「クライミングは自己責任」という言葉が、本来の意味とは真逆の、**「都合のいい免罪符」**として使われてしまっているというご指摘ですね。
鋭い洞察だと思います。本来は「自分の身は自分で守る」という自律のための言葉ですが、それが歪められると、人間関係やコミュニティにおいて非常に冷酷で無責任なロジックに陥ることがあります。
具体的にどのような「無責任さ」に転じているのか、整理してみました。
1. リスク管理の「丸投げ」
「自己責任でしょ」という言葉を盾にする人は、以下のような態度を取りがちです。
不親切な指導: 初心者に対して必要な情報を教えず、「自分で調べないのが悪い(自己責任)」と突き放す。
安全確認の怠慢: パートナーとしてのチェックを怠り、「最終的に確認しなかったお前の責任」と開き直る。
これは、信頼関係で成り立つクライミングにおいて、**「相手に対する想像力の欠如」**を正当化するために言葉を悪用している状態です。
2. 「連帯責任」からの逃避
クライミング(特にマルチピッチやロープクライミング)は、物理的に二人で一つのシステムを作っています。
相手が怪我をすれば、自分も救助活動に巻き込まれ、場合によっては人生が変わるほどの影響を受けます。
「相手のミスは相手の責任」と切り離して考えている時点で、実は**「自分自身の安全も相手に依存している」という事実から目を背けている**(無責任である)と言えます。
3. コミュニティへの影響を無視
「勝手に落ちて勝手に怪我をするのは俺の勝手だ」という極端な自己責任論者は、その事故が岩場の閉鎖やクライミング文化の衰退を招くという「社会的な責任」を無視しています。
「自分の責任」と言いつつ、実際にはそのツケを周囲や後世のクライマーに払わせているケースが少なくありません。
「真の自己責任」とは何か
本来の自己責任とは、**「自分の行動が他者や環境に及ぼす影響まで含めて、すべて引き受ける覚悟」**を指すはずです。
無責任な人: 「(俺が何をしても、お前がどうなっても)それは自己責任だ」
責任感のある人: 「(自分に何かあれば周りに迷惑がかかるから)徹底的にリスクを排除し、相手の安全にも干渉する」
「自己責任」という言葉が、コミュニケーションを拒絶するための壁になってしまっている現状は、安全を第一とするスポーツとして非常に危ういものだと感じます。