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2023/10/23

【善因善果・悪因悪果】今までと同じ思考回路で、アクセス問題は解決できるか?

 ■ 善因善果・悪因悪果

仏教には、善因善果・悪因悪果という言葉がありますが、構造は単純です。

 善因善果 良い種を撒けば、良い結果が現れる

 悪因悪果 悪い種を撒けば、悪い結果が現れる

まぁ、仏教を持ち出さなくても普通のことですね。

■ アクセス問題

そもそも、人が死んだり、大けがしたり、というリスクが内包されるクライミング活動。

 因1)わざとそのリスクが高くなるように、クライミング課題を創ったり、あるいは、そういう思想を擁護したり、

 因2)マナーやルールの合意形成を怠ったり

すれば、当然、

 果1)死亡事故や大事故が起きたり、

 果2)マナー違反やルール違反が起きたり

して、結局のところ、

  結3)岩場はアクセス禁止になる…

ということを繰り返すだけだよなぁ。

だって今までのやり方でそうだったんだから。

どうなるか?なんて

 岩場が登攀禁止になるって結果が過去にすでに出ている

ことですよね…。

なんで結果がどう出るか分かっていることについて主張を繰り返すのか?そこが謎なんですけど…

■ 疾病ご利益

この場合、アドラー心理学では、岩場が登攀禁止になることについて、ご利益があるから、その現実を作り出していると考えます。

ご利益は何なのか?

岩場が登攀禁止になって、得をするのは誰なのか?

■ 何が悪因で何が善因なのか?

クライマー界を見ていると、

 何が善なる因で

 何が悪なる因なのか?

きちんと理解し損ねているために、延々と同じミスを繰り返している子供のように見えてならない…。

パパ、ママが、「〇〇が正しいと言ったから…」と言う理由で、”〇〇が正しい”と主張し続ける子供…子供だから、視野が狭く、環境が変わっている、時代が変わっている、ということが見えていない。

そういえば、中学時代、テストで赤点の人が合格点を取るまで帰れないっていうのがあったが、そのテストって、間違った個所を確認させない、というテストだった。英語の綴り。

何をつづり間違ったか?確認しないのだから、延々と間違い続ける…何回テストを受けても同じ。

■ 小鹿野(奥多摩) 今までと同じ思考回路で同じ間違いを犯す路線を提示中?

結局のところ、小鹿野で、

 アクセス禁止になってきたクライミングに対する考え方を訂正することなく

 今まで同じことを繰り返す

としたら、

いくら、強力な助っ人で、議員やら町の町おこしの人やらが頑張ってくれても、

 今までと同じ結果が出る

ということを証明しつつある…ということなんじゃないだろうか?

■ 結局、懲りない面々ってことなんでは?

それもこれも、疾病ご利益、

空いている岩場で登りたい

 =アクセス禁止になっている岩場でこっそり誰にも見つからずに登りたい、から?

なのだろうかね?

登攀禁止になった場合に迷惑をこうむるのが一般クライマーだけで、一部の特権クライマーには痛くもかゆくもない、という問題が解消されないのが問題なのかもしれませんね。

■ 自浄作用

この件に関してはクライマー内部での自浄作用を期待するしかないでしょうね…

古いやり方を唱えている人本人が、クライマーを代表して地権者との交渉担当やってみたらいいのでは?

あるいは、

地域おこし担当、とか…。忙しいからとか言って逃げるんだろうか(笑)?

■ 町がクライマーを選ぶ時代

昨今、お客にもいろいろな人がいて、

 俺はお客様だから神様だろ?!

みたいな、モンスターお客もいます。ある書店の主と世間話しましたが、とんでもなお客は増えているそうです。便乗に平気な人ですね…

というので、今や、町がお客を選ぶ時代です。

小鹿野も、

 どういうクライマーに小鹿野町に来て登ってほしいのか?

を町の人達自らが規定して、マナーを守るクライマーだけ来てほしいとか、ルールを町が作り、そのルールを守る人だけ来てほしいとか、そういう風にするのが、

 本来の筋

なんではないですかね? クライマーって言っても、内容はいろいろなんですよね。

そういう考えの人には来てもらいたくない、ということになれば、危険思想の持ち主も、登れなくなったら大変だ、と考えを改める機会になるんではないでしょうかね?

町の人はクライミングについて分からないという情報の非対称性により、クライマー側が、ちゃっかり便乗して、利得は全部クライマー側だけに落ちるように登ってきた、というのが結局のところ、戦後70年間の在り方で、地元には全くメリットないどころか、迷惑しか落とさないんでは、当然、誰だってクライマーに来てもらいたくないですよねぇ?

なんでそれくらいのことが分からないのか?私にはかなり謎です。

昔の偉大なクライマーをそっくりそのまま真似したいというのは、クライマーの良い子病発病としか思えないんだけど…。

アダム・オンドラが登っているの見ましたが、立てるところに1ピン目かけていましたよ?

そりゃそうだ、被っているんだから。昔のルートは全部寝ていますよね…。

2023/10/08

【訴訟】行政に対しても、”俺様”クライマー 軒先借りて母屋ぶんどれ?

 ■ アイロンさんがいいこと言ってた…

さすが。https://crackclimbing.net/archives/3284


■ クライマーは登らせてもらっている立場が理解できていない

んですよね…。それは行政との窓口対応を 

 JFAが好きでやってるんでしょ、(自己責任なんだから)

とか思っているからなんですよね…。間違っても

 JFAってありがたい組織だな~

っては思っていない。

大体、現代の男性クライマーって、ちゃっかりすること=賢いこと=自己責任、だと思っており、

 「ねぇねぇ、あの終了点、みんなで持って帰って山分けしようよー」

とか言う人が多いです…(汗)。はぁ?って感じ。しかもJFAに会費も払っていない。

恩恵は受けても、貢献はする方がバカ、みたいな価値観です。

女性クライマーと結婚した5.13クライマーが反省させられているのを見ました…。なんでそんな価値観になったのかなぁ…っていうのが、もっぱら、ここ5年ほど考えている謎解きです。もはやライフワークになっている(汗)。

■ 交通ルールでも同じ

たぶん、

 ルールを守らなくても誰にも怒られないのに ルールを守るやつはバカだ

という考え方がはびこっているのは、

 クライミングは自己責任

と言う言葉を、都合が良いように解釈したためではないか?と思うのですが。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ローカルルールはクライミングコミュニティを守るためにある

ここに駐車するのはやめよう、夜9時を回ったら静かに、ここに入ってはいけません。チッピングはNGです、クラックの脇にボルトを打ってはいけません、オウンリスクでお願いしますetc etc

これらのローカルルールはクライミングエリアを守るために対外的に約束したものと、クライマー皆んなが円滑に楽しむためにあるものがありますが、基本的にはどちらもクライミングコミュニティを守るために存在しています。ときにはクライマーの行動を束縛するように感じるルールもありますが、それが結果的にクライミングエリアを守るためだったりコミュニティ内での不要な対立を防ぐ役割を果たしているものがほとんどです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 上記サイトより引用

そこは自覚がないと思います。見つからなきゃOK って思っているのが9割で、実際、登攀禁止になっていた野岳の岩場を議員さんを案内していったことがあるのですが、クライマーの車が駐車されており、登っている声が聞こえていました…。こちらの話声を聞いて、そそくさと隠れたみたいな感じです。

■ 無法地帯化している…

野岳を例にとると、全く資格のない人が、クライミング講習?とかで女性にリードさせてトップロープを張り、3000円だか何だか、お金を取っているそうです。怪しげな商売をしていました。

その違法ガイドおじさんと、近所の山の駐車場で鉢合わせになったのですが、詰めれば2台停めれるので詰めてくれと言ったら、激上し、他の車を止めさせないような駐車の仕方をし、困っていたら、別の登山者の男性が現れ、その人を見たとたんに、”すいません”と言って詰めた…という行動をとった人でした。女性蔑視なのか?俺様タイプなのか?

なんかこの事件が、九州の岩場の現状っぽかった…。これは、クライミングではなくて、一般登山の駐車場で起きたことですが…。

なんか九州って、自尊心に問題を抱えた人が多そうな印象なんですよね…。

私の印象は間違っているでしょうか?いやはや…こっちでは、自分が間違っているのか?って色々考えて、うつ病になりましたが、結論的には、病んでいるのは私ではなく、あちらのほうでは…。

■ 違法ガイド

余談ですが、私は自己責任200%のタイプなので、こういう俺様おじさん…自己責任50%の人…に奉仕する女性役を押し付けられそうな気がして、クライミング自体を辞めました。なんかヒトラーに利用される官吏みたいな立場に立たされそうになっているような?

というか、九州の文化圏にいると、自己責任が取れていた人も、だんだんと50%の俺様化していく現象が起きているような気がします。これは、周囲の女性の対応が、男性の自我を幼児化させていく行動…男であれば何をしても善、許される…をとっているからなのではないでしょうか?男ってだけで大事にされるって意味です。これは文化的観察ですが…。

男ってだけで間違った行動に対する抑止力が下がっている。

■ でかした!が普通

トップクライマーの平山ユージさんが、行政の同意を取り付けたことは

 でかした!ユージ!

というような、お手柄、なことです。

同じようなことで、大分の八面山のある中津も行政がクライミングに好意的です。

しかし、その好意を取り付けたクライマーは、でかした!と受け取られない。

 えー、今までクライマーだけで、ひっそり自由に登れてよかったのにー 

 ずっと秘密にして登りたい~

みたいな感じなのかもしれませんが、現代の開拓って、ましてや、リボルト再整備って、個人のポケットマネーでは、もはや無理って金額ですよね?

10万円、20万円を払うのは、普通の人にもできますが、100万、200万って払えます?今のクライマーって、年会費3000円でも払わないのに。

地元のクライマーが立ち上がらなければ、JFAだって何にもできません。UIAAだって、リクエストが無ければ何もできません。

ローカルクライマーが自分たちの岩場は自分でメンテする!という意識を持つ、それが 自己責任、の意味なんですよ。

そうすれば、支援はやってきます。

■ アメリカでは、もっとひどい

どんだけフリーライドって感じですが… これは、日本だけの現象ではなく、世界の現象です。

私のところに来たコスタリカ人クライマーですが、旅行中(と言っても4か月も滞在)だから、ロープを持ってこないのはまだしも、ATCも持っていない…

つまり、誰かが張ったロープにトップロープで登ろーって魂胆だったみたいです。

友人が、城ケ崎でも、他人のトップロープで、5.12を登っている外国人クライマーを見かけたそうです。

日本人は優しいので、別に自分が登った後は減るもんでもないし、いいよいいよ、と登らせてあげてしまいます。

私もラオスでは、自分がリードした後のロープに、別のクライマーを登らせてあげていましたが、それは、ちゃんとクライマー同士である、という了解の上でした。

ビレイする気もさらさらないクライマーを岩場に連れていくってのは、話が違いすぎます。

そもそも、便乗しようと、乗り込んできたクライマーを登らせてあげるっていうのは常軌を逸しています。

■ 軒先貸して母屋取られる… 著作権

そんなことをしていたら、

 軒先貸して母屋取られる、

になってしまいます。 実際クライマー界に起きていることは、

地域自治体の人が軒先貸してくれたら、クライマーが母屋、ぶん取ってる、みたいな現状…

人の所有物に登って、自分の著作権を主張するっていうのは、一般の人の目には、そう見えます。クライマーは、全く自覚がないと思いますが…。

初登者の権利主張って、図々しいこと、この上ないですよ、一般良識の感覚からすると。

あなたが地権者ならどうです? 

ルートの設計が悪く、そこを登ることで、ボルトが欠損しているわけでも何でもないのに、6件も重大事故が起きていて、何人も病院送りにしている、そのルートを設定した人が、俺のルートに手を加えるなんぞ、許さん!とか言ったら…

普通、何様?って思いませんか?

■ 玉石混交… 登攀の価値が分からなくなっている…お買い得品が良いルート?

初登も、歴史的な意味とか、重みとか、いろいろ課題ごと、ルートごとに違います。

良いルートもあれば、悪いルートもあり、ボルト位置がまずい失敗作もあれば、名作というようなものもある。十パひとからげで語るから、価値のないルートを作った人でも、権利主張して、俺が俺が、って話になる。

まぁ、何が価値あるルートで、何が価値がないルートか?っていうこともまた、別の議論として、クライマーは分からなくなっているから、

 Old But Gold

みたいな、タイトルが可能になるわけですが…。

少なくとも 町おこしにクライミングを使うなら、町の人は

 事故をわざと誘発するようなのではない課題が揃っていること

を条件にしたくなりますよね? それが普通でしょう…

■ 安きに流れること肯定路線

まぁ、一般クライマーも、開拓クライマーも、全般に

 安きに流れてきた

ってことだけは、確実に言えることでしょう…

そのツケを払うのは? 一体、今、何歳のクライマーたちの世代なんでしょうかね? 


2023/06/16

【クライミング実情】小鹿野で ”大規模”伐採???

以下引用。 https://www.yamareco.com/modules/diary/35638-detail-302168.html

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2020年に小鹿野町二子山で起きた(一社)小鹿野クライミング協会による保安林無断伐採事件以後、国の法令である「種の保存法」で国内希少野生動植物種に指定されている植物が絶滅の危機に瀕しています。

さらに2022年にも別場所でクライミングエリア開拓と称した大規模な伐採が行われ、同様に国内希少野生動植物の生育地が絶滅の危機に晒されてしまいました。

2021年に問題を知ってから約1年以上に渡り調査を実施&地元の皆様をはじめ国の担当官&専門家等の指導助言を頂きながら、昨日ようやく関係者会議で一同に会することができました。
初めの一歩です。
以下に、昨日提出した要望内容を貼っておきます。
これを厳しいと思われる方もいると思いますが、一般社団法人による1度ならずも2度も無計画な大規模伐採が行われていることや、国の法令違反にも繋がりかねない重大な事案ですので、国をはじめ様々な専門家からのアドバイスをもとにあえて厳しく設定してあります。
長文になります。
尚、写真は昨日の会議資料表紙と、情報公開請求で得た2020年保安林無断伐採時の顛末書です。


開催日時:6月13日(火)午後1時~
場所:小鹿野町役場議場
出席者:埼玉県(みどり自然課・環境科学国際Sより計2名)、小鹿野町(まちづくり観光課計3名)、(一社)小鹿野クライミング協会(理事1名)、小鹿野の石灰岩地域の植物保護を考える会(参加団体の各代表者及び研究家等計7名)
以下、要望事項のコピペですが、希少植物の名称は伏せてあります。


小鹿野石灰岩地域における希少野生動植物種保護に係る会議への意見

2023年6月13日
小鹿野の石灰岩地域の植物保護を考える会

【埼玉県への要望】
1) 種の保存法や県の希少種保護条例に基づき、国内希少野生動植物種や埼玉県希少野生動植物種の保護保全対策を早急に行うこと。
2) 特に国の法令(種の保存法)で国内希少野生動植物種に指定されている植物の生育地は、クライミングルート開拓によりすべての生育地において絶滅の危機に瀕していることを認識し、国及び専門家からの指導助言に基づいた希少種の保護保全対策を速やかに実行すること。
3) 県条例で埼玉県希少野生動植物種に指定されている生育地の中には既にクライミングルート直下で踏みつけによる消失も起きていることから、県条例に基づいた保護保全を図ること。
4) 地主及び保安林法等の手続きを担当する関係課所等に対し、国内希少野生動植物種並びに埼玉県希少野生動植物種の生育地であることを周知し、これらの希少野生動植物種の保護保全に理解と協力を求めること。
5) 小鹿野町とともに現地確認をしっかり行った上で、上記1)、2)、3)に加えて保護保全エリア(立入禁止エリア)とクラミング可能エリアとの区分けを行うなど、速やかに有効対策や手段を講じること。
6) クライミングによる町おこし事業を推進する小鹿野町と(一社)小鹿野クライミング協会に対し、法令及び県条例に基づいた指導や処分を行うこと。また今後のクライミング事業継続について行政監視を怠らないこと。

【小鹿野町への要望】
1) 「クライミングで町おこし」という事業を推進しかつ実施する場合、きちんと事前の計画立案に基づいた環境調査や影響評価、マーケティング、関連法令の確認等、さらにPDCAやOODAの構築など、起業ルールに則った事業展開を行うべきであることを理解すること。
2) 民間にその事業を委ねる場合、最終的な責任は町がしっかりとるべきであり、「町おこし事業実施者」に対する町のガナバンス体制をしっかり構築すべきである。また委託契約の有無や金額の有無にかかわらず、「町おこし」の冠を名乗らせているものはすべて町が委ねたことにつながるという認識を持って対応すべきであることを理解すること。
3) 小鹿野町も参画している「第二次ちちぶ環境基本計画」個別項目Ⅲにある“生物多様性の保全”内容に因み、埼玉県とともに現地確認をしっかり行い、関係者間で速やかな対策が実施できるようにすること。
4) 地主及び現地森林について諸手続きを行う担当課等に対し、国内希少野生動植物種並びに埼玉県希少野生動植物種の生育地であることを周知し、これらの希少動植物種の保護保全に理解と協力を求めること。
5) 従来から設置されている一般登山道があるエリア以外の開拓は行わないこと。またクライミングエリアへ向かう踏み跡と一般登山道の区別を明確にし、一般登山者の遭難防止対策を行うこと。
6) 次年度以降の埼玉県希少野生動植物種選定候補である植物がロープの支点にされないよう、生育地の保全を速やかに行うこと。
7) (一社)小鹿野クライミング協会と共に、国内希少野生動植物種の原状回復措置を早急に行うこと。また生育地域への立入は禁止とし、生育状態の回復をはかること。

【一般社団法人小鹿野クラミング協会への要望】
1) 国内希少野生動植物種生育地上にクライミングルートが設定されていることから、生育地周辺のルート(ボルトやロープ等のクライミング用具)は一般クライマー等の誤侵入を防ぐためすべて撤去し、法に基づく国内希少野生動植物の生育地保全のための原状回復措置を行った上で立入禁止エリアとすること。またその事実を正しく広報すること。
2) 1)の生育地のうち、伐採により今夏の生育環境が維持できなくなっている東岳右壁の生育地については、国や県の指導のもと、生育維持ができるよう日除け設置等の対策を行うとともに、1)と同様の措置を早急に進めること。
3) 埼玉県希少野生動植物種生育地の中には、東岳北壁やローソク岩北面のようにクライミングルート直下となっている場所で踏み付けによる個体数の減少や表土流出(群落の消失)がみられることから、生育地についても従来の登山道以外の場所については、1)同様にクライミングロープやボルトの撤去など、早急に対策を講じること。
4) ローソク岩に行くにあたり、従来の道標が立っている登山道ではなく2020年の保安林無断伐採時に行われた整備により造設されたアプローチ道については、国内希少野生動植物種の生育範囲内にあたることから、このアプローチ道は廃し(立入禁止とし)、ローソク岩へのアプローチは従来の登山道にある道標(分岐点)からのアクセスに戻すこと。またこのアプローチ道上にある中央稜下部付近のクライミングコースは1)の対策を講じた後に廃止とすること。
5) クライミングルートのスタート地点や途中にあるテラス部分、終了地点等に希少植物の生育地がないか確認の上、希少植物の群生地や生育地にかかるクライミングルートは撤去及び原状回復措置を行い、立入禁止とすること。またその事実を正しく広報すること。
6) 従来から設置されている登山道があるエリア以外は開拓の対象から外すこと。また既に設置されているクライミングルートは全て撤去し、国内希少野生動植物種及び埼玉県希少野生動植物種の保護保全を行うこと。
7) 次年度以降の埼玉県希少野生動植物種選定候補である植物がロープの支点になっていないか確認を行い、支点に使用されている場合は外すこと。また他の者が支点にしないよう注意喚起を行うこと。
8) 新たな開拓計画を建てる場合は、計画の前に先ずは環境調査を行い、法令等の確認を行うこと。
9) 2020年の保安林無断伐採問題から端を発したこれらの二子山希少野生動植物種生育地損壊問題及び問題解決のためのルート変更(立入禁止)等の措置についての経緯や結果、そして情報は全て、ROCK&SNOWのようなクライミング専門誌はもとより貴会HPやSNS等で速やかに情報発信を行い、会員の有無に限らず来訪クライマーに広く周知すること。なおその際に希少野生動植物種情報の取り扱いや情報発信の方法については厳重な注意を払うこと。
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■ 永遠のテーマ 観光vs環境

今日は朝から、大変だねぇみたいな話題。

観光と環境は永遠のテーマだ。

日本人は、その最適バランスを自分たちで民主的方法で見つけ出さなければならない。


これは、韓国が国家主権主導の国で、民主国家を是としていないためである。国が何もかも決めてしまい、国民は絶対服従の儒教国家が韓国であり、若者の自殺率も高い。幸福度が低い国として有名なのが儒教を信奉する国だ。

日本はアメリカ型の民主国家を戦後採用したので、国民の主体に任されている。その証拠は、山小屋だ。大体が、最初、勝手に移り住んだってのが始まり。

そんな、そもそも”無法者”だった山小屋も、山のし尿問題やオーバーユースの時代を経て、今では、

 山の環境問題の守り手

になっている。しかし、今でも、にわか登山者たちの無法ぶりには手を焼いており、私も経験があるが、今の団塊の世代の人たちなどは、グリーンロープを張っていても、中を歩いて直上してきたりして、注意をしても聞き入れない。

好意的に考えれば、彼らが子供だった時代は、奥山でも植生が豊かで、多少の踏み付け圧なども、ものともしない自然界の勢力だったのだろう…

しかし、現在は? 奥山の希少生物は、マジでひん死状態なんである。

とはいえ、だれも環境保護と観光の線引きには、手を付けたがらず、上高地の梓川だって、大腸菌が検出され、その結果、だれも梓川の水が飲めない。

私が思うには、山には山のトイレットトレーニングがあるのだが…例としては、森林限界以上でしない、川の近くでしない、など…そういう教育なしにブームだから、と登りに来てしまう登山者が問題。

そう、問題は教育の欠如。

■ 小鹿野の大規模伐採

樹木を伐採するのには、許可がいるんだが、クライミングの岩場で、伐採許可取りましたって聞いたことがない。

本来は、伐採に許可がいるのは、植林地で、伐採した木が、売り物、だからだ。

あとは原生林などだが、日本には、まったくのところ、原生林的なものは残っていない。北八ヶ岳レベルで、なんとか少し…北岳でも下のほうはばっちり植林。

つまり、切って植生を痛めるというような話は、林業レベルの大規模伐採レベルでない限り、低標高で、奥多摩の里山である小鹿野あたりでは考えにくい。

日之影町でも同じだろう…

いったい大規模伐採って、何をもって”大規模”って言ってんのかなぁ…というのが私の感想だった。

クライマーがクライミングに必要だから…というレベルで切る伐採など、たいしたことないんだけど?環境問題で見たら…。

環境問題になるって、こういうのが問題なんですよ?

自伐林業の水害多発地域の話。

【第84回】土砂災害を招いた球磨川流域の大規模林業 

https://www.youtube.com/watch?v=QellUZdnPuo&t=1963s

自然に詳しい林業者の中では、むしろ、里山レベルのところの山林は、人の手を積極的に入れたほうがいいというのは、もう常識になっており、里山なのに人の手が入らないことが、山の荒廃をもたらしているんだけど?

■ なんでもだめにして一本取りたい?

そりゃ、法律を持ち出してきたら、木、1本からアウトであろう…

しかし、それを言ったら、小川山はどうなる? 瑞垣はどうなる?

これまで、苦労して築き上げてきたクライマーの歴史的積み上げを、自らの超・短視眼的な、小鹿野の若い奴らをとっちめたい!という衝動的行動で、無にするつもりなんだろうか?

小鹿野は、若い世代が、将来の町の未来を見据えて、クライミングを取り入れようとした稀有な事例である。主体性がなく、産業もなく、災害によって国から出される災害復旧金依存の町の運営より、なんぼもましではないか?

九州では熊本などは、水害が起きて、あー、今年はこれで首がつながったーと、ほっとしている、ていたらく、なんですよ?

ついでに言えば、私は山梨では由緒ある富士山レスキューを出す一般山岳会に参加していたが、会山行は登山道の整備を兼ねて、なた、もっていってましたよ。別に許可、取っていないです。葉っぱ一枚も持ち出してはならん、というのが、しゃくし定規のアメリカ型自然保護ですが、日本の実情にはそぐわない。

歴史的に日本の里山・奥山とアメリカの原始の自然は、全く意味違いますよねぇ?

それは富士山のふもとの里山レベルの場所でも同じです。昔から登山では、”草鞋の跡は、山の肥やし”と言います。

アメリカ型環境保護の人は、手つかずだけが賛成です。ロープウェーにも文句言いますが、ロープウェーが一番植生のダメージが少ないんですよ?そのくせ、一番ダメージ大きい道路には、賛成だったりして、一貫性がないことが多い。要するに、俺の都合がいいようにしてくれ、っていうポジショントークに、環境を使っていたりする。

もちろん、小鹿野はガードが甘かったと思いますが…私は林業の研修を受けたので、伐採が許可が必要なことは知っていますが、普通のクライマーでそんなこと知ってるやついないですよね。

必要なのは、後で揚げ足取りする人ではなく、事前に、教えてくれる人。それに、これ、始末書、かいているから、再発はしない。

■ まさにこの図を思い出すなぁ…


小鹿野のように無給で岩場の保存・再生のために頑張ってくれる人がいるから、岩場は登れるコンディションになり、ほっとけば、コケだらけです。

仮に小鹿野をとっちめたとしましょう…

で、公式に登攀禁止になった折には…?

自分だけは見つからないようにこっそり登っちゃおう!

って魂胆なんだろうか? 

どーせ岩場にだれもこないしねー、見つからなければいいでしょ、みたいな知恵はついているからなぁ。

でも、クライマーって、ほんとアホが多いからなぁ。

人の来ない岩場=コケ苔で登れない岩場。一度でも岩場整備する経験があれば、わかると思いますけど…。


クライミング業界に必要なのは、どうすれば、混雑せず、事故が起きず、不公平が起きず、クライマーが自分たちのボルトは自分たちで負担して、だれかほかの人がやってくれると期待しているだけのフリーライドする人を作らず、地元にもクライマーにもメリットがあって、世界中の人と友達になれる、楽しい岩場を次世代に残していけるか?議論することです。

このことについて私が出した結論が、クライマーのゲストハウス、なんですよ。



2023/04/18

ロクスノ 099号 小鹿野の紛争の件 読みました 

 ■ 平山ユージさん、気の毒…

ロクスノ、買う価値ない、というので、見ていなかったのですが、ついに小鹿野の件、読みました。

全体的に、平山ユージさんは、”現状”を元に、”対策”の話をしているのに、古いクライマーの人たちは、

・金を出していないと登れないのか?

・自分の意見は聞いてもらえないのか?

と現状を踏まえた対策というより、

 オレのことはどうなるの?

って内容が主体で、ガックシ… 

現代的クライミングの問題点を解決しようという意欲、まったくなく、現代のジム出身のクライマーが岩場でグレード感が合わなくて困っていたりしても…、

 ・オレは困らないし… 

 ・いや、むしろ古いボルトの岩場のほうが、安全に登る登り方(落ちないでテンションにしておく)を知っているだけに、俺らだけで登れて静かで快適だったなー、そのほうがいいよな-

って行間から溢れ出る感じでした…。

昔の人は、1億総競争社会だったので、行動原理が、嫉妬で、成功している人を見たら、足を引っ張るというのが、行動の基本にあるのかも知れません。

しかし、今の20代、30代って、すでに豊かな社会に生まれ、モノは十分あるし、クライミングも上手で、前の世代には不可能と言われた課題も、登ってしまって、その後すること無い。

ならば、生きる意味を求めて、分かち合い、シェアがいいのでは?とか、モノを所有しない生き方=ミニマリスト、とか言ってる…という価値観の人たち 

 vs 

昔の”もっとくれ、もっとくれ”の人たち

とでは、そもそも、基本的に立っている土台がちがうのかもしれないね…と思います。

徹底的にオレが中心で疑問を持たず、オレが損をしない生き方を貫き、相手の事情を想像する=負け、という競争社会に生きている人が、昔の人は多いのではないでしょうか?

そんな感じに大人げない記事掲載でした。あれで良く恥ずかしくなく読めますね…

■ お礼がゼロだったカムの返却

というのは、わたしがあるガイドさんの講習に出た際に、カムが一つわたしの方のギアラックに入っていたんですよね。

それで返送してあげたら…なんとお礼もなし。そのカム、わたしが盗んだわけではなく、普通は、一緒に登ったら終わり際に、カムが混じっていないか、相互に確認するという作業を普通にするのが当然なのです。特にガイドならそうでしょう。

わたしの赤キャメは、その時の、そのクライミングでいなくなったので、わたしの赤キャメはその人のギアラックに入っていただろう…と思うのですが、確認と返却はなかったのです。まぁ名前は書いていなかったから、想像するだけですが。

かなり有名なガイドさんでしたので、まさか、お互いに内心分かっているカムの混同をそのままにして、私のカムは自分のラックにかけたまま、私から自分のカムは返却してもらう、それも送料も私持ちで…なんてことが起こるとは思っても見なかったのでした…

まぁ、ものすごく貧乏そうでしたので、仕方ないか、と思ったんですよね…  もしかしたら、この手で何個もカムゲットしていたのかもしれないですね。

しかし、九州でも、ジムに2日しか行っていないのに月会費返却されないですし、クライミング業界は、やったもんがち、みたいな感じです。

一方、今でもFB友達の年下の男性クライマーがいますが、私は厳冬期の上高地に夫と出かけた時、すごいいいバイルを拾ったんですよね…

そしたら、偶然FBで、その彼のバイルだとわかったんです。宮崎ホイホイがついていたから。それで送ってあげたら、お菓子のお礼が来た。そりゃそうですよね。自分のものを返してくれたら、手間もかかるんだし、お礼するでしょう。

お礼のない年輩クライマーとお礼してくれる若いクライマー。どっちが人間として立派なんでしょうかね…?

そういう事を考えた機会でした。

■ クライマーとして有名でも、”人格”は、別もの

いつの時代からか、クライマー界は、怪我をした仲間をその辺に放置して、ほっとくのが当然という世界です。

大阪の岩場に行った時ですが、私は装備を持たずに行き、岩場を見るだけにしたのですが、(ビレイが疎かな人と組むのは嫌だったため)、その見学で、墜落が起き、怪我をして、一人電車で帰ることになったんです。

すると、なんと、その落ちた人と同じ会の人、ただその場に居合わせただけの見知らぬ他人の私に会の仲間を任せて自分は岩場に戻っていったんですよね…。

こんな仲間って仲間って言えるの?でもそれが、日本では状態化しているってことです。

そんな状況なので、今年マウンテンバイクの大会に出たときは、びっくりしましたよ。なんせパンク程度のことで、下界の車道を走っているだけの私をちゃんとフォローしてくれるんですよ? 怪我なく、問題なく、集合地点に戻れるか。しかし、考えてみたら、それが当然の大人同士の支え合いですし、大会主催者の責任感ですよね。

なので、どの時代のクライマー業界からなのか、私は歴史を知っているクライマーではないので、わかりませんが、古いクライマーって社会常識が欠如した人が多いです。

■ オレ、クライマーだから…という言い訳

菊地さんの『いかにして岩に…』というフリークライミングの本によれば、クライマーって、昔は、非社会適合者の集まりだったのだそうです。

それは、今でも、古いクライマ-は、慣行としてやっています。

アルパインにもフリーにもそういうタイプはいます。もう殆ど確信犯です。

谷川岳の最寄り駅、土合の駅で、どんちゃん騒ぎして、駅ビバークが禁止になったみたいに…です。どんちゃん騒ぎどころか、昔は、キセルするのが当然だったのだそうです。

多様性という話をする場合、たとえば、ゲイとかLGBTとかが海外では、社会的弱者、とみなされています。根拠なき差別を受けている、ということですね。

それが、日本ではなぜか、岩場を勝手に登るとか、犯罪する人が

 ”オレ、かわいそう” 

と思っているんですよね…。それは、被害妄想ってやつでは…?

オレは弱者だから社会から多目に見てもらって当然だ、って感じで…。それは、子供が6人いるから、女性にヒモとして面倒見てもらうのが当然だと思うとか、奥さんが嫉妬深いから可愛そうなオレは、浮気してもいい、とか、こちらからしたら、理解不可能な論理でした。デブだから、歩荷、免除とか。

いや、犯罪者は多目に見たらダメで、ダメなことはダメだよ、と教え諭される対象でしょう。

いや、子供が6人いるのは自分のせいでしょう。

いや、奥さんがいくら嫉妬深くても、浮気は自分がしたいからするんでしょう。 

いや、デブだったら、むしろ率先して歩荷して、痩せたほうが自分のためでしょう。

クライマーって思考回路時々おかしいですよね…その見本市みたいなロクスノ記事でした。

社会常識に照らし合わせて、一回、自分の言っていることが

単なるわがまま

でないかどうか確認して、頭冷やしたほうがいいですよ、重鎮扱いされている人たちは。 

「大人になりきれない人の心理」より抜粋。 これか…(汗)。


ゴミをポイ捨てするとか、うんこしてはいけないところにするとか、山に火を付けちゃうとか… 

いくら登れてもしてはいけないし、オレの私物だった岩場が公開されたのが気に食わん、って行間からにじみ出ていましたが、岩場って地権者のものなんですよ?いつから初登者の私物になったんだ? そもそも、地権者の許可取っていないから、アクセス問題になっているのに、その尻拭いはしないで、してくれた人に文句言ってるよなぁ…

普通、小鹿野町の応援を取り付けたら、でかした!ユージ!ってなるでしょう。

なってない…。

クライミングの岩場がアクセス問題で、登攀禁止になった経緯をフリークライミング協会が出している冊子で読むと、

「そんなことしたら、登攀禁止になるの当然じゃん!!」

ってことがだいたい全体の9割みたいな感じです。うんこ紙に火を付けて、燃やしたら山が火事になっちゃったとか。迷惑駐車とか、吠えるのがキモいとか。

ボルトが古くて誰も登りに来ない(これない)岩場で、ベテランのオレらだけが静かに登れたのがよかったのに、邪魔すんなって感じでした。

■ 対策は教育

対策は、もう教育しか無いな、と思うのですが、

自己責任の法則

って、他人に適用するもので、自分に適用するものではないって解釈みたいなんですよね。古いクライマーって。

権利を主張するなら、義務もあるんですよ。

土地を持てば、固定資産税を払わねばならないでしょう。それは結構な額ですよ。そういう事がわからない人だけが、いつまでも成功者を妬むと思う。その場合、その人が成功できないのは、固定資産税の支払いを拒否っているからです(笑)。潜在意識的に言えば。

クライミングに置き換えると、初登した人のルート、そのままでいいから、グージョンに変更する費用は、その人もちですよね?

そこで人が死んだら、その人の死亡について、責任を持つのは、ボルトを設置した人ですよね?

権利を主張するなら、義務も果たしてください。人が死んだら賠償金を払ってください、ってなりますよ?

少なくとも日本の裁判所はそう判断しているみたいですよ。

若い人は、偉い人が言っていることだからと盲信せず、常識をもとに判断しましょう。


 


2023/03/31

公開ルートの公共性 サバージュ・ババージュ 小鹿野のややこしそうな問題

 ■ やっぱり、初登者が勝手に特権振りかざしているだけでは?

サバージュ・ババージュの件読みました。 

https://www.taru-shiru.com/noboruahou/archives/futago1.html

どう読んでも、このルートをリーチの短い人に登らせないために、嫌がらせしただけって明らかなんですけど(笑)。

ホールドを埋めるって、チッピングと、ほぼ変わらない行為なんですが…。

それで、クライマーとして、あるいは開拓者として、あるいは人として尊敬を得たいと考えるほうが、まぁ無理があるよなぁ。

だって、チッピング=自然の岩の形状を変える=クライミング界最大のタブーですよねぇ?

ダークサイドに墜落、も程がある感じです。

■ なぜダークサイドに落ちてまで、人は自分のエゴにこだわるのか?

そこが私には全くわからないことなのです…。

大体、人工壁の課題だって、人によって、登り方違いますよね? 

だから何が何でも俺が登った通りに登らなければ、登ったことにならない!とこだわったところで、何の利益があるのでしょうか…

いや、自分より力量が下だと思われる人が、自分のルートを登ってしまうのが悔しくて受け入れられないのでしょうか?

どういう心理状態で、悪い評判を広げてまで自分の名を残したいのか?そこのところがよく分からない…

これは、クロスケオテ谷のときも思ったんでした…というのは、私は、フリーで超えたという初登記録がでたものと思っていたら…え?エイドの記録…?エイドで登ったら、それは名誉な記録ではなく、不名誉な記録になってしまいます…だって今、もう1980年代じゃないんですから… 2000年も超えてとうに20年たっているのですから…

ということで、小鹿野のこれも、自分の長所をPRしているつもりで、短所をPRしてしまっているということを地で行く事例のように思いますね。

■  未成熟な自己愛

この事件は開拓者の方は、おそらく、心が自己愛に飢えた方でしょう…。

岡田尊司 『愛着障害からの克服』より引用

 

どうも私の九州での観察結果によると、男性で自分の能力に挫折を感じた人は、そのことを受け入れられないまま、俺を認めてくれる由一の場、としてクライミングに依存し、そして、課題だけが俺の生きた証、と思うようです。課題に名を残したい、偉大なクライマーに数えられたい、末席でも座りたいってことなのかもしれません。

しかし、これでは、社会的逸脱のほうが記録に残ってしまいますね。

たぶん、察するに、俺を愛してくれーという心の叫びがこのような行為として発言した心理的背景だろうと思われますが…

今までは日本でも、

 仕方ないねーおじさんたち、可愛そうだから、そっとしておいてあげよう、

と許されてきたものが、昨今、時代の変化が加速し、もはや、LGBTとか日本でも普通の時代です。

セクハラもパワハラも、かつては許されていましたが、ホワイト化著しい日本でそのままの調子漕いてやっていると、社会的には、自ら自殺、と言えるかもしれません。

対立がある場合、大多数のクライマー男子は、日和見菌です。要するに、勢力がありそうな方につく、というだけのことです。というのは、クライマー人種って、考える能力に欠如した人が集まっていそうなんですよね、特に九州の場合。

小鹿野は大都市、東京近郊なので、マシな人種が集まっていることを祈るばかりですな。(←対岸の火事ですいません)

今回のサバージュ・ババージュの件は、その潮目を決める案件になるかもしれませんので、丁寧な経過報告文を書くのが被害者さんにはおすすめです。

公開された課題は、公共性があるのだ、ということを一般に認知させる最適な機会とするのが良策だと思います。

だいたい、公開された岩場でノーマットで登るとか、こっちでも、はぁ?なことが会ったりしました。そんな事しているから、アクセス問題で登る岩場がなくなっちゃうんですよ。

クライマーが落としていくのは、迷惑とうんこばかりでは…。 

アメリカでは、ボルトはもはや金を積んでも打たせてもらえないようですよ。

こちらは、業界の重鎮 菊地さんの意見です。あんまりにも当然のことが書いてあったのでびっくりした。

自然を登るのが外岩クライマーなのに、九州でも、岩に人工ホールドくっつけたり、木っ端をくっつけたりと、色々していますもんねぇ… いや、ホント。

みんなフリークライミング自体の定義自体を知らないんじゃないの?



2023/03/17

小鹿野のニュース

■ロクスノに載ったらしい

こんな投稿が回ってきたので引用の上、当方の意見を述べます。 

追加情報: https://www.taru-shiru.com/noboruahou/archives/futago1.html

ーーーーーーーーーーー以下、引用ーーーーーーーーーーーーー赤字当方

二子山及び小鹿野クライミング協会について新しいロクスノに各自の意見が載っていますが購入していないので内容を知らないです。でも自分なりに書いてみました。


サバージュ・ババージュの補強したことについて
 

「ホールドとして使用できなくするために埋めた」というショッキングな情報が一部で話題になっていますが、これは間違いです。「使っていたホールドが埋められて登れなくなった」としてください。(3/16追記:補強時に主体的なホールドとしての認識はしていませんでした。しかしその後該当個所を使用して登った人がいた事を知りました)なお該当する人がいればぜひ私まで直接連絡をください。話を聞かせてください。よろしくお願いします。
 

経緯:昨年春に再登した時にクイックドローのカラビナがちょうど当たる位置で岩が欠けているのを見つけました。そしてこの欠けた先が大きなコルネにつながっており、将来的に岩が大きく剥がれる可能性があると認識しました。そして昨年の二段壁整備の時に委員会に処置を依頼しました。
 

リボルトでも補強でも何かしらの現状に関わる行為がありますが、様々なケースがあり手を加えない場合が良いと考えることももあるし、手を加えてた方が良いと考えることもあります。例えばホールドだけど落石となる恐れがある場合など大きく撤去することもあると私は考えます。今回については補強した方が良いという考えに至っています。
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グレードについて
個人的には今更興味がなくてどうでもいいです。
グレードはクライミングを面白くしている大きな部分でもあるけど、でも真逆にクライミングが嫌になる原因の一つでもあるわけで、あまり深く考えない方がいいのかな...
グレード感より難しかったりやさしかったりというのはそのルートのスパイスでそれはそれで結構楽しめます。
 

そもそも昔の似たような身長の成人男性しかいなかった時と違って、今は女性も子供いる状況でグレードを細かく付けるのは無理な気がする。
 

ただ自分の基準をグレードに頼っている人は辛いだろうなと思います。クライミングという行為そのものに楽しさを見つけるといいんじゃないかな。クライミングは冒険が原点にあるので、自分なりに小さな冒険でも大きな冒険でも見つけるともっと楽しくなると思います。
だいぶ話がそれた。グレードはそんな問題じゃないのだけど、まあでも表記に関わらずグレード感を喧々諤々統一していけばよいんだと思います。つける基準についてはオンサイトではなくてより楽なムーブで登れた時のグレードで付けた方が良いです。
 

そのグレードが限界の人が感じるグレードではなく、より高グレードが登れる人が感じるグレードにした方良いです。結果としてそのグレードが登れるはずの人が登れない課題があることになります。この部分は反対する人が多いと思うけど、それがクライミングの本質的なところに関わっていると思います。
(但し、競技クライミングとしては別)
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小鹿野クライミング協会について
 

関わっている人たちは、みんな二子山という岩場をより良くしていきたいと積極的に活動している人たちです。自分達が優遇されるとか他者を排除したいと思ってる人はいないです。
今回、活動の一部が問題視され、問題だと思ってる人からすると悪者とか敵みたいなイメージで対立してしまっている印象がありますが、これはとても残念なことです。
 

より良いクライミングをし後世に受け継いでいくんだという心が各自にあれば、お互いを尊重し議論し建設的に話もできると思います。
あと疑問に思ったことや意見などあれば積極的に委員会メンバーないし委員会へ連絡した方が良いと思います。
さらにもっと積極的に関わりたいという人は委員会の活動へ参加していけばよいと思います。
小鹿野クライミング協会は将来的にもっと活動を大きくしたいと考えています。そのためには沢山の人の協力や意見が必要です。
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自分が設定したルートについて


城ケ崎のエアダンス、二子山のジョナサンと穴のムジナ、小川山の子忍者が誰かによってリボルトされています。そしてリボルト時に私へは一切の連絡はありませんでした。
連絡は簡単にできたはずですが...
 

結果として
エアダンス:1本目のボルトが高い位置に変更されプリクリップが前提ルートとなる!勘違いしている人がほとんどですが初登時にはもちろんプリクリップはしていません。
ジョナサン: 終了点の位置がオリジナルから左へ1m以上変更されています、結果的にラインが変わっています。
穴のムジナ: 1本目のボルトがおいしいよと共有になる
 

ラインやボルト位置の確認はもちろん「リボルトするけど任せてね」的な連絡、事後連絡は一切ありませんでした。現在の状態については納得できていません。
 

小鹿野クライミング協会による昨年の二段壁整備については数か月前から連絡がありババージュ・サバージュ、ふりかえるな(*)のリボルトについて位置やラインについて細かく協議してから施工がおこなわれています。
*正→ふりかえるな、誤→振り返るな
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おまけで
 

今のクライミング界をみていて思うこと
 

今のクライマーは想像もできないと思うけど...
自分を含め1960年台半ば生まれは大体1980年台半ばからクライミングを始めていて当時第2世代(フリークライミングの)と呼ばれていました。そしてちょうど自分たちが20歳前後の時にヨセミテを主体とするアメリカスタイルからフランスやドイツのハングドックスタイルに世の中が変わっていきます。つまりスポートクライミングの第1世代ということです。
 

何が言いたいかというと当時クライマーは若者しかいなかったということです。ほとんど10代後半から20代前半で年長者でもせいぜい30代前半です。
 

そんな中、城ケ崎シーサイドや小川山、そして二子山が開拓されていきました。導いてくれる年配者はいません。全て自分たちの想像や考えを元に行動してきました。もちろん傲慢だった部分も沢山あり御前岩の登攀禁止など失敗もあります。


そんなわけで若い世代に日本の未来を考えて主体的に行動をすることを願いします。じゃないと年配者が考えた年配者のための世界になってしまいます。年配者に遠慮する必要はありません。自分の未来は自分がつくるのです。

ーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーーーーーー 

■ 開拓者に断りもなく、リボルトされている上、ルートが改悪されているってびっくりですね!

ルートが改悪されているっていうのがびっくりですね!

開拓者には、きちんとした人もいれば、そうでない人もいる、というのが、最近私が九州で学んだことです。

屋久島フリーウェイを開拓した米澤さんは、とても立派な開拓者だったと私は思っていますが、彼のルートは、激辛というか、ピンをつける論理がフリーの論理、つまり、”ガバで一本”にはなっておらず、”ガバ=ピン飛ばし”、になっています。ピンというのは、中間支点という意味です。それはなぜか?

70代後半の米澤さんの生きた世代を考えると、上記の第1世代より前の世代です。ですから、その前の時代の人の制約として、フリークライミングにはそこまで詳しくない、他のフリークライマーとセッションして登ったりした世代ではない、と思います。

たぶん、私が知る人の中では、故・吉田和正さんが第一世代になるのかなと思いますが…(もともとはアルパインのクライマーが開拓していたところにフリークライミングを持ち込んだ人たち)

吉田さんはフリークライミングのショートのルートで不適切に1ピン目が遠いということが、”そうあるべき”とは考えていなかったです。まったく。

日本中、1ピン目が遠い課題だらけですが、それは、フリークライミング以前のクライマー、古いアルパインのクライマーの価値観なのではないでしょうかね?未だにエイドで初登がかっこいい時代の価値観のままなので…。昔はエイドで登られたルートも、今では完全フリー、が普通の時代なのに。

■ ロクスノ

それにしても、ロクスノ… もう雑誌の編集能力を失っているんではないでしょうかね??

それで、なんでもいいから、楽に文章を手に入れようとしていないかな??

例えば、故・吉田和正さんの残したデイドリームを小峰っちが登った時、記事は見開き半ページで終わりで、デイドリームをきっかけに吉田さんの業績を紹介することができたはずでしたが、そういうものは全くありませんでした。ちょちょっとネット検索すれば、吉田和正の記録くらい出てくるし、まとめたものを、年配のクライマーに、ちょちょっとチェックしてもらえば、間違いは拾えます。もう、そういうことをする余力もないのかも?

だから、同じ号で、ボルダーのチョーク特集14ページでした…チョークってエイドですよね?つまり、 フリークライミングの、道具を使うべきでないという理念からは、必要悪、程度の扱いなのがチョークです。私は汁手ではないので、チョーク使わない派です。ニーズを感じたことがないです、まだ。エイドに頼って登る、のでは、エイドクライミング時代に逆戻り、ですよ?

この時の違和感は、”ロクスノ、もしかして、何も分かっていないのではないか?”というものでした。

その違和感が、確信に変わったのは、二口渓谷のアイス、6級の第二登が2行で、雌鉾大滝が4ページだったときです…というのは、私はこのクライマーたちを知っていたので…。

方や、ワールドカップの出場者(二口)、方や5.12登れると言って、5.9もとい10cで、支点ビレイされているとも気がつくことすらできず、二時間半かかって登った人…(つまり、下手っぴってこと。私はこのクライミングでおったまげてしまったのです。いつももっと上手な人と登っていたので) 

どっちの人が本来、スポットライトを浴びるべき人なのか、実際会って、見て知っていました…。私はアイスは初級を脱し中級者の域まで抜け出ましたので、アイスなら正確な評価ができます。

こちらに古いアイスクライミングの写真がありますが、古い山ほんの記録っぽく記録を書けば、おじいさんクライマーには受けが良いですが…古川純一さんが、黄蓮谷アイスを登った時代はこんなクライミングですよ?

あー、アックステンションしちゃってる…。

しかし、現代はふつーの人がこれの時代…ふつーの人っていうのは、私みたいな人って意味です。

 

私が進みたいのは当然ですが、現代風のアイスです。私のアックスは、当然ですが、ストレートシャフトではありません(笑)。テクニカルアイス用です。アックステンションなんて、初心者の頃教わって一度か、2度緊急事態用に覚えただけです。テンションレス、つまりクリーンで登れないなら、初心者時代から挫折感を感じていたくらいです。

古川さんの時代にやっていたことを、現代の技術でやれば、そりゃ超・楽勝になります。

現代の技術になったのですら、もうとっくに20年以上は過ぎており、アイスは5級は誰でも登れるとアイスの教本にすら書いてあります。特に上半身が強い男性なら、ムーブがゼロでもリードできます。アイスはアックスバチ効きにしていれば、リスク限りなく小さくなるので。だからこそ、アックステンション、が軽蔑される、ということになります。

氷、そのものが壊れるリスク、っていうことであれば、壊れそうなアイスに登る=愚か者、って意味なんですよ? 

れっきとしたアルパインクライマーこそ、きちんと勝算があるリスク以外は、取らないです。いきがって敗退ロープなしとかやらないです。きちんと根拠がある。

現代は、初登頂に意味がある訳では無い…。今更、近所の5.9を初登してロクスノに発表します?しないでしょ? 

例えば、これは、ヒマラヤでも同じことです。シェルパに工作してもらった初登頂が意味ある記録か?というと、初登頂という意味では、意味はないです。近所の丘に登って初登頂というのが意味がないのと同じです。意味があるとすれば、そのルートとの関わりの長い歴史とか、長い憧れとかそういうものです。であれば、誰がどういう経緯でそこを見つけ、どういう縁でシェルパの助けを借りることとなり、どういうメンバーがどういう理由で集まり、とそういう言う事を語らなければ、その登頂の意味を正確に知ることはできないのに、未だに、マスコミはクライミングを理解していないので、エベレスト初登頂時と同じ価値観で切った記事しか出していません。つまり、マスコミがバカ、なのです。

これはNHKでも同じです。前に師匠と一緒に見てわかりました。NHKでも嘘ばっかりです。

同じことがロクスノで起こっているようで、これでは、分かっている人は誰も見なくなって当然ですね。

ロクスノは、トポ発表サイトとしての機能すら、昨今では怪しいものです。高最難のルートを初登した場合は、第二登が出ないと、そのルートのグレードは確定しません。ので、海外のクライミングサイトに発表するのが良いと思いますよ?でないと、自分が5.15と思っているだけで、実は5.14だったら恥ずかしいでしょう…

巷を見ると、そもそも雑誌というメディア自体が時代の波の中に葬りさられようとしています。

時代はYouTubeに移動して久しく、Youtubeですら、終わりを迎えつつある現代。

いつまで、日本の古いクライマーは、陳腐化してしまった価値観に固執するのでしょうか?

■ トップクライマーはわかっている

そういえば、三澤さんは、比叡のランナウトしたボルトのことを、”今はそういう時代ではないと思っている”、とおっしゃっていました。もともと国家官僚だったくらいの知性の人ですから、それくらいは分かる訳ですよね…。ただ、整備が全然、進まないのは、昔の栄光にこだわる仲間への義理立てがあるから、のように思われました。

ので、現代クライマーの能力を持ってすれば、ランナウトなんてしても、全く問題なく登れるわけですから(なんたって、43歳からフリーを始めて3年しか経っていないわたしがリードできたくらいなんで)、別に若い人は、比叡のようなスラブは楽勝になってから登ったり、スルーしていればいいのではないでしょうかね?インスボンのほうが楽しいと思いますよ。

私は菊地(ガメラ)さんの講習にも出ていましたから、ガメラさんから見れば、私の登攀力がどのようなものか?見てわかっていると思いますが… エー、あの人にリードさせたの?!というような、現代のクライミングジム上がりのクライマーたちと比べれば、外岩でしか登っていない私のフリークライミング能力が非常に低いレベルであることは分かっているはずです。当時で、10cが2,3便でRPでき(例:ジャーマンスープレックス)、5.9はグレードに嘘がない限り、大体オンサイトできる(ガマスラブ)、というレベルでした。

その当時、初めて組む人にリードを無理強いされたのですが、今思うと、私の意味からは、”あんまり登攀力がないです”と自己申告しているつもりの、5.10cというレベルが、”私って登れる女よ、どんどん任せてね”という高度な登攀力、という方に、古いアルパインクライマーに誤解されたのではないか?と最近、気が付きました。昔の基準では、5.9が登れるだけですごいクライマーだったそうです…(汗)。5.9って最低限って意味です、今では。

九州の情弱レベルは強烈で、情報が40年前のままで、たぶん、登攀力の判定基準も昔のまま、だからです。

開拓者でもない、普通のクライマーの私が、”ボルトなら、FIXE社よね”とグーグル検索し、どの型番を購入したら良いか?を問い合わせする時代に、ホームセンターで、より安いカットアンカーを探して回っているくらい情報が古い、ということです。

しかし、その人達が自身が撒いた種であるのです。情弱は。インターネットってここ30年で、これ以上ないくらい、使い勝手は簡単になったので。私は14歳からパソコン使っています。Google先生を使い始めたのは、28のときですから、22年も前です。

というので、まとめると、その情弱のつけを払っているのは、誰か?というと、儒教の教えか、男尊女卑の習慣なのか知りませんが、年配の人は正しいことを知っている(はず)と、ダブルチェックもしないで、盲目的に受け入れてしまっている若い人たちの方です。

普通は、25kNの強度があるグージョンで登っている時代に、5~15kNしかないカットアンカーで、”わ~、ペツルだー”と落ちて安心、と思っているのでは、自己責任力、が足りていません。

同じことが、”終了点では、ロープ直がけしてもいい”とか、”ATCで保持するときはグリップビレイ方式”とか、にもいえます。そんなの、ペツルの技術サイトを見れば、間違った行為だということくらい、すぐ分かります。年配の人がそう教えるのは、ネットを知らず、ペツルの技術サイトを検索する能力がないからです。若い人はダブルチェックするべきです。

九州では、リスペクト、を男子が得るには、命がけをしない限り得られない、という暗黙の前提も強く働いています。

しかし、例えば、『九州の岳人たち』を読めば、阿蘇でどれだけ沢山の人が、クライマーといえる能力を身につける前に落ちて死んでいるか?もわかります。先人の事故から学ぶ、というのは、昔から、トップクライマーがやっているリスク回避の方法です。雨宮さんも、事故事例を読み込んで、自分が同じ轍を踏むのを避けたそうです。

クライマーなら、肝っ玉ではなく、本来のクライミングの能力で、栄誉を得ましょう。

さらにいえば、別にクライマーとしての栄誉が得られなくても、現代は、一般クライマーであるだけで、昔の先鋭クライマーと同じことが楽勝で楽しめる時代なんですよ? まるで自己承認欲求の塊のような行動のほうが、むしろ、恥ずかしいことのような気がしますよね。

私自身も、アルパインに行くときは、”ルート名” ”事故” で検索して、その場所で起きている事故を理解してからいきます。小川山の屋根岩2峰程度だって、すっぽ抜け事故で死んでいる人がいるんですよ?フリークライミングのルートとして整備された場所でも、懸垂では失敗が許されません。懸垂下降の失敗は、クライマーの責任以外は、支点崩壊くらいしかないです。

長々となりましたが、最後に言いたいのは、

相互にリスペクト、という点です。相互に、というのは、一方的の、反対語です。当然ですが。

こちらが、年配の人を尊重していても、尊重のお返しがないのが九州での経験です。男性も同じで、お返し無しで、ありがとーと受け取っておしまいです。

■ 見て盗むもの、言葉ではなく行動から学ぶもの

現代の若い人は、自信がない人が多く、若さゆえか、自分で考える力がない人が多いようです。

私のところに来る人も、私が支障についていたことを勝手に誤解して、まるで手とり足取りの、師弟関係を期待して、私が何もかも言語化してくれることを期待する人が多いです。

私は、3人師匠がいましたが、どの方も、こうしてこうしてね、と教えたことは一度もありません。

師匠からは見て盗むものです。

見て盗むとは?

例えば、二人目の師匠の青木さんは、私と組む前に、レスキューの復習を公園でみっちりやりました。これを私がどう学ぶか?というと、”ははーん、初めて組む人とは、レスキューを先にやれってことだな…”という感じです。

そうすれば、相手がどの程度セカンドとして信頼できるか?を見極められ、自分がどの程度ロープをこなせるか、相手に見せることができ、知識も共有され、思い違いが減ります。

私はある経緯があって、これをしなかったため、白亜スラブでは、えっと驚く登攀をする羽目になりました。リードをきちんとできる能力がない人のセカンドになってしまうと、セカンドでも命がけです。

師匠の行動どおりにしていれば防げた事故でした。楽勝で登れるところで、ロープ合わせをするべき、ということです。ロープ合わせというのは、レスキューのすり合わせだったり、ロープ自体への能力や理解を見る行動です。別に試験ではないので、落とすためにしなくても良く、相手が分かっていないなら、分かっていないことがわかっているのが大事です。

これまで見たダメクライマーはだいたい、みな、自分が分かっていないことが分かっていないです。指摘すると、俺はあなたが思うより分かっている!と反発します。そういう人は反省力が足りていないので、永遠に分かっていないクライマーのままです。

昨今は、トップロープクリーンで登って、オンサイト!と言っているクライマーが自信を持っている時代です。

トップはこれくらいのことはわかっているだろうという前提で、一緒に山に行くと、知識の間違い、ロープワークの間違いが継続したまま、行く山の困難度だけが上がって行くというロシアンルーレット状態にいます。

現代のクライマーは、行くルートの困難度だけで、中身を問われずに実力誇示できる(グレード主義に染まっている)ので、どんなにしょぼい内容でも、行けた、行った、という結果だけを申告してきます。 

いくら、高度なルートに行っていても、内容がショボければ、すごいのではなく、知性が低いだけです。下手したら、落ちたルートでも、武勇伝になっているから要注意です。

見分けるポイントは、謙虚さですが、これも、見せかけの謙虚さ、というのもあります。

分かっていない人は分かっていないこと自体が分かっていないので。行ったルート名ではその人の能力は、想定できません。その人の行動を見ましょう。きちんとしたクライマーは組む前に、住所氏名、緊急連絡先、事故時の対応、そして上記のようなレスキューの共有くらいはするものです。