2024/12/11

【クライミング心理学】自己愛的虐待を乗り越える〜回復中

■ 最近、だいぶ元気になってきました☆

長い時間だったなぁ…2020年から、4年。だいぶ長い間、クライミング界の闇に足を取られていました。最近、回復中。

動画はトップカウンセラーさんの南ユウタさんの動画です。

ナルシスティックアビュースとは?

 ・自分の欲求を優先して、
 
  1)あなたのニーズを無視する → 安全なビレイを求めるのは普通のことです
  2)あなたを過度に批判する  → 九州の支点が、ボロイのは本当のことです 
  3)あなたに勝手な期待を押し付ける →クライミング歴3年の人に期待が大きすぎます
 
の3つです。自分の欲求を優先、というところがポイント。とっても自己中って意味です。

■ 虐待の内容 過度の批判

「(95点をとったのに)なんで100点じゃないの?」

です。

「(3年目のクライマーなのに)なんで5.12登れないの?」

これを九州クライミングで私に起きたことに直すと すでに夢中歩行5.9もそれに続く初夢5.10aもオンサイトしているのに、次から次に難しいのに連れて行かれ、「こんなのも登れないの?」と言われる…。は?この課題を登りたいって、私、言ったっけ?でした。

日向神は本気ルートとは、とても位置づけられない感じでした。暗くてランナウトしていて、あんまり楽しい岩場とは思えなかった…。トレーニングならいいかもしれませんが。白くてきれいな岩場で登りたいです。

最初からオンサイトだったので、よっぽど楽勝で登っているように見えたのかもしれないですが、無理難題を突き付けられている感がありました。

支点のぼろさに九州の人は、無自覚だからです。

たしかに俺ってどーだ!というオーラを発しながら、登る九州男児と比べると、私はオーラゼロで登ったかもしれない。

挑発→応酬 で登るクライミングが九州では普通のようでした。それって、そういえば、ヒロさんもラオスで、韓国人男性に勝手にライバル視されていたよなぁ… あれって男性の遊び方?それが嫌でした。

”もっと頑張れ教”は、九州全体の洗脳のような気がします。

フリークライミングを私は楽しみたいのに、もっと上、もっと上と、まるで10代の学生の部活のようにやらされるのが嫌だったんですが…そんな登り方、楽しいです???でも、九州というか、日本全国、スポコンだからなぁ、日本では。

主体的にやるならいざ知らず。大人なんだから、もう、ほっといて!って感じだったなぁ。

私の強みは主体的学習にあり、子供の頃も、大人のやり方ではその子は学習できない、と思っていました。子供心に、しゃーないなー、って、大人に合わせてやっている、って気持ちでした。

なんでまた、大人になってまで、合わせてやらねばならんのだ。

あー、むかついた~。 何をやっても、不十分認定、ダメ認定、されるって感じでした。

その2)感情の無視 = 虐待

「そんなことで泣くな」のクライマーバージョンは、

 「そんな課題(高さで、支点で、ランナウトで)で怖がるな」

です。 続けると、感情を分かり合えない孤独な人生に落ちいるそうです。

その3)過剰な期待 

他人の期待に応えることに過剰に価値を置かれる。

他人の期待に縛られる人生。自分はどう生きたかったか分からなくなる。

その4)コントロール

条件を付けて操ろうとする。他人の指示に従わざるを得ない。服従が習慣になり、本当の自分の気持ちや意見が言えなくなる。他人に利用されるのでは?とびくびくすることになる。

受け身な人生。

その5) 親のニーズ中心の人生。仮面の人生。自分の本当の感情を隠してごまかしながら期待に応えようとする。

■ 解決策

1)怒りを解消する

可能な限り、過去の出来事を思い出して、怒りをよく思い出す。

2)専門家を見つけて話をする

火は消えていないが、煙は出ている、という状態は避ける。

3)喪失を悲嘆する

グリーフワーク。悲しみを避けて通れない。

4)防衛を乗り越える

殺意。強い怒り。抑え込む癖が、逆に生きづらさになる。

否認 あれはなかった
抑圧 覚えていない、何も感じない。不安の源になる。
知性化 理屈で解決
同化  あれは仕方なかった 
回避 もう考えたくない
自己犠牲 相手が幸せなら私はいいんだ → 燃え尽き症候群

■ クライミング界そのものが、自己愛的虐待の製造装置化しているような?

否認 → クライミング界に自己愛的虐待は存在しない
抑圧 → こんなのも登れねーの、弱虫~と言われて、傷つきを認めない。
     そういう世界なのだと無理やり納得する
知性化 → この自己愛的虐待も、強いクライマーになるには必要なのだ
同化 → そういう風に教育を先輩も受けてきたんだ、仕方なかったんだ
回避 → いまさら考ても仕方がない
自己犠牲 → クライミング界がハッピーなら自分はいいんだ 

となっているような? 

 クライミング界の、世界として見た場合のいびつさは、一般社会のいびつさをはるかにしのぐ、いびつさですよ…

こんな世界に誰がした? 私じゃないよ~。特に九州の人に言いたいですね!

参考:【アダルトチルドレン・自己愛】自己愛的虐待を乗り越える〜回復のガイド〜【心理カウンセラー・南ユウタ】

2024/12/10

【クライミング心理学】自分は特別なクライマーだ?

■ 今日はジムで印象的な出来事があった

女性客が多いジムに通っているんだが…今日はいつもの受付のお姉さん…たぶんオーナーさん…ではなく、なんかなーと前回感じた、若い男性スタッフだった。

で、ちょっとがっかりしたのだった…。というのは、女性同士のよしみ、的な話がちょっと楽しいから。子供クライミングの話とか…。

で、印象的な出来事っていうのは…

その男性バイト君?が、「私は〇〇です」と自己紹介してくれたことだ…。いや、いいんですけどね…。普通の自己紹介って感じではなかったんだな…。こちらの名は尋ねず、一方的に自分を名乗りたいみたいだった。ので、違和感。

私が壁に取り付こうとしていると、視線を感じたので、「恥ずかしがり屋だから見ないでください、あっち見ていて」と言ったら、「いやダメ」という話でした(汗)。

なんで…(涙)と思いつつも、とりあえず、その課題は登れてよかった…。7級とかせいぜい6級とかしか、今は触っていないので…なんかなぁ…。値踏みされるようで、微妙だった。私は、小瀬の壁を一人で行ったり来たりするような人だったので、あんまりみんなでわいわい、がやがや登るタイプではないのです…。

…という自己紹介に関する行動が、ナルシスティックだなぁ…と思ったのだった。

ナルシスティックさが、漏れ出ているというか…。

私は名前を間違って呼ばれても、別に必要がなければ、訂正しないけれど…する人いますよね。そういうのって、なんでなんだろう?と、以前は不思議に思っても、ただスルーするだけでした。わざわざ突っ込んで、精神医学を調べたりすることはなかった。

九州に来てから、なんか、”?”な出来事が多くなり、明らかに変だと感じるので、ナルシストに関する心理学上の知見が増えました。

つまり、九州では、

 ”自己愛の傷つき”

を抱えた人が、とても多かった、ってことかもしれません。

誰にだって自己愛はありますから、人を呪わば穴二つ、で、自分にもそういうところがあるからなぁ…と一般的に良い人は思ってしまう。私もクライミングを経験するまでは、全くナルシシズムについて考える機会がなかったです。

でも、ナルシストには明白に特徴があり、ナルシストの弊害を避けることは、ほとんどクライミングライフの成否を分ける要素と言えるかもしれない…。

クライミングで、いろいろと問題になるナルシシズムの特徴というのは

 1)相手の立場や、相手のニーズを感じることができない(=共感性が低い)

です。 要するに全体最適が分からず、自分にとっての局所最適しか分からないのです。例えば、一升瓶を抱えて厳冬期のバリエーションルートに行くとか…。そりゃ、自分は豪傑気取りができて満足かもしれませんが、周りは大迷惑ですよね。

こうした”特異事例”は、積もり積もって、意外で身近な問題につながる。例えば、ピンが遠いとリーチがない人にとっては、たぐり落ちの危険が増えますが、ナルシストにとっては理解ができない。自分には危険がないから、分からない。そういう人が多数だと、20m5ピンでも、普通になってしまうし、自分の初登権利が拡大解釈されてしまい、斜陽みたいなことになるし、さらにサバージョババージョみたいな、排斥事件につながる。

つぎは

 2)反省力がない

です。事故の前には、ヒヤリハット、がありますが、ヒヤリハットをヒヤリハットと気が付く、ということができない。これは能力の問題らしい…。そもそも、単純な能力の欠落ですが、それでも家の中で末っ子だと大事にされてしまい、無敵の自己肯定感を持っていると、単純なミスを修正できないし、さらに文化的土壌次第では、助長されてしまいます。例えば、ロープ出さないことを九州では助長して、武勇伝にしてしまうから、悪い特徴が強化されてしまうということになってしまいます。もともとそうでない人も、悪い特徴を継続することになる。同調圧力にはナルシストでなくても負けます。ただナルシストとの違いは、本当にヤバイときと冗談の区別がないです。

最後がネーミングの元になっている自己誇大感なんですが…

 3)自分は特別な存在だから、特別扱いされて当然だ、と思っている。

です。もう、山梨でも同じでしたが、周りは、いろいろと振り回されます…。

おれのために酒を担げ、みたいな感じ。お前の存在は俺を引き立てるためにあるに決まってるだろ!みたいな。

さらに、その自己誇大感が、自己愛の傷つきになると、

 4)自己愛憤怒

という、周囲から見たら、え?!という不思議な、怒りの爆発になります。這っても黒豆みたいな、感じです。

そして、

 5)モラハラ体質

大体、パワハラとか、モラハラとかする、古い体質の社長さんみたいな感じ。大したことない会社で、自分を「社長」と呼ばせるような。そういえば、高校のころバイトしていたパン屋さんでは、オヤジさんを社長と呼んでいたなぁ…。あの頃、学習機会があったのに、あんまり気にしないでスルーしてきたんだなぁ…当時の生活が大変すぎて、社会監察どころではなかったので…。こうした無関心がナルシシズムを助長してきたとも言えますね。

特徴として、ナルシストは、こうした行為で、自分の異質さを客観視していない。

ので、ほとんどの人が、俺、変かも?と思わず、精神科を受診することはないです。

大抵は、周りが困って、本人は困っていない(笑)。本人は、俺を評価できない周りは、アホだ程度の理解です…。困ったことに、似た者同士が集ってしまうので、自己を客観視する機会も、なかなか起らないのです。

そういう意味では、ホモソーシャルな山岳会という小さな閉じた島では、こうしたナルシシズムをインキュベーション…育んでいる、とも、言えますね。

 6)理性の縛りが弱い、(してはいけないことと自分の欲で欲が勝つ)

ということになっていると思います。これ、その悪いことがバレた場合も、相手が悪いことにして他責、というのが特徴だと思います。

…というので、こういう人は、チッピング行為も、自己正当化できてしまいます。欲と社会のルールでは、欲が勝ってしまうのです。いとも簡単に…。普通の教育を受けた人なら、持って当然の葛藤がないのです。

たぶん、自分のミスで人を大怪我させたり、死に至らしめても、ナルシストは、そういう奴と一緒に行く奴が悪い、で事を片付けたがると思います。

■ 自己愛性パーソナリティ障害【「自分が特別」と思う認知の偏り、精神科医が17.5分でまとめ】

山の世界から冒険がなくなったのは、ナルシストのたまり場になってしまったからかもしれません。

■ 回復

回復は、本人が気が付くしかないのですが… その気づきの内容が以下です。

 1)自分は少なからぬ人を傷つけていた (加害の自覚)

 2)自分は、自分が思ったほどは成功していない (実力の客観視)

 3)自分はむしろ疎まれていた (人気がないことの自覚)

です。

これに気が付けるか?どうかが分かれ道。その後は、受容のプロセスをたどる。

1)否認 
2)怒り
3)取引
4)抑うつ
5)受け入れ

です。 クライマーバージョンに直すと…

そんなはずはない!俺は特別なクライマーだ!そう言ってくれ!→ なんでみんな、俺を認めてくれないんだ! → 俺だって、いいところがあるだろう? だから… → 俺は普通のクライマーだったのか…と落ち込む → 今の俺にできることは何だろう?

…と進むようになるようです。このプロセスは、ほとんどの人に同じです。

挫折などの逆境体験は一般に、昇華によって結実・解消されますが、昇華にも良い昇華と悪い昇華がありますが、良い方に昇華すると

 人間的成熟

へ。ここへ進むのは、ナルシストにとっては大変難しいそうです。

うーむ。山岳会でも、クライミングジムでも、ナルシストが増えて目につくのは、少子化で、子供が減り、子供間の競争がないことで、親の注目の中心にいる時間が長いからですかねぇ・・・ ナルシストって、若い男性の間に、ものすごく増えている気がします。

ナルシスト日本代表選手だったのは、栗城さんでした…。どのような事情で栗城劇場ができたのか?九州に来て分かったけれど…。

 自己誇大感 × クライミング教育不在 

のかけ合わせの結果でした。 40年前の知識のままで(古い本を読んで)、自分のインドアジムでのクライミンググレードを考えると、俺ってもしかして天才?ってなりますよねぇ…ものすごいルートが俺だって登れる!ってなってしまいます…。

特に周囲にリアルにトップクライマーが存在しないと…間違った自己像が矯正される機会がない。

特にナルシシズムがない男性でも、女性からヒーロー扱いされるのが男性は大好きです。

しかし、女性の側も、男を立てる、なんていう古臭い因習から自由にならないと、男性たちの人間的成熟を阻害してしまうことになりますね…

だって、医学部入学で合格者の8割が女性っていうくらい、女性のほうが正直、知性という面では、少なくとも18歳時点での能力では勝っているのです。

なぜか社会が男性中心主義のまま、変わり損ねているのですが、それは生理による女性の気分の変化がほとんど一生続くこと、出産にまつわるまとまったタイムアウト時間が必要なことによると思います。

本来、男性は、そうした女性をサポートすることができるのに、その逆に弱みに付け込む、という結果が男性中心主義というわけだったのですね。

■ 現代基準でのトップクライマーの要件

トップクラスのアルパインクライマーの人たちって、5.13、5.14は登っているみたいです。

ただ、フリーのクライマーではないから、再登記録に名前が出ないだけで。佐藤ユースケさんとかは、フリーの記録にも名前が出ていたような気がしますが、ジャンボさんが5.14を登っていたとは全く気が付かず…。古いクライマーに教えてもらいました。

ということなので、現代の若者は、

 5.12 × 40kg 

では、もう古く、

 5.14 × 40kg

を目指さないといけないみたいです。スーパーアルパインへ進みたいという人は、ですね。

5.13でも、もはや一般人って意味ですよ。5.12なら、なおさらですな。

倉上さんは亡くなってしまいましたが、心臓のことがなければ、アルパインに進んでも、トップクライマーになれた、最も近しい立場にいたのかもしれません。冬山の印象はないですが…新潟大学だったら、雪になれていたのでは。

全く冬山のイメージがなかった宮城さんも黒部横断に行ったくらいなので、冬山経験値というのは、基本的な山岳会での経験があれば、ツッコんだ知識に関しては、周囲のメンバーで補いあえるものなのかもしれません。

今日は、ナルシシズムについて、ちょっと印象深い出来事があったのでした…。

もう一つ、喜ばしいことがあったので、そちらも今から書きます。

【コレクティブハウス】オープンな家、地域コミュニティと暮らす家

■ シェアハウス?コレクティブハウス?

門司港にゲストハウスポルトという施設がある。

 ・コミュニティスペースと個室、シェアハウスを兼ね備えた共同住宅だ。

1階は、住民も地域の人々もゆるやかに交流し、活動し、働くことができるコリビング&ワークスペース。

昼はワークスペースとして使い、夜は「みんなのリビング」に早変わり。

起業支援や、業務受託も可能。 働くことも同時にサポートしている。

2階は、完全個室の2DKが二部屋。3階は、3世帯が暮らすシェアハウス。

こういう風な家があるといいのだと思う。

2024/12/09

【グレード問題】 岩場自体にグレードを与えるのがいいのでは???

 ■ 岩場を選択する自由はない

九州に移動することになった時、ガイドさんから、

 2000年以降の岩場が安全

というアドバイスを受けました。

しかし、

 ローカルクライマーに岩場を選択する自由はない。

つまり、福岡に来たら、福岡の岩場を登るしかない。

日向神すら、3時間も離れているのでとても近場の岩場とは言えず、岩場に通うとか、岩場の主になるということは不可能ですが…

(日向神に関して言えば、岩場のある集落の黒木集落からですら、40分もかかるけどね)

これは、どこの地域でも同じで、岩場ってものが、そもそも、人家から遠いのです。

■ 岩場の性格や性質を客観的に伝える

今まで、

 課題のグレード

はあっても、


 岩場そのもののグレード


がないのですから、はじめて岩に触れる人は、その岩場を


 相対化


できません。結果、日本の岩場は激辛なので、そのことを知らずに育つと、海外にでたら

 とっても簡単

ってことになります。(ハイ、私がそうでした!)


辛いところからスタートして易しいところへ行くと、ある意味無難ですが…


 自分の岩場の常識



 よそでも常識


だと思いこむという…とってもいびつなことに…例えば、ロープを残置ビナに直接かけてトップロープする習慣とか…。

九州では、カットアンカーが普通で、え~?!と驚きました。

相対化できていない、客観的に自分の岩場が見れていないと、結局、視野が狭い、ので、これで何が悪いの?ってことになってしまいます。

かといって、誰でもが、日本全国を旅してまわったり、世界各国の岩場を探訪できるという厚遇を得られるわけではないので…結局、広い視野というのは得難い。自分の岩場の変さ、や、逆に良さ、や強み、をも相対化してみることができない。

というので、岩場のそのものに評価を与えたらいいんじゃないですかね?

ロクスノより引用

 昭和グレード、平成グレード、令和グレード

って、令和が易しい=軽蔑、みたいな路線に必ず、古いクライマーは陥りそうですけど…

現実的には、

 練習していないのにいきなり本番でリードはない

のです。そのピンがとおーーーーーい昭和グレードの岩場で登っている方たちも、もともとは、誰か先輩に連れられて、UIAA(RCC)Ⅲ級やⅳ級の岩場で、落ちるくらいならエイドしろ、という育てられ方をして、そもそも落ちないようなところしか登っていないから、ランナウトが平気になっただけのことで… 現代的目線で見ると、まぁ大したグレードではないよね…みたいな話なのです。

クライマー界最弱者の私にリードのお鉢が回ってくるような世界なのですから…

えばっていてもそんなもんです…

挑発に乗って、令和の岩場で、安全に外岩リードをデビューするべき人が、昭和の岩場で、リードさせられるのは、

 誰のお得なのか?

俺はもう命をかけたくねー って思っているオールドクライマーの身代わりに

 人身御供

させられているのかもしれませんよね?

■ 大事なことは、登るスキルと調和した岩場で、調和したグレードを登ることです。

簡単すぎもせず、難しすぎもしないところを登る、というのが大事なことです。

普通に”楽しい”という感性を大事にしていたら、そこに行きつくはずです。

ひえ~!という経験になったら、レベルが合っていない、って意味かも。

そういうレベルマッチング、という意味でも、

 岩場そのものにグレーディングしてある

というのは必要な措置だと思います。岩場もそうだけど、エリアにも、そうしてほしいですね。


【日記】岩場と地域貢献

 ■ 相談相手が欲しくなり、大阪のクライマーを訪問

”クライミングによる地域おこし”で、私の夢が実現する機会が生まれた。

ところが、私は現在、無職で活動費が出ない上、家賃の負担も、現状の住まいの福岡は、不動産バブル最盛期で、家賃負担が重い。

そこで、一人住まいではなくシェアハウスの運用を考え、一緒に住んでくれる協力者を求めたら、協力、ではなく、

 乗っ取り

に会いそうになっており…

どうしたもんか?ということを相談したかったのだ…

■ 岩場とローカルの関係性の構築を教えられる上級クライマーはいるのか?

福岡では、米澤先生から、地権者との交渉術を含む、開拓を学びたかったが、これは失敗に終わった。

その代わり、いかにクライミング教育が不在か?ということを学ぶ結果になった。

クライミング界の問題点は?と言えば、アクセス問題に尽きる。

これまで、クライマー界は、

  単純に、自分の欲望の充足”だけ”を第一

にしてきた人を、なぜか、

 高いグレードが登れるから、という理由だけで賞賛

する習慣にあり、それは結論的に言えば、わがまま言った人が勝ち、という原理になっている。

つまり、子供っぽい態度でいればいるほど、取り分が多くなるって意味だ。駄々っ子が駄々をこねているだけで、賞賛が得られる、というのと同じことになっている。

特にグレードにオブセッションな人はそうで、たった一つのグレードだけを

  執着心 という単なるわがままの正当化をオブラートに包んだ言葉

で、

  パートナーへの責任や社会的責任、道義的な合理性

を無視して活動することの言い訳にしている。平たく言えば

  強ければ何でも許される

という横暴が、なぜか公式見解、って言うことになっている…。

これは、ビジネス界も同じで、ただ利益だけを追求してきた結果が、

 環境問題、貧富の格差の問題、

などなど…いびつな世界を作り上げた。その反省の波が、世界中で起きている中、日本のクライミング界はいまだに、グレード一点豪華主義、でなんかなー感がある。

そうでない、地域とクライミングのより良い在り方を構築してきた人…そういう人から、地域との関係性の作り方を若いクライマーは学んでいない。

そのため、幼稚園生が食べたいものを食べ、遊びたいときに遊ぶ、のと同じ存在になってしまっており、結局、地域の皆様にお目こぼしをもらって、

  地域に落としているのは、迷惑と事故だけ

って結果になることを回避できないでいるのである…。

地域の人たちから、岩場があるおかげで、地域経済が成り立って、うれしい…と言われる… そういう風にクライマーは持っていかないといけないのだ。

なのに、そうなっていない…のが、まぁ全体的に共通の岩場の事情だ。

で、ヒロさんというクライマーの店に、岩場とローカルの関係性の作り方を知りたいと思って出かけた。

(※ほかにもネパールのことなど聞きたいことがいくつかあったが)

■ 中村天風の 霊性を中心とした生活

この日は気の流れが良い日で、朝から流れが良かった。毎朝のジョギング兼ねた散歩に出たら、中村天風の会にバッタリ。飛び入り参加したのだが…。

教えられていた行法自体は、ヨガを学んだあとの私には目新しいものはなく、クンバカも心身統一法も、ヨガの本に書いてあることだったし、バレエでもお尻の穴を締めるということは普通にやるんだが、

・マインドフルネス

・言葉に出す自己暗示

・欲ではなく、霊性を高めることを目的とする

・ビジョンを揺るがせないこと

などが、改めて、そうだよなぁと思わされた… 

そういう偶然の出会いのあと、会いに出かけた。

■ 分かったこと

彼は岩場に住んでいるが、仕事は別のところでやっている。

会にもいろいろあるそうだ…。

しかし、清掃活動など地域貢献活動をしている。岩場に住む立場、というのはどういうことか?そんなことを聞きたいと思った。

その肝心のところは、先客が多くて聞き損ねたんだが…

面白い出会いがいっぱいあった日だった。

■ 高校偏差値

途中で学生時代のご友人が多かったせいか、大学進学と高校の偏差値の話になった。

偏差値75の学校だったそうで、大阪の高校ランキング…北野高校の話になった。北野高校と言えば、三井物産に勤めていた時代の後輩が、北野高校から九大に進んだ人だったんだが、福岡では、九州大学と言えば、そこのけそこのけおいらが通る…って感じだが…

私の母校、熊本高校での認識では、九州大学っていうのは、九州大学に”しか”行けなかったのね…って感じに受け取られること必須なので、普通みんなプライドがあるので、なんとしても九大以外の大学に行くのが普通だった。よっぽど親の事情で九大を避けることができない事情がある人しか行かない。家を継がねばならない、とか…。北野高校の後輩もそうだろうと思い、特に気をとめることもなかったんだが…

彼が非常に高学歴のクライマーであることが分かったのだった。阪大の研究室のつながりの人がいっぱい来ていた。大阪外大は阪大に吸収されてしまい、残念なことになっているのだが…。

外大生が大阪大学に吸収されたことを残念がるのは、阪大は理系で外大は文系で、まったく学術分野的にミスマッチだからだ。互恵関係にないよね、みたいな。

でも面白いことに阪大卒のヒロさんは、海外の放浪に出て語学が堪能になり、外大女子の私は、松下のロボット開発室でキャリアをスタートした…大阪で社会人になると、自分の立ち位置感が正確に分かるような気がする…外大って言うことのポジションも正しく設置されるわけだし…。

外大は、どちらかというと阪大よりも、京都大学の前座に近い立ち位置で、外大で教えた後に京都大学にステップアップして行ってしまう先生方が多かった。私の時代は、就職氷河期で、6コマもかけ持ちしても、食っていけない若手の助手やパートタイム雇用の教授たちが、外大の図書館には相談にたむろしていて…というのは、自費で研究に必要な書籍が買えないので、一般学生向きの図書予算で必要な本を買ってもらいたいわけ…そういうのを見聞きしている間に、今院に進むとこんな羽目になるんだ~と思い、私は在学中からパナで働くことにしたのである…。院に進むことはだいぶ色々な人に薦められたんだが、ただ痛みを後伸ばしにするだけのようにしか感じられなかった。

話がそれたが、やはり、

   地域の中で視野の高いクライマー

が必要で、クライマーでも、知能知数が高い人は、人間力も高く、ちゃんとリスクを考えて避けて通ることができるのではないだろうか?

結局、そうでない人たちは、

  人生の一発逆転

を求めてクライミングに来る。今はそういう烏合の衆のようになっているって話なんだろうなぁ…

という話だと遠回しに感じました(笑)。

考えていなくても、あまりにも明らかで、誰でも分かるようなリスクや危険でも、現代クライマーは、

 いちいち言語化

しないと、現代のクライマーには理解すること自体ができない人が増えたのかもしれません。

なんとなくそういう結論になった(笑)。そういう知性の低下した相手のためには、言語化という能力がある側からない側への、努力、それによってしか、必要な相互理解が得られない時代ですね。



2024/12/07

【クライミングによる地域おこし】進捗があるが、前途雲行きは怪しい

■ クライミングによる地域おこし、で進捗があった。

瑞牆に家が見つかったのだ…。しかも、格安で貸してくれるという。

大家さんは、仏壇を残したり、法事などがあるときは地元に帰ってきたい。家族として使いはしたいんだけど、家は空きっぱなしではもったいないということだった。

■ どうやってこの家を見つけたのか?

さかさま不動産、というマッチングサイトで見つけました。

プレゼンシング。

思っているだけでなく、行動することが大事だ。

思っていても、行動していないことは、プレゼンシングしないからだ。

■ その地に生きることが第一で、二番目がクライミング

山梨で、クライミングは覚えた。

クライミングをするようになったのは、山梨という土地を、深く知ることになったら、もれなく、クライミングが付いてくるから…。クライミングしたいから、山梨、ではない。

これは山梨に住んでいて、山梨から出たことがない人にも言いたい…

自分の町の良さは何かな?と考えたときに、なぜ山や岩が入ってこないのかなぁ…

山梨にいるときから不思議だった。山梨県民の心は、東京への羨望に支配されているように感じられた…

山梨に親しむ、ということを考えると、山に親しむ、そして、クライミングに親しむということは避けて通れない課題だった…。 なぜなら、山梨こそ、日本のクライミングの発祥の地と言ってもいいような具合だからだった…。

分かりやすいように他の地域に置き換えてみよう。福岡県民にとって山に親しむというのは、特徴的行動だろうか?Noである。福岡には、特筆すべき山、というのはない。大きな山という意味でも”ない”し、個性的という意味でもない。もちろん、高いから尊い、個性があるから、尊いという意味ではない。単純に、福岡の山というのは、福岡という土地の個性として位置づけられるほど特筆的なものがない、ということだ。

山梨には、富士山があり、北岳があり、甲斐駒があり、大菩薩嶺があり、三つ峠があり、と日本を代表するような山がいっぱいあるのと違うでしょう…

あるいは、福岡の山の個性は、里山、つまり生活の場としての山であり、急峻な山というよりは、たぬきやいのししやサルが住む、里山。日本昔話の山だ。山梨の山は、奥山。そして岩山。

人間の役に立ってくれる生活の糧をくれるのが里山で、人が踏み込むことができない場所が奥山。

これくらい違いがあるんだが…私が山梨で山をするようになったのは、山梨にいたから。

私はただ、普通に山梨県民のふるさとの山…三つ峠や北岳、茅が岳に通っていたら…奥秩父最奥の地では、昇仙峡では、岩がにょきにょきと生えており、その岩は、登ることができる岩だった…というので、山梨を味わう、つまり地域の良さを知る、ということがテーマだったので…それで、登るようになったのだった。

なので、そもそもそこで暮らした最初から、ブドウの収穫は手伝いに行ったし、桃の滴果はしたし…地域に何か役に立ちたいということで、北岳を登る前から芦安で登山道の整備のボランティアに参加していた…

このような、

 地域の催し、地域の保全活動に参加すること、

が、なぜ、”フリークライミングのクライマー”には、できないのだろうか?

不思議に思う…

今トッププライマーの平山ユージさんがクライミングによる地域おこしで、取り組んでいる、小鹿野でもこれは問題になっており、クライマーはクライミングしかしたがらない、クライマーズミーティングすら参加意欲がない、ということが問題になっていた…。

私が思うには、グレードにオブセッション、征服欲にオブセッションなんではないだろうか?しかも、あまりにもオブセッションなので、他のことを考えられなくなっているんではないだろうか?

■ 外国人を入れるとろくなことがない、よそ者を入れるとろくなことがない、は相手次第

クライマーのように、クライミング以外に一切関心がない人が村に入ると、地域活動には興味がないので、地域は結果としては安く利用されるだけになってしまう…(汗)

そうではない地域移住と言うのを私は八女や、和歌山で見てきました…

そもそも、クライミングと言うのは、その地域の特色の一つに過ぎないのです。

林間学校や、村内留学の一環として、クライミングが存在する、というのが、普通の位置づけなのです。だから、そういう風に移住してきた人はクライミングを何もかもに優先するということはしません。

八女では、農業の繁忙期や、地域の水路の掃除などは、外国人も参加です。もちろんゲストハウスキーパーだった私も参加でした。(クライマーなので結構戦力になった)

そういう地域の共同作業…消防団に参加するとか、組長をやるとか…

そういうのが大事なのです。

でも、フリーのクライマーって、登りたいだけだったりしますよね? 胃やフリークライミングも良い活動なのですが…

gグレードを追いかけている人っていうのは、征服欲にオブセッション、ということなのでしょうか?なぜクライミング以外の何の地域活動もしないで、クライミングだけしているのでしょう?

た確かにクライミングは究極の現実逃避ではありますが…。今ここ、というのは現実逃避って意味にもなるんですよ。

この地域はどうやって生き残っていくか?という課題に向き合わないといけないのですから。

その手段にクライミングはなりうるというのが私の意見ではありますが…

地域活動に参加して、みなでふるさとを盛り上げていく、そんな意思が欲しい、そう思うような、何となくリスクを感じる、事が、最近私の元では、起こっています。

味噌づくり。こういうのでも、バカにせず参加できるような人が必要なんですよ。

普通のおじちゃん、おばちゃんとどうやって交流しようというんです?こういうことをしないで…


2024/12/06

【クライミング心理学】クライマーの集団病理はこれだ!怖くなんかない!という自分を作らざるを得ない


4:38の当たりがクライマーあるあるです…

反動形成、という心理で、

 「ふーんだ!怖くなんかないもん!」って自分

を作らざるを得ない

= バカにされたから

ってわけでした。九州でランナウトだらけなのは、この反動形成で作られた自我で登っている人が多いからですねぇ…

そうだと思っていたけど、やっぱりそうだった。

同じ穴のムジナになろうよ~という圧力が嫌だった…

私は怖いんですよ!だって小さいんですから、クリップ届かない。怖いのは当然です。

連れていくvs連れて行かれる問題

■ いったい何が、連れていかれる山で、連れていく山なんだろうか?

山や登攀ルート… 一体、どういう状態が、

 連れていかれている状態で、

 連れて行っている状態

なんだろうか???

私の印象では、一般に、山岳会における、連れて行く・行かれる関係では、一般的には、

1)一回目は、”連れて行き”、

2)復習は自分でやってね、

というのが、自立と依存のバランスの取れた姿であるように、私の少ない経験では、思いました。

というのは、師匠の青ちゃんが、トップクライマーの伊藤さんに連れられて、荒船昇天に行き、その復習で、私やほかの人をセカンドにしていたので、なるほどねぇ、と思ったからです。

この仕組みで行くと、最初にルートに行った人以外は、全員が暗記の山…誰かに連れて行ってもらう、そこを次は自分が連れて行く、という順送りの”恩送り形式”で、このやり方だと冒険もない代わりにリスクもないでステップアップできる、からです。先輩から後輩へ、順繰りに下賜される…(笑)アルパイン界のレッドポイント登りっていうか。

それで、自分でルートファインディングする経験はゼロなのに、ルート経験は豊富という結果というのは、なるほど、こうしてできるのか、と思った経験があるからです。

■ 私を誤解する人々…

いつも一緒にいて気の置けないクライミングパートナーを、今度、あの岩場に…というのは、”連れて行く”に入るのだろうか?それとも、”一緒に行く” になるのだろうか?

私が案内した昇仙峡は、一緒に行った人たちにとっては、”一緒に行った”に入るのだろうか?それとも、連れて行ってもらった、に入るのだろうか?

…というのは、以前、私は師匠の青ちゃんを昇仙峡やその他山梨の岩場に”連れて行き”、そのお礼が、このブログの初期の佐久の岩場&宴会なのですが…。

「(〇〇さんばっかり)連れて行ってもらっている!」という非難を私は非常によく浴びているように感じるからです。特に九州で。

これは、もしかすると、私の側の心理学的な投影かもしれませんが…。

■ 後輩を連れて行っていても…

以前、小川山に、熊本から進学し東京農大に入った若い男子を、私は完全におんぶにだっこで”連れて行き”ました…。というのは、なぜか九州で会った山岳会の会長さんに、この子を託されてしまったから、でした。

しかし、当の本人は、”連れて行ってもらった”と全くカウントしてないようだったのです…。運転も、どこを登るか?どこに泊まるか?も私が決めているにもかかわらず、です。

その様子から察すると、彼からすると、

 ”私が連れて行っている”事実

については、なんとなく私の印象では、スルーされており、一方で、私が荒船昇天などの

 ”私が連れていかれている”事実

のほうが、このブログにせよ、他のクライマーにせよ、強く意識に登っているのではないか?という風に思われて、何かアンフェアな感じ、を感じています。

■ 感謝が誤解を受ける元なのか?

これは、私が、”感謝”を前面に出すタイプだからなのかもしれません???

話の流れで、感謝する。すると、そういう言葉遣いになるから?

だって、「連れて行ってくれてありがとう」と人は言い、

「一緒に行ってくれてありがとう」とか、「ついてきてくれてありがとう」と言いませんよね?

■ 一回目から、連れて行く側だけど…

これはルートでも同じで、私は初めての山岳会である御坂山岳会の1回目から、他の会員の人たちを”連れて行っている”側でした。例えば、3月に行った川俣尾根というバリエーションルートは、120%私の企画でした…。これは別の山岳会のリーダーがパクッて、それが入会希望者だった私にバレてしまったことがありました…。どこの会でも、オリジナリティのあるルートで、そう難しくなく、しかし、人のあまり入らない場所で、いろいろな要素が詰まった山というのは、物色中なのです。

入会後1回目の山から連れて行っている新人なんて、聞いたことがありませんが…、やっぱり、いつも”連れていく側”でした。これは、ありがとうというなら、

 ついてきてくれてありがとう

な山でした。というか、ついてきてくれたせいで、山のサイズ感として小さくなり、予定より短縮コースを行く羽目になりました。というのは、60代の歩けない女性までついていくと言い出したからで、断り切れなかったからです。

私のポリシーで、足が弱い人にも会は合わせるべき、というのがあり、それで山を小さくする羽目になった。ので、一緒にいることで、山が成長するのではなく、縮小することになりました…(笑)。

ただ、このときのお礼で、私が、100%連れて行ってもらった、と考えているのは、

 前穂北尾根

です。これは、明らかに連れてってもらったなぁと思っています。

■意見の相違はなぜ生まれるのか?

あとは、連れて行ってもらった、というような山はないよなぁ…と個人的には考えていますが、

連れていく、連れて行かない、問題

では、最初に師匠である浮雲の鈴木さんと意見の相違があったことがありました…甲斐駒です。

私には、鈴木さんに連れて行ってもらった、とは考えられない、一回目の厳冬期甲斐駒で、鈴木さんは連れて行った、と感じたようでした。

朝、登山口で合流して登ったのですが、私は無雪期に甲斐駒はすでに黒戸尾根で登っていたので、特に難所を感じず山小屋までご一緒し、登頂も、翌朝、流れでご一緒して、あまり問題点を感じなかったのです。ロープも出しませんでしたし…。

しかし、鈴木さんの言い分は同じタイミングで山小屋を出たことで、その登頂判断に私が便乗した、と感じたようでした。私の側は、いつも山で会った人と同行する場合、相手に合わせたり、自分の都合がとくにある場合は自分の都合で動きます、と声をかけたりで、その時は自分の都合が特にはなかっただけだ、と感じました。

師匠はこれには不服だったようだったので、それで、甲斐駒は一人で登りなおしました。

■ プライドがあると連れて行けないことを白状するのも一苦労…

そのあとですが…ある先輩が正月に甲府の我が家に泊まり、黄連谷を計画したのですが、たぶん、わざとだと思いますが甲斐駒へ続かない遊歩道をどんどん速足で進み、敗退になり、転進で石尊稜と言われたんですよね(笑)。

あれ、思い出すと今でも笑ってしまいますが…きっと本音は最初から石尊稜に行きたかったんでは… 先輩は、登山計画書を書くときに、まさか、石尊稜と書けないから、黄連谷としたのではないか?と思えました…。というのは、あんな明瞭な登山道を間違う人なんていないからです…。ただ、あの時、私は一度もその先輩とアイスをゲレンデでも行ったことがなかったので、なんか、予習なしで本番って変だなぁと思ったりしていたので、間違いを指摘しないで、事が流れるままにした…のでした。

女性にとって一番安全な山は自分がリーダーシップを取る山です。

■ 連れていく、連れていかれる、一緒に行く

この3つは、登山でも、クライミングでも本当に分かりづらいです。

ラオスでは、私は、N保さんに誘われて、”一緒に行った”、のか?それとも、”連れていかれた”、のか?? 

現地集合は連れて行った、に入るのか?

それとも、一緒に行った、に入るのか? 

実は、ラオスでは、私はほかの外国人と登れ、そのほうが日本人と登るより成長できました。

一方、同行者のN保さんは、私がいないと、一緒に登ってくれる人を見繕えないようでした…。

白亜スラブは、トップが、セカンドの私を連れて行った、のか?

それとも、私とトップが一緒に行った、のか? 

彼の中では、確実に、俺は連れて行ってやったぜ!に入っていると思うのですが、私の中では、私は対等のパートナーとして行った山になっています(笑)。

なぜなら、私なしでは、あれはヘリレスキューになったからです。

■ 連れて行ってもらってる!?(笑)

インスボンも同じで、一回目は、連れて行ってくれた、という認識が私はあるのですが、2度目は、”一緒に行った”認識です。

なぜなら、パートナーがいなくて困っていたので、”付き合ってあげた”からです。これは相方もそう言っていました。

しかし、そのお礼で行った、3度目のインスボンでは、”連れて行ってやった”3人目、つまり、白亜スラブでまともなトップが勤められなかった人の視点では、”連れて行ってもらった”くせに、たぶん、”一緒に行ってやった”と思っていると思います…(笑)。

この人、誰にどこに連れて行ってもらっても、いや違う、”一緒に行ったんだ”と言いそうです。

なんせ、私のほうが岩場から遠く、私が負担が重いのに、途中から合流して車を1台にするのに、ガソリン代取ろうとした人でした…、つまり、相手の優位に立つ、ということを視点に行動しているタイプで、協力ということは視野になさそうでした。 

私はO君という大学生の後輩がいたのですが、ほぼ、毎回、”連れて行って”、いましたが、彼から宿泊費どころか、交通費すら、請求したことはないです。なんせ彼がいないと私もルートに行けないわけなので。

彼を連れて行ったと感じるのは、彼には、そこへ行く発案能力、ナビゲーション能力がゼロだったからです。

同じことで、夫は全部連れて行っている、と思いますが、お君も夫も、私に

 ついて行ってやっている、

と思っているのではないでしょうか(笑)?

お礼を言われたことがないので、そう思います(笑)。

■ 主体性、と リーダーシップ

最近、カウンセリングにかかっており、

 私は、生まれながらにリーダー

であるようで、何か行動を起こすときに、


 自分も含めた全体の人たちにとって最も良き解


を自分の考えや希望、要望、として出すのに対し、一般の人は、


 ”自分だけの都合” 

を自分の希望や要望として出すようです。

そのやり方で行くと、どんどんと、私の個人的なニーズは、ないがしろにされていく結果になります。

なぜなら、私が出す要望には、自分を含めた全体の最適解、であるのに、相手の出す要望には、私の側の都合への配慮はゼロだからです。

それが、クライミングで起きていることだし、私の結婚生活で起きていることなんですよ。

カウンセラーさんによると、これは、


 リーダーシップをとっている


という状態で、 


 自分の要望を通している


という状態ではないそうです。

だって、3回目のインスボンって、膝が脱臼している状態で行きました…

全体最適解がそれだったからです。残りの二人は、どちらも、私が参加しなければ、飛行機代を無駄にして、いーかない、って話になりそうでした…。

そうすると、師匠の青ちゃんの、素晴らしいロープワークの妙技を見る機会が永遠に失われます。

■ 山のリーダーシップが取れる人かどうか?

ルート経験数に戻りますが、自分がトップを取るか?どうか?は関係がなく、

 山の計画を自分が立てるかどうか?

が大事なのではないかと思いました。判断を自分が行う、ということです。

そういう意味で行くと、みんなが〇〇というルートを登るから、俺も、と考える人は、大体が便乗派つまり、主体性がなく、リーダーシップがない人であり、どんだけトップを登っていたとしても、”連れていかれる”側ですね。

それは、もしかすると、これまで私を育ててくれた師匠や先輩も同じかもしれません。

それだけでなく、ほとんどすべての男性クライマーは同じかもしれません。

山ヤ独特の言い回しで

 自分の山

という言い方をしますが、行きたいところがある、ということが、計画を立てるに該当しますが、自分の山があることは、他の人に来てもらうということになり、弱い立場です。

 弱みを握られている、相手に対して、優越的な立場に立てない、

という意味になるので、ナルシスト男性たちからはその立場に立つこと自体を避ける意味から、主体性がない山、皆と同じ山に、みんなで同時に行こうぜ、ということになるのではないでしょうかね?

本当に自分の山、には、ほとんど、みんな登っていない、ような気がします。 

2024/12/05

【NVC】次のピッチを登る前に、ロープ長を計算してほしい、なぜなら、私は命を大事にしたいからだ

■ 自分の気持ちを”すべき”ではなく、”してほしい”で表現する方法

「なんで次のピッチを登る前に、ロープが足りるか?計算していないの?」

=詰問するつもりでなくても、詰問になり、相手は反発するか引きこもるかしてしまう。

そこで、

 ”なんで~の?” 

を 

 ”〇〇してほしい” 

に変換し、

さらに

  ”なぜなら、私は〇〇という価値観を大事にしているからだ”

をつけ足す。

■ 結果

「(私は)(リードクライマーのあなたに)

次のピッチを登る前に、ロープ長を計算してほしい。

なぜなら、私は自分たちの命を大事にしたいからだ」

■ その他事例

「きちんとした危急時用連絡先を伝えてほしい。

なぜなら、私は、事故に際して、あなたの家族に連絡する義務を負っており、自分の責任を全うすることに価値があると考えているからだ。」

「読図をきちんと会として習得項目にしてほしい。

なぜなら、私は、未知の道をみずからのルートファインディングで歩く、というアルパインの伝統的な価値観を大事にしているからだ。」

「自ら危急時の講習を受け、ロープワークをマスターしてから、マルチピッチのセカンドに立候補してほしい。

なぜなら、クライマーの自己責任という価値観を私は大事にしているからだ。」

「リードを無理強いしないでほしい。このルートを登れと押し付けないでほしい。

なぜなら、クライマーは、自分で自分の登る課題を選ぶ、という自己責任という価値観を私は大事にしているからだ。」

「外岩では、オリンピックで行われるビレイではなく、外岩用の慎重なビレイをしてほしい。

なぜなら、私は、自分の命を大事にしたいからだ」

「パートナーが怪我をしたら、その対応はきちんとしてほしい。

なぜなら、私は、互いに相互扶助するというクライマーの伝統を大事にしたいからだ」

【リード技術】マルチピッチのリード技術(ロープの流れを作ること)

■アルパインの先輩から、次のようなリード助言をもらいました。

ーーーーーーーーー

マルチのルートを登るには?

1)ロープを半分近く登ったら、次のビレーポイントがどこにあるか、前方だけではなく、左右も見て登る

2)フルに登るとロープの流れが悪くなるピッチは、20メートル程度でもそこで切る

50メートルロープで1ピッチで登れても、ロープの流れは悪い=NG

3)ピッチを切るのは早めが確実

4)屈曲するところでは60センチ以上のスリング

ーーーーーーーーーー

うーん、こんなの、私くらいしか、山行記録を読んでいない人でも、分かっているっていうか、どこかで読んで出てきた話だけどなぁ…

私も自分がリードするときは、ロープ長と流れを常に気にしています。

他の人の記録を読めば、傾斜が変わったり、屈曲が大きいところで普通にピッチを切っていますよねぇ?

沢とかでもそうだし… (沢は初級の沢なら私でもリードが取れます)

一体私の相方だったアラーキーは、何を根拠に、どんな箇所もピッチをつないで、やっぱりロープは60mだね、とか言っていたんでしょうかね? なんか反省力も全然ないみたいで、謎でしたが…。

■ 教わっていないことを知らないのは恥ずかしいことではない

彼は、ロープへのリスペクトが不足しているクライマーとして有名だったので、誘われても、ついていくのは、別の先輩から、「お気をつけて」と言われるくらいでした…

なぜ、クライマーに必要な、アルパインの教育を受ける機会がなかったのか?

不定休の休みで、土日が休めないのではないか?と

 察して

気の毒に思っていたのでした…。

私は山梨アルパインクラブの最初のお試し例会に出たときから、もうツルベの仕組みは分かっている人でした…というのは、山岳総合センターで、一年間のリーダー教育を受けた後に行ったからです。

とりあえず、何をやるのかは分かった、あとは実践したい、と思って仲間を求めて行きました。

御坂山岳会ではそのような人への理解があったと思うのですが、山梨アルパインクラブは、名前に反してアルパインではなく、人工壁の練習で、確かに人工壁でのフリークライミング能力は基礎力なのでそれでいいとは思いますが…参加している人たちの基本的な知識があまりにも不足している…と言わざるをえませんでした…。つまり、教えないで放任、自己責任を旗印に放任、という仕組みだったように思いました。

25mのピッチと35mのピッチを50mシングルで来ているときにつないで登り、その後の反省が、やっぱりロープは60mだね!って… 60mで登っても足りませんから…(汗)。

一体どんな教育を受けたのか?

ちなみに私は山梨アには、ほとんど在籍していません。というのは、こんな人たちと登っていたら、殺される!と思って早々に退会してしまったからです。

当時、ジムで会った男性クライマーと意気投合し、その人が入っていたので、義理で入ったという感じでしたし…。

山梨時代は、私は、周囲の男性クライマーは、ベテランたちの誰からも師匠に立候補してもらえないので、気の毒な人たちだと思っていました。

自分で学ぶ意欲が見えたり、自分の足で地味な偵察を繰り返して、登る場所を探していたり、など、地道な努力をしていない人に、師匠が現れることはないのではないか?というのが私の推測でした。

山梨に、飛竜と言う幻の滝がありますが、相方のアラーキーはそれを偵察していたので、どれほど、自分のクライミングに自信を大きく持っていたか?ということを今となって考えますが…

偵察していたということは登ろうと思っていたということで…

自信持ちすぎなのではないか?と思うのですが… 

以前、「それで、5.12は登れるの?」「ううん」「5.13は?」「ううん」

みたいな会話をしたことがあるのですが… 

今はジムが普及したので若い男性であれば、5.14など普通に頑張っただけでも登れるのではないでしょうかね? 私の知り合いの良いほうの先輩、ハッシーも、会ったころ有段者でしたが、まだ30代なのに、20代のあの頃の俺はすごかった、という感じで、男性の身体能力のピークは、20代前半にありそうでした。

だから、すごい記録、っていうのは、生もの、なのではないか?と思います。

もちろん、グレード以外の能力がその後伸びるわけですが… 50代を超えたあたりから、大幅に老化現象で登れなくなるとは聞いています。

そういう生物の摂理通りに発展していけるというのは、ある種の贅沢だと思いますし、30代になってからクライミングをスタートした男性が、5.12止まりであっても、別に恥じることでもないとは思いますが…

自分のレベルを登山史の記録に載せようとして、過大、誇大に評価するというのは、ちょっと自画像が大きすぎるのではないか?と思いました。

その時代の水準で、優秀だ、優れている、と判定される基準に達せずに、記録に載って、それで何の意味があるでしょうか?

内容が分からない人からの賞賛がうれしい?そんなもの、誤解に基づくのですから、なんの意味もなくないでしょうか… むしろ、

慢心や傲慢を助長する意味しかないのではないだろうか?

と思ったりしたのでした。

最近のツクチェ前衛峰の報告できちんとしたスーパーアルパインとは、このようなことをいうのだ、と思って改めて、あの白亜スラブの愚かな様子を感じたのでした… 

朱に染まれば赤くなる、で九州クライミングの悪影響を受けただけだと思いたいです。

■ ネパールの沢

このブログは、私個人の、スポーツクライミングとフリークライミングの基礎力づくりの記録をまとめるために作ったサイトなのですが、結局、アルパイン教育の不足を語ることになってしまいました…

私は、当初、ワイドで体幹を作り、ハンドクラックでクラックを快適に登り、徐々にシン・ハンドやフィストに進み、という予定で、アイスクライミングでは、のんびりドライを学びつつ、6級へ進みたいと思っていました。4級ならリードまで、5級が8割がた終わり、条件によっては…つまり、ビレイの優劣や氷の状態によっては、リードにも進んでよい、というようなレベルで終わったと思っていました。

しかし、九州に来たことで、ほとんどの山が恐怖体験、みたいな感じになりました。

いや~驚いた。

私に、貴重な示唆をくれたアルパインの友人が、ネパールの沢に行くと言っていたのですが、昨日偶然にもその記録を見つけて、楽しそうで、いいなぁと思いました。

しっかりした技術にのっとっていれば、どんどん成長していける、という証拠ではないかと思います。

よって立つ土台があやふやだから、そこが問題なのでは???と思ったのが、山梨アルパインクラブで会った人たちでした。九州の山岳会は輪をかけてそうでした。雪訓なしで、冬山って…ないですよね?

まぁ、私なら、九州から雪や冬壁を志向しようとは思わないですが…山はその土地に適した活動を提供してくれると思うので、真冬も温かい九州では年がら年じゅう沢をしていればいいのではないかと思ったりしました…

そのうち海外の沢に食指を伸ばしていけばいい、ってことなんでは?

https://www.akatsuki-climbing.com/%E3%83%8D%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%ABrauli-khola%E6%B2%A2%E7%99%BB%E3%82%8A/


2024/12/04

【クライミング心理学】 もう、本音を言います!

 映画を見ました☆ とても良い映画でした☆

  https://youtu.be/Wq-GQ3Ym8NM?si=rcBNvGytGkSmoUR-

一言でまとめると


 ”『言ってはいけない』と思っていることを言ってから始まる…”


家族って、こんな感じですよね…って感じです。

言いにくいことが言えない… 家族であるからこそ、相手を大事にするからこそ、言いたいことが言えないわけですね。

どうでもいい相手であれば、言いたい放題をしたら、良いわけで…。

安楽死をテーマにした映画ですので、最終的には、安楽死の是否を、考えていく映画になるのだと思いますが、私がこの映画を見たうえでの感想は、

 安楽死 賛成

でした。安楽死が無かったら? これを言ったらお終いだ!って内心、思っていることを言う=本音を言う、ありのままの自分でいる、という機会も生まれないでしょう…

それに、娘たちに看取られて死ぬという人生の贅沢も味わうことができない、でしょう…

人生の最高の贅沢は、子供に看取られること、ではないかと思います。

■ ネタばれアリなので、見たい人は、ここから先は読まないように…

1)姉と妹の確執

 母親の方針により、お姉ちゃんは強く育ち、妹ちゃんはめそめそ派(双極性障害)。

で、妹が自殺未遂をしたことを、「親の注目を集めるため」と姉に批判されるので、妹は、自殺未遂を秘密にして言わないのです。

なんか分かる―と思いました。妹はめそめそ…、実は私の妹です。めそめそしても、何も解決しないのに…。

家族全員がめそめそ派だったので、姉である私は、相対的にバランスを取って、どんどん、強くなるように追い詰められるのです… 

というのは、現実的な問題には、向き合うこと=強くなることだけが解決の道だから… 

私の場合ですが、これに単細胞の弟も加担して、姉だけが強さを発揮しないといけなくなり、私はかなり大変な子供時代を過ごしました…。

家事もやって、姉役だけでなく親役もやらされそうになり、学校でも優等生…疲れた。それで、その役は15歳で降りました。九州のクライミングで、またやらされそうになり、嫌だったなぁ。降りた役をやらされそうになり、嫌でした…。

姉の強さも、周囲が一方的にダメダメである状況から、作られざるを得なかった強さなのだ、と理解してもらいたいです。

一人に負担を押し付けないで、自分たち自身が強くなってください。

2)オークワードネス漂う画面

この映画、なんとなく、腫物に触るような、遠慮した感じが漂う、そんなシーンが多い映画です。

日本的だなぁ…と思うと同時に、アメリカ的でもあり、現代版いい人、の概念ってコレではないか?と思いました。

親の安楽死に立ち会うって、どう向き合ったらいいのか?分からないって意味で、こういう振る舞いになるのは自然なことだと思いました。

3)安楽死反対派の人の動き

家族ではない登場人物の一人が、安楽死反対の妹の代弁をして、それを内部告発するんですが…それで、妹が母親の死を受け入れていないことが分かって、それが愛ある行為で良かったです。

心理学のコンサルタントの行う、いわゆる、”介入”ってやつ。 

私はこの立場に立つことが子供時代、多かった気がしました…。介入、は、自己表現が下手な人たちには、必要な措置です。

分かり合えないでいる人たちの間を取り持つということですね。

4)成熟者としての夫

死を選んだ主人公の夫である、おじいちゃんに、孫がなぜおばあちゃんは安楽死を選んだのか?聞きに行きます…

解説する様子が、いいなぁと思いました。率直なシーンはここだけかなぁ…

素直に、なんで?という疑問に、誰もが心の中で答えを自問自答で出しますが、それを自問自答ではなくて、他者からもらいたいのが、若い人、子供、です。

こういう人が私の人生には足りていなかったので… なんで?と聞いて、素直な理由を、本人は内心分かっていたとしても、教えてくれる人の存在は大事です。

5)姉の夫の脱皮

姉の夫君は、言いたいこともきちんと言えない、妻の尻に敷かれているわけでもないのに自らわざわざ敷かれに行くような、自己主張のない男性ですが、”あなたの”意見はなんなの?と妻に問い詰められて、答えに窮し、暴力的に妻とセックスするという…

脱皮体験をします。

これ、心理学のトランスコーチングで使う手法でもあります。抑圧が強い人に対する、挑発みたいな感じですね。

ということで、この男性の本音=男性性…暴力??? 本当は暴力的な部分が男性だから、だれでもあるわけですが、それを抑圧しすぎていて、暴力を振るわないだけでいいのに、自分の意見自体もなくなってしまっていたみたいなんですよね。

あとで、誰もいない空に向かって吠えていました… 俺は男だぞーって。

クライマーが吠えるのも、これなのかもしれません。

6)妻と夫 Faithfull husband

夫の役割が素晴らしい。常に妻の意思をサポートする味方。私の意思をサポートしてくれる夫が欲しいです。意思と言うのは、感情でぐらつくからです。

”子の親”である以前に、”妻の夫である”、というのが大事なことですね。

7)不倫

子と夫を託す女性に、親友を選んだ主人公…ということで、納得ずくで、夫と親友の女性にくっついてもらったらしい…

それを知らない娘たちは、ママは騙されている!と反発するわけなんだが…

夫と親友をくっつけたい気持ちは分かるなぁと思いました…。自分がいなくなった後、夫が一人寂しく取り残されるのを見るのは、忍びない…。

だれか信頼できる人に夫の力になってやってほしいと思ったら…親友しかいないですよねぇ・・・

7)姉の性格

姉の性格が常に批判にさらされている、というのが、印象的だった。

OK、I’m Bossyと自分でも言っています…けれど、言っている内容は、いつも正論だと思いました。

要するに正論がBossyとイコール換算されるわけなんだろうなぁ…

私も正論と正義を信奉するタイプなので、こういう人の心の安らぎはどこにあるのか?

気になりました。このタイプの人は、こどもっぽい人にイライラするので、先ほどの自己主張のない夫と一緒にいる、のです。

8) 主人公の性格

最後に主人公が死ぬ時、娘二人に看取られて死ぬのですが…

 I am scared

と言います。このセリフは正直な気持ちで、常に理性で感情的にならずに打ち勝ってきたと思われる主人公の精神的成熟を意味すると思いました。

感情を受け入れる、というのは、勇気がいるのです。

9) 一人で泣く夫

私が印象に残ったのは、この全体的な安楽死という苦悩の引き受け手、としての夫の解消の仕方です。

妻の安楽死の支え手になる、ってすごいメンタル負担です。それをどうやって乗り越えたのか? 

ミニトマトをちぎりながら泣く夫が印象的でした…

だよねぇ… 苦しみを吐露できる人間の相手は、ここにはいない。

だから、トマトで涙を流すわけでしょう。

妻が、愛人をあてがってくれたと言っても、妻があてがったもの、でしょう…

■ 私が怖いのは?

私が怖いのは、この立場に立たされそうなことです。

というか、今立たされていると思う。 

自分だけが結末が見えていて、やっぱり、自分はその結末を一人で引き受けざるを得ないのだ、という感覚です。

なぜなら、それが、母との関係で私に起きたことだったからです… どうなるのか?私は知ってるよ、結局、一人で戦わないといけないんだよね…みたいな感じ。

私の問題じゃないのに…。

山梨の山で癒されたのは、その”未消化の感情”でした。大変だったねぇ、でも今じゃないよねぇ、みたいな…?それで、だいぶ子供時代の傷に決別はついたかも。

しかし、ラスボス残っていましたねぇ…

まさか、父親に2歳で殺されかけたとは… 山にいては、水と戯れる機会がいないので、一生気が付かずに済ませられたことでしょう…。まさか、私の水恐怖症が、父親由来とは気が付きませんでした…。

クライミングによる地域おこしは私の課題ではない。ローカルクライマーたち、これまでクライミング界で有名無形の資産を受け取ってきたクライマーたちの課題です。

クライミング界に、確立したクライミング教育マニュアルがなく、きちんとしたクライミング教育の手順が確立していないこともそうです。

私のせいではないし、ましてや私が何とかできる問題でもありません。

そのように感じさせられるのは、たぶん責任転嫁のエネルギー…

また、他のクライマーから、私のクライミングに対する成長に関して、足を引っ張られることも嫌だった。

”私だって英語が話せたら同じことができた”、というお姉ちゃんが羨ましい路線のアキさん

 &

”なんでねえちゃんだけ注目浴びるんだよ~俺だって”のダメダメ系弟路線の前のパートナー

が印象に残った時代でした。

結論、

私は、別の人間関係を選びたいです。

■ 俺だって私だって=羨ましい 

俺だって、私だって、というのは、私が羨ましいって意味でしょう…

ならば、自分が努力してそうなりなよ!って感じだよなぁ…。

ああ~ うっとおしかった!

クライミングに関しては、もう、十分、

  優しく、何度も、丁寧に、解説してやったぞ!

っていう気分です!

誰ですか、そういう知性的に欠如している人たちでも、何度も優しく解説すれば分かってくれると言っているのは…?

分かりませんよ、彼らは。だって目的が目立つこと、なんだから…。

そして、その、”優しく、何度も、丁寧に、解説を試みる私” を利用し、便乗しようとしてきた”大人たち” 役の、九州の指導者たち…

指導する能力自体がそもそも、ないのではないか?と思いました。

いくら、自分の会の人たちにも、本格的な山…アイスクライミングなど…を味わってもらいたいからって…

指導したりするのは、偉い人の座に座っているあなた、であって、なんで私に若い奴を回してくるのか?

この子、登れる子だから、引き取ってーみたいな感じでした。

その人材自体が、ダメダメだったし…

私の責任じゃない人を回されて嫌だったなぁ、もう!

そもそも、私だって3年のクライミング経験しかなく、私の責任能力の範疇を超えます。

育ててもらってもいない親に、恩返しの親孝行を求められているみたいだったー!

しかも、クライミング界最弱者の私に

 指導力

を求めるのか?意味不明ですよね!!

      あー、本音がやっと言えてスッキリしましたー!!



2024/12/03

【アルパインクライミング】ヒリシャンカ


パタゴニアの動画です。しかし…

ペルーの山のルートグレードなど、あんまり日本で知られていないというか、登山の学校でも教わらないような気がします。

結果、なんか日本の山のルートグレードと比較する基準がなくなって、なんとなくすごい、みたいな感じでしか、とらえられなくなるのかもしれない???

登っている動画をみましたが、岩ごとがっぽんと剥がれて落ちる系のやつのような…

フリークライミングで、岩が欠けても、ほんのちょっと欠けるだけでも、ホールド欠損で大騒ぎですが、アルパインで岩が欠けるっていうのは、自分が乗っているアイスそのものが崩落するとか、岩の裂け目に染みた水が凍結で膨らんで、岩ごと崩れ落ちるとか、そういうもので、レベル感がまるで違うと思う…

あと、こちらの動画のスナップショットだが、アイクスクリューを打ちこむのにアックステンションはしていない…たぶん、そんなことしたら、遅くなるからだと思うんだが…



そんな風な登り方が普通で、アックステンションは、保険として、ほんとに疲れてダメになった時に使う技って理解だったけどなぁ…

■ 概要情報

ペルーのヒリシャンカ(**Churup**、**Hirishanca**とも表記されることがあります)は、アンデス山脈のコルディエラ・ブランカに位置する美しい山です。この山は標高5,464メートルで、多くのアルパインクライマーが挑戦する対象になっています。

### ヒリシャンカのルートとグレード
ヒリシャンカのルートは、技術的な難しさや環境条件によって評価されます。一般的なルートとそのグレードの概要は以下の通りです:

1. **北壁ルート(North Face)**  
   - 難易度: **D+**(Difficile+)から**TD-**(Très Difficile-)  
   - 特徴: 氷壁やミックスクライミングを含む技術的なルート。ルート状況によって難易度が変動します。

2. **南壁ルート(South Face)**  
   - 難易度: **TD**から**TD+**(Très Difficile+)  
   - 特徴: より垂直な氷壁があり、高度と天候の影響を強く受けます。熟練者向け。

3. **西稜ルート(West Ridge)**  
   - 難易度: **AD+**(Assez Difficile+)  
   - 特徴: 比較的穏やかな傾斜で、経験のあるアルパインクライマーに適しています。

グレードはヨーロッパアルパイングレードシステムに基づいていますが、氷と雪の状態、落石リスク、天候などの影響で変動する可能性があります。挑戦する際は、現地の最新情報を確認し、十分な準備をすることが重要です。

これが、ChatGPTの返事。

で、ピッチグレードはどうかというと?

北壁ルートで、約500〜700メートル
最大ピッチグレード: WI4〜WI5(氷雪)、M4〜M5(ミックス)
傾斜: 60°〜85°の氷壁が多く、時折垂直またはオーバーハングのセクションが含まれる。
ルートの全体的なグレード: D+ 〜 TD-(総合評価)

これが標高5000m級で起ることになるので… 

ヒマラヤ6000級での M7 AI5 1700m は、やっぱりすごいなぁと思った。

■ グレード表

グレード 略語 難易度の概要
初心者向け
F Facile 簡単。歩きやすいトレイルや、基本的なロープ技術で登れるルート。岩場がほとんどない。
PD Peu Difficile やや難しい。基本的なクライミングスキルが必要で、岩場や簡単な氷雪のセクションが含まれる場合がある。
中級者向け
AD Assez Difficile かなり難しい。氷雪や岩場があり、より高度なクライミング技術や安全管理が求められる。
AD+ ADに難しいセクションが加わったもの。
上級者向け
D Difficile 難しい。技術的な岩登りや氷壁のセクションを含む。持久力と高度な技術が必要。
D+ Dより難易度が高いセクションがある。
TD Très Difficile 非常に難しい。垂直に近い氷壁、ミックスクライミング、長い技術的なピッチを含む。高度なスキルが必須。
TD+ TDにさらなる難関が加わったルート。
エリート向け
ED Extrêmement Difficile 極めて難しい。非常に高度なクライミング技術、綿密な計画、安全管理が必要。リスクが高い場合も多い。
ED+ EDの中でも特に難しいルート。
ABO Abominable 想像を超える難しさ。エリートクライマー向けで、命の危険が伴う可能性がある。