2021/10/21

正見

 今朝、やっと正見が開けた。

仏教説話をしてくれている、おかもん先生に感謝している。毎朝、旅行中以外は欠かさず、仏教説話を聞いている。その講師のおかもん先生にはとても感謝している。

不思議なことに今日は執着の話を聴いていて、突然、正見が開けた。

■これまでの経緯

私は、一般登山が嵩じ、アルパインクライミングをスタートしたのだが、そこから、何かがおかしくなり始めた…。おそらく、それは、顔の見えない大衆や夫からの嫉妬、だと思う。今、振り返って、そう思う。

山を知る喜びや発見をつづった文章が、むしろ、人々の”嫉妬”や”人を引きずり下ろしたい気持ち”などの、ネガティブな感情を刺激していたらしい…と今は分かる。しかし、当時は、私は、自分の立場を恵まれた立場というよりは、”被災民”のように感じていたので、その嫉妬に面食らうばかりだった。

こう何度も、自分の都合でも意志でもない転勤で、ころころと転地していては、まともな仕事にありつくこと自体がそももそ不可能であり、やりがいや生きがいをほかのこと…つまり、趣味に見出さずにはおれない、というだけのことだったからだ。趣味にだって仕事並みに全力投入すれば、誰だって私くらいの成果は出せるだろう…いや、もっとすごい成果が出せて当然だろう。

私は生い立ちがアダルトチルドレンで200%の人だ。つまり、出来ていることも、出来ていないと感じる、どこまでも、自分にOKが出せないというのが基盤にあるということなんだが、長い社会人生活でそれを克服してきた。

ところが、その面がクライミングでは足元を見られるようになった…。例えば、車。車がないクライマーがクライミングできないのは、当然の事なんだが、そうはこちらでは受け取られていないようだ。あるいはギア。カムを持っていないアルパインクライマーなんてルートに行くことすらできないのが普通だが、それもなし。カムどころか、ロープすら人のだったりする。ギア不足で当然というのは、自立したクライミングではない。ビレイスキルがない、も同じだ。

私にとってはあって当然、できて当然のことが、他のクライマーには、出来ないということになっている。

200%の人は、50%の人のターゲットにされる。ので、なかなか釣り合う人がいない。有料で教わったことを無料で教える羽目になっている。

結果、自分自身の喜びを山で追及できなくなった。自分のことが後回しになるということだ。

これはおかしいということで、色々なところに救いを求めたが、ギーターの勉強したり、心理学を勉強したり、チベット僧のターパさん、サンフランシスコのマイケル牧師、人生のメンターが必要なのか?と思って、古い友人との交流を再開したり…長い間、模索が続いた。

模索する中で出会ったのが、おかもん仏教説話だ。仏教にも、学生時代から何度かはチャレンジしていて、やっぱり違うなぁ…と過去になった経験があり、あまり期待しないで聴いていたが、おかもん先生の仏教は、ターパさんと同じで、ブッダが言ったこと、また法(ものごとの理)だけを立脚点にしているので、変な宗教的色付けがない。それが気に入った理由だ。私が子供のころから信じてきた、善、と最も近い。お葬式に大枚はたくのが仏教だと思っていたら間違いですぞ。

仏教なら誰でもいいのか?というと違い、大愚和尚のYouTubeを見てみたが、それも違う。

ので、おかもん先生にはとても感謝している。

おかもん先生に教えてもらって開けた知恵は、

 クライミング仲間が、ガリガリ亡者連中だ

ということ。自分の登りたいところを落とすためなら、パートナーが危険にさらされても良い、それは相手の責任だ、という歪んだ自己責任論で犯されている。そこには自分さえよければよいがあり、仲間意識はない。仲間意識がないということは、分かち合いの意識もない。そんなところでやっていきたいとは思えない。

というので、最近やっとスッキリ…。クライミングの業(ごう)は深かった…。

私は、すっかり手放す気満々で福岡に来たのに…色々な人に誘われて、全然手放せなかった…

私はクライミング歴が浅いクライマーで相互監視の中で登りたかった…だから、仲間が欲しいという気持ちが執着として残り、クライミングはとっくに賞味期限が切れた趣味だったのに、手放すことができなかったのだろう。

クライミングは危険な行為なので、仲間同士で助け合い、相互監視する間柄が必要だと、九州クライマーは思っていない。どちらかというと、どっちのほうが命知らずか?競合しあっている。そんな関係性で登って行けば、早晩、命が無くなる。

ただでも危険なことをしているのがクライミングなのだが、それをより危なくなるように、わざわざランナウトさせているのが九州のクライミングルートの形だからだ。まぁ、これは小川山もヨセミテ流を継承しているから、同じなんだが。

したいと思っていないリードも無理強いされて不愉快だった。

というのが、明らかに見れるようになるのに、業が深すぎて、4年かかった…(汗)。 

アイスでワンシーズン35回、登りまくって楽しく成長したのがたったの1年の事で、その35回のクライミングで作った業を燃やしつくすのに、4年もかかったのでは割に合わないなぁ(笑)。

おかもん先生に大感謝だ。

■ 僻地

九州に来た当初から、九州では山やクライミングをやらないで、他のことに取り組みたいと思っていたんだよなぁ…。何しろ、登山業界として見ると、九州には特に見るべき山はないんだし。

日本登山大系という立派なシリーズがあるが、穂高は山ひとつで一冊なのに、関西以西は四国、中国、九州をまとめて一冊程度の話にまとめられている。そんな状況を知っていたから、最初から気分は盛り下がっていたのに、なぜか、次々とクライミングでやっておくことが出来てしまい、ずるずると断ち切れずにいた…。

それは、やはり、私が山が好き、という執着があるから、だろう。

高度な登山をする以前から、森林ボランティアで間伐に行ったり、山梨でも山一発目は登山道の整備活動だったり、だからなぁ…。

山が好き、自然が好きという執着が、こんな形でしか昇華させられないとは… まさに、”私の不徳の致すところ”という感じだなぁ…。

もしかして、BMCトラッドフェスに行っておけばよかったのだろうか?いや、そんなことをしたら、嫉妬の炎はより強く燃え盛っていただろう…。つまり、もっと悪口を言われていただろう…

というので、人の目を気にして生きている、ということも分かった次第…。スティーブには悪いことをしたなぁ…。せっかく誘ってくれたのに。

このような悪いチョイスをしてしまう業は、私の”禁止令”にあると思うが…。うしろめたさということを感じているのは、それだけの努力をしたという気持ちがないからかもしれない。

たしかにクライミングも別に頑張ったわけではなく、能力を100%出し切ったわけではない。ただ、山のご縁がつながって、どんどんと広がっただけだ…。山梨でいただいたご縁はすごかったよなぁ。まぁ、半分は下心で支えられていたような気がするが。

九州で担っている役割は、私よりも能力があり、適任の人が担うべき責任だという気持ちがどこかにあるよなぁ…例えば、九州クライマー連絡会とか。

私の実力そのままの山で言えば、甲斐駒積雪期単独、阿弥陀北稜積雪期初見で単独、そんな感じかな。明神主稜も自分の山だ。フリーはまだ初級で足踏みだし、この怪我でさらに後退中だ。まぁ、だからと言って惜しいと思っていない。そこまで私に喜びをもたらさないからだ。

ドライの練習はしたいんだが、岩根まで行っても練習するのは相手の問題でできなかったからなぁ…。

とりあえずやれることはやっている感、あります。

2021/10/14

九州に来てから起きた感謝できないことのまとめ

1)はじめての四阿屋でランナウトによるグランドフォールを目撃

2)やってはいけないビレイと最初に教わる支点ビレイを目撃

3)座ってビレイされる

4)分かっていないロープワーク講習会を目撃(自己脱出の支点にレボルバー)

5)見たことがなく、どう使っていいのか悩む支点類

6)カットアンカーが20年以上前のレギュラーで現代ではグージョンであることを知る

7)マルチで2名のリードクライマーを一名のビレイヤーがビレイしていることを知る

8)壁から離れたバッツンビレイをされているかわいそうな子供を目撃

9)背の低いクライマーに向かってエイドで鍛えるという発言から分かっていなさそうなことを推測

10)せっかくの市販の終了点であっても、ボルト位置が近すぎる(八面)

11)せっかくの整備であっても、ボルトラダーの置き換えで1m置きにボルトで分かっていなさそうだということが推測される

12)会に属していて3年経ってもなんの理解も進行していない人を目撃する その会では教えていないことが推測できる

2021/10/07

チェーンソーが使えるようになりました

  20日間林業就業者支援講習

チェーンソーが使えるようになりました。

・安全服 チャップス義務化

・メット、バイザー、ホイッスル、イヤマフ

・防振手袋、安全靴(つま先鉄板入り)

開拓クライマーも防振手袋と目の保護くらいはしても良いような気がしますね。

あと、かかり木の処理は、メカニカルシステムと同じです。いきなり玉伐りしているような気がするなぁ。

やはり、きちんと学ぶと、素人さんレベルがいかに危険なことをしているのか…と思います。

以前、ピオレドール賞を受賞した伊藤さんとお話しする機会があった時、毎回、死の覚悟が必要な山はできないと私が言うと、

「でも、よほど素人さんたちのほうが危険なことをしているよね」

という答えだった。本当に九州に来てその通りだと思う。

2021/10/03

中古のギアは使用しない

 あまりにも当たり前のことなので、誰でもそうしていると思ったら違うようでした…

カムやアイスアックス、その他、ギアの貸し借りは、自立したクライマーはほとんどしません。コンペに出るのに、ほんのちょっとの間、アイスフックがいるとか、試しに振ってみたいとか、そんな話があるときは、借りたり使ったりしますが、最初からカムを買いそろえる気がないままに、クラックの岩場に行くとか、自分の本気トライで、人のロープで登るとか、ありえませんよ。何しろ、リスクのコントロールを楽しむのがクライミングなので、人の土俵で相撲を取るようなことになります。

印象的だったのは、私が初心者時代に確保器を落とした時、先輩が残念そうに

「落としちゃったら、内部に見えない亀裂が入るから、もう使えないね」

と残念そうに言ったことです。それくらい、ギアの性能には気を遣うのが通常です。



2021/10/01

移住するシリアスクライマー

 ■ 山梨県北杜市の若者クライマー

は、みんなクライミングのために移住してきた人たちで、私のように、たまたま山梨に来て、なら登ろっか…みたいな人はいない。

クライミングのために移住してきているシリアスクライマー達だ。

しかし、かわいそうなことに、仕事がないので、結局、生活のためにクライミングできなくなってしまっている…。コンビニバイトとか、ナナーズで働くとかでは、月収13万円でやっとこさ暮らせるレベル感になってしまうからだ。

気の毒で見ていられないが、来たのは本人の意思だからなぁ…

■ 地元は無知

山梨でも、地元は、クライミング?なにそれ?美味しいの?レベルだった…。

桃とか葡萄とか有名すぎて、クライミングとかどうでもいいレベル…つまり、桃やブドウが廃れて、流行がクライミングに来ているということが業界外だから分からないということだった…。

クライミングのメッカ、小川山がある川上村も、クライミングには全然興味がない…。そもそもレタス豪農の年収2500万円の村だからなぁ… 雇っているのは、全員外国人研修生で、彼らは委縮しており、人目につかないようにしている…世界的な人権センターから是正勧告を受けたほどの人権無視型外国人雇用… 

そんな村の再奥地にある小川山も、フリークライミングのメッカなんだが…まぁ、正直、国際的に胸を張って、安全に登れるとは言い難いよなぁ…。

けど、この岩場はアメリカ型だから、それでいいと思う。花崗岩の岩場は、みんなアメリカ型でいいんじゃないのだろうか…つまり、カムで登る。安全は自分で確保するってことだ。

現代クライマーは、そんな”自己責任型”クライミングはあんまり好きでないようで、小川山でもボルダラーが優勢だ。

アルパインの人やロープの人は、ボルダラーを見て、ああなっては堕落だ…と思っていたりする…。

が、最近の若者に人気があるのは、小川山でもボルダー。理由は、小難しいロープワークやリードするためのリスク管理を勉強する必要がないから…。ロープのクライミングは教わりたいと思っても、教わる教育機関がない。山岳会に行っても、教えられる人がない。

ちゃんとした会に行くと、登れるように教えてはくれないのに、山行計画にダメ出しばかり貰って永遠に山に行けない… それは本人の行きたいルートと実力に乖離があるためなんだが、そのことを説明すらしてもらえないので、フラストレーションになる。

…例えば、私が最初に行ったジョーゴ沢から硫黄岳山頂を目指すアルパインのルートは、2か所の滝の核心があるだけでごく簡単だった…ロープを出さないで超えてしまったくらいだ…が、伊那の方の山岳会は、私たちが行くのにビーコンを無理やり持たせたくらいだ。

というので、ボルダーなら、そういうめんどうがなく、誰にも文句言われることなく、登れるということなのだが、実を言えば、ボルダーは非常に怪我が多い。

■ ボルダーではランディングとマントル返しが核心

ランディングとか、マントルとかちゃんと教わることがないから…どっちも外で登らないと出てくることがないから、誰もがいきなりぶっつけ本番になる。

アルパインのクライマーは、当然読図ができるので、沢に行ったり、アイスに行ったりして、新しいボルダーを見つける。

ボルダーしかしない人は、地図の見方も知らない。そのため、結局、人が作った課題を登るくらいしかできることがない。

ついでにどこをホールドにするのか?ということすら、Youtubeで確認…つまりオンサイトは不在だ。登れさえすれば何でもいいことになってしまう。どこがホールドなのか、先に見ないと登れない…とオンサイトというのは初めからない。ボルトも使わないので、開拓に向かうこともない。

…だからボルダーの課題がTRで試登で開拓されていることも分からない…現代クライミングは開拓者は最初からリードなんてしていないですよ?ラッペルダウンでの開拓が普通になっている。

ボルダラーの人が悪いわけではないが、YouTubeと同じムーブをするための課題になってしまったら、そこにはクリエイティビティはない。人のまねがあるだけになってしまう。

AさんとBさんが、同じことが同じように出来る…を目指していたら、自分でムーブを編み出すということはないので、一生懸命トレーニングと言うことになってしまい…最高グレードに達した後は、だんだん以前できたことができなくなっていくだけだ…そんな未来が予想できることに、私などの遅くからスタートした人は全く魅力を見出すことはできないんだが…

魅力を感じる人によれば、パワーをオールアウトできるのが楽しいのだそうだ。

男性の肉体パワーを使う機会がほとんどない現代社会、そういうニーズがあるなら、有償のお金になる仕事でそれを使ったら、どうなのだろうか?

例えば、架線の会社で働くとか…