当に学校に来ない生徒もいた。そういう人は本物の成績優秀者で、もちろん、いつも成績上位者50名のうちのトップ1~3名みたいな人たちだ。

定期テストの他、ATという実力テストがあった。これは教科書の内容を理解していることを問う問題は一切出題されず、教科書に出ている知識を応用して、問題を解くものだ。

そのATは、受験向きのつめこみ学習ではなく、つまり知識を問わず、真の実力を問うものである、とされていた。

で、そのATで、私はあるとき、なんと3番を取ってしまったのだった。私より上に名がある二人は、東大クラスの二人しかいない。

自分自身でもなぜ、そのような成績が突然とれたのか、謎だ。それでも、たしかに回答が帰ってきたら、私の回答だった。

この3番に勇気づけられ、進学を決めた。戦略が見えたのだ。応用問題だけを解く。

学科の勉強はしなかった。しても遅すぎたのだ。

けれども、マルクスの『資本論』やケインズを読んで感動したり、『アンナ・カレーニナ』 『怒りの葡萄』などを読んで、恐怖に震えあがったりした。メルヴィルの『白鯨』も好きだった。

当時のボーイフレンドは、中学時代から一緒に勉強し、中学当時から2番を大いに引き離した学年トップを楽勝でひた走ったサー君で、彼は一ツ橋大学に進んだのたが、彼から16歳の誕生日に贈られた本は、『アルジャーノンに花束を』だった。

その頃、二人で読んだのは村上春樹の『ノルウェイの森』。この本をハイティーンの二人が貸し借りして読んでいるとは、双方の親は、さぞかし心配したことだろう(笑)。

ところが、私たちは親の心配などよそに、至ってプラトニックな恋愛しかしなかった。

ただ、私は当時、腰まで届くくらいに髪を長くしていて、生涯で一番女の子らしくしていたので、ストーカーに付きまとわれたり、夜中に起きたら、見知らぬ男の人が私の布団に手を入れていたりで、性的被害的には、大変な時代でもあった。ボーイフレンドというのは、そういうのから守ってくれるためにある、という感じだった。

何を言おうとしていたんだったか?あ、そうだ。読書は、私の基礎力であり、私の強みであった。本に人生を救われた、というのは、あながち間違いではない。

■ クライミング

さて、クライミングである。このところ、私はボルダリングジムでも、易しい基礎課題しかしたくないのだ。

それは、どういう感じか?というと、子供の頃、読みまくっていた世界の童話集と同じような感じなのである。

あるいは、高校の頃読んだ、マルクスやケインズと。

何か、ピースがつながりそうになっている。

2016/08/12

ピラ15

■ なんだかいい日♪

今日はなんだか、直観力の冴えた、いい日だった♪

昨日から、夫は実家の大阪へ帰省することにしていたが、夫に甘えたい気分だったので、甘えて、一日遅らせてもらった。その時間で映画をみた。

すごくいい映画だった。まさに私が必要としていた、登山に対する、良い思いを思い起こさせてくれる映画だった。今、このタイミングでこの映画を見たことは、感慨深い。大いなる存在の采配かもしれない・・・。

この映画のことは、あとで書こう。

夜は、お酒を飲みたい気分だったので、おいしいディナーを食べに出かけた。残念ながら、夏休み初日でどこも大混雑・・・、それで、ちょっと余計な出費だったが、行って見たかったワインの店を試してみた。意外に出費してしまったが、恋人時代の気分が味わえて楽しかった。

今日、夫は実家へ向けて、出発。いつものことだが、夫を送って駅まで歩く・・・私たちはいつもこうしている。(余談だが、私たち夫婦は、朝、出かけるときはハグをして送り出す。夜、帰ってきたら、お帰りなさいのハグをする。夜は同じベッドで寝る。もう、15年もそうしている。小さなことだが、大事だと思う。)

・・・夫を大阪へ送り出して、”さて・・・”というので、ジムへ出かけた。

■ ピラ15

行ったら、大混雑中で、しまったな~と思った。

ら、実は当たりの日だった。

たまたまソファに座っていたお兄さんに話しかけたら、すっごいいい人だった。神奈川からの遠征で、今日は西湖に泊まっているそうだ。

それで、混んでいる傾斜の寝た壁はやらずに、傾斜のきついルーフ課題ばかりをやったんだが・・・実は、てのひらの豆が剥がれて、とてもガバは持てないので、ガバで持てる課題も、カチ持ち(笑)

今日はてのひらの問題があって、登れないのは分かっていたので、黄色と黄色青の課題を、リストアップするために、実は行ったのだった・・・

リストアップすれば、それをこなすのは、より”見える化”され、易しくなるので。

黄色課題は全部登ったつもりだが、そうなのかどうか・・・

今は黄色青をやっているのだが、黄色青が具体的にどう難しいのか?整理しないと・・・

先日やったルーフ越えで、狭くてやりづらい課題など、今の時点で追及すべきでないものと、追求すべき課題を切り分けないと。

そうしないと自分の課題が何なのかもはっきりしないのだ。

■ 小さい子&セッション

今日は、小さい子がいて、上手でビックリした。ちゃんとムーブになっている。それでも、降りる度にいちいちお母さんを見るのが、ほほえましかった。

同じ山岳会だった人が、受付で来ていて、ちょうど国体に出たところだったし、知り合ったばっかりのお兄さんと楽しくセッション。

”きゃ~”と楽しそうにしていたら、ちびっこが、”できるよ~”とやって見せてくれた。まぁ、足自由なら、私もできるんだけどね~。

足が限定だと、色々とリーチの問題があり、悪いスローパーの保持力の問題もあってできないんだが、セッションできて楽しかった。

■ コーヒーショップ

その後、買い物に行ったら、移動式のコーヒーショップのお兄さんが、「家ではエスプレッソはあまり飲めない。マシンがないから・・・」というと、アイスコーヒーを頼んだだけなのに、ショットをサービスしてくれた♪うれしい!ナカイコーヒー、という移動コーヒーショップのお兄さんだった。

日本にカフェ文化が根付くといいな~といつも思っている。

私は、国際的で、ボヘミアンな生き方をしたいのだ。ボヘミアン文化になくてはならないのが、カフェである。決してビアホールではないし(笑)、一杯飲み屋でもない。

だから、人生を賭して、カフェをやってくれている人には敬意を払うことしている。

私の愛するのは、多様性、多様な価値観、創造性、自分のインスピレーションである。

決して、周囲の評価をうがった態度、噂話に代表される村社会、保身、そして、無知、自尊心の欠如ではない。

自分の見たもの、感じたものを信じる、ということだ。

人は誰でも、他人の評価に振り回されず、自分の人生を生きたとき、もっとも幸せになれるもの。

山に行って、あるいは岩に行って、沢に行って、”自分が多くを与えられたこと”に感謝できないなら、その人の登山は失敗だ。

その人の山はただの煩悩の山であり、山から何も学ばなかったことを証明するのみである。






2016/08/10

課題の意図を読む

■ すごいかすごくないかが支配する世界に住むのは窮屈

クライマーのナルシシズムの世界は好きになれない。

スゴイかスゴクナイか?かっこいいか、かっこわるいか?それだけが価値基準だからだ。

地元のエリート校の熊本高校に進学した時、ゲンナリした。勉強できるか、できないかだけが価値基準だったからだ。

勉強ができないやつは、人間のクズ、という扱いだった。

たしかに勉強はできたほうが良いが、良心を伴わない知性は、片方の車輪がない車のようなもので、とんでもない方向に行ってしまうのは、エリートが日本の中枢を牛耳っている日本の政治経済の状況が証明している。

それと同じことで、クライミングの世界においては

  登れない奴は、人間のクズ、という扱い

の世界観も存在する。そうした価値観の人は、登れなくなると自分の人間としての価値がなくなる気がする。

なぜクライミングするのか?

そこに、純粋さを伴わないクライミングは、ただ自尊心を満足させるだけの道具、になってしまう。

■ 尊敬を得るのは、意外にカンタン

実はクライマーの間で、尊敬を得るのは意外にカンタンだったりもする。ハングドックを2時間すればいい。

しつこく登れば、誰でもすぐにも尊敬を得れる。

落ちても落ちても登る、という行為が尊敬の対象だからだ。

しかし、執着して登ることは、上達への近道か?というと、そうでもない。

同じところを酷使して痛めてしまうからだ。そうなると、もう登ること自体ができなくなる。

■ きれいなクライミングを

昨日、一緒に登ってくれた初心者の方は、一番易しいピンクの課題も登れない。

馬鹿にされるのか?馬鹿にするのか?

そんなことはない。そんなことはしない人だと彼女が思ったから、私のところへ来てくれたのだろう。

私自身はそんなものも登れないのか、という人たちの間で登らなくてはならなかった。だから、だろうか?

彼女には、無理な所はさせなかった。

彼女はまだ全体像が分かっていない。

仮に、ただ周囲のリスペクトを得るためだけに、根性で登って、体を痛めてしまったら、クライミング自体が後退してしまう。

クライミングの課題には、意図がある。

薄被りの、9級の課題なんて、単純に ”フリのムーブを覚えてください” というのが意図だ。

覚えるためには、何回か繰り返しが出てきたほうがいいので、4~5手、同じムーブが連続するように、ホールドが並べてあるが、ただそれだけのこと。

無理して、4~5手を連続して登るように力任せに登るより、課題の意図はムーブの習得なのであるから、1手、2手しかできなくても、カラダを休めて、キレイなムーブで、できるようになったほうが、課題の意図と一致している。

私は同じことを小瀬の17mの外壁で45度11Aの課題を傾斜15度にして、リードしながら習得した。思えば、厳しい道を歩んだものだ。恐怖心とのセット販売だ(笑)。

■ 狭い課題

実は、私も、やらなくていい課題に執着してしまったりした。反省している。

ルーフ越えの課題で、越えた後、私が持てる中継ホールドを持つと、どうしても足の位置が悪く、正対引付けというムーブは合っているのだが、すごく狭く体を入れなくてはならなくて、やだな~ もっと楽に登りたいな~という課題があった。

楽に登れるムーブを考えている間に、膝を痛めてしまった。

他に男性に登ってみてもらったら、そこは単純にパワーで解決で、中継ホールドは飛ばし。だから狭くない。

私には、飛ばしはパワーの面でも、リーチの遠さの面でも、無理で、中継ホールドを使わないといけない。

ので、まぁ、同じムーブは体格的にもパワー的にもできないし、同じようなことを目指さなくても良い。

のだが、なんとなく、もっと楽に登れるんじゃないかと思ってしまったのだ。

■ 意図が読めたらOK

そうした、”体のサイズとあっていなかったり、パワーがまだ習得できなかったりしている課題”に、執着することは、

 今の課題 = 課題設定者の意図を読む

という自分の目標に反する。

だから、いくら周囲の人が、

 体格に合わない課題を克服して行くことも強くなるには必要

と力説しても、私にはイラナイ。

そもそも、私のクライミングは、アルパインのクラシックルートで安全安心にクライミングするためのものであり、ジムの課題で、カラダを壊していたら、本末転倒である。

たしかに、無理をしても登る必要がコンペの選手にはある。

リーチがない選手はジャンプ力を鍛えて、デッドやランジに強くならないといけない。

しかし、それは、それ以外にムーブがない、ともう読めるようになった人の話で、私はまだ完全にムーブが読めないのだから、その必要はない。

・・・というようなことが分かったのは、昨日の初心者の彼女のおかげだ。

人は、自分で自分に何が今必要かを冷静に判断するのは難しい。

けれども、他人だったらよく分かるのだ。その人になぞらえることで、自分に何が必要か?についても、確信が持てる。

E藤さん、ありがとう☆

2016/08/09

ピラ14

■教える側

私は人に教えるような上手なクライマーではないのだが・・・今日は、少し前にジムで知り合った女性から、ピラニアで会いましょうのお誘いが来ていたので、どっちみち自分のクライミングでも行くのだが、ご一緒した。

彼女は、初級者なので、一番易しいピンク課題を一緒に登った。

先に私が登って、次に彼女が登る。 

ピンクの課題や、次に難しいピンク黄色の課題は、ムーブが何かも分からないでも登れてしまうものだが、彼女は腕力がないので、ムーブを使わないと登れない。

腕力がないからムーブがないと登れないというのは、良いことなのだ・・・と納得した。

私が初心者の頃は、ムーブについては全く分からなかった。しかし、今はもう、ムーブ解決しながら登っている・・・そうしたくなくてもそうなってしまうので、彼女にもムーブ解決しながら登ってもらった。

やっぱり、ただ登れるだけでなく、クライミングの理論に従って登るというのが、易しい課題であってもいいのではないだろうか?

今日は、正対とフリの使い分けをやったのだが、やっぱり、振らないと登れない前傾壁で、振らずに、正対の引付で登ろうとしてしまう。

私もそうだったから、今すぐ直さないといけないわけではない・・・腕力が付いた方がいいしね。

でも、一緒に登りたいと言ってくれて、うれしいなぁと思った。私のクライミングが気に入ってくれたってことなんだ、と思えたからだ。

それに人に教えていたら、自分のクライミングの復習にもなった。

■ 手のひらの豆

リード課題へ移り、いつもの課題をリードしたら、お豆がお亡くなりになった・・・皮がベローンと行ってしまい・・・痛い。クライミングはおしまい。

この手のひらでは明日も登れまい・・・外岩なら登れるのになぁ・・・。



・・・というので、このメモAという軟膏を教えてもらった。手皮回復に良いそうだ。


お礼に・・・とおやつをいただいた。うれしい!!! おいしかった。


2016/08/08

小川山 八幡沢スラブ状岩壁&カサブランカ一回目

■ 焼肉 & 豪華テント

去年は、小川山でクラックデビューしたのに、今年は小川山に行くもスラブばかりで、クラックがなく、今年はクラックを登る機会がなく、残念に思っていた。

去年と成長を比較したかったが、このところ、雨でクライミングの予定が流れっぱなしだった・・・。

それで、たまたま、焼き肉パーティをするという他会の仲間に入れてもらった。すごい上質の焼肉だった・・・一生に何回も食べないかもしれない。


宿泊はマイテント&マイスリーピングバッグだが、大型タープにテーブル&椅子付きの豪華宴会仕様。

このような贅沢なテント泊に、このところ私も驚かなくなってきており、山ヤとしては、堕落への道を歩んでいるかもしれない(笑)?

去年は、テーブル&椅子のテント泊にビックリ仰天していた。

■ 合同クライミング

行って見ると、何組か、色々な会の仲間が集まっての合同クライミングみたいな感じのようだった。

まぁ、前の会のクライミング練習のような感じ。私は、会は3つに属した。

最後の一つは2か月しか所属していないので、属しているうちに入らない。会山行に同行は一回もしなかった。自分のクライミングメイトと一緒に行くのに忙しく、その会の誰かと行く時間がなかったのだった。

一番長くいたのは、地域山岳会の御坂山岳会だ。1年半所属した。パートナーが会内にはいないので退会した。

会の先輩は、3人。ロープワークの先輩、アルパインの先輩、フリーの先輩。したがって、アルパインは年に一回。フリークライミングも、日常ではなく、会で3か月に一回行くもの。

会山行クライミングはイベント。先輩がトップロープを張って、あとは好きにわいわい登る。先輩たちは、後輩には一切リードは強要しないので、そうしたクライミング会で、何年登っても、ぜんぜんリードできるようには、ならないのだった。

アルパイン系の会にも、半年ほど属していたが、こちらは、基本的に個人山行主体。初心者は、毎週クライミング練習に行く。週二回。ビレイヤーとして認められ、気に入ってくれた先輩が個人的に、自分のクライミングに連れて行く。

先輩のクライミングのついででしかないので、初心者のビレイヤー側には、登りに行く岩場やグレード、日程などに、口出し権も選択権もない。したがって初心者向けのところに行けるわけではない。先輩が登りたい課題に付き合うのが基本だ。つまり、初心者なのに11bに取り付いてアップアップ言う(笑)。

こっちの環境でクライミングデビューしたので、地域山岳会の仲間をクライミング練習に誘ったら、「トップロープ張ってください~」と言われて、「?」と思った。人工壁ですよ?優しいのに登って、自分で張ればいくらでも難しいのに登れるんだが。っていうか、5.6でいいからリードでしょう。人工壁なんだから。

まぁ、そうこういう訳で、???となったため、私はよそで捕まえたビレイヤー候補者と外岩に行くようになり、会山行はただのめんどくさい行事になった。

初心者同士で組むと、目を皿のようにして、5.8とか5.7の課題を探すようになる(笑)。あるいは、裏からトップロープが張れる課題を探すようになる。

一番楽しいのは、同じくらいのスキルの相棒と、登れないながらも、少しずつスキルアップする、というクライミングだ。

後輩と言うのは、先輩はどこでもリード出来て、だらりんビレイでも登ってくれて当然だと思っている人たちだ。そういう考えが抜けない後輩の先輩役になると、ええかっこしいをするために命掛けになる。

同じくらい登れない相手とならば、互いに限界グレードなので、つまり怖いので、互いに無理をしなくて済む。「怖いから、1ピン目はプリクリップしよ~」となるだけなのだ。

1ピン掛けたら、2ピン目は私、3ピン目は相方、と交代でロープを掛けることもできる。このやり方を極地法と呼んでいる(笑)。お上手な人には笑われるやり方だけど、誰もが通る道だ。

■ カサブランカ

今回は、基本的に登りたかったのは、カサブランカ 5.10Aのクラックだ。去年、登り方が分からなかったから。

現在のところ、私が登れるクラックの安心課題は、5.7.5.8のリードはドキドキ。5.9のクラック(コークスクリュー)は、必死。

でも、カサブランカは、去年登れなかったので、登りたかったのだ。今年はクラック登りのカラダの使い方、少しは理解したかなと思ったりした。

クラック登りとは、

 右手をハンドジャムしたら、右足を足ジャムする

 左手をハンドジャムしたら、左足を足ジャムする

残りの足はスメアで少しずつ上げるというもの・・・

これは、こういう法則なのではないか?という予想があったので、試したいと思っていた。

カサブランカは正直私にはまだ厳しく、核心部で3回、落ちたのだが、試したかったことが試せて良かった。

ジャクマメは、下部で登れず敗退。龍の子太郎は、去年より苦戦しなかった。

しかし、混んでいて、今度から土日のクライミングは辞めようと思った。

帰りにリバーサイドによって、アウトオブバランスをしたが、初めてのビレイヤーでリードする気にはなれなかった。登るのが嫌だったので登らないことにした。

■ スラブ

土曜日は、八幡沢のスラブ状岩壁で、スダレだった。

・かわいい女 5.8 フラッシュ
・ウルトラセブン 5.7 フラッシュ

をリード。隣の 

・かわいい女2 5.9 TR

・オーウェンのために祈りを 5.10c 敗退 

は、上部の核心部がAゼロしないと越えられない。

以上終わり、の小川山。


今年はガマスラブをオンサイトする力が付けばいいなぁと思っていたが、春のもどり雪は確実感が出てオールリードも可能になってきたが、ガマスラのオンサイトは、まだ少し厳しそうである。

ずっとスラブばかりを登り込んでいないとダメなんだろうな。

今回は、靴がスラブ向けのスカルパフォースがリソール中なので、エッジング&ターンインの靴だったので、前にスラブの5.10Aで何かをつかみかけた、拇指球の感覚はまったく掴めななかった。

やっぱりフォースをもう一足買おうかなぁ・・・ ミウラーが良いと皆が言うけれど、ミウラー足に合わなかったんだよなぁ・・・

とりあえず、痛めた膝の影響はあまりなく、登ったのでよかった☆

■ 暇人

私は、この6年間、時間を持て余している。いつまで続くか分からない。明日にも終わるかもしれない。

山は雪で始めた。そして、6年でゼロからここまでこれた。自分の力だけではないと思っている。

山の神様が私をここまでにしたのだ。

これまで、この余暇を社会的に有意義なことに費やしたいと思って山をやってきた。山を通じて社会に貢献したいと思っているだけで、自分のクライミング力の向上は、その次だ。

登っていれば、当然だが、上達をするように登るべきであり、それ以上でもなくそれ以下でもない。

それは、生きることが成長である、というのと同じことだ。

山梨の生活が早く終わってくれればいい、と思う時もある。正直、上手な人と比較されるクライミングは重荷だ。

しかし、目の前に道があるなら、歩かなければならない。ただそれだけだ。




2016/08/05

膝の痛み

■ 膝

前に一度できたルーフ課題、立ちこみムーブが狭くて、無理やり押し込んだ形だったので、今度はきれいな無理のないムーブにしようと、おとといちょっと頑張った・・・ら、足がどうしてもキョンになってしまい、トライを繰り返していたら、痛めてしまったようだ・・・(汗)

帰ったら、急に痛さがひどくなり、一晩、寝返り打って眠れぬ夜だった(汗)。

今日はもうずいぶん良いが、明日のクライミングに備えたほうが良いだろう・・・

足を見ると、なんだか、あざだらけなんだけど・・・最近は、もうめったにあざにならなくなったのに、またあざが復活・・・というのは、あまりきれいな登りでない、という意味なのだろう(涙)。

クライミングは一進一退だ。

課題は、外岩とインドアの共通点を見出すことである。インドアでの成果が外岩に生きるような気が今のところ、あまりしていない。

■ 肺がんで危篤

最近、知人のクライマーのブログが更新されないので、どうしたのかなぁ・・・と思っていたら、危篤だそうであった。

とても、驚いている。

クライミングと死は近い。(が、前に趣味で夏にやっていたダイビングよりは近くない気がするんだけど・・・)

クライマーは、いつでも死と隣り合わせだから、形あるものには終わりがあるということについては、当人も自覚があっただろうと思うが、それでも過ぎ去りゆく形をしるのは切ない。

しかも、彼は愛するものを二つも最近失ったところだったので、後を追うような形であることが、とても切ない。

■ 死はいつもそこに

人生は、思いがけないときに終わりが来る。だから、今を精いっぱい生きることが大事なことだ。

私には、身長180近く、超逆三角体型でスポーツマンの、2歳年下の弟がいたのだが、24歳で他界した。ただ単に前夜飲み会で飲んで、ただいまと帰って、ゴロンと寝て、二度と目覚めなかっただけだ。

そういうことが起こりうる、ということだ。スポーツマンは、特に突然死の可能性がある。

もちろん、クライミングには常に墜死の可能性がある。知らないか無頓着な人も多い。

クライミングから死を想像するには、クライミングが安全(幻想にすぎない・・・)になりすぎたのかもしれない。

けれども、長くクライミングをやっている人で、知り合いの一人や二人亡くしていない人はいない。

私も、まだクライミング歴3年なのに、すでに3人ほど亡くなっている。4人目が増えそうで悲しい。

しかし、クライマーにとって人生の成功とは、”クライミングの事故で死なないこと”かもしれない。

・・・ということはクライマーとして成功するためには、老後の蓄えが必要だな(笑)

■ ケーススタディ

私はマーケティングをビジネススクール(グロービス)で学んだことがあるのだが、そこで知ったハーバード流の、学習スタイルがとても気に入った。

基本はケースメソッドである。これは、アメリカ流で、同じ欧米でもイギリスの流れを引くオーストラリアの大学では取り入れられていないのを知って、後年驚いた。それで進学せずに帰ってきてしまった。

ケーススタディは、正解が複数あるような世界を学習するのに向いた方法だ。

それで、いつも登山の世界もケースで教えたらいいのにな、と思ったりする。特に遭難などは、一つのケースとして、とりあげ、遭難しないためにはどうしたらよいかというところまで煮詰めて、フレームワークに落とし込むべきだろう。

そういう知的生産は、学者の誰もしていないのが不思議だ。近しいもので、村越真先生の『山のリスクと向き合うために』を最近読んだが、村越先生がトライアスロン出身のため、クライミングとは少々隔たりがある気がした。

だれかケース(例題)を作ってくれたらいいのに。

■ 仕事

最近、立て続けに仕事の依頼が多い。ただ依頼が来ても、山梨にいて、依頼を受けることができない。

収入が必要なら、飛びつくような仕事だが、現在は、つましく暮らせば、大きな収入はいらない。仕事を取ったら、夫と生活できない。

気に入っている今の仕事をつづけながら、余暇はすべて今年はクライミングに回したいと考えている。

以前は名刺を見せれば、タクシー代がタダになるような名刺を持って仕事をしていたり、一か月の長期海外出張に出かけたり、会社からタクシー代出すから来てくれと依頼があったりした。

が、今より幸せには感じられなかったので、収入や地位はあまり私の幸福には重要度が高くないのだろう。

・・・ということはスーツはもう捨てるべきなのだろうか???良く考えればスーツ代でカムが買えるなぁ・・・。

■ バターココナツコーヒー

クライマー向けの食事指南をネットで見ていたら、バターを入れたコーヒーというものが出ていた。

ダイエットに良いそうである。

ココナツオイルとバターをコーヒーに入れて、攪拌して飲む、というレシピだが、飲んでみたら・・・どこかで飲んだことがある味・・・

考えてみると、ウィンナーコーヒー(生クリームを浮かべたコーヒー)と同じ味だった。

これは、スペシャルティコーヒーのような、純粋にコーヒーのフレーバーを楽しむようなコーヒーにはもったいないかもしれないが、普通のコーヒーの味をグレードアップする技として使えるかもしれない(笑)

痩せるそうですが、ホントかなぁ?

さて、明日は小川山だ♪ 楽しみだ。


2016/08/04

ビレイヤーの選び方

■ 大前提

クライミングにおいては、ビレイヤーは命の保険。

クライマーはビレイヤーが信用できないと登れない。

このことは、私はまだ登山しかしていない時代に、先輩に教えられた。(でも、教えられなくても、クライミングの本にも書いてありました)

だから、別の先輩が初心者の私をビレイヤーに任命して限界グレードにチャレンジしたときは、非常に光栄に思った。

”これはお役目重大!”と思い、ロープに全身全霊を込めて、ビレイした。ちょっとの揺らぎも見落とすまいと、ロープから相手の息づかいを感じようと努めた。

■ 原則

1) クライマーがビレイヤーを選ぶ
  
  ビレイヤーはクライミングギアである。クライマー側が選ぶものである

2) トップロープ
  
 一般に初めて組む人のビレイが安心できるかどうかの見極めは極めて難しい。

 そのため、初めてのビレイヤーにはトップロープのビレイを最初はお願いする。

3) 誘った側がリードする

  基本的に登りに行くのですから、誘った側が行きたい場所や課題があるのが普通です。

  逆に言うとリードする気がないのに誘うと、”わかっていない人だな~”と思われます。

  ビレイヤーは品薄なので、良いビレイヤーであれば、自然と誘いがかかるでしょう。

4) 3人以上

 慣れるまでクライミングは3人以上です。 

 一人が落ちて怪我したとき、どうしますか?レスキュー、救急救命の心得はあるか?Yes/No?

私は山岳会に所属していましたが、まったく初めての人を、私一人で岩場に連れて行ったら、なんと先輩が同じ日にしれっ~と岩場に勢ぞろいしていました。それで一瞬にして理解しました。

新人の私は、岩場に初心者が二人だけで行くのが危ない行為だとは気が付いていなかったからです。クライミングの最小単位は2名ですが、怪我のリスクが初心者ほど高く、いったん事故が起こると2名では、リスクが高いです。最低一人が事故者に付きそい、一人が伝令で走る、くらいの用心が必要です。

5) 岩場の知識が必要

岩場には、それぞれの岩場固有の問題がある。

 例: 小川山レイバックは5.9の入門レベルのクラックだが、墜落で腰椎骨折した人もいる。
    斜上に上がる課題は、振られるため、ビレイが難しく、プロテクションのセットも難しい。

    心者のリードに向いた課題 = 直上でボルト間隔が短く、ペツルもしくはケミカル
                          なおかつ、核心部が出だしにはない

これらを理解するには、(岩を見る目) vs (TRでやったことがあるという経験) のどちらかが最低必要。

そうでなければ、5.9であっても、ななめ上に向かっている課題で、落ち、ビレイヤーの方も上手な落とし方、止め方が分かっていないので、クリアランスを確保できず、岩に体をぶつけてしまったりする。

6) 適期

岩場には、それぞれ固有の適期がある。知らない=初心者。

 例: 城山や湯河原は冬。甲府周辺の岩場は真冬。

    ・真夏はスラブは向かない。
    ・雨上がりはクラックは乾きが遅い。
    ・標高の低いエリアは、真夏・真冬は向かない
    ・シーズン初めはラクが多い
    ・岩質により、登りやすさにばらつきがある
    ・花崗岩でも、あまり登られていない瑞牆や昇仙峡と小川山では悪さに違いがある
    ・ランナウト
    ・開拓者の好みによる違い
    ・ボルトの感覚と種類(リングボルトのルートにテンションかけかけはない。ペツル、ケミカル)
    ・終了点の整備具合

7) 終了点

外の岩に行く前に、終了点の勉強が必要です。

外の岩には、人工壁のような強固な終了点があるわけでもなく、足場も悪いので、慌てて終了点を作れない、となると、そのままフォールになる。

    したがって、(終了点の知識)、(慌てない性格)、(危険を見極める目)などが必要。

8) アンカー知識

外の岩に行く前に、ビレイヤーのセルフの理解が必要です。

ビレイヤーのセルフは、パーティ全体の最後の砦。いつもいいビレイ位置が選べるわけではない。

9)ビレイヤーの見極め

外の岩に行く前に、ビレイヤーの見極めが必要。

■ ビレイヤーの見極め方

ビレイヤーは、クライミングにおいてはクライミングギアである。不良品を掴むと、フォールした時に墜落を止めてもらえない。

1) 制動手が下になっている 

(確保器の基本的な使い方を誤認している人)(確保器の取り扱い説明書を読んでいない人)は、制動する手がになっている。

制動する手が上だと、屈曲による力の倍率減少で衝撃を吸収する仕組みなので、その仕組みが働かず、墜落した時にロープが流れてしまう。

2) 繰り出しが遅くない 

遅い=クライマーの動きを見ていない。

ただし、慎重なビレイヤーは、最初の3ピン目まではタイト気味に出すので、クライマー側もクリップ時に「ロープ」「出して」などと声を掛けるべきである。

私はジムで登るとき、1、2、3ピン目まではタイトでも、腹は立たない。慎重なビレイヤーの証だと思っている。

3) 立ち位置が間違っていない

基本は1ピン目の真下

4) だらりんビレイになっていない

だらりんだとグランドします。パツパツだと、登りにくいです。

5) トップロープのビレイで、パツパツビレイをしない

トップロープのビレイである程度ビレイ習熟度は分かります。パツパツに引くビレイをする人だと、ロープで引っ張り上げようと思っている=クライミングを誤解している 可能性があります。

TRのビレイで、あまりパツパツに引くと、クライミングできません。基本はクライマーが登って、ロープが弛んだら、その弛み分だけを引く。

6) トップロープでも座ってビレイしていない

座ってビレイはないです。

7) 制動確保を理解している

落下係数0、落下係数1、落下係数2の違いが分かっていないと、ただパツパツに引くだけのビレイになり、しかも、落下係数2のときに、「テンション」と言われても、「ちょっとクライムダウンして」と返事をしない。

落下係数2のときに、クライムダウンしないで、テンションしたら、落とされます。

8) ロープを足にかけても何もいわない

ロープをまたいでしまって足にかけると、墜ちたとき頭が下になります。 クライマーがロープをまたいでいるのに、それを指摘しないビレイヤーは、ビレイヤーとしての資格が不十分です。

9) ロープの交差

ロープは、擦過に弱く、こすれると切れます。ロープ同士が交差すると、擦過が起きます。

10) 逆ぬん

逆クリップについて指摘しないビレイヤーはダメビレイヤーです。

11) Z

ついZになることがあります。すぐに登れなくなりますが、下からゼットを指摘してやるのが普通のことです。

12) ロープの伸び

ロープは伸びるロープ、伸びないロープがあります。伸びるロープならガツンと止め、伸びないロープなら多少は出してもらわないと衝撃緩和できません。衝撃荷重が支点にかかると、支点崩壊の可能性があります。

テンション(静荷重)しながら登るなら、伸びないロープがいいです。

また、プーリー現象についても理解している必要があります。

人にもらったロープを使っていると、これらのことについては理解していないということが察せられます。

なぜなら、通常、衝撃荷重が何度もかかって、ロープが痛み危険になってくると、黄色信号くらいで、人にあげることになっているからです(笑)。

クライミングでは使いたくないロープでも、初心者のロープワークの練習用やフィックスロープ用なら十分な強度だからです。

したがって、自分のロープを買う気になった=リードの危険を理解するようになった=リードデビューして良い=外岩デビューして良い時期、という考え方もできます。

13) ゼロピン目、1ピン目を分かっている

1ピン目を取る前まではビレイなしと同じです。1ピン目で落ちるようなクライミングはダメです。1ピン目で落ちるような場合は、まだトップロープで登るべきということです。

14) 被りについて分かっている

被っていると、トップロープでは登りにくいです。落ちたら終わり。

15) 回収について、分かっている

ぬんちゃくの回収は、技術です。

16) ローワーダウンが、きちんと両手になっている

片手というのはないです

17) ビレイグローブをしている

流れ出したロープは、素手では止められないです。

ロープバーンの経験がないと、ビレイグローブをしないかもしれない。トップロープなら、あまり気にしないですが、シビアなリードでは気になります。

18) 体重差について分かっている (ダイナミックビレイになる)

体重が軽い相手と体重が重い相手よりも、大体同じくらいが良い。軽いほうはジャンプして止めれば、衝撃緩和になる

19) ハーネスの着用の仕方

墜落時の衝撃について分かっている人=腰骨より上

ファッションでハーネスをしている人=腰パン状態

ハーネスはきちんとウエストで締めないと頭が下になって、ハーネスからすっぽ抜けてグランドする可能性があります。

19) 墜落停止の経験がある

墜落を止めた経験がないビレイヤーは、墜落停止自体にビビッていたりする。一度でも止めていると、止めることが普通のことになる。

「制動手は死んでも離してはいけない」と教わりました。 持ちかえで、下の手を放す人は、その瞬間にクライマーが落ちたら、止めれません。

■ ビレイはクリエイティブな技術

ビレイは、クリエイティブな技術です。

クリアランスとロープの伸び、衝撃吸収を計算してないと、適切なビレイができません。

岩棚があれば、落ちて、そこに当たるような距離なら、タイト目に出します。かぶっていてタイト目に出すと、岩に激突するようなら緩目に出します。トラバースでパツパツに出すと、登れるものも登れません。

■ 充分なリード経験

(ビレイの精妙さ)について理解するには、(リードクライマーとしての危険認知力)が前提です。

もっとあると思いますが、とりあえず思いつくままにビレイについて書きました。

ビレイがこのような細かな配慮を必要とするということについて、きちんと理解ができるという理解が、何によって発生するか?というと、リードクライミングです。

自分がリードクライマーとして登るときに、

 今、落ちたらどうなるか?

ときちんと危険の認知ができる、ということです。

そうでなければ、逆の立場になった時に、アブナイか危なくないかの判断ができません。

したがって、トップロープだけで登っているクライマーだと、危険の認知が十分でない場合があり、トップロープのビレイは良くても、リードのビレイは任せられない場合が多いです。

したがって、ビレイヤーとしての資格が十分かどうか、というのは、リード経験が豊富かどうか?にも、かなりの部分で関係してきます。

■ 裏返し

つまり、リードで学ぶべきことを学び終わっている必要があります。

1)1ピン目ですぐ落ちる → まだリードデビューは早すぎる 

1ピン目で落ちると、どんなに優れたビレイヤーでも止めれない可能性がありますから、1ピン目で落ちるようなクライミングは、トップロープでもできるだけしないようにしないといけません。

例外もあり、わざと落ちてビレイヤーのスキルを試す場合もあります。

2) 3ピン目まで緊張

今落ちてグランドするかどうか、で、緊張の具合が代わってくるのが当然です

3) 被ってきたら安心

被ってきたら、クライミングは難しくなりますが、落ちても安心になります

4) トラバースなら緊張

トラバースは、落ちたとき、振られることがあるので、タイト目に引かれると、岩にぶつかるし、かといって出しすぎだと、振られ幅が大きいし、ビレイは難しいです。

5) 高ければ安心

高度があがると怖くはなりますが、グランドの可能性は減って行きます

6) 声が聞こえるか

声が聞こえないと、リスク増

7) ラク

良く登られている岩場=ラクが少ない 
上が登山道 =ラクがある

ラクについて見極めができない場合は、ヘルメット着用。

ロープをまたいでしまうなど、頭が下になって落ちる可能性がある場合も、ヘルメット着用。

■ 経験とは洞察力(推理)

(制動手が上になっているビレイヤー)や(クライマー側とビレイヤー側を反対にセットしているビレイヤー)を見て、その人が(取扱い説明書を読んでいなかもしれないこと)が推理できます。

(取扱説明書を読んでいない)ということは、その人が(ただ単純に無知である)ということを示すだけでなく、もしかしたら、(そもそも、クライマーの命を預かっている責任感自体がない可能性)があることを意味します。

仮に、それが事実だった場合、(仲間としてふさわしいか?)は、個人の価値観によります。

(無責任な人に命を預けるかどうか?)についても、(クライマーの自己責任)です。

(ハーネスが腰パン状態のクライマー)を見て、(まだ初心者だな)と察します。逆に(しっかりウエストの位置で締められてるハーネス)を見て、(熟練と経験)を察します。

(ビレイヤーが確保器を交換)したら、「ロープ径が合わなかったですか?」と聞きます。太いロープには、スリットの幅の大きな確保器でないと、流れが悪いです。逆に細径のロープであれば、スリットが大きいとフリクションが足りず流れすぎます。こうした所作は、信頼できるビレイヤーの証です。

太いロープなら、クライマーとしては流れが悪いだろうと想像し、細いロープなら、伸びすぎて落ちる場所に注意が要ります。そのため、リードクライマーは慣れている自分のロープで登りたいものです。

クライミングに(自分のロープを持ってこない)人は、(それら危険とリスクを回避するのがクライマーの自己責任であることをまだ理解していない)人です。ロープは命綱です。

ガイドさんの講習に出ても、自分のロープで登る人がいるくらいの世界です。(由来の分かっていないロープ)は、危険です。内部の痛みは、外皮を外してみないと分かりません。ショックが掛かったロープは、外皮と中身がずれています。

一緒に登る人の様子を見て、意図を理解できるようになるのには、クライミングに対する興味(理解しようとする心)と、(実際の場数)が必要です。

場数がないのは、誰にもあることですから、その状態の時は、経験者に連れて行ってもらい、そこからできるだけ多くを学ぼうとすることが大事です。

ちなみに、3回連れて行ってもらって学んでいない人は、クライミングには素養がないと思います。

≪参考記事≫
アメリカンアルパインクラブのビレイ解説



2016/08/03

ピラ13

■ 今日もピラニアへ

今日も小川山は、登れない・・・

明日もダメでしょう・・・というので、ピラニアへ。後輩も沢の予定を辞めて、人工壁へ。

連日大気が不安定で、沢も鉄砲水が怖い・・・

人工壁は行ったら混んでいた・・・。手の皮がもうダメなので、クラックで甲に張るテーピングを手のひらにはめてみたが、よれてしまってあまり良くない・・・

要するに、ガバではなくて、カチ持ちしなさいって意味なのかなぁ・・・

リード壁は、ボル壁を頑張りすぎたのか、あまり調子が出ない・・・

身体の方は全然疲れていないんだが、掌がダメで、登れない。しかも、月曜のパンプが、3~4本目で復活して、すぐに腕がアップアップ・・・

不思議だなぁ・・・もっと本数行けると思ったんだけどなぁ・・・

この分では、明日も手皮がダメで登れないので、易しい課題をカチ持ちで登ろうっと。

2016/08/02

7月のまとめ

■7月のまとめ

ピラニア 12回


  1. 7月2・3日 霧ヶ峰ロゲイニング
  2. 7月12日 トキン岩
  3. 7月23・24日 セルフレスキュー訓練
  4. 7月28日 小川山 ジャーマンスープレックス

7月30・31日 国体関東ブロック観戦

という結果。7月と言えば、中高年登山で言えば、オンシーズンである。私はと言えば、オフシーズン・・・

万座温泉に出かけるなどしたが、基本的には山に行っていないので、なんとなく不満も溜まっているが・・・まぁ仕方ないですねー。

■ 縦走は一人のほうが楽しい?

高い山に普通に縦走に行くときは、一人で行きたいんですよね~ 

何しろ、4回目くらいの登山で、北岳単独で行っていますし・・・人でごみごみした山=ソロに相応しい山。

8月はパートナーがクライミングはお休みなので、体力強化月間として、高い山に登っておこうかな。

■ 課題の整理

握力アップが課題なのだが、左手は18kgから23kgに増えていた♪ が、右手の握力が30kgから、27kgへ減っていた・・・(汗)

先日、国体のコンペを見ていたら、ビレイヤーは大抵体重が軽そうな男性だった。国体などの場合、流して止めるので、体重の重い男性は、衝撃吸収の面から、ビレイヤーには向かないのかもしれない。体重が軽ければ、ジャンプすれば流したのと同じことになる。

・ダイアゴナルと正対の使い分け

・足限定課題



コークスクリューの日

■ 湯川 2回目

2回目の湯川に行ってきた。1回目から、ずいぶんを日が空いてしまったなぁ・・・という感じ。

今しらべたら、4月13日に記録があったので、4ヶ月近く空いている・・・クラックのぼりを忘れそう・・・という危機感はあながち間違いではない。

5月はクライミングはレスト、6月は易しい本チャン、7月はレスキューに費やした。が、やっと梅雨が明けたら・・・もう真夏で、甲府近所の岩は暑くてやってられない。

8月は通常、高い山の本チャンに行くべきなんだが、そこまでやりたくない=沢、となっている(笑)が、沢も今年はまだ1本しか行っていないので、もうホントにフリーに捧げる年だ・・・。

■ コークスクリュー

ひそかに、デゲンナーをリードしたいな~と思いながら出かけたのだが、相方はサイコキネシス5.10cをしたかったみたいで、隣のコークスクリューにとりつく。

コークスクリューは、5.9だからアップ課題かと思いきや・・・薄被りだし、ホントに5.9なのかなぁ・・・と言う感じ。

前回もコークスクリューを登っているが、登り方はすっかり忘れていて、大変だった。

相方のほうも、前夜お酒が入り寝不足だという話で、ずいぶんと苦労していた。怖かったそうである。時間とテンションをかけてなんとかリード。カムのセット場所などの確認がいまひとつだった。

コークスクリューは、2番3番のカムが2セット必要だそうだ。

私も取り付くが、最初はハンドサイズのジャミングで良く効くが、フットスタンスが悪く、左足は足ジャム、右足はスメアの一歩が怖い。今回のシューズがエッジング向きの靴で、スメアしづらいというのもあるが、次の一歩はハイステップで、右に出て、凸角の1cmほどのスタンスに乗るので、エッジング性能万歳♪な感じ。そこに立ちこみで引き寄せると、背が高ければ次の真上のガバまではいかないが良いカチが拾える。

が、私は小さくて、一気には届かないので、左手でクラックを縦カチ持ちしながら、登るのだが・・・滑りやすい!体を倒さないと効かないので、これでまた一回墜ちた。

これをやり過ごすと、良い足場がスタートのクラックに入るが、この中間部、内部がデコボコした、屈曲の多いクラックなのはいいのだが、ハンドジャム、スカスカ。奥に突っ込んで、側壁にカチを探す・・・が、うーん、ぬめっていて滑る。フィストジャムも出口付近に効く場合もあるが、効かない場合もあり、効きが7割くらいのフィストで登る気になれない・・・が、右に逃げると、フェイス的に登れるスタンスがいくつかある。

でも、これを使うと、クラックはまったく関係ない話になる。右に行ってフェイス登りにしないで、クラックに執着しようとすると、左の方はステミングできるようなフットフォールドがなく、足もバランスクライミングだし、フィストジャムは効かないし・・・ただ少し体をあげられれば、クラックの出口がガバになっている。

これも背が高ければ取れるので、フィストが効いて、身長が160ある人には、5.9なのかもしれない。

小柄な人には、ここのクラックはフィストも全然効かないし、奥に入れてもダメなので、ちょっと辛い。

後は、全部ガバが終了点までつながっている。

■ パンプ

今日は、この1トライ目で、腕がパンプ。最近は、ジムに行っても、全然パンプしないで、まだまだ登れますよ~で帰ってきているので、外岩の緊張感というのは、桁違いだ。

2トライ目は、ゆとりを持ってのんびりしてから登ったけれど、これは落ちまくってダメ。要するに腕の回復がまだだったのだ。

お昼を食べたりなんだりで、お茶を濁し時間をつぶして、再度トライ。

前夜の雨で濡れたクラックも、だいぶかわいて来て、ジャミングの効きも良くなってきた。

3度めはなかなか良い具合に登れた。

カムのセットを勉強中に、雨が降ってきたので、大急ぎで撤退。

■ アップ?

しかし・・・いつもしょっぱなから、ギリギリトライで、アップがないんだけど、これでいいのだろうか(笑)?

まぁ何をアップにするか?というのは、リードする人に選択権がある、と思っている。

それに、デゲンナーをやったら、当然コークスクリューへ、と思っていたのでいいのだが・・・、やっぱりアップは、確実感がある課題が必要だなぁ。

今のところ、5.9はオ


ンサイトため中だから、確実であってほしいグレードだが、5.9が確実であるためには、5.11をトライ中でないといけないので、結局、私の現在の確実感は、5.10bの2グレード下、となると、やっぱり5.7なのである。

でも、5.7を落ちるかもしれないとビビりながら登らなくて良くなっただけでもすごい成長だなぁ。

■ ムーブ

外岩では、別に人工壁通いの成果は全く感じない。

というか逆に、人工壁に慣れてしまうと、やっぱり岩を見る目がなくなるというか、特にスタンスが分からなくなる。

人工壁では足は限定だったりもするからなぁ・・・。

ただ、ヨガを教えているからクライミングは上手になるよ、と人から言われる理由は分かるようになった。

たしかになぁ。ヨガのアーサナとクライミングのムーブは近いものがある。

クライミングに柔軟性はかなり有効だというのも分かる。

人工壁だとムーブは習得したら、あとは保持力という話になってしまう・・・まだ、習得していないのに、先が見えてしまっている、というのも何だが・・・。

外の岩だと、先があまり見えない。ので、知的探究心をくすぐられる。人工壁で華麗にムーブを披露できるとそれは楽しいだろうが・・・だんだんホールドが小さくなってくると、華麗だったはずのムーブも必死になってくるんだが・・・それでも、ムーブ自体は同じだったりして、何か新しいことがあるという風には見受けられない。

外の岩は、ムーブを見出すのが難しい・・・というか、ムーブ全然使えない。

今日は、サイコキネシス5.10cも触ってみたが、人工壁の5.10cは、登れても、これはフィンガージャムだし、全く取り付きからとりつくしまなし、だった。