2022/08/31

大人の発達障害の増加=現代初心者登山者の遭難増加 かもしれません

■ 大人も発達障害 

こちらにNHKの記事がありますが、成人の発達障害の事例も増えているようです。

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4480/

師匠の青ちゃんは、確実に、「俺、ADHDだから」という自覚があったようですが…それでも、お勤めを立派に果たし、お孫さん数名の立派なおじいちゃん。

日本初のレスキュー隊の隊長を30代の若い時から務めて、山でADHDが問題になる、という様子だったことは、集合時間を間違えて、車で凍えていた時くらいでしたが… 先入観というのは、強くて、阿弥陀のバリエーションの初級のにさえ、警戒して行きたがらない…『八ヶ岳研究』くらい、上級者だから知っているハズというのは、こちらの先入観で、知らないようでした。

行ってみて、なんだ簡単じゃん、となって、途端に「もー帰ろーよー」となってしまい、勝っちゃんと私のリード練習には一切無関心なようでした(笑)。この行動、今思うと発達障害っぽい。

青ちゃんは、上級者でしたが、そうでなくて、一般登山(ロープが出ないレベルの山しかしない)人たちの間で、

  認知症&発達障害

の度合いが強いのではないか?と思います。

■ 自閉症? 文字通りにしか言葉を受け取れない

先生が教室に入って「暑いね」と言えば、何も言われなくても、窓を開ける、のは、私は日本文化の問題かな?と捉えていました。アメリカでは、先生の側が、「窓を開けてください」と指示するのが普通です。が、多文化カルチャーなので、日本人のように、相手の意図を察する、というのが、社会人の常識化されていないためです。

しかし…日本でも同じ現象が起きているので、これは、教育や文化の問題ではなく、

発達障害

としてとらえ、

栄養学的欠損

の問題としてとらえたほうがいいのかもしれません。

事例としては、

 落石注意

本当に立ち止まってラクを見てしまう人が多数。

「落石注意」→ 「速やかに通行せよ」

アクションベースの指示語に書き換えるべきかもしれません。 

 

■ 栄養施策の違い

実際のところ、米国では、法的に強制添加されている葉酸が日本の小麦には添加されておらず、ガンを含む、ほとんどの成人病が

質的栄養欠損

の結果であると指摘する医師もいます。実際、米国で下がっている認知症患者やがん患者の数は、日本国内では増加しています。 

 

 

■ 負の強化子

しかも、山小屋は、ジャンクフードを推進する負の強化子になってしまっているのです。


 

2022/08/29

オルタナティブライフへの回帰を感じる承認欲求

■ 承認欲求は続くよ、どこまでも

山も上級者になると、ピッカピカの新品のゴアテックスのジャケットなんて着ているとダサいから、みんなくたびれた服を着て、”ベテラン風情”をそこはかとなくPRし始める。 

実際、”山で高齢者でピカピカの服を着ている人”は、ガイドさんたちの側も、「お上りさんなんだろうな~」と思うし、そう思われるようにしていることは、生存戦略上、正しい。間違った登山道に迷い込んでしまわないか、気を付けて見ていてもらえるからだ。


先日、焼き畑の会に行ったら、いつも畑で着ている服で行ったけど、くたびれ度合いが足りていなくて、「もっとくたびれた服、来てくればよかった…」と思った(笑)。焼き畑の会のような、自給自足度=達成度、みたいな場では、服はヨレヨレであればあるほど、素晴らしい…。

ので、結局、大人になっても、承認欲求…つまり、みんなに
 

「仲間であると認められたい」

気持ちは、消えないものである。
 

以前、大学教授をやっている友達のデイブに、ポツンと野ざらしにされているBMWを「あれ、どうしたの?」と聞いたら、「大学教授になってすぐのころ、教授仲間に入るために欲しかった… 愚かだったよ…」と語った。

高い承認欲求代だ。

かんがえてみれば、大学に入りたい!というのは、基本的にアミューズメントパークと現代の大学が言われて久しいことを思えば、エリート仲間に入りたい!という承認欲求代。で、車より高いかもしれない。

そう思えば、夜学の国立四大というのは、安い承認欲求代金だとも言えるか。育英奨学金の返済に20年かかったけどね。

■ 藍染め…ヒッピー界隈での流行

昨日は、ぶらりと入った手作り用品の店で、糸島の作家さんの藍染めのズボンを見てしまい、つい、衝動買い…14000円也。

いや~、負けてくれたけど、出費しちゃったなぁ…トホホ。

これも、ヒッピーライフへの承認欲求であろう…

ヨガをスタートした時は、ヨガウエアが、その承認欲求のために必要で、ブラックマット19800円也(もはや使っていない)。山をスタートした時は、山ウエアが、その承認欲求のために必要で、私はエコロジー派なので、いやいやながら消極的選択で、パタゴニアに出費。

…仲間に入る費用…コストがかかる。

■ アデュー!クライマー時代

でも、一つの活動を手放し、次の活動に移りつつある、サインともいえる。これは、諸行無常を考えると、良いことだ。

 承認欲求が自分らしさへと同期していれば、

別に受け入れても良いのではないだろうか?

BMWを買ったデイブも今では、軽トラである。

これは、私のクライマー時代が、現在、さらに遠のいているという意味でもあると思う。

アデュー山時代。ウェルカムヒッピー時代。

(ヒッピーというのは適切な語が日本語にないための便宜です)

参考サイト

https://swingroot.com/disappear-esteem-needs/

2022/08/28

現代的な教え方vs昭和の教え方

■ クライミング技術の教え方もこれくらい分かりやすくしないと現代初心者には、むずかしいのかもしれません。

一度実績を作ったクライマーがチャレンジを継続しないのはなぜか?

■ 評価されるからやっている人の行動

評価されるからやるという場合、一度、優勝などの実績を作ってしまうと、次は負ける可能性が出てくるのでやらなくなる、そうです。

登山やクライミングで、一度、有名になる登攀をやったら、そのあと、さっさと足を洗ってしまう人いますよね…

結局、その行動が何を示しているか?というと、その人は、承認欲求のために、活動していたってことですね…

 22分ごろに、語られています。やっぱりそうだったのか~系。

2022/08/27

Climbers We lost を日本にも! 不浄観として、死を見つめる

■不浄観

・不浄観は特に貪欲・色欲(性欲)の強いものにこそ推奨される瞑想
・逆に厭世観の強い者や瞋恚の強い人には推奨されない
・厭世観の強い者がこれを修すると自殺してしまう可能性がある
・瞋恚の強いものがこれを修めれば、その不浄なる対象に対して嫌悪・怒りを覚え、逆に瞋恚を強めるなど、逆効果となってしまう

不浄観(不浄=死体を眺める)という瞑想です。

肉体へ対する執着が強い人(=性欲が強い人)が行うべしとされているそうです。


つまり、ポルノ雑誌ではなく、死体雑誌を見よ、というのが、性欲に対するお釈迦様の回答。いや~、お釈迦様、現実主義者ですね。

■ 20××年に亡くなったクライマーたち…という死の見つめ方

The Climbing のサイトには、その年に亡くなったクライマーの写真を集め、実名公開しているサイトがあります。

なぜ日本のサイトでは作らないのかなぁ…

日本では、若い男性と高齢初心者の男性の死亡率が特に高いです。

若い男性クライマーが実力をはるかに超えるルートに行って死んでしまう理由は、3歳児の子どもが親元を離れて行ってしまうのと同じ、”無敵神話”によるものです。つまり、現実的にリスクをきちんと解析してやっているわけではない、です。

つまり、自分の能力への幻想や登りたい夢のほうに、思考が向きすぎており、

  客観的に何ができればどこに行って良いのか?

という計算のほうが、お留守気味、というのが、全年齢層の男性に適応できる法則のようです。

なんせ、事例として10年クラックを登っていても、カムの配置が悪くてロープをスタックさせてしまう程度のクライミング習得度でも、とっても自信満タンにしてしまうのが、平均的と思えるクライマーの自信のあり方、なのです。グレード偏重主義の弊害ですね。

用心として、全般に 男性クライマー 自信過剰気味…

■ 他山の石…実例が足りていない

亡くなった人のリストやその原因の究明から、学ぶことができれば、他山の石、です。同じことを繰り返す愚は避けられるでしょう。

今後多くの人が亡くなっていくでしょう…アルパインの技術伝承がより困難になっていく、ということ以上に、その死を無駄にしないためにも、こうしたサイトの整備は、

同調

が、基本的な行動原理の日本人には、非常に有効でしょう。

同調が行動の基本原理だから、槍に65歳で初めて登山を始めた人が、「夢でした!」とか言って、渋滞を作ってしまうわけです。 渋滞=危険、という発想がない。

夢でした!と言えば、人としての掟的に誰も反論できないのが、高齢者にとっての”夢”。

しかし、その言葉自体が、同調したい、仲間がやっていることを自分もしたい、という程度の幼稚な欲求から発せられたものですから…。

そんな愚かな理由で、山で死なせるほうが、人としていかがなものか?です。

とは言っても、そのままストレートに言うと角が立ちますから、どのような経緯で山での死を迎えたのか?死者に語ってもらうのが、最も穏便な手段であると思います。


 https://www.climbing.com/people/climbers-we-lost-2021/

 

世界でトップクライマーが続々と発言をスタート

■マリアンヌさんの体験シェアサイト

こちらは、韓国アイスに行ったとき、たまたま会ったワールドカッパー(選手)のマリアンヌさんのサイトです。

クライミングは、競技と冒険では、全く正反対のベクトルに活動が分かれてしまっています。

競技しかしないクライマーは、全く冒険者ではないです。そこに衆愚があります。一般の人はスポーツクライマーを命がけのアルパインクライマーと混同しています。アルパインには命がかかるが、スポーツクライミングには、かからない。

                   一般市民  /   クライマー   

アルパインクライミング = 命がかかると思っている/命がかかると分かっていない

スポーツクライミング =命はかからないと知らない /命をかけなくて良いのにかけてる

 この極端な価値観の中に さらに

フリークライミング が入るので、誰かちゃんと説明してやらないと、クライミング、ということに対する理解がトンデモない方向に行き、10人十色になってしまっています。

■ 真の冒険は、確実な競技スキルの上に築かれる時代

 現在のトップアスリートの間では、真の冒険は競技で培った確実なスキルの上に築かれる時代になっています。

マリアンヌさんは、外でも登っていますが、日本でこんなミックスは登れる人いないのではないか?というM10程度のを見たことがあります。M10って、その辺の山岳会で、普段ん外岩で、なんとか5.12をRPしているような程度の男性には登れないですよ? M7でも厳しいカモです。

スキルなく、リスクだけを積み上げていくことは、いわゆる、”無謀”、です。

このことはみんな分かっていると思いますが、この”スキルなく”のところのスキル見積もりに失敗している。

男性クライマー = 一般的に自信ありすぎ

女性クライマー = 一般的に自信なさすぎ

ですが、自信がありすぎる方が、死に近いです。私は、5.10cがやっとこさですが、それでもインスボン、セカンドですが、落ちたの2回とかです。初めて行ったときですら。そんなに難しくないです。登攀だけなら。何が難しいってトップを登るためには、リードのゆとりの厚みが必要で、その厚みが大変厚い、ということですよ。自動化という名の熟達度がだいぶ必要って意味です。

さて、アイスですが、日本ではアイスを登る女性は、トータル20人もいないのではないでしょうか?世界でトップを走っている女性アイスクライマーの方です。

韓国のほうがアイスという意味でも日本よりもクライミング先進国です。

https://www.sportsspeakers.nl/spreker/marianne-van-der-steen/?fbclid=IwAR16a8eeGHQbd1zDunoOBgehJe0Q0lLA62rGRv3sC3z1zMb6EQf4RIhD0FI

2022/08/23

100%自分原因説の否定

■ ロックオン!されます…

最近、一歩前進というか、以前と異なる行動様式をとったことがありました。

私はアウトドアでのリスク認知に適性があり、全体を見てリスクを先取りして考えることができます。例えば、このペースで歩くと夜だな?とか(笑)。

一番これが生きたのは、深南部での鎌ナギという尾根を通行した時です。このままいくと、どうなるか?について、気が付くのが、普通の人より早いです。鎌ナギの時は、このままいくと、全員でワンビバークだなと分かりました。なんせ懸垂下降をしたことがないハイキングの経験しかない人7人を懸垂させようというのですから。それで、行ける!というリーダーと意見対立して、大変でした。この事件は、登山歴〇十年のベテランリーダーで、かなり良心的な人でも、アルパインルートでもなく、かといって一般ルートでもない微妙なルート…事例としては鎌ナギ…では、見積もりが正確でも、さらに期待値を下回る現代初心者なので、ゼロベースで考えなくてはならない、ということが分かった事例でした。

話を戻すと、その危険予知能力を社会に生かそうかね~と思って、子供のキャンプのボランティアをしようとしかけたのですが、途中でキャンセルしました。 その理由は…。

ただの一介のスタッフとして出た説明会で、二人も三人も、キャンプ責任者ではなく、私に援助を求める人がいたから、です。

公平に見て、その説明会は、あまりこなれておらず、保護者の不安に十分こたえるような内容ではなかったことや、参加者同士が互いに知り合うことで不安を除去できるようなことにはなっていなかった、ということは、一理あります。しかし、それらを除外しても…。

困った!誰か!と思ったときに、”最初に見る人”が、責任者でなくてワタシ…(汗)。

1人がきただけなら、その人が特殊なだけですが、2人も3人も来たなら、誰か!と思ったときに頼られてしまう人は、客観的に見ても、一番頼れそうな人、なのでしょう…。

しかし、本来の責任を負うべきなのは、私ではない。しかし、それを責任者に報告しても、その人たちに対して、必要アクションを取るという行動は取れないようでした…。責任の範囲がミニマムな人だった。必要最低限ということですね。しかし、社会の要求は、必要十分を求めます。

■ いつものパターン

そして、私の脳裏によみがえる、板挟み状態…。

責任を十分全うしてあげる権限は委譲されていない(=登山で言えばリーダーではない)のに、あの人もこの人も、「なんとかして!」と私を見る… 

実生活に置き換えると、私は、”姉であって、母親ではない”のに、弟も妹も、母の代わりに”お姉ちゃん、何とかして!”と思っている…。

クライミングでは、私は、”クライミングインストラクターではない”のに、新人さんは、突っ立ったまま、”教えて!”と思っている…。

あるいは、私は、”海外に連れて行ってあげるクライミングガイド”ではないのに、相方は、”俺の飛行機券、予約して!”って思っている…。(しかも、建て替え)

あるいは、私は、自分の登りたいスタイル、今したいことは、たくさん易しいルートで経験値を貯めること、と分かっているのに、相方は、”俺のビレイをお願いね”とだけ思っているってことです…。

… というので、

  いや~、これは無理ゲー参加の道だー

と思って、ボランティア参加、取りやめました。無償労働なのに、嫌なことをするのは不幸の元。

一歩成長です。

■ 100%自分原因説?

一般に、人は、

 自分が思う未来を作り出している

と言いますが、私はこの説に不満です。

例えば、不安な保護者が、この人!と頼ってくるのが1人だけだったら、それは偶然かもしれませんが、3人もいるなら、これは、明らかに、この場合は、キャンプ責任者が頼りないということの傍証です。そのことは、私のせいではない。私自身は、何もそこに関与していません。

本格的登山での経験値に置き換えると、

 鎌崩でメンバーの能力がなく、そのことについてリーダーが無自覚だったり、

 自称ベテランのアルパインクライマーが支点ビレイをしている人がいたり、

 伝統の格式がある山岳会でのビレイがひどい有様だったり、

と指導者クラスが、頼りない、と表現できる現象が起きているのは、私の原因ではない

です。

原因は、私とは関係がないところにあります。

クライミングで起きた様々な事件も同じで、教えるところがないので、ダブった入門クライマー候補者たちが、藁をも掴むの、藁、として、私を掴もうとするということでしょう…。

クライミングパートナーが私を頼ろうとするのは、本人が、しっかりリードを学んだり、あるいは、航空券のチケットくらい自分で取る能力を身につけない、あるいはサボり、といううだけで、私の側に原因があることではないでしょう。 

私は、鏡のように映し出しているだけです…

原因は、どの場合にせよ、

 100%自分原因説

は、適切でないと思います。という観察ができたのが、今回の学習でした。

念のためですが、”自分の優秀性を確認するために、わざとこのようなことを起こしているのだ”という目的論は、却下です。

そもそも、善意で助けてあげようか?というだけのことでした。その上、私が特段、優秀か?というとそうではないですので、私が優秀だというより、むしろ、世間の平均が下がっているということの方が、現実を良く表現していると思います。

このマザーチンクシャーには、”殺されそう!”という思いを癒す効果があります。クライミングで、心に傷を負った人へ… 

https://hometama.com/index.php?MTS_Korosare

 

2022/08/22

コロナの次はサル痘…

■ コロナ禍

コロナもクライミング界では、あんまり関係ない話というか、アウトドアだから、密じゃないし、そもそも、クライマーは若年齢層が多く、年齢的に関係ないというのもあるし、高齢クライマーも、基礎疾患があるような人は、クライミング自体がそもそもできないから、クライミングに来ていない、ですよね…?

無理強いされたワクチン接種の害や、シェーディングと呼ばれる、打った人からの二次被害はあるかもしれませんが…。

・スパイク蛋白が、自己免疫機能を迷走させる。

・しかも、治験が終わる2023年までは、安全性が確認されていないもの。

そんなリスクの高いものを、リスクフリー大好き人間の日本人が、打つとは、思ってもみませんでしたが…。 しかも、9割も!

■ 宮沢教授

京都大学の宮沢教授がぶっちゃけトークをしていますが、要点は…

・コロナでワクチンを打った人だけを狙い撃ちできる生物兵器というのが可能
・それは、学者の間では、誰でも分かる常識だそう
・そこでサル痘等の話が、人口削減計画説…プランデミック説に信ぴょう性が出てくる理由
 
■ サル痘
 
”サル痘について 症状や治療・感染予防は?天然痘ワクチンも有効?【感染症専門医が解説】”
という動画が出ており、これを見ると、感染症としては、コロナより深刻ですが、感染するリスク自体が高くない、ことが分かります。
 
なんせ今のところ、性感染症にほとんど近いです。

 

■ 梅毒の流行

コロナではなく、梅毒の人が急増しています。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220817/k10013774861000.html

コロナ → 孤独 → することない → 鬱 

                  → セックス

みたいな人もいるんでしょうね…。 男性は、孤独を性風俗店で紛らわせる人が多いのかもしれません。

ま、クライマーにとっては、

  することない → クライミング練習

が、一番 生産的と思いますが。

■ 山の世界=やんちゃな俺自慢、は時代遅れの価値観かも?

山の世界の男性は伝統的に、なぜか、精力自慢、をする人が多く、山小屋でバイトしていても、山小屋を居酒屋と間違っている人も多かったし、お尻を触ってくるオジサンとか、いました…。

”山が好き、酒が好き”、というTシャツが売れるときは、必ず、定番のように、”女が好き”と追加する人もいたしなぁ…。オヤジ文化というのは、山の文化の基調にあって、許容されていたような気がしますが…。

これらは、新しい時代には、イラナイと切り捨てる方がいいような文化ですね。

■ テント泊で青姦

ってのも、どこで仕入れるのか、男性の消えないファンタジーの間にあるようでしたが…。

私は、ふつーにテント泊男子としていますが(明神主稜、等)、山で女性とテントの中で、むっふっふ、ってありえないですよ?普通に合理的に考えて。

 1)山には外的危険が一杯 例えば野生動物

 2)テントは薄くて、外に丸聞こえ

 3)必要な清潔が得れる装備がない シャワーとか

ま、1が一番大きいですね。

ツキノワグマに襲われた事例 https://bunshun.jp/articles/-/42467

上高地、ツキノワグマいますよね(笑)。

アメリカでは、食べ物は、ステンレス製のキャニスターに入れて木にぶら下げます。そんなくらい、リスクが身近って意味です。その辺がどうしても、

   頭がお花畑の登山客 や 現代新人クライマー

には、分からないのでしょう。新しくできるアルパインクライミングの教科書には、しっかり、書いておいてほしいです。

クライミングジムで出会った女性と、初小川山 → よっし!女性と二人でテント泊するなら、ラブラブの夜に持って行こう!

とか現代初心者クライマーは思ってしまうのかもしれません。私の経験では、アルパインクライミングをきちんと教わっていない人ほど、男女の同一テントや車中泊で女性の横に寝るとか、を嫌がる傾向にありました。教わっていれば、当たり前すぎるので、意識に登らないです。

たとえ、私の性パートナーである夫と、二人で小川山にテント泊しても、二人で、むっふーん、とかありえないですよ(笑)? 別にいつでもできるのに、格別、条件の悪いところでしなくていいです(笑)。小川山でも、まず、ないな。青姦というのは、彼女いない歴〇〇年の人の発想のような? 女性は決定的に嫌がるでしょう。

例えば、谷口ケイさんと平出和也さんの登山が羨ましがられて、二人は出来ているのでは?みたいな話は必ず上がりますが… まぁ、山のリスクを感じられない人の世界かも?

あ、話がそれましたが、

 サル痘 → コロナワクチン打った人は掛からないように

       打っていない人にはリスクが増えることはほぼない

奔放なセックスライフを送っている人は、いつの時代も、性感染症リスク対象者です。快楽の代償は、高いということですかね?


2022/08/19

なんで旦那にビレイしてもらわないの?という指摘について

 ■ ついに触れます!

いやね、私も夫が一緒に登ってくれたら、どんなに心強く安心できるか?と思いますよ…

でも、元君(=夫)には、精神的負担が大きすぎる、ビレイの責任が大きすぎる、んですよ。

事例1) 積雪期の中山峠(八ヶ岳)が怖い

事例2) 飯山高原のラッセル程度が怖い

事例3)GW 仙丈で、フリーズ

事例4)クライミングに連れて行っても、スマホ見てる

事例5)落石注意で立ち止まって休憩してしまう

事例6)厳冬期ヤツに富士山に行ったときの靴で行ってしまう

事例7)私がクライミングで墜落し、頭を縫う大怪我しても、事態が理解できない

■ 現代初心者、お上りさん、まんまの夫

夫は、実は、少年時代からカブスカウト、ボーイスカウト、でアウトドアスキルは高い方なんです。火おこしとか得意そうです。

しかし… 初めて行く北アに…白出沢からの奥穂を持ってきてしまう感性…知らない人のために言えば、白出沢からの奥ほって上級コースです。大慌てで、私は、前穂へ変えさせました。もちろん、初心者向けのコースへの変更です。

一番、これはダメだ…と決定打になったのは、GWの仙丈が岳です…。ガスが広がるという予報だったのですが、ちょうど、小仙丈でガスが…夫に走るように指示すると、意固地に固まる…つまり、リスクとプライドでは、プライドが勝つ、というわけです。

夫は末っ子なので、駄々をこねる=主張が通る、という経験があるのだと思いますが、自分の思いがあるとき、地団太を踏む、駄々をこねる、頑として黙る、部屋に閉じこもる、ということを行います。

これらは、パッシブアグレッシブ、と言われますが、非常に屈折した自己主張のやり方で、これでは、相手が折れざるを得ません。Lose:Loseの道をどうやっても選ばさせられるという意味です。

もちろん、春でも山でガスが広がるようなら、早めに下山するのがベスト選択肢、それができないなら、ビバークになりますが…、夫はそこまで先が読めていたわけではなく、単純に、「急傾斜は俺は怖いんだよ!」ってだけです。しかし、怖いだけでリスクはないことが多いです。私は走れる場所です。(ちなみに春山の富士山も走っておりました)

■ クライミングのビレイ

クライミングでは、最初のころに人工壁に連れて行きました。もちろん、先輩が私をビレイしてくれる時、です。先輩にビレイされている妻を見ても、「お世話になっています」とか「(妻の命をあずかってくれて)よろしくお願します」とかがない…(汗)。つまり、彼の視点では、妻の面倒を見るのは俺の役目だ、という視点が、えらく欠如しているわけです。

できないなら、できないなりに、助力しようという人は、基本的には、よく見ているもの、だと思いますが…。ずっとスマホとにらめっこ(汗)。

というわけで、夫にビレイをしてもらうという妻という図は、夢と消えました。

その後も、クライミングの節目になるような活動の時…例えば、吉田さんのスクール初日など…は夫を連れて行っていますが、私が落ちこぼれ気味なのを見ても、「俺が彼女を支えなくては!」という発想はゼロで、ビリケツの私を見て、「何やってんだよ」(汗)。下手くそだから習いに来ているのよ、みたいな意味が分からないみたいでした…残念。

夫の中では妻は、なにもかも上手に出来て当然だと思っているみたいです。それだけ、優れた人だと夫に認定されているのかもしれませんが、ちょっと違う気もしますよね…?

一緒に登っていたモウアラさんは、ビレイヤー男子がジムで見繕った人はみんなダメで…旦那さんが、よっしゃ!とクライミングに参加してくれたという経緯がある女性クライマーでした…羨ましい。夫唱婦随の反対バージョンです。

仮に、妻を守るのが夫の役目なのだとしたら…モウアラさんの旦那さんは、それをきっちりやっていますね…

一方の私の夫は、私がビレイヤーに落とされても、「何やってんだよ」だったのです…

全然、愛されているようには感じられませんでした…

流産した時も、「なんでわからないの」で、介抱されているようには感じられず、責められているように感じました。 

クライミングを通じて、男の子ふたり兄弟の家庭に育った男性というものが、女性に著しく無理解である、ということは理解できるようになりましたが…。前の会の先輩荒木さんが、男性二人の兄弟の二番目で夫と同じ立場でしたので… ああ、これは女性経験がないから、知らないために男性ができることと同じことを女性に要求してしまうんだ、と思いましたが…。自分はすっかり私のビレイに安心して座り、時にはポンプアップも要求して来るのに、私には、ポンプアップしてくれたことは一回もありませんが? つまり、心の中に持っている女性像が、”母、一択”、みたいなんですよね…。

一方、私は、母、弟、妹、という女性が多い家族に育ったので、弟は、母、姉、妹、と360度の女性を知っているわけで、そのイメージで男性とお話しすると?男性の側の視野がえらく狭いことに驚かされます。

■結論

というわけで、一般的に、現代初心者の男性は、登山でもクライミングでも、

  知識が浅はか

なので、知識レベルの違いにより、パートナーは組めない、という点。

さらに言えば、

 女性への無知

により、パートナーは組めない、のです。

これまで、強い女性クライマーを色々紹介されましたが、100%恋人か夫をビレイヤーにしていました。ビレイヤー日替わりって人は見たことないです。選手クラスだと父親がビレイヤーです。

つまり、そこらの男子と組んでいる限り、クライマーにはなれないよ、っていう意味ですよ、逆に言えば。

女性どうしで組んで強い人、いたら、お目にかかりたいくらいだな~

私が夫と組まないのは、夫に対する愛の証明で、夫は夫がやりたくないと思っていることはしなくていいよ~ということです。たとえ、それが、周囲の人が当然のように得ている妻の権利、であったとしても、です。


 

2022/08/17

かっこいい俺=ナルシスト=社会ルールの逸脱に寛容

 
■ナルシスト=ルール逸脱に寛容
 
という目撃があるのですが… 本人の名誉のために、詳細は伏せますが、クライミングで、
 
  残置のカラビナとか、がすぐ盗まれる
 
のは、
 
 クライミングで吠える=かっこいい俺=ナルシスト
 
のカルチャーを全クライミング分野でプロモーションしてきた、マーケティングにおける、あだ花、かもしれません。
 
かっこよさをクライミング動機とすると、当然ながらナルシストが集まりますし、ナルシストは、社会ルールの逸脱を容易にやってしまう人たちだ、ということが、心理学的に明らかになっています。

■ パワハラ、ナルシスト上司に傷つけられた #自己愛性人格障害 #反社会性人格障害 #早稲田メンタルクリニック #精神科医 #益田裕介 / The ...

ナルシストは、搾取、権力乱用に寛容、です。  

これまでを振り返っても、俺一高から、始まって、赤信号無視に至るまで、ナルシスト揃いだったような? 女性は特にナルシシズムの被害に遭いやすいので要注意です。

クライマーには発達障害の人が多いのかもしれません

■ クライマー=ADHD? クライマー=アスペルガー?? 

私は、外大の後は、元々がパナソニックのロボット開発室のスタートですし、最後は三井物産新事業開発室を経て、競争社会を卒業したのち、山の世界に来たので、山の世界に来るまで、エリート社会しか、社会人経験がなく、山岳会、というのが、自分が初めて経験する、偏差値的意味では平均的な社会人集団、ということになりました。

日本社会では、偏差値で選り分けられた人が基本的に集団を作るので、あまり、自分の期待値と異なる反応を相手がする、ということは起こりにくいです。そのため、私はこれまでクライマーたちが、「え?」という行動を示す場合、

知性の問題、あるいは、無知の問題

と捉えてきました。例えば、カムの配置が悪くてロープがスタックする、など、です。

 教えられていないのでは?

です。これは善意での解釈ですが、一部からは、えらそうだ、という指摘を貰ったかもしれません。しかし、この批判へ反論するとすれば、私にも、アルパインの初級者としての限られて経験からしか見えないことは、当然ながら、あります。私は神ではないのですから、例えば、菊地さんやヒロケンさんレベルの理解を期待されても、当然できません。

が、同じ経験年数の男性と比して理解のスコープが格段に広い、あるいは長年(30年とか・・)経験していると自己主張する人(=ペテラン)と比しても、大きな失態(凍傷等)をせずに、生き残っている、とは言えるかもしれません。

自分自身をどれだけ客観的に見れているか?という比較では、やはり私自身のほうが見えている、気がします。これは傲慢ではなく、残念ながら、男性は男性としてのエゴ(慢)が目をくらませている、という傾向によります。皆さんの指摘より、最初から自分を初心者だと思って調べものしている、私の目のほうが確かだと思います。なんせ、95%まではクライミング界は男性なので、多数決…周りの男性クライマーがこう言っているからあっているだろうという判断基準…は、母集団的に間違います。

しかし、最近、知性の問題ではなく、性格や精神疾患も、絡んでいるのでは?と発見しました。

■ 新しい視点… 精神疾患の問題では…?

 最近、栄養欠損で深刻な鬱に陥ったので、精神疾患について、色々、勉強しました。

社会人クライマー = 相手の事情が分からない率が高い人たち

         = 結構、高確率で精神疾患保持者

かもしれないな~と思案中です。

■ エビデンス

1)自分が楽勝で手が届くボルトに、手が届かない人がいることが分からない

2)カム配置は、個人によって異なることが理解できない

3)すべてのボルトを一律、無条件に信頼。オールアンカーはさすがに信頼しなくても、グージョンとカットアンカーは見分けられない。ハンガーがついていたら、すべて信頼。
 

4)追い込まれたら、パワープッシュという戦略は、パワーに優位性がある人だけの戦略だと分からない。パワーに優位性がなく、ムーブにある人がやったら、落ちること確実な戦略になります。
 

5)特定のカルチャーが自分に優位に働いているだけだと分からない。

例:若さをたたえるカルチャー、蛮勇をたたえるカルチャー、など。

九州では、コーチ職の人が自己をなげうってビレイに徹しており、相手のビレイが不安な状態で登る関係性(=チャレンジすること自体にリスクがある)とか、信頼関係を一緒に構築していくプロセス(=最初はあいまいなビレイを受け入れて登るしかない)とか、分からない。

蛮勇カルチャーも、フリークライミングでは、落ちてもロープがクライマーをキャッチして死に至らないという原則なので、フリークライミングでのみ、歓迎される資質だが、アルパインクライミングで、蛮勇路線でやっていたら、初級ルート(=そもそも脆い)で死んでしまうし、現代のフリークライミングの岩場は、ボルトの経年劣化で、フリーではどこで落ちてもOKという原則が維持されていない上、身長が低い人にとってはクリップタイミングが、核心部の後になるので、墜落リスクとボルト脱落リスクの2重のリスクを同時に受け入れないといけない、ということになる。

このリスクフリーの岩場は、国内岩場には存在しない。したがって、初級者同士が自立的に登れる岩場がない。
 

6)客観性の欠如 
 

自分の余った身体エネルギーの消費(出し切る=すごいエネルギー消費量)が、目的のクライミングは、逆に言えば、非常に身体負荷が大きい活動だということに、無理解、がある。

■ 発達障碍者と認知症患者は、日本では増え続けている = 原因は葉酸

葉酸はアメリカでは、小麦に法的に強制添加されています。


 


 

登山のほうでも、夏山で、80歳の老女が北岳に一人で来たりしています。

皆ができることは、あなたもできる=誰でも登れる、と思っている節あり。人の能力は様々だということを心底は分かっていない。というのが私の過去の見解でした。

しかし、そもそも、北岳に80歳で来る=認知症、かもしれません。

■ クライミング

その上、体力量、困難度の標準化がされていないので、パワーの持続量に、全然、理解が届いていない。

例: 

量: (5.9をうんうんうなりながら、やっとこさ1本登れる人) < (5.9 を10本登っても楽勝の人)

困難度: 5.12の中でも様々な質、スラブ、フェイス、ワイド、トラッド、オーバーハング

 

他にも、色々あるかもしれません。

例えば、背が高く体重が重たい、がっちり体形=アルパインで歩荷が強いタイプの体形の男性は、クライミング下手、と、大体みんな分かっていますよね…。それは能力ではなく、個性、と判断されていると思います。 

(ふと思った…。そういう人は、セカンド専門要員として、技術を与えられず、誤解したまま、相手にいいように使われている、というようなことも起きるかもしれません。なぜなら、男性クライマーは、俺がトップを取る、と基本、リードを取るのが争い、だからです。その人が、ぼうっとした人だと、テクニックの間違いも指摘されないまま、かもしれませんね。そのほうがリードできるようには成長しないので、便利なうえ、安全、だからです。ある意味、気の毒ですね…)

■ ADHDでは?事例

私の経験から、ですが、年配の初心者をマルチにセカンドで連れて行ったとき、懸垂のセットをしてもらおうとしたら、なんと支点にロープを通す前に、ロープを投げてしまいそうにしていました…。

これなど、私は、手順だけを暗記して、肝心の要点をきちんと理解していないために起こる現象、と捉えていましたが、そうではなく、

注意力散漫=ADHDやアスペルガー等=精神疾患

かもしれません。

もし、そうだとしたら、その人は、本人がいくらしたい、と言っても、クライミングのトップは、させないほうがいいですよね?

人的エラーは、主たるクライマーの死因です。

また、エゴグラム診断で、NPが低い人は、事故率が高い、なども統計的に抽出できるかもしれません。トップを登るリーダーに必要な資質は、伝統的には山岳会で観察により、より分けられた来たものと思いますが、より客観的な指標を導入するべきかもしれません。

マルチでトップが取れなくても、別にショートでのリードは誰でも出来ると思いますし。

(でも、スポーツ出身の人はスタティックに取らないで、すぐランジやデッドするので、これも性格による認知のゆがみなのだとしたら、スポートルートに限定させる根拠となるかもしれません)

だとすれば、山岳会でも互いの性格を知っておくために、

  全員がエゴグラムを受けておく、

というのは、事故の防止に有効な手段かもしれません。性格の見える化で客観的に意思決定できます。日本の文化では、男性と言うだけで間違った意見を押し通すことができますが、現在の社会政治を見ても、男性の判断だけだと、困難な時代を生き抜くことはできないでしょう。男性の判断はエゴで曇っていることが多いです。

とくにトップを登るリーダークラスには、体力が必要なので誰でも取れる地位ではないと思いますが、その中にはアスペルガーの人もいると思いますが、それを乗り越えられるだけの十分な教育を与える、という主たる動機になるかもしれません。

2022/08/15

所有と所有欲を手放す…

 


那智の滝のようにではなく、天岩戸のように

■ 天野和明さんのプロモ動画

那智の滝の、冒涜的な行為とは、好対照だと今頃気が付いたので、掲載。

同じ、登る、という行為でも

 不許可で登る → 冒涜

 許可で登る → 動画

という結果になる。日本のスピに詳しい人に聞いたら、那智の滝のように、ご神体とされているものに、適切なご挨拶なく登ると、先祖の霊格まで下げてしまうのだそうです。

となると、ご神体であるボルダーに登る、なども同じことになりますから、ボルダリングでも注連縄を張ってあるものに登るようなのは、遠慮したほうがよろしいでしょう。

人々が畏敬の念を感じているものに、一般的には侮辱と思われている行為…登攀…をするのは、やっぱりまずいでしょうね、その誤解を先に取らない限り。

霊的な意味というより、人として、社会的なマナーに欠ける、というものです。

一方天野さんの事例は、神職から、以来を受けていくということですから、社会の役に自分のクライミング能力が役立つというコンテキスト… すごく良い流れですね。

■ JMSCA

アクセス問題についての適切なアドバイスを誰に求めるか?ということになると、現在は、一番知見が溜まっているのは、

JFA

ではないでしょうかね。しかし、国立公園内とか、あるいは境内というようなこと、世界遺産だとかいうことになると、

地方自治体

に直接クライマー本人が問い合わせるということになると思いますが、そうなると、

 そのクライマーが誰なのか?

が、地方自治体の人に分からないということになります。例えば、米澤先生だと、大学教授という社会的に認知された地位がありました。

一方クライマー達になると、世界で登るための倹約した生活をしているせいで、みすぼらしい身なり…と一般社会では思われてしまうかもしれませんね?

そういう、”この人は怪しい人ではありませんよ、世界的著名なクライマーですよ”

というバックアップや代理での、許可を得る活動などをJMSCAがクライマーに対してサポートできるようになったら良いのかもしれません。

反目ではなく、協調ができるような、連帯ができるような精神性の高さを持ちたいものですね。

 

2022/08/14

表層雪崩

 これは、春山、の 鎌尾根で、見かけたものです。

こんな程度の表層雪崩でも、ちゃんと見張っていないと、下の方では人を殺すだけの量がありますからね…

登り出しの気温、と、下りの気温も重要で、山頂に早くついたからと言って、そのまま、普通のピークハントのように日中の気温が高い時間帯に下り始めるようなことはしません。

アイスで氷柱を登るときも、気温が高い(氷点下にならない)時間帯は登らない、です。 

このようなリスク管理は、何年、ただ登って降りるだけの山を続けても身につかないです。

■ 厳冬期北ア

私は冬山合宿では、北アのお誘いが来ても、断っています。

北アって冬は、悪天候が続くと、一週間くらいビバークです。つまり、一週間ビバークに耐えれて死なない人だけ行っていい、という意味です。

ので、私は、せいぜい2日がビバーク限界なので、行かない。

春山なら、すでに1泊はビバーク経験があります。山岳総合センターでの講習会でのことですが(汗)。ツエルト一枚で過ごしてみました、七倉沢で。まぁ、なんとか。

中崎尾根は、ラッセル核心の尾根なので、攻略に裏技があります。

それは、正月の後半に行くことです。つまり、他パーティがラッセルした後のすでに歩きやすくなっている条件下で行くことです(笑)。

山も長くやっていると、そんな悪知恵がついて、同じ山の名前を言っても、

   最初からバンザイラッセルしたパーティ

  後からラッセル泥棒で登ったパーティ

では、実力差、歴然です。統制のとれたラッセルには、リーダーシップが必要です。

■ 価値観の倒錯

昨今の人たちは、 

最初からバンザイラッセルしたパーティ <   後からラッセル泥棒で登ったパーティ

となっており、実力がある人たちのほうが、

あいつらバカだなぁ、一番乗りで歩くなんて… 後から歩けばこんな楽なのに

なんて言われてしまう価値観になってしまっています。 これは中高年登山者にかなり顕著です。


2022/08/13

日本人の45%は葉酸欠乏

■ 深刻な栄養欠乏

実は、半年ほど前、深刻な栄養欠乏に陥ったのですが… おかげで体質が分かった

高メチレーション体質 

これは、ATPの回路を回す回転がえらい早い、というタイプってことです。道理で、寒さに強いわけですね。全然、寒いほうがつらくないもんね、今8月ですが。

で、この体質ですが、日本人の45%で発現する体質だそうです。

https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2021.930109/data/index.html?fbclid=IwAR2aj9LfFbTve5CvZ7Fq_o3OxjJ5Ras2WIQoJ_KgOAy1qirOC02C9t9C1F8海外では小麦に葉酸添加されている
 

私は海外で2年暮らしたことがあるのですが、もしかすると、あちらで快調だったのは、葉酸の影響かもしれませんね…。

同じような体質かもしれない方は、B50を取ることをお勧めします。葉酸は必ず入っているので。

葉酸欠乏になりやすい遺伝子多型は、

MTHFR遺伝子多型

です。45%もの人に発現するそうです。

これは、遺伝子チェックキットで調べることができます。

https://www.dnakensa.com/kit/yousan.html

■ 遺伝子によるもの 

葉酸に加え、お酒の強さ、白筋・赤筋の割合、肥満と痩せ

の4つが遺伝子に左右されるもので、自分で調べることができます。

運動音痴と思っても、たんに筋力のタイプが不向きなだけかもしれませんよね。 

葉酸

は日本でだけ認知が遅れている遺伝子型のようですので、なんか調子が悪いと感じたら、葉酸を取ってみると、著効するかもしれません。

私は、クライミングすると易疲労性なので、筋力的にも向いていないような?


正常な自己愛には、エゴを捨て去る必要があります

■ 自分を愛す

おかもん先生に、親孝行への罪悪感を抱えている人は、自分を愛せない場合が往々にして多い、という指摘を受けたので、研究中。

正常な自己愛が必要というのは、私自身、中学を卒業して、高校に入学した時から知っていました…。私は高校高専に行きたかったのですよね…、その道であれば、私は自分がしたいこと=プログラミング、で18歳から働くことができると思ったからですが…。実は、最近、仏教説話を主催したのですが、その場で、高校高専で教えている起業家に出会い、私が14歳で思考したことは、正解だったのだと分かりました。14歳の私は大人の権力に負けて、先生が自慢になる、学校が自慢になるという理由で、熊本高校へ進まねばならず、不本意な道を選びました。結局、パナでエンジニアにはなりましたが、私が目指したようなシリコンバレー系の仕事ではなく、制御系…その後もメインフレーム…ずっとレガシーと付き合っているわけです。 クライミングでもなぜか似ており、レガシーとの接点が多いんですよね。

さて、

  過去の栄光は大切にしなければいけません。

しかし、

  過去の栄光によって、現在の現実を見る目が曇ることがあってもなりません。

過去に

   偉大だ、とされた基準

は、当然ですが、現代にいたると 

   更新され

ます。記録が塗り替えられることは喜ばしい事です。たぶん、記録に出てくるヒマラヤやパタゴニアなどの海外のルートの表現が、

 距離、累積標高、登攀のピッチグレード、気温などの天候条件…など

、端折られて書かれ、どこそこを登った、としか書かれていないせいだと思いますが、ヒマラヤの山の名がついていたら、内容が高尾山に登るようなものでも、誰でも、すごい!と騙せてしまいます。

逆も発生し、本当にすごい山をしている人たちも、「どうせ高尾山」と思われてしまうわけですね。

とくに、現代の登攀…のけた違いのスキル差、というのは、元々がストレートシャフトのアックスで登っていた人には、わからないかもしれません。

私が感じるM5とM6の差はめちゃ大きいです。WI5とWI6はすごい差です。いかんせん、WI4が楽勝なので、WI4とWI5くらいの差を鑑みると、同じペースで違いを感じてしまうかもしれないんですが…杞憂なのかな?

これはアイスでの話ですが、フリークライミングの基礎力で上がった登攀力を持つ人たちについても、同じ誤解があるような気がしないでもないのですが。

■ エゴの声

ほんの少しの選ばれた人しかトップクライマーになれなかった時代 → 誰もがトップクライマーになれた時代 → ほんの少しの… → …と時代は変遷しているのかもしれませんが、実際はどうなのでしょう…?

  過去の栄光を引き継ぐ若者たちをサポートする、

バックアップするような視点で、エゴの声を捨て、

   未来を育む方向へ、一致するような方向性

が日本の山岳上位団体には必要とされているような気がしてなりません。

そして、それを邪魔しているのは、この動画にあるようなエゴの声のような気がしてなりません。

2022/08/12

「ほんとうは誰かに守ってもらいたい私」の願いは、クライミングでは叶いません。クライマー頼りなさ過ぎ

 ■ 長女 → 母の夫役(長男)

私は女性です。男性が粋がるように、女性には女性の自然な心の風景があります。

https://nakamurayoko.com/archives/2088.html

福岡に来てからの3年は、クライミングでは本当に不安な思いをしました。

理由は、山梨の経験でも、福岡の経験でも、山の経験値に不足があると自覚がありながら、

 男子は頼りにならない

ということを経験則から知っていたからです。

「ほんとうは誰かに守ってもらいたい私」の願いを受け入れ、ありのままの自分を受け取るのが自分のメンタル課題なのに、

山の経験値を求めて山岳会の門をたたいたとしても、むしろ、被害なのです…。

山岳会のベテランを頼るその1 → エイドで鍛えてやる → ひえ~ チビにエイド?!

山岳会のベテランを頼るその2 → 支点ビレイ

ベテランを頼る その3 → 岸良 怪我したのに帰れない 一人のほうがまし

山岳会のベテランを頼るその4 → 1人が2名のリードクライマーをビレイ

前の会の先輩 → ロープアップされない、1点に二人で仲良くぶら下がる

などなど…で結局、結論的には、

 自分が一番信頼できる

という話になりました。

男子、ベテラン、頼りなさ過ぎて、山歴の浅い私が頼るには、ちょっと不安すぎます。

正直に言えば、

 もっと頼りがいのある男性(クライマー)になってほしい

です。 老いには人は勝てないので、老いた人のことは別の話です。

トップロープ張ってくれて、さあ、登って、というのは、頼りがいに入らないんですよ、それ、誰でも出来る楽勝路線のサービスなんで。

私だって、ロープを新人にはあげてやり、TRさせてやってるようなもんですから…。

私よりも登れる奴には、登るに適した課題をアドバイスしてやっています。

山で頼れる男が少ないのは、現代のクライミング事情を顧みると、状況から、仕方ないカモですが、普通の下界のクライミングでもダメです。これはもう、

  知性の敗北

みたいな感じです。 

このビレイを頼りにできる人はほとんどいない、男性・女性を問わず  


岩場のルートファインディングの諸段階

 ■ 強点vs弱点

アルパインクライミング= 山頂へ行くために、弱点を突くもの

フリークライミング= 強い点を楽しみのために味わうもの

ですが、ただ、漫然とクライミング、としていると、よく分からないかもしれないですね。

岩のルートファインディングについては、私自身が、まだ学習途上なのですが、今の時点で分かっていることは、以下のようなことです。

■ 読図の山が基本

一般登山で、読図をしますが、尾根と沢を登路に使うのが、山の交通、道路です。

山の住所の付け方は、何番目の尾根の何番目の沢というものです。

富士山みたいに円錐形の山だと、住所がつけづらく、ルートファインディングって、とても難しくなります。

■ 登りは簡単

まぁ、登りはどう登っても1点に集約されるので、簡単ですよね。だから、どこからどうとりつこうが、高いところを目指していれば、誰でも同じところに到着します。

■ 下りはほんの些細なずれが大きな結果を生む

ところが、下りは、ほんの1度方角がずれただけでも、裾野では、えらい大きな差になります。尾根を下るのですが、尾根にも痩せた尾根と太った尾根があり、痩せ尾根のほうがルートは明確です。

■ 痩せ尾根=岩尾根

痩せ尾根が、さらに傾斜をきつくなったもの=岩稜。”岩”の、”稜”(=尾根)。 標高が高いと、森林限界を超えているため、岩がちに。

これがリッジ登攀が、アルパインの基本とされる理由です。まぁ、とりあえず、尾根を行けばいいのですから、ルーファイは簡単です。特に痩せて細い岩尾根なら。登山で出てくる、

アリの○○とか、天狗の○○とか、トサカ〇〇

とか、そういうところをもっと細くしたみたいな感じです。

現代のフリークライミングを経験した人からすると、簡単、と感じるレベル=立てる、であることが多いかもしれません。

それでも段々傾斜が立って行けば、もちろん、壁になってきますが。

おおざっぱに言って、北鎌尾根とか終わった人が次に行くレベルのルートが、リッジ登攀。

小川山にもありますし、インスボンにもあり、日向神にもあります。

■ レッジToレッジ

ロープが出るタイミングというか、ルートのリズムというか、そういうものを表す言葉です。

日本語にしたら、段から段へ、という程度。

段=立てるところ。 平べったく言えば、段があるところじゃないと終了点作れないじゃーん!です。登っていたら両手ふさがっていますよね。

しかし、このレッジTOレッジが味わえるルートって、今どこなんでしょうね? よく知らない。

■ 尾根から壁へ

尾根から壁への転換は、けっこう大きな転換です。壁になったとたんに、ルートファインディングは非常に見出しづらくなるからです。

手足がかけられるところを探すということになりますが… 登れても降りる時、落ちないといけないなら、ちょっと調べに登っただけで命取りになりますから、そうそう気安くは取りつけないですよね。

■ 沢

沢では、ルーファイが比較的楽なので、沢もルーファイ練習の場。水流もルートを見極める手助けになりますし。

私も初心者のころ、行き詰ってハーケン打って降りたことがあり、ルーファイが課題だという段階でいまだ停止しています(笑)。

■ 人工壁

人工壁は、ホールドを追っかけるものなので、ルーファイ力はつかない。

■ 残置

昨今の人は、登攀力だけが伸びて、ルーファイ力がゼロなので、初心者向けルートには、その補いとするため、残置が置かれています。例:腐ったピトン

しかし、この残置は、山でいう赤布みたいなもの。間違っても支点として現役なのではありません。本来、読図の山でも、読図がちゃんとできていれば、赤布のほうが登山者を追いかけてくるようになります。自分が歩いているところに、ここで良いと正解を示すように、赤布が現れるという意味です。

同じことが、古いリッジルート等のピトン等に言えます。

たまに間違って敗退した人のピトンだったりもします。敗退用だと、懸垂で降りた後なので、セカンドが回収していないので、残置にならざるを得ないためです。

なので、ボルトルートになれた人が、ボルトを目安にルートを登る要領で、残置された敗退用ピトンを追いかけると、行きどまり、に続く道になります。

敗退用のピトンには大体はスリングもかかっています。

■ エイドルートのボルトルート化

ボルトルートの役目は本来は、ルーファイ力を補助的に補う目的もあったのでしょうが… 今では、全然、昔のエイドルートのただの置き換えなので、フリーのムーブ的に整合性があるか?というと、たぶんないです。

背の高い人が、直近で立てる一番立ちやすいフットホールドに立って、手が届く限界のところにエイド用のボルトが打たれ、それが、フリークライミング用のボルトにそのまま置き換えられた場所も少なくないです。

■ グランドアップフリー

一方最初からフリークライミングで試みられた、グランドアップで開かれた課題は、ボルトの位置を含め、芸術作品と言えると思います。壁のルーファイは、尾根のルーファイと違って、かなり難しいので。

グランドアップには、登山靴で開かれたルートと、クライミングシューズで開かれたルートがあります。

当然ですが、登山靴で開かれたルート=アルパイン、クライミングシューズで開かれたルート=フリー です。

全然、難度が違います。インスボンでも、アルパインの5.9とフリーの5.9は違いました。

余談ですが、私は西湖のマルチで、アイゼン履いての岩が、会での初外岩。アイゼン履いて登れたところなら、クライミングシューズなら登れるだろうと、2度目からトップを登っています。

そんな人に向かって、九州で人工壁とボルト整備され、課題も会の会長さんにここを登りなさいと選んでもらって登って、強くなっただけの高校生が、人を小ばかにし、でかい口をたたくので、大変腹立たしい思いをしました。

そもそも、人工壁は、アルパインの価値体系の中では、アイゼンで岩を登るための練習なんだとか分かっていないんじゃないかな? 人工壁でいくらグレードの高いのが登れても、アルパインでは評価されません。米澤さんなんて、ドーンウォールのトニーすら、RPでの登りだから、評価しなかったくらいです。

私を馬鹿にしたこの会の人は、私が登れる高校生を喜んで、ホイホイ、ドレイヤーに立候補するとでも思っていたのでしょうかね。

 私はスポーツクライマーはスポーツクライミングのカテゴリーでスゴイだけなので、全く別物と思います。まぁどっちかというと興味ないです。山が好きなんであって、競争が好きなわけではないので。スポーツクライミングは、競争の世界です。リスクもなく、お気楽のんきな世界です。

 ■ クラック

岩のルーファイで比較的容易なのが、クラック。プロテクションもクラックがあれば、条件にもよりますが、取れるだろうと想像できます。

■ 氷

氷も道としてかなり有効です。アイスが十分固く、体重を保持する信頼に足るかを見極める目が必要です。

■ ブランクセクション

手がかりも、足がかりもなく、どうしても突破できないセクションのことです。

トップクライマーには、ブランクではない、というのがミソ。 下手くそクライマーにとってはブランクでも、登れる人には、ブランクではない。

■ ラッペルダウンのルート

壁では、ラッペルして課題が作られているわけですが…特にハングした壁ではラッペル以外どう作るんでしょうかね? 私も開拓は詳しくありませんが。

ラッペルで作られた課題に関して、芸術だ、著作権だ、というのは、ちょっと合点がいかないのですが、それは、フリークライミングのルートに対する私の知見が限られているからなんでしょうかね?

しかし、グランドアップとラッペルダウンのルートを同一レベルに議論するのがおかしいという点は譲れないかもしれません。

米澤さん曰く、「開拓クライマーは一度もオンサイトしないんだよ」でした。私も故・吉田さんのルートでは、試登していますが、トップロープでした。TRで登って、登攀のリズムをつかみ、どこにボルトを打てば合理的か?を考えるわけです。

クライミングそのもの、を楽しむためにボルトが配慮されるわけで、ムーブを妨げない、ということだとすると、ガバ=ボルト飛ばしのアルパインのボルト位置とは全く違うセオリーになります。

■ ACPCが判断力あるのでは?

というわけで、私の勝手な個人的意見によると、

 残置をどうするか?抜くか、残すか?などは、大変幅広い経験値が必要

なわけなので、菊地さんたちのACPCが、

 ここは初級ルートだから、この程度の残置を残してあげないとクライマーはルーファイできないだろう…とか

 ここは上級者向けなんだから、こんなところにこんな残置は汚物以外の何物でもないだろう…とか、

 ここは歴史的ルートだから、このままで…とか、

 白亜スラブみたいな、クラックではなくスラブには、ボルトいるよね~みたいなのとか

適切に判断できるのではないでしょうか?

私が聞き及ぶところによると屋久島フリーウェイは40年前のまま、別にうち替えしていないそうです。そんなのに、現代の墜落が前提のクライマーが、俺、5.12RPできるから、みたいなノリで行きたいのが現代。ACPCは、現代の初心者像をよく知っていそうな人が集まっているので、どこをどう改善したら、そのようなルートが比較的事故を起こさないようにできるか、配慮できる人たちのように思います。

■ 初登のグレードにこだわらない開拓者もいる

開拓者の米澤さんは、他のクライマーの課題を登ったことが著しく少ない方でした…つまり、いつでも会で一番登れる人なので、より難度が高い課題がよく分からないのだそうでした…ので、グレーディングも、自分より経験のある人が言えば変える、と明記されていたほど。

大体、10代の課題って、昔のクライマーには、十パひとからげで、ぜんぶ5.9!みたいな感じですし…、その感覚は、現代の厳密にグレードをジムで覚えて登ってくるクライマーの感覚とは大いにかけ離れていそうです。 

そんなグレード感性の違いも、事故の原因化していそうです。

米澤さんの5.10代は、ぜんぜん現代の10代じゃないですよ(笑)。 

こんなにきれいに並んでいるのは人工壁だけ

         歴史あるルート ボルトで汚してはならない


   ちゃんとルーファイしている人は、雪のほうが岩を行くより簡単だとすぐ分かる

2022/08/11

アルパイン教育で山の死を防げるか?

 ■ 一般登山→日本のエイド→フリークライミング→ビッグウォール→アルパイン

たぶん・・・なのですが…一般的に アルパインの教育のステップはこういう風になっていたのではないでしょうか?

第一段階 一般登山 (ピークハント→小屋泊縦走→テント泊縦走→一般レベルの雪)

第二段階 読図の導入 

第三段階 入門レベルのオールラウンドな山登り (雪→沢→岩→氷)

第四段階 フリークライミングでの基礎的登攀力作り (いわゆるフリーの基礎力)  

第五段階 ルート経験数を貯める 

第3段階のどこにスポーツクライミングという危険を排除した形でのクライミングを入れるか悩ましいですが、スポーツクライミングに基本的にはリスクはありません。リスクがあるとすれば、技術的ミステイク、です。

ただアルパインクライミングの価値観を学ぶ前に、スポーツクライミングのルール、フリークライミングのルールなどを学ぶことになるので、学ぶ当人が混乱しますよね。

例:

スポーツクライミング=ボルトはあって当然。プロテクションは、元々あって当然。

フリークライミング=いくら落ちても命取りにならない。ロープに守られる。

エイドクライミング=背が高いほうが有利

現代では、新人教育ができない山岳会がほとんどなので、読図が山の必須教育の一部だとか、あるいは、フリーでマルチピッチのルートに出る前に、危急時の講習が必要だ、とか、一般的にクライミングジムでスタートした人には、てんで皆目見当がつかないのかもしれません。

アルパインクライミングが、冬の壁を前提とするのは、夏でもアルプスには雪があるから、であると思われるのですが…雪渓歩きや、氷河歩行みたいなものは、日本の山で必要となるのは、ほんの少しであるので、日本でアルパインの教育を受けた人は、セラックが落ちる、とか全然想定しない可能性もあります。雪庇の崩壊などもです。

■ 夏山の事故

今、問題になっているのは、基本的に夏山の事故です。

ココヘリの配布などで、技術を教えるというよりは、保険を手厚くする方向に日本の山の世界は動いていますが、これは、遭難者のプロフィールが、

 定年退職後に山をスタートした高齢登山者=新しいことを学習するスキルが著しく低い

ということを配慮してのことのような気がします。

年配の人の老後の時間つぶしとしての登山には、特に登山史の一ページに何かを追加する力があるとは思えません。

ので、ココヘリなどのように、保護を手厚くする方角で、お金で解決するという方向性はあながち間違っているとは思いません。

肝心の年配者だって、ザックを肩代わりして背負ってくれるなら、快適に歩けるので、若い人を雇いたい、というニーズがあることも、実際目の当たりにしています。若い人のほうも、そのようなガイドでのニーズであれば、トレーニングしてお金を貰えるのであれば、それでいいのではないでしょうか?

いわば、日本版シェルパ。しかし、このようなタイプのガイドに、ガイド能力を求めない方がいいのではないかと思ったりします。例えば、花の知識とか、危急時の対応能力(一般的な救急救命措置以上の能力)を求める必要はないような気がしますね。

なんたって、年配の人、ただちゃっかりしているだけなので。送り迎えのハイヤーと荷物持ちが欲しい、持病の発作が起きた時一人だとかなわん、という程度のニーズだろうと思うからです。これは、往年のアルパインクライマーだって同じです。さりとて、高齢者の寄せ集めでは、誰もニーズを満たすことができないです。

■ 本質的なアルパイン教育

一方若い人は、高齢者のような、ただ歩ければ成功、みたいな山をしていても、埒があきません。

私みたいな中途半端な人ですら、北アの一般ルートでも、南アの一般ルートでも、一般ルートであれば、もはや歩けないところはないくらい、簡単に若い人は、山は歩けてしまいます。

特に、九州のような温暖地では、山自体の気候リスク、標高のリスク、岩稜リスクがないので、どう頑張っても、沢登りをさせ、読図を教える程度ができる精いっぱいかなぁ…という気がします。その沢にしても規模が大きいものがないので、宿泊を伴う沢の、例えば、幕営場所選択のイロハ、みたいなことは教えてあげる機会が著しき制限されます。

ほとんど、どこかのネイチャースクールでおぜん立てされ、リスクはあらかじめ取り除かれたような楽勝の沢のようになってしまっているって意味です。

 なので、ぜんぜん何年積み上げても、いわゆる未踏の地に踏み込むに十分なだけの知識とか、経験値とかは積みあがらない訳です。

■ 知識と経験を積み上げるには?

現代では、基本となる、能力が、

 5.12がスイスイと登れる  & 40kgを担いで山登りができる

で、この能力を身に着けるまでは、

 経験値を積み上げるというステップには入れない

ようです。

過去のレベル感では、同じく基本となる能力が

 5.9がスイスイと登れる & 積中泊1泊二日程度の重さのザックを担いで山登りができる

だったようです。女性25kg、男性30kgだということでした。

 5.9がスイスイ → 5.12がスイスイ

 30kg     → 40kg

というわけで、こうしてみると、歩荷能力の増強度よりも、フリークライミング能力の増強度のほうがスゴイ…。

5.9スイスイは比較的可能ですが、5.12スイスイは、大人になってクライミングをスタートした人が達成するのは難しいかもしれません。5.12がRPできる人はたくさんいますが、うんうんうなってやっとこさ登るっていう意味ですから…。うんうんうなってやっとこさでは、ダメって意味なんですよね。

そうなると、フリークライミングの基礎力、というのがものすごく習得に時間がかかると言うことなので、途中でアルパインクライマーであることは忘れてしまって、フリークライミングに行ったら行きっぱなしになるかもしれません(笑)。

■ フリークライミングの階段を駆け上がることができないのがネック

実は、フリーはフリーで結構楽しいというか… 私がラオスや龍洞で登ったような感じでいいのなら、私もアルパインは捨てて、別にずっとフリーでもいっかなーって感じでした。山で死にたいわけじゃないしなぁ…。

ところが、日本でネックになっているのは、フリークライミングで基礎力をつけたいとおもったところで、フリークライミングの階段を安全に駆け上がることができないということなんですよね。

登山のレベルの時は、Ⅱ級=遊歩道、Ⅲ級=登山道、Ⅳ級=鎖場程度、Ⅴ級=ロープなしに登るのは不可能、と登山道の難易度が分けられているので、フリークライミングのレベルになった場合、5.〇〇…と Ⅴ級の5.からスタートします。一番易しいⅤ級は、5.7です。日本では。 

しかし、5.7~5.8のルートというのは、フリークライミングのレベル感からみたら、あまり歯牙にもかけられず、伝統的に、そのスキルは、特にフリークライミングのスキルトレーニングなしに登れる程度、という意味ですので、移行グレード、みたいなグレーな区間です。

したがって、 フリークライミングの階段というのは、5.9をオンサイトする能力がそなわってからスタートするわけですが…。

ここで、クライマーの命を奪う、リスクとスキルの逆説現象が起きています。

 5.9のフリークライミングの課題 のほうが死ぬリスクが大きい

 5.12のフリークライミングの課題 のほうが死ぬリスク小さい

 という具合に、日本では逆転現象が起きてしまっており、原因は

 ・グレードの付与が不適切 (5.9でもほんとには5.9ではないとか)

 ・ボルトの配置が不適切 (5.9でも5.9を限界グレードとする人のためには打たれていない)

という事情があり、フリークライミングの入門期も、死者が多いという事情につながっています。

中級者と言われる5.12が登れるほうが、日本の岩場の課題は安全で、下手したら1mおきにボルトが打ってあります。

余談ですが、昔の基準では、5.12登れることは熟達者扱いをしてもらえるスキルでした。今では、ジムで今日来た!みたいなやつが、5.12をその日に登ってしまうこともあり、グレードを見当に、”ベテラン”とはとても言えなくなりました。

さらに余談ですが、年齢による見た目もベテランと非ベテランを区別できないです。昨今、引退してからクライミングスタートするクライマーもいます。

■ まとめ:多い遭難タイプ

1)高齢初心者の登山”客”による無知&過信によるもの 

2) アルパインクライミング入門期 技術へのヒューマンエラー

 例:5.7~8レベルの新人時代の岩場でのうっかり。三つ峠で懸垂失敗で死ぬなど。

3)フリークライミングの入門段階期  岩場の質によるもの

 例:5.1〇~5.11アンダー期 

ということになってしまっています。 

■ 対策

さて対策ですが…、私の勝手な考えですが…

1)高齢初心者の登山”客”による無知&過信によるもの → ココヘリ&若年シェルパ

2) アルパインクライミング入門期 

 → しっかりとしたアルパインクライミング教育機関の設立 と

   公的な子弟縁組制度のサポート

  例:師匠になれるベテランの裏付けを公的機関が行い、若い人と1対1、あるいは、ザイルパートナー2名対師匠1名でのペアを公的機関がセットアップ。師匠の行動に疑問がある場合、第三者に相談できるセカンドオピニオン制度も採り入れられる。

3)フリークライミングの入門段階期 

 → しっかりとしたフリークライミングインストラクター協会公認フリークライミングインストラクターの講習へ、国費税金によるサポートをつけ、各都道県で年2回開催。

をしたらいいのではないかと思います。

■ 山岳会 はあきらめましょう…

なんか、突拍子もない話題で恐縮なんですが、最近、フランス革命の勉強をして、

 王政が廃れ行く現実を直視しないで、あくまで王政復古を目指したルイ16世

が、断頭台の露と消える羽目になった主たる原因だと思いました。

時代の流れというのは、抗っても全然、得にならないものみたいなんですよね。

日本では、日山協と労山を2大派閥とし、下部組織に各都道府県の山岳会がぶら下がるというピラミッドシステムで来たわけなんですが…昨今、全然、機能しません。

実は、こちらに来てすぐ、福岡労山の事務局長をしていた吉永さんに誘われて、彼の作った会(と言っても会員は3人だけです)に属してあげたのですが、きちんとした山行は、ひとつも催行されないまま、労山に支払う上納金(山岳会の会費)だけ毎月払うというので意味を感じず、さっさと出ました。

私自身も、”岩とお友達になる会”という会を持っていますが、こちらのほうが基本的には活動がまだ出来ていました。

■ライフスタイルの変更が必要になる

基本的にアルパインを志向する会であったとしても、日ごろはフリークライミングで基礎力UPみたいな日常行事をしているのが、普通のクライマーのライフスタイルです。

ところが、一般登山の山岳会しか知らないと、そのようなライフスタイル自体を身に着けそこなっているので、なんで山の会なのに、人工壁でリード練習なのか?とか分かりません。

それどころか、正月に雪の山で冬山合宿をするためには、GWにどこか雪の高山に行って、雪になれておく必要があることも分からないかもしれません。

参考になるか分かりませんが、関東で一般的と思える会の月の会山行を書いておきます

GW: 雪山での雪渓歩きなど、雪訓、スキルレベルに応じて

5月:易しい岩場で岩登り訓練 もしくは海外など 

6月:雨なので人工壁 ビレイ訓練

7月:高山 ロープが使える素養がある人は岩稜帯へ ない人は歩きの歩荷トレで夏山

8月:沢 レベルに応じて

9月:台風シーズンなのでインドア 縦走組はお好きな高山 

10月:秋の岩トレ スキルに応じて  縦走組はカモシカ山行 フリーの本格シーズン

11月:雪足慣らしで北ア 宿泊はテントで アイスは凍結次第

12月:正月の冬山合宿 城ケ崎などのシーズン到来 

 1月:アイス本格シーズン  海外での登攀シーズン

2月:ラッセルの山本格シーズン

3月:春山合宿 

4月: 岩登り訓練  

こんな感じかなぁと思います。毎月 かわりばんこで行く山決めようね~という発想では、山はステップアップはできず、ずっと同じレベルに居続けるだけです。

なので、登山歴10年といっても、同じレベルに居続けただけの人と、ステップを上げる山の年間計画がある場合では、全く違う成果になります。

まぁ、だとしても、大体の人は、フリーでお茶を濁す山に落ち着きますので、別にハイキングの山しかできなくても、卑下する必要はないでしょうが、アルパインクライマー、フリークライマーのライフスタイルと、一般登山のレベルの山しかしない岳人のライフスタイルは大きく異なります。

そのライフスタイルの習得というところが、大きなステップの一つかもしれません。

週二日ジムに行き、土日は岩場というライフスタイルが標準です。

それだけ、歩きから登攀へのステップは大きい変化ということです。

それだけ山が人に要求する努力は大きいということなのかもしれません。 

 


2022/08/10

フリーのアクセス問題とアルパインのアクセス問題

■ 菊地さんのお言葉
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既にお耳にされている方もいるかと思いますが、この度、一般社団法人・アルパインクライミング推進協議会(Alpine Climbing Promotion Council / ACPC)というものを立ち上げました。

今まで法的にグレーだった岩場の整備や廃れてしまったルートの復活などをしっかりした環境で行なえるようにすることを目指した団体です。
 

設立は4月だったのですがいろいろ体制を整えるのに時間がかかり、この度、ようやく一般会員を募集する運びとなりました。ただし申し訳ありませんが、今の時点で還元できるものは何もなく、法的問題をクリアするのに時間を要することから活動の進展もなかなか目に見えてこないことが予想されます。それらを踏まえたうえで、ご賛同ご協力いただける方、ぜひ会員としてこの活動に参加してください。
 

時間はかかりますが、皆さまのご協力が、今のアルパインクライミングをより良い方向に進めていけると確信しております。
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■ アルパインvsフリー 

今まで日本の岩場の整備は、

 日本フリークライミング協会(JFA)

が全国をカバーする団体としては、やっていたわけですが、まぁ手が回りませんわな…。

ほとんど、

  一般クライマーが起こした迷惑行為の受付窓口、

みたいになってしまっていることが想像できる状態で、なんかトバッチリ。

■ 既得権なのか?罰ゲームなのか?

結局、開拓クライマーは、勝手に開拓を個人でやる。やったもん勝ち状態でした。

開拓クライマーとして有名になると、その人がやるのが当然っぽい気分がしてくる=既得権獲得。

ちゃんと岩場の使用許可を取っていれば、それもいいですよね。なにしろ、自然界を、誰かが独占したり、私物利用するのは、やっぱり変です。空気はみんなのものでしょう。

まぁ、開拓は大変なんで、既得権益というよりも、罰ゲーム的かもしれません。

無償の行為だし、作った後のルートは、ほかの人に登ってね、という好意でもあるので、ボルト代も高いんだから、ちょとは感謝してくれよ、と思っても仕方ないですね。

私は米澤さんとは少ししか登っていませんが、米澤さんは確実に許可を取った岩場しか開拓しないクライマーでした。大学の先生だし、社会的に失うものがある人、です。米澤さんと知り合ったのは、私が開拓してくれる人にボルトを提供したいと思ったためです。

■ 正統派とやんちゃ派?

どうも、昔からの由緒正しいアルパインクライマーというのは、高学歴エリートな方がた、なので、法的整備などはしっかりと踏まえてからやる、というきちんとした人たちだったのではないか?と思います。

そこら辺の伝統が、やんちゃを持ち味にする人たちに、時代が移っていくと…たぶん、大学山岳部の活躍の時代ではなく、社会人山岳部活躍の時代ということだと思うのですが…、てんでバラバラ、いい加減になったのでは? 土合駅で宴会さわぎするような文化体系の人たちは、反社というか、法?そんなもの、みたいな感性のような気がします…。そこらへんは想像です。

山にしても、命の扱いにしても、プライド中心でいい加減だし、流行語の”無敵の人”ではありませんが、社会的にも失うものがないというか…やったもん勝ち精神というか… 

山小屋とかで会う、さわやかな好青年というより、派遣労働村で会う、抑圧されたうっぷんがある人が、それを岩場で晴らす?みたいな??

まぁ、そんなのは、勝手な想像ですが。

■ 国立公園は国立公園のくくりで

アルパインのルートって、基本的に高山=〇〇アルプスみたいなところにあるので、国立公園内のれっきとした山岳アクティビティの一つです。

しかし、そんなルートを例えば、九州で言えば日向神と一緒くたにしたら、違うなーとなるでしょう…。

日向神は、ダムのそばの完全に下界のゲレンデ。町から離れてはいますが、山岳じゃないです。でも、日向神程度でも、自然公園くらいには指定されているかもしれません。九州の小川山って感じかなぁ。

福岡クライマーがゲレンデ使いしている岩場といえば、四阿屋ですが、四阿屋の岩場はもっと下界… こんな岩場で、あれを打ったらイケナイ、これを打ったらイケナイと、色々がたがた言われたら、もうほんと、外岩文化自体が無くなりそうですが…。 日和田の岩場って感じかなぁ。

まとめると

 1)国立公園内で一般登山者と山岳環境を共有しつつ登るアルパインルート 

 2)自然公園内等で、純粋にフリークライマーしか来ないCrag 小川山レベル

 3)同じく自然公園内等で、使い倒し系入門用岩場  下界の岩場

国立公園内のルートの整備などに、ローカルクライマーの会とか要らない。これらはもともと山なのですから。ローカルクライマーの会が必要なのは、2)とか3)とかです。

例えば、前穂北尾根にローカルクライマーが仮にいたとして、俺たちのルートだから、好きに整備させてもらうよ、って変でしょう…。岩場は国民全体のもの。

一方、小川山とか、ある程度、地権者も複雑で、地元への調整とか、経済的見返りとか必要そうですし…。やたらめったら、教育を受けていない適当なクライマーが、ボルト乱打したら嫌そうです。多少のランナウトがあるとしても、日本のヨセミテ的性格は維持したほうがいいような岩場ですし…。初登者の尊重もフリークライミングの文化の中で大事そうです。

逆に、小川山みたいな歴史ある岩場ではなく、最初からエイドで登られていたような、フェイス主体の日向神が、小川山で許容するような、フリーのランナウトを許容する必要は全くない…。ランナウトとかで地域の人に迷惑をかける方が、ちょっとな…みたいな立地です。市民クライマー憩いの場的存在です。

四阿屋なら、ボルト1本2本を打ち足すとか引くとかに、いちいち許可がどうこうって…。そもそもそんな価値がある岩場じゃないっていうか。そもそも、採石場後だし…。

山梨なら兜とか西湖の岩場がそうかもしれません。開拓クライマーにだって練習台は必要なので、好きにしてね、みたいな場です。アイゼンで登ったらダメとか、もういいじゃん、みたいな気がする場ですね。そもそも岩場に人工ホールドついているし(笑)。

と、岩場の個性って言うのがあるのですが、

 アクセス問題、

と言えば、まぁ全般です。

■ 前例を学ぶ

アメリカでは、全米アクセス問題を扱う専門団体がいます。

日本にはいない…。とても残念。

山での意味ある死…例えばマークアンドレの『アルピニスト』見ましたが、あれは、登山史のページを1ページ推し進めた死で、意味があったと思うのですが…

それと、栗城さんだっけ?単なる、勘違いクライマーの死が混同されてしまっています…。

こんなの日本だけでは…?エライ恥ずかしいことです。

私が思うには、アルパインクライミング教育が廃れてしまったことで、山登りの進化系としてのクライミング活動ではなく、単純にクライミングムーブを楽しむフリークライミングに移行したため、山に必要な体力やリスク認知力への知見が失われ、グレードだけを見て、”俺、ジムの壁で5.11登れるから、北岳バットレスには、もういける”とか勘違いしてしまうわけですが…。

■ 区別、が大事なのでは?

たぶん、フリークライミングはフリークライミングという分野で進化すべし、なのです。

別分野として、です。

フリーの進化という意味では、日本では、進化が止まっているようで、瑞牆の専用トポも出たことだし、専用トポの中に何を書いていくか?みたいなことからも、徐々に海外の各岩場のように、”終了点の管理化”は、避けられないと思います。

なにしろ、

 現代のフリークライミングって、ボルトルートを前提にした遊びに進化

してしまっているので、きちんと、TRADか?スポートか?の切り分けが、されていることが大事なように思います。

Tradの岩場なら無料でもいいけど、終了点や支点の整備されている岩場を無料にしたら、それは開拓クライマーの行為へのただ乗り=フリーライドです。

■ 海外より遅れているそうです…

日本のアルパインクライミングって、なんとモンゴルより遅れている、のだそうです。

とても残念です。

 




2022/08/08

セラピー的だったおかもん先生の訪問

■ 家族との関係

私は18歳で家を出たのですが、親元を巣立つときが来たことを、母をはじめとする、家族に理解されず、「家族を捨てた」と非難されました。長女だったので、初めてのことだったからです。また、取り立ての電話が学生寮にもかかってくるなどと、現実的にも家族から迷惑をこうむっていた、という事情があって、実家とは縁遠く、弟の急死の前、8年間ほど、弟には会っておらず、でした。
 
まさか、そんな早くに弟が亡くなるとは思っていなかったのです。死に顔の弟が、実家から出た後、最初に見たお顔でした。
 
つまり、実家との関係修復という課題解決を、プロクラスティネーション(後伸ばし)していたということです。
 
■ 後伸ばし
 
同じことで、恩師の村上講師が亡くなった時も、
 
何年も、「アルパインの危急時講習を開いたほうがいいのでは?」とずっと思っていた
 
のですが、開催の前に、村上さんは亡くなってしまった…。
 
(ただ、この件は、福岡は三福田ではないので、私が主催して差し上げることは、善ではなく、開催は無に帰すことが明白だろう、と今は分かる)
 
■ 年配者(母)への心配
 
最近は、米澤先生はじめ、母の年代の往年クライマーの衰退ぶりを目の当たりにすると…例えば、多少ぼけて、取り付きが見つけられないとか…などと、母の年齢が気になり始め、年配の人との接点でパニック気味… 祖母の時は80を越えてから対応したら遅すぎたからです。
 
ふいに
 
   このまま、母にも弟と同じことが起きるのだろうか?
 
と心配がもたげてしまうわけですね。
 
■ 女性との関係(妹)
 
女性との関係性では、妹(=私を親と勘違いしている人)との関係性のためか、相手ばかりが、一方的に話しまくるという、相談相手にされてしまうとか…もうね…。
 
(これは、相手の精神年齢の問題かもしれませんが。大体、女性はそのために苦手)
 
■ 投影
 
つまり、私は、父、弟、母、妹、と家族のメンバーの全員を、誰かに投影しているのではないか?と思います。
 
■ 罪滅ぼし
 
そして、必要のない罪滅ぼし…を必要のない相手に向けて行おうとしている!
 
そして、それに 便乗する、ちゃっかりした人がいる! 特にクライマー業界!
 
■ 成功ではなく過剰適応

私がこれまで、
 
 学校では、オール5の優等生
 進学では、親の金を使わず夜学で国立四大を卒業、
 米国では、働きながら自活生活して語学習得、
 社会人経験では、氷河期なのに、ロボット開発部から個人事業主へと自立
 登山では、普通の人は来ない雪の山へ
 あるいはクライミングでは、UIAAのアルパインサマーを出版する契機をつくる、
 
などで成し遂げてきたことは、
 
 成功と達成の歴史 ではなく
 
 過剰適応の歴史
 
かもしれません。
 
過剰適応して限界化し、それを周囲に理解されないため、”もっともっと”と望まれるということです。
 
 周囲に理解されない=アトピー、膝の怪我 

自分の行きたいところに、どこでもついて来てくれるビレイヤー=ドレイヤーになりたくて、
 
私は登っているわけではない。私が私の山を紡いでいたころは幸せでした…

俺に行きたいところには行くが、お前が行きたいところには行かない、となったら、全然幸せではない。
 
■ やむを得ない結末を受け入れる
 
おかもん先生とお話していると、自然と家族の話になり、先生の
 
 東大クラスの頭脳
 
で考えたとしても、家族と私の関係性の修復が、私だけの心的態度によるものではなく、ある意味、やむを得ない事情を抱えているのだと、全く利害関係のない先生の頭脳によっても解釈できたので、大変セラピューイックな機会になりました。
 
なんせ世の中に私自身より頭が良い人を見つけるのは、結構、難しいんです…なんせ、普通にしていても、中学までは、校内で1番か2番かみたいな成績しかとったことがなかった、ということは、500人に一人くらいの偏差値なわけですから… 熊本高校は、各中学のトップ1~2名しか来ない高校だし…大学は遊んで卒業できる大学ではなかったですし。

とはいえ、学力高い人は、心の発達のほうがおろそかな人が多いもの…おかもん先生ほどの人でないと、なかなか相談相手としては難しかったのです。

ほとんどの人が、わたしのほうが相談を受ける側になってしまう…
 
家族との関係に問題がある人は、自分をどこか嫌ってしまう心の傾向があるそうです。
 
さて、次はそこを調べてみなくては…
 

 

クライミングの意味…人間理解

■ クライミングの意味 

クライミングは総括すると、私にとって

   父がなぜ私たち兄弟3人を捨てたのか?

を理解する場となった。答えは、ただ単純に 少し先を考えていない、というだけだった。やったらやりっぱなし、かっこいいかどうかが行動原理で、リスク=安全管理や相手の生命より自分の短期的な欲求の解放が上、というのが、ごく単細胞なクライマーの行動原理なのだった…(汗)。 事実は、残酷だが、よく理解はできた。

従って、親子関係のラスボスの中では、父との関係を清算というか、消化する機会・時間、というのがクライミングの意味だ。

■ 自然農の意味

自然農は、クライミングに変わるステキな活動としてここ3年ほど取り組んだが、

 なぜ自然農の理念ではなく、川口由一という個人を崇拝することになるのか?

ということについて理解が進んだ。 

日本では儒教の影響が強く、キリスト教とは違う意味で、自己犠牲的な父母への報恩を義務化されている。

実際、自然な情として、女性には、他者をいたわりたいという本能が備わっており、それは20代の若い間に発現するが、その気持ちは、親となった時、子供の奴隷となって、子を中心とした生活を苦と捉えないために神が備えた能力、と思える。

その能力=母性に甘えようとする人は、男性女性を問わず、依存的な人、おかもん仏教説話で言うところの、我利我利亡者として、発現する。

つまり、

・精神的に自立が出来ていない人が子役となり、

・自分の身を顧みず、他者のニーズにこたえようという過剰適応を起こしている人が親役、

になり、共依存が出来上がるのだ。

この共依存の成り立ちが理解できたのが、自然農、だった。川口さんの代替え人物=指導者のいうことは丸のみ、という状況で、例えば、4時間炎天下で酷使されることも恍惚、とかそういう倒錯したことになってしまう。(健康に悪いと教えても、辞めない)

アルパインでも昭和の教え方の人たちは、そうだ。先輩の言うこと丸のみ。師匠の言うこと丸のみ。

共依存状態にある人は、この心的状態が快適すぎて、その依存から逃れることができない。

とくに依存する側。される側ではなく…。される側が共依存が終わるとき、去る側だ。

■ 縁の質の見極め

仏教では、人との縁は、コントロールできないもの、とされる。

分かりやすい事例は、子の巣立ち。子は親離れしても、親は子離れできないことが多い。

どんな関係でも、追いかけていく方が基本的には、メリットを享受している側だということが言えるだろうと思う。

クライミングでは、バディを組むので、その人間関係でどのような関係性か?というのが、クライミングライフの幸福の大部分を締める。

仮に、一度バディを組んだクライマーと縁に終わりがきた時、追いかけてくることがあれば、その関係は、相手にとってよりメリットが大きい関係だった、平たく言えば、50:50の関係ではなかったということが言えるだろう。

■ 縁は選ぶべし

縁というのは、選ぶべし、だと私は思う。選ぶ基準は自分が快適に感じたかどうか?ということによるべきだろう。認知行動療法によると。

今回は、おかもん先生の仏教説話講座を開くことができ、楽しかった。

 人生において大事なことは何だろうか?どのような過ごし方をするのが大事だろうか?

私は、無邪気に自然と戯れることが人間性の霊的な成長に強く関連があると思う。

なぜなら自然界の在り方というのは、無言の教えで、無言の教えというものは、前提から学ぶものであり、前提というのは、すなわち無意識のことであるからだ。

昨日、はバナナボートに乗って、非常に楽しかった。そういう無邪気な喜びを失ったことが、現代人が感情開放に疎くなり、自己破滅的手段に訴えることがある、ということにも、つながっているような気がする。

いうなれば、リストカットするくらいなら、バナナボートで絶叫しているほうがうんと健全だということだ。

クライミングも同じで、

・リストカットの試みに値するのが、大ランアウトであり、無謀なトライ(根子岳だの、ノーマットだの)であり、

・バナナボートで絶叫に相当するのが、きちんとしたクライミング

ってことだ。

ということで、クライミングに接することがなくても、同じ経験ができれば、私には

MTBでもバナナボートでも良い

ということの確認になった。

昨日は、一緒にバナナボートに乗ってくれた、ともこさん、先生、ありがとう! 


 


仏縁&回心

■ 仏縁&回心


色々と楽しい二日間だったおかもん先生の訪問。
 

仏教のライブを毎朝8時に聞いているが、聞き始めるきっかけは
 

 なぜクライマー男子は自己破滅的な快を得ようとするのか?
 

という私には理解できない問いに答えてもらうためだった。
 最近、心理学的に言うと、
 

  幼児的な無敵神話
 

のためであると回答が出たんだが、結局答えそのものより、仏縁のきっかけが、クライミング男子を理解しようとした、ということで


 仏縁によって私自身が救われる
 

ということのために、奴ら(自己破滅的クライマー)に会ったともいえる。

■ 回心


このコペルニクス的転回のことを仏教では

 回心 

というのではないかと思う。

ということで、

 クライミングでひどい目 → 仏縁 

を得た事例一人目。

同じようにクライミングで、何じゃこりゃモードの出来事に会うことが多い方に是非お勧め。 

 海水浴を楽しむ人でいっぱいの糸島深江


2022/08/06

「憧れのクライマーに認められるために〇〇を登れるようにならなければならない」

■ 今日の梯谷メマガより

「〇〇のために〇〇しなければいけない」

ーーーーーーー
これらの口癖は病気になりやすい脳の使い方をしている可能性があります。
そして、“自分の人生を生きていない”可能性があります
ーーーーーーーー

往年クライマー → 「国のために登頂しなければいけない」

コンペクライマー → 「国のために勝たなければいけない」

家庭の主婦 → 「夫のために家に帰って料理を作らなくてはならない」

勤め人 → 「家族のために会社に行かなくてはならない」

一般クライマー → 「仲間に認められるために、登れるようにならなくてはならない」 

「〇〇のために××しなくてはならない」

という思考がはびこっていますが…

「○○がないから、××できない」と同じですね… お金がないから、良い学校に行けない、とか、お金がないから夢がかなえられない、とか…。

でも、私、親に17万円しか出してもらっていないけど、国立の四大を出ましたけどね…

2万円しかお財布になかったけど、普通にアメリカに行って働いて帰ってきたし…

○○がないと××できない式志向の人って、〇〇のために××しないといけない思考とも、かなり仲が良いような気がします。

気のせいかしら…



おかもん仏教の日

■おかもん仏教の日

今日は大阪からおかもん先生をお招きしている日。仏教説話のイベントを、ウミカエルでしてもらうことにしたんだよな。

https://amzn.to/3Qpm05a

ウミカエルの会場費は4000円。宿泊費は1500円。スイカ割したいのでスイカ代。2000円。これくらいが寄進の予定。一方、先生はこのために前後泊するそうで、交通費と宿泊が余分にかかる。

これまで、アルパインクライミングの危急時講習を開催しようと思って、何年もやっていなかった。村上先生は講師料はイラナイと言ってくれたのに。

理由は、せっかく先生が善意で教えようと来てくれても、

 誰も感謝しないんじゃないか?

 来ないんじゃないか?という疑いが濃厚

だったからだ。価値が分からない人が多数だろうと。

なにしろ、あの

 フリークライミングインストラクター協会の、”奥村”さんのビレイ講習

にすら、たった1000円程度の講習費であっても、私が誘った人は誰も来ない。

基本的に自分を強いと自分を自覚しているクライマーは来ない。

ビレイも通り一遍で出来ていると自覚がある人は来ない。

でも、そういうのは、慢、なのではないかと思う。

何年も毎日クライミングブログを大量に書いている私でも、まだ学ぶことがあるのに。

一生クライミングは学びだ、と私は思う。

…しかし、クライマー業界は慢業界だ。というので、私のクライマー業界に持っている信頼は著しく低い。


なんとか寄進する勇気…一方的に、奪われて終わりになるのではないか?という恐怖を乗り越えることができるようになったのは、やっとこさ、仏教説話の会において、ということだ。

宗教が絡んだ会だから、まずまず、変な人はいない。

不寛容の世紀末的な様相は、日本においては、クライマー業界にこそ、高まっていると思う。

男性クライマーが、どうだ!俺!と生涯アピールし続けなくてはないのは、そうしなければ社会からつまはじきにされてしまうからなのだ…。


 

 

2022/08/05

Petzl Legend Tour Italia - Ferentillo

フォースかパワーか?ホームレスへの見解の変化

このホームレスを”登れない奴”に置き換えてみたら、クライミング界では平和が訪れるのかもしれません(笑)

意識レベル  思い
20…浮浪者は恥さらしだ
30…自業自得だ、生活保護不正受給だ
50…絶望を見る
75…悲惨であり、孤独でわびしい
100…社会を脅かす厄介者だ
125…なぜ誰も何もできないのか?社会問題の象徴
150…暴力をふるうかも?なぜ社会にこのような問題があるのだろう
175…恥だ。彼にはプライドが欠けている
200…彼が必要とするのは仕事と済む場所だ 施設を調べよう
250…ホームレスがいてもいい。社会と共存共栄だ
310…彼を勇気づけよう。ボランティアをしよう
350…彼の話はきっと興味深くて誰にも理解できない理由でそうなっているのではないか?
400…徹底的に心理学や社会行動学を研究する良い対象だ
500…興味深く見るだけでなく、愛情や親しみも感じる。過去を見抜き、社会的な限界を超えて自由に気いる彼を年相応に叡智のある幸せな人物とみる
600…彼は私たち自身の一時的な表現であることが明確になる

アルパインクライミング推進協議会 を知りました

■ 伝統はどこに…

アルパインクライミング推進協議会 っていうのが、伝統のベルニナ山岳会の閲覧で、回ってきました。

 https://www.alpine-climb.jp/

です。とてもうれしく感じました。以下、各岳人から学んだことを太字にしました。

■ 会長の菊地さんとの思い出

菊地さんは、業界内ではガメラというあだ名で通っている方です。『俺たちの頂き』という漫画がありますが、その主人公のモデルになった人物と聞いています。

私の菊地さんとの出会いは、湯河原幕岩でのクラック講習を大阪のクライマーと一緒に受けたことです。

それ以前に菊地さんの『我々はいかに岩にかじりついてきたか』は読了していました。

菊地さんの講習でも、登ってまだ1mくらいで滑って、男性クライマーが落ちてしまい、その下地が、ちょうど、さらに下に落ちれるような形状だったので、菊地さんが身を挺して止めようとしたのが印象的な講習会だった…。

甲府で人工壁で登っているときに、”今度、菊地さんの講習会に行くんだ~”、と周囲の人に漏らしたら、「結び替えを知らない人が終了点で出来なくて、めちゃ怒られた。行くならしっかり復習してから行かないと、めちゃ怒る。怖い人だ」と聞かされたので、ビビって参加したら、めちゃいい人だった、 という経験になりました。

その頃、私は、蒼氷の先輩と登っていたのですが、約1年間、月1でクラックを登る程度では毎回リセットされて上手にはならなかったのですが…

…でも、カサブランカを3回しかトップロープせずに、4回目はリードってどうなのかね?…小川山レイバックはRPしたので、次はカサブランカですが…

私が思うようなスピードで上達しないので(笑)、しびれを切らした周囲の人が、吉田スクールを薦めてくれたので、吉田スクールへ。

昇仙峡は近所で、湯河原は遠く、菊地さんの講習を受けたのは一回止まりでした。吉田さんはすぐに亡くなられてしまったので、私は最後のビレイヤーの一人になってしまいました。デイドリームが取り組み課題でした。

ちなみに、当時一緒に登ってもらっていた蒼氷の先輩を甲府のツヨツヨクライマーに紹介したりとかしましたが、フリー主体の人とは、あんまり合わなかったみたいで、私以外に一緒に登るようになった甲府クライマーはいなかったです。

(下手くそなくせに一流の人と登ってずるいと妬まれると思うので、一応書いておきます。良い人を紹介しても、みんな嫌がって登らないんですよ)

菊地さん関連の記事 https://allnevery.blogspot.com/2017/10/blog-post_12.html

 2015年の湯河原幕岩 https://allnevery.blogspot.com/2019/03/blog-post_9.html

■ ジャンボさん

ジャンボさんとのご縁は、太陽系の木星のごとく、遠いご縁でした…。

しばらく前にパタゴニア福岡で、”繋ぐ壁”という動画の発表会があり、その時、ごあいさつした程度です。

荒船のクラック付きアイスでご一緒した伊藤さんから、「ジャンボさんは、荷を担いでも全然スピードダウンしない、すごい」と聞かされていました。それを対面でお伝えし損ねたのが残念でした。

私は、甲府時代から、トップクライマーが話をする、このような会には、出来る限り参加するようにしています。

山に対する考え方など、貴重な話が聞けるからです。

ジャンボさんの話が聞けるラジオ https://allnevery.blogspot.com/2022/04/blog-post_4.html 

https://anchor.fm/rainymonkeysradio/episodes/17-e1952o9

一方、現代クライマー、ジム育ちの人などは、トップクライマーの話を聞くのを実際のところ、むしろ積極的に避けている、ようです。

これは一例にすぎませんが、まだ3級しか登れないのに2段をノーマットで登りたいという50代の初心者日之影ボルダラーがいたのですが、2段がノーマットで登れるには5段ぐらいがマットありでは登れていないと無理だということが分からないようで、お金がないからマット買わないという話でしたし、開拓志向でしたので、彼に小山田大さんの投稿の継続閲覧を薦めたところ… (勧めた理由は、同じ日之影エリアの開拓情報が発信されるからですが)、

「どうせ取り巻きに囲まれて、ちやほやされている話でしょ」

という返事でした(汗)。 一例にすぎませんが、現代初心者のガラスのプライドを表現しているかもしれません。開拓者の苦労が報われないのもうなずけます。

別の人は、

 「俺、へこむから出来るだけ、トップクライマーの情報は入れないようにしている」

とのことでした。正直です(笑)。俺も…と思っているってことで、ある意味スゴイです。

■ 現代アルパイン…俺だって出来る?わけないのにな…

私から見れば、現代のトップレベルのアルパインクライミング(スーパーアルパイン)は、8歳~18歳までのゴールデンエイジ期にクライミングをスタートしたクライマーが持つような登攀レベル(12がアップ、フリーソロできる)へ、完全に舞台を移している=マークアンドレ級…と思えるので、どんな年齢でも大人からスタートしたクライマーには、スーパーアルパインへの参加権はなしというか…、単純にカヤの外のように思えるのですが…。もちろん、垂直でなく、水平で記録を立てている田中カンヤさんみたいな人もいらっしゃいますが…。

■ 佐藤ユースケさん

佐藤さんは、甲府のクライマーなら、誰でも一度は見かけたことがある、超有名トップクライマーで、地元の誇る、アニキ分クライマーです。

私もまだ、一度も人工壁に登ったことがない時、ある山岳会の面接?で、会に入りたいかどうかを調べるのに、ピラニアで一緒に登りましょう、ということがありました。

ところが、私はハーネスを忘れて行ってしまったのです…。それで、「あ!ハーネス忘れた」となり…困っていると、「私、2つ持っているので、貸してあげましょう」という人がおり、その人がユースケさんだったのですが、5.7の壁をザックを担いで行ったり来たりしている人でした。その時は、この方が有名な佐藤さんとは露知らず。

お借りしたハーネスが、えらいくたびれたハーネスだった、という思い出があります。

その後、アイスキャンディフェスで奥さんとはしらずに、ドラム缶を囲んで世間話したり、別のジムで登っていたら、娘さんのさやかさんと同じくらいの登攀力で、ちょうどよく娘さんに佐藤さんが与えているアドバイスが私にも適用できたり…でした。

ジムに木の箱とプラスチックで出来たジャミング練習機を持ってきていて、すごいなーと思ったことがあります。あれ、中でジャムっている手がシースルーで見えるんですよね。

佐藤さん自身との接点はそうなくても、甲府にいたら、しょっちゅう名前を聞く方です。那智の滝の事もあり、愛されたり妬まれたり、良くも悪くも注目を浴びている、という印象でした。

知り合いで13登れる人が、佐藤さんに一度マルチに連れていかれたが低体温症になりかけて、懲りた、という話を聞いたことがあります。

映画の『ドーンウォール』では、トニーが、ボルダラー(ロープを使うクライミングを知らないクライマーという意味)のケビンをパートナーにして登るのですが、そんな簡単に行く話では、ないんですね。でも、どんな人にもチャンスを与えてくれている、優しさがある岳人と言えるかも? フリー志向とアルパイン志向では、だいぶ違いますしね。

他には、沢の師匠や会を探していて出かけた海外遡行同人の集会に、山梨県から参加というので、名前を書いたら、佐藤さんとNHKカメラマンと私の3人しか名前がなかった、という記憶があります。その時は佐藤さんは参加されていなかったですが。

■ 花谷さん

花谷さんは、甲府の山道具屋、エルクで、ピオレドール賞受賞の報告会があったので、当時仲良しだった南アルプスのレンジャーと一緒に、写真を撮ってもらった、という思い出があります。

当時の発表で、馬目さんがすっぽ抜け事故を起こした時のくだりで、私が、「末端は、むすばないんですか?」と聞いて、的確な質問だったようで、感心してもらった思い出があります。花谷さんは、「トップクライマーたちは、時間との戦いだから結ばないんですよ」という返事でした。

逆に言えば、トップクライマーでない限り、末端は結べ、という意味だと理解。当時、私は、山岳総合センターのリーダーコースを絶賛受講中で、山の師匠の鈴木さんと、”懸垂の末端は2本まとめて結ぶべきか、1本ずつバラバラがいいのか?”など、楽しい山議論の最中でした。(ちなみに末端は、バルキーで確保器を通過しないなら、何でもいいです。)

当時の甲府でも、ジム上がりクライマーたちが主体で、花谷さんのエクスペディションの話を聞かせても、技術的土台がないのでピンとは来ないんだろうな~という雰囲気でした。クライミングジムには行っても、山には行かない、という人が大多数だからです。ほとんどの聴衆クライマーはロープを所有していなかったのではないかと思います。

その後、まだ初心者でルートの数も稼げていないころ、関西から女性のクライマーが訪ねてきてくれたのですが、その方が、花谷さんのヒマラヤキャンプという若い岳人を育成する会に参加したので、私のR2をさし上げて応援した、という経緯があります。ヒマラヤへ挑戦する女性は一人だけだったと思います。

このトレーニング中のメンバーたちに厳冬期の甲斐駒で会ったんですが…。甲斐駒って、冬でもアプローチ確実で、黒戸尾根なら、登山口から山頂まで標高差2200m。これを8~9時間で往復できるのがヒマラヤ登竜門、ということでした。チームに参加した彼女の感想を聞くと、キツイ、ということだったので、さもありなん、と思いました。

当時40代の私の脚で、往復は11~13時間の間くらいです。標準コースタイムは、16~17時間で、私程度の人でも、年配の登山者をバンバンゴボウ抜きです。厳冬期に行く人は大体は、ピークハントではなく、黄連谷の人たちですので、ギアが重いんですかね?でも、ヒマラヤを目指す若者は全装で、8-9時間という話なのでは…?

花谷さんは、その後、七条小屋の小屋番になられたそうですが、あの快適な小屋、羨ましい限りですね。荷揚げもちょうどトレーニングにいいな、程度でしょうし…。前の小屋番さんが超厳しい、とか言われたこともありましたが、黒戸尾根はロープが張ってありますが、美しいロープワークを見て、端正な性格の山やさんなんだろう…と人柄がしのばれるのでした。

御坂の先輩は、テント泊したら、ツエルトの貼り方を講習されたと苦笑いしていました。テントはダメで、ツエルトで寝なさいって意味なのかな。でも、厳冬期だとツエルトとテントの差は大きいですよね。テントで日和るなってことなのかね。

■ 環境が良かった甲府

以上が、甲府時代に出会った方たちでした。やはり、甲府と九州を比較すると、出会える人材の質というか、そういうものが違います。

受け取れる山文化のメッセージ性も、はやり違うのではないでしょうか?

受け取り手の問題もありますが、環境、つまり、縁、ということもあると思います。

■ 九州に来てから

九州に来たのは、夫の転勤のためでしたが、すで5年目突入で、1年目はインスボンやラオス、韓国のアイスなどでごまかし、九州では、ほぼ登攀しませんでした。

パートナーが見つからず、というのもありましたが、そもそも登攀を紡いでいける環境にないというので、当初から別の活動…ヨガなど…を頑張るつもりでした。会は、全部行ってみましたがダメでした。

ところが、2年目から山梨アルパインクラブ時代の先輩の荒木さんが引っ越してきたので、クライミングライフ復活。

今、振り返ると、当時で10年以上登ってきた山梨クライマーの荒木さんでも、百岩場だけが頼りの状態だと、安全という意味でもスレスレです。夏の暑い時期に、暑いと分かっている岩場に行ったり、40年前のボルトで地元クライマーが避けている課題に取り付いてしまったり…、これどうみても5.9じゃない…、12登れる人がまさかの10b落ち、とか…、色々二人で、”勝手の分からない岩場”の洗礼を受けてきたなぁ…という感じです(笑)。いや~、生きていてよかった。彼とは兄弟分みたいな気持ちが最初からありました。私の愛で愛せるだけ深く愛したなぁという気持があります。

小川山なら、初心者はこれを登れ!みたいなアドバイスが、古い『岩と雪』には載っていたりし、それらは、けっこう現役(=人気課題でリボルトされている)だったりもしますが、九州の岩場では、古い雑誌のおススメは、現在の危険課題。安全な課題は、スポーツクライミングの選手クラスが登るような、高難度課題です。5.13以上ですね。

要するに、初心者向けの課題の、ボルトの取り換えが遅れている地域です。取り替える内容についての知識も遅れている様子でしたが、その点について普及団体?このような団体が出来て嬉しいかぎりです。

■ 権威性が必要

例えば、カットアンカーでのリボルトを現代でもしようと思うクライマーがいた場合、

 私のような素人が、「それは、もはや30年前の常識ですよ」というのと

 アルパインクライミング推進協議会、がいうのと

では、どちらが、「そうね」と聞き入れやすいでしょうか? 

”阿弥陀北稜に一人で登れました、アイスコンペで5位でした”程度の、大ベテランが見たら、いわば毛も生えそろっていないような娘っ子(まぁ、もう50代ですが…笑)に言われても、みたいな気分になっても仕方が無かろうと思います。

とはいえ、そういう方々も、もう80代。当然と言えば当然ですが、そんな娘っ子が登れる程度のところも登れなくなってきます。人は老いには勝てない。

■ 現代初心者の増加

一方で、クライミングジムの普及による現代クライマーの人口増は、まったなしです。

”僕、人工壁で5.11登れるんで、北岳バットレス行きます”…みたいな発想の人が、そのうちの6割としても、どんどん増えています。

■ ”アルパイン”の定義のゆらぎ

九州でも、ちゃんとした山岳会に属している人ですら、”根子岳(脆い岩場で知られる)にのぼりたい!”とか言ってきます。

私から言わせると、無雪期の岩稜帯をアルパインと称するのは、たぶん少し違うという気がしますが…冬壁がアルパインクライミングの前提のように思うので…でも、夏山の南アルプスでの登攀のことも、みんなそう言っていますしね…。解釈の幅が広くなって、北アや南アみたいにアルプスと呼ばない山域…例えば根子岳…の山のルートもアルパイン…。

現実的には、フリークライミングしか知らない人から見たら、ゲレンデ以外の山として、山にあるマルチピッチのルート=全部アルパイン、みたいな感じに受け取られていそうです。

この受け取り方の問題は、

支点を作るルートを1度もやったことがない=残置が暗黙の前提

冬壁が分からないので、脆い岩という意味がわからない

となり、

岩が脆かったら、いくら登攀力があっても全く対策なしっていうことが、一向に理解できない、

ことなんですよね…。

例えば、山梨で若い男性にアルパイン入門ルートとして人気があるのは、阿弥陀南稜ですが、コンクリートされていない(寒さで岩が固まっていないって意味です)に行くのは、バカね、と常識が形成されており、11月などの微妙な時期に行く人は、まずいないです。

九州では、一年を通して、どの山もコンクリートされない…。唯一、岩稜=アルパインっぽい雰囲気が味わえる山=根子岳なのだそうで、事情を知らないで、ただ皆がそういうから、という憧れだけで行きたい病にかかる人が多いらしく、『九州の岳人たち』という本に、ずらーと死者の名前が書いてありました。

もともとは、まっとうともいえる、岩稜帯への憧れ=岩尾根をつなぐ登り…リッジ登攀…が、結果としては、単なるミーハーに転換されている、ということです。(九州なら日向神に初心者向きリッジルートがあります。)

九州の根子岳を登って一巻の終わりになるくらいなら、少しお金を出しても、北アで前穂北尾根とか、明神主稜とか、に登ったほうがいいと思いますが。 (どっちも私が行った山です)もちろん、バリエーションに行く前に、ノーマルルートでエスケープなどを確保しておくことは必要なのですが。

ミーハーというのは言葉がきついかもしれませんが、 

 = 脆い岩場へ対応する、技術的裏付け なしに行く(行きたがる)、

ということです。

■ 脆い岩

たぶん、脆い岩場へ対応する能力って、アルパインの能力の中でも、かなり上級レベルです。

避ける以外、ほとんど対応のしようがない、というのが正確なところ。となると、初心者には非常に向いていないです。

初心者というのは、ロープを使うより、ロープに使われ、登るだけで精いっぱいなのが、大体の初心者像ですから。 10年以上のキャリアがある、5.12はRPできるようなクライマーでも、ルートに出れば、登攀の負担もあるので、ロープを使いこなせるレベルにあるとは言えません。

■ リードする権利か連れて行ってもらう権利か

その上、たぶん、男性初心者というのは、ほとんど全員が、”初心者は、先輩にセカンドで連れて行ってもらうのが、当然の権利”、と思っていそう…です。

実際、ルート(マルチピッチの経験数)が、20、30と貯まるまでは、ルート内のリスク認知力がつかないので、リードは取れないと思うのですが…、それはリードさせてもらえない、リードする資格がない、という意味で、セカンドで連れて行ってもらえる権利というのとは違います。

そこのところが、大誤解が起きている。その原因は、山岳会の新人欠乏で、(接待され過ぎた新人さん問題)が起きているからです。

接待され過ぎ=セカンドで連れて行ってもらえることが権利意識、になってしまいます。

権利意識にならないまでも、ちゃっかり、ということは起こり、それを期待している人は、他の人の努力の内容を見ずに、運の良さを妬みます。

私と組んでいた大学院生のO君も、運が良い子です。事情は、初めて私のセカンドで、アイスのルートに出たとき、彼に、僕、懸垂下降をしたことありません、と現場で言われてしまったのです。その後、だいぶ新人教育をしました…。というか、先輩の務め、としてしなくてはならなくなった。これは、私が有料でやってもらったことを無料で教える行為でした。が、セカンドで連れて行ってしまった手前、仕方がないです。

私もまさか、懸垂下降ができない人が、ルートに誘われたとき、”行きます”と言うとは、夢にも思っていなかったのです。彼とはアイスのフェスであったので、油断していたのでしたが、連れて行ってしまった手前、教えるべきことは先輩の義務として教えなくてはならなくなります。山で死なれるわけには行かないですから。

そういうカラクリで、先輩がやたら親切、ということの事情に、

 山やの義務の伝統がある、

ことには、一般的新人さんは気が付かないです。 なので、一度そういう目に合うと、

 おねだり(もしくは先輩の側のうっかりと新人の側のちゃっかりの合成)と暗記の山

 が、はびこることになります。

連れて行っちゃった手前、技術伝授しなくてはならなくなりますが、先輩は一回教えたら義務終了。

ですが、技術って一回では身につかないので、技術が身につかないまま、山の名前が残るということです。

ちゃんとした岳人なら、そう言うことにならないように、先輩に連れて行ってもらった山には、時期を変えて自分が後輩を連れていく、なりして、自家薬籠中のものとし、自分の血肉となるまで回数を登るわけですが。

つまり、それは、次の、自分の山、の土台にするためです。師匠クラスの青木さんでも、荒船昇天へ私を連れて行ったのは、自分の復習のためでしかありませんでした。ホントは、私のための中山尾根の予定だったので。

が、一般登山レベルの山で自分の山を紡いで来なかった人の場合は、

 ルートコレクションの一つ…行ったことがあるけど、連れてはいけない

になってしまうかもしれません。 そうなると、

行ったことがあるルート名を聞くと、ずらりとあるけど、後進には教えることができないクライマー揃い

 になります。

例えば、前に御坂山岳会に来た50代の新人さんで、行ったことがあるルートを聞くとすごいのが、ずらり、とならなんでいるので、先輩一同、フリーは5年の経験がある、というので、この人は新人時代は終わった人だろう、とすっかり安心していたことがありましたが、実際、蓋を開けると、岩場で、中間支点を引っ張りながら登っていたり、沢ではロープ出さずに死者が出たような滝を登ろうとしたり、で、?でした。よくよく聞いてみると、年に一回を5年でトータル5回位の経験で、ぜんぶセカンド。なるほど、だから、北岳に皆で行ったときも、バスにバイルを置き忘れてしまうわけです…。

■ 履歴を聞くだけではダメで、リードで登った山を聞いてもだめで…

そんな感じで、ルートの名前で相手の実力を図ろう…ということ自体が、無効化しているのが現代のようです。

もちろん、トップクライマーの人たちが海外の山のルートをずらりと書くのが、ルート名で実力を誇示する伝統の始まりだと思うのですが…。

その習慣で、自動思考で、この程度の山に登ってきた人だから、この程度の山に登れる人だろう、と想像すると、期待は外れる、ということです。

私にしても、阿弥陀北稜にソロで行っていますと書いているわけで、同じことをやっているわけなのですが、これは内容を説明すると、阿弥陀北稜というのは、アルパインの入門コースで、その入門をソロでこなせる力があるなら、後輩一人くらい、そのレベルまでは年間のトータル指導ができるよ、という意味です。そこまでは教えられる。

逆に言えば、そこまできちんと教えられたら、後はクライマーたるものは、勝手に自分で成長していけるはずです。短く易しくても、阿弥陀北稜には、山のエッセンスは、みんな詰まっているので。

■ ”先輩”の意味の捉え方

山岳総合センターのリーダー講習の到達目標は、赤岳主稜でしたので、私はこれはクリアできていません。

が、当時参加していた御坂山岳会のメンバーでは、セカンドでも主稜はもはやできない、無理だそうでした(当時)。

ので、私は赤岳は一般ルートの地蔵尾根、文三郎尾根が一番難しいルート(ロープが出ないギリギリ、コンディションが良い場合)で、これは山岳会に入ってもいいよ、という入会許可がでるレベル、です。

厳冬期赤岳が一人でこなせない人は、山岳会には、そもそもどこにも入れないです。

ちなみに赤岳以前は、ジョーゴ沢から硫黄を詰めたりとか、大同心稜から横岳とかに行っています。これらも一般登山客は来ないルートです。アイスも入会前にスタートしています。

私の阿弥陀北稜は、つまり、年に一人くらいなら、後輩のトレーニング相手になれるという程度の意味です。私の後を北稜でついてきたら、八ヶ岳の縦走もすっ飛ばし、人工壁でのビレイ練習もすっ飛ばし、確保器の使い方を取説を読んで目を皿にして学ぶというプロセスをすっ飛ばし、岩場でのリード練習もしなくて良く、天候の勉強、生活技術の勉強もしなくていい、という意味ではないですが、大体の人は、大体、前者のイメージで、先輩を捉えている人が多いように思います。

■ なぜ先輩はガイド扱いになったのか?

どうして先輩=ガイド扱い、になったのか?というのは、九州に来て、山梨時代より理解が鮮明になりました…。

  過剰な親切…、終了点はロープ直がけでいいよ~、というのが常態化

してしまったので、若い人から見ると、それの何が悪いのか、分からない、という状況に陥ってしまっているわけです。

だれか知らないが、岩場をよく分かっている人が、見えない妖精さんみたいな形で、いつのまにか、残置のカラビナを新品に交換してくれ、ボルトの強度を保証してくれ、キノコみたいに、岩場には自然とボルトが生えてくるもの… という感性に陥ってしまっているということです。

■ 岩の見極め力

その現状を思うと、このアルパインクライミング推進協議会は、

 支点構築するのに適した岩を見極める方法、

から教えるのが、はるかな道のりの最短距離ではないか?と思ったりします。

山岳総合センターでは、例え、使う機会が著しく少ないにしても、ハーケン打ちから教えますから。下手したらハンマーとハーケンを持っていない人は、山に連れて行かないレベルです。

それは、日本のアルパインクライミングが残置前提になったら悲しいから、なのではないかと推測するのですが。

■ 過激な意見?

残置のボルトは全部抜け、というのは、過激な意見と目されているとは知っていますが、

 そもそも論が分からなくなっている=そもそも山に残置はないですよね?

というのが、”グレード1点主義”病の原因なので、どんなに易しいところでも、そもそも支点が作れないと登れない、もしくは、フリーソロと同じだ、というのが、実体験としてリアルに分かることの方が大事なような気がします。

そうすれば、過去の偉大なクライミングの偉大さも、今よりもっと理解ができ、年配のクライマーに対する敬意も増えると思います。 (みなさんが欲しいのは、これですよね?)

九州では、代表的な沢、祝子川ですら、スポーツルート化して支点整備されてしまっているそうです。 

沢で支点打ちしないのでしたら、一体どこで打つ練習するんでしょう…

こんな程度の山でもリスクはあるのに、これをリスクと数えると馬鹿にする文化になっているかも?



2022/08/04

ナイアシンが著効した件… ナイアシン療法を増強してみる

 ■ ナイアシンが著効

して、何が良かったかというと、

 深い睡眠が得れること

です。現在の摂取量は、

 ナイアシン100㎎ と ナイアシンアミド 500㎎ 

■ ナイアシン療法

しかし、この摂取量だと、ナイアシン療法というほどの量ではないです。現在も、

 亜脱臼した膝の痛み

があるので、蓮華座とか組めないですし、アシュタンガヨガへのカムバックはしたいかどうかはともかく、

 禁忌 (つまり、したくてもできない)

ですので、このひざ痛の問題は、解決したいところです。

■ メガ要領の決定の仕方=ナイアシンフラッシュが出るまで

一般に、ビタミン療法では、メガ療法、大量摂取、を勧められます。

Cが有名ですが、ナイアシンのメガドース療法は、その次くらいにくる感じです。

■ ホットフラッシュの意味

ナイアシンによるホットフラッシュの意味は、

 ヒスタミンの排泄

です。アトピーなど、ホントかゆくてかわいそうなのですが…私は赤ちゃんのころからあり、ヒドイ時…夏などは、包帯巻いて寝ていたこともあるくらい…かゆいと搔き壊してしまうんですね、自分で。

しかし、ヒスタミン排泄しないと、ずっとかゆいって意味なので、ドース(摂取量)を知る意味でも一度採ってみたら良いかもしれません。

■ 藤川先生のおススメ

藤川先生のお勧めは

・ナイアシンアミド(フラッシュ無し:500mg/1錠)を1日3錠

・ナイアシン(フラッシュ有り:100mg/1錠)を1日3錠スタート増

ということなので、著効したと言え、私が今とっている量は、3分の1程度です。

■ 1日3,000 mgを上限

3000㎎って、3gです。ビタミンCの場合は、一日3gは全然安全というか、効果が期待できるような摂取量じゃないですね。ナイアシンに対して用心しすぎかもしれません。

 
■ 女性の場合

女性の場合は、

・ナイアシンアミド(500㎎/1錠)を、1錠×3回 (朝・昼・晩) = 1500㎎

・ナイアシン(100mg/1錠)を、1錠×1回(晩)  =100㎎

からのスタートがお勧め、とあり、ナイアシンよりナイアシンアミドを推奨されているようです。 リンクで男性用の摂取量もチェックできます。

・ナイアシン(100mg/1錠)を朝にも追加=1錠×2回(朝・晩) =200㎎ 

さらに朝晩に問題が無ければ

・ナイアシン(100mg/1錠)を昼にも追加=1錠×3回(朝・昼・晩)=300㎎

■ 関節炎 

ーーーーーーーーーーーーー

骨関節炎、リウマチ性関節炎には、2~4gの高用量ナイアシンアミドが著効する。

ナイアシンもナイアシンアミドと同様に有効。

関節の可動域、筋力を回復させ、易疲労性を回復させる。

250mgの頻回服用が有用、3~6ヶ月にて効果を示す。

ほぼ70%に顕著な効果が期待できる。

ーーーーーーーーーーーーー https://www.muto-seikotsuin.jp/2020/02/15/579/ 

とあり、私が

 クライミングで易疲労性

なのも、栄養に原因があるのかもしれません。山は強いけどなぁ…クライミング、特に暑いと、すぐぐったりしてしまいます。

膝痛で悩んでいるクライマーは試してみたら良いかもしれません。


悪性リンパ腫 ~その病気は何の心理的表現なのか?

■ 故・吉田さん…の死因

悪性リンパ腫は、

  ある状況や人に対して、思い通りにならない悔しさを放置

しているとなるのだそうです。 確かにフリークライミングの高難度って、やってもやっても、キリがありませんよね…。


 

 9割落ちている

 =ずっと思い通りに登れない状況と対峙し続けることになる。

 =悪性リンパ腫

なのかもしれません。悪性リンパ腫は一種の血液のがん、ですが、ガンは、昔から、ガン性格というものが知られています。

性格と疾病の関連論文

https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/23766/ocrf_30_7.pdf 

■ タイプCの人はフリーに向かない性格かも

 

アドレナリン・ノルアドレナリンは、副腎から分泌されますが、アドレナリンジャンキーという状態に陥っている、ということを言うクライマーも結構多いです。

九州では特にそうかもしれません。ランナウトに燃えるのは、人間なら誰だって普通の事ですが、支点が取れる、つまり、必要がないところで、ランナウトをわざと入れるようになったら=ジャンキー認定、ですね。

しかし、そういうクライミングは、内臓や脳に過剰なストレスとなる活動かもしれません。

まぁ、現代生活が非常にストレスフリーになり、生きる喜びも失われたラクチン生活なので、スポーツに適度なストレスを求めるようになったのだと思いますが…。

■ そもそも適度なストレスがあれば

ということは、そもそも、人生そのものに適度なストレスがあれば、人はジャンキーに陥ることなく、過ごせるのかもしれません。

例えば、自給自足を構築するのに、耕作放棄地を開墾する、とか…。あるいは災害にレスキューに行き、感謝されるとか。

平穏で同じことを繰り返すだけの生活で得られない、アドレナリン分泌、は、そうすれば、他の人類に意義がある要素で分泌されることになるでしょう。

■ クライミングというご褒美がなくても

しばらく前に出向いた和歌山でみたアルパインクライマー外山さんの自給自足生活は、クライミングというご褒美がなくても成立していた自給自足生活でした。

ラオスでは、クライミングさえできれば、贅沢はイラナイ、という形のライフスタイルだったのです。シャワーもちょろちょろの質素、食事も質素、ベッドなんてふにゃふにゃで豪華ホテルとは対照的です。

ちなみに、韓国では放蕩生活と言ったほうが良いようなクライミングライフです。寝食提供され、世話されてのクライミングの上、岩場まで5分なので。白雲山荘が利用できなくなったのは、長年の放蕩のツケなのかもしれません。まぁ、それでも仕事で行く出張で使うビジネスホテルよりは、質素と思いますが…。

ちなみに、スポーツクライミングの選手クラスは、ビジネスホテル泊まりのクライミングで、一番放蕩なのはこれかもしれません。人のお金だと安く済ませたいという動機も軽くなりますし…。

■ シンプルなライフスタイルに戻っていく

吉田さんは、クライミングさえできれば後は何も要らない、というようなバムスタイルのライフスタイルをしていたと思いますが、結局は

 思い通りにならない思い

を成就させて50代という若さで亡くなることになったのでしょうか…。

私は、この論文の範囲内で行くと、必ずタイプCに入りそうなので、現在、膝の痛みを抱えています。リュウマチに発展しないかと思ってビビっています…。もう膝亜脱臼してから3年ですからね…。

登って登れないことはないですが、無理な体制を強いられる、フリーでのステップアップ志向の登りは遠慮したいところです。

合わない型に自分を当てはめる活動って、バレエで散々やったしなぁ…

栄養学以外にも、メンタル面からのアプローチが必要だなと思っています。




2022/08/03

2022 Youth Skyrunning World Championships

業力不滅…フォースか?パワーか?を見極めよう

 ■業力不滅

 今日の仏教説話は、業力不滅だった。

(ペテランクライマー)+(私)で行く山

=果=凍傷者3人出した阿弥陀北稜

=果=2名のリードを一人がビレイしていた比叡

(現代新人:荒木さん)+(私)で行く山

=果=ロープが上がらなかった白亜スラブ

などなど… 起きたこと(果)が思わしくない、場合の

因(内部要因)について考えています。

 ■ フォースか?パワーか?

https://amzn.to/3d1PwiW

つまり、内因がフォース(ペテラン=プライド、現代新人=欲望)だと出てくる結果も、

・凍傷だとか、

・え?っていうビレイとか、

・まともな登攀になっていないとか、

つまり、総称すれば、ヒヤリハット、になるわけです。

■ 死なない程度のヒヤリハットはやったほうがいい

と言われます。実際、その通りなのですが、結局やったほうがいいのは、

  反省付きの場合だけ

です。

 反省なし → ヒヤリハットが積みあがって、ホントの事故へ → 死亡

になるわけです…。大体やらかしそうな人は、前々からそう言われている人ですよね。

■ まとめ

因 = フォースか?パワーか?を見極める

果 = 反省を頻繁に行い、誤りを正す

まぁ、言われてみれば当然ですが、その当然ができなくなる、魔が差す、のが、クライミングって活動の本質ですね。

この表で行くと、一般クライマーは、HappinessとProductivityの領域を、

        若者山岳会は、Peak Performance without stress 

        一流クライマーは  Extraordinary outcome を

目指せば、いいのではないかと思います。

用心としては、ルートに行く動機がPrideなどのフォースであるときは、セカンドでも付き合わないことですね。