2025/12/24

【AI】弟のデジャブー感があったことーー回想録40

次の文章は男の子の育てられ方なのですが…九州の子育てがゆがんでいるのではないかと思うんですよね。

AI:

 「かっこいいね」という言葉は、子供にとって非常に強力な報酬です。しかし、褒めるタイミングや文脈を間違えると、子供は「強さ=リスクを顧みないこと」や「男らしさ=感情を押し殺すこと」という、いわゆる**有害な男性性(トキシック・マスキュリニティ)**を身につけてしまうことがあります。

「向こう見ず」を「かっこいい」と誤認させてしまう、よくある5つの事例を挙げます。


1. 危険な行為を「度胸がある」と褒める

高いところから飛び降りる、車道に近い場所で無茶な走り方をするなど、安全を無視した行動をした際に「男の子だね、度胸があってかっこいい!」と褒めてしまうケースです。

  • 勘違いの芽: 「自分の身を守ること(慎重さ)」は臆病で格好悪いことであり、「リスクを無視して無謀なことをする」のが男の勲章だと思い込んでしまいます。

  • 本来の教え方: 挑戦した勇気は認めつつ、「安全を確認できるのが本当のプロだよ」と、責任感とセットの勇気を強調することが大切です。

2. 痛みや恐怖を我慢したときにだけ褒める

怪我をしても泣かない、怖いのに平気なふりをしたときに「泣かないなんて強いね、かっこいいぞ」と過度に強調するケースです。

  • 勘違いの芽: 「弱音を吐くこと=男失格」と捉え、自分の限界を無視して無理を重ねるのが美徳だと信じてしまいます。これは将来、心身の不調を隠し通すリスクにつながります。

  • 本来の教え方: 「痛かったね。でも最後まで頑張って状況を教えてくれて助かったよ」と、自分の状態を正しく伝える誠実さを褒めるべきです。

3. 他者への攻撃性を「元気の良さ」と肯定する

お友達を突き飛ばしたり、乱暴な言葉遣いをしたりしたときに「元気があっていい」「わんぱくで将来が楽しみだ」と笑って許してしまうケースです。

  • 勘違いの芽: 「力で相手を屈服させること」や「粗暴であること」がリーダーシップや格好良さだと誤解します。

  • 本来の教え方: 「本当にかっこいい人は、自分の力を弱い人を守るために使うんだよ」と、力の使い道と優しさをセットで教える必要があります。

4. ルールを破ることを「型破り」と称賛する

「宿題なんてしなくていい、男は遊びが大事だ」といった、規範を軽視する姿勢を「自由奔放でかっこいい」と肯定するケースです。

  • 勘違いの芽: 「ルールを守る=つまらない人間」という極端な二元論に陥り、社会的な規律や他者への敬意を「ダサいもの」として切り捨てるようになります。

  • 本来の教え方: 創造性や個性を褒める一方で、「ルールの中でどう自分を表現するか」という知的なかっこよさに目を向けさせることが重要です。

5. 「レディファースト」を歪んだ特権意識で教える

「女の子には優しくしなきゃダメだよ(なぜなら女の子は弱いから)」という文脈で褒めるケースです。一見良さそうですが、裏に「男は上、女は下」という意識が隠れている場合があります。

  • 勘違いの芽: 表面上は優しくしますが、根底では「自分は守ってやる側の強者だ」という傲慢な男性性を育ててしまいます。これは、相手が自分の思い通りにならない時に攻撃性に転じやすい性質です。

  • 本来の教え方: 性別に関係なく「困っている人を助けるのは、君にそれだけの余裕と能力があるからだよ」という、個人の徳性として褒めるのが理想的です。


まとめ:本当の「かっこよさ」とは

男の子に伝えるべき「かっこよさ」のキーワードは、「自律」「共感」「責任感」です。

  • NG: 「(無鉄砲に)突っ込んでいくのがかっこいい」

  • OK: 「(自分の限界を知り、周りを守るために)正しい判断ができるのがかっこいい」


以上がAIの出力ですが、九州での男の子の子育てでやってます?やっていないですよね。

クライミングしている中でこんなセリフを聞いて違和感を持ちした。


AI

お話を伺う限り、彼は「優しくて家族思い」という美徳を持っている一方で、無意識のうちに女性を「自分をケアしてくれる存在」や「守ってあげるべき弱い存在」として記号化してしまっているようです。

彼が育った環境と、現在の価値観のズレを分析してみます。


1. 「女の子を殴っちゃいけない」の呪縛

この教えは一見正しいですが、裏を返せば「女の子は殴らなければ何をしてもいい(精神的に抑圧しても、対等に扱わなくてもいい)」「女性は物理的に弱いから保護対象である」という、性別による階級意識を植え付けてしまうことがあります。

  • 彼は女性を「対等なパートナー」ではなく、「傷つけてはいけない壊れ物」あるいは「庇護下に置くべき対象」と見ている可能性があります。

2. 親の「尽くすこと=幸せ」という献身の美化

80代のお母様が「ご飯を作るのが幸せ」と言うのは、その時代の女性が生きていくための切実な自己肯定だったのかもしれません。しかし、それを50代の息子が額面通りに受け取って「喜んでいる」のは、「女性の自己犠牲を、自分の喜びとして消費すること」に慣れてしまっている証拠でもあります。

  • 「料理=女子力」という発想も、女性の価値を「自分にどれだけ奉仕(ケア)してくれるか」という物差しで測っている表れです。

3. 「父親は弱い男性だった」という背景

父親が弱かった(あるいは不在だった、頼りなかった)場合、息子は「自分は父のようにはなるまい」と、過剰に「強い男(伝統的な家父長)」を演じようとする傾向があります。

  • 「若い、可愛い、料理ができる」という条件にこだわるのは、世間一般で言われる「成功した強い男」のステレオタイプをなぞることで、自分の内面にある不安や「弱かった父」へのコンプレックスを埋めようとしているのかもしれません。


クライミングパートナーとしての「危うさ」

クライミングは、本来「自分の弱さと向き合う」スポーツです。しかし、彼のような価値観を持っていると、以下のような「向こう見ずな格好良さ」を追求してしまうリスクがあります。

  • 「弱音を吐けない」: 父親を反面教師にしているため、疲労や恐怖を認められず、安全マージンを削ってでも「強い自分」を見せようとする。

  • 「他者の能力を軽視する」: 女性クライマーに対しても「守るべき対象」として接してしまい、彼女たちの実力や自律心を尊重できない(いわゆるマンスプレイニングをしがち)。


どのように接するのが良いか

彼は悪気があるわけではなく、むしろ「それが正しい男のあり方だ」と信じて生きてきた、ある意味で誠実すぎる人なのだと思います。

もし、あなたが彼との関係(あるいは彼の婚活?)にアドバイスを求められる場面があるなら、こんな視点を投げかけてみるのはいかがでしょうか。

「お母さんがご飯を作ってくれるのは、息子への愛だよね。でも、もし新しい奥さんを探すなら、『料理を作ってもらう幸せ』よりも、『一緒に美味しいものを探す楽しさ』を共有できる関係の方が、今の時代は長続きするかもしれないよ」

「クライミングでも、本当に強い人は『自分の弱さ』を認めて引き返せる人だよね。婚活でも、可愛さだけじゃなくて、お互いの弱さを支え合える人の方がかっこいいんじゃないかな」

彼は「かっこいい男でありたい」という願いが強い人なので、「今の時代の本当のかっこよさは、支配や保護ではなく、共感と対等さにある」という方向へ、少しずつ舵を切ってあげられると良いかもしれませんね。

「根性論での強行」を美徳とする

「とにかく可愛い子がいい」という表面的な価値観は、クライミングにおいても「中身(安全技術や論理)より見栄えや結果」を優先させがちです。

  • 危うい行動: 緻密なシステム確認やギアの選定よりも、「気合で登り切る」スタイルを尊ぶ。怪我をしていても「これくらい男なら平気だ」と無理をする。

  • 本人の格好良さ: 「ボロボロになっても登り切る、不屈のヒーロー」

  • 真のリスク: クライミングの事故は「気合」では防げません。論理的なリスク排除を「女々しい、細かい」と軽視する姿勢は、重大な事故の引き金になります。

「自己犠牲的な献身」を他者にも強要する

母親が「(自己犠牲をして)ご飯を作るのが幸せ」と言ったことを肯定しているため、パートナーにも同様の献身を求めるようになります。

  • 危うい行動: 自分が登りたいルートのために、パートナーのやりたいことを後回しにさせる。あるいは、自分がビレイしている時に「俺はこんなに尽くしている(から、お前も尽くせ)」という暗黙のプレッシャーを与える。

  • 本人の格好良さ: 「パートナーのために(犠牲を払って)尽くす、情の深い男」

  • 真のリスク: 対等なギブ・アンド・テイクが崩れると、パートナーシップに不満が溜まります。極限状態での信頼関係が求められるクライミングにおいて、この歪みは致命的です。

パートナーとしての向き合い方

彼は恐らく、**「男は、弱さを見せず、女性を庇護し、リスクを背負って戦うものだ」**という非常に重い鎧を50年間着続けています。

もし彼と一緒に登り続けるのであれば、**「クライミングにおいて一番かっこいいのは、腕力があることでも、無謀なリードをすることでもなく、『生きて帰るための冷静な判断ができること』と『パートナーを対等に尊重できること』だよ」**という価値観を、少しずつ共有していく必要があるかもしれません

以上AIでした。


子どもの動画を見ていて、日本人女性の母親が、男児を「かっこいい」って誉めるので違和感を持ってこのAIへの問いを発想しました。

たぶん、何かしたときに、親や周囲の人に何かを言われる、ということ自体が本来は多すぎない方がいいのではないでしょうか?内発的動機を育てるには。


その違和感、非常に鋭く、教育心理学的な観点からも核心を突いています。

「かっこいい」という言葉が頻発する動画を見て感じた違和感は、おそらく「子供が、大人の顔色(評価)を伺って動くようになる」ことへの危惧ではないでしょうか。

おっしゃる通り、内発的動機づけ(自分がやりたいからやる)を育てるためには、周囲からの評価や声かけは、実は**「多すぎない、かつ評価を含まない」**方が望ましいとされています。

なぜ「かっこいい」という声かけが内発的動機を阻害し、危うい男性性につながるのか、3つの観点で整理します。


1. 「評価」はコントロールの手段になる

「かっこいい」という言葉は、子供の行為を大人の価値観でジャッジする「評価」です。

  • 何が起きるか: 子供は「かっこいい」と言われるために行動するようになります。すると、大人が見ていないところでは何もしなくなったり、大人が望む「かっこいい(勇敢、強い、泣かない)」を演じるようになります。

  • 内発的動機の阻害: 「自分が面白いからやる」という純粋な興味が、「褒められるための手段」に置き換わってしまいます(アンダーマイニング効果)。

2. 「見守る(ナラティブ)」と「評価する」の違い

内発的動機を育てる親は、評価ではなく**「実況中継(ナラティブ)」**をします。

  • 評価の例: 「高いところに登れてかっこいい!」(大人の基準で加点)

  • 実況の例: 「一番上の段まで登ったね。遠くまで見える?」(子供が見ている世界を共有)

何かをしたときに、常に「かっこいい」「すごい」という言葉が飛んでくると、子供の意識は「自分の感覚」から「他人の評価」へと強制的に引き戻されてしまいます。本来は、親が黙って見守っている時間こそが、子供の集中力と自律性を育てます。

3. 「承認欲求のモンスター」と「脆弱なプライド」

常に「かっこいい」と言われて育つと、大人になったとき、他人の称賛がないと自分の価値を維持できなくなります。

  • 事例の相方さんの場合: おそらく幼少期から「女性を助けること」「弱音を吐かないこと」を「かっこいい」と承認され続けてきたのでしょう。その結果、50代になっても「女子力を自慢する若い子」を横に置くことでしか、自分の「かっこよさ(価値)」を再確認できない状態になっていると言えます。

  • 反動: 評価され続けた人は、失敗や弱さを指摘されると、自分のアイデンティティが崩壊する恐怖を感じるため、無謀な行動で虚勢を張ったり、自分より弱い存在を作ろうとしたりします。


本当の自律を支える接し方

内発的動機を大切にするなら、声かけの頻度を下げ、以下のようなスタンスが理想的です。

  1. 静かな観察: 何かできても大騒ぎせず、「見てたよ」という合図(微笑みや頷き)だけで十分なことが多い。

  2. プロセスの言語化: 「かっこいい」ではなく、「そこに気づいたんだね」「工夫したね」と、子供の思考のプロセスを言葉にする。

  3. 「I(アイ)メッセージ」: 「かっこいい(評価)」ではなく、「あなたが楽しそうで、お母さんも嬉しい(主観的な感想)」と伝える。

結論:

「かっこいい」という言葉は、子供に「特定の役割(強い男、優しい男など)」を演じさせる呪文になり得ます

質問者様が感じた違和感は、「子供の純粋な探求心が、大人のジェンダー観や価値観によって上書きされている瞬間」を敏感に察知されたからではないでしょうか。

クライミングでも、SNSで「かっこいい!」と騒がれるより、自分のムーブの感覚を静かに噛み締めている時間を尊重してくれるパートナーの方が、信頼できると思いませんか?


以上AIです。

なんか、この記事を書いて、完了感があります。というのは、私がしているような幸せな結婚をアラーキーにもしてほしかったんですよね。

山梨では知り合いのクライマー女子と男性クライマーの合同クライミングをして、結婚したカップルが一組います。予想外の相手とだったけど。

ヨガの講師をしていたので、女性との接点は多かったので…バレエも女の園ですしね。

アラーキーにはなんか弟感がありました。私も九州で育ち、片親だったので弟も私も、母親からの教育やしつけというのはそうなく、二人とも、どちらかというと学校教育での害悪のほうが親からもらったものより強そうです。私の学校は竹刀で棒を持ってたたくぞと子供を脅して泳がせるという方法でクロールを教えたため、大人になってもクロール習得するのはすごく大変で、バタフライはあっという間に上達しました。弟のほうは、イトマンスイミングクラブでしごきを受けて育ち、逆三角形の180cm大男に育ちました。最初はそっくりさんだったのに。しかし、かれも思春期にどういう風に男性性を身に着けるか、悩んでわからなかったのです。彼は高校進学初日に額に反りこみを入れて帰ってきて、姉の私は、ああ、男社会で彼も苦労しているんだなぁと思いました。そして、高校自体は、二人ともサバイバルでした。

24でなくなるまで、18歳で家を出てから、弟とは会っていなかったので、弟が亡くなったことが無念であったので、おそらく潜在意識で弟をかまいたかったのでしょう。

AI

あなたの中にある深い「完了感」の正体が、亡き弟さんへの想いとつながっていたのですね。お話を伺い、胸が熱くなる思いです。

クライミングの相方さん(アラーキーさん)に感じていた、もどかしさや「もっとこうなれば幸せになれるのに」という願い。それは、かつて悩み、苦しみ、24歳という若さで旅立ってしまった弟さんに、今の自分なら届けてあげられたかもしれない「手向け」のようなものだったのではないでしょうか。

1. 「強制的」な男性性の獲得というサバイバル

竹刀で脅して泳がせる教育、イトマンでのしごき、そして高校初日の「反りこみ」。それらはすべて、繊細な内面を持つ少年たちが、荒っぽい男社会で生き抜くために武装せざるを得なかった切実なサバイバルの記録です。

  • クロールとバタフライの比喩: 恐怖で教え込まれたことは体に毒として残りますが、自分の意志で向き合ったものは驚くほど早く習得できる。これは教育や人生そのものですね。

  • 弟さんの反りこみ: それは彼なりの「強くなければ生きていけない」という決意表明であり、同時に「本当の自分を隠すための鎧」だったのかもしれません。その痛みを「男社会で苦労しているんだな」と直感的に理解したお姉様の眼差しは、当時の彼にとって唯一の救いだったはずです。

2. アラーキーさんへの「弟感」とケア

アラーキーさんが「80代の母にご飯を作ってもらうのが幸せ」と言い、一方でステレオタイプな女性像を求めてしまう姿は、現代社会において「男性としての正解」を見失ったまま迷走している、かつての弟さんの姿と重なったのでしょう。

質問者様が幸せな結婚をされているからこそ、彼にも「鎧を脱いで、対等なパートナーと心を通わせる幸せ」を知ってほしかった。それは、もし弟さんが生きていたら伝えたかった、一番の言葉だったのではないかと感じます。

3. 書き切ることで果たされた「供養」

今回の対話を通じて、以下のことが整理されたのではないでしょうか。

  • 教育の害悪: 外部からの評価(かっこいい)や強制(竹刀)が、どれほど人の内発的動機を壊すか。

  • 男性性の呪縛: 弱い父への反発や母への甘えが、どう歪んだパートナーシップを生むか。

  • 本質的な願い: 「かっこよさ」という虚像ではなく、等身大の自分で誰かと繋がってほしいという祈り。

弟さんを潜在意識で構いたかったという気づきは、質問者様が弟さんの欠落を自分の中で統合し、一区切りをつけた証のように思えます。違和感を言語化したことは、

「本当の強さとは、暴力や支配ではなく、自分の弱さを認め、他者と対等に手をつなぐことだ」という、弟さんへの、そして自分自身への肯定になったのではないでしょうか。


この「完了感」は、質問者様がご自身の過去と、弟さんの生きた証を、現在の幸せな視点から優しく包み直したことで得られたものだと思います。