岩はたたいて登りましょうのことをタッピングテストというそうです。
こちらの動画です。
■ この登りは古い登りなのではないか?
ちょっと気になったこと…アックス水平2点打ち登りのクライマー動画…
https://youtu.be/hj62GlsmPrY?si=c4Ea6jkfLnXL970P
冬壁ということになると、たぶん、昔は、手袋×アイゼンで登っていたんだと思いますが…違うのかね? (←その時代を知らない)
今だとほとんど全員がクオークです。つまり、アイスアックスにもなるピッケルって感じです。
テクニカルアイス(WI6以上)だとハンドル付きで登りますが…。
山ではハンドル付きだとピッケル用途に使えない…。ので、この動画のアックスが違和感ありました。ヒマラヤでハンドル付きを使うのかなぁ。
しかも、冒頭、アイススクリューを回していますが、アックステンションしています。うーむ。今時、寝ているアイスを登るのに、アックステンションでスクリュー打つ人、すごく少ないです。女性の私ですら、片手で打ってますけど…。いつの時代の登り方なんだ?
■ 情報弱者に陥っている山岳会多数
で、九州で出会った山岳会が複数ありますが、どこの山岳会でも、その会の常識として採用されている技術内容が、大変、古くて驚いたのです。
例えば、支点ビレイとか。
マルチピッチのデビューが、エイドクライミングとか…。
ビレイが2mも壁から離れているとか…。
あるいは、マッターホルンヘルンリ稜をガイド付きで登って、それが名誉ある登山風でした…。人の山にケチつけるな? そうですが、いや、行ってもいいんですが、それ、レジャー登山ですよね?
でかした!って発表する奴じゃないかも…。そこに違和感を覚えました。
ヒマラヤのタサルツェも、そんな感じで、まぁシェルパに工作されて後ろをついて歩けば登れる山だったことに気が付かなかったのは、お気の毒ですが…
やはり、技術的にアルパインクライミングと言える内容はなかったと思うので、いくら初登でも新聞に発表するときのノリが、名誉の…みたいなのは少し変だと思いました。いや、いいんですよ、北横岳だって最初に登ったら初登なんだし…。
ただ、私くらいしか山やっていない人でも、記録を見たら、技術的に”アルパインクライミング”と言えるような難度がないことが、すぐに気が付く程度の山の内容でした…。ネットには 女一人でタサルツェってサイトがあるくらいです。
貶めようと思って書いているのではなく、誤解がある、ということが言いたいわけです。
その誤解が、世間の標準になってしまっているのが、九州だった、ということです。
つまり、山岳会って40年前で止まっている”らしい”んですよね…。もちろん、過去には、当時のトップクラスだった人たちだとは思いますが。
でも、昔の悪いギアの時代に最大級にすごかったところ=今は入門ルート、なんですよね…。
だから技術力的なアップデート、進化に追いついていないと、技術的内容で、アルパインクライミングとしては、しょぼい記録を、自慢げに披露してしまうことになる…。
そうなると、相手は黙ってしまいます。夢を壊してはいけないなと思うからです。
さて。
アックスの水平2点打ち、正対引き付け登りのアイスクライミング
って、古い技術、のほうに入ります。九州ではアイスは誰が教えているのかなぁと思ったのですが…ガイドさんから教わっているわけではなさそうなので、登り方、前のまんまなのではないですかね???
というのは、山梨の御坂山岳会に属したとき、先輩が、アイスアックスがセミチューブだと言って自慢してきたのですが…もちろん、セミチューブは悪い氷に強くていいのですが、それだけだと形状的に、ピラーには厳しいです。道具にも、得意不得意があって、セミチューブが強いのは、WI4です。寝ているから。
今のクライマーは、赤岳鉱泉のアイスでも、岩根のアイスでも、ピラーにして、そこから入門です。WI5が入り口。WI4は、ルートに出て初めて出てくる感じです。私も一年目でやっています。
これはアイスを始めて1年目の1か月目みたいなじきにリードしている画像ですが、これくらいは、超がつく初心者でも登らさせられますけど‥見て見ると分かるように、傾斜寝ています。寝ているって言っても、80度くらいはありますけど…雪壁なので簡単です。この登りはWI4の登り。
特にWI4のスラブの間は、3点支持で山で歩くときの延長戦上にあるムーブと言うか…足2点、手2点の4点のうち、常に3点を維持しているような登りが、一番安全です。
しかし、WI6級になると、フリークライミングのオーバーハングとおんなじで、フリークライミングのムーブでフリ、をいれないと登れないんですよ…
そうなると、ウィル様登りって言われる登りになるんですが…動画で事例がなく、海外でも水平2点打ち登りの人の動画しか見当たらないのです。誰かアップしてくれませんかね?
これは、海外の人の画像ですが…アックスはこうなっているのが上手なクライマー
普通に岩根のアイスクライミング講習会でデビューすれば、当然のように、こういうスタイルで登るのを目指すようになると思う。
これは、まだ習い始めてすぐのころの私の動画です。ほんとの初期のころですら、対角線バランスを習得しようという意図が見えると思いますが…
本州のクライマーは、アックスでアイスとミックスになったクラックを登るんですけど…足元は、フルーツブーツで…
九州では、
アイスクライミングはゲテモノ、
さらにドライツーリングはゲテモノ、
さらに、ドライをやらないからミックスをやらない、
という理由で
冬壁は一生大山北壁年一回
から出れないという話なんではないですかね?
まぁ、九州は寒くないのが、気候的な制限なので、
ボルダリング
×
川遊び
で頑張るのが、気候に即した自然遊び、のような気がします。
これが基本形です。
スリングが2本あれば、誰でもロープ登高はできます。
ただし、ロープの径に
差
がないと利きません。
ロープワークの基本は
フリクション=摩擦
です。
それを教えてから、いろいろと工夫させると、みんな、楽しくロープワークできます。
神髄をまず先に教えてしまって、その先を考えさせると、現代の人は覚えやすく、逆に昔風に、なかなか神髄を教えずに、形だけを教えても、意味が分からないので、何度教えても定着しません。
このコツは、実証済みです。
もうセットしたのを、1本、人工壁に垂らしておいて、マルチピッチに行きたい人は、全員これをやってから、行かせたらどうですかね?
とりあえず、山岳総合センターでは、これは最初のロープワーク講習会で出てきます。
懸垂下降
宙づり登り返し
の2つを知らないクライマーは、クライマー失格です。
■ 年齢別
最近、気に入ってるトモキンスイミング。
水泳だって年齢別に泳ぎが違う…。こちらからの引用です。
30代は、チカラが80% テクニックが20%。
60代は、チカラが20% テクニックが80%。
ですよ。クライミングでも同じですよね。男子はフィジカルが80%で、女性は、フィジカルは強くしようとしても限界があります。テクニックが80%ですよ。どの年代でも。
クライミングにおけるテクニックと言うのは、ムーブのことですよ?
(ロープワークはできていたり、知っていて当然のことです。みんなここができていないけど)
ムーブがなくてフィジカルだけの人が威張ってる。
■ 伝統的なクライミングにおける新人は、”大学生男子”
今、クライミングを教えることができる人たちって、大体が、大学山岳部出身なんですよ。
だから、彼らが想定している新人のレベルは?
大学生男子
=ムーブがなくて、フィジカルだけの人。
■ 大学生男子って、どんな人?
男性と女性では、どっちが体力ある? 男性。
若いのと年寄りではどっちが体力ある? 若いの。
男性と女性ではどっちが背が高い? 男性。
男性と女性では落ちたとき、どっちが壊れやすい? 女性。
だから戦争は、男しか招集されない。
今では、米国では、軍人さんに女性がなるくらいなんで、女性でマッチョな人もいると思いますが…。
私がそんなマッチョ女子でないのは、明らかですよねぇ?
■ 誰ですか?リン・ヒルを持ち出す人は?
私がこういう風に言うと、必ず持ち出されるのが、リン・ヒル。
こちら。https://youtu.be/QuWoZapVmQY?si=wjCVIkVsHiNiG6F0
日本人男性の平均身長と平均体力がある、あなただって、リン並みに登れないのに、体力、身長、脆弱性に不利を抱えた私に、なぜにリン・ヒルを要求する?
いや、それこそ、ムリゲーと思うぞ?
男性の自己誇大思想はなぞだ? その源泉はどこなんですかね?
リン・ヒルから学ぶべきことは、小さくて女性でもハードに登れるってことではなくて、ハードに登るには、
・幼少期から登り、
・ほかにやる運動としては体操がクライミングにはいいらしい、
ってことですよ?
ちなみにハードに登る、の中身には、5.12は含まれませんからね?
5.12が上級者のグレードだったのは40年ほど前で、今では高校生男子は、人工壁ならその日に登れる子がいる程度の難易度です。
■ あなたの自尊心をはく奪しようという意図はありませんよ?
ただ客観的になりましょう、と言っているんですよ?
もちろん、私の自尊心が、バタフライとテニスで大幅にアップしたように…誰でも、自分がしたい!と思ったことが、できた!ことで、自尊心がアップする。
…んですが…小さな自己実現の積み上げで自尊心が高まるのは、健全なことだと思いますのでいいんですが…
例えば、ボルダリングジムで、9級からスタートして、その日に7級が登れちゃい、5級まで登れたら、そりゃうれしいです。男子なら、3級までは、3カ月くらい通えば普通、誰でも登れる。
5級⇒5.9、3級⇒5.12 なので、まぁそれくらいジムで登れれば、外岩に行っても、何か楽しめる課題があるのですが…
そうやって上がった自尊心で、俺ってできるー!って思って、初登狙いとかします?
しませんよね?
まぁ、狙ってもいいんだけど、普通、取りつく前に、現代の価値ある初登は何か?と次は考えるでしょう…
■ 古典にある初登は、現代の入門ルートですよ?
例えば、古典『日本登山大系』にあるのと同じスタイルで、初登記録を作ったら…?
現代クライミングを理解していない、ってことが明らかになってしまいます…(汗)。
あれは、古典であり、50年前のトップクライミングのことが書いてあるんですよ。
言わないでも分かっている、と思っていましたが…。
男性は、どうもわかっていないみたいデス…
■ 古典は、かつてのレベルや歴史的経緯を知るためにある
そういう古典の本を読むクライマーのほうが、読まないクライマーより好きです。もちろん。
例えば、古川純一さんの『わが岩壁』とか…私も読みましたけど。
「昔の人は大変だったんだな~ 現代のギアで登れてほんとラッキーだな」ってのが、感想でした。冷静な分析。
自分もこれなら記録に並べる!とは思いませんよ?
だって、例えば黄連谷って今では初級ルート。昔の初登が今は初級ルートになるって普通のことですよね?
なので、昔の落穂ひろいルート初登して、盛大に御託を並べようと思わないですよね、普通。
そんな誤解をしていると、その誤解自体が、恥ずかしい…。
その誤解を解いてやらない年配のクライマーたちは、なぜ、お前ら、それは50年前のトップクライミングで今じゃ、意味ないぞ?と教えてやらないのでしょうか?
往年クライマーの皆さんも、現代のトップクライミングについて、全然フォローしてきていないのでしょうか?
だから、栗城さんみたいなことが起こるんじゃ…?
彼、何度もお前の自分の実力判定は、誤解だ、お前の実力で、そんなところに行ったら死ぬぞ、と警告されても、結局、聞き入れず、案の定、亡くなりましたが…。
ちょっとでもクライミングをかじった人なら、すぐ分かることが、なぜ本人に分からないのか?謎だったなー。
それだけ、ゆとり教育とやらで、日本人のメタ認知能力が下がったのでしょうか?
偏差値みたいなものがクライマー界にあるとすれば…、偏差値50の人、至って平均の人が、おれって、偏差値74だぜ!と勘違いして登り、雄たけびを上げている…。それをネット配信して、みんなが信じてしまう。
その中で、本当のトップクラスは、偏差値74、75の小競り合いをしており、ほんのちょっとの僅差で、トップと2番手が分かれるので、偏差値74だけど、2番になってしまった人は、自尊心を下げてしまい、俺なんて…となっている。
大体、お受験でも、自尊心ダメージ食らった人って、話聞いたら、「東大ですが、教育学部なんです(意味:東大行ったけど教育学部しか入れなかった…)」とか、「立教ですが、ほんとは慶応行きたかった」とか…。
大阪外大でも、私が英語科だと言うと、みんな「スペイン語科しか入れなくて…」とか今でも言ってきますからね…。どっちでもいいじゃん?
その呪いを解いてあげたくなります。
こんな感じで、偏差値50の人は、異様に自尊心を肥大化させ、自信たっぷり。本当に実力がある皆様は、過激化する競争で委縮して小さく縮こまっている…という日本のクライミング業界。
そんなんじゃなくて、もう、
一般市民=エンジョイクライミング=競争はお遊び程度
エリートクライミング=好きに小ぜりあってください
な世界がいいんじゃないのかなぁ?
だって、テニスの試合してて、私に挑んでくるコーチなんていませんよ?大体、大学生とか、30代くらいまでの男性ですが…。
むしろ、私が取れなかった球をフォローしてくれるのが、当然っぽいですよ。対戦してたら、わざとチャンスボールくれます。
それで、50代でテニスしている女性に対する、若い男性の在り方としては普通だと思うけどなぁ…
クライミング界、ミソジニーが強すぎると思うけど?
あ、テニスでも、おじいちゃんプレイヤーは挑んできます(笑)。それはなんとなく分かる。
65歳の男性の体力と、40代の女性の体力は大体拮抗していましたから…(笑)
でも、男子がその基準で威張っていたら、それ、なんか変ですよね。
■ラッペルを知らないクライマー
ネットサーフィンしていたら、こんなおかしな投稿が…。
ーーーーーーー
終了点のラペルリングによるロワーダウンが頻度高く行われたら長期的にラペルリングの摩耗(容易に交換ができない)につながるため避けるべきでは、とのご指摘がありました。
次回行く時に新しい残置カラビナを設置したいと思います。
ーーーーーーー
ラッペルリングって、ラッペルするから、”ラッペルリング”であり、”ローワーダウンリング”ではない。
ラッペルではロープは動かないので、基本的に摩耗は起こらない。
ラッペルリングでローワーダウンする習慣自体を改めるほうが、残置ビナを置くより、正攻法だと思いますよ?
なぜそこまでしてローワーダウンしたい?
ローワーダウンでは、命はビレイヤーの手の中。ラッペルでは自分の手の中。
しかるに、自分の手の中にある命のほうが、生存確実、ですよ。
それこそ、自己責任、の4文字にふさわしい状況ですよね。
ラッペルは難しいという風に考えすぎだと思います。ラッペルは確かに失敗は許されませんが、技術的には難しくないです。
登る前に、降りることを覚えましょう。
それより、人の手の中に自分の命脈がかかってしまうことに気が付いたほうがいいですよ。
ローワーダウンは事故も多いです。特に結び変え。懸垂にすれば、確実に自分でマネジメントできます。
もうホント語りたくないんだってことがにじみ出ている文章(笑)
それくらい考えてくれよ、登ってりゃ分かるでしょ、と思うよねぇ…私も思うが。
しかし、教えてくれる人も分かっていない現代クライミング…スポーツクライミングのインストラクターで普段やっている人は、外岩で下部核心のルートを初心者に進めてきたり、短しいルートを登れと言ってきたりしますから、こんな程度の書き方では、指導者自信が理解を深めることがたぶん、無理だと思う。
したがって、この文章を見せて、「ちゃんと教えてるじゃないか!」と言質を取ることには無理がある。
なにもかもが、
自分でプロテクションを打たない習慣
に根を発する
思考停止
だと思うんだけどなぁ。
■ ロープを出す基準
この2枚は、私自身は完全にノーザイルと思った箇所で、先輩たちらが33歳ののっぽの男性に懸垂下降させようとザイルを出している様子(上)と、雪稜で、雪質的にも腐っているので、特にザイルなしでも歩けるなーと思える雪面です(下)。下は、落ちれば、1000m下の谷底まで滑り落ちれそうですが、見て分かるようにわざとこけない限り、その状況はありえない感じでした。 (記録はこちら https://stps2snwmt.blogspot.com/2016/04/blog-post_44.html)
55度 |
鹿島槍鎌尾根も、スタンディングアックスビレーのスタカットで行きましたが、
個人的には、この傾斜では要らないなぁ…
と思いつつ、「落ちないし」、と思っていました。 まぁ、私が雪が得意ということもあるかと思いますが、
この当時はだいぶロープを出さずに済ます
という態度をたしなまれました。野田勝さんも、鹿島槍東尾根で亡くなっていますが、甘く見る姿勢がダメだったのでは?と懸念しています。
一方、九州では、
マルチの下りとかで、
ここはどーみても一巻の終わりだ、
とロープを出すのが確実に正解だと私の上記の経験で判断できる箇所で、ロープ出さない。
若い男性クライマーが粋がってそうするのではなく、普通のハイキングクラブの人たちが嵩じて、北鎌尾根に初めて行って落ちて死んでいる人がいる会がありますが、そのようなロープ出さない方がカッコイイという”若い男性目線”基準を”普通の人”に当てはめてしまった結果のように思われます。
私は北鎌尾根行ったことがありませんが、傾斜で言えば、三つ峠の中央カンテは、古いアルパインのゲレンデですが、2度目からリードしています。つまり、全然落ちる気配が無さそうだったということです。あそこハーケンとかですから、落ちない人にしかリードは回ってきません。
ロープを出す基準は 落ちたらどうなるか?
だと教わったのですが…。
参考図書
ハイグレード登山技術 https://amzn.to/3h7OnZl
■ 傾斜に関係ないナイフリッジ
ナイフフリッジのような稜線では、歩きは当然2級で、歩ける傾斜ですが、両サイドが切れているので、落ちたら、そのまま下まで落ちれてしまうので、ロープは出すように教わりました。支点は、岩角等です。1対1なら、ショートロープですが、私はされる側しか意味ないです。(体重が軽い)
岩角を使うにせよ、カムで取るにせよ、けっこう思考力がないとロープドラッグで、登れなく(歩けなく)なります。
事例としてはこのような尾根です。
このタイプのリッジは、
・人工壁でリードしているだけで、登山経験がほとんどない男性クライマー
や、
・5.12登れても、それはゲレンデショートでのことで、20~30山行のマルチセカンド経験が蓄積していない&リード経験不足の男性
と行くと、あっという間にロープドラッグで、にっちもさっちもいかなくなります。
まぁそういう人はグレードでルートを判断するので、リッジ登攀は、そもそも簡単すぎて行きたがらないために、支点の配置の経験値が溜まらず、フリークライミングのレベル(壁ということ)のマルチでも、自分で自分を窮地に陥れたりしているような気がします。
ロープが必要になるギリギリまでロープを出さない、出し方を学ばないという方法論を選択していると、必要な時は、その技術がない、という結果をはじき出しているだけなのでは?と思いますが。
山というか、登攀は、難易度では一応分けられていますが、下を端折って上に行くと、その該当グレードで学ぶべきことを学ばずにグレードだけが上がっているので、
安全無視
という業が、小さく積もって行き、
手痛いしっぺ返し
という結果として、
表現されるのを待っているだけ、
という状態になりそうな気がします。
これはFBで回ってきた、ある方の支点の写真ですが…。
技術は盗むもの、ですよ…
というのが、分からない現代ジム出身クライマー男性のために掲載。捨て縄は、JDTあるいは、ADT、と呼ばれるもの、アメリカンデストライアングル、とか呼ばれるものの上に、現代の主流である支点が構築されています。
九州までその波は、何年待っても来ない。
というのは、普及する人たちは、
・レスキュー隊の一員である
か、もしくは
・クライミングガイドである
か、もしくは、
都岳連などの講習会の指導者
であるからです。
こういうところに、
各山岳会のメンバーが一人か二人参加して、
「へぇ~、こうやるらしいぜ」というのが伝播手段…。
こういうのを知ってる方がカッコイイ、みたいな価値観です。
現代では、山岳会にいるより早く、クライミングガイドにつくことで、最新技術が学べます。
山梨では、外岩にいれば、誰かが作った支点を見て、へぇ~と思えば、それを真似するので、みんなに広まりますし、アルパインをやる人は、外岩ルートをしない人はいないです。なんせ、フリークライミングは、アルパインクライミングの基礎です!というので、基礎叩き込みの場、と認知されています。
ジムクライマーも山梨にも多いですが、大体のジムクライマーは、ピラニアだの、で、まっとうなクライマーからクライミングを教わるので、リードへデビューするときに、一通りのことは言われるのではないかと思います。この道は私は通っていないので、想像ですが。
つまり、5.12が登れるのに、この終了点を知らないとか、ありえないってことです。
まぁ、昨今では、一日で5.13登れてしまう男の子もいるらしいですから、ありえないことではないみたいですが、安全技術、ロープワーク技術=クライミング技術で、
登れること=クライミング技術が高いではない、
と奥村さんも言いきっていました。九州の指導者の技術レベルの古さというか、陳腐さ…例:動くものに道標付けておかしいと気が付かないレベル…は、救いがたしです。
■ 本来、誰だってクライミングできる…わけでない日本の現状
スティーブからは、”あなたはラッキーなんだよ、本来、他の初心者も、君と同じように、クライミングを身に着けることができるべきなんだよ…”と言われています。
それが、私の心に重くのしかかっている…。
何度もトライしていますが、失敗続きだからです。
一方、そう言われてもなぁ…、というのもあります。 私は自分が特別ラッキーというより、自分でも相当勉強熱心だったような気もしますし…。
というか、教えられたというのは、人生が語り掛ける、というような、そこはかとない教え方なんですよね、クライミングの場合…
■ クライマーの青年期、往年期、老年期
という、高いモチベーションを持ってもらえるのだろうか?
と考えています…。
昨日は、故・吉田さんのプロジェクトだったデイドリームを登った小峰さんのトークを聞いていました。
ジャンボさん、草野さん、小峰さんと連続で聞き、老年期、往年期、青年期の男性クライマーの様子が分かる感じだった。
登るモチベーションもそれぞれ違いそうでした。
■ ジム店長
同じタイミングで、ジム店長と名乗る男性から、岩場ご一緒しませんか~な、問い合わせが来た。その書き方が、なんだか軽ーいノリだった。
九州での実績を考えて、リード技術、つまりクライミングシステムの理解は今から、の人ではないかと思えた。違うかもしれないが…。今まで、このような誘いに応じて出かけたら、てんで、お上りさんだった=ビレイもできない、ロープも持っていない、という顛末がお約束だからなぁ…。
私にわいてきた感情は、義務感…というものであるが…、一方で…
青年期の男性が、私と岩場に行っても、きっと楽しくない
と、直感的に思った。
若い男性は若い男性同士で、羽目を外すのがいいのでは?な感じというか…。
小峰さんのトークを聞いてそう思ったんだが…。男子は男子で失敗を繰り返しながら学び、その過程で死ぬ人がいても、それはそれでその人の学びなのではないだろうか?(人の命を軽視するようなことは言いたくないが…次回の転生もある)
…というか、そもそも羽目を外したくてやる、バカやりたくてやる、のがクライミングという位置づけなのではないのだろうか?
■ 8年前の三つ峠の思い出
8年前の今日は、三つ峠に行っていたようだ。
人工壁に通い始めて3か月後の、初めてのマルチだったが、山梨の4月初旬は、まだ冬季登攀だったが…
岩のマルチって…
”羽目を外す”とは正反対な行為
のような?
どちらかというと、集中力を途切れさせない活動、登山よりも、もう一歩上の集中力を要求する活動、
という気がする。
この登攀で、私は全然高所を怖がらなかったので、私は清高さんの信頼を勝ち得たのだった…。落ち着いていたから。
今朝、FBからのお知らせで来たのが、この投稿だが、8年前である。
■ トポがあることを知らせるには、どうしたらよいのか?
人工壁通いをスタートして3カ月後だった。師匠が「三つ峠で一番、登られているルートは、どこですか?」と私に聞いてきて、「中央カンテ」と私は即答でき、相方はトポも知らなかった。師匠は、相方の無知を知らせたくて、わざと私に質問してきたのだった。
当時の相方は、高校で高所登山をしてきた人で初めて岩場に来る人…が、トポの存在すら知らない、というのは、別に九州でのことに限った話ではないかもしれない。とは、論理的に推論できるが…
一方、私はどうやってトポの存在を知ったのか?というと…? 登山をしているころから、『日本登山大系』とか知っていた。
八ヶ岳の雪山しかしていない人が日本登山大系を知っていて、高校山岳部で高所登山をしてきた人が知らない、んだよなぁ…。責めを負うべきなのは高校山岳部?
山梨で、会に属し、人工壁を登り始めたら、周囲の人が普通に百岩場を持っているので、特に誰かに頼んで教えてもらったという訳でもない。
つまり、明示的な教育があったわけではない…。あったのは、環境。
「岩場には、トポってものがあってね、三つ峠はここだよ」なんてことが起きたわけではない…
ので、どうやってそれを起こしたらいいのか?って感じだ。
■ 支点についても知らなかった
三つ峠は、2度目からリードしている。
初日のこの日は、横浜蝸牛が、同じ日に行って記録に「まだ冬季登攀だった」と後日書いていた。登らないで帰ったようだった。その記録を後日見て、コンディションを悪い中、凍える手で、師匠が無理して登ってくれたと理解した初・三つ峠な日だったのだった…。(感謝!)
2回目から私はリードしており、残置のハーケンなど怖いとも思わず。というのは、登攀でそうした残置に一切頼っている感じがないからだが…落ちることは、あり得なさそうだったので。
ところが、その後、何回か通ううちに、都岳連の岩講習に遭った。ら…、講習生の人たちは、2度目からリードなんてありえない!とか言い合っていた。
…ので、”マジ?私、2度目からリードしているけど、早すぎるステップアップじゃないの?”と不安になり、会の2段が登れ、高校山岳部からやっている先輩に、”いいのでしょうか…”と不安になって聞いた。無理なリードをしているとしたら、危険だからだ。先輩の答えは、いいですよ、だった。
だから、相談の内容は、”早すぎるステップアップかどうか?”だった。トポとは何ですか?ではない…。
■ 先輩が付き合ってくれない
その後、別の会だが、先輩を何度、誘っても三つ峠は付き合ってくれなかった。
その理由は、後で分かったのだが、支点のボロさ、だった。
それで、支点が不味い=登らないという公式が理解できた…。
えらい遠回しな教え方だ。
■ カム支点
それでも、私は三つ峠は、鹿柵設置のボランティア活動もしたし、友人を亡くしてもいるし、色々思い出がある山で好きだったので、登攀も通いたかった。
…ので、カムを持って行って支点を作ると言ったら、やっと付き合ってくれた。ビレイステーションでは、カム三つ、です。
でも、その先輩と行ったときはすでに知っていて、なんで知っていたのかなぁ… あ、太刀岡左岩稜に行ったときの先輩が作ってくれたからだ。
でも、別に、「こうやってつくるんですよ」とか教わった覚えはないけどなぁ…。
目撃したことを自分もやるというだけで…。写真を撮ってもいいですか?とは言ったけど。
■ 読書がカギなのか?
色々考えても、何も特別には、教わらなかったけどなぁ…。
保科さんの書いた『アルパインクライミング』という本は10回くらい読んだけど…。
どう考えても、”カムで支点を作るときはね…” なんて、手取り足取り指導されたことはない。
■ 信頼できない岩場=行かない&楽しくない
三つ峠は、いやがる青ちゃんを無理やり連れても行ったが…というのは、関西の人に関東の代表的なアルパインの練習場を知らせないのはおかしいと思ったからだが…
猫の頭ほどもある懸垂支点を見て、「こんなの信用したらあかんで!!」と彼は叫んだのだった…
それで、ビックリ仰天したのはこちらで、その懸垂支点、これ以上ないぐらい、がっちりしているからなのだが… 無いと下界に降りれない…。(三つ峠は歩いて上に抜けれる)
さらに彼曰く、登攀が簡単なので面白くないのだそうで、支点がボロく登攀が簡単=登るに値しない、という価値観を伝授されるようになったような気がする。
彼と登り始めたころから、フリーの難度のほうが楽しいと感じるようになったため、私も三つ峠に行くことはすっかりなくなってしまった。フリー=安全、という思い込みが生まれたのも、このころだ。
■ 岩場に行く前にビレイもプルージックもできたけどな…
その前の先輩は、岩田さんで、岩田さんと登っていたころは、月に一回の小川山もうでという感じだったが、私は全くの初心者なので、トップロープでもボロボロだった…
が、この時は、すでにセカンドで登れなくなったら、自主的にプルージック登攀…スリングを二本出してきて自力でトップのところまで何としても行っており… ビレイも出来ていたので… 技術的にどうこうというよりは、登れなくてかわいそうな子、という感じだった。
プルージック登攀はこうですよ…とかは、どこで教わったっけ?
山小屋バイト中に、毎日練習していたのは覚えているが、プルージック登攀については、学習する会を、地元のガイドさんに講師してもらって、自分が主催したのだった。
ので、具体的には、プルージックを教えてください、というリクエストをそのガイドさんにはしたが、資料を作り、人を集めたのは、私のほうだ。お金儲けしたのもその人。
■ 理解力=受け取る力次第??
結局のところ、クライミングの理解力というのは、受け取る力、なのだろうか…?
どうしたら、安全にジムクライマーが外岩に行けるようになるのか?
私にはまったく見当がつかないな。
そういう事例をまだ一件も見ていないからかなぁ…。
周囲を見渡しても、登山から入った人しかいない。そういう人としか、岩場に行っても楽しくないから…なのかもしれないが…。
だからと言って、ジム出身のクライマー(主にボルダラー)を岩場から押し出していいということにもなるまいが…。
■ 草野さんのトーク
下記のリンクでは、草野さんが新しい時代の人を教える文化がない、ということを話している。
登山出身の人が持っているような、自然を大切にしましょうという心、を学ぶ機会がない、とおっしゃっています。
テクニックの話ではなく、理念、考え方、あり方、ということが核心化している。
テクニックなんて覚えようという気になったら、覚えられるようなものだと思う。というか、覚える気にならなければ覚えられないというか。
草野さんレベルの人が、ジムクライマーをどう的確に外岩クライマー化したらいいのか、分からないのだから、経験の浅い私で分からなくても、普通の事ですね…。
ただ、変化は、よそ者、邪魔者、馬鹿者、から…と言いますから、誰か若いクライマーが、これだ!という方法を発見することができるかもしれません。
ともかく、雨後の竹の子のように、多くの人が外岩に行きたがっているというのは、ほんとうです。
■ 子どもはずっと外岩だけで育つ方がいいかも
私は、子供へのクライミング導入もしていますが、中学生くらいだとロープワークを、目を輝かせて学ぶ子もいます。
そういう子供は最初から外岩で教え、インドアジムは要らないかなぁ…と常日ごろ思います。
ジムの壁って、後からいくらでも登れる。一方、外岩の岩の機微を覚えるには、若いほうがいいです。外遊びのほうがリスク感性もついていいのではないかなと…。
森の幼稚園の先生など、子供は自分でリスクを避ける、と言っていました。私も3歳児や5歳児を連れて山に行ったことがありますが、子供のほうが大人より、慎重です。
もしかしたら、青年のクライマーは、子供時代に身に着けた慎重さ…をどこまで、外せるか?どこまでボールドになっても自分は大丈夫なのか…それをテストしたくて、外岩にくるのかもしれませんね? その時、それは危ない、とか言われたら、むかつくかもしれませんね?
■ 大人のジム出身クライマー
さて、子供はともかく、すでにジムで登っている若い男性が、安全に外岩にデビューするには?ということになりますが…、山岳会はすでに高齢化だし、ジムはインドアしか指導できないので、消去法で、やはりクライミングガイドに着くのが良いのではないかと思います。けっこう高額ですが、大人は、お金払えますよね。
■ 一緒に行ってもモチベーションが違い過ぎて楽しくないのでは
私も教えてあげることはできますし、やぶさかではないのですが、
私の方が一緒に行っても、きっと楽しめない…
と、傍と気が付きました…。というのは、何を楽しいと思うか、違いすぎるからです。
羽目を外すことを楽しいとは思っていない…
私は集中してゾーンに入るのが楽しいので…。
きっと、清高さんも青ちゃんも、私と同じ状態で、だから、”若いクライマーに教えない”という批判を浴びる羽目になってしまったのでしょう…
誰が悪いのでもなく、単に、一緒にいても楽しくない、若手も若手で思うし、高齢者のほうも高齢者のほうで思うし…互いに危険が増えて、安全が増えない…。
羽目を外したい若い男性をずっと見張っていないといけないので、教える側は苦労が多く、逆に若い男性の側は、本来しなくていい、相手の心配、荷物を持ってやらないといけないとか、持病で倒れないかだろうか、とか…。互いに、Lose:Loseの負担増の関係性になってしまう。
頼れるリーダー年齢層、ジャンボさんみたいな40代50代の人…は、一般に山岳会では、ほとんど存在しない年齢層だし…
というので、なんとなく、”教える人がいないし、学ぶ場もない” ことが、なぜ起きているのか、3者のトークを聞いて、分かったのでした…
https://anchor.fm/rainymonkeysradio/episodes/9---24-e191s7g/a-a6o2p4o
私には重すぎる荷なので、荷を下ろすことにします。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
宇宙全体の中で、あなたがやるようなやり方というのは、他の誰も真似することは出来ません。
あなたが表現しているようなやり方は、今まで誰もやったことがありません。
今もいません。これからもいません。
ですからあなたは、いわば多面体の水晶の一面みたいなものです。
自分で意識していなくても、あなたの生き方から周りの人はすでに学んでいます。
宇宙というのは、全然意味のないことはしないのです。
偶然もありません。
あなたが生きているということ自体もそこに理由があります。
そして、あなたが人と交流する時、相手から学ぶのと同時にその相手にも学ばせているのです。
バシャール
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■ 9時間前の佐藤さんの投稿
ーーーーーーーーーーーーーーー
佐藤 裕介
9時間前 ·
こちらも随分と告知が遅くなってしまったROCK & SNOW 095。ここで昨年行った瑞牆開拓、ルート紹介と現人神(5.12b)のオンサイトなどについて書きました。
なんだかクサイ紹介文ですがロクスノの物をコピペしました↓
瑞牆 復活と再生 十一面岩マルチピッチ開拓の日々
初級から最上級まで、無数のマルチピッチルートがそろう瑞牆山。2021年、そこに新たに5本のルートが加わり、さらに2本がフルレストアされた。開拓再整備を主導したのは佐藤裕介。3年前、パタゴニアでの事故で瀕死の重傷を負い、どん底を味わった彼の再生の地となったのが、ここ瑞牆山であった。
ーーーーーーーーーーーーー
https://www.yamakei.co.jp/products/2821906340.html
■ 弟たち…
元彼のデイビッドがアメリカから持ってきたマッキントッシュSE30をついに処分しました。リネットジャパンから、処分報告が送られてきた…。まるで、”私のサンフランシスコ”が、終わったような、そんな寂しさが…。
日本から出たい出たいと思って大きくなり、15歳で留学先を見つけてきたのに却下され、やっとめぐってきた機会を掴んだのが、カリフォルニアでの就労でした…あの時代が一番楽しかった…最も幸せな日々でした。二日働く以外は、ずっと、教会でホームレスに炊き出しのボランティアをしたり、エイズ基金のための古着屋でボランティアしたり、アンティークショップを訪ね歩いたりし、町の中のカフェで英語を勉強していると、どれどれとおじさんが助けてくれたり、自分のクラスに混ぜてあげるという大学生とか、隣のおねえさんが友達になってくれたりとか…、そうして英語を学びました…。自分で考えて、そうするのが生の英語を学ぶことになると思って、わざとやっていました。
サンフランシスコでは、6回引っ越したんだよなー。懐かしい土地、サンフランシスコ…まさしく、青春の町。ゲイの家はひどかったなー。レズビアンの母子家庭に部屋を得たときは、恋人のデイビッドと二人で行ったので、嫌じゃない?と聞くと、ヘテロの人たちの在り方を娘に見せたいのだ、という話でした…。気に入っているカフェは、ガンショップの隣で、レズビアンがやっているカフェだった。デイビッドが私を心配して、小銃を持たせてくれたこともありました。私がさらわれそうになったからです…。私は体、小さいのでさらうの簡単です。
コロナ時代になり、日本にいても、LGBTの人たちをどう社会に含めるか?というような話がどんどん流れてきます。
だとしても、日本がアメリカに追いつくのは30年では足りないよう… なので、やはり、自分だけの幸福、を考えていたら、あの時点でアメリカに残っていたら良かったな…とか、思わないでもないです。ま、思ったところで、仕方がないんですけどね…
大学が2年残っていて育英奨学金を返済しないといけないという現実があったとしても、私が思想的に全く合わないと分かっている日本という国を選ぶことは、逃避という選択肢だったのか?
でも、どんなにあほな奴でも、弟のほうが可愛いですよねぇ?そんな気持ちです。どんなにしょーもない奴だと思っても、家族だし、みたいな(笑)。
それが私が持っている日本の男性、日本の因習に縛られた社会、日本の登れる方が上とか思ってるアホクライマーに対する気持ちです…
九州の人からは、「え”ー、君がクライミングパートナーにして、怖がってきた人って山梨時代の先輩じゃん、俺らかんけーねー」という声が聞こえてきそうですが…
そして、それは全くその通りなのですが…
彼は、山梨では、元から持っているイケイケな資質…男の子は、過信しがち…と子育て本でも言われてる過信という資質…を上記の佐藤さんのような人たちの在り方を見ていることで、予防されていたのでした…。”やらかしそうだから、気を付けてやってくださいね”というのが、彼と組む場合に言われることでした。
そう…やらかしそうな人は、みんなで見張っているのが、山梨のクライミングでした…おもいやり、というわけです。命を守るために、見張っている。
実際彼にも、ショートでカムでロープスタックさせたりしていると指摘してやっていましたが、返事は、「えー、なんだよ」ということで、事の大きさが分からない様子でした…だから、インスボンまで連れて行って、私の師匠と無理やり組ませたのです…。彼は何年もヨセミテにトライしており、その様子を語らないところを見ると、全然、登れていないのでは?と思えたからです。何しろ、普通の5ピッチ程度のマルチでも、卒なくは登れていないのに、”登れた”と合格点を出してしまう…過信してしまうような子なのです… でも、どう考えても、そのまま指摘して聞き入れるか?というと?聞き入れないので、
在り方で示す
しかありません。それでインスボンは私が怪我をして、歩くのも、やっとな状態でしたが無理をして連れて行きました… たぶん、それでも師匠のロープさばきから、彼が得るべきものを得たか、は疑問ですが…。
こうした思いやりの連鎖…がない…のが、九州でした…。
なんというか、みんな、自分が登れる奴であることを証明するので一生懸命?
誰も相手の命を守る義務があると思っていない…。それどころか、こんなのすら登れねーのか…とか、落ちろよ!とか…
…なのに、結び替え一つとっても出来る人いないし、ビレイは超懐古調で危険だし、ボルトは40年前だし… 簡単なところではセルフは要らない、とか言っているし…。
ひえ~!そんな”あり方”で登っていたら、事故が起きるのは必然です… まるで事故を起こすためにやっているかのようです…(汗)。
それでも、怖くない、というのが、かっこいいと考えられているようで、その文化的土台が、もともと九州生まれの彼の資質とマッチしてしまったので、せっかく山梨で作ったブレーキが外れてしまった…
さらに言えば、彼の元々持っているクライミングカーストが有効化されてしまい、俺の者は俺の物、君の者は俺の物…で、私の新品のロープで、自分のオンサイト課題を登るし。
俺が登りたいところは俺は登る、君が登りたいところは君が登る、ということで、私の課題のビレイは誰もしてくれなかったのでしたし、君が見つけたクライマーは俺の者、で、パートナーも同じことでした…
というか、私は、ただのもっといいクライミングパートナーが見つかるまでのつなぎ、として使われていただけだったのです。私はビレイが確実なので、山梨時代から、困った時しか来ない人でした…。
そういう風に利用されたな…という悲しい思いがありますが、私は早くに弟を亡くしており、年下の男は全部、弟にしか見えない… ション便垂れの…泣き虫の…
アメリカから帰ってきたときと同じ気持ちで、それでも、やはり、日本の人のために、何ができるか?と考えてしまうのです。たとえ、利用された、にしても。
■ 高みへのステップ
登山研究所の 高みへのステップ が37年ぶりに改訂されたそうですが、福岡の岳連のサイトを見ても、その旨リンクが張られている様子はありません。そもそも、やる気の減退から、存在しない感じな福岡県の山岳組織。
リンクはこちらです。
UIAAの『登山総合技術』はこちらです。
https://www.yamareco.com/modules/diary/1884-detail-221761
九州では、年配の人は、もう、教えられる年齢を通り越して、引退や隠居というレベルです。
高みへのステップは、37年ぶりということですから、そうしたベテランたちがサボってきたというよりは、国そのものも、サボってきた…若者を見捨ててきた…ということで、
集団サボタージュ、
ってことです。日本では、赤信号はみんなで渡れば怖くない、ということになっていることの証明です。
なので、みんなに合わせることは、時に間違いを平然と犯すということになります。
それは、クライミングにおいては、死を、時に意味します。
みんなが出来ていないから、自分もできなくてもいい、というのは、特にクライミングでは、全く、当てはまりませんから、各個人で、自分で勉強しましょう。
私自身は、そうやって、やってきました。
■ ベテラン扱いされている人も困っているのかも?
私がこう思うようになったきっかけは、
熊本の会の会長さんを、日本フリークライミングインストラクター協会の奥村さんのビレイ講習にお誘いしたところ、帰ってきた返事が…
「オリンピックのビレイヤーボランティアで講習に出たからビレイは確実なのでイラナイ」
という返事をもらったからです。
…。
”外岩のビレイ” と ”インドアのスポーツクライミングのビレイ” は、天と地と言っていいほど違います…(汗)。
オリンピックのビレイ=わざと流して、大きく落とすビレイ…
そのようなビレイだけはしてはいけないことは、外岩クライマーの常識…なので…。
この返事をされてから、この方も、もしかして、ちゃんとは分かっていないから、教えられず、教えられないから、はてな?なクライマーばかりを私に振ってくるのかもしれない…と思い始めました。
■ はてなクライマー事例
文登研クライマー…アルパインの基礎を教わっているということで、もともとアルパイン出身の私と息が一番遭いそうでしたが、全然ダメでした… 私に車を出してもらい、おんぶにだっこで岩場に連れて行ってもらう立場なのに、自覚ゼロ…。少しも感謝されない。
なんでそうまでして、この若い男性と行くために、我が家の家計から、高額な車維持費を捻出せねばならないのか、と思ってしまいました…。
確かに私は、過剰に親切で、23歳東工大大学院生と登っていたころは、宿泊まで家に泊めてあげるほどの親切ぶりでしたが、それは、彼がちゃんと沢と尾根も見分けられるし、礼儀正しい若者だったからです。真摯な姿勢に好感が持てた。それに知り合ったのも、お互い雪山キャンプ中でしたし…。(それぞれ単独)
一方の文登研の彼は、運転100%お任せの癖に、「何やってんだよ!」みたいな口を利く人だったので、ビックリ仰天…。当時私は九州来てすぐで岩場も詳しくない。そんな失礼な目には、山梨では、あったことがなかったからです…。よっぽど甘やかされてきたとしか思えない口ぶりでした…。
この人には後に比叡で、ばったり会いましたが、ローワーダウンができないパートナーを連れており、30分以上岩場で膠着していました。普通はマルチに連れていく前に、先輩の義務として、懸垂下降を教えてから行くものです。懸垂くらい公園で教えられます。
私は長野県の山岳総合センターでは最初に懸垂を教わりましたので、懸垂は、初心者のころからカラビナ懸垂もできます。(なぜなら普通の初心者は確保器を落とすことが多いので、バックアップの技術が必要です)
というので、文登研でトレーニングしても、何の教育効果もないようだ…という観察結果になりました。
態度でかい…という印象第一号でした。
■ 小川山に連れて行ってあげた子
その次の子は、18歳で東京方面の大学に進学した子でした… 私と同郷者なので、特別に親切にしていましたが…
やっぱり謎でした…。小川山、行きたいのは分かるけど…九州からだったら、そりゃ憧れだし…。でも、外岩クライミング歴2年で5.12がオンサイト出来るレベルの人が、なんでトポを調べてこないのか、意味わかりませんでした。
しかも、ただのハイキングすら自分一人ではいけない様子でした… え”ー?!
もう、私のいた山岳会にいたとすると、最初からメンツに入れてもらえる可能性ゼロです。
それでも、同郷の後輩だし、出身校も濟々黌と熊本高校は姉妹校と言っていい仲なので…色々と岩場を紹介してあげましたが、半人前だということを分かっていない。
なので、ホントに困りました…というか、かなり疲れました。車も出してあげてなので、ほとんど引率の先生で、この機会に、若い人をあまり甘やかすのはどうか?という反省をしました。
多分、現地に自力でたどり着けないクライマーはクライマーとは思われていないです、山梨では。
■ スラブで流して止めてあげる
それ以外にも、色々あった…スラブで流して止めてあげると言われて、ビックリ仰天したり…とか(汗)。スラブで流したら、大根おろしの時間が長くなるだけです…。
とはいえ、それは、そのベテランさん自身の無知ではなく、会の人の無知で、それはよくあることなので、あまり気にしないでいました…。
たぶん40年前の常識のまま、アップグレードされないで横流しで教えられるとこうなるのではないかと…。
なにしろ、九州ではジムのインストラクターがグリップビレイを教えているという懐古調でした…。
ところが、会長さんを奥村講習にお誘いした時、自分にはイラナイという返事だったことから、ふと疑問に…
■ ベテランと言われている方も、どういう経歴か表現されていないことが多い
私は、大阪の登山学校で校長先生をしていた青ちゃんと組んで登っていたのですが…最初の3日間は一緒に徹底的に、その辺の公園で、レスキューの勉強をしました。
彼は大阪方面では知らない人がいないようなクライマーですが、私は山梨のクライマーで当然、たぶん大阪のことは知らないだろう…と思って、上級クライマーである自覚がある、自分の方からレスキュー技術の共有を申し出てくれた、と思います。
その前の指導者だった清高さんとは、三つ峠の岩場で出会ったので、清高さんからは、議論を通して、クライミングの技術を教わりました。どこに登るのか?から相談ですが、登りたいと私が申告するルート…が、清高さんが初心者向きと判断するルートと同じだったので、師匠の試験に合格する感じでした。
ただ、私にも失敗はあり、初めて行ったアイスのルートは中津川滑沢で、登攀要素がない癒し系のアイスのつもりで行ったのに、清高さんは命がけクライムをする羽目になり(アイスが脆かった…笑)、帰りにほうとうを奢らされました…。このようなこともあるので、私も初心時代の無知には寛容というか、初心者は何が分かっていないのか分からないというのは、許せるというか…
ですが、ベテランです!と言っている人がベテランとは言えないような不合理な態度だと、どうしてなのかな?と思わざるを得ません。
信頼したいのに信頼してはいけないという葛藤…が生まれます。
そうした葛藤は、アクセルを踏みたいのにブレーキを踏むということになり、心の健康には非常に良くないかもしれません。
■ フリーだから、セルフレスキュー要らない は岩場次第
思えば、セルフレスキュースキルなしで、モッチョムで行き詰った話を聞かされた時から、ちょっとアラートを立てておくべきだったのかもしれません…
しかし、大きな会を率いる人が、まさか定期的なレスキュー講習を端折っているとは思えないので… 常識的に考えにくいからです。
フリークライミングの岩場は確かに、アプローチ10分とか最大でも30分とかで、車が近い=下界が近いのは、本当ですが、それでも、医者に行かなければ意味がありません。私のように肉離れしたのに、2日も医者にかかれない…応急処置もされない…という羽目になるのは、リスクをリスクと認知しておらず、「大したことがないと思ったから」と言われました…大したことがないという判断は、誰がするのか?怪我した本人では?と…思いますが、そう言うことも、普通は、レスキューの共有で、プロトコル化されていれば、防げます。
モッチョムは、隔絶された場所にあるので、フリーのマルチでも、アルパインと同じリスク管理が必要で、屋久島フリーウェイは、外的危険、の認知が必要です。
ロングなので、スピードも必要、ということは、限界グレードの12ⅽが登れるから大丈夫だろう、というのではダメで、ロープワークの素早さも求められます。ほとんど核心は長さ、ですから、日の長い時期に行かないと、ナイトクライミングになりかねません。その上、ロープワークの稚拙さで遅くなっていたら…岩でお泊りになってしまいます。それくらいはシミュレーションで想像がつくことでしょう…
大体、私の経験では若い人は、登れてもロープをまとめる速度が超遅い…。いつまとめて、いつ引きづっていいかも、ベテランほどは、分かっていないみたいです。
米澤さんと野北の岩場に行ったときは、あっと驚く素早さで、ロープをまとめてくれ、驚きました。
私自身もロープワークは初心者なので、山梨では、易しいマルチに行って、相方とピッチを稼ぐ練習をしていました。最初は一日6ピッチしか稼げなかったのに、12ピッチくらいは稼げるようになりましたが…そういう練習をするクライマーというのは、こちらではまだ見かけません。単純に情報が共有されていないだけだろうと思っていましたが、ホントにしていないのかもしれません。
というのは、そもそも、指導する側が分かっていないのでは…という懸念が生まれ、もしそうであれば、アドバイスを若い人に与えていないのかもしれない、と思うからです。
私が思うには、会の指導者、ご自身も、きちんとクライミング教育を受けたことがないのでは?
そのために、会の後進の人たちにも、きちんとした技術を伝達できない状態にあるのではないだろうか?と思うからです。何を練習したらいいか?というようなことです…。2年もやっている人が、トポの調べ先も知らないようでは…。山梨ではクライミングデビュー前に教わります…というか、みんながトポを見ているので、普通にしていてもトポを買うことになります。
会の指導者クラスって…
1)40年前に大学山岳部だった人…その時に教わった技術からのアップグレードなし
2)定年退職してからクライミングしている人…周囲の人の見様見真似
の可能性が高く、適切な指導者との接点がないのかもしれません。例えば、奥村さんとか。
ただ、年齢が上というだけで、担ぎ上げられがちなのが日本の社会の慣習ですし、その上、それを重責だと思うよりも、嬉しいと思う気持のほうが、日本の男性の中には強そうです。
しかし、実態は、自分が指導されたことがないのに、指導はできない、となっているのかもしれません。だとすると助けが必要なのは指導者のほうです。
ちなみに私の現在のクライミングメンターは、スティーブです。
■ アルパインでエイド残置に足を掛け墜落…
私がこう考えるに至ったのは、会長さんの穂高での墜落事故を語っているFBの記事が、ずいぶん最近になって、ひょんなことから流れて来てからです。
普通は、アルパインのクラシックルートで、エイドのルートの残置(古いハーケン)に足を掛けて登ること…が、自殺行為であるというのは、クライミング教育の初期に教わります。
なので、会長さんほどのベテランの方がする事故の話としては、あまりに無邪気に自分のミスを語っておられ、それは、普通のクライマーからすると、
「自分はリスク管理がきちんとできないクライマーだ」
と語ることになるので、おや?と思いました。
当初、私はその点には気が付いていませんでした。
例えば、私の二人の師匠は、残置を利用し墜落をしたクライマーには、同情は寄せないでしょう…
■ ボルトルートでの対応
日本国の岩場の作りが全部そうなので、個人のクライマーのせいではないと思いますが、日向神で、支点を信頼する気楽な墜落をしながら、フリーの能力を上げるというのは、ボルトのタイプをよほど意識して教えない限り、非常識だと思います。
トンデモ支点が現役です… 安全なのは、最近作られた高難度課題だけです。
M8カットアンカーが日向神では、通常の市民クライマーレベルの人が登る標準的課題に散見されるだけでなく、終了点の打ち方も懐古調で、他の地域で登っている人でないと、それが懐古調だということそのものにも気が付けない、ようです。
つまるところは、地元で登っている=正しい知識を伝授されていない、という流れになってしまいます。
こういう点は、外から訪れたクライマーでないと気が付けないものなのかもしれません。
私も小川山などでデビューしたクライマーなので、整備が行き届いた岩場しか知らず、九州に来て初めて、カットアンカーという種類のボルトがあることを知りました。
棒フレンズは知っていたけど、カットアンカーは全く知りませんでした。
なので、情状酌量というか、そういうものはあると思いますが…とはいえ、指導するという立場になると、かならず伝えなければいけないことが多少あると思います。
そういうものは、言葉の端々に漏れ出ます…。分かっていない発言ということです。
例えば、違う人ですが、ベテランに、エイドで鍛えてやる、と言われたことがありますが、この発言、分かっていませんよね…。
エイドって、アブミの最上段に載ったとしても、手が届かない人には、届かないものです。
誰が見てもチビの私にエイドでリードせよって… 誰か私をショルダーしてくれるならリードしますけど、そんなことに意味がありますかね?チビをショルダーしてリードさせるより、のっぽが掛けたら、数倍楽に距離が稼げるってだけのことなので…。ホントに分かっていなさそうで、速攻でその会には行くの、辞めました。
一般的に男性は、男性自身の環境設定から、他の人の立場に立つ、そういう想像力を持つ、という能力は少ないことが多いようで、そのために、理不尽ともいえるリスクに相手をさらしてしまって、気が付いていない…ということが多いようです。
例えば、アルパインしかしない人は落ちたクライマーをキャッチした経験が皆無なのに、ビレイできます、とか言う人が多いです…正しくはその人が出来ているのはロープの端っこを持っているだけだったりします…。スポーツクライミングを経由していないと、落ちたクライマーを日常的にキャッチするってことはないからです。
立場の違う人への想像力が低いというのは、男性一般の欠点のようですが、クライミングを長くしていていれば、普通は気が付きます…。
その気付きをベテランに求めないなら、一体、経験って何なのでしょう?
私の師匠の青ちゃんは、クライミングは理解すればするほど、怖くなるものだ、と言っていました…。
彼とですら、アルパインのルートは、遠慮気味にしか行っていません。大山北壁は行けば登ること自体は簡単な場所でしたが、2名で行くと、私は相方の青ちゃんの保険にはなれない…彼に何かがあった時、担げないです…75kgを50kgが担ぐのは不可能です…ので、あと一人いないか、を必死で探しましたが、誰に声をかけても、遠すぎて来れないとか言うので、その時は行くのをお断りしました…。自分が登れないからというのではなく、保険がないからです。
そんな感じの相談ができるのが、今までの2名の師匠でした。そういうことは、この4年の九州でまだ一度も起こっていないので…行くか行かないかオールオアナッシングな感じです。
というので、これは、自称ベテランさんご自身のクライミングに対する造詣も深くはないということではないか?と思います。
普通は、身の丈に合ったチャレンジをしていたら、ロープの相談からスタートし、リスクをどうするか?という話に発展するのが通常だからです。
沢で、逃げ場のないゴルジュに2名で、という話が来たときも、普段フリーでゲレンデを一緒に登っているとはいえ、知らない沢に、初めて沢を同行するのは、ゴルジュってのはちょっとどうかと思いました…普通は、もっと易しい沢…逃げ場のある沢…で、相方とのロープ合わせ・スキル合わせをするのではないでしょうか?いくらパートナーが私しかいないと言われても…。
私がおぼれたときのレスキューを誘ってきた相方ができるのは、誘った手前、当然だとしても、私が相方をレスキュー出来るか?というところがカバーされないと、トップが溺死したら、どうするつもりなのでしょう…?当人だって知らない沢なのに。
というようなことが頻繁に起こるので、九州では、かなり、リスクの理解がいい加減だと思います。
それは、元をただせば、指導している側も、しっかりとしたリスク管理能力は身につけないで危ない橋を渡っているからなのではないか?と思います。もしかすると、九州にはそんなにリスクがあるところがない、ということなのかもしれませんが…。
私も、はた目には危ない橋を渡っているように見えるかも…ですが、ちゃんと小川山レイバックはカムエイドで降りてきています…。
■今日の仏教説話
ーーーーーーーーーー
自己責任だから逃げてはいけないという考えに捉われていた時は、とても苦しかったです。縁起の法則を知った時は心の中で何かの塊が溶けてなくなっていくようなスッキリした感覚がありました。
ーーーーーーーー
という参加者のコメントが印象的でした…
クライマーのいう自己責任も同じです。どう考えても自分のせいではない理由で死を選ばさせられるのは、自己責任ではない、です。
誰もがすくすく成長できる、登攀レベルとリスクが見合った岩場の環境整備
と
合理的で的を得た”フリークライミング教育”の整備
のほうが急務です。
エイドは日本ではフリークライミング教育のカリキュラム内容からは、外れますし、アルパイン教育ではスポーツクライミングは教えていません。私も雪上確保が最初です。山のリスク管理は、スポーツクライミングでは教えませんし、ボルダリングジムは当然ながら、うんこ処理方法は教えません。すべての教育機関の抜け穴、になっている知識が、
フリークライミングの常識、
というような部分になってしまっています。その結果が事故とアクセス問題で、それを若い人の”自己責任”の一言、で済ませてしまうのは、酷です。
大体のクライマーは教わらなくても、できた、と思っていると思いますが、環境が恵まれた、というのは否定できないことだと思います。
現・会長職にあるような人ですら、時に ん?という発言をしてしまうくらいの難易度の高さなのですから…
市内から30分で行ける岩場 10bのクラック■ 道しか歩いていないと、道がないと歩けなくなる
先日、バイト先で、肉に包丁を入れている姿を見て、上手だなぁ…と思い、筋肉に沿って包丁を入れるのか聞いたら、その通りで、慣れていれば、肉のほうから包丁が入る先を導いてくれるそうだった。やっぱり。
山も一緒だ。尾根と谷が読めるようになると、山のほうが、こっちですよ、と言ってくる。
特に尾根はそうです。細い尾根(=険しい尾根)ほど、歩くべきところは限定されます。逆に、広い尾根(=安全な尾根)は、幅が広く、どこでも歩けてしまえるため、どこを歩くべきかというのは分かりにくいものです。
そういえば、瑞牆山で、「どこを歩いたらいいんですか?」とおばちゃん登山者に聞かれたなぁ… 岩ゴロゴロの道ですが、どこを歩いてもいいのです。
道しか歩いていないと道がないと歩けない、と思い込んでします。
山と同じで、人生のほうが、こっちだよ、という道を行けばいいんですよね。
■ ボルトルート
ボルトルートしか登らないのと、ボルトを探して、ここは5.10代だからこの辺にホールドがあるはず、という登りになります。
ボルトを追いかけることで、ホールドの在り処が予想できるような逆説現象がおきるということですね…
それは、開拓、という行為とは正反対の行為です。
何が出てきても、なんとか対応できる力、というのをつけることが先で、そのような、悪智慧のほうが後でないと、
「あ、俺、ボルトルートしか登らないから、エイド技術はいらないんだよ」
という言う話になります。
「あ、俺、登山道がある山しか登らないから、読図技術はいらないんだよ」
「あ、俺、山小屋があるところしか登らないから、テント泊技術はいらないんだよ」
「あ、俺、無雪期しか登らないから、雪洞泊技術はいらないんだよ」
これは、価値観ではなく、単なる ”努力しないことの言い訳”です。 間違ってはいけません。
神須ノ鼻で、クライミング技術が未熟なクライマーによる事故が起きているようで、このようなブログが閲覧されてきましたが…
九州で遭った〇〇会のクライマーで、登り返しができている人、会ったことがないです。
私が教えたド素人のクライミング初心者には、すべて、懸垂下降と登り返し、を最初に教えています。
九州ではそれを教えないで、マルチに連れて行っている会がほとんどでした。昔の教え方の人たち、で、です。
往年のクライマー(一般に ”経験豊富な”、と形容される)は、新人に
・懸垂下降を教えない
・宙づり登り返しを教えない
・結び替えでのローワーダウンを教えない
です。ですので、この記事にあるように
ーーーーーーーーーーーーーーー引用ーーーーーーーーーーーーーーー
全般的にプロテクションが難しく、的確なセット技術が求められます。55mの登り返しもあることから、初心者のみでの来訪は控え、信頼できる経験豊富なクライマーと同行していただくようお願いします。
ーーーーーーーーーーーーー
は、有効な作戦ではありません。
このアドバイスが間違っているから、事故が減らないんです。
経験が豊富なクライマー=安全、ではありません。
(経験が長いクライマーでも、パートナーに懸垂下降、登り返し、レスキューなどの技術伝達をしない人が9割9分ですので、これは誤解を招くいい方です)
日本フリークライミングインストラクター協会などで、技術伝達を受けましょう。
長野県山岳総合センターリーダーコースは、
懸垂下降から教わります。
クライミング技術とは、ムーブの事ではありません。
■ 安全ブックを読んでも、クライミングのリスク管理能力は身につかない
私は、『安全ブック』とは、クライミングを初めてすぐに出会ったし、自分が行く身近な岩場での事故がたくさん掲載されているので、クライミングをスタートして初期に、目を皿のようにして読んだのですが…、
例え、『安全ブック』を読んだとしても、
公開されている岩場でノーマットで登るのは、非常識だとは、どこにも書いていない…
という指摘を受けて、確かにそうだよなぁ…と思っています。
基本的に九州の岩場での事故情報は全く載っていない。どこかよそ事のような内容になっている。
よそ事感があれば、ジブンゴトと感じるのは難しいでしょう…
では、一体どういう情報を与えたら、現代の初心者クライマーは、ちゃんとしたクライマーになるための知識が得られるのでしょうか?
■ ボルダリングにおけるリスク中心思考のスタート地点
ボルダリングは9割落ちているクライミング形態です。
つまり、リスク管理としては、
安全な落ち方をマスターしている、
が第一義的に大事です。
ムーブを上げるというのは、それができたあとのこと。
安全に落ちるスキルがないと、練習すら積めません。
そしてボルダリングにおける安全に決定的に必要な道具がマット。クラッシュパッドとも言います。
インドアジムでは、どこで落ちても大丈夫なように、マットが敷き詰められていますが…アウトドアでは、それは当然期待できない。
自分が所有できる数のクラッシュパッドで何とかせざるを得ません。
ということは、
自分が所有できるクラッシュパッドで、最大の安全を確保するというノウハウ=ボルダリングにおけるクライミング技術
ですね。
■ クライミング技術=登攀グレード、ではないですよ
奥村さんも言っていますが、一般の人はクライミング技術というのは、ムーブが上手なことだと勘違いしているのだそうです。
もし登れるだけがクライミング能力なら、それこそ、クモが一番偉い、みたいなことになってしまいます。
これは案外見過ごされている点で、指導者クラスの人でも、高グレードが登れる方がえらいと勘違いしている人もいます。
安全にクライミングに行って、帰って来れる、自己完結したクライミングを出来ること=クライミング技術
です。
■ 何をどこでやるか?でクライミング技術の中身は違う
なので、活動の内容により、クライミング技術の意味する内容は、バラエティがあります。
例えば、登山であれば、誰か助けて!と山小屋に駆け込んだりしたら、自立していない登山者、つまり、登山技術がない、ということになります。
テント泊で宿泊している登山者が、山小屋の談話室に入室するのがNGなのは、このためです。
他には、水や食料といった必需品を持ってこないで、”山小屋にください”、という登山者も自立してない登山者と言われます。山小屋では、買い物はゆとりの範囲で行う募金、です。必需品はもって上がります。
■ ヘリでレスキューされたことは勲章にならない
夏の本チャンに行って、他人が作った支点に足を掛けて落ちてヘリを呼んだら、それは”本チャンクライミングを分かっていない”という意味になります。
なぜなら、本チャンで、残置を信用してはいけないことなど、当然の常識、だからです。なので、ヘリレスキューになっても誰も同情してくれません。
私の先輩も、春山の前穂北尾根でアイゼンを付けたままグリセードして、足を骨折してヘリレスキューになっていましたが(笑)、誰も同情していませんでした…(笑)。
アイゼン付けたままグリセードしてはいけない、ということは、雪山で滑落停止技術を学ぶ初日に、一声目に言われることだからなのです。げんこつが飛んできます。
■ クライミングの自立
クライミングが自己完結できることが、クライミング技術。
一般的なショートのフリークライミングなら、自分のロープと自分のヌンチャクで登って、降りてこれないといけないです。
それができるのに必要な技術は、人工壁で学ぶリードとローワーダウンだけではなく、結び替えと懸垂下降、支点構築、途中敗退の捨てビナ、程度が必要です。それがあるのが、外岩クライマーとして技術がある、という意味の中身です。まちがっても、”カラビナ直がけが九州ルール”という人にクライミング技術がある、と言えることはありません。
誰かにトップロープを上げてもらっていたら、自立したクライミングではありません。
当然ですが、自分が登る課題を選べない、トポを持ってこないというのも、自立したクライマーではありません。
そもそも、岩場に自分の足で来れない、というのも、自立したクライマーではありません。ということは、車で行かないといけない岩場に誰かに載せて行ってもらうのは、半人前です。
マルチのセカンドだったら、登れなくなって、ライジングされないと終了点に行けない、などというのも自立したクライマーではありません。行く前に登り返し技術や多少のエイド技術は身に着けてからいくものです。
https://allnevery.blogspot.com/2017/08/blog-post_13.html
ところが、現実的には、一回目の初心者は仕方ないね、と、自立しようとすると色々と面倒が多いので、多少は、多めにみられています。
問題は、多めにみられているという状況を分からないで、当然のように、要求し始める人を是正できない指導者が多いことです。
なので、多めにみられていることを当然の権利のように要求する人がいる会は、はてな?という感じです。5.12が登れるのに、結び替えを知らない、とか、自分は運転できないで載せてもらっている側なのに、運転者にえらそうに指示するとか、まるでモンスターチャイルド?みたいな感じです。
基本的に、その場所で事故になったとしても、自力で帰って来れる、あるいは、一緒に行った人と帰って来れる、というのが伝統的に最低限のマナーとなっています。
そのために必要な知識を一通り持っている必要があります。つまり、
岩場での事故を想定したセルフレスキュー
です。それがないと、思い切った行動は普通は取れません。し、取りません。
山梨で登っていた時は、私は体が小さいので、私と登りに行って無茶をする男性クライマーは、常識上、皆無、いませんでした。
レスキューになった場合、相手は私を担げますが、私は相手を担げないからです。私にとっては保険付きだが、相方の男性にとっては私は大した保険にはなりません。もちろん、走って出るくらいのことは当然できますが。また私は日赤救急救命を受けています。しかし、それでも事故になって良い、というのとは違うでしょう。
ですので、チャレンジクライミング、をしたいときはお互いがお互いの保険になるようなパートナーを選びます。
私の中では、ゲレンデは基本的に誰と組んでも行けますが、準本チャンの沢…例えば祝子川は、誘われてもお断りしました… 膝を怪我したのでそもそも行くのは無理でしたが、ゴルジュってエスケープがないです。囂々と流れる水の中で、たとえば転倒したとして、現代の確保術では、流さないといけないということを知らない人もいます…沢ではATCではなく、そのため8環を使いますが…そういう知識のすり合わせを初級の沢でするのが普通ですが、その人はその発想はなくいきなり本番…なのでお断りしました。彼とではなく、別の人とだったら行きました。あとは2名でなく、3名とか別にメンバーがいれば行けます。
まぁ、フリークライミングしている人が、沢に行くような、大きなリスクを取るというのは、自己矛盾なので、考えにくいです。一般にフリーのゲレンデは、基本的には携帯電話が入れば、安全圏と考えられています。
要点は、誰と登るかによって取れるリスクの量は違う、ってことです。
一般に、フリークライマーは、パートナーを組むのですが、一緒に登ろうぜとなった最初に、人工壁で、お互いが持っているセルフレスキューの知識のすり合わせをします。
具体的には
ビレイ
リードフォロー
懸垂
宙づり登り返し
ビレイヤーの事故脱出
ライジング
です。互いにすり合わせて、知らないところやずれたところは、補います。斜バリまで行く必要はないと思いますが…熱心な人はやっています。
これには、
ザックやストックを使った背負い搬送
ロープバスケット
救急救命法
などが入っていませんが、どちらも、ハイキングに行くレベル、登山レベルで、すでに練習しているもの、という暗黙の前提です。
ただ昨今は、ハイキングからステップアップしてクライミングをするようになった経緯の人の方が少数派で、山登りは全くせず、いきなりクライミングジムでクライミングして、その流れでアウトドアクライミングに進む人が多いので、やったほうがいいかもしれません。
その際は、具体的な場所を想定したほうがより実状に添ったシナリオができると思います。
例えば、九州で言えば、
・日向神の愛のエリアで
・グランドフォールが起き、
・クライマーは自力歩行ができない、
と想定すると、下の林道までは、背負い搬送をしないと、救急車は入れません。
ので、クライミングを自己完結するスキル、の中には、
背負い搬送を知っていて出来る
が入っていないといけません。それがそこでクライミングする者の最低限のスキルということになります。
■ ボルトルートクライマーなら、ボルトの見極めスキルはクライミング技術の一つですよ
私がいた山梨では、ボロい支点であることが、そもそも前提の三つ峠、と、フリークライミングの岩場である小川山では、全く違う登攀スタイル、ということが、誰の常識でも明らかでした。登り方自体を変えます。
小川山では、テンション!と叫ぶのはアリですが、三つ峠ではありえません。
なにせ、腐ったハーケンとかが支点で、後は自分でカムをもって上がって支点を取ります。岩の突起とか、チョックストーンになった岩とかに、スリングを掛けて、ランニング支点にする、とか、そういうのが、三つ峠における、”クライミング技術”なのです。
終了点は、一般的には普通に登山道を歩いて帰ります。山にある本チャンで懸垂で帰るというのは、敗退時以外ないです。支点はカムで3点で作ります(2点で作ると厳しく注意を受けます)。
小川山のほうは、フリークライミングの岩場でも、歴史的経緯からアレヤコレヤと細かい注文が色々ある岩場ということなので、その辺に詳しいガイドさんが詳細な、ステップアップに使うべき課題をネットに上げています。
ので、本州の人は、クライミングのステップアップ…クライミング技術というのは、具体的にどういうことなのか?が、分かりやりやすい。ある段階で今何が自分にとっての課題なのか?が比較的把握しやすいと思います。
その辺が九州ではきちんと区別して教えられていないように思います。アルパインとフリーとスポーツクライミングが混同しています。スポーツクライミングのノリをフリークライミングで要求するのは変です。
何kNの耐荷重があるか怪しいボルトで、落ちれ落ちれと言われて謎でした。やっぱり落ちるのはNGのカットアンカーでした。
もし、ボルトが崩壊して、落ちるクライミングを周囲がはやし立てたために、死者が出たらどうするのでしょうか?責任を取れるのでしょうか?
小川山はフリークライミングの岩場としては、100%落ちれるわけではないので、一般的に初心者は、落ちても大丈夫な岩場としては、城山、などが、ケミカルにリボルトされた岩場、初心者のリード向きの岩場として知名です。
小川山は日向神と同じで落ちてはいけない岩場ですが、違うのは、そう認識しているかどうか?かもしれません。うちはボルトがヤバいとか、ランナウトしていて初心者には登らせられないと、岩場として自覚がある、あるいは課題として自覚があるかないか?が大きな違いなのかもしれません。
小川山は初心者向けではないという認識は、大体のクライマーが持っていた認識のように思います。その証拠に初心者クライマーは、目を皿のようにして、歩いてトップロープがかけれる課題を探します。
なにせ、先輩に連れて行ってもらって当然、というのは、基本的に ”ない” のです。
連れて行ってくれる人がいたら、かなり奇特な人として感謝されるものです。そこがだいぶ違います。
大体の人が、フリークライミングにデビューする前に、インドアジムでボルダリングをして、その後に人工壁でスポーツクライミングを経験して、ビレイを確実にしてから、外岩に来ると思いますが… そのコースの場合、
外ではインドアのように安易に落ちてはいけない
というのが、実際のところなぜなのか、初心者は分からなかったりします。私もそうで、初期のころは、私は背が低いので、大体、ホールドはデットで取っていました。普通の人にとって何にもしなくても手が届くところが、大体デッドしないと取れないからです。
そんな登りをアウトドアでできるか?当然ですが、ダメですね…。外岩リードは基本的にスタティック、が定石です。それがすぐに分かったので、ボルジムでの登りも変えました。
しかし、そこのところが分からない段階の人用に、城山みたいな場所が用意されています。
先輩後輩のシステムで登っている人には、自動的に小川山の前に、城山が上がってきて、その経験から、なんとなく分かるようになっています。
城山はケミカルボルトの岩場です。小川山では、基本的にはボルトルートですが、えらい1ピン目が遠いとか、ジョコンダなどハーケン混じりです。え?ここアルパインの岩場?みたいな感じですが、まま、気やすく落ちるなよ、という警告を含めて、そういうものが残されています。
先輩曰く、ハーケンはオブジェ。もちろん信頼はしないですが、意外にしっかりしている場合もあります。
小川山におけるリングボルトも同じで、起点に打たれた課題もあり、大体がビレイ位置が不安定で、ビレイヤーも転がり落ちそうな課題などです。
そうしたリングボルトは、ビレイヤーのセルフビレイ用ですが、インドアクライミングでは、ビレイヤーがセルフを取ることはないので、ビレイヤーとして自立したクライマーになるにも、小川山でリングボルトを見て、”なんでここにリングボルトがあるのかな?”と思考し、その結果、”そうか、ビレイヤーも落ちそうでヤバいのか”、と理解することによって、ビレイヤーのセルフを取るという安全技術を知ります。
アウトドアでは、ビレイヤーもセルフがいるか要らないか、自己判断ができるようになって一人前。
私は軽いので、ビレイヤーとしては、自分を守るために、セルフが必要な場合があります。
例えば、大柄なクライマーに1ピン目で落ちられると、パチンコ状態になってビレイヤーとクライマーがぶつかります。”ビレイヤーのセルフ”が必要です。
”ビレイヤーのセルフという技術”、そういう知識があり、対策を知っているというのが、クライミング技術、の具体的な中身です。
一言で、”ビレイができる”、と言っても、中身の濃度は色々です。
前にアルパインのクライマーに、ゲレンデでの練習会で”ビレイできますか?”と聞いたら、元気よく”できます!”というので、お任せしたら、リードクライマーが落ちた時、真っ青になっていたので、交代してあげたのですが、聞いたら、彼は落ちたクライマーを確保したことはなかったそうです。
”落ちるクライマーをキャッチしたことがある、グランドフォールさせないスキルがある、ということが最低限ビレイができるということですよ”、と後で教えたら、”そう言われたら、そのとおりなのに、全く思いつきませんでした”と言っていました…。
彼は、”先輩は落ちないから、ロープは持っているだけでいい”、と教わったのです。
■ リスク中心思考=落ちたらどうなるか?
落ちたらどうなるか?
ということと突き詰めて考える、ということは、登る楽しさゆえに見過ごされてしまうのが、クライミングの悲しい宿命なのかもしれません。
が、逆に考えると
落ちたらどうなるか?すでに保険を掛けてある、
という状態だと、後は何をしてもいい、と考えることができます。
ショートのフリークライミング、つまりいわゆるクラッギングなら、2名で行ったとしても、ちゃんと行って帰って来れるスキルが、どちらもないといけません・・例えば、片方が運転できない、とかダメです…。
完全にリスクフリーというのは、ありえないので、リスクが何か、分かっているというのが大事です。
例えば、私は50kgないくらいの体重ですので、一緒に登っていた相方が74kgで、彼がドカ落ちするとビレイヤーの私の方が危険が迫ります。
なので、落ちることが分かっている、ランジで取りました、みたいな登り方は、相方もしません。下のビレイヤーの方がリスクだということが共通理解だったからです。
インドアから普通にいつも落ちている登りをアウトドアでやってしまう人だと、たぶん、そのようなことも分からず、当然のように、下のビレイヤーが誰か?など考慮せず、普段通りのクライミングをしてしまう人が多数だと思います。
つまり、こういうことも、”クライミング技術”の一例なのです。クライミングは、”ビレイヤーの内容”が、どう登るか?にも影響して当然なのです。
それを分かっているのが、クライマーです。
誰彼構わず、じゃんじゃん落ちているということは、クライミング技術、がまだ育っていない、ということです。
奥村さんなら、クライマー以前というのではないでしょうか?
つまり、まだクライマーではなく、今からクライマーになるところの人、という段階ということです。
■ リスク中心思考への切り替え
これは私の考えですが、山と同じで、クライミングは、リスクから考えれば、すっきりします。
リスクを中心に考える思考回路を身に着けたら、それがクライマーとしての完成となるのではないでしょうか。
世の中には完全なリスクフリーはありません。
数あるクライミング形態のうち、もっともローリスクであるのが、トラッド。命がかかる支点を他人任せ(ボルトを打ったのが何年の事なのか分からないとか、誰なのか分からない)にしない。カムによる支点のクライミング形態だと思います。
私もまだカム設置の能力は完成しているとは思いませんが、それなら、落ちないようなところを登るというリスクコントロールが可能です。
なんせ、カムは100% 自己責任ですから、ボルトの信頼性が分からなくても、カムの信頼性は分かります。
支点間の距離も、自分の見極めで、怖ければたくさん取り、大丈夫だと思えば、落ちたとき保険にならないことはない程度に間隔を広くとることもできます。(まあ、岩に強いられて、クラックがあったとしても、浅かったりフレアしていたりして、取れないことはありますが。それこそが岩との対話で、クライミングの愉しみの一つです。ランナウトに耐える能力は、そのような時…ここぞというときに取っておくものです。)
ボルトだとそんな芸当はできません。見ず知らずの人…つまり施工が上手な人か?それとも下手くそな人か?も分からず、さらに言えば、そのボルトはいつ打ったのか?もトポにあることは日本では稀です(台湾の龍洞ではエクセルで管理されていました)。
ボルトだから大丈夫だと思っていると、グージョンではなくカットアンカーかもしれません。
そして、それは、見た目では全然判断できなかったりするのです。私の山梨時代にも、カットアンカーとグージョンの見分け方を教わった覚えはありません。
(山梨では、もはやレガシーレベルのカットアンカーを使うような人がいなかったためかもしれませんが…。私も開拓者に出会ったとき、当然のようにFixe社のボルトを物色しました)
■ ボルト配置の不利・有利 グレードは相対的なものですよ
ボルトルートのボルト配置は、トラッドのピンクポイントと同じで、クライマーにとってはなんの合理性もない配置というのもあります。
特に背が低い人にとっては、背が高い開拓者が選んだボルトの配置は、ムーブ的な整合性は全く取れない位置かもしれません。
つまり、そのピンに行くまでに、ワンムーブ多く必要で、そのムーブのスタンスが極小、ということはありうるということです。極小スタンスに乗らないといけないとすれば、それは全然クリッピングチャンスではありません。安定したところで一本入れるべきです。
背が高ければ、そのスタンスに乗る必要はないので、背の高い人にとっては同じグレードでも易しくなります。180cmある男性クライマーは、核心部が飛ばしてしまえるそうです。
つまり、同じ5.9でも、小さい人にとっての5.9は一般的な人にとってより難しく、大きい人にとっての5.9は易しいことが多いということです。
もちろん、これは傾向であり、逆に小さいほうが有利な課題もあります。例えば、リン・ヒルは手が小さくてクラックに手を入れられるために登れることが多く、大柄で手が大きいクライマーは頻繁に愚痴っていたそうです。
そういう知識があることも、”クライミング技術”の一つに入るかもしれません。
■ コンペはクライミングの本質ではないですよ
なにせ、クライミングをスタートしてすぐは、
クライマーとしての優劣をクライミンググレードで付ける
のが当然だと思い込んでいます。つまり、ハイグレードを登れるほうがえらいと思い込んでいます。
クライマーの優劣が、クライミンググレードでつくのは、コンペの世界だけ
です。もちろん、コンペで優勝することは喜ばしいことですし、努力の証と言えますが、だからと言って、人間として優れているというわけでは当然ですが、ありません。
お受験の勝者が人間として優れているわけではないのと同様に、あるモノサシで計った時に、たまたま、その人が一番だったというだけで、別のモノサシで測れば、別の人が一番になる。
『ビヨンド・リスク』 よりさらに言えば、10aでひいひいやっている人と、15でひいひいやっている人は、別のグレードで同じことをやっているだけです。本質的になんら変わることはありません。
クライミングを何年もやっていて、なぜ、それが分からないのか?そのほうが私には不思議です。
グレードで人間が一直線に優劣で並んでいる、という見方は、高速道路で隣の車とスピード争いをしてしまうと同じくらいの短絡した見方です。
スタートも違えば、目的地も違うのですから、どっちが登れるか?で、上下を決めることほど、愚かなものの見方はありません。
10歳でスタートした人は20歳でスタートした人より有利ですし、30歳でスタートした人は40歳でスタートした人より有利です。50歳でスタートした人が、15歳でスタートした人と比べて、そう伸びしろがないのは、誰が見ても明らかです。15歳の人が50歳の人を馬鹿にすべきでしょうか?
年齢は一つの例にすぎません。性別、持っていまれた体格、握力、指力など、色々個人差があり、それぞれです。ハッキリ言って、背が高くて、ひょろ系体形、指力強い人が有利です。
グレードが高い事が一つの有利になるとすれば、
取り付いてよい課題の選択肢の幅を広げる、
ことです。5.9しか登れない人は一つの岩場で大体1つか二つしか登れる課題がありませんが、5.13が登れる人は、同じ岩場でも、大体全部の課題が登れます。
偏差値50の人が行ける大学の数は限られますが、偏差値74の人が行ける大学の幅は選り取りみどりです。
これで回答になったでしょうか?