2024/09/02

【クライミングによる地域おこし】不在のステークホルダー、地域市民を地域おこしに

■ 私が本当にクライミングによる地域おこしでやりたいこと

現在のクライミングによる地域おこしでは、本当に地域おこしという活動から、利益を得る主体である人、つまり、地域の人、はなんらの便益も得ていない。

地域おこしなのに、肝心のステークホルダーが不在、その名は、地域市民…。

ロクスノで、小鹿野の地域おこしに関する話を読んだが、小鹿野も、地域おこしについて、地主や地権者しか、地域おこしについて、関心を持ってもらう、利益を得てもらう、という発想がないみたいだった…。

地域おこしに地域の人が参加しなかったら、その地域おこしは、肝心の当事者不在の活動になる。

地域というのは、自分の家、であり、自分の故郷であり、まぁ、拡大した自分自身、ということだ。

自分が日本人でない、と思う人はいないだろう。同じことで、自分が○○町民、〇〇市民、〇〇県人、と思わない人はいない。なのに、クライマーでないから、小鹿野の町おこしには関係ないとか、地主じゃないから関係ない、意見できない、というのは、間違った発想だ。

他人事、ではない。その他人ごとではない、という感覚を日本人は戦後忘れてしまった。

私がアメリカに行ったのは、94年95年だが、教会活動が盛んで、震災の時は物資を送る活動に私も参加した。その時、アメリカでは地域活動がきちんとあるんだなぁと思った。

その後サンフランシスコ市内の日赤に同様に参加してボランティア活動しようとしたが、あまりにも悲惨で機能しておらず、なんじゃこりゃ感があった。すでに自分の町という活動が成り立っていなかった。要するに、貧すれば鈍するのである。

思えば、九州福岡で経験したクライミング活動の廃れぶり…は、同じだったかもしれない。

みんなが自分さえよければいい、となった結果、こういうことになったんじゃないだろうか?

伊藤貫先生は、中国の日本が属国に陥ることを懸念しているが…アメリカに対して売国奴だった人たちが、今度は中国に対して売国奴になるだけのことで、日本市民、国民は、また、ただ黙ってその事態を受け入れるだけのことなのだろうか?

私は市民の自主性が失われた町というのは、ほとんどすべての市町村なのではないか?と思っている。

夕張以外の… いっそ、全く市町村機能が無くなれば、人々は自分の力で立つことを思い出すのではないだろうか。