■ 雑貨屋好き
学生のころから、雑貨屋さんが好きで、日本ではホームインテリアのことを雑貨屋、と呼ぶと思う。
神戸元町には通っていて、今では普通にどの駅にもある、カルディだの、成城石井だの、でしか買えない輸入食品は、その昔、神戸グローサリーまで出かけて、一缶800円もする、ブラックチェリーを買って、学生寮でチェリータルトを作るような学生生活をしていた。アメリカの郷土料理である。
今思えば、卒業論文はポリティカルコレクトネスだったのは、現在を先取りしていて、私は非常に先見の明があったのだ、と思う・・・当時は卒論はやっつけ仕事で、本当に楽しんでいたのはアメリカ料理の習得。
あの頃、使っていた世界の料理という百科事典的レシピブックは、今探してもどこにもなく、また手に入るなら、手に入れたい…。おかげでだいぶ、アメリカには行く前からアメリカ料理に詳しかった。
最近、偶然発見した、このサイトが、マイヒット中だ。
『アメリカの食卓』という本間さんの本を長く愛読した。本間長世教授は、東大のアメリカ研究者だが、今思えば、アメリカが見せたいと思ったアメリカしか見ていない学者で、御用学者、と言えるのかもしれない。
遠い過去、アメリカにも主婦がいたのだ、今はいないけど。
■ 人種問題と民主党
そのような学習をして臨んだアメリカだが…意外なことが多くあった。
サンフランシスコで会った南部からの黒人さんは、街の人が黒人差別がないことに非常に驚いていた。
アメリカと言っても、人種的多様性があるのは、大都市のことで、田舎では違う。
サンフランシスコ、といえば、極左の町、先鋭的な民主党員ばかりみたいな町である。日本人というだけでアイドルになれる。日本で、ガイジンというだけでアイドルみたいなものである。サンフランシスコはそうゆう街だが、外国人であるということと同程度に自分を
特別
にしてくれるのは、同性愛であることだ。性的倒錯は、自分を
特別
にする手段になっている。
サンフランシスコでは、住んでいても、ちょっと変だな、ということは頻繁に起こる。
例えば、私がいたころは、中学の入試で、血筋にインディアンの人がいると、有色人種枠で有利だ、というので、必死に親戚筋にインディアンいなかったっけ、とレズビアンの大家さんが探していたのであった…。レズビアンなのに、子供がいるというのが不思議だったが…。
要するに、当時から、アメリカはおかしかった。30年前から。
■ 伊藤貫
さて、現在のアメリカでは、トランプ大統領に代表されるような、共和党が台頭…というか、民主党の極左…社会主義的政策は、実際は誰を利しているか?という真実に目覚めた国民とそうでない国民の一騎打ち、みたいな様相になっている。
結局のところ、勤勉な日本人が労働で得た対価も、アメリカの0.1%の富裕層、つまり、オリガーキーに富を吸い取られるだけのことなのである。オリガーキーって、世界の富を独占している上位1%の人たちのことだ。DS、ディープステイとという人もいる。
伊藤さんの解説を聞いていたら、政治献金の7割が、誰から来たのか、分からない匿名の資金だそうで、これが例えば、税を払わないジェフ・ベゾスやら、ザッカーバーグから来ているらしいのだ。
日本でも似た構造で、結局、民主主義だと、まともな人は誰も政治家になりたがらない、と話をしている。
https://youtu.be/c-dgMfr-FtI?si=w8MSnyXJh8NUoXjR
その人たちって、シリコンバレーの民ですよね?ってので、またもやサンフランシスコベイエリアは、沸点みたいな場所であるのだが、その時代は終わりつつあり、もはや、古き良きアメリカを求めて、テキサスまでIT拠点ですら移動しているそうである。
そういえば、IBM関係の仕事をしていた山梨時代の前、17,8年前、関連会社がみな、テキサス系で、自家用ジェットで飛ぶ経営者たちの世界観に、日本人経営者の社長さんは毒されているようであった…。
以上は時代を目撃した私の目撃情報ってところである。
■ 30年前の富裕層
しかし、私が見た、30年前のアメリカ富裕層の暮らしは、金銭的には豊かでも、心はそれは寂しいもので、ビバリーヒルズ青春白書に出てくるようなプール付き豪邸に、昼間住んでいるのは家事使用人ばかり、という世界だったけどなぁ…。
私の最近気に入っている子供動画のような、健全な家庭生活は存在していなかった。富裕層の暮らしには。親は子供の世話を焼かず、知的で優秀な教育係が焼くのがアングロサクソンの伝統で、そこに日本人大学生はぴったりのようだったが。暖かい家庭生活がそもそもない、ということにかなりびっくりした私だった。
欧米人の大人としての生活は、誰が誰と寝たとか年がら年中その話で辟易だった。
アメリカでクライミングしていたら、たぶん、同じように誰が誰と寝たとか、そういう話ばかりでくたびれるんだろうなぁ…関係ない世界に生きたい。
■ 大阪にある幸せ
さて、大阪では、近所の雑貨屋さん巡りで、昨日と今日の収穫が素晴らしい。
■ 谷六 日本の雑貨ひなた&フランス雑貨Carbon
ひなたさんもCarbonさんも、とってもかわいい雑貨屋さんで、隣り合っている。目のご褒美である。
思うに、女性は日常のちょっとしたかわいいものが必要に出来ている。可愛いもの、を持つ程度で、心が満たされるのなら、安い買い物ではないだろうか?
Carbonさんは、金曜と土曜しかやっていないそうだが、とってもすてきなフレンチ雑貨屋さんである。
となりのひなたさんは、日本の手仕事作家さんの作品を置いている。手仕事のレベルが高く素晴らしい。行った時は野鳥シリーズの日だったらしくて、作家物のアクセサリーなど、こまやかな仕事ぶりの野鳥の作品がすごかった。山で見るお土産も野鳥物は多いが、はるかにしのぐ、レベル感だった。https://maps.app.goo.gl/Xot5seZqSGiG7VE89
上高地とかでやったら、売れそう。
■ ココア専門店 アカイトリ
仕事で使うような普通のビルの一階にあって、空堀に引っ越してきて20年なのに、今頃知った老舗ココア専門店。
一か月ローテーションしても、まだ違うココアが飲めそうなメニューの充実ぶりだったし、しかも、ヨーロッパのショコラティエ並みにおいしい。
レッドペッパーチョコレートなんてあります。
オレンジのココアを飲んだのだが…これが、まるで、バルセロナの高級ショコラティエの味がした。
ヨーロッパのショコラティエって、ホントおいしいですよね。
しかし、カカオも、コーヒー同様、植民地での搾取をベースにした作物…あまり深入りしないほうがいいかもしれない。
まぁ近所にすごい実力派のココアを飲ませる店がある、というのは不幸なことではない。
https://maps.app.goo.gl/QPWGUYMwMNAbHYo19
今日は、女性の日でもあったので、クライミングは取りやめて、パカラ堂でのんびり読書して、乙女に過ごすことにした。
近所の高津神社の境内入り口にある、こじんまりしたカフェで、焼き菓子がとてもおいしい。
そこで読んだショートショートが印象的だった。
浮気を妻に告白した男の一人語りなんだが…、妻の逆上する様子やその逆上を甘んじて受け入れる姿、どっちも好き、みたいな女性の側からしたら、は?!みたいな返事をする本人…、
人間ってこんなものだよね~みたいな、割り切れない部分が描かれている。
そういえば、子供のころは、こういうのばかりを読んでいたよなぁ…。
小説の世界は、割り切れない人間の心情を描くもの、であるが、ビジネス書や心理学などの学術書は、割り切れないものを説明しようと追及するものだ。
割り切れないものは割り切れないまま、やり過ごす感というか…
ビデオトークでOKというか、実況中継でOKなのだ感というか…
というので、心理学の本も持って行ったが、解明よりも、実況中継、の意味を感じた。
神は人生を解明しろ、と人間に言わず、人生を楽しめ、と言ったらしい。
■ おしゃれ花屋のMojo
その後、花屋のMojoさんへ出かけた。ここは、観葉植物も生花もおしゃれなのである。
が、谷町九丁目は寺町なのに、お寺の副業でラブホをやっているところが多く、なんと今日は高校生が制服姿で、まるでゲーセンから出てくるように普通のノリで、これまた、どこにでもいるような男性と出てくるのを見かけた…
アメリカもくるっているが、日本もくるっている。
ひとしきり、花屋さんとの相談で、花瓶はあきらめ、月桃をドライフラワーにする予定で購入した。
花はなかなか満足の世界は遠い。福岡では、花屋が安くて良かったなぁ。
でも、一輪でもいいので、花があると生活の潤いが違う。
生活のうるおい…こんな漠然とした言葉に、真理を見出せるようになるとは!
小さなことに幸福を見出すのが大事、とはよく言われる。が、若いころは、ただの負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
それが、本当に見出せるようになる、という実感が、良き発見かな。
若いときから花には慰められてきたが、ある意味、敗者の慰めというか、大きな成功への郷愁的な感傷もあった。今は全然ない。
こだわりみたいなものが減ってきている。好きな花もあるが、好きでない花もきれいだ。
花があるといいなって単純に思う。
わざわざ深山に行って、高山植物を大げさに眺めたり、写真を取ったりするのと違う。
単純にきれいだな、って思うその気持ちが穏やかで、幸福だなって感覚である。
だから、花が道端の花でも、野菜の花でも、スーパーで買ってきたのでも、オサレ花屋さんのでも、どれでもよくて、ただ、花があるといいな、っていうもの。
カラードフラワーは人工的で嫌いだと思っていたが、そうでもなかった。子どもが楽しそうだと見ていて嬉しい、とか、犬が無邪気にボールを追っているのが平和だ、とか、そんなのと似ている。
クライマーは、登る者。ただ登りなさい、みたいな(笑)?
ただ登ったり下りたり…、それで幸せになって、なぜそれ以上を望むんだい?みたいな?
英語では、whatever というんだが…クライマー間の主義主張の小競り合いの不自由さというか、自己呪縛というか…小ささというか…いつまでそんなどうでもいいことにこだわって、楽しむ時間を無駄にしているんだい?みたいな???
クライマーが年を取り、そして、クライミングって楽しいなって、良さを実感するというときには、こんな気分になるのではないだろうか?
…というわけで、読書好きで、家が好きで、コーヒーとチョコとワインが好きで、世界情勢が気になる私は、まぁ、そのままでいい、みたいなんですよね(笑)。
いいみたいってのは、幸福みたい、ってこと(笑)。
どこかへ向かおうとしなくても…。何者かになろうとしなくても。
ただ、在れば。
自分であることを楽しむ。…その自分であることの一部に、私は不思議なことにクライミングがあったのである。いい香りの石鹸を買いたい、とかと同列に。ということを実感した一日でした☆ 幸福☆
最近の本棚 あまり増やさないようにしてる