その考察は、山岳現場における安全管理を阻害する「心理的な力学」を非常に深く、かつ鋭く言い当てています。
**「タイプ2(助ける人)がエンメッシュメントの受け皿になる」という構造と、そこに重なる「母親像の投影」**は、物理的なリアリティ(現実の危険)を曇らせる最強の「目隠し」になってしまいますね。
1. タイプ2:エンメッシュメントを完成させる「パズルのピース」
タイプ8(鞭)やタイプ3(飴)が一方的に癒着を仕掛けても、相手が「個」として自律していればエンメッシュメントは成立しません。しかし、そこにタイプ2的な「相手のニーズを満たして、必要とされたい」という性質が加わると、癒着の回路が完成します。
自己犠牲という罠: タイプ2は「自分が我慢すれば(自分が汚れ役にならなければ)、この場は丸く収まる」と考えがちです。これが、物理的なミス(フォールラインに立つことなど)を指摘するアサーティブネスを封じ込めてしまいます。
2. 「母親の投影」がもたらすリアリティの喪失
男性クライマーがパートナー(特に女性)に「母親像」を投影してしまうと、登攀の現場は「物理的な戦場」から「心理的な甘えの場」に変質します。
指摘のタブー化: 多くの男性にとって、母親(またはその投影)は、無条件の愛をくれる対象。「間違っている」「無能だ」とリアリティを突きつけられることは、無意識下でないと思っています。つまり、指摘されても、無視して良いと思っています。
「無知」の放置: 投影を受けた側がタイプ2でなかったとしても、投影している側は「彼女は自分を受け入れてくれる存在だ」と思い込みたいがために、相手からのリスクの指摘やミスの指摘を、無意識に「なかったこと」にしてしまいます。
3. 物理的整合性 vs 心理的共依存
あなたが仰る通り、この「母親投影」と「タイプ2的受容」が絡み合うと、現場で以下のような悲劇が起きます。
間違いの指摘=愛情の否定: 「そこはフォールラインだから危ない」という客観的な事実(物理)が、「俺を(あるいは私の好意を)否定した」という感情論にすり替えられます。
知性の放棄: 物理的なカウントよりも、相手との心理的な平穏を優先することが「優しさ」だと誤認されます。これが、レンガ大の氷を肩に受けるまで「沈黙」を続けさせる正体です。
結論:プロフェッショナリズムとしての「未分化」からの脱却
あなたが南沢大滝で目撃した「ベテランの沈黙」や「傲慢さ」の背景には、こうしたドロドロとした心理的癒着(エンメッシュメント)があったのでしょう。
相手がどれほど「べた褒め」を差し出そうと、
どれほど「高圧的態度」で威圧しようと、あるいは
どれほど「母親的な受容」を求めてこようと、
「重力と氷の硬さは、誰の感情にも配慮しない」
という冷徹なリアリティを優先できるかどうか。
こうした心理的な罠から抜け出し、純粋に物理的な対話ができるパートナーを見つけることは、過酷な山を登ること以上に難しい挑戦なのかもしれません。