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2024/06/27

【訃報】倉上慶大さん

 いや、びっくりしました。

なんで、富士山だったんだろうか?

三名の登山者が富士山で遭難というニュースが入り、またか~と山に不慣れな登山初心者なのかなぁ…と思ってニュースを聞きましたが、なんとクライマーの中でも

 プロ中のプロ

みたいな前途のあるクライマーの倉上さんが同じ日に富士山で持病で亡くなったというニュースでびっくりしました。

心臓に問題を抱えているクライマーであることは知っていましたが…、なぜ富士山…?

以下、いくつか彼の業績や考えが分かる記事が出ていたので、紹介です。

1)なぜ除細動器をいれなかったのか?

https://number.bunshun.jp/articles/-/856054

2)公式サイト

https://keitakurakami.com/

3)プロフィール等のまとめサイト

https://hiroko310.com/2024/06/26/kurakamikeitabyouki/

4)お話しされている様子が分かる動画

https://youtu.be/3ZMykleuF-4?si=jOZLj7vnDKwg3ACQ

5)雨猿ラジオ

https://podcast.app/rainy-monkeys-radioyu-yuan-razio-p2325189

声が素敵なクライマーでした。

■ Climbers We lost 

倉上さんは、著名クライマーなので、ロクスノに追悼が出るのではないか?と思いますが、本当に親交があった人からの文章であってほしいなぁと思います。

というのは、故・吉田和正さんの記事が出たとき… 誰でも知っている有名クライマーからの追悼文だけで、本人の身辺を良く知っている人たちの追悼文ではなかったように思ったからです。

私はもっと深く吉田さんを知りたかったので…亡くなったことを聞いてショックでしたし、もっとクライミングと吉田さんの深い関係について、良く知る人から聞きたかったです。

日本では、有名クライマーの追悼しかロクスノには載りませんが…アメリカでは、Climbers We Lostという特集があり、毎年、亡くなった一般クライマーの思い出や追悼の話がまとめて出されています。

日本もやったらいいのに…。有名クライマーだけでなく、誰の命でも大事な命です。

一般クライマーの死は取り上げない、取り上げられないから、大した命ではない、価値はない、というメッセージを、暗示で送ってしまっています。

そうしたら、犬死というような、つまらない死に方のクライミング事故も減るでしょう…

■ 命を輝かせて生きるほうが、長く生きるより、私は好き

私個人の意見ですが、私は、長生きするよりも、命を精いっぱい使って好きなことをして生きるほうがいいと思います。

私は7歳から希死念慮があります。希死念慮がある、ということは、自分らしく生きさせてもらえないくらいなら、もう死んでしまいたい、と思うほどに、自分のしたいことに命を使うことが本人にとって大事だ、という意味です。

7歳から希死念慮があるのは、なぜか?

子供時代というのは、親に逆らえない。逆らったら、生きていけないからです。

なので、”偽りの自己”を作り上げないといけなくなります。親の気に入る子供像を生きるということですね。

以後の人生は、偽りの自己を抜け出すための人生みたいになります。

■ 賞賛を求めず、クライミングを求めることの大事さ

クライミングをすることや、クライマーであることが、”本当の自己”なのか?”偽りの自己”なのか?は、人によります。

親が賞賛される子供だけを欲しがる場合、子供は子供自身を愛してもらえず、賞賛を得たときだけ、愛してもらえるということになります。

例えば、テストで100点を取った時だけ親が喜び、そうでないときは悲しむなら、無条件の愛ではなく、条件付きの愛です。子供自体を愛しているのではなく、テストで100点取れる子、を愛しているってことです。

同じことで、クライミングも、”登れる俺”が、自尊心の根拠となってしまう人もいます。そうなると、登れなくなった途端に自尊心の傷つきを抱えることになってしまう… 

そういうクライマーを何人も見てきました。

そういう風にクライミングを使う人もいれば、純粋にクライミングが大好きという人もいます。

私には、登れるか、登れないかは、どんな体に生まれついたのか?いつクライミングに出会ったのか?の差にしか感じられません。

私は、ヤングケアラーであり、優等生として子供時代を過ごしたので、クライミングというのは、登山も含めて、ですが、子供時代の自分らしさ…優等生キャラ…とは対極にあり、なんだか、もともとの冒険好きで元気で明るい女の子、という本来の自分の自我を人生の中盤で取り戻した感、があります。

もちろん、それは、私たち兄弟にはいなかった父親を求める、探索要求と重なったわけですが…。

今後、私がクライミングを続けるのか?まだよくわかりませんが、私は、倉上さんのように、クライミングに自分の、何か才能のようなものを見出しているわけではなく、単純にクライミングくらい、強度の強い、失敗の許されない活動をすると、ものすごく集中でき、その集中が、自分の散らかりがちなマインドを整えるのに貢献するのです。

やってみたら、水泳でもできるし、テニスでもできることが分かりました。要するにスポーツの技の習得に、マインドフルになればよかったのかも? バレエやヨガも、技の習得にマインドフルになる活動ですしね…。

なので、私にはRはイラナイ。普通のクライミングで十分集中できるからです。いくら5.8でも、40mランナウトはイラナイ。

それにしても、彼の千日の瑠璃などの業績は、すごいものでした。

九州では、レベル感が40年前のままで、いくらランナウトしても、5.8では、現代のトップクライマーのレベル感を持ってすると、赤子の手をひねるくらいな簡単さなのではないか?と思ったりしました。

そのようなレベルで自我の源泉にしてしまうのが陳腐というか…。自己肯定感を上げる、という目的に使うには、時代感覚的に、遺物になってしまっている…。

もちろん、自己肯定感を上げるために何か成果を求めること自体が、そもそも、条件付きの愛を、本当の愛だと間違って求め続ける行為ではあるのですが…。

■ 人間の器が試される

クライミングや山登りって、正直な自分自身が試されます。

ちょっとしたミスや思い違い、かけ違いで、死ぬとなれば、いい加減なことは、普通はできないからです。(ナルシストで頭が悪い人の例外を除く…笑)

それを思うと、彼の業績から逆算すると、いかに器の大きな人だったのか?ということがうかがえると思います。

ご冥福を心より、お祈りいたします。

■参考記事

故・吉田和正さん https://allnevery.blogspot.com/2016/09/blog-post_68.html 

故・村上周平先生 https://allnevery.blogspot.com/2022/04/blog-post_19.html



           ジャンボさん、私、倉上さん


2022/09/06

ものすごい台風の夜に木下さんというクライマーの死を知る

■ものすごい台風

今夜はものすごい台風で、重低音の風音が鳴り響くので、目が覚めてしまった…。現在、夜中の3時。私は夜間低血糖があるのですが、これくらいの時間に低血糖ならしく…空腹。

重低音の風音=自動的に恐怖=覚醒。

窓辺で寝ている=モノが飛んできたら、ガラスの破片にさらされる? 6階ではそんなことはありそうもないが、自動的に目が覚めて覚醒してしまう。 

こういう資質が、山では役立つ。沢で寝ているときとか… 増水を見越して、沢ではロープを垂らして寝ます。

覚醒したので、パソコンをつける。すると、きのぽん、の愛称で呼ばれる、内輪では著名なクライマーが亡くなったニュースが飛び込んできて、あら…だれだろう?と思ったら、木下徳彦さん、というよく見かけた名前でした。けんじり君が詳しくネットにあげてた。

ーーーーーーーーーーーーーhttp://selfbelay.seesaa.net/article/439644542.html?seesaa_related=category

やむなくゴルジュの中で泊まるときには、増水しても逃げられるような対策をしておきたい。急な増水はひとたまりもなく、時には命さえ奪うこともある。ゴルジュの側壁を見て、高さ5~6mも上にある草が倒れていたりすれば、そこまで水位が上がる事が分かる。どんな天気でも上流に雪渓などがあれば、鉄砲水の恐れがある。絶対大丈夫ということはありえないのだ。

【寝る】
 雨の来襲がありそうな時は、いざというときに備えて、ザックに荷物をしまって、すぐに脱出できる様にしておくことが大切だ。ゴルジュの沢では増水は非常に早く10分程度で増水する。辺り一面に荷物を散らかしておいたがために、増水であらゆるものが流されたという、笑うに笑えない失敗談を聞く事もある。本当に危険な場合は、ウェットスーツを着たまま、靴を履いたまま寝たほうが良いだろう。寝具といっても、泳ぐような季節の遡行はシュラフカバーのことがほとんどだ。靴を履いて寝たところで、使用不能になるほど汚れるわけでもない。足が保温されて暖かいぐらいだ。ウェットスーツも着ていれば、かなり体がポカポカする。ビバークザックという袋状のレスキューバッグがあるが、シュラフカバーの外側に使えば、寒さから逃れる事が出来る。

ーーーーーーーーーーー引用終わり

ノー天気な九州のクライマーといると、何を大げさな、って付き合ってられんと言う顔をされてしまうのですが、脳天気なのは、どちらかというと九州のクライマー側だと思う。

こちらでは、アプローチがほとんどないスポーツルートとか、ボルダーだけで、リスクがある山は、高齢化でやっていないとか、事情は分かるようになったが。

■ 習慣と惰性…山以外に何をしたらいいか分からないから

こちらで尊敬されている御年74歳の米澤さんが山に行くのは、

 山以外に何をしたらいいのか?もはや分からないから… 

でした。

 私はまだ若く、山以外にもやることがある

ので、山に行くのは、行きたいときだけ、でいいかな。老後まで取っておきましょう。

米澤さんは、当時で74歳だったけど、そろそろ誰かがついてやらないと危険かもしれない…。ビレイループが二重に加工されているほどの用心深さでしたが、山って滑ったり落ちたり、で、

若い時には、危険でないことが危険になっていくのが、年齢と山の関係

 ですよね。

■ 山屋のベストシーズン40代で散る

訃報が出ていたクライマーの木下徳彦さんは、特に年齢には問題ないというか、まだ40代後半だったのではないかと思います。74年生まれと言うことでした。荒木さんくらいかな?

男性クライマーの更年期は50歳。

なので、40代後半だと、体力は落ちつつある感じではあっても、山を小さくする発想は持ちづらいだろう…。

一般的には、若い時から継続して登っていたら、40代が一番安全。

理性と体力がマッチして、もっとも合理的判断力に優れる年代です。頼るなら40代の山やです。50代の人は、すでにだいぶ体力落ちています。

ゴルジュにドボンで亡くなったらしい…という経緯から想像するに、体力の限界付近でやる山が若い時から続いて、年齢と体力低下を自覚して、山を小さくする前に亡くなったのかな?と思いました… 記録を見ると、どんどん、高度化していっていたので…、台湾の沢とか。

台湾の沢は、私も海外遡行同人で話を聞いてきたことがありますが、普通の山岳会の見識を越えるハイレベルです。

仙人集会って、山じゃなくて報告を聞くだけなのに、御坂山岳会の先輩を誘っても、「めっそうもない。俺なんて、そんなとこ、行けない」と金玉縮んじゃって、誘っても一緒に行ってくれる人を見繕うのが大変でした…。

海外遡行同人の幹事の方も高齢化し、集会は催行されなくなった…。

ネットで山の知識を分かち合う場

 とか出来たらいいのに…。山行報告を良く聞かないと、山の内容っていうのは、甲乙つけがたい、内容を吟味しがたいものです。Zoomで山行報告したらいいのではないかな?公開で。

例えば、赤本『チャレンジアルパイン』のデータ主体の内容だけを聞くと、相当数の男子が、”俺にも行ける”、とか思ってしまいます…(><)。

ベテランたちに泣きついても、めんどくさがって、

 ”そんな(アホな)奴は、ほっておけ”

とかしかいわないし。

九州以外では、誰も面倒見よくないですよ。 

面倒見てあげたほうが良いような、ちゃんとしたいクライマー達…フランベの子たちとか…も、実力の見極めに関しては、自信過剰なのでは?と思います。傍証としては、クロスケオテ沢の初登記録がエイドだったこと、かな…。ちゃんとしたアルパインのクライマーから話を聞く機会がないから…そうなってしまうんだろう。

■ お一人様クライミング

師匠の青ちゃんも、お一人様アイスクライミングで墜落して、メジャーな湯川で近所でほかの人も登っていたのに、なぜか、発見してもらえず、腰椎骨折の大手術後に私に会ったので、私はリハビリ要員でした。

最近、秋になってきたし、栄養療法で、体力も、だいぶ戻ってきたので、岩場で一本、な気分が復活してきたのですが、一人で登るのは、いかなる場合でも、危ないよな~。たとえ、トップロープフィックスで登るにしても、誰かいたほうが。岩場って、一般登山者に見えない、隠れたコソコソした場所が多いですし。

昔の人は、街の中で、石垣を登っていたそうですが、クライマーがすでにクライマー自身の評判を落としてしまった後の世代は、そんなことは、もはや許されマジ、です。

■ 死にざま

人はいつ死ぬのか?選べません。この木下さんというクライマーの死は、納得と言うか、犬死ではないと感じました。

犬死っていうのは、今初めて人工壁でクライミング習っているところで、ビレイも習得できていない、お上りの人が、根子岳行きたいです!とか言って、根子岳で死んでしまうようなのです。2段を登りたいと言ってノーマットで3級の人が登っているとか。

木下さんの死は、こうしたアホ垂れ系と全然違う。この方は、まっとうな山やらしい生き方をしたんだなと思いました。

よく遊んでいるな~ って感じの記録のかずかずだった。

仏教では中道を行けと言われますが、命を堪能するためには、

突き抜けろ

とも言われ、どっちが本当なのだろう?と常日頃、考えていますが…。

この方、突き抜けていますよね。

こちらで 木下徳彦さんの記録が拝見できるようです。

ご冥福をお祈りいたします。

http://selfbelay.seesaa.net/

   写真は記事と関係ありません。当方が登っている様子


2022/04/08

【訃報】村上周平先生

 ■訃報  村上先生

山岳総合センターのリーダー講習で、私の班の講師をしてくれた村上先生が、突然亡くなられていたことを昨日、知り、ショックです…


■ 引っ越してきた人はメンバー集めができない

パタゴニアで講演会があったので、その機会に、七倉沢での雪訓を提案しようかと先生にメールを打ったら、返事がなく…お忙しいんだな…と思って断念したところでした…。

去年もチャレンジし、去年はコロナで講習シーズンの先生の予定が空いていたので大チャンスでしたが、有効な数のメンバーが集まらなかったんですよね… でも雪上訓練なしの冬山なんてありえないし…。

というのは、こちらの若い人の会を毎年見ていますが、会の最大のイベント冬山合宿がなかなかきちんと催行できないでいるからです… GWの雪訓が無ければ、誰だって本格的な山には踏み込めませんから、仕方ないよな…と見ていて気の毒だったのです。

その前の年も、危急時講習を開いてもらおうとしたら、講師料は無料でいいよ!と先生は言ってくれたのでした…

しかし、残念ながら人を十分集めることができそうな見込みがなかったのです… 引っ越してきた人というのは、知り合いゼロなので…

■ いわゆる”登り返し技術”などは、”危急時講習”で教わる項目であることが新人さんは分からない

55mの登り返しができない人は来るな!という話題が、フリークライミング協会関係の人のブログに上がっており、現代のフリークライミングのクライマーの技術不足によるチャレンジが、問題視されていましたが…

神須ノ鼻のこちらの記事 http://blog.livedoor.jp/jamminggentleman/archives/28868811.html 

登り返し技術って、フリークライミングの教科書の中に出てきませんよね? ビレイ講習とかトップロープ講習、リード講習というのは聞いたことがあっても、

 懸垂下降講習、

 ローワーダウン講習、

 登り返し講習、

 自己確保で登る講習、

 ビレイヤーの自己脱出講習

 介助懸垂講習

…とか、フリーの世界で、聞いたことがないです。

ユマーリングというのは、エイドクライミング、ですから、フリークライミングを教えます、と標榜している講習が教えなくても、普通のことですし…。

エイドの技術も、要る、必要性がある、という自覚が、フリークライミングの指導者の意識の中には、存在しない訳で、教えられていないものを、ジム出身のクライマーに求めても、そりゃ無理だろうと思います。

アルパインの技術講習の中では、上記のようなことはすべて、

 危急時講習

に含まれます。しかし、危急時講習ときけば、フリークライミングのクライマーは、

「緊急で危険…って、フリークライミングでは起こらないからなぁ…」

ということで、誘っても誰も来ません。甲府時代もフリーの友人をレスキューの講習に誘いましたが来ませんでした。

こういう仕組みで、フリーの人たちは教えられそこなっているのです。

山岳会に属していない人たちはなおさらですが、昨今は参加していても、指導体力がない、ということがほとんどのケースになっています。やっても表面だけで実践できないということです。

アッセンダー&マイクロトラクションによる登り返し

https://allnevery.blogspot.com/2021/04/blog-post.html

https://allnevery.blogspot.com/2021/04/ct.html

ダブルストランドでより安全なバージョン

■ 後悔… 人の命はひと時のことなのだ…

去年、自腹を切ることになってでも、何としても頑張って、やっておけばよかった…。

人の命は突然失われることもあり、時間は無限でないと、弟の死で分かったはずなのに、やはり、また同じあやまちを繰り返してしまいました… 

村上先生は、チャーミングな方でした。

私が打った、ゆるゆるのハーケンをこっそり抜いて、後ろ手に隠して生徒を慌てさせたり、ザックに荷をつめるのが遅い人たちを、ボケっと待っていたら、先生が「すいません!」と言ってきたり…、それで、パッキングが遅いというのは、ダメクライマーって意味なんだなぁと… そんな風な指導をしてくれた、先生でした。

リードの仕方を教えてくれたのも先生でした。立木で支点を取りながら、簡単なところを登っただけですが、霧が晴れるように、意味が分かった瞬間でした…。なので、私も同じ教え方を後進の人にはしています。リードクライマーに付き添わせて、同じことをさせる、という教え方です。

八ヶ岳のバリエーションに行くときは、先生の知り合いであることで、少し安心が増えた。

先生は遭対協の方でした…

八ヶ岳の救助では、愚かな記録が多く、いつも怒っていましたっけ… 私が一人で、阿弥陀北稜に行った時は、万が一の保険になってくれました…。

あの時は、海外から取り寄せたドッグボーンがなぜか大量に来て、先生に引き取ってもらったのでした…。バリエーション後に引き取りの約束をしていたので、私が現れなければ、先生が遭難に気づくだろう、という段取りになっていました。

先生の安らかなご冥福を祈っています。