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2024/03/29

【ルート整備】 ルートの再整備に必要な高度人材の育成を!

 ■ 初心者ルートのボルト整備  事例:赤岳主稜

良い点

・さながら、ヒマラヤの氷雪壁のよう

・技術的には簡単

・周囲に誰もおらず、初登気分が味わえる

・楽しい冬のクライミング

悪い点

・ルートのいたるところにボルト

・簡単にナチュラルプロテクションが取れるところでボルト

・頼りない露岩にボルト

結論:本当の魅力をダメにしている。

本当の魅力: 自分自身の力でラインを見出し、プロテクションを取ることの重要性と面白さを伝えるべき

■ 残すべきルート 例:ヨセミテ ミドルカシードラル

・気楽にオンサイトトライできる(5.11d)と思ったら、跳ね返された

・グラウンドアップ開拓 = 魂とセンス

・再登者はほとんどいないが、ボルトが打ち換えられていた

・クライマーの確固たる哲学と信念

■ 何を残し、何を捨てていくか… 事例:錫杖

1)残すべきルート

ロケーション、ムーブ、緊張感、どれをとっても素晴らしい

2)捨てるべきルート

ボルト連打の単調なアブミ架け替え リングボルトを残すと事故になる事例

3)捨てるべきルート

無理やり割り込んで開拓した、一部に危ういエイドを強いられる緊張感の高いルート

価値観: フリーで登れるのなら、それが最も良いスタイル。

価値観:自分自身が登ったルートが消滅したとしても、岩場全体が良い方向に向かっているのだとしたらそれで構わない。自分が納得がいくスタイルで登った事実は消滅しない。

価値観:良かれと思った行動が数十年を経て間違っていたと気が付くこともある

打ったボルト跡も 本人の思いが伝われば受け入れられる。

残すべきとされたフリールートにしても、将来ボルトレスで登られるのであれば、その議論が生まれてしかるべきである。

■ まとめ

この文章は、ルートの再整備とクライミングエシック(スタイル)について議論しています。

赤岳主稜の良い点と悪い点について述べられ、ボルト整備の過剰さルートの魅力を損ねていると指摘されています。

ヨセミテのミドルカシードラルでは、グラウンドアップ開拓の精神や再登者の少なさ、ボルトの状況について語られています。

最後に、錫杖を例に挙げて、残すべきルートと捨てるべきルートについて考察され、フリークライミング(エイドではなく)で登ることの重要性や登山の哲学について述べられています。

結論として、ボルト整備や登山スタイルの選択には個々の価値観が関わることが強調されています。

■ 感想

開拓は簡単でやりっぱなしでいいけど、再整備には円熟したクライマーの高度な洞察力とクライミング界の歴史の流れについての体験知に基づく経験が必要。しかるにルートの再整備ができるクライマーは、

クライミングに対する深い理解と経験に基づく、ルートに対する高度な審美眼

・クライミング史を生きた生の経験値に基づく、倫理観や哲学に関する洞察力

・世界的ルートを含めて登ってきた広い見地 

・コミュニケーション能力

の4点が必要で、これらを備えた人材は、非常に限られてくることであろう。そういった人材を今後育成していくことを考えないといけない。

#ボルト整備 

#フリークライミング 

#グラウンドアップ開拓 

#再登 

#アルパインクライミング哲学 

#ロクスノ101号 

  誰でも登れる山から見た槍  とってもきれいでした☆ 11月最終週がおすすめです



2023/05/17

クライマーの心を伝える文章とは何か?クワンデ北壁vs〝Romance Dawn〟5.14- FA

■ 若い人はアルパインもフリーも指導者がいない

最近のジム上がりの新人クライマーはクライミング技術といえば、ムーブのことだと思っており、クライミングを理解していない。

のは、クライマーが書いたクライミングのことを読まないからではないか?と思うんだが…

アルパインクライミングでは、山行報告書の習わしで、文章を書くのが当然の習わしになっているが、フリークライマーは、登攀そのものの時間的にも短いだけに、その登攀の

  個人的な価値

について書くことがすくない。そもそも書かれたものが少ないから模倣もし辛い。だから、若いトップクライマーも登攀について語らない。

だから、読む人も少なく、後進の人が登攀の実際のことが分かるようにならないんではないだろうか?

以下、一流のアルパインクライミングと一流のフリークライミングの記録を、事例として研究してみたい。

■ 事例1 アルパインクライミング クワンデ北壁

https://koyaken4852.hatenablog.com/entry/2016/11/30/165211  より引用

赤字当方。

ーーーーーー

  翌日はお日様がすっかり昇り切ったころの出発となる。ここから第1の核心と思われる右上するジェードルに入っていく。僕がジェードルの入り口までロープを延ばす。双眼鏡で偵察したときはジェードルの下部がこれほど薄氷だということが分からなかった。登れると思えば登れそうだがプロテクションはほとんど取れないのでミスは許されない。傾斜は70~75度くらいだろう。相方が核心に入る。「悪っ」と言いながらジリジリと登っていく。カナダで鍛えた薄氷登りのテクニックを見せてくれる。“よくあんな所を登っていくわ”と僕にとってはひとごと。薄氷の部分さえ抜けてくれれば僕はそのあとの厚く張った氷をリードするだけだ。

 今日の行動食はスニッカーズだ。スニッカーズは何度食べてもうまい。3分の1を二口で食べ、3度に分けて食べるのが僕流の食べ方だ。こうすればたくさん食べた気になるし、身体にたくさん吸収されているような気がする。口から入れたものはなるべく吸収して出さないほうが効率がいい?

 “くそっ、あんな所で切りやがった”まだロープは余っているのに上部に見えるさらに険悪な薄氷の下でピッチを切った。僕がビレー点に着いたら一言、相方が「お前にも面白いところ残しといたで。」僕も一言「有難う。」“仕方がない、行くか”当然プロテクションは取れない。岩から1箇所と気休めにスカスカ氷に半分しか入らないスクリューを決める。

 ここからはピックが1cmほどしか入らないパッチワーク状の薄氷だ。クランポンを置く氷がミシミシと音を立てる怖くない。落ち着いている。5m、10m取れない。途切れ途切れの厚い氷になり、気休め2号を放つ。次第に氷は厚くなり第1の核心は抜けた。ジェードルは計4ピッチ、上部2ピッチは氷が厚く快適な登りだった。さらに1ピッチ延ばし岩の下にビバークをすることにする。登攀を開始するのが遅かったため6ピッチしか進むことができなかった。お互い「今日のピッチは難しかったからしゃあないわ。」と慰めあう。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

・オブザベして、そもそも、自分が登れるかどうかを判断するものだ、ということがわからないと文章の意味が味わえない

・下部のほうがより危険で落ちれないことが分かっていないと味わえない

・傾斜70度=初心者でも登れる=難易度は、リスクと無関係だと分かっていないと味わえない

・薄い氷=危険と分かっていないと味わえない

・ピッチを切る切り方にクライマーの考えが現れるものだと知らなければ味わえない

・悪い=リスク=面白い が分かっていないと笑えない

・ ピックが1cm=かなり入っている方…女性のわたしだとアックスを振り下ろす力が弱いので、1cm入れば上等です。もっと入らなくても登ります。

・5m、10mのランナウトが悪いと分かっていないと味わえない 

・気休め2号 プロテクションの意味が分かっていないと味わえない

・ 6ピッチしか 普通は20ピッチくらいが楽勝だと分かっていないと味わえない

大事なことは文章から、

 リスクテイクのあり方がリアルに伝わってくる=手に汗握る

ってことで、そのリスクが分かるには、ある程度、知識と経験が必要です。

トップクライマーでも5m、10mで緊張している=つまり、死を意識している

のに、一般市民クライマーに40mランナウトを期待していたらしいんですよね、九州では…(笑)。今は、20mランナウトくらいだそうですが、

 市民が、生涯スポーツとして楽しむのに適したリスクかどうか?

議論が待たれているでしょう。なんせ、

 ”1億総おれもいつかはピオレドール賞”だった時代

は、とっくに終わって、

 ”今どきの山や”は、結婚して子供も作る(驚き)

もとっくに終わって、”今だと、

 おれ、在宅勤務なんでジム行くことにしました。憧れはマルチでーす(はあと)

って人が新人なんですよ… その時代に

 お前も20mランナウトに燃えろよ

って(汗)。

■ 事例2 フリークライミング  Romance Dawn 5.14A

 Yuta KashikiのFB投稿より引用。赤字当方。

ーーーーーーーーー

 2023.4.27
8年前に自らボルトを打った地元広島:三倉岳のプロジェクトが登れた。
もともとリングボルトが打たれ、基部はキジ場と化していたこの壁は、フリーでまともに試みた人がいないにも関わらず長年プロジェクトと言われていた、そんなラインだった。
さこそ全長15m弱程度だが120°は優にある花崗岩のフェイスは日本では稀有な存在で、プロジェクトとして文句無しのビジュアルだった。
実際に上からチェックしてみると奇跡的にホールドは繋がっていてトップロープながら曲がりなりにもムーブを起こす事が出来たのでボルトを打つ事に決めた。
だがほどなくして仕事の関係で広島を離れる事になった。その片道500kmの現実に事実上通ったり、自分の好きなタイミングやコンディションでトライする事が難しい環境に、本当に終わらす事が出来るのか自信は全く無かった。だが、常に頭の片隅にこのプロジェクトはあった。
内容はショート系のハードルート
離陸した瞬間からボルダーグレードで2〜3段程度の動きから始まり、息つく間も無く縦に距離感のある人工壁のようなムーブが続く。そして、レストポイントを挟みラストはランナウトした状態でシビアなムーブをこなしてトップアウト。終了点は源助崩れのテラスにある木でよくみんなが荷物を広げている場所だ。妥協点は最小限、自分で言うのも憚れるがコンパクトながら素晴らしい内容だ。
しかし、その恐ろしく難しく感じていたこのプロジェクトだったが、登れる時はあっけなく、澱みなく終わった。月日が経ちどうやら少しは強くなっているようだ。思いがけず突然に終わってしまったのでグレードもはっきり言ってよくわからなくなってしまったが、これまで登ってきたどのショート系の5.13台よりも別次元に難しかった事ははっきりと言える。実際はもっと簡単かも知れない。でもこれから色んなクライマーにトライされ登られ、議論して色んな意見が出ればそれで良いと思う。
昔は自分のクライミングの為だけに通っていたこの山も今では仕事で訪れる事の方が多く、付き合い方も変わってきた。だからこそ、その逆境の中でどうプロジェクトと向き合っていくのか、チャレンジしていくのか考えさせられた気がする。そして苦労して乗り越えられた今、クライマーとしてまた少し成長させてくれたと思う。今も昔も自分のクライミングの原点であり、常に厳しさを教えてくれたホームの岩場、これからもお世話になります。だけど、この自己最難クラスの登攀がこれからのクライミング人生の夜明けであるように

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・フリーで長いこと登られていない、見捨てられたルートの発掘 

・長さより、傾斜や難しさ

・ビジュアル

・奇跡的にホールドがつながっている

・課題との付き合い

・登れる自信はなくても頑張る

・ハードかどうかが問題で大きいかどうかは問題ではない

・いろいろなクライマーにトライされ、登られることが価値

・人的成長

・厳しさ、苦労 でも 自己最難

■ アルパイン&フリーの比較とまとめ 

アルパインの価値          フリークライミングの価値

大きさ&悪さ              難しさ&見た目

ピッチ数                 NA

スピードの速さ           見ているだけも含めた長い付き合い 

リスクによって山と向き合う      難しさによって課題と向き合う

核心は悪さ              核心はムーブがつながるかどうか 

隔絶                 みんなに登ってもらいたい

逆境はスノーシャワー         逆境は仕事

本当に向き合っているのは自分     本当に向き合っているのは自分

おれはこのリスクを取れるのか?と向き合う おれはこの難易度が登れるのかと向き合う

■ まとめ

いかがでしょうか?

フリークライミングは、特に前提知識がなくても、クライマーが向き合っている対象がわかりやすいと思うのですが、アルパインクライミングになると、ある程度の知識がないと、そもそも書かれている文章を読解することができないのではないか?ということが伺えます。

そもそも、文章を通じて、

 自分が何と向き合ってきたか?

ということがよく分かる文章が、クライミングに関する文章としては良い文章と言えるのではないかと思いますが、そこには、

 価値観

が当然現れており、アルパインクライミングとフリークライミングでは、価値観は全く違います。

アルパインの人は、壁がデカくないから、と言ってバカにしたりしますが、小さくても難しい壁は、日本にはいっぱいある。

一方、フリークライミングの人は、ムーブがつながる、の意味が理解していなかったりします… チビにはムーブ繋がりませんよねぇ? 

余談ですが、小鹿野で初登と違うホールドだからって岩のホールドが加工された事件が合ったようですが、初登者の自分に使えないホールドを女性や子供を含む他の人が使えることは普通のことで、リン・ヒルの著作にも、手の大きいクライマーが使えないホールドを使ってリンが登ったことが書かれています。

つまり、課題の岩が奏でる歌は、身長別だったり、手のサイズ順だったり、ってことです。

そんなのビレイ中にクライマーを見ていれば、分かるようになると思うんだけど…。

人工壁をクライミングと教えてしまうと分かるようにならないかも知れませんね。

 

一般の人バージョン

ジャム中のわたし

 

フリークライミングは、ボルトルートで覚えるより、トラッドで覚えるほうがやっぱり安全と思う…



2023/04/15

若者よ!目を覚ませ!!

■ 責任最小

このところ、アキレス腱の断裂で、再度、まとまった時間ができたので、資産整理をしていて、自分の投資ヒストリーを振り返り、色々と理解している。

弟が死んだ、26歳の春。熊本に飛んだが、すでに8年、弟を始め、家族とは会っていない期間があり、それは私が大人になるために非常に苦しんだ期間だった。蛹から蝶というくらいの大変革だったので、まぁ、私に再会した人は別人と思っていたと思う。

私は、”責任” が、そのまま形になって生まれて来たような人、と表現したらいいと思う。

6歳で、4歳の弟、2歳の妹の面倒を見る、というのが、”責任”として、姉の私に降り掛かっていたためなので、”責任”は、後天的な資質だが、”責任”の大小が景気循環の波のごとく、多いときはリセッション、少ないときは景気が良い、とそういう感じだ(笑)。

今は、責任が最小の時期にいるので、自分を振り返ることができる。

■ エースだった時代

さて、私は開発部にいたのだが、当時松下は、ロボット開発では、かなりの後発部隊で、真似下とやゆされるような状態だった。

それを返上しよう!と意気込んだのが私のいた開発部だった。さしずめ、私は、当時のエース扱いだった。実際、私は、男性一色の開発部に女性雇用の道を開いたと思う。

しかし、なんと松下さんはロボット開発事業から全面的に手を引いたんですよね。

まぁ、全社的な視点で見ると、不採算事業だったからなんだが。夏に事業部解散の噂が流れた。私が不安がると、直属の上司が耳打ちして、「たとえ、多少の解雇があったとしても、あなたが解雇されるのは、一番最後だからね、安心してね」ということだった。当時、個人事業主として独立したばかりで、私は、組んでいるプログラミングの師匠である前川さんに5%を払って、口座を通過させてもらっていた。

松下みたいな大企業は取引先を査定しており、誰でも仕事ができる訳では無い。私は4年の信用で、取引を始めた。が4年では口座が作れない。前川さんは15年松下とやっており、前川さんの口座を通過させてもらって、仕事の代金を受け取っていた。前川さんとは、お互いウィンウィンだった。なにしろ、プログラミング業界って力仕事で、若い私がコーディングできる簡単な部分が8割、核心の1、2割を経験値の高い前川さんがやったほうが、効率がいいからだ。私は5%払っていたが、5%だって800万の5%だから、40万円。何もしないで手にするお金としては悪くないだろう。

前川さんからすると、私みたいな若いのがあと4人いたら、いいなぁ、なんて言っていた。

ちなみに、私以外で、私の年齢でこんな職業形態になった26歳の男性なんて周囲には誰もいない。みんな、就職氷河期で、仕事自体が見つけられず、実家に帰ってプータローとかだ。

しかし、残念なことに松下は事業部解散。そして、解散のときは、「あなたは、雇ってくれるところがあるから…」という理由で、松下さんは、PCの前に座っても8割は寝ていることで有名な男性のほうの雇用を守ったのである(彼も非正規雇用だったが)。

その男性は、でも、ほんとに、松下が雇用してやらなければ、他に雇用先がないだろう・・・と思われた。彼は、突発的優秀性というか、非常に才能が偏っていて、他の誰もがしたくないコードのデバッグをしてもらったら、役立つという感じだったんだよな。その代わり、8割は寝ているんだけど(笑)。

クライマーで例えるなら、普通クライマーが大好きな、岩場のクライミングが全然ダメで、しかも、デブで歩けもせず、荷物をもたせたら、更に歩きが遅くなり、もう歩荷もダメで、クライミングもダメ、と、”なんで、お前 山やってんの?”みたいな人が、ラッセルさせたらモーレツなラッセル力を見せるみたいな、そんなかんじだ。特殊な単機能型ってことですね。

ま、要点は、パナソニックという会社は、本当に家庭的で良い会社だったってこと。それが裏目に出て日本の国力低下につながっているってこと。つまり、落ちこぼれから拾ってくれるのが日本社会ってわけですね。言葉は悪いが行くところがない人。日本の地方が今、そうなっている。

で、私は失業したわけだが、それは前川師匠も同じだった。それどころか、プロパーの人も同じで、全員バラバラの配属になった。ので、別に自尊心は傷ついていない。松下の正社員だった人でも、やっていた仕事がなくなり、全員が事業部解散の憂き目にあったのだ。

私は渡りに船で、ドイツの外資から歯科営業の仕事のヘッドハンティングをもらっていたので、困ったら、そこに行けばいいか、という感じだった。歯科タービンってモーターなんで、モーターの塊のロボット開発部の人からしたら、単純な仕組みだからだ。

当時、私より10歳くらい上の30代後半の若手エースに、MITに社費で留学した人がいたんだが…彼も、結局、転職した。上と意見が合わなかったようである。(MITはマサチューセッツ工科大学)

私自身もそうで、エンジニアとして仕事していたのに、松下さんが提供しようとした仕事は広報…なんのわたしの強みも活かせないではないか・・・というので、外資に行った。

この経験でわかったことは、会社っていうのは優秀な人から辞めていく、と言われるが、実際にそれが本当に起こっている、ということだった。

それは、情、というか、人間同士の温かい気持ちから起こっている。そりゃ、他に行くところがないんだから、誰だって彼に席を譲るだろう。譲られた本人は、それが譲られていることだとは、全く気がついていないと思うが。まぁ、”甘ちゃん”っていうのは、そんなものだ。 大事にしてもらって気が付かない人のことが、甘ちゃん、なのだから。

これでは、日本企業は弱体化していく。だいたい、ヘッドハンティングというのは、海外スタートの習慣なので、外資に抜かれることが多い。

しかも、外資のほうが待遇自体も良い。ので、どんどん、日本人で優秀な人は外資系企業に吸われて行ってしまう。

日本では、あらゆる組織が同じかもしれない。つまり、山に例えるなら、山岳会、ということだ。

実際、横山ジャンボさん、佐藤ユースケさん、花谷泰広さん、菊地さん、ヒロケンさん・・・とあらゆるクライミングの著名人を見ても、誰も、”山岳会”を背負っていない。

スポンサーも、アルテリアとか。(え?外資?)

名刺交換するときに、「○○社でございます」と昔の人は自己紹介する。しかし、私が、労働市場にいた時代から、できる人は、「エンジニアの○○です。△△をやっています」と自己紹介するものだった。当時で、すでに20年くらい前である。

日本では、メンバーシップ型から、ジョブ型に移行中だが、これを山の世界でいうと

山岳会から個人の時代

である。

残念なことは、労働市場で起こっていることと同じで、やはり、山岳会に残らない、あるいは、山岳会をお荷物だと感じる、付き合いきれない人は、どこに収束するか?というと、海外、なのである。

■ レガシー

日本の岩場では、古いクライマーが、”俺が初登者だ。俺の登ったとおりに登る以外は許さん”と言って、今では陳腐化した”俺のクライミングの歌”を理解されたがり、その根拠は、そのほうが、”後に続くクライマーのためになるから”、ではない。

俺が(あるいは、私が)、”理解されたい”、つまり、”共感されたい”からで、それってかなり、個人的な理由である。

つまり、要約すれば、それは、”視野が狭い”、と言われる状況だ。

現代では、子供も登り、女性も登る。つまり、公共の意味する内容は、広がった。

時代の流れは、理解したくないが、自分の事情は理解してもらいたい、というのでは、態度としても子供である、ということは否めない。

伝統という言葉は、そうした個人の甘えをカモフラージュする口実に使われているに過ぎない。

もちろん、自分以外のクライマーのことを考える年配の人もいる。米澤さんは自分のためにボルトを打っているのではなく、現代の(登りが下手な初心者が中心の)大学生山岳部のために打っていたので、クラックの横にボルト、になってしまっていたのである。

(ちなみに、入門レベルのクラックでは、それでもいいのかもしれないという現象がアメリカでも起きているようである。人気がありすぎるルートでは、まだトラッドクライマーとして、クラック慣れする前のクライマーが来てしまい、プロテクションをきちんと設置できないので、事故が増える。事故を起こしてしまうくらいなら、ボルトを打っておき、そこでクラックに慣れてもらうのも手、ということだろう。クラックルートなら、なんでもかんでも、打っていいという話とはちがうだろう。しかも、同じサイズのカムが10個必要なルートとか、一体、誰がそんなに同じサイズばかり持っているって話ってなるし)

結局、若手で優秀な人は、海外に押し出されざるをえない…。つまり、日本の岩場ではなく、海外の岩場で登る…ってことだ。

それは、結局のところ、日本に優秀な彼らを活かす受け皿がないため、というのがわたしの主張だ。

日本の岩場で頑張っている小山田さんですら、別に会は背負っていない。

例えば、山岳会で、”若い人が来ない”という嘆きはよく聞く。

しかし、若い人が活躍できる場がない山岳会には、その会で育った人ですら残らない

なら、その会に恩も何も無い人に、貢献を期待するのは、虫が良すぎる話だろう。(九州で何の好い目もみていない私に同郷のよしみで”見返り”を期待されてもねぇ…)

若い人の山岳会の側では、”もはや、伝統的に強いクライマーを輩出してきた山岳会の○○会ですら、アドバイザーとして、もはや機能できないのでは?”と思ったところで、代打が見つけられないので、くすぶっている、ということになっている。

若いだけに、誰に話を聞くべきか?という見極めすらできないでいる、というのが、実情だろう。

20年は長いようだが、短い。ゼロ歳だった子供は大人になる。20代だった人は40代になり、40代は社会を動かす主軸だ。しかし、40代だった人は、60代になり、60歳は個人差が大きい。70歳ともなれば、個人差は消え、もはや社会に何か価値を提供する活動をするという年齢ではない。林住期に入り、自分の人生を見つめ直す時期だ。

したがって、現在のアルパインクライミングを60代、70代がメインの構成員の山岳会…ほとんど中高年登山というジャンルのハイキングクラブと化している会に期待しても無駄だ。

では、誰に?

アルパインをしたいクライマーなら、アルパインを教えると題している講習会に自腹を切って出るしかない。

フリークライミングだったら、アルパインほど状況依存が少ないので、たぶん、ちゃんと菊地さんや北山さん、中根さん、海外のギュリッヒの本などを読めば、大抵のことはカバーできる。(外岩に登りたい人が、スポーツクライミングの本を読んでも仕方がないですよ? 別物なので)

そして、一通り外岩でフリーが登れるようになったら…私がやったように、海外に出ていくのがオススメである。

最初は、ラオスがいいと思う。もう山岳会の冬合宿も、ラオスにしてしまうのがいいのでは?と思うくらいだ。

なんせ、アルパインの基礎力はフリークライミングなのに、若い人が身につけそこねているのは、フリークライミング能力なのだから。そのフリークライミング能力の意味するところは、決してムーブではない

海外では、20代の若い男性が、5.8でパートナー募集をしている。ちょうど、初心者バンド仲間募集くらいのノリだ。おれギターやるから、誰かベースやらない?程度の話で、プロ級の腕前も要求されない。

これは、5.8で落ちても死なない、整備された岩場環境があるからで、日本の岩場では同じことはできない。

クライミングというスポーツの裾野は海外のほうが当然広い。5.8しか登れない初心者のクライマーも、もちろん絶対数として海外の方が多い。

日本の男性は、”ねぇ、お母さん、見て見て!”を卒業しないといけない。ジムで自信をつけて、外岩に来るのはいいんだが、それと同じことを外の岩でやって、「よくできました☆」と言われたがっている…というのは、見ていれば理解できるが、全く外岩は別物なので、頓珍漢な行為だ。そもそも、誰かに見てもらって感心されたいという気持ち自体を卒業しないといけない。

外の岩とボルダリングジムの壁は全く別物だ。外岩にはスタイルの問題がある。ただ登れた!だけでは、「よくできました☆」とはならないのだ。まぁ、初心者が完登したら、誰でも親心で言ってはくれるが、ボルダーのように登れさえしたら何でもあり、ではない。

そんなことも、10年登っていても分からないのが、現代のクライマーのあり方だ。それはどれだけ長く岩に接しても、主眼になっているのが、俺がかっこよく見えるかどうか、だからだ。最初の入り口としてはいいが、いい加減、目を覚ましましょう。現代クライミングって、V15って世界なんですよ?

しかし、そんなことすら、自分で理解できないようでは、誰もヘッドハンティング(師匠になりに)に来てくれない。

断っておくが、私に2名の師匠がいたのは、私が師匠を求めたからではない。あっちから来たのだ。

40代のおばさんクライマーが、一撃できるような課題を、粋がって登るような人には、要するに、”誰も付き合いたくない” のである。5.12が登れても、トポも用意してこない人も同じだ。

なんせ、ローワーダウンの練習せずに岩場に来てしまった、みたいな理由で、落ちて死なれても、後味が悪い思いをしたり、レスキュー出動するのは、同行者である。

岩場のローワーダウンで、「僕、降りれませーん」という人は現実に存在する。課題のランナウトで、課題に、”来るな!”と言われる以前の問題だ。登ったら降りないといけない、のは、誰でも考えたら分かることなのだから、降りる練習くらい、下界でやってから行かないといけないことくらい、猿でも分かる。

アメリカに要る頃、語学学校に留学した友達が、全然、喋れるようにならなかったので、愚痴っていた。「考えてみたら、語学学校にはアメリカ人はいなんですよね」なんて言っていた。が、そんなの、日本にいるときに考えたら、すぐ分かることでしょう… 

こんな調子で、日本の若い人は、伝統的に 思考停止 しているわけである。

従って、年配の人がもはや頼りにならないのは、”いい加減、目を覚ませ”って言うわけなので、良いことなのだ。

語学学校に行ってもアメリカ人はいないことが事前に分からない人が行くのが、山岳会、である。

登山の技術を教えてもらいたかったら、登山技術を持っている人が開いている講習会、に行かないとその技術は手に入らない。

そんなの、当然のことですよね。





2022/08/13

正常な自己愛には、エゴを捨て去る必要があります

■ 自分を愛す

おかもん先生に、親孝行への罪悪感を抱えている人は、自分を愛せない場合が往々にして多い、という指摘を受けたので、研究中。

正常な自己愛が必要というのは、私自身、中学を卒業して、高校に入学した時から知っていました…。私は高校高専に行きたかったのですよね…、その道であれば、私は自分がしたいこと=プログラミング、で18歳から働くことができると思ったからですが…。実は、最近、仏教説話を主催したのですが、その場で、高校高専で教えている起業家に出会い、私が14歳で思考したことは、正解だったのだと分かりました。14歳の私は大人の権力に負けて、先生が自慢になる、学校が自慢になるという理由で、熊本高校へ進まねばならず、不本意な道を選びました。結局、パナでエンジニアにはなりましたが、私が目指したようなシリコンバレー系の仕事ではなく、制御系…その後もメインフレーム…ずっとレガシーと付き合っているわけです。 クライミングでもなぜか似ており、レガシーとの接点が多いんですよね。

さて、

  過去の栄光は大切にしなければいけません。

しかし、

  過去の栄光によって、現在の現実を見る目が曇ることがあってもなりません。

過去に

   偉大だ、とされた基準

は、当然ですが、現代にいたると 

   更新され

ます。記録が塗り替えられることは喜ばしい事です。たぶん、記録に出てくるヒマラヤやパタゴニアなどの海外のルートの表現が、

 距離、累積標高、登攀のピッチグレード、気温などの天候条件…など

、端折られて書かれ、どこそこを登った、としか書かれていないせいだと思いますが、ヒマラヤの山の名がついていたら、内容が高尾山に登るようなものでも、誰でも、すごい!と騙せてしまいます。

逆も発生し、本当にすごい山をしている人たちも、「どうせ高尾山」と思われてしまうわけですね。

とくに、現代の登攀…のけた違いのスキル差、というのは、元々がストレートシャフトのアックスで登っていた人には、わからないかもしれません。

私が感じるM5とM6の差はめちゃ大きいです。WI5とWI6はすごい差です。いかんせん、WI4が楽勝なので、WI4とWI5くらいの差を鑑みると、同じペースで違いを感じてしまうかもしれないんですが…杞憂なのかな?

これはアイスでの話ですが、フリークライミングの基礎力で上がった登攀力を持つ人たちについても、同じ誤解があるような気がしないでもないのですが。

■ エゴの声

ほんの少しの選ばれた人しかトップクライマーになれなかった時代 → 誰もがトップクライマーになれた時代 → ほんの少しの… → …と時代は変遷しているのかもしれませんが、実際はどうなのでしょう…?

  過去の栄光を引き継ぐ若者たちをサポートする、

バックアップするような視点で、エゴの声を捨て、

   未来を育む方向へ、一致するような方向性

が日本の山岳上位団体には必要とされているような気がしてなりません。

そして、それを邪魔しているのは、この動画にあるようなエゴの声のような気がしてなりません。

2022/08/12

岩場のルートファインディングの諸段階

 ■ 強点vs弱点

アルパインクライミング= 山頂へ行くために、弱点を突くもの

フリークライミング= 強い点を楽しみのために味わうもの

ですが、ただ、漫然とクライミング、としていると、よく分からないかもしれないですね。

岩のルートファインディングについては、私自身が、まだ学習途上なのですが、今の時点で分かっていることは、以下のようなことです。

■ 読図の山が基本

一般登山で、読図をしますが、尾根と沢を登路に使うのが、山の交通、道路です。

山の住所の付け方は、何番目の尾根の何番目の沢というものです。

富士山みたいに円錐形の山だと、住所がつけづらく、ルートファインディングって、とても難しくなります。

■ 登りは簡単

まぁ、登りはどう登っても1点に集約されるので、簡単ですよね。だから、どこからどうとりつこうが、高いところを目指していれば、誰でも同じところに到着します。

■ 下りはほんの些細なずれが大きな結果を生む

ところが、下りは、ほんの1度方角がずれただけでも、裾野では、えらい大きな差になります。尾根を下るのですが、尾根にも痩せた尾根と太った尾根があり、痩せ尾根のほうがルートは明確です。

■ 痩せ尾根=岩尾根

痩せ尾根が、さらに傾斜をきつくなったもの=岩稜。”岩”の、”稜”(=尾根)。 標高が高いと、森林限界を超えているため、岩がちに。

これがリッジ登攀が、アルパインの基本とされる理由です。まぁ、とりあえず、尾根を行けばいいのですから、ルーファイは簡単です。特に痩せて細い岩尾根なら。登山で出てくる、

アリの○○とか、天狗の○○とか、トサカ〇〇

とか、そういうところをもっと細くしたみたいな感じです。

現代のフリークライミングを経験した人からすると、簡単、と感じるレベル=立てる、であることが多いかもしれません。

それでも段々傾斜が立って行けば、もちろん、壁になってきますが。

おおざっぱに言って、北鎌尾根とか終わった人が次に行くレベルのルートが、リッジ登攀。

小川山にもありますし、インスボンにもあり、日向神にもあります。

■ レッジToレッジ

ロープが出るタイミングというか、ルートのリズムというか、そういうものを表す言葉です。

日本語にしたら、段から段へ、という程度。

段=立てるところ。 平べったく言えば、段があるところじゃないと終了点作れないじゃーん!です。登っていたら両手ふさがっていますよね。

しかし、このレッジTOレッジが味わえるルートって、今どこなんでしょうね? よく知らない。

■ 尾根から壁へ

尾根から壁への転換は、けっこう大きな転換です。壁になったとたんに、ルートファインディングは非常に見出しづらくなるからです。

手足がかけられるところを探すということになりますが… 登れても降りる時、落ちないといけないなら、ちょっと調べに登っただけで命取りになりますから、そうそう気安くは取りつけないですよね。

■ 沢

沢では、ルーファイが比較的楽なので、沢もルーファイ練習の場。水流もルートを見極める手助けになりますし。

私も初心者のころ、行き詰ってハーケン打って降りたことがあり、ルーファイが課題だという段階でいまだ停止しています(笑)。

■ 人工壁

人工壁は、ホールドを追っかけるものなので、ルーファイ力はつかない。

■ 残置

昨今の人は、登攀力だけが伸びて、ルーファイ力がゼロなので、初心者向けルートには、その補いとするため、残置が置かれています。例:腐ったピトン

しかし、この残置は、山でいう赤布みたいなもの。間違っても支点として現役なのではありません。本来、読図の山でも、読図がちゃんとできていれば、赤布のほうが登山者を追いかけてくるようになります。自分が歩いているところに、ここで良いと正解を示すように、赤布が現れるという意味です。

同じことが、古いリッジルート等のピトン等に言えます。

たまに間違って敗退した人のピトンだったりもします。敗退用だと、懸垂で降りた後なので、セカンドが回収していないので、残置にならざるを得ないためです。

なので、ボルトルートになれた人が、ボルトを目安にルートを登る要領で、残置された敗退用ピトンを追いかけると、行きどまり、に続く道になります。

敗退用のピトンには大体はスリングもかかっています。

■ エイドルートのボルトルート化

ボルトルートの役目は本来は、ルーファイ力を補助的に補う目的もあったのでしょうが… 今では、全然、昔のエイドルートのただの置き換えなので、フリーのムーブ的に整合性があるか?というと、たぶんないです。

背の高い人が、直近で立てる一番立ちやすいフットホールドに立って、手が届く限界のところにエイド用のボルトが打たれ、それが、フリークライミング用のボルトにそのまま置き換えられた場所も少なくないです。

■ グランドアップフリー

一方最初からフリークライミングで試みられた、グランドアップで開かれた課題は、ボルトの位置を含め、芸術作品と言えると思います。壁のルーファイは、尾根のルーファイと違って、かなり難しいので。

グランドアップには、登山靴で開かれたルートと、クライミングシューズで開かれたルートがあります。

当然ですが、登山靴で開かれたルート=アルパイン、クライミングシューズで開かれたルート=フリー です。

全然、難度が違います。インスボンでも、アルパインの5.9とフリーの5.9は違いました。

余談ですが、私は西湖のマルチで、アイゼン履いての岩が、会での初外岩。アイゼン履いて登れたところなら、クライミングシューズなら登れるだろうと、2度目からトップを登っています。

そんな人に向かって、九州で人工壁とボルト整備され、課題も会の会長さんにここを登りなさいと選んでもらって登って、強くなっただけの高校生が、人を小ばかにし、でかい口をたたくので、大変腹立たしい思いをしました。

そもそも、人工壁は、アルパインの価値体系の中では、アイゼンで岩を登るための練習なんだとか分かっていないんじゃないかな? 人工壁でいくらグレードの高いのが登れても、アルパインでは評価されません。米澤さんなんて、ドーンウォールのトニーすら、RPでの登りだから、評価しなかったくらいです。

私を馬鹿にしたこの会の人は、私が登れる高校生を喜んで、ホイホイ、ドレイヤーに立候補するとでも思っていたのでしょうかね。

 私はスポーツクライマーはスポーツクライミングのカテゴリーでスゴイだけなので、全く別物と思います。まぁどっちかというと興味ないです。山が好きなんであって、競争が好きなわけではないので。スポーツクライミングは、競争の世界です。リスクもなく、お気楽のんきな世界です。

 ■ クラック

岩のルーファイで比較的容易なのが、クラック。プロテクションもクラックがあれば、条件にもよりますが、取れるだろうと想像できます。

■ 氷

氷も道としてかなり有効です。アイスが十分固く、体重を保持する信頼に足るかを見極める目が必要です。

■ ブランクセクション

手がかりも、足がかりもなく、どうしても突破できないセクションのことです。

トップクライマーには、ブランクではない、というのがミソ。 下手くそクライマーにとってはブランクでも、登れる人には、ブランクではない。

■ ラッペルダウンのルート

壁では、ラッペルして課題が作られているわけですが…特にハングした壁ではラッペル以外どう作るんでしょうかね? 私も開拓は詳しくありませんが。

ラッペルで作られた課題に関して、芸術だ、著作権だ、というのは、ちょっと合点がいかないのですが、それは、フリークライミングのルートに対する私の知見が限られているからなんでしょうかね?

しかし、グランドアップとラッペルダウンのルートを同一レベルに議論するのがおかしいという点は譲れないかもしれません。

米澤さん曰く、「開拓クライマーは一度もオンサイトしないんだよ」でした。私も故・吉田さんのルートでは、試登していますが、トップロープでした。TRで登って、登攀のリズムをつかみ、どこにボルトを打てば合理的か?を考えるわけです。

クライミングそのもの、を楽しむためにボルトが配慮されるわけで、ムーブを妨げない、ということだとすると、ガバ=ボルト飛ばしのアルパインのボルト位置とは全く違うセオリーになります。

■ ACPCが判断力あるのでは?

というわけで、私の勝手な個人的意見によると、

 残置をどうするか?抜くか、残すか?などは、大変幅広い経験値が必要

なわけなので、菊地さんたちのACPCが、

 ここは初級ルートだから、この程度の残置を残してあげないとクライマーはルーファイできないだろう…とか

 ここは上級者向けなんだから、こんなところにこんな残置は汚物以外の何物でもないだろう…とか、

 ここは歴史的ルートだから、このままで…とか、

 白亜スラブみたいな、クラックではなくスラブには、ボルトいるよね~みたいなのとか

適切に判断できるのではないでしょうか?

私が聞き及ぶところによると屋久島フリーウェイは40年前のまま、別にうち替えしていないそうです。そんなのに、現代の墜落が前提のクライマーが、俺、5.12RPできるから、みたいなノリで行きたいのが現代。ACPCは、現代の初心者像をよく知っていそうな人が集まっているので、どこをどう改善したら、そのようなルートが比較的事故を起こさないようにできるか、配慮できる人たちのように思います。

■ 初登のグレードにこだわらない開拓者もいる

開拓者の米澤さんは、他のクライマーの課題を登ったことが著しく少ない方でした…つまり、いつでも会で一番登れる人なので、より難度が高い課題がよく分からないのだそうでした…ので、グレーディングも、自分より経験のある人が言えば変える、と明記されていたほど。

大体、10代の課題って、昔のクライマーには、十パひとからげで、ぜんぶ5.9!みたいな感じですし…、その感覚は、現代の厳密にグレードをジムで覚えて登ってくるクライマーの感覚とは大いにかけ離れていそうです。 

そんなグレード感性の違いも、事故の原因化していそうです。

米澤さんの5.10代は、ぜんぜん現代の10代じゃないですよ(笑)。 

こんなにきれいに並んでいるのは人工壁だけ

         歴史あるルート ボルトで汚してはならない


   ちゃんとルーファイしている人は、雪のほうが岩を行くより簡単だとすぐ分かる

2022/08/05

アルパインクライミング推進協議会 を知りました

■ 伝統はどこに…

アルパインクライミング推進協議会 っていうのが、伝統のベルニナ山岳会の閲覧で、回ってきました。

 https://www.alpine-climb.jp/

です。とてもうれしく感じました。以下、各岳人から学んだことを太字にしました。

■ 会長の菊地さんとの思い出

菊地さんは、業界内ではガメラというあだ名で通っている方です。『俺たちの頂き』という漫画がありますが、その主人公のモデルになった人物と聞いています。

私の菊地さんとの出会いは、湯河原幕岩でのクラック講習を大阪のクライマーと一緒に受けたことです。

それ以前に菊地さんの『我々はいかに岩にかじりついてきたか』は読了していました。

菊地さんの講習でも、登ってまだ1mくらいで滑って、男性クライマーが落ちてしまい、その下地が、ちょうど、さらに下に落ちれるような形状だったので、菊地さんが身を挺して止めようとしたのが印象的な講習会だった…。

甲府で人工壁で登っているときに、”今度、菊地さんの講習会に行くんだ~”、と周囲の人に漏らしたら、「結び替えを知らない人が終了点で出来なくて、めちゃ怒られた。行くならしっかり復習してから行かないと、めちゃ怒る。怖い人だ」と聞かされたので、ビビって参加したら、めちゃいい人だった、 という経験になりました。

その頃、私は、蒼氷の先輩と登っていたのですが、約1年間、月1でクラックを登る程度では毎回リセットされて上手にはならなかったのですが…

…でも、カサブランカを3回しかトップロープせずに、4回目はリードってどうなのかね?…小川山レイバックはRPしたので、次はカサブランカですが…

私が思うようなスピードで上達しないので(笑)、しびれを切らした周囲の人が、吉田スクールを薦めてくれたので、吉田スクールへ。

昇仙峡は近所で、湯河原は遠く、菊地さんの講習を受けたのは一回止まりでした。吉田さんはすぐに亡くなられてしまったので、私は最後のビレイヤーの一人になってしまいました。デイドリームが取り組み課題でした。

ちなみに、当時一緒に登ってもらっていた蒼氷の先輩を甲府のツヨツヨクライマーに紹介したりとかしましたが、フリー主体の人とは、あんまり合わなかったみたいで、私以外に一緒に登るようになった甲府クライマーはいなかったです。

(下手くそなくせに一流の人と登ってずるいと妬まれると思うので、一応書いておきます。良い人を紹介しても、みんな嫌がって登らないんですよ)

菊地さん関連の記事 https://allnevery.blogspot.com/2017/10/blog-post_12.html

 2015年の湯河原幕岩 https://allnevery.blogspot.com/2019/03/blog-post_9.html

■ ジャンボさん

ジャンボさんとのご縁は、太陽系の木星のごとく、遠いご縁でした…。

しばらく前にパタゴニア福岡で、”繋ぐ壁”という動画の発表会があり、その時、ごあいさつした程度です。

荒船のクラック付きアイスでご一緒した伊藤さんから、「ジャンボさんは、荷を担いでも全然スピードダウンしない、すごい」と聞かされていました。それを対面でお伝えし損ねたのが残念でした。

私は、甲府時代から、トップクライマーが話をする、このような会には、出来る限り参加するようにしています。

山に対する考え方など、貴重な話が聞けるからです。

ジャンボさんの話が聞けるラジオ https://allnevery.blogspot.com/2022/04/blog-post_4.html 

https://anchor.fm/rainymonkeysradio/episodes/17-e1952o9

一方、現代クライマー、ジム育ちの人などは、トップクライマーの話を聞くのを実際のところ、むしろ積極的に避けている、ようです。

これは一例にすぎませんが、まだ3級しか登れないのに2段をノーマットで登りたいという50代の初心者日之影ボルダラーがいたのですが、2段がノーマットで登れるには5段ぐらいがマットありでは登れていないと無理だということが分からないようで、お金がないからマット買わないという話でしたし、開拓志向でしたので、彼に小山田大さんの投稿の継続閲覧を薦めたところ… (勧めた理由は、同じ日之影エリアの開拓情報が発信されるからですが)、

「どうせ取り巻きに囲まれて、ちやほやされている話でしょ」

という返事でした(汗)。 一例にすぎませんが、現代初心者のガラスのプライドを表現しているかもしれません。開拓者の苦労が報われないのもうなずけます。

別の人は、

 「俺、へこむから出来るだけ、トップクライマーの情報は入れないようにしている」

とのことでした。正直です(笑)。俺も…と思っているってことで、ある意味スゴイです。

■ 現代アルパイン…俺だって出来る?わけないのにな…

私から見れば、現代のトップレベルのアルパインクライミング(スーパーアルパイン)は、8歳~18歳までのゴールデンエイジ期にクライミングをスタートしたクライマーが持つような登攀レベル(12がアップ、フリーソロできる)へ、完全に舞台を移している=マークアンドレ級…と思えるので、どんな年齢でも大人からスタートしたクライマーには、スーパーアルパインへの参加権はなしというか…、単純にカヤの外のように思えるのですが…。もちろん、垂直でなく、水平で記録を立てている田中カンヤさんみたいな人もいらっしゃいますが…。

■ 佐藤ユースケさん

佐藤さんは、甲府のクライマーなら、誰でも一度は見かけたことがある、超有名トップクライマーで、地元の誇る、アニキ分クライマーです。

私もまだ、一度も人工壁に登ったことがない時、ある山岳会の面接?で、会に入りたいかどうかを調べるのに、ピラニアで一緒に登りましょう、ということがありました。

ところが、私はハーネスを忘れて行ってしまったのです…。それで、「あ!ハーネス忘れた」となり…困っていると、「私、2つ持っているので、貸してあげましょう」という人がおり、その人がユースケさんだったのですが、5.7の壁をザックを担いで行ったり来たりしている人でした。その時は、この方が有名な佐藤さんとは露知らず。

お借りしたハーネスが、えらいくたびれたハーネスだった、という思い出があります。

その後、アイスキャンディフェスで奥さんとはしらずに、ドラム缶を囲んで世間話したり、別のジムで登っていたら、娘さんのさやかさんと同じくらいの登攀力で、ちょうどよく娘さんに佐藤さんが与えているアドバイスが私にも適用できたり…でした。

ジムに木の箱とプラスチックで出来たジャミング練習機を持ってきていて、すごいなーと思ったことがあります。あれ、中でジャムっている手がシースルーで見えるんですよね。

佐藤さん自身との接点はそうなくても、甲府にいたら、しょっちゅう名前を聞く方です。那智の滝の事もあり、愛されたり妬まれたり、良くも悪くも注目を浴びている、という印象でした。

知り合いで13登れる人が、佐藤さんに一度マルチに連れていかれたが低体温症になりかけて、懲りた、という話を聞いたことがあります。

映画の『ドーンウォール』では、トニーが、ボルダラー(ロープを使うクライミングを知らないクライマーという意味)のケビンをパートナーにして登るのですが、そんな簡単に行く話では、ないんですね。でも、どんな人にもチャンスを与えてくれている、優しさがある岳人と言えるかも? フリー志向とアルパイン志向では、だいぶ違いますしね。

他には、沢の師匠や会を探していて出かけた海外遡行同人の集会に、山梨県から参加というので、名前を書いたら、佐藤さんとNHKカメラマンと私の3人しか名前がなかった、という記憶があります。その時は佐藤さんは参加されていなかったですが。

■ 花谷さん

花谷さんは、甲府の山道具屋、エルクで、ピオレドール賞受賞の報告会があったので、当時仲良しだった南アルプスのレンジャーと一緒に、写真を撮ってもらった、という思い出があります。

当時の発表で、馬目さんがすっぽ抜け事故を起こした時のくだりで、私が、「末端は、むすばないんですか?」と聞いて、的確な質問だったようで、感心してもらった思い出があります。花谷さんは、「トップクライマーたちは、時間との戦いだから結ばないんですよ」という返事でした。

逆に言えば、トップクライマーでない限り、末端は結べ、という意味だと理解。当時、私は、山岳総合センターのリーダーコースを絶賛受講中で、山の師匠の鈴木さんと、”懸垂の末端は2本まとめて結ぶべきか、1本ずつバラバラがいいのか?”など、楽しい山議論の最中でした。(ちなみに末端は、バルキーで確保器を通過しないなら、何でもいいです。)

当時の甲府でも、ジム上がりクライマーたちが主体で、花谷さんのエクスペディションの話を聞かせても、技術的土台がないのでピンとは来ないんだろうな~という雰囲気でした。クライミングジムには行っても、山には行かない、という人が大多数だからです。ほとんどの聴衆クライマーはロープを所有していなかったのではないかと思います。

その後、まだ初心者でルートの数も稼げていないころ、関西から女性のクライマーが訪ねてきてくれたのですが、その方が、花谷さんのヒマラヤキャンプという若い岳人を育成する会に参加したので、私のR2をさし上げて応援した、という経緯があります。ヒマラヤへ挑戦する女性は一人だけだったと思います。

このトレーニング中のメンバーたちに厳冬期の甲斐駒で会ったんですが…。甲斐駒って、冬でもアプローチ確実で、黒戸尾根なら、登山口から山頂まで標高差2200m。これを8~9時間で往復できるのがヒマラヤ登竜門、ということでした。チームに参加した彼女の感想を聞くと、キツイ、ということだったので、さもありなん、と思いました。

当時40代の私の脚で、往復は11~13時間の間くらいです。標準コースタイムは、16~17時間で、私程度の人でも、年配の登山者をバンバンゴボウ抜きです。厳冬期に行く人は大体は、ピークハントではなく、黄連谷の人たちですので、ギアが重いんですかね?でも、ヒマラヤを目指す若者は全装で、8-9時間という話なのでは…?

花谷さんは、その後、七条小屋の小屋番になられたそうですが、あの快適な小屋、羨ましい限りですね。荷揚げもちょうどトレーニングにいいな、程度でしょうし…。前の小屋番さんが超厳しい、とか言われたこともありましたが、黒戸尾根はロープが張ってありますが、美しいロープワークを見て、端正な性格の山やさんなんだろう…と人柄がしのばれるのでした。

御坂の先輩は、テント泊したら、ツエルトの貼り方を講習されたと苦笑いしていました。テントはダメで、ツエルトで寝なさいって意味なのかな。でも、厳冬期だとツエルトとテントの差は大きいですよね。テントで日和るなってことなのかね。

■ 環境が良かった甲府

以上が、甲府時代に出会った方たちでした。やはり、甲府と九州を比較すると、出会える人材の質というか、そういうものが違います。

受け取れる山文化のメッセージ性も、はやり違うのではないでしょうか?

受け取り手の問題もありますが、環境、つまり、縁、ということもあると思います。

■ 九州に来てから

九州に来たのは、夫の転勤のためでしたが、すで5年目突入で、1年目はインスボンやラオス、韓国のアイスなどでごまかし、九州では、ほぼ登攀しませんでした。

パートナーが見つからず、というのもありましたが、そもそも登攀を紡いでいける環境にないというので、当初から別の活動…ヨガなど…を頑張るつもりでした。会は、全部行ってみましたがダメでした。

ところが、2年目から山梨アルパインクラブ時代の先輩の荒木さんが引っ越してきたので、クライミングライフ復活。

今、振り返ると、当時で10年以上登ってきた山梨クライマーの荒木さんでも、百岩場だけが頼りの状態だと、安全という意味でもスレスレです。夏の暑い時期に、暑いと分かっている岩場に行ったり、40年前のボルトで地元クライマーが避けている課題に取り付いてしまったり…、これどうみても5.9じゃない…、12登れる人がまさかの10b落ち、とか…、色々二人で、”勝手の分からない岩場”の洗礼を受けてきたなぁ…という感じです(笑)。いや~、生きていてよかった。彼とは兄弟分みたいな気持ちが最初からありました。私の愛で愛せるだけ深く愛したなぁという気持があります。

小川山なら、初心者はこれを登れ!みたいなアドバイスが、古い『岩と雪』には載っていたりし、それらは、けっこう現役(=人気課題でリボルトされている)だったりもしますが、九州の岩場では、古い雑誌のおススメは、現在の危険課題。安全な課題は、スポーツクライミングの選手クラスが登るような、高難度課題です。5.13以上ですね。

要するに、初心者向けの課題の、ボルトの取り換えが遅れている地域です。取り替える内容についての知識も遅れている様子でしたが、その点について普及団体?このような団体が出来て嬉しいかぎりです。

■ 権威性が必要

例えば、カットアンカーでのリボルトを現代でもしようと思うクライマーがいた場合、

 私のような素人が、「それは、もはや30年前の常識ですよ」というのと

 アルパインクライミング推進協議会、がいうのと

では、どちらが、「そうね」と聞き入れやすいでしょうか? 

”阿弥陀北稜に一人で登れました、アイスコンペで5位でした”程度の、大ベテランが見たら、いわば毛も生えそろっていないような娘っ子(まぁ、もう50代ですが…笑)に言われても、みたいな気分になっても仕方が無かろうと思います。

とはいえ、そういう方々も、もう80代。当然と言えば当然ですが、そんな娘っ子が登れる程度のところも登れなくなってきます。人は老いには勝てない。

■ 現代初心者の増加

一方で、クライミングジムの普及による現代クライマーの人口増は、まったなしです。

”僕、人工壁で5.11登れるんで、北岳バットレス行きます”…みたいな発想の人が、そのうちの6割としても、どんどん増えています。

■ ”アルパイン”の定義のゆらぎ

九州でも、ちゃんとした山岳会に属している人ですら、”根子岳(脆い岩場で知られる)にのぼりたい!”とか言ってきます。

私から言わせると、無雪期の岩稜帯をアルパインと称するのは、たぶん少し違うという気がしますが…冬壁がアルパインクライミングの前提のように思うので…でも、夏山の南アルプスでの登攀のことも、みんなそう言っていますしね…。解釈の幅が広くなって、北アや南アみたいにアルプスと呼ばない山域…例えば根子岳…の山のルートもアルパイン…。

現実的には、フリークライミングしか知らない人から見たら、ゲレンデ以外の山として、山にあるマルチピッチのルート=全部アルパイン、みたいな感じに受け取られていそうです。

この受け取り方の問題は、

支点を作るルートを1度もやったことがない=残置が暗黙の前提

冬壁が分からないので、脆い岩という意味がわからない

となり、

岩が脆かったら、いくら登攀力があっても全く対策なしっていうことが、一向に理解できない、

ことなんですよね…。

例えば、山梨で若い男性にアルパイン入門ルートとして人気があるのは、阿弥陀南稜ですが、コンクリートされていない(寒さで岩が固まっていないって意味です)に行くのは、バカね、と常識が形成されており、11月などの微妙な時期に行く人は、まずいないです。

九州では、一年を通して、どの山もコンクリートされない…。唯一、岩稜=アルパインっぽい雰囲気が味わえる山=根子岳なのだそうで、事情を知らないで、ただ皆がそういうから、という憧れだけで行きたい病にかかる人が多いらしく、『九州の岳人たち』という本に、ずらーと死者の名前が書いてありました。

もともとは、まっとうともいえる、岩稜帯への憧れ=岩尾根をつなぐ登り…リッジ登攀…が、結果としては、単なるミーハーに転換されている、ということです。(九州なら日向神に初心者向きリッジルートがあります。)

九州の根子岳を登って一巻の終わりになるくらいなら、少しお金を出しても、北アで前穂北尾根とか、明神主稜とか、に登ったほうがいいと思いますが。 (どっちも私が行った山です)もちろん、バリエーションに行く前に、ノーマルルートでエスケープなどを確保しておくことは必要なのですが。

ミーハーというのは言葉がきついかもしれませんが、 

 = 脆い岩場へ対応する、技術的裏付け なしに行く(行きたがる)、

ということです。

■ 脆い岩

たぶん、脆い岩場へ対応する能力って、アルパインの能力の中でも、かなり上級レベルです。

避ける以外、ほとんど対応のしようがない、というのが正確なところ。となると、初心者には非常に向いていないです。

初心者というのは、ロープを使うより、ロープに使われ、登るだけで精いっぱいなのが、大体の初心者像ですから。 10年以上のキャリアがある、5.12はRPできるようなクライマーでも、ルートに出れば、登攀の負担もあるので、ロープを使いこなせるレベルにあるとは言えません。

■ リードする権利か連れて行ってもらう権利か

その上、たぶん、男性初心者というのは、ほとんど全員が、”初心者は、先輩にセカンドで連れて行ってもらうのが、当然の権利”、と思っていそう…です。

実際、ルート(マルチピッチの経験数)が、20、30と貯まるまでは、ルート内のリスク認知力がつかないので、リードは取れないと思うのですが…、それはリードさせてもらえない、リードする資格がない、という意味で、セカンドで連れて行ってもらえる権利というのとは違います。

そこのところが、大誤解が起きている。その原因は、山岳会の新人欠乏で、(接待され過ぎた新人さん問題)が起きているからです。

接待され過ぎ=セカンドで連れて行ってもらえることが権利意識、になってしまいます。

権利意識にならないまでも、ちゃっかり、ということは起こり、それを期待している人は、他の人の努力の内容を見ずに、運の良さを妬みます。

私と組んでいた大学院生のO君も、運が良い子です。事情は、初めて私のセカンドで、アイスのルートに出たとき、彼に、僕、懸垂下降をしたことありません、と現場で言われてしまったのです。その後、だいぶ新人教育をしました…。というか、先輩の務め、としてしなくてはならなくなった。これは、私が有料でやってもらったことを無料で教える行為でした。が、セカンドで連れて行ってしまった手前、仕方がないです。

私もまさか、懸垂下降ができない人が、ルートに誘われたとき、”行きます”と言うとは、夢にも思っていなかったのです。彼とはアイスのフェスであったので、油断していたのでしたが、連れて行ってしまった手前、教えるべきことは先輩の義務として教えなくてはならなくなります。山で死なれるわけには行かないですから。

そういうカラクリで、先輩がやたら親切、ということの事情に、

 山やの義務の伝統がある、

ことには、一般的新人さんは気が付かないです。 なので、一度そういう目に合うと、

 おねだり(もしくは先輩の側のうっかりと新人の側のちゃっかりの合成)と暗記の山

 が、はびこることになります。

連れて行っちゃった手前、技術伝授しなくてはならなくなりますが、先輩は一回教えたら義務終了。

ですが、技術って一回では身につかないので、技術が身につかないまま、山の名前が残るということです。

ちゃんとした岳人なら、そう言うことにならないように、先輩に連れて行ってもらった山には、時期を変えて自分が後輩を連れていく、なりして、自家薬籠中のものとし、自分の血肉となるまで回数を登るわけですが。

つまり、それは、次の、自分の山、の土台にするためです。師匠クラスの青木さんでも、荒船昇天へ私を連れて行ったのは、自分の復習のためでしかありませんでした。ホントは、私のための中山尾根の予定だったので。

が、一般登山レベルの山で自分の山を紡いで来なかった人の場合は、

 ルートコレクションの一つ…行ったことがあるけど、連れてはいけない

になってしまうかもしれません。 そうなると、

行ったことがあるルート名を聞くと、ずらりとあるけど、後進には教えることができないクライマー揃い

 になります。

例えば、前に御坂山岳会に来た50代の新人さんで、行ったことがあるルートを聞くとすごいのが、ずらり、とならなんでいるので、先輩一同、フリーは5年の経験がある、というので、この人は新人時代は終わった人だろう、とすっかり安心していたことがありましたが、実際、蓋を開けると、岩場で、中間支点を引っ張りながら登っていたり、沢ではロープ出さずに死者が出たような滝を登ろうとしたり、で、?でした。よくよく聞いてみると、年に一回を5年でトータル5回位の経験で、ぜんぶセカンド。なるほど、だから、北岳に皆で行ったときも、バスにバイルを置き忘れてしまうわけです…。

■ 履歴を聞くだけではダメで、リードで登った山を聞いてもだめで…

そんな感じで、ルートの名前で相手の実力を図ろう…ということ自体が、無効化しているのが現代のようです。

もちろん、トップクライマーの人たちが海外の山のルートをずらりと書くのが、ルート名で実力を誇示する伝統の始まりだと思うのですが…。

その習慣で、自動思考で、この程度の山に登ってきた人だから、この程度の山に登れる人だろう、と想像すると、期待は外れる、ということです。

私にしても、阿弥陀北稜にソロで行っていますと書いているわけで、同じことをやっているわけなのですが、これは内容を説明すると、阿弥陀北稜というのは、アルパインの入門コースで、その入門をソロでこなせる力があるなら、後輩一人くらい、そのレベルまでは年間のトータル指導ができるよ、という意味です。そこまでは教えられる。

逆に言えば、そこまできちんと教えられたら、後はクライマーたるものは、勝手に自分で成長していけるはずです。短く易しくても、阿弥陀北稜には、山のエッセンスは、みんな詰まっているので。

■ ”先輩”の意味の捉え方

山岳総合センターのリーダー講習の到達目標は、赤岳主稜でしたので、私はこれはクリアできていません。

が、当時参加していた御坂山岳会のメンバーでは、セカンドでも主稜はもはやできない、無理だそうでした(当時)。

ので、私は赤岳は一般ルートの地蔵尾根、文三郎尾根が一番難しいルート(ロープが出ないギリギリ、コンディションが良い場合)で、これは山岳会に入ってもいいよ、という入会許可がでるレベル、です。

厳冬期赤岳が一人でこなせない人は、山岳会には、そもそもどこにも入れないです。

ちなみに赤岳以前は、ジョーゴ沢から硫黄を詰めたりとか、大同心稜から横岳とかに行っています。これらも一般登山客は来ないルートです。アイスも入会前にスタートしています。

私の阿弥陀北稜は、つまり、年に一人くらいなら、後輩のトレーニング相手になれるという程度の意味です。私の後を北稜でついてきたら、八ヶ岳の縦走もすっ飛ばし、人工壁でのビレイ練習もすっ飛ばし、確保器の使い方を取説を読んで目を皿にして学ぶというプロセスをすっ飛ばし、岩場でのリード練習もしなくて良く、天候の勉強、生活技術の勉強もしなくていい、という意味ではないですが、大体の人は、大体、前者のイメージで、先輩を捉えている人が多いように思います。

■ なぜ先輩はガイド扱いになったのか?

どうして先輩=ガイド扱い、になったのか?というのは、九州に来て、山梨時代より理解が鮮明になりました…。

  過剰な親切…、終了点はロープ直がけでいいよ~、というのが常態化

してしまったので、若い人から見ると、それの何が悪いのか、分からない、という状況に陥ってしまっているわけです。

だれか知らないが、岩場をよく分かっている人が、見えない妖精さんみたいな形で、いつのまにか、残置のカラビナを新品に交換してくれ、ボルトの強度を保証してくれ、キノコみたいに、岩場には自然とボルトが生えてくるもの… という感性に陥ってしまっているということです。

■ 岩の見極め力

その現状を思うと、このアルパインクライミング推進協議会は、

 支点構築するのに適した岩を見極める方法、

から教えるのが、はるかな道のりの最短距離ではないか?と思ったりします。

山岳総合センターでは、例え、使う機会が著しく少ないにしても、ハーケン打ちから教えますから。下手したらハンマーとハーケンを持っていない人は、山に連れて行かないレベルです。

それは、日本のアルパインクライミングが残置前提になったら悲しいから、なのではないかと推測するのですが。

■ 過激な意見?

残置のボルトは全部抜け、というのは、過激な意見と目されているとは知っていますが、

 そもそも論が分からなくなっている=そもそも山に残置はないですよね?

というのが、”グレード1点主義”病の原因なので、どんなに易しいところでも、そもそも支点が作れないと登れない、もしくは、フリーソロと同じだ、というのが、実体験としてリアルに分かることの方が大事なような気がします。

そうすれば、過去の偉大なクライミングの偉大さも、今よりもっと理解ができ、年配のクライマーに対する敬意も増えると思います。 (みなさんが欲しいのは、これですよね?)

九州では、代表的な沢、祝子川ですら、スポーツルート化して支点整備されてしまっているそうです。 

沢で支点打ちしないのでしたら、一体どこで打つ練習するんでしょう…

こんな程度の山でもリスクはあるのに、これをリスクと数えると馬鹿にする文化になっているかも?



2022/07/22

結論、アルパインクライミング教育の失敗の結果、でしょう

 ■ 白亜スラブのような、失敗したリードを、成功体験とし、自慢の種にしてしまう誤謬が生まれるわけ

は、やはり、

アルパインクライミング教育の失敗

に、因を約50%程度は、求められるものでしょう…。本人の責任…資質を含めて…が、50%はあるとしても。

つまり、子供、アルパインにおいては、今からちゃんとしたクライマー教育を受けるところの人、大人の初心者含む…は、大人、きちんとしたクライマー、の指導なしには、拡大した自己愛を、正常化することはできないのです。心理学的研究によると。

それにしても、彼はヨセミテ、何度か行っていましたから、ビッグウォールにもチャレンジしており、ということは、アメリカンエイドは分かっているハズで、岩角に設置したカムでロープがスタックすると、ロープが上がらなくて、にっちもさっちも行かなくなることくらい、学習済み、だと私は思っていたのですが…どうも違ったようです。心のメモに、”ヨセミテに、何回行っても、クラック登りの基本を分かっているとは限らない”と書いておきましょう。

結局、このように、10年以上の経験があるクライマーであっても、

 経験から自学自習する、

というのは、

 本人の振り返り力、反省の力による

ところが多く、

各種の人気ブログを読んでも、一般に、どのような失敗をどのように反省したのか?は記述されていないことが多い

ですから、あまりカンニングできない…。カンペがないと、どうにもできないのが現代人なのです…。

 ■ 自己愛による探索行動 + アルパイン教育の不足 + 反省力の不足 + カンペなし

という4つの素因によって、起きているのが、

 きちんとしたクライマーと言える状態になる以前の、アホっぽいクライマーの死 

です。

自己愛…無敵神話…による探索行動は10代の若者に多い行動です。幼児がとんでもないところに行ってしまうのと同じで、親の愛に守られているからこその無敵神話。

■ 良き手本を持つ…

 今の時代の良き手本、なら、誰になるのでしょうか? アルパインなら、ダントツ、

佐藤ユースケさん

だと思うのですが…。ジャンボさんなら、本当に良き事でしょうなぁ…。ラジオで聞いた会話に一番父性を感じた。もちろん山野井さんでもいいのですが、山野井さん、すでに生神のレベルだからなぁ…。佐藤さんも生神に近いですが。

山野井さん、ユースケさん、ジャンボさん、は、いうなれば、美術館で見るモナリザとか、ゴッホとかのレベルです。自分との距離感が離れすぎていて、まるで相手の行動原理が理解ができないレベル。

先日は大阪で個人ギャラリーに行ってきましたが、ギャラリーでは、現代の作家たちがしのぎを削っているリアルな会話が楽しめます。すると、ちょっとした豆知識、カンペですね、みたいなことを話しています。選ぶべき鉛筆の種類とか、どうやって描けるようになったか?とか…。

このようなレベルの人材が現在のアルパイン業界で、ほぼゼロとなっています。私のおススメは

石田登山塾のブログを読み込むこと

です。こちら

http://ishidatozanjukunisshi.blogspot.com/

アイロンさんブログ

https://crackclimbing.net/

どちらの方も対面して、お人柄を知っていますが、信頼できるクライマーです。

これは、私のデッサンと、その結果、出てきた水彩画ですが…


このデッサンを見て、デッサンの基本的素養がない、と思う人はいないでしょう。私は中学までは、クラスで一番か、2番に絵がうまい子供でした。デッサンでは 評価は5でした。

…しかし、だからと言って、

現代のゴッホとか、ダビンチとかになれると思う人はいないでしょう。

このデッサンを見て才能のきらめき、を感じる人もいないでしょう。


こちらは、その結果、水彩にしたものですが…ハイライトを残す練習というので、習作です。

この絵を見て、絵がなんたるか?分かっていないと思う人はいないですが、だからと言って、水彩画家になれる才能があると思う人はいないでしょう。

これが私が何度も、このブログで言っていることで、男性クライマーで、どうしても、「俺だってチャンスと環境が整えば、佐藤ユースケになれた!」と思ってしまう人が、理解し損ねていることです。

私を見て、クライミングの素養がないと思う人はいませんが、だからと言って、現代クライマーの系譜につながると思う人がいるわけありません。41の手習いですよ?勘弁してよ。

■ 私自身が何度も、主張していること

私自身が、何度も主張しているのは、私は、クライミングを絵に例えると

(デッサン力ゼロ、水彩?何それ美味しいんですか?レベルの人)ならば、指導できますが、

(男性クライマーで、俺だっていつかはユースケ!)とか思っている誤解の深い人は、指導できない

ということです。若い国体クライマーとか含め。

その人たちは、誤解が深く、プロの登山ガイドでも誤解がとけないレベル感ですから、一般クライマーがとけなくても、仕方ないかもしれません。 

どんなに言っても私の言うことの意味わかりませんし(自己愛が強すぎて、正面から見れない)、分かる素地(そもそも、美術館レベルの登りと、個人ギャラリーレベルの登りが峻別できない、自分のレベルを正確にアルパイン業界で位置づけできない)がないからです。

私は子供のころから、美術館に通い、世界の巨匠の絵画に触れて大きくなりました。ので、現在、街角の画廊に行っても、作家さんと会話が楽しめるわけです…

このアルパインクライミングバージョン、もしくはフリークライミングバージョンは、最初から山岳総合センターに行くか、無名山塾に属すか?で悩み、沢では海外遡行同人に呼んでもらって一流の遡行やクライマーに触れ、相当に老舗で伝統がある山岳会に属さないと起こらない…ちなみに私の場合は、ラッキーだったのは、クラブ蒼氷の先輩と初期はクラックを登りに小川山に通っていたことです。そのあとは、大阪労山の登山学校の元校長先生である青木さんという大阪のクライマーと登っていました。青木さんから見ても、どのクライマーもダメクライマーのようで、私は組む人がいなかったためです。

九州に来て、荒木さんという山梨時代に知り合った先輩と登っていましたが、私は山梨アルパインクラブは半年ほどしか属しておらず、ここのようなレベルの市井の山岳会は、福岡の山岳会とどっこいどっこいの教育レベルで、私が上記に述べたようなことは、教えもできないし、きちんとした教育体制もない、ということです。

いうなれば、私は美術館の絵(山岳総合センターでのリーダーコース)と蒼氷(市井のギャラリー)の両方を見てきたから、NG山岳会を見て、それがNG山岳会と分かるわけです。

しらなかったら、間違った教えでも、丸ごと受け入れるしかありません。

■ 山岳会の教育レベル低下は深刻ですよ

福岡の山岳会は、山梨の市井の山岳会より、教育の質は、さらに輪をかけて落ちており、指導者が、二人のリードクライマーを一人でビレイする、なんて非常識な行為も行っています。そんなビレイで登らなければならないくらいなら、会に参加するほうが害になるレベルかもしれません。

どれくらいアルパインクライミングの教育レベル低下が激烈か… ご理解いただけ、対策を練っていただけたら、幸甚です。なんせ、命を危険にさらして、得た情報ですから…。

本当に重要な情報というのは、このようなもので、クイックドローをヌンチャクと呼ぶのはやめましょう、なんていうのは、教育的指導ではなく、単なる揚げ足取りです。

クライマー業界で、ヌンチャクと言って通じない奴は、クライマーになる以前なので、教えてやってください。そっちの方が教育者のとるべき指導です。どこの世界にもスラングはあり、教科書通りというだけを教えるのは教科書がやることで、生身の指導者がやることではありません。

以上、心ある上級クライマーの方、山の世界の神様、よろしくお願いいたします。




2022/07/01

5年前のアドバイス

■山登りとクライミングの関係が途切れた現代

5年前に貰った質問に答えているのをみて、

山登りとクライミングの関係が途切れてしまったこと

を伝えるのは、ホント、難しいなぁと思いました。5年前の私は非常に頑張って、丁寧に回答していますね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
長文で失礼します。山のベテランの方のご意見が聞ければ…
以下のような内容の質問を当方ブログにもらっています。
それに対する私の返答も載せました。ただ私のアルパイン歴は浅く、ルート経験も少ないですので、回答に自信がありません。
ベテランの方の意見をいただければ、嬉しいです。
 

ーーー質問ーーー
こんにちは。大阪の様子はいかがでしょうか
充実した時間を過ごされていればと思います
自分は今月、二回ほどボルダリングの体験をしてきました。アルパインにステップアップするためのクライミングジム通い、この点についてもう少し教えて頂ければと思ってメールを書いてみました。


まったく急ぎではないので、お暇なときにコメントを頂ければ嬉しいです。・・・


クライミングジムは都心部にも多いのですが、
トップロープ壁を備える施設はわずかな様です。
その様な施設は、私の通勤路付近に存在せず、
最寄の施設へ行くには、急いで片道45分程度の遠回りになります。
現在の私の時間価値感ですと、
90分の移動時間が惜しいです。
 

ジム練習はロープを使った人工壁練習を想定していると思います。
ここで、ご意見をと思うのは、
私が取りえる今後の方針についてです。
当面は、通勤路上のジムでボルダリングに慣れ、
段階的にトップロープ壁施設への遠征を混ぜてゆくという考えで良い物でしょうか?
また、アルパインのための人工壁練習では、
ロープを使う課題に挑戦する割合、頻度はどの程度なものでしょうか?
ここまでが質問です。ここまでが質問です。
・・・
以下、報告的な感想と雑感です。
ジムのボルダリングを二回ほど体験して思うのは、山とは別個の活動として、ボルダリングを楽しめないとおそらく継続は難しいだろうということです。
今の自分の時間価値につりあう満足があるかどうかは、もう少し続けてみないと分からないかもしれません。
課題の難易度は10段階程度になっているようですが、最も易しい方から数えて三つ目は苦しいです(7級なのかな)。
二回目の訪問時は一つの課題に絞り込んで、8回中4回成功というところでした。
あんまり登れたぞという気分にもならないので、同じ課題ばかり続けてしまいました。
どこか悔しさが残り、店員さんに意見を求めたところ、足の力だけで登れる課題だと教えてもらいました。
あと足の親指先端の痛みも気になります。
(シューズの適正サイズがわからないです)シューズとチョークバッグは購入しても良いと思っていますが、
自分で選択する経験をする為に、もうしばらくレンタルしようと思います。
(↑製品のアドバイスも頂ければ嬉しいです)
自分は課題を山の岩に変換して眺めるせいか、難しい課題に挑戦するガッツはあまり湧きません。(そんな所には行かないからと思ってしまいます)


あとこれも体験してみて分かったのですが、ジムはまるで
山の話をするような雰囲気ではないのですね。
こんな様子です。
ーーー
これに対する当方の回答 
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
ーーー
ボルダリングジムについてですが、
 ムーブ(=2点支持)
を身に着ける、という意味で、山でのクライミングにつながって行きます。その意味では、ボルダリング壁であっても、リード壁であっても、同じことを身に着けることができます。
普通の山登りで出てくるのは、3点支持で、2点支持の体の使い方は、まったく違うのです。
いわゆる岩稜帯では3点支持で歩いていますが、手1点、足1点の二点支持が身に付くと、同じところを非常に素早く安全に抜けることができるようになります。ちょっとした鎖場などが、ぜんぜん危なくない、ということですね。
まったく縦走しか知らない場合、ほとんどの登山者が、20代の若い男性であっても、鎖場の鎖に全体重を預けて、引っ張るような登りをしていると思います。(例:後立の不帰やキレット)
この段階の登山者だと、10回程度ジムへ行き、7級程度の課題を2点支持で登れれば、鎖は一切手をつけずに重いザックを背負った状態でも、不帰やキレットが通れるようになるように思います。私の場合がそうだったので、男性なら、10回も要らないかもです。
これをしておけば、山おばちゃんたちのような、つたない歩きは克服できます。難所で時間がかかることもないです。
アルパインクライミング、となると、これでは不足です。初級のルートでも、もう少し難しいです。ロープが出る山は、5級から上です。1級は遊歩道、2級は登山道、3級は3点支持の岩場、4級は念のためロープがいる程度の岩場、5級はデシマルグレードのスタート地点、6級は、5.10A以上の岩場です。
つまり、4級から上はロープを出すことが前提になります。
ので、最低でも、5.10Aを2点支持で登れるようでなくては、アルパインの初級ルートに出た場合、ロープワークもセットで支点作成も覚えなくてはならなくなるので、実力が不足すると思われます。
この段階になってから、リード壁があるジムに通われてもよいですし、一般的に公共の施設は、ジム代が格安です。小瀬の人工壁は、なんと390円だったんですよ。
私は初期にひと夏捧げましたが、毎週二日、半年通って、2万円程度でした。ジムの一か月分です。
リード壁に通う別の意味は、ビレイの習得です。言うまでもないことですが、ビレイができない人は、岩場に連れて行くことすら、できません。ビレイをいきなり本番で習得することはできないですから、リハーサルの場としてのインドアウォールが必要になります。落ちる役をする人は、支点が確実でないと墜ちれないです。普通にしていて、ビレイの習得に、週2、半年かかると思います。時間的なものは、女性の私の体験で、男性だと、ジムであっという間に上達する人もいます。
が、ロープワークの習得は、誰でも同じだけの時間がかかるようで、クライミングで上達し、守りの技であるロープワークが未熟なまま、クライミング力の自信だけで、岩場に行き始めると危険がマックスであることは、予想の範囲でしょう。この頃、一番死亡例が多いです。とんでもない支点やとんでもない確保を見るのも、この時期の人です。本来は、ルートに出るのは、まだもっと先が良いと思います。
ただ、山の人は温かいですから、こういう人たちがいると、周囲が見守ってくれ、技術的な不足は指摘してくれることが多いです。ですから、その教えを得るためだけでも、岩場に行く価値があります。
ボルダリングが楽しめないのは、山でスタートした人共通です。なので、ごく普通です。心配ないですよ!
チョークバックと靴は買いましょう。無いと話にもなりません。
私も、ジム壁では、ぜんぜん萌えません。でも、これは山に行くために、支払わなければならない代償だと割り切って、通うしかありません(笑)。
立ち位置、墜落係数、体重差、だらりんビレイ、パツパツビレイ、手繰り墜ち、逆クリップ、ゼット、一通り、やってはいけない失敗を、安全な環境で体験して、本番で致命的なヘマをしない状態に仕上げておく必要があります。
最近のリード壁は、5.9くらいからですので、ボルダリングの5級くらいなれば、リード壁も楽しくできるように思います。
ただ、実際の外の岩は、アルパインの岩場で、いわゆるゲレンデと言われるような日和田、広沢寺レベルだと、5.9よりうんとカンタンです。4級の岩場だから。
逆にフリーの岩場小川山だと、5.7でもインドアのリード壁とは比べられない難しさです。とくに足遣いは一般に、外岩(スラブ)でないと習得できないようです。
ですので、クライミングムーブに慣れるために、一般的なボルジムでムーブを意識した練習をしつつ、日和田レベルで、外の岩にデビューし、週二日は平日夜にジム、月に1日か2日の週末は、チャンスがあれば、日和田レベルの岩に連れて行ってもらい、ロープワークを習得、リードに慣れる、など、ゆっくり1年くらいかけて習得するのが良いかなと経験上は思います。
ちなみに、多くの山岳会は、このような段階の人には場を提供しています。ちなみに退屈なジム壁を面白くするコツは、友達を作り、セッションをすることです。
そして、ジムの課題やグレードにこだわらず、ジムの人が、どんどん難しいのにチャレンジするように言ってきても無視して、自分が納得いくまで、何度も易しい課題に登り、トラバースなどで、インターバルトレーニングなどして、とにかく、
自分は何のために、これをやっているのか?トレーニング内容を自分で組み立ててみることです。それには最初はデータ取りです。
何が登れれて、何が登れず、どうしてなのか?ということです。
私は最初の頃は、パートナーもいなかったので、長ものトラバースばかりをしていたのですが、腕力が付き、沢のへつりで役立ちました。回数を決めて、何往復したかなど、細かく記録をつけていくことで、だんだんと自分の成長が可視化されると、追い求めるべき課題も見えてきて、面白くもなってきます。
そこまで、そんなに時間がかかりませんから!コツは記録を取ることです。
こんな話でお役に立てたら幸甚です。
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2022/06/13

自己責任の解釈違い=イチかバチかクライミング+危急時技術の無さ

クライミングで標語にしたい言葉


■ ネガティブ=頑張る回路

何か困難にぶつかった時に、

 ・奮起するタイプ
 ・委縮するタイプ

の2タイプに人は分かれる。私は前者で、特に力が出る。困れば困るほど、力が出るが、逆に言えば、困らない限り、出ない。

これが自分の幸福にポジティブに働かないケースもある。

■ 苦しい時の友が真の友

人生には順境と逆境があるが、友人の価値が分かるのが逆境で、クライミングで言えば、一緒に登っていた人が怪我をしたときが逆境。

そのようなタイミングでポイっと相手を捨てるような人がいたら、それがその人の本性である。

一般に、人というものは、困っているときの縁は悪縁であっても、掴んでしまい勝ちだし、一緒にいたら情が生まれてしまい、悪縁を断つことが、だんだんと難しくなる。それを分かっていても絶てない。

■ 神が出来事を起こす

そういう場合、神は何らかの強烈な出来事を起こして…

例:殺されかけるとか...本人に、”これは悪縁ですよ、断ち切りなさい”というメッセージを送る。

断ち切りがたい度 = それだけ執着が大きい、 ということだからだ。

■現実に当てはめる

私にとってはパートナーを失って福岡に来てパートナーに困るというのが困っているとき、で、その時掴んだ縁が悪縁で、こっちでもクライミングがしたいというのが執着であり、白亜スラブという出来事が起きるまで、情が絶ちがたかった、ということだ。

■ 因と縁を分解する

因は、私のクライミング執着であり、縁が荒木さんというパートナーで、ふたつが揃ったら因縁が揃い、白亜スラブ、が生じた。

しかるに、やはり、因は私のクライミングへの執着、にあったのであり、白亜スラブで死んでいないのは、


神さま、ありがとう!
 

であり、
”ロープワーク(危急時)のしっかりしたスキルを身に着けていて良ったな~”


であり、
 ”鈴木師匠、村上講師、岩っちゃん、青木さん、わたくしはこんなひどい目に遭っても、教わったことをちゃんと実践して、地上に生還しましたよ!ありがとうございました!恩に着ます!”

ってことである。

何も学んでいない、そこらの並みのクライマーなら、ロープアップされない時点で、ボケーっとその場に立ち尽くす以外、手立てを知らないだろう。

その状態で、マルチ行きたい!とか言い出すクライマーのなんと多いことか!

しかし、煩悩深し。

そこまでクライミングの楽しさにからめとられ、虎が大きな口を開けている、その口に、いまにも捉えられそうなところまで、うっかり行ってしまったということだ。

■ 自己責任論が、無反省と被害者泣き寝入りにつながっている日本

このように書いても、クライミング界では、

・そのようなパートナーを選んだお前が悪い
・そもそも、フリーソロ出来るくらいのスキルがあれば問題ない
・敗退なしとか言う時点で気が付けよ 

とか言って、荒木さんのスキル不足(カムスタック・終了点見落とす、敗退を考慮しない無計画さ)を責めず、私を責めるでしょう。その根拠になっているとされているのが、クライミングは自己責任、という思想です。

この”クライミングは自己責任”という思想は、人によって真逆に働く。

私のように自分の責任を正確に解釈する人(根拠:自腹で山岳総合センターリーダーコースに参加している、各種講習会に自腹で出ている)に適用すると、安全が増す方向になる。

時に、マイナスのポジティブ思考、つまり、どんなにひどい目にあっても、くじけない、ということになる。漫画岳にも、サンポさんが、山でヒドイ目にあっても、下山しないシーンが出てくる。行き過ぎたポジティブ思考は、自分を窮地に陥らせる。

一方、自分の責任を小さく解釈する人は、自己責任を相手だけに適用する。ついてきたのは相手なんだから、今回は切り抜けられたし、と自分のミスを反省しない姿勢になる。

なにしろ、カムの配置が悪くロープがスタックするなんて、竜頭泉のワイドで一度指摘しているし、その指摘を聞かなかったから、こんなことになっているのである。普通はクラッカーなら、クライマー一年生の時に反省して、学ぶようなことを10年登っていても、やっている…って意味で、”どんだけ~”になる。ピンポイントで、分かっていなさを指摘してやっても分からないのである。

相手が死ぬまで分からないのかもしれないということだ。相手をリスクにさらし続けても、ジブンゴトではないという意味の自己責任、で、結論、無責任、って意味だ。

これは、伝統のように、脈々と九州では受け継がれており(九州というと九州人の腹が立つようなのだが、もしかすると、九州だけの現象ではなく、岩場では、全国的にそうなのかもしれないと最近再考中。なんせ、山梨と九州しかしらないしなぁ…)、自分さえよければよい=古いボルト、自分さえよければよい=自己責任、と伝統的に”自己責任”という言葉は都合が良いように、読み替えられている。

■ 悪そのものは正さないといけない

これが、被害者泣き寝入りの仕組みですが、いくら、パートナーを受け入れるのが、一蓮托生の自分の責任だからと言って、この登攀を反省しないでいい理由にはならない。

九州のボルトが、強度がカム並みしかないカットアンカーでリボルトされていい理由にもならない。

またボルトの強度を一般クライマーに知らしめなくて良いという理由にもならない。

なにせ自己責任とは、台湾の岩場のように、ボルトの腐植具合がエクセルシートにまとめられており、そのルートを登るか登らないかを支点のボロさごと判断できるような状態を言うのであり、今の日本の現状だと、何も知らないめくら状態で、つまり、いちかばちかで登っているに過ぎない。

■ 感謝

話がずれたが、ひどい目にあったが、まだ死んでいない。なので、起きたことはすべてありがたい、ことなのだ。良かった、生きていて。

私は彼に捨てられたのですが、捨てられるまで、まだ、この白亜スラブの深刻なスキル不足状態というか、無反省の状態を認識しておらず、無反省のまま下手くそでそれを正す気持ちがないのは、知識がないためだろうと、痛む足を引きづって、韓国に行ったのでした。その理由は、、師匠の青木さんと組ませて、立派なロープワークを見れば、彼も反省するのでは?と思ったためだったのでした。きちんとしたリードクライマーを見たことがないのかもしれない、と思ったのでした…。そのために、痛む足を引きづり、体に無理を重ねたのでした… 

神さまの支点で見れば、わたしにこそ、どんだけ~。「こんなに”この男はダメだ”と明瞭に示しても、お前はまだ分からんのか…」と神は嘆いたことでしょう…。

その後、彼に貸したものを返してほしいと頼んだところ、なんと、3か月かかり、なかなか返してくれなかった上、返事も来なくなったので(たぶん、返さないままスルーしようと思っていたのでは?)、仕方なく共通の友人を介したら、「いちいち人に言うな!」と書いてよこし、さらに「こんなもの、役に立たなかったし、一度も使ってない!」と捨て台詞を吐かれたのでした…(汗)。

ここまで、はっきりすれば、いくらなんでも、どんなお人よしでも、分かります。私はいいように使われただけだったのです…。すごく、よく分かった。

神さまごめんなさい。そして、悪縁を断ち切るためにスレスレな事件を起こしてくれて、ありがとうございました。

こんな事件を神に起こさせねば、分からなかったほどの私が愚かでした。



2022/06/08

日本のアルパインクライミングのレベル低下のこと

■今日の仏教説話 

無分別知 の話

だったのだが、無分別知とはどのようなものか?ではなく、

人は自分の貢献を過信しがち 

という話に終始する結果になった。マズローの欲求の5段階では、承認欲求というのが出てくるが、ようするに

貢献を認められたい

というところで皆が足止めを食っており、無分別知が何であるか?という探求心には火がついていないということなのだった。

同じことがクライミング界で起きている。

■ 働かないアイツ

無分別知があれば、(働かないアイツ)に腹がたたない。 なぜなら、(働かないアイツ)のおかげで、(働く俺)が、際立つわけだからだ。

(働かないアイツ)がいなければ、(働く俺)は意味をなさない。

だから(働かないアイツ)は、本当にありがたい存在なのです。

■ 私がスゴイのではなく、全体のレベルが異様に低下しているんですよ

日本のアルパインクライミング界が、初級とすら言えず、入門レベルのバリエーションである阿弥陀北稜すら、普通に登れない(大学山岳部遭難)ので、単独初見で登った私が、アルパインの独学の成功事例として意味が出てくるだけで、本来は、私がすごいのではなく、全体のレベルが非常に下がっているというだけなのです… 阿弥陀北稜なんて、朝飯前で登れていないといけないのです。(先輩に連れられて登った人は何も分かっていないので除外です)

以前、先輩に連れられて、前穂北尾根に行きましたが(入会を誘った義務で先輩が初級ルートを示してくれた)、そのうちの一人の先輩がヨレヨレで、前穂北尾根なんて、余裕のよっちゃんでないといけないのに、それでは、もうこれ以上はこの会で行ってはいけないのだ、とそのヨレヨレ具合を見ているだけで、納得しました。

ロープに11ミリを出された時点で、見識があるクライマーなら気が付くところ、初心者なので、ん?と思っただけで気が付けなかった。

同じことが九州では、俺12登っているぜーと言っている男性クライマーが、OBGの10c(5.9とトポにはあったが)で、ひいひい言ってエイド出している時点で、おや?と思うのが、ちゃんと教育を受けたアルパインクライマーの基準なのです。

しかも、支点ビレイ、を見たら、こりゃまずいな!と気が付かないといけないのです(私も見たのが初めてで、これが噂のやってはいけないビレイか!と分かるのに、家に帰って調べないといけなかった。一緒にいた先輩は気が付かなかった)

どれだけ日本のアルパイン界が衰退しているか?って言うことが、私の言いたいことで、私が優れているって意味ではありません。念のため。

こちらの若い人の会のロープワーク講習会にも出ましたが同じでした。 

雪訓もなく、雪崩講習会への定期的参加もなく、厳冬期の北ア、行けますか?行けませんね?

■ 佐藤さんのガイド講習に出るのがいいのでは?

というわけで、指導者が衰退著しいので、適切な指導ができる体制もなく、人は年齢には逆らえないのですから、指導者を責めるのも気の毒ですし… かといって九州には、まともな登山教育を提供している団体はない…

となれば、若い人はどうしたらいいのか?!と突き放された格好になりますが。

私が思うには、佐藤祐介さんのアルパインクライミング講習に出るか、講師として招待するかして、講習してもらったらいいのではないですかね?

その際の応募の基準は、

スポーツクライミングと人口壁で5.12以上

歩荷力40kg以上

積雪期登山経験済み(九州でも大山くらいならいけるでしょう。大山は八つの8割サイズですが、雪深いです。その分歩きやすいです)

読図の基礎が分かっている (尾根と谷が分かっている。コルとか何ですか?って人はおよびでない)

ギアに不足がない

でいいのではないかと思います。 

■リーダーの資格

5.12がジムレベルで登れるというのは、最低限のリーダーの資格というか、外の岩場の入門レベルではそこまで岩からは要求はされませんが、アルパインは落ちれないので、リードには、最低、ジムで12程度の力は必要です。(ちなみにこれは、高校生ならアップレベルです)

ちなみに、セカンドなら、5.7の登攀力で十分です。まぁ、本人がフリーで登れないと楽しくないですし、11までは誰でも行けると思うので、普通に登るの好きだったらいいだけですが、年齢を行ってからスタートした人がリーダーを務めるのは、アルパインでは無理です。

フリー(ショートの岩場、クラッグに行くこと)は、別にスキルレベルを問わず、誰でも行けます。トップロープ掛けて登らせてやる、というのは、一番ラクチンなことなので、あまり恩を着る必要はないと思います。 どうせ自分がリードしないと楽しくないので。

それより、確実なビレイを提供してくれる人にこそ、恩を感じる方が良いと思います。

ビレイは出来て当然という顔をされますが、実際のところ、出来ている人のほうが少ないレベル感です。特にオールドクライマーはできていない人が9割で出来ている人のほうが少ないです。普段、競技しか登らない人も、落として魅せるビレイを善と教わってきている可能性があります。 

正しいビレイヤーと組むと気心が知れるまでは、大体、ロープが張り気味で、重たいものです。

アルパインへ進むには、部分だけの理解ではダメです。つまりボルダーで2段とか自慢にも、安全の追加にも、ならないよってことです。

ボルダーで二段登れる人が貢献できることは、突破力の一部だけで、アルパインでは、担いだり、リスク管理したり、で天候から、ロープワークから、運転、スピード、体力とありとあらゆる面で、多彩な能力が必要だからです。パッキングが遅いだけで、低体温症で殺されかけます。

あいましたからね、グローブ出すだけで30分かかる人… この目で見ました。そういう訓練ができていない可能性が濃厚なのが、インドアクライマーとか、ボルダラーとかです。もちろん、ボルダーをするときはその人の経験が生きるわけですので、これは非難ではありません。 

九州では、私もアルパインをやるより、ボルダーをやっている方が合理的だと思いますしね。

それでも、分かっていない人は、3級しか登れないのに2段をノーマットで登りたいと泣きつくわけで、どんだけ~です。 (ちなみに2段をノーマットで登るには、マット付きなら5段くらい登れていないといけないのではないかと思いますよ)

     100本オンサイトできたら、次のグレードに進もう


解毒剤としての、佐藤さんの復活動画

■The North Face  |  Reformation ~  佐藤裕介/Yusuke Sato ~

  イマイチだった前回よりうんと良くなってる~

とすごくうれしくなった今日。もう、解毒剤ですね、解毒材。何の毒に対してか?

1)3級しか登れないのに2段をノーマットで登るとかいう初心者ボルダラー

2)根子岳を登れるようになりたいとか言ってアルパインを理解していない自称アルパインクライマーの九州初心者 

佐藤さんみたいなクライマーが目標値として設定されないから、アルパインクライマーについては、こうなってしまうのではないか?と情状酌量の余地もあるのではないか?とは思いますが… ボルダラーについては、小山田さんという偉大な見本があるので、情状酌量の余地なしですね。 大体、手本があっても手本にしないのが男子。

九州では、”未知への憧れ”、ではなく、”お前、階段、何段飛べる?俺10段!”が、アルパインだということになっています。 バカみたい… 落ちたら一巻の終わりのところで、ロープを出さない方がカッコイイ、という価値観です。

断っておきますが、私のロープを出す基準は、ガイド基準、ではなく、山岳会基準、ですからね。前の会の33歳の室野君がロープを出してもらわないと降りれないところ、私はノーザイルで降りていますから(真砂尾根。SABで確保するような尾根です)。

さらに言えば、こちらの会って、北鎌尾根程度で、死者出していますから。これは、こっちのアルパインを志向する人たちが、中高年がジャンダルムにノーザイルで行くのと同じ感覚を継続してリスクのある山をやっているって意味です。

 最近では、クライミングジムの店長という人からもロープ組みたいという連絡来ましたが、分かっていなさそうでした。分かっていないことを分かっていないから、「あなたが思うより僕はちゃんとわかっている」と言っていましたが、九州に6年登っていて、カットアンカーであることに気が付いていない。カム持っていない。

1年登っただけで、「ナニコレ、変なボルト!」とか、「ナニコレ、変な終了点!」とか、気が付きましたよ? 気が付かない時点で、もう、かなり安全意識おろそかなのでは?なんせ、目の前にあるものを全信頼しているってことですから…。

ちゃんとしたクライマーは、普通にショートで岩を登る時ですら、岩が壊れないか?叩きながら、登っていましたよ?

 佐藤さんのモチベーションアップはリフォームだったらしいので、私もリフォームに取り組むと元気がでるかも(笑)?

2022/04/04

世界的クライマーのトークが聞けるサイト 横山ジャンボさんのトーク

こちらで、ジャンボさんと倉上さんのトークが聞けます。

 https://rainydaymonkeys.sunnyday.jp/2021/10/26/%e3%80%90%ef%bd%b9%ef%be%9e%ef%bd%bd%ef%be%84%e3%80%91%e6%a8%aa%e5%b1%b1%e5%8b%9d%e4%b8%98%e3%81%95%e3%82%93%ef%bc%88a-k-a-%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%9c%ef%bc%89-2-3/

10mのランナウトをぐんぐんリードできる奴=佐藤さん

15kgのバックパックを背負って登山靴で同じところをリードと同じスピードでフォローできる能力=ジャンボさん

”それぞれが足りないものを集めて、一つのクライムを作り上げる、というのが、横山さんのアルパインで、20年やっている”、そうです。

■ どうやって出会うか?

地方に散らばっていたら難しい…。→ やっぱり小川山ですかね? やっぱり甲府かね??

エンベッドもできたので引っ張ってきました。


■ 惹きつける磁力とは?

インスパイアされる先輩が信大時代にいたそうです。周りの人間に助けられて今がある、とおっしゃっています。

若い子でアルパインやりたい、ビッグウォールやりたいという人がいるけれど、頑張って能力もあるけど、いいパートナーに巡り合えていないという人も散見する…お互いに高めあってヒマラヤに行くというのも、すごく大事な要素だ、とおっしゃっています。

■ 世界のどこがおススメか?

けっこうベタなところが多い…パタゴニア=エルチャルテンしか知らない、フォンテンブロー6回行っている、7Aくらいを楽しく登っているだけ、室井さんにフォンテンブローで会った。見たことがあると思ったら室井さんだった。→ 面白い逸話でした(笑)。

フォンテンーヌブロー=産後の復活に好い

って、出産後に良いらしいですね!私も行きたくなりました。7~8級がとっても楽しいのだそうで…。今の私に必要なのは、ここですね!

フォンテーヌブロー=山のためのトレーニング、数を登るマイルをこなす、サーキットトレーニング。

→ 湯川 15m ×7 回 を思い出した…湯川でアイスを登っていたころ、短いので降りないで、連続で回数稼いでいたことを思い出しました…

(※ランナウトの岩場でも構わないですよ! なんせ登りたいのボルダーなので)