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2024/12/23

【クライミング心理学】自分のニーズの掘り下げ

■精神的サポートが必要

クライミングによる地域おこし活動をこのまま進めていくにあたって、私に必要なのは、

 精神的サポート

なのですが、それを得られるべき相手=夫からは得られない(理由:夫はクライマーではない)

…新人クライマーとして頼るべき相手(ベテラン)が頼りにならない、という九州は、なんか私の父娘関係を再演しているかのような経験でした。

  頼るべき相手に頼れるどころか、逆に殺されかけている、

という関係性です。

=父親と赤ちゃんの娘だった私の関係 (父娘関係)

ニアイコール クライミングパートナーと私の関係 (本来は対等であるべき)

ニアイコール 九州のペテランクライマー勢と私の関係(上下関係)

と類似して感じられています。

本来、クライミングのパートナーシップは、父娘関係のように一方的にサポートを受け取るという関係ではなく、普通に互いに支え合う関係だけどなぁ。

なぜか逆に、一方的に私が支える事になってしまっている…

■ 正常な判断ができる状態にまずもっていくのが大事…

私の発達した理性は、かなり戻っては来ているのですが…

まだまだ 戦いに、正常な判断ができる状態にないので、判断自体が保留になると?

停滞。

というメカニズムが働いています。

■ Vulnable

どうも、私自身が、Vulnarable な自己(私は弱い)という父との関係性での自己イメージが湧くことが、原因のような気がします。

私は全く弱くはない。

なのに、

  ”赤ちゃんの時の自己”

が出てくるってことですね。泳げないえーん(><)となる。

 だから、〇〇されたという表現になる。

例えば、白亜スラブで、25+35も計算できないで60シングルなら次回は大丈夫という反省の仕方をしてしまうのは、私のミスか?というと、一般的な小学生レベルの算数の課題なので、ここまで私がミスを救うべきだったか?というと、疑問だと思います。山行計画を立てるときに、前提として、トポを当然見ているはずだ、と考えるのは、一般的な期待、で、過剰な期待、とは言えない。

祝子川に2名で沢登り行ってらっしゃいというアドバイスも、私は受け入れなかったことが成功体験ということに、あとで事故死された女性が出たことで、結論付けられました。この事故の女性犠牲者に私がなっていてもおかしくなかったのに、ならなかった。

つまり、私自身が自分を守る力は、きちんとある、ということです。

海外で数年暮らしたことがありますが、まぁ、海外は、あからさまな詐欺だらけです。家賃を二回請求するなどは、ごく普通です。自己防衛力が必要。

九州での経験は、その力が十分ある、という証明にはなったかもしれませんよね。

■ 恐怖が原因みたいな?

一方的に受けいれるしかない、傷つきやすい自己、無力な自己、という自己観念ができてしまうトリガーは、恐怖、のような気がします。赤ちゃんは無力だから。恐怖=泣き叫ぶ、ということができればいいわけですが…。

正常な大人の恐怖に対する反応は、怖い、と声に出して言うことでしょう。

これが、言えない空気感…というのが、九州クライミング界の最大の欠点でしょう。

なぜなら、クライミングにおいて恐怖というのは大事なナビゲーションスキルだからです。

■ クライミングライフにおいて身に着けるべき能力

クライミング力とは? (ムーブの解決力) + (ロープワーク)です。

それだけでは、ルートには出れず、加えて

 (ナビゲーションスキル)=(読図) + (ルートファインディング能力)

 (危険予知による危険回避スキル)

 (野外のでの生活スキル)

の3つが必要です。

海外に行くには、加えて、(海外旅行を企画立案するスキル)に、(インターネットで調べ物をするスキル)が必要です。これは、旅行コンシェルジェという立派な職業スキルです。

ただであげなかったら、ケチ、と言われたみたいな感じの経験になっています。

■ どうすれば、エンパワメントされるのか?

赤ちゃんの私にエンパワメントするイメージワークを行えばいいのかなぁ…。

かんがえてみると、赤ちゃんの時、父に殺されかけたときは、母がその後何年もかけて、水が怖くて頭が洗えない娘を、しかたないね、と我慢強く辛抱して、寝かせて頭を洗ってくれ、その後、ある日突然、頭は自分で洗えるようになったのです。

水恐怖症は大人時代の後半に解決する課題となり、48歳で解決しましたが、解決には女性の母性溢れる人たちのお世話になった。80代のおばあちゃん先生でした。

…というわけで、

 (未熟な男性性に痛めつけられた傷)を(成熟した女性性)で癒すというメカニズム

になっています。



■ 未熟な男性性への恐怖心の克服が課題

今の私に必要なのは、成熟した人たち、です。

クライミングによる地域おこし、の活動で、出会いがちなのは、精神的に非常に未熟な未成熟者が多いのです… それが私が躊躇する理由です。

無責任で自分さえよければいい!というパワーをはねのける、自分の心的パワーが十分あるかどうか?が、不安な要素です。

というので、成熟、という面で、対等にサポートになってくれる人がいたらうれしい…

私は私の我慢力による、困難の乗り越えはもう嫌なのです。

私についている重石は、我慢による愛、です。

なんとセックスを断ったら、我慢しろ!といってきたんですからね… 嫌なもんはいやです。

https://youtu.be/CORrAGug2Qo?si=YD6L1JIWDLrKMkAg


2024/12/15

【クライミング心理学】カープマントライアングルに陥っていますね…

■ 山岳会衰退の理由=山岳会が陥っていた仕組み

こちらのカープマントライアングルの解説の引用より、

用語の置き換えにて、ケースを検討しています。

https://www.balancedgrowth.co.jp/column/dramatriangle.php

ドラマを演じている状況は慣れ親しんだ場所。1次プロセスです。ここは居心地の良い場所です。

ドラマを演じている場所 → 山岳会

迫害者(=山岳会・先輩)はパワーを駆使して犠牲者(新人・後輩・未組織登山者)を下に落とし込むことで、自分の存在意義を確認でき、自尊心を満たします。

救済者(=山岳会・先輩・あるいは登山ガイド、クライミングガイド)は正義の味方として振る舞う自分にOKを出すことができます。

犠牲者(=山岳会・新人・後輩)は、救済者(=山岳会・先輩・あるいは登山ガイド、クライミングガイド)から気づかってもらえますし、ダメ人間を演じつづければ本質的な努力をしないで済むメリットがあります。

そして、3つの役割全てに言えることは、

   オープンな本当のコミュニケーションを避けることができます。

本当の自分を勇気をもって見つめ、それに従って他者との意思疎通を行うのは、大変なエネルギーを必要とします。

一方で、ドラマトライアングルのどれかの役割を演じるのは、とても楽なことです。

これらの沢山のメリット、すなわち:

・慣れている

・相手に能力がないことで自分の能力が相対的に高く見え、自尊心を満たせる

・正義の味方になれる

・本当の努力をしないで済む

・本当のコミュニケーションを避ける

・エネルギーが節約できる

を手放すことがエッジとなり、多くの場合はドラマを継続してしまう(1次プロセスに留まりつづける)ことになります。

一方で、ドラマを演じ続けてはいけないことは、多くの人たちが薄々は気が付いています。そこから現れ出ようとしている2次プロセスとは何でしょうか。

今までは、逃げていた(避けていた)「本当の自分に向きあうこと」が始まります。

■ ここまで読んで、登山界、クライミング界の課題は何か?

・本当の自分に向き合うこと

=山岳会自体のレベル低下

=アルパインルートの荒廃

=クライミング教育の不在

=しょうもない事故の多発

=トンデモボルトなどのその他、不祥事

■ 王様は裸だ!

という役目がワタクシに…(涙)

ああ、大変でした…。

日本人は勤勉ですから、取り組みさえスタートすれば、あっという間に治りそうですけど!

■ 解消法 エンプティチェア療法

相手の立場に立ってみるという心理療法です。

各自に「なぜそのロールをとっているのか?」について考え、気づいてもらう

ここでは、自分以外のロールをとってワークしてみることが有効です。「被害者の椅子」「迫害者の机」といった具合に、3つの異なる場所を明確に定め、その間を当人たちに動いてもらうことが必須です。以下のような気づきが起きるでしょう。

 <今まで新人・未組織登山者・後輩だった人>

山岳会の先輩(クライミング上位組織)のロールをとると:楽でパワフルだ。事故は、全部新人のせい(=自己責任)にすればよいのだ。

(先輩、登山ガイド・クライミングガイド)ロールをとると:楽だ。良い人になって心地よい

 <今まで山岳会や先輩だった人>

新人・未組織登山者・後輩 ロールをとると:こんなに窮屈なのか。想像もしてなかった。頭が真っ白だ。

先輩・クライミングガイドなどのロールをとると:山岳会・先輩の人は怖い。この役割は安全だ。心地よい

 <今まで先輩・クライミングガイド、登山ガイドだった人>

新人・後輩・未組織登山者ロールをとると:予想していたけど、それ以上につらい。

山岳会・先輩、上位山岳団体ロールをとると:パワフルだけど、うしろめたい。

… 今まで放置プレイだったので、権力がある人が後ろめたいのは、正当な感じ方のような気がしますけどね。

こんな日本に誰がした?若い人のせいじゃないよ?みたいな…



2024/12/12

【クライミング心理学】 説明し続けようとする心理にハマっていました…

■ 以下抜粋

もう、ほんとにこれですね。

 なんど、優しく、丁寧に、言っても、”ナルシストやボーダーの人には”、分からない、のです。

ナルシストやボーダーではないクライマーと言うのは、現代では少数派なのです…

ーーーーーーーーー
いのち軸で自己肯定感を育む
心理カウンセラーの南ユウタです。

ナルシシストやボーダーラインの人の考え方や行動は、非論理的で利己的なことがよくあります。

感情的に未熟ですので、「子どもっぽい」ところがあります。

健康な人なら、ナルシシストやボーダーラインの人とかかわることがあっても、そうした子どもっぽさに対して怒ったり、困った顔をしてため息をついたりして、最終的には離れていきます。

でも、ケアテイカーの人は違いますよね。

ナルシシストやボーダーラインの人の非論理的な言い分に対して、

論理的に説得をしようとしていませんか?

「正してあげなきゃ」と思ってしまいませんか?

そして、長いことそういう

「何回も言って聞かせても、同じことをくり返される」

パターンを繰り返していませんか?

実は、それもナルシシストやボーダーラインの人と

ケアテイカーさん

の間ではよくある

「罠」

です。

加害者、被害者、救済者の3つの役割をくり返して抜けられなくなる「人間関係の昼ドラ」にハマる罠です。

僕も、高校生や大学生の頃、相当な時間とエネルギーをそういうことに費やしていました。

当時は言葉にしていませんでしたが、

「もし、僕が論理的に説明してあげて、わからせてあげられたら、もうこんな風にはしないはずだ。」

と信じていたのですよね。

あなたも、そんな風に信じていませんか?

実際には、ナルシシストやボーダーラインの人の思考回路の大きな特徴は

「ランダム性」

だと言われています。

論理的に考えられる時もあるけれど、非論理的な時も多くあります。

「そんなこと、普通の人でも同じじゃないか」と、思う人もいらっしゃるかもしれませんが、ナルシシストやボーダーラインの人の思考回路のランダム性は、そんなにかわいいものじゃありません。

非ナルシシストや非ボーダーラインの人なら、非論理的に考えふるまった後に、「あっ、これはまずかったかな」と気づく確率が高いですよね。

さらに、自分のふるまいが相手をどんな気持ちにさせたのか、想像がつきやすいです。

「私のあの時の言動は、きっとあなたを傷つけ、不快な気持ちにさせたよね」

みたいに考え直し、謝罪したり、関係を修復しようと努力できます。

ところが、ナルシシストやボーダーラインの人は、これがとっても苦手なのです。

また、思考の特徴として「自分を中心にしか考えられない」というものが出やすいです(いつもではないですが)。

こういう時のナルシシストやボーダーラインの人は、「論理でもの考える」のではなく

「感情でものを考える」のです。

だから、どうしても被害的に受け取ってしまうこともあります。

そんな状態の人に、論理的になるよう説得をしながら絡み続けると、

救世主のポジションに知らないうちにハマっていくのです。

そもそも、救世主を求めている段階や、救世主を実際にそばに置いているナルシシストやボーダーラインの人は、セラピーや心理治療の場にほとんど現れないです。

「自分で自分をよくしよう」とセラピーの主人公になっていないナルシシストやボーダーラインの人を、説得するのは無理があるし、原理的に不可能です。

ーーーーーーーーーーーーー

【クライミング心理学】4年の心理的苦悩のまとめ 1

■ 裏切りの傷

言語能力を獲得する以前に、父親にプールにつき落とされた。これが、クライミングでフラッシュバック(映像)で蘇るようになった。

この被・虐待経験が、

 子供時代の異様な水恐怖症の原因だ、

と分かった。 その頃、別の良いほうの友人たちから、ラオスに誘ってもらったんだが、出かけていくことができなかった。

その

  裏切りの傷

が目覚めたころだったためだ…。普段なら、ホイホイ出かけていくところだったが、「これは、要注意だ、誰が良い人で誰が悪い奴か、私には判別能力が足りていないのかもしれん…」と過剰警戒、が起きてしまったのらしい。その時は過剰警戒とは思っていなかったが。自分で自分が信頼できなくなることをガスライティングというのだが、なぜそれが起きたのか?

心理学を勉強して分かった。

ーーーーーーーーー

過覚醒(hypervigilance)として表面化する。

過覚醒とは、危害を加えられたり、拒絶されたりすることをあらゆる場面で想像し、いつも警戒状態にあることだ

ーーーーーーーーー https://forbesjapan.com/articles/detail/69882 より引用

普通に安全安心の良いクライマー(ヒロさん)に誘われていたのに、なんか用心が勝って、そして、出かけていくことができなかった…。その間に萩原さんは亡くなってしまった…。

… という

  機会喪失体験

になった前回のラオス…。 今回、足首は、全快じゃない。けれど、今回も、行けば行ったで、楽しく過ごせるだろう、なんせ行くだけで、外国であれば、どこでも楽しめるのが私なのだから…とは思うので、行くほうがいいのかなぁ…。思案中。

行くなら、今すぐ行動を起こさねばならんので、早く考えをまとめたほうがいい…。

■ 鬱の諸症状

考えをまとめようとすると… なんか脳がビジー状態…(鬱の症状)で、考えがまとまらないという問題が。書くとまとまるので、書いてまとめようとしているんだが… 書くにも体力が必要で、体力そのものを喪失しつつあった。

最近の発見は、絵を描いていれば、ビジーが収まり、考えがまとまるらしい…ということ。

あとは、散歩。散歩は、私は子供のころから、その辺をほっつき歩いて気晴らしする子供でした…。田んぼのあぜ道を良く歩いていた。

…というので、しょっちゅう、散歩に出ないといけないのです。

散歩=マインドフルネス。散歩で脳内ゴミがすっきりすると、大体

 ひらめき

という形で、考えがまとまります。このひらめきをどう起こすか?が核心みたいな感じ。

それでネパールへ歩きを目的にして行こうかなと思っています。超ロングを歩かないと、だめなんですよね… 例えば一週間以上、毎日8時間歩くと癒されます。

■ 一人で海外をほっつき歩く

昨日は、ジムで、ラオスの話したら… ジムのお姉さんですら、

 一回目は誰かについてきてほしい…

と思うそうでした。そうか~。1回目から現地集合というのは、普通の人には難しいということですね。

ちなみに、私は一回目から現地集合ですが。というか、初めて行ったパリでも一人で行きましたけど…。

さらに、その次の台湾は、1回目からラオスで知り合った外国人と現地集合。

こっちのほうが世界標準って意味です。

日本人の大多数がどうも持っているらしい、未知への恐怖症…にあまり縛られていないのが私なのです。それは、子供時代から、近所のおじちゃんやおばちゃんに助けられて、それが良い思い出だからです。

私の親友だったサー君のお母さん、パンツまでお古くれました。履かなかったけど(笑)。

他人は温かい。家族は無理難題を押し付けてくる。そんな原体験を持っています。

■ 地球家族

クライミングの良いところは、こういう感じで、

 世界中の仲間が地球家族化できること

だと思います。しかし、私たちは家族ね♪と思っているくらいな人に、

 自己愛的虐待

つまり、

 「お前はこんなところものぼれねーのか?」

とか

 「ランナウトが怖い?は?お前、金玉ついてんのか?」

とか、

 「たぐり落ちる? 俺にはカンケーねー」

とか

 「俺の自慢のクライマーになれ」

とか・・・ 全部、自己愛的虐待、ですから…。いや~、クライミングで、

 子供時代の虐待の再演

が起って、自分の子供時代に本当は何が起こったのか?やっと分かるようになりましたが、これは私の母や父がどうこうというより、

 九州の、あるいは、日本の、儒教的な生育環境

の弊害のような気がします。

私が長年学級委員長とか生徒会でいたのは、そういう

 儒教教育の弊害から、守られる、

という意味があったのだと思います。ほかのみんなは、竹刀で殴られたりしていました。別に悪いこともしていないのに。小学校、中学校、とエライ暴力的な学校に行っていたと思います。こどもたちはびくびくしていました。(余談ですが九州では今でも軍隊型教育らしいですよ)

しかし、それから教師による体罰から逃れられても、尊敬している先生から、道具扱いされる、ということは防げなかった(汗)。

ほんと、熊本高校に行ったのは、その先生のため、でした。そのせいで大人時代の半分以上を育英会奨学金返済で、苦労する羽目になった。

同じことで、クライミングでは、インスボンがこの手の経験に相当するかもしれません…。
あれ、行きたくて、行ったんじゃないからなぁ… 

相手が着いて来てほしそうにした心を、こちらが汲んで行った、行ってあげた、って感じだったから…。これは、白亜スラブでも同じです。(それで死にそうな目に遭った。ギブ&テイクでは、ギブのコストが高すぎます。)

相手が着いて来てほしそうにしている、だから行く、という風に心が動きがち、なのです。

それで、ヒロさんが誘ってくれたラオスは、用心のために行けなくなったのです。

あれは、あとで内容を教えてくれたクライマーがいて、とっても楽しそうだったので、しまったなぁ…行けばよかった…と思ったりもしたのですが。

というわけで、誰にでも彼にでも、最大級の警戒心を発動することになったのですが…

過覚醒という状態ですね。

■ 過覚醒の治し方、私バージョン

これ、大学のころ、私はそういう時代に居ました。どこにいても借りてきた猫状態でしたが、

1)大学の学生寮で、最下級生として暮らして、先輩たちに可愛がられ
 → 水泳を倣いに行って、70代、80代のおばあちゃんスイマーに可愛がられ、

2)アメリカに2年働きながら暮らしたら、元気になった
 → 海外にしばらく登りに行ったりすれば、元気になるかも?

みたいな感じかなぁ…。

■ なぜ、ナルナルクライマーに破壊力を与えてしまったのか?

俺をみろーみたいなナルナルクライマーって甲府時代にもいて、ジムで「あの人、腹の肉やばいなぁ」とあまりの浮き輪肉に思って、上裸の男性クライマーを見ていたら、その人が急に元気に登りだして、「あ、誤解された」と思ったことがあったなぁと思い出しました…。

当時は、そういうナルシストに出会っても、全く、ダメージではなかった、のです。

こちら側のメンタルが健全で元気だから、です。

心のエネルギーが枯渇状態=人の言いなりになりそうになる…

これがマインドコントロールの仕組み。

心がエネルギーがすり減る = 無理やり、ランナウトした、登りたくもないルートを登る

です。

ちゃんと登れており、落ちていませんからね! プンプン!

■ 元気になるパターン

大体、海外に行くと元気になる。 なんか、現実的な処理能力を活用する、って感じですかね?

大体、やることが次々にあって、ゲーム脳というか、いろいろこなさないといけないので、それで回復するのです。海外ってトラブル続きっていうか…えーそう来る?ならこういくよ~みたいな、ゲームのクリア感があります。

それで、自分が有能であることを確認する、っていうか…。

38歳で、流産して、うつ病ちっくになったときは、自分であらかじめピンチが自覚できたので、メルボルンに2か月退避していました。

メルボルンでヨガしていたら良くなりました。

…というのは、日本にいると、儒教的考えの影響が非常に強く、自分を大事に出来ない、ということがあるからです。

女性が自分を大事にすると、必ずと言っていいほど、わがままだという指摘が社会からなされます。

他の人の犠牲になれ、というエネルギーを感じる。

これは、日本社会の罠なんですかね?

それとも、個人の内なる親の声なのかね?

あるいは、男親が私はいなかったので、社会性に問題を抱えるとか?

そこらへんはまだ思案中ですが、どちらにしても、海外では、

 境界線の引き方が健全で、

で、女性だからと言って、他者への過剰な世話焼きは求められません…。むしろ逆で、女性であることを配慮してもらえるくらいです。ドアを開けてくれる程度ですが。でも、日本では、重たい荷物は女性が持つことになっていますよねぇ?

もっとも前回、ラオスに行ったときは60代の年配の日本人女性クライマーがいて、その方は、英語が話せるとかで、過剰な世話焼きにより、ビレイをゲットしたい!というので、年配の日本人男性クライマーの周りをひらひらと蝶のように舞っていたのでした… それで、「そんなことしないでいいんですよ」と進言したら、喧嘩になった…。

あなたとは価値観が合わない、と言われました。そのとおり!!

ビレイの代わりに自分の能力を無料で差し出せ、みたいなのって、価値観に合わないんですよ。ビレイってかわりバンコでしょう、特にフリーの岩場では。

クリップ前に核心がこなせないような作り、手繰り落ち危険がリーチが短い人には過剰にあるような作り、登れるようなものがない作り…に、しておくことは、男性の既得権を守ることになると思うんですけどね…。

ラオスはそんなことないのに、なんでその女性が、下手に回っているのか理解できませんでした。

受けてすらいない恩を、御恩と奉公風に丸め込まれるのって、日本独特。

そう、日本では

 俺の世話焼きをしろ、そうすれば、山にあるいはクライミングに連れて行ってやる

あるいは
 
 ビレイしてやる

という、”不平等条約”がありますよね…。日米安保みたいな。

それで、自分を高く売りつけるのが、ナルシストクライマーですが、ちゃんとしたビレイって、

 できて当然のこと、

で、大体の山岳会のおじちゃんらは、そのできて当然のことが習得できていないことが多いです。

2mも3mも離れたビレイとか…

お座りビレイとか…

支点ビレイとか…

できていない人に、なぜかできている人のほうが、媚を売らされる羽目になるのです。

そういうのが日本の社会の不健全性です。

トップのアルパインクライマーにもジムや岩場で会ったことありますが、ハーネス貸してくれたくらい親切で、その逆じゃなかったです。

ダメな奴には、お前はダメだと教えないといけないのです。男のプライドが傷つくから、とみんなが黙っているから、いつまでも改善されないんですよ。

ダメなのは私ではない。

以下、それらを表現する写真です。

        ”見知らぬ人”に、”正しく”ビレイされている私@ラオス

         私のリード中になぜ二人目のクライマーがいるのか?

             間違っていることを教えても聞かない

            もはや何も言うまい… 下の画像を見て判断せよ、です。
参考:ビレイを教えるチェックリスト


2024/12/11

【クライミング心理学】自己愛的虐待を乗り越える〜回復中

■ 最近、だいぶ元気になってきました☆

長い時間だったなぁ…2020年から、4年。だいぶ長い間、クライミング界の闇に足を取られていました。最近、回復中。

動画はトップカウンセラーさんの南ユウタさんの動画です。

ナルシスティックアビュースとは?

 ・自分の欲求を優先して、
 
  1)あなたのニーズを無視する → 安全なビレイを求めるのは普通のことです
  2)あなたを過度に批判する  → 九州の支点が、ボロイのは本当のことです 
  3)あなたに勝手な期待を押し付ける →クライミング歴3年の人に期待が大きすぎます
 
の3つです。自分の欲求を優先、というところがポイント。とっても自己中って意味です。

■ 虐待の内容 過度の批判

「(95点をとったのに)なんで100点じゃないの?」

です。

「(3年目のクライマーなのに)なんで5.12登れないの?」

これを九州クライミングで私に起きたことに直すと すでに夢中歩行5.9もそれに続く初夢5.10aもオンサイトしているのに、次から次に難しいのに連れて行かれ、「こんなのも登れないの?」と言われる…。は?この課題を登りたいって、私、言ったっけ?でした。

日向神は本気ルートとは、とても位置づけられない感じでした。暗くてランナウトしていて、あんまり楽しい岩場とは思えなかった…。トレーニングならいいかもしれませんが。白くてきれいな岩場で登りたいです。

最初からオンサイトだったので、よっぽど楽勝で登っているように見えたのかもしれないですが、無理難題を突き付けられている感がありました。

支点のぼろさに九州の人は、無自覚だからです。

たしかに俺ってどーだ!というオーラを発しながら、登る九州男児と比べると、私はオーラゼロで登ったかもしれない。

挑発→応酬 で登るクライミングが九州では普通のようでした。それって、そういえば、ヒロさんもラオスで、韓国人男性に勝手にライバル視されていたよなぁ… あれって男性の遊び方?それが嫌でした。

”もっと頑張れ教”は、九州全体の洗脳のような気がします。

フリークライミングを私は楽しみたいのに、もっと上、もっと上と、まるで10代の学生の部活のようにやらされるのが嫌だったんですが…そんな登り方、楽しいです???でも、九州というか、日本全国、スポコンだからなぁ、日本では。

主体的にやるならいざ知らず。大人なんだから、もう、ほっといて!って感じだったなぁ。

私の強みは主体的学習にあり、子供の頃も、大人のやり方ではその子は学習できない、と思っていました。子供心に、しゃーないなー、って、大人に合わせてやっている、って気持ちでした。

なんでまた、大人になってまで、合わせてやらねばならんのだ。

あー、むかついた~。 何をやっても、不十分認定、ダメ認定、されるって感じでした。

その2)感情の無視 = 虐待

「そんなことで泣くな」のクライマーバージョンは、

 「そんな課題(高さで、支点で、ランナウトで)で怖がるな」

です。 続けると、感情を分かり合えない孤独な人生に落ちいるそうです。

その3)過剰な期待 

他人の期待に応えることに過剰に価値を置かれる。

他人の期待に縛られる人生。自分はどう生きたかったか分からなくなる。

その4)コントロール

条件を付けて操ろうとする。他人の指示に従わざるを得ない。服従が習慣になり、本当の自分の気持ちや意見が言えなくなる。他人に利用されるのでは?とびくびくすることになる。

受け身な人生。

その5) 親のニーズ中心の人生。仮面の人生。自分の本当の感情を隠してごまかしながら期待に応えようとする。

■ 解決策

1)怒りを解消する

可能な限り、過去の出来事を思い出して、怒りをよく思い出す。

2)専門家を見つけて話をする

火は消えていないが、煙は出ている、という状態は避ける。

3)喪失を悲嘆する

グリーフワーク。悲しみを避けて通れない。

4)防衛を乗り越える

殺意。強い怒り。抑え込む癖が、逆に生きづらさになる。

否認 あれはなかった
抑圧 覚えていない、何も感じない。不安の源になる。
知性化 理屈で解決
同化  あれは仕方なかった 
回避 もう考えたくない
自己犠牲 相手が幸せなら私はいいんだ → 燃え尽き症候群

■ クライミング界そのものが、自己愛的虐待の製造装置化しているような?

否認 → クライミング界に自己愛的虐待は存在しない
抑圧 → こんなのも登れねーの、弱虫~と言われて、傷つきを認めない。
     そういう世界なのだと無理やり納得する
知性化 → この自己愛的虐待も、強いクライマーになるには必要なのだ
同化 → そういう風に教育を先輩も受けてきたんだ、仕方なかったんだ
回避 → いまさら考ても仕方がない
自己犠牲 → クライミング界がハッピーなら自分はいいんだ 

となっているような? 

 クライミング界の、世界として見た場合のいびつさは、一般社会のいびつさをはるかにしのぐ、いびつさですよ…

こんな世界に誰がした? 私じゃないよ~。特に九州の人に言いたいですね!

参考:【アダルトチルドレン・自己愛】自己愛的虐待を乗り越える〜回復のガイド〜【心理カウンセラー・南ユウタ】

2024/12/10

【クライミング心理学】自分は特別なクライマーだ?

■ 今日はジムで印象的な出来事があった

女性客が多いジムに通っているんだが…今日はいつもの受付のお姉さん…たぶんオーナーさん…ではなく、なんかなーと前回感じた、若い男性スタッフだった。

で、ちょっとがっかりしたのだった…。というのは、女性同士のよしみ、的な話がちょっと楽しいから。子供クライミングの話とか…。

で、印象的な出来事っていうのは…

その男性バイト君?が、「私は〇〇です」と自己紹介してくれたことだ…。いや、いいんですけどね…。普通の自己紹介って感じではなかったんだな…。こちらの名は尋ねず、一方的に自分を名乗りたいみたいだった。ので、違和感。

私が壁に取り付こうとしていると、視線を感じたので、「恥ずかしがり屋だから見ないでください、あっち見ていて」と言ったら、「いやダメ」という話でした(汗)。

なんで…(涙)と思いつつも、とりあえず、その課題は登れてよかった…。7級とかせいぜい6級とかしか、今は触っていないので…なんかなぁ…。値踏みされるようで、微妙だった。私は、小瀬の壁を一人で行ったり来たりするような人だったので、あんまりみんなでわいわい、がやがや登るタイプではないのです…。

…という自己紹介に関する行動が、ナルシスティックだなぁ…と思ったのだった。

ナルシスティックさが、漏れ出ているというか…。

私は名前を間違って呼ばれても、別に必要がなければ、訂正しないけれど…する人いますよね。そういうのって、なんでなんだろう?と、以前は不思議に思っても、ただスルーするだけでした。わざわざ突っ込んで、精神医学を調べたりすることはなかった。

九州に来てから、なんか、”?”な出来事が多くなり、明らかに変だと感じるので、ナルシストに関する心理学上の知見が増えました。

つまり、九州では、

 ”自己愛の傷つき”

を抱えた人が、とても多かった、ってことかもしれません。

誰にだって自己愛はありますから、人を呪わば穴二つ、で、自分にもそういうところがあるからなぁ…と一般的に良い人は思ってしまう。私もクライミングを経験するまでは、全くナルシシズムについて考える機会がなかったです。

でも、ナルシストには明白に特徴があり、ナルシストの弊害を避けることは、ほとんどクライミングライフの成否を分ける要素と言えるかもしれない…。

クライミングで、いろいろと問題になるナルシシズムの特徴というのは

 1)相手の立場や、相手のニーズを感じることができない(=共感性が低い)

です。 要するに全体最適が分からず、自分にとっての局所最適しか分からないのです。例えば、一升瓶を抱えて厳冬期のバリエーションルートに行くとか…。そりゃ、自分は豪傑気取りができて満足かもしれませんが、周りは大迷惑ですよね。

こうした”特異事例”は、積もり積もって、意外で身近な問題につながる。例えば、ピンが遠いとリーチがない人にとっては、たぐり落ちの危険が増えますが、ナルシストにとっては理解ができない。自分には危険がないから、分からない。そういう人が多数だと、20m5ピンでも、普通になってしまうし、自分の初登権利が拡大解釈されてしまい、斜陽みたいなことになるし、さらにサバージョババージョみたいな、排斥事件につながる。

つぎは

 2)反省力がない

です。事故の前には、ヒヤリハット、がありますが、ヒヤリハットをヒヤリハットと気が付く、ということができない。これは能力の問題らしい…。そもそも、単純な能力の欠落ですが、それでも家の中で末っ子だと大事にされてしまい、無敵の自己肯定感を持っていると、単純なミスを修正できないし、さらに文化的土壌次第では、助長されてしまいます。例えば、ロープ出さないことを九州では助長して、武勇伝にしてしまうから、悪い特徴が強化されてしまうということになってしまいます。もともとそうでない人も、悪い特徴を継続することになる。同調圧力にはナルシストでなくても負けます。ただナルシストとの違いは、本当にヤバイときと冗談の区別がないです。

最後がネーミングの元になっている自己誇大感なんですが…

 3)自分は特別な存在だから、特別扱いされて当然だ、と思っている。

です。もう、山梨でも同じでしたが、周りは、いろいろと振り回されます…。

おれのために酒を担げ、みたいな感じ。お前の存在は俺を引き立てるためにあるに決まってるだろ!みたいな。

さらに、その自己誇大感が、自己愛の傷つきになると、

 4)自己愛憤怒

という、周囲から見たら、え?!という不思議な、怒りの爆発になります。這っても黒豆みたいな、感じです。

そして、

 5)モラハラ体質

大体、パワハラとか、モラハラとかする、古い体質の社長さんみたいな感じ。大したことない会社で、自分を「社長」と呼ばせるような。そういえば、高校のころバイトしていたパン屋さんでは、オヤジさんを社長と呼んでいたなぁ…。あの頃、学習機会があったのに、あんまり気にしないでスルーしてきたんだなぁ…当時の生活が大変すぎて、社会監察どころではなかったので…。こうした無関心がナルシシズムを助長してきたとも言えますね。

特徴として、ナルシストは、こうした行為で、自分の異質さを客観視していない。

ので、ほとんどの人が、俺、変かも?と思わず、精神科を受診することはないです。

大抵は、周りが困って、本人は困っていない(笑)。本人は、俺を評価できない周りは、アホだ程度の理解です…。困ったことに、似た者同士が集ってしまうので、自己を客観視する機会も、なかなか起らないのです。

そういう意味では、ホモソーシャルな山岳会という小さな閉じた島では、こうしたナルシシズムをインキュベーション…育んでいる、とも、言えますね。

 6)理性の縛りが弱い、(してはいけないことと自分の欲で欲が勝つ)

ということになっていると思います。これ、その悪いことがバレた場合も、相手が悪いことにして他責、というのが特徴だと思います。

…というので、こういう人は、チッピング行為も、自己正当化できてしまいます。欲と社会のルールでは、欲が勝ってしまうのです。いとも簡単に…。普通の教育を受けた人なら、持って当然の葛藤がないのです。

たぶん、自分のミスで人を大怪我させたり、死に至らしめても、ナルシストは、そういう奴と一緒に行く奴が悪い、で事を片付けたがると思います。

■ 自己愛性パーソナリティ障害【「自分が特別」と思う認知の偏り、精神科医が17.5分でまとめ】

山の世界から冒険がなくなったのは、ナルシストのたまり場になってしまったからかもしれません。

■ 回復

回復は、本人が気が付くしかないのですが… その気づきの内容が以下です。

 1)自分は少なからぬ人を傷つけていた (加害の自覚)

 2)自分は、自分が思ったほどは成功していない (実力の客観視)

 3)自分はむしろ疎まれていた (人気がないことの自覚)

です。

これに気が付けるか?どうかが分かれ道。その後は、受容のプロセスをたどる。

1)否認 
2)怒り
3)取引
4)抑うつ
5)受け入れ

です。 クライマーバージョンに直すと…

そんなはずはない!俺は特別なクライマーだ!そう言ってくれ!→ なんでみんな、俺を認めてくれないんだ! → 俺だって、いいところがあるだろう? だから… → 俺は普通のクライマーだったのか…と落ち込む → 今の俺にできることは何だろう?

…と進むようになるようです。このプロセスは、ほとんどの人に同じです。

挫折などの逆境体験は一般に、昇華によって結実・解消されますが、昇華にも良い昇華と悪い昇華がありますが、良い方に昇華すると

 人間的成熟

へ。ここへ進むのは、ナルシストにとっては大変難しいそうです。

うーむ。山岳会でも、クライミングジムでも、ナルシストが増えて目につくのは、少子化で、子供が減り、子供間の競争がないことで、親の注目の中心にいる時間が長いからですかねぇ・・・ ナルシストって、若い男性の間に、ものすごく増えている気がします。

ナルシスト日本代表選手だったのは、栗城さんでした…。どのような事情で栗城劇場ができたのか?九州に来て分かったけれど…。

 自己誇大感 × クライミング教育不在 

のかけ合わせの結果でした。 40年前の知識のままで(古い本を読んで)、自分のインドアジムでのクライミンググレードを考えると、俺ってもしかして天才?ってなりますよねぇ…ものすごいルートが俺だって登れる!ってなってしまいます…。

特に周囲にリアルにトップクライマーが存在しないと…間違った自己像が矯正される機会がない。

特にナルシシズムがない男性でも、女性からヒーロー扱いされるのが男性は大好きです。

しかし、女性の側も、男を立てる、なんていう古臭い因習から自由にならないと、男性たちの人間的成熟を阻害してしまうことになりますね…

だって、医学部入学で合格者の8割が女性っていうくらい、女性のほうが正直、知性という面では、少なくとも18歳時点での能力では勝っているのです。

なぜか社会が男性中心主義のまま、変わり損ねているのですが、それは生理による女性の気分の変化がほとんど一生続くこと、出産にまつわるまとまったタイムアウト時間が必要なことによると思います。

本来、男性は、そうした女性をサポートすることができるのに、その逆に弱みに付け込む、という結果が男性中心主義というわけだったのですね。

■ 現代基準でのトップクライマーの要件

トップクラスのアルパインクライマーの人たちって、5.13、5.14は登っているみたいです。

ただ、フリーのクライマーではないから、再登記録に名前が出ないだけで。佐藤ユースケさんとかは、フリーの記録にも名前が出ていたような気がしますが、ジャンボさんが5.14を登っていたとは全く気が付かず…。古いクライマーに教えてもらいました。

ということなので、現代の若者は、

 5.12 × 40kg 

では、もう古く、

 5.14 × 40kg

を目指さないといけないみたいです。スーパーアルパインへ進みたいという人は、ですね。

5.13でも、もはや一般人って意味ですよ。5.12なら、なおさらですな。

倉上さんは亡くなってしまいましたが、心臓のことがなければ、アルパインに進んでも、トップクライマーになれた、最も近しい立場にいたのかもしれません。冬山の印象はないですが…新潟大学だったら、雪になれていたのでは。

全く冬山のイメージがなかった宮城さんも黒部横断に行ったくらいなので、冬山経験値というのは、基本的な山岳会での経験があれば、ツッコんだ知識に関しては、周囲のメンバーで補いあえるものなのかもしれません。

今日は、ナルシシズムについて、ちょっと印象深い出来事があったのでした…。

もう一つ、喜ばしいことがあったので、そちらも今から書きます。

2024/12/06

【クライミング心理学】クライマーの集団病理はこれだ!怖くなんかない!という自分を作らざるを得ない


4:38の当たりがクライマーあるあるです…

反動形成、という心理で、

 「ふーんだ!怖くなんかないもん!」って自分

を作らざるを得ない

= バカにされたから

ってわけでした。九州でランナウトだらけなのは、この反動形成で作られた自我で登っている人が多いからですねぇ…

そうだと思っていたけど、やっぱりそうだった。

同じ穴のムジナになろうよ~という圧力が嫌だった…

私は怖いんですよ!だって小さいんですから、クリップ届かない。怖いのは当然です。

連れていくvs連れて行かれる問題

■ いったい何が、連れていかれる山で、連れていく山なんだろうか?

山や登攀ルート… 一体、どういう状態が、

 連れていかれている状態で、

 連れて行っている状態

なんだろうか???

私の印象では、一般に、山岳会における、連れて行く・行かれる関係では、一般的には、

1)一回目は、”連れて行き”、

2)復習は自分でやってね、

というのが、自立と依存のバランスの取れた姿であるように、私の少ない経験では、思いました。

というのは、師匠の青ちゃんが、トップクライマーの伊藤さんに連れられて、荒船昇天に行き、その復習で、私やほかの人をセカンドにしていたので、なるほどねぇ、と思ったからです。

この仕組みで行くと、最初にルートに行った人以外は、全員が暗記の山…誰かに連れて行ってもらう、そこを次は自分が連れて行く、という順送りの”恩送り形式”で、このやり方だと冒険もない代わりにリスクもないでステップアップできる、からです。先輩から後輩へ、順繰りに下賜される…(笑)アルパイン界のレッドポイント登りっていうか。

それで、自分でルートファインディングする経験はゼロなのに、ルート経験は豊富という結果というのは、なるほど、こうしてできるのか、と思った経験があるからです。

■ 私を誤解する人々…

いつも一緒にいて気の置けないクライミングパートナーを、今度、あの岩場に…というのは、”連れて行く”に入るのだろうか?それとも、”一緒に行く” になるのだろうか?

私が案内した昇仙峡は、一緒に行った人たちにとっては、”一緒に行った”に入るのだろうか?それとも、連れて行ってもらった、に入るのだろうか?

…というのは、以前、私は師匠の青ちゃんを昇仙峡やその他山梨の岩場に”連れて行き”、そのお礼が、このブログの初期の佐久の岩場&宴会なのですが…。

「(〇〇さんばっかり)連れて行ってもらっている!」という非難を私は非常によく浴びているように感じるからです。特に九州で。

これは、もしかすると、私の側の心理学的な投影かもしれませんが…。

■ 後輩を連れて行っていても…

以前、小川山に、熊本から進学し東京農大に入った若い男子を、私は完全におんぶにだっこで”連れて行き”ました…。というのは、なぜか九州で会った山岳会の会長さんに、この子を託されてしまったから、でした。

しかし、当の本人は、”連れて行ってもらった”と全くカウントしてないようだったのです…。運転も、どこを登るか?どこに泊まるか?も私が決めているにもかかわらず、です。

その様子から察すると、彼からすると、

 ”私が連れて行っている”事実

については、なんとなく私の印象では、スルーされており、一方で、私が荒船昇天などの

 ”私が連れていかれている”事実

のほうが、このブログにせよ、他のクライマーにせよ、強く意識に登っているのではないか?という風に思われて、何かアンフェアな感じ、を感じています。

■ 感謝が誤解を受ける元なのか?

これは、私が、”感謝”を前面に出すタイプだからなのかもしれません???

話の流れで、感謝する。すると、そういう言葉遣いになるから?

だって、「連れて行ってくれてありがとう」と人は言い、

「一緒に行ってくれてありがとう」とか、「ついてきてくれてありがとう」と言いませんよね?

■ 一回目から、連れて行く側だけど…

これはルートでも同じで、私は初めての山岳会である御坂山岳会の1回目から、他の会員の人たちを”連れて行っている”側でした。例えば、3月に行った川俣尾根というバリエーションルートは、120%私の企画でした…。これは別の山岳会のリーダーがパクッて、それが入会希望者だった私にバレてしまったことがありました…。どこの会でも、オリジナリティのあるルートで、そう難しくなく、しかし、人のあまり入らない場所で、いろいろな要素が詰まった山というのは、物色中なのです。

入会後1回目の山から連れて行っている新人なんて、聞いたことがありませんが…、やっぱり、いつも”連れていく側”でした。これは、ありがとうというなら、

 ついてきてくれてありがとう

な山でした。というか、ついてきてくれたせいで、山のサイズ感として小さくなり、予定より短縮コースを行く羽目になりました。というのは、60代の歩けない女性までついていくと言い出したからで、断り切れなかったからです。

私のポリシーで、足が弱い人にも会は合わせるべき、というのがあり、それで山を小さくする羽目になった。ので、一緒にいることで、山が成長するのではなく、縮小することになりました…(笑)。

ただ、このときのお礼で、私が、100%連れて行ってもらった、と考えているのは、

 前穂北尾根

です。これは、明らかに連れてってもらったなぁと思っています。

■意見の相違はなぜ生まれるのか?

あとは、連れて行ってもらった、というような山はないよなぁ…と個人的には考えていますが、

連れていく、連れて行かない、問題

では、最初に師匠である浮雲の鈴木さんと意見の相違があったことがありました…甲斐駒です。

私には、鈴木さんに連れて行ってもらった、とは考えられない、一回目の厳冬期甲斐駒で、鈴木さんは連れて行った、と感じたようでした。

朝、登山口で合流して登ったのですが、私は無雪期に甲斐駒はすでに黒戸尾根で登っていたので、特に難所を感じず山小屋までご一緒し、登頂も、翌朝、流れでご一緒して、あまり問題点を感じなかったのです。ロープも出しませんでしたし…。

しかし、鈴木さんの言い分は同じタイミングで山小屋を出たことで、その登頂判断に私が便乗した、と感じたようでした。私の側は、いつも山で会った人と同行する場合、相手に合わせたり、自分の都合がとくにある場合は自分の都合で動きます、と声をかけたりで、その時は自分の都合が特にはなかっただけだ、と感じました。

師匠はこれには不服だったようだったので、それで、甲斐駒は一人で登りなおしました。

■ プライドがあると連れて行けないことを白状するのも一苦労…

そのあとですが…ある先輩が正月に甲府の我が家に泊まり、黄連谷を計画したのですが、たぶん、わざとだと思いますが甲斐駒へ続かない遊歩道をどんどん速足で進み、敗退になり、転進で石尊稜と言われたんですよね(笑)。

あれ、思い出すと今でも笑ってしまいますが…きっと本音は最初から石尊稜に行きたかったんでは… 先輩は、登山計画書を書くときに、まさか、石尊稜と書けないから、黄連谷としたのではないか?と思えました…。というのは、あんな明瞭な登山道を間違う人なんていないからです…。ただ、あの時、私は一度もその先輩とアイスをゲレンデでも行ったことがなかったので、なんか、予習なしで本番って変だなぁと思ったりしていたので、間違いを指摘しないで、事が流れるままにした…のでした。

女性にとって一番安全な山は自分がリーダーシップを取る山です。

■ 連れていく、連れていかれる、一緒に行く

この3つは、登山でも、クライミングでも本当に分かりづらいです。

ラオスでは、私は、N保さんに誘われて、”一緒に行った”、のか?それとも、”連れていかれた”、のか?? 

現地集合は連れて行った、に入るのか?

それとも、一緒に行った、に入るのか? 

実は、ラオスでは、私はほかの外国人と登れ、そのほうが日本人と登るより成長できました。

一方、同行者のN保さんは、私がいないと、一緒に登ってくれる人を見繕えないようでした…。

白亜スラブは、トップが、セカンドの私を連れて行った、のか?

それとも、私とトップが一緒に行った、のか? 

彼の中では、確実に、俺は連れて行ってやったぜ!に入っていると思うのですが、私の中では、私は対等のパートナーとして行った山になっています(笑)。

なぜなら、私なしでは、あれはヘリレスキューになったからです。

■ 連れて行ってもらってる!?(笑)

インスボンも同じで、一回目は、連れて行ってくれた、という認識が私はあるのですが、2度目は、”一緒に行った”認識です。

なぜなら、パートナーがいなくて困っていたので、”付き合ってあげた”からです。これは相方もそう言っていました。

しかし、そのお礼で行った、3度目のインスボンでは、”連れて行ってやった”3人目、つまり、白亜スラブでまともなトップが勤められなかった人の視点では、”連れて行ってもらった”くせに、たぶん、”一緒に行ってやった”と思っていると思います…(笑)。

この人、誰にどこに連れて行ってもらっても、いや違う、”一緒に行ったんだ”と言いそうです。

なんせ、私のほうが岩場から遠く、私が負担が重いのに、途中から合流して車を1台にするのに、ガソリン代取ろうとした人でした…、つまり、相手の優位に立つ、ということを視点に行動しているタイプで、協力ということは視野になさそうでした。 

私はO君という大学生の後輩がいたのですが、ほぼ、毎回、”連れて行って”、いましたが、彼から宿泊費どころか、交通費すら、請求したことはないです。なんせ彼がいないと私もルートに行けないわけなので。

彼を連れて行ったと感じるのは、彼には、そこへ行く発案能力、ナビゲーション能力がゼロだったからです。

同じことで、夫は全部連れて行っている、と思いますが、お君も夫も、私に

 ついて行ってやっている、

と思っているのではないでしょうか(笑)?

お礼を言われたことがないので、そう思います(笑)。

■ 主体性、と リーダーシップ

最近、カウンセリングにかかっており、

 私は、生まれながらにリーダー

であるようで、何か行動を起こすときに、


 自分も含めた全体の人たちにとって最も良き解


を自分の考えや希望、要望、として出すのに対し、一般の人は、


 ”自分だけの都合” 

を自分の希望や要望として出すようです。

そのやり方で行くと、どんどんと、私の個人的なニーズは、ないがしろにされていく結果になります。

なぜなら、私が出す要望には、自分を含めた全体の最適解、であるのに、相手の出す要望には、私の側の都合への配慮はゼロだからです。

それが、クライミングで起きていることだし、私の結婚生活で起きていることなんですよ。

カウンセラーさんによると、これは、


 リーダーシップをとっている


という状態で、 


 自分の要望を通している


という状態ではないそうです。

だって、3回目のインスボンって、膝が脱臼している状態で行きました…

全体最適解がそれだったからです。残りの二人は、どちらも、私が参加しなければ、飛行機代を無駄にして、いーかない、って話になりそうでした…。

そうすると、師匠の青ちゃんの、素晴らしいロープワークの妙技を見る機会が永遠に失われます。

■ 山のリーダーシップが取れる人かどうか?

ルート経験数に戻りますが、自分がトップを取るか?どうか?は関係がなく、

 山の計画を自分が立てるかどうか?

が大事なのではないかと思いました。判断を自分が行う、ということです。

そういう意味で行くと、みんなが〇〇というルートを登るから、俺も、と考える人は、大体が便乗派つまり、主体性がなく、リーダーシップがない人であり、どんだけトップを登っていたとしても、”連れていかれる”側ですね。

それは、もしかすると、これまで私を育ててくれた師匠や先輩も同じかもしれません。

それだけでなく、ほとんどすべての男性クライマーは同じかもしれません。

山ヤ独特の言い回しで

 自分の山

という言い方をしますが、行きたいところがある、ということが、計画を立てるに該当しますが、自分の山があることは、他の人に来てもらうということになり、弱い立場です。

 弱みを握られている、相手に対して、優越的な立場に立てない、

という意味になるので、ナルシスト男性たちからはその立場に立つこと自体を避ける意味から、主体性がない山、皆と同じ山に、みんなで同時に行こうぜ、ということになるのではないでしょうかね?

本当に自分の山、には、ほとんど、みんな登っていない、ような気がします。 

2024/11/20

【クライミング心理学】ランナウト自慢=自己愛の傷つき

■ 未処理の恥の感覚

やっぱり、地方の課題が、グレードが辛くて、なおかつランナウトをわざとしているようなのは、(未処理の恥の感覚)=自己愛の傷つき、のためではないでしょうかね?

自尊心が傷つきやすい人への処方箋 【自己愛の傷の癒し方】


■ 小川山だって相当ランナウト

小川山もひどいよね~という話を、最近ジムの店長さんとしました。

女性の店長さんと男性の店長さんでは、ずいぶんと感想が違い、

大阪のジムの男性店長さん=小川山の話をしてもスルー。たぶん行っていない。関西の超怖いランナウト課題は、グレードが低いので登ったことがなく、自分でヌンチャクが掛けられるような距離感にないことを知らない。たぶん、最初からボルトが近い5.12程度から上しか取り付いていないから、低グレードの課題では、落ちれない配置になっていることに気が付いていないのだろう。

女性のジム店長さんが持ち出した課題は、小川山物語…え?!この課題、私がまだ5.8をやっとこさでオンサイトした時期から、登るだけなら簡単だったし、1本目はプリクリ決定だたっただけで、ムーブは簡単だったけどなぁ… 2本目も遠いって言っていたけど…。そうだったかどうか、覚えていない…

という結果になり、女性と男性で、ランナウトに対する認知が大きく異なることが分かった。

男女差が大きいので、男女で組んで登るときは、当然ランナウトのリスクが少ないほうが先にリードしたほうが安全である。

なんで、180㎝の人と登って、私がリードしてあげる羽目になったのか?謎だなぁ。

しかし、自分で自分のケツが拭けないのに、なんで男性は、いつも、これくらい行ける、と思うのか?ということは分かった。

単純な足し算ができないくらいしか、そもそも、考えていない、目の前のことに手いっぱいで、行動した結果、どういう悲惨な結末になるか、ということを考えていない。

それは、たぶん、小川山で、広場の駐車場が一杯開いているのに、転回用のスペースに車を止めてしまって、非常に迷惑である車に乗っている人と同じで、

 前の前の欲 vs 行動の結果

を比較検討する機能が弱く、目の前の欲、を深い考えもなく優先するからだろう。

そういう人は

・ルールを守ることに対する精神的な強度も低いし、
・倫理的な行為への精神的強度も低いし、
・必要なら赤信号無視で突っ走る
・例えば、性欲に負けてしまう = 子供が6人
・かと言えば、今晩の宿がない程度で右往左往
・ちょっとした距離を歩くだけでも、文句たらたら
・「めんどくさい」
・残置のカラビナは、ねぇみんなで山分けしようよ、という

ような気がする。そして、大体はナルシストであるような気がするんだが、

 賞賛

を与えてしまうことが、こうした犯罪行為に近しい行為の栄養、となっている。(と目撃した)

こうした行為を目撃したことが、私の人生にどういう意味を与えるのか?というと…

こういう”おじさん”文化には、女性の人生を破壊するだけの破壊力がある、ということだ。

このような人たちが、かわいそうか?気の毒か?というと、そこは疑問であろう…

■ 子どもを産ませて女性を捨てた男性がかわいそうか、どうか?って問題

しかし、なぜ、可愛そう、気の毒ということで丸めようと子供の私がしたのか?というと、それは、親というのは自分の一部だからである。

母もそうだし、父もそう。

母のことも、父のことも、かわいそうだから、ということで相手の責任を肩代わりしてあげる理由にしていたんだろうと思います。

実際に、両方の遺伝子からしか子供はできないのであるから。

しかし、一番かわいそうで、一番苦労しているのは、どう考えても、子供であった私のほうであろう…。

■振り返り

私は、放蕩息子の父と裕福なお嬢様育ちの母の間に生まれた長女である。

結局、そうなると、どうなるか?
 
親が頼りない=子が自立する以外ない、ということになる。

私には弟と妹がいる。すると、弟と妹は年下で、子供時代の2歳差は顕著な差なので、一番先に、成長する=一番先に頼りがいがある存在になる、ということだ。

結局、この構図だと、家族の中で、唯一、現実処理能力がある、ということになる。

この子供時代に、さらに、学校生活でまで、人の世話をやらされていたんだからなぁ。

大変だった。

■ 経済的な苦難

そもそも母子家庭で、大学に進学する費用が出ると思います?

誰が考えても、でませんよぇ。

私はトップ進学校に進学したので、学校前に”補講”じゃなくて朝バイトして自分の授業料をねん出した高校生でした。

そういう人が、可愛そうって、親のお金で大学を出た人に、こちらが自己犠牲してあげるって変だよなぁ…

それで、大学は自分のお金で出ました。夜学です。受験費用も自腹。お昼代をケチって頑張ったおかげです。

でも、世の中のほとんどの人は、お金の面で私をうらやむようです。自分が仕事して稼いだお金なのに?

それが嫌なんです。

クライミングの面でも同じで、なんか謎だった。

私が自分で努力して得た成果なのに? 山岳総合センターに行って、雪上確保やスタカットを先生から学んだ人は、私であって、パートナーじゃないですよね…で、その私にしりぬぐいクライミングをしてもらった山行がなんで、すごいね、って賞賛の対象になるのか?謎。

海外に行っていいわね、とか、国立大に行っているからリッチなんだね、とか、親に学費出してもらった人が言うんです…けど、

 なら、自分でやって見ろよ!

って思いますけど…。

私はいい人だから言えない。言わない。

っていうか、言ったほうが相手のためになるんだろうか?

■ 弱者っているの?

私は大きな成功は望んでいないのですが、貧しい人を助けたいと思い、なぜなら自分が、食べ物に飢えた子供時代を過ごしたから、なんですが…

探しても探しても、どうも、”飢えている子”は、いないみたいだったんですよ。日本には。

学生時代には、ネパールの子供に毎月5000円の支援をしており、日本でも、と思ったので、部落の子供向けの家庭教を無料で引き受けたことがあるのですが… そもそも、勉強したくないって言うし…。したくないんだから、できないのは当然ですよねぇ…。

私は勉強したくても、させてもらえないで育ったのに…。

サンフランシスコ時代は、教会で炊き出しのボランティアもしたんですが、黒人の女性に一晩の宿代をねだられたので、彼女の生活が整うまで、私の部屋で寝泊まりしていいよ、というと、断られた‥え?今晩泊まるところないんじゃないの…?みたいな感じでした。

日本では、実はお金余りなんですよね…。物産時代はベンチャーキャピタルと仕事して、垣間見ました。それに、インパクト投資と言って、社会的に弱者救済になるベンチャーキャピタルの投資もみてきたんですが…温かいお金という言い方をしたりします…しかし、昨今、弱者と言える人たちがいなく、投資先がなくて困っているんですよ…。投資だからね、消費ではなく。

貧しい人を助けよう、と思って私も大きくなりましたが、助けようとすればするほど、詐欺とか変なのに、ひっかかって、自分がむしり取られる=むさぼられるばかりで、なんだかな~と思って、ヨイ子病は悪人が付け込みやすいのだと、ここ7年くらいで学習しました。

クライマー業界はヤバイ。ただの甘えん坊が自分は弱者だ!と主張している…

男性に手柄を持っていかれるなんて言うのはしょっちゅうで、OL時代も同じ問題がありました。実際に仕事しているのは私で、賞賛は男性が持って行ってしまう。持っていかせないと、

男を立てろ

とか言われる… ナニ、コレ?

■ お姉ちゃんだけずるいという人がずるいのでは?

ほんとは全然かわいそうではない人に、おねえちゃんだけずるい、と言われているような?

弟と妹が、私より幼くて、理解ができないことを気の毒だなぁとは思って大きくなりました。

頭が悪いから、理解ができない…ってことは弟との関係性で頻発… 例えば、長ぬん使うべし!ということを分かっていない、5.12クライマーとか…。ランディングがボルダリングの安全管理のミソだと分かっていないクライマーとか。

そういう人に対しては、気の毒観がある。理解力が不足して、大事なことが理解できないのだろうと。

そうなると、私だけ分かっていて悪いなぁ、となる=罪悪感。

分かっている人が知識を広めるべきだ=義務感。

という構造かもしれません。

これは、周囲の大人が、自分たちがサボタージュするのに都合よく、優等生を利用する仕組みです。先生が、先生として機能せずに、「〇〇さん、解法を板書して見せなさい」と先生が私ともう一人、優秀だった子に、数学を教える日を作ったことがあった。あれは一日だけだったので、思考回路の差が分かって興味深かったけど…。

でも、学級の運営が楽になるから、顧問って…先生のやるべきことを私が肩代わりしていたと言えるかもしれないです。

クライミングでも同じことが起きようとしていた…特に九州では。

■ 日本全体のクライミング界の行方を見る立場

日本全体で、こうも危険予知や、リスク管理についての教育が、登山界から消えてしまったのは、
 
 行き過ぎた結果主義

の影響でしょう。グレードだけで、結果さえ出せれば、あとは問わない、という教育の結果でしょう…

それを正常に正すには、やっぱり、

 山の記録を誠実に書く習慣

が大事だと思います。山の中身が評価の対象で、結果ではない、ということにしないと、リスク管理ゼロのクライマーを、どの分野でも量産するだけになってしまいます。

どの分野でも、というのは、スポーツやコンペだけではなく、フリークライミングやアルパインクライミングでも、という意味です。

■ ヨイ子病を利用しようとしている大人社会が透けて見える

私は自分がした苦労の価値がイマイチ分からない、という弱みがあると確かに思います。

私と同じような、夜学出身の人も、私と同様に、ヨイ子病をわずらって、私のアトピーなどより深刻な病気である、ガンをやったり、親の介護で、気が付いたら、また人のために生きる人生になってしまっていたり…、ヨイ子病から抜けるのが難しいようです。

一体どうすれば、ヨイ子病から抜け出て、クライミング界に多いナルシスト男性に搾取されず、自分の望みを軸に人生が組み立てられるのか?ってことが課題かなぁ…

生きることはそもそも、自分の望みをかなえていくプロセス、です。

実際にそのようにプレゼンシングしてきたのに、なぜか果実を他者が取って行こう、盗んでいこうとし、そして、それを阻止することができない…というのが悩みです。

私だけ幸せになってはいけない、という禁止令なのかもしれません。




2024/11/11

【クライミング心理学】頑張り教では、アウトドアクライミングのリスクは排除できない

■ 定期Youtubeライブ(9)被害者思考からの抜け出し方

■ クライミング界=スポ根=頑張る教

南ゆうたさんの今回のライブが秀逸だったのですが、この動画は、クライマーみんなに役立つような気がしたので紹介します。

スポ根で彩られている日本クライミング界… なんかオリンピックも同じですが、すごい歪んだ精神世界が垣間見えて、私としては、そんなところに首ツッコみたくない…という気持ちがありました。

スポーツって、競技、競い合う、っていうのがありますが、競っても、基本、遊びとして、ですからね… 

日本では、遊びになっていない。

頑張らない奴はダメな奴だという恐怖で彩られている。

アスリートレベルになると、これが、遊びでなくなる…っても、ある意味仕方ないですが、そうでない、普通のアウトドアクライミングでも、この価値観が根強いです。

アウトドアクライミングでは、アスリートレベルにならなくても、ごく普通の一般人が、アスリートと同じくらいの真剣度で取り組まないと、自他を危険に陥れます。

気軽なスポーツ、誰でもできるスポーツと言われるのは、一般的に言えば、アルパインクライミング上がりの人から見た、外岩です。

アルパインや登山を経由していない、外的リスクのないインドアクライミングの人が外岩に来たら、リスク管理の穴だらけです。全く安全ではないし、気楽に取り組める活動でもありません。

昨今ではアルパイン経由の人もきちんとリスクを理解してアルパインクライミングをしていたわけではなく、単に形骸化した山岳会に所属して、そのために誰にもミスを指摘してもらえないまま登り、その上、大きな事故を経験せずに済んだだけ、という、ラッキーだっただけの場合もあるので、さらに要注意です。

さて、南さんのライブを聞いてほしい人のリスト。

・「いつまでもダメな私」という感情に半ば飲まれ、半ば自分から浸る感覚がある方
・「こんなに頑張っているのに」と不満を感じやすい方
・身の回りに「あなたはまだまだ頑張りが足りない」と言ってくる人を引き寄せがちな方
・見捨てられ不安が強く、「もっと頑張らなければ見捨てられる」と考えがちな方
・「がんばらないと愛されない・うまくいかない」という悪夢(見捨てられビリーフ)から醒めたい方
・「がんばることが正しいこと(善)」という想いが強く苦しい方
・子どもの頃からガマンばかりで、親に本音を言えなかった方

スポ根の人は、「がんばることが正しいこと(善)」という想いが強い方、に該当。

私が出会ったことがあるクライマーの中には、

・見捨てられ不安が強く、「もっと頑張らなければ見捨てられる」と考えがちな方


・「がんばらないと愛されない・うまくいかない」という悪夢(見捨てられビリーフ)

がある人もいました。

しかし、アウトドアのリスクって、

 頑張り

で、回避できます?

いや、できないのです。必要なのは、”頑張り”ではなく、

 冷静なシミュレーション

のほうです。

例えば…?

岩場で、落石があるところにピクニックシートを広げる…という行為。

岩場では、運よく、「〇〇さん、そこは落石があるよ~」と誰かがいつも教えてくれるわけではありません。

ところが、落石って、そう頻繁に起きることではありませんから、1回や2回の外岩クライミングで、そこにピクニックシートを広げたことで、ひどい目に遭うことは少ないです。

しかし、一回でも、人の頭大の石が落ちてきて、それが当たったとしたら?

大けがであり、大事故であり、そして、死亡事故も起こりえます。

そして、それって、”運が悪かった”と言えますか? 

正直、言えません。

落石が予想できるところにピクニックシートを広げるべきではないからです。

昔から、山の人の間では、

 落石が起こるような岩の通り道にはピクニックシートを広げない、と

いうことが伝承され続けているのです。

しかし、そうした伝承が途絶えて、それを守っていなかった。

だから、いつか落石に当たることは時間の問題、だったのです。

これは、客観的に見てギャンブルで、続ければ続けるほど、ギャンブルで当たる確率が上がっていくので、ロシアンルーレットと言う意味です。

これは、一般の社会でも、同様の現象が起きています。

例えば、低い土地に、多くの人が集合する設備などを作らない、という知恵などが無視され、田んぼとして利用されていた場所に、駅ができたり、学校ができたり、家を建てたりした結果、何年間かに一度の津波で流される、などです。

■ アウトドアクライミングのリスクは、危険予知力。

でしかありません。危険予知の分野では、日本は全体に後進国です。

林業でもそうですし、建設現場などの危険予知でも、後進的です。

その原因を考えて行きたいと思いますが、その一つには、

 行き過ぎた勇気主義=ヒロイズム

があると思います。

つまり、お前、男だろ、これくらいで怖いとは何だ!という奴です。

しかし、怖いのは、リスクを感知した、という動物の本能、お知らせ機能ですので、危険を察知したら、危険でなくなるように行動しなくては意味がありません。

そこでグッと我慢するのが良くないのです。

そこで我慢するようになっているのは、自動反応です。男が廃る!みたいなやつです。

だからと言って、ヘタレを正当化しないようにしてくださいね。人工壁で誰でも登れるように設定されている5.9でトップロープ掛けてください、みたいなのは、本当に男が廃っている事例ですよ、誤解しないようにしてくださいね。いますから、そういう人。

我慢する、というのは、自動反応(無意識)なので、本人は気が付くことができません。

それを利用して、奮発させよう、という競争による行動喚起が、男性社会には良く見られるようです。

漫画とかでもよく出てきますよね。そして、バカにした、バカにされた、という関係で、どっちが上か、みたいなのです。それで、いつか見返してやるぅ、というパワーにするのです。

友人のK君は、屋久島で、腐ったボルト1本にぶら下がるのが怖かったのに、なんだお前はそれでも男か、とバカにされたのだそうです。それで屋久島フリーウェイに対してリベンジクライミングを考えていたみたいです。

こういう関係性って男性社会独得で、女性の社会で、こんな働きかけ、虚勢を張らせるような声掛けはめったにありません。

これは、なんだ、お前それでも男か、とか言われなくても、「ふーん、怖いんだ」とかでも同じです。

私はメールで、「安全マージンが厚すぎる」と言われたのですが… これは遠回しにビビり過ぎだと言われたのと同じですが…。

(この時は、カムで登る岩場に行きたい私が、そのクライミングを断られ、山口県のエイドクライミングをお断りしたときに言われたので、は?ってなったんですが…。だって、エイドって…。流石に指摘が的を得ていないことは、明らかすぎますよね)

このことがあったので、長年かけて、安全マージンについて考察することになりましたが、ある時、大阪のクライマーと登り、私の安全マージンは厚すぎるどころか、薄すぎるということが分かりました。

安全マージンについて言えば、インドアの5.12が登れる実力になってから、5.9をリードするように教育されるのが、大阪のクライマーのようでした。(余談ですが、関東では、これは、インドア5.11だという合意がそこはかとなくあると思います)

こうしたグレードに転換する話は、グレードさえ上げておけば、アウトドアも安全に登れるという錯覚を起こしやすいので要注意です。

いくら高いグレードが登れても、落石があるようなところにピクニックシートを広げてしまうのが昨今のクライマーです。

それは、逆説的ですが、私のようにあまり登れない時期から、アウトドアクライミングそのものに触れて成長してくるほうが、反省をする力がある人にとっては、危険予知には長けることができるのです。

その際、必要なのは、きちんと危険予知ができる人と一緒に行き、その人から危険予知をきちんと言語化して教わる、という行動です。

昨今、同行だけでは、見て盗めない人がほとんどなので、言語化が重要です。

これができるクライミング指導者がいないのが、ボトルネックになっている。

昔は、みな、自分たちの行動記録を書くことで、自覚ができたのでした・・・。

■ 今のクライマー界のほとんどの人はスポコン礼賛

日本の登山文化を作為的に作っている?のかどうか分かりませんが、既存の山岳組織のトップの人たちが押しなべて、みな、高難度フリーの記録だけを価値評価してきたので、当然の結末として、日本はスポーツクライミングは強いのに、遭難者数や事故者数は毎年うなぎ上りという結果になっています。

なぜなら、高難度フリーの記録を登っている人の中には、ビレイができず、登るだけの人もいますし、自分で登る課題を選んで登ってきたのではなく、コーチに言われるがままに、これを登りなさい、あれをのぼりなさい、と指示されて、記録を作ってきて、結局、アウトドアでも、おぜん立てされた中で登ってきただけの人もいるからです。

特にジュニアはそうです。自らの力で、登ってきたアウトドアクライマーが少ないです。

高難度になればなるほど、落ちる確率が高いわけですから、ボルトも整備され、登るだけしか必要ない、ということに結果としてなっていくのです。ですので、原理的に高難度を登っている人ほど、危険予知に疎くなる可能性が強くなります。

すると、支点が整備されていない場所やもろい場所などのような、いわゆる”アルパインっぽい”場所については、無知、ということになります。

コンペクライマーで沢をやります、雪をやります、という人は非常に少ないです。

逆に沢や雪をやっていても、その人が危険予知に長けているか?というのは別の話になり、沢や雪をしていたことがあるから大丈夫とも言えません。

なんせ、ロシアンルーレットで逃れてきただけでも、沢や雪はできるからです。

記録を見るなり、その人の言葉を知るなり、発想を聞くなどして、その人が危険をどう捉えているか、どれくらいの感度があるか、個別に見ていくしかないのが現実です。

■ これまで見てきたおや?と思うべきポイント

1)事故時の緊急連絡先の交換がない
2)計画の相談がずさん 特にロープの相談と下山路、敗退の基準
3)心配で相談してくる人=可能性が良い人
4)不必要に高額で高機能なシュラフを持っている人=危険予知お留守の可能性あり
5)宿泊先など、クライマーならどうとでも対応できるような、些細な未知が許容できない
6)ビレイなどの講習を受ける気がない 
7)周りの人を見て自分の行動を決める
8)運転が荒い 林道でスピードを出し勝ち
9)ロープへのリスペクトが低い 人のロープで自分の本気ルートを登る
10)ボルトへの関心が低い 沢にあるボルト=終始水がかかっているのでは?など発想できない

2024/10/24

弟恋し…とクライミングの結末、ブレイムシフト

■ 私のロッククライミング=弟の死への代償行為?

なのかもしれません。だとしても、

なんせ無意識なんだから、分かるはずがない。

(ということで、自分を許します)

ーーーーーーーーーーー 棚田克彦 メールマガジンより引用ーーーーーーーー


家族の誰かに突然の死や早すぎる死が起きると
残された家族のメンバーに無自覚に
死に向かう衝動が現れる場合があります。
無自覚に死に向かう衝動を持つ者は


・ 大きな事故や怪我を繰り返す
・ 深刻な病気(ガン、糖尿病、うつ、拒食症等)や自殺衝動に苦しむ
・ 生命を危険にさらす職業に従事する(冒険家、レーサー、とび職、消防隊員、機動隊員等)
・ 生命の危険を伴う趣味を楽しむ(スカイダイビング、危険な登山やロッククライミング、バンジージャンプ等)

といった症状を示します。

そして、その背景には

・ 愛する大切な人を失った寂しさ
・ 自分も死んで早く愛する人のところに行きたい恋しさ
・ 愛する人を救えなかった罪悪感が存在します
ーーーーーーーーー


■ 罪悪感のこと

長く、クライミングで危険なことをする人たちに、

 なぜ、このブログのように、ここまでかみ砕いて説明しても、理解自体ができないのだろうか?


と思っていました… その疑問は解決しました…。


その理由とは、そもそも、クライミングをしたいのではなく、カッコをつけたい、仲間から尊敬されたい、女性からモテたい、が目的だったのです…。


なので、こうした人たちは


 クライミングそのものには全く興味がない、


というわけです。

クライミングに興味があれば、栗城劇場が生まれるでしょうか? ムササビスーツで死んだヨセミテクライマーは、クライミングそのものに興味があるのではないのは、明らかでしょう? あれって冒険? 冒険ってより、死への希求でしょう… 興味があるのは死であって、クライミングではない。

一般的に、こうした人が興味があるのは、

どうやったら、有名になれるか?
どうやったら、カッコつけることができるか?
どうやったら、仲間に認められるか?
どうやったら、女性にモテるか?

つまり、賞賛 ほしさ。

のほうで、その手段として、危険なことをする、ということを選んでいるだけなので、全然クライミングそのものには興味がなかったりします。

こういう人たちのことを 

  ナルシスト

というのです。 これは健全な自己愛とは全く異なるものです。

クライミングに興味がある人が、60シングルロープで、今25m登っていて、次のピッチは35mのとき、ロープが足りないことに気が付かないはずがないです。

登攀中のクライマーの頭の中というのは、自分が取れるリスクと現在のリスクの常時比較状態なのです。

というわけで、私はクライマーではない人たち、からの攻撃にさらされていたのでした…。

(ちなみに、今現在、自分が取れるリスクと現在のリスク常時比較というストレスに対する強さ=クライマー資質は、今、私はトレーディングで生かしています。)

■ 弟への愛が、私の脆弱性の理由だった

まぁ、誰でも分かりそうな、ナルシストを見逃してしまった理由は、

弟へのトラウマ反応でした。

トラウマって気が付かない間に発動しているのです。そこが厄介です。

私は、弟を早く亡くしたため、弟への愛情や弟を救えなかった罪悪感が基盤にありました。

弟の死のように、無駄な死を作りたくない、という無意識のトラウマ反応です。

さらに、このトラウマを強化する数々の死がありました。

最初は新井和也さん、レジェンドクライマーで私がビレイをさせていただいた故・吉田和正さんの死、そして、山岳総合センターの恩師村上周平先生の死。

罪悪感が強化されました。

その罪悪感を憤りに変換したのが、自分が殺されかける経験です。しかも複数回…。

そして、なんとしても思い出さないといけない記憶…父に殺されかけた2歳児の記憶まで私はなんとか、復活させたのです…

記憶というのは必要ないと忘れてしまうのです。こいつらはオヤジと同じだ、と思い出す必要があったのです。

■ まともなクライマーの死が利用されている

いや~、まともなクライマーも死んでる。野田勝さん。平出和也さん。杉野保さん。きのぽん。

カッコつけたいだけのクライマーはもっと死んでる。

カッコつけたいだけのクライマーたちの死を、まともなクライマーの死が、利用され、正当化することになってしまっています。

まさしく冒とくですね…

だって、エベレストで死んだマロリーが、栗城さんに天国であって、よお!というと思います?まともなクライマーなら思いませんね。格が違いすぎます。

私はまともなクライマーの死は悲しみの必要はないような気がします。というのは、

 良く生きて死んだ、

のだからです。

もったいないのは、犬死って奴です。させられそうな羽目になりましたけど!

■ 罪悪感については解消しました

罪悪感の出所は、まったく別のことでした…

また別途解説したいと思いますが、結論的に言えば、

 責任を回避したい

というブレイムシフトという転移にありました。

クライミングで私が経験したようなことは、ごく一般的なことです。

そのため、1世クライマーは、自分の子供である2世クライマーをこのような経験から、守ろうと必死です。

それは、自分の弟子を師匠がどう扱うか?ということから分かります。青ちゃんは、私に対して、あいつはやめとけと、ああだ、こうだ、とイチイチうるさかったです。というのは、このような惨状であることを40年登っている自分が一番良く知っているからでしょう…

私はなぜ、こんな、ひどい目に遭ったのか?それは、このことを

 世に知らしめるため

です。でも、私は

 その責任から逃れたかった

のです。 だって…

 なんで私が??

って私でなくても、誰でも、思いますよね。

私は一般クライマーです。才能のあるクライマーでも、上級のクライマーでも何でもありません。

なのに、なんで、私にこのお役目が来るの? って、私の立場に立ては、誰だって思いますよね?

ということで、私は自分の責任に立ち向かうのが、不満だったのです…私より適任者はいくらでもいると思っていました。例えば、今動画を出している若い人など、良く頑張ってくれていると思っていますが、この問題については触れることができないでいるようだ、と観察しています。というのは、ビレイがまずいクライマーなんて、ゴロゴロいるからです。

なんで私が?感の中には、、こう言っちゃあなんですが、クライミングで良い目に合ってる?合ってないですよねぇ。むしろひどい目に合ってる。3回のインスボンで、この大役を引き受けることになる?いやならんだろう…だって、アレ、お付き合いクライミングよ?

なので、そこも不満でした。

しかし、結局、弟がくれたギフトはこういうことだったのです。

私はこの罪悪感をシフトして、夫のせいで、社会のせいで、イケイケクライマーのせいで、自分が生き生きと登れないのだ、と思っていました。

主婦は家に居ろ、みたいな世間の声と混線していました。

私の夫は、私の幸せを望んでくれていますが、ビレイはできません。

彼には適性自体がないのです。(そこは別途書きますが、ビレイってピンチに強いメンタルの人向けです。なんせ、登っているクライマーがギリギリに挑む=落ちるかもしれない、って意味ですから、メンタルが弱い人はそういうクライマーを見ているだけでストレスなのです。)

そして、夫はビレイをできないけれども、私の幸福を望んでくれていると思いますので、ひとりで、あちこちクライミングに行っても、別に問題になることはないのです。

にもかかわらず、儒教国の九州では、女性は男性を立てろ、とかいう謎の文化圏ですので…(実際はほとんど女性が支配している)、おかしなことになってしまったわけです。

ということでした。

罪悪感はもはや消えました。分かってみたら、なんだーバカみたい、と思いました。


ーーーーーーーーーーーーーー 棚田メマガ より引用

愛する人の後を追って 自らの命を絶ったとしても 誰一人として喜ぶ人はいません。 

もしも本当に愛する人のことを大切に思うならば 死を思いとどまって幸せになることが、先に亡くなった人物に対する 最善の愛の表現方法です。
ーーーーーーーーーーーーー






2024/10/20

父へのトラウマ反応

以下は、南ゆうたさんのメマガより引用です。

当方、HSP。

ーーーーーーーーーーーーーー 

アダルトチルドレン(AC)や愛着障害、HSPの方の中には、過去の怖いお父さん、厳格過ぎるお父さん、自己中心的で支配的なお父さんのトラウマ記憶に悩まされている人も多いです。

トラウマ記憶は、「思い出している」という感覚抜きに蘇りやすいです。

だから、最初のうち、アダルトチルドレン(AC)や愛着障害、HSPの方の多くは「これは過去のお父さんを重ねてしまっているのだな」と気づいていません。

例えば、あなたに上から目線で話しかけてくる子どもっぽい男性の同僚。

例えば、短気でわがままな上司の男性。

例えば、無口でぶっきらぼうな喋り方をする男性。

人により引き金は異なりますが、過去のお父さんとよく似た人に対して、無自覚にトラウマ反応が出ている人が多いです。

ーーーーーーーーーーーーー

■ 私がトラウマ反応を起こす相手

1)ナルシスト男性

2)子供っぽい男性

3)無責任で酒飲みな男性

■ トラウマ反応を抽出すると?

1)自力で何とかしようとする

2)相手を助けようとする

3)相手に同情する

4)相手に近づこうとする

5)相手のせいで自分がこうなったと糾弾する

なぜなら、本来、親であるべき相手が、ナルシストで、子供っぽく、世話を必要としている場合、子供である自分が、

 世話が得られず → 自力で何とかするしかない

 親のほうが助けを必要とし → 助けようとする

 それを正当化してあげないといけない → 親にはそうせざるを得ない理由があるんだ、と合理化しようとして同情する

 子どもの立場は親を必要とする → クライマーはパートナーを必要とする

■ 事例

事例1: 子供が6人もいるから俺は被害者だと嘆く登山ガイド

事例2: ジムで5.11が登れるから北岳バットレス四尾根

事例3: 阿弥陀北稜へ一升瓶担いでいき7人凍傷

事例4: 40年登っているのに新人と比べて俺のほうがすごいというベテラン 比べるならトップクライマーと比べないと意味がない

事例5: 25+35=60が計算できないでツッコんで行ってしまい、やっぱりロープは60だねと的外れな反省をしてしまう人

事例6: 現代の記録とならないようなしょぼい記録を気づかずに公表してしまう若い人

■ 反応の仕方

以上の事例で、ぜんぶ、”私が何とかしてやらねば!”と反応(境界線侵害)してしまっていたのでした。

私の責任かというと?

全然違う。全部、単に相手の知性が足りないんじゃないの?という事例だ。

しかし、その知性の足りなさ、に対して、本当に何ともやりきれない、すごく嫌な気分がするのだ。ヤレヤレ感もそうだし、再教育しないといけないんじゃないの的な。誰か何とかしてやって!的な。

しかし…

心理学で明らかになったところによると、これらの人々は

 脅迫的な自己中心性 

をもった

 ほとんどパーソナリティ障害

に近く

 自ら、メンタルクリニックやカウンセリングに訪れることは、ほとんどない

のだから

 自ら、クライミングの教科書を読んで自学自習することはほとんどない

のだ。

クライミング×SNSという活動が、彼らのナルシスティックなエゴのエネルギーの供給源になっている。(賞賛をエネルギーとして彼らは行動する)

賞賛が、自分に向かっていないと、誰に対しても攻撃するのだ。

それが明らかに表れたのが、私がアイスクライミングで韓国に行ったときだ。私が登れるようになってしまったら、師匠はなぜか怒り心頭、だったのである。普通は組んでいる相手がより上手に登れるようになれば、うれしいはずだ。

まぁ、その所作で、私はすごく上手に登っているんだなぁということが、明らかになって、私の側は自分の動画などを確認しなくても、エライ自信になった。

■ 離れられなさ =トラウマ反応

相手のメンタルが通常状態ではない=自分が窮地に置かれる

その上、相手や状況が変わる可能性がない場合に

 このような状況は、相手のせいだ!と糾弾・指摘する行為から、離れられない

のがトラウマ反応だ。

一回の指摘なら普通だ。しかし、繰り返しとなると?

離れられなさ…が一般の人との違いだ。普通の人は、ここまで執着しない。とらわれない。さっと手放すことができる。

■ なぜ手放せないのか? 理性での正誤の判断に囚われているため。

 親であるはずの親が親として機能していないのは、実際に、事実

であるので、指摘は間違っていないからだ。

指摘が、事実か?事実でないか?正しいか?正しくないか?で判断すると、事実であり、正しいのである。

つまり、理性で判断すると正しい。私は間違っていない。強い理性の力が、自分を不利にするという逆効果になっている。

 クライミングで指導する側が間違った指導をしている、のも事実

であり

 クライミング教育が不在

というのも、全く事実の指摘なのである。(やってもあいつらは来ないが)

■ 社会性

また、社会的に正義かどうか?で判断しても正義であるので、変に正義感や使命感を刺激する社会背景…社会にとって役立つこと、正しいことをすべきだ…があると、手放せない。

社会的に意義があるか?ないか?で判断しても、間違いを辞めさせ、正しいことを広めるのは、社会的に意義があるのである。

そもそも、私が2歳で親に殺されそうになった、というのは事実であったし…

・クライミングパートナーに殺されかけた、というのも事実であるし…

・クライミング界が、新人さんを庇護していないというのも、全くの事実である。

これは、したがってクライミング界への指摘というのは、最初にスタートしたところがトラウマ反応であったとしても、客観的で正しい指摘、だと思う。

■ なぜ40年も放置されていたのか?

というか、トラウマ反応を起点にするくらいの人でないと、こんなしょぼいヤレヤレ感満点の、バカっぽい行動に対しては、間違いが明らかすぎて、大人なら自分で直せよ、みたいな感じなので、まともなクライマーは

 誰も指摘する気力すらわかなかった

んじゃないだろうか? 

それが何十年も、間違いが放置された理由で、その放置によって、間違ったクライミング技術や自己顕示欲だけのクライマーがイネイブルされてきた理由だ。

■ 立場の考察

では、だとしても、クライミング世直しをするのに、私が適した立場か?

いや違うだろう。

クライミングをスタートして3年でフリークライミングのレベルに来たが、まだフリークライミング自体をスタートすらしていないのだから。

もっと楽しんでどっぷりつかった人たち、このような文化をイネイブルしてきた、放置してきた人たちこそ、世直しの責任者にふさわしいだろう。

平たく言えば、なんで私が?である。

楽しんでもいないのに、最初から、世話を焼かされる羽目になるのはいやだ。

子供役をやっていないのに、親役をやらされるのは、いやなだけでなく、そもそも無理であるのは、だれしも当然である。

しかるに、私は適任者ではない。

そう私の理性が言うから、今立ち止まっているわけだ。

■ 癒し&対策

さて癒しについての考察。

本来の友情で結ばれた、クライマーとしてクライマーらしいクライミングをする。

それ以外はスルーする。

同情はするけど、手助けはしない。




2024/10/19

クライミングを懐古中…

メサイヤコンプレックスの本を読んでいたら、これがクライミングで起きていたことだろうと思った。

要するに、古いクライマーさんたちは

 僕が君を助けてあげるよーって言うのをやりたいのでは?

ーーーーーーーーーー

メサイアコンプレックスの親は、自らが特別な存在で救世主であるために、子供の心を無意識で追い込んで、子供が問題行動を起こすように誘導する場合があり、それが無意識の目的になっている場合があるでしょう。その目的に沿った行動ばかりするのです。子供が、子供のレベルが前提で問題行動を起こすような道しかないくらい、子供を追い込んで、ダメ扱いし、徹底し追い込んでから「ほら! やっぱりお前はとんでもないやつだったな!」とでっち上げていくのです。

それがメサイアコンプレックスの人の無意識の中に隠れた救世主ストーリーであり、無意識の成せる業なのです。 そして「ほら! やっぱりお前はとんでもないやつだったな!」の後にメサイアコンプレックスの親は「しかし、そんなダメなやつでも見捨てない自分は素晴らしい!」という思いに浸ることがあります。これは、一部の宗教の信者にも見られる傾向です。  メサイアコンプレックスの持ち主は、このようなマッチポンプ的な偽善的手法を必要としているので、次々と家族中に問題が起こり、問題が続くのです。その家庭、家族は、一向に良くならないのです。

メサイアコンプレックスの人は、攻撃を隠ぺいしたモラルハラスメントで攻撃をしてくる可能性も高いのです(水面下から攻撃をしてくる)。 そしてこのメサイアコンプレックスの人との共依存関係のポジションとモラルハラスメント被害者のポジションから抜け出すと、そこは空席になります。空席では困るので、メサイアコンプレックスの人は、離れた人間が戻ってくるようにあの手この手で誘惑することもありますが、被支配者(支配されていた人)が戻ってこないとわかると、次のターゲットを探し始めるのです。次の犠牲や身代わりを探すのです。


菅原隆志. メサイアコンプレックスの本(Messiah complex): 救世主妄想の治し方と、メサコンの支配(共依存)から抜け出す方法を完全公開! (pp.55-56). Kindle 版. 

ーーーーーーーーーーー

1)初心者クライマーは、岩場で事故を起こすように誘導されているかのようなトポや岩場の作られ方をしている

2)初心者クライマーはリードしろと追い込まれる慣例

目的は?

 自らが特別な存在で救世主であるため、

では?

新人を追い込んで、ダメ扱いし、追い込んでから

「ほら! やっぱりお前はとんでもないやつだったな!」

とでっち上げる

ーーーーーーーーーー

って感じかな~。

■ 事例: チビに向かってエイドで鍛えてやる!

なんか、九州クライミングで新人として受けた仕打ちと似ている。

エイドで鍛えてやる、と言われて、お断りしたら、こうなったよなぁ…。(懐古中)

■ 事例: 一升瓶抱えて阿弥陀北稜

ーーーーーーーー

 例えば、支配が深い状態、相手(パートナー)が意見を言えなくなっている状態で、そのパートナーに身体に悪い食事を摂らせ続けて(お金の管理もしているケース)、体を壊すように仕向け(問題を創って)、体を壊した相手を責めて、ダメ扱いして、そこから看病して、「お前は俺(私)がいないと死んでいた」と感謝の強要をするというような、マッチポンプ的な偽善的手法で相手を支配する場合もあります。  この場合、相手が体を壊す前の段階で、誰かがおかしいと気づき、食生活に関して、それは病気になると伝えても絶対に聞き入れません。無意識レベルの目的、つまりは、メサイアコンプレックスに突き動かされている場合、その力が強いので、どんな方向から伝えても、説得しようとしても、それをやめることはありません。恐らく、離れる以外に助かる道はないと思います。


菅原隆志. メサイアコンプレックスの本(Messiah complex): 救世主妄想の治し方と、メサコンの支配(共依存)から抜け出す方法を完全公開! (pp.69-70). Kindle 版. 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

新人=意見を言えなくなっている状態

身体に悪い食事を摂らせ続けて=危険と明らかな体制で阿弥陀北稜に登らせて

凍傷にならせて=問題を創って

「お前は俺(私)がいないと死んでいた」と感謝の強要をする

どんな方向から伝えても、説得しようとしても、それをやめることはありません

= 行く前から遭難だ、と私が伝えても聞く耳持たなかったよなぁ…

2024/09/04

【クライミング心理学】親切のコストは高い

 ■ ほんとにこれだーと思った

今日は睡眠が十分足りたのか、突然理解が訪れました…

最近のいろいろな出来事、結論中…

https://youtu.be/jD0ge3zL9KE?si=cTu7qCFoL7KHPN_v


日本の道徳では、誰にでも親切にしましょうと教えますが、実は親切にしたらいけない人っているんですよね。

ナルシストというのは、たぶん、アメリカ文化からの余波みたいです。最近、伊藤貫先生のアメリカ外交を勉強していますが…

アメリカ文化が陥ったここ30~40年の社会的歪みについて、伊藤先生がナルシストの国になってしまったことを述べています。

いやはや、政治学者の目にも明らかになってしまったほどのナルシストの害=モラルハザード。

https://www.youtube.com/watch?v=PzCK-b4CRkA&t=1160s

自分さえよければいい、今だけ良ければいい、という価値観…はよく考えたら、日本でも蔓延しています。

というか、それ以外の価値観が行方不明になっているかもしれませんが… しかし、極端な事例は多い。

実は関西の岩場を見たときは、びっくり仰天したんですよね…。

あれは、警告だったんですね。

怪我をした仲間をうっちゃって、自分たちだけは登りに行く…ということだった。いや、びっくりした。ただ、特殊な事例だと思ってしまったんですよね。

それと同じことが私にも起きた。

いや、被害者側になる前に、予兆として経験していたんですね、あれは。

しかも、繰り返し…。

さて、ここから何を学ばないといけないかということですよね。

Absolutely right, which means you gotta know what kind of person they are before you step into the relationship. Don't hurt yourselves folks, you can't change someone else.

どういう人かしっかり知る必要がある、ということです。

誰でも信頼してはいけない。


年を取れば、その違いが分かるようになる?

いや年寄りだからではなく、苦い経験を通じて学ぶもの、でしょう…

最近学んだこと

1)親切は無料ではない。誰にでも親切にしてはいけない。特にナルシストに親切にしてはいけない。
2)ナルシストの特徴は、ナルシスト側が受け取る側、与えられる側なのに、なぜか要求がましい。恩着せがましい。

3)これをするのは、あとから返礼しないための防御線。俺は頼んでいないというため。

やってもらう側なのに、なんか偉そうだな、という風に感情面では察知されます。

これで、こちらがスルーしてしまうと、ナルシスト側に正当性がないことを、あれして、これして、と頼んできます。物を貸すと返してこない。とか、人のロープで登ろうとして返礼がないとか。

基本的にGive&Takeがおかしく、Giver側の愛情を踏みにじることにほとんど罪悪感も自覚もないです。

しかし、ナルシストにここまで増長させるのは、ギバーの側なのです。

普通は、ギバーが与えようとしても…そして、それが特に負担にならないような内容でも…、日本では一般的な人は遠慮して受け取らないのが普通なんですよね。

そうならないというのは、ちょっと要注意です。

例えば、こないだ、合気道でご一緒したN田さんが、「お昼どうですか?ごちそうしますよ」とおっしゃったのですが、私の現金持ち合わせがない買ったというのを知っての発現だったので、カードでお支払いできるところで、お食事して各自払うことに。

もしこれで私が断らなければ、なんかちゃっかり情報をもらったくせに情報をくれようとした人に食事代を払わせるということになります。

ギバーはより強い形で、遠慮はいらないですよ、とプッシュしないといけないことが多いです。

でも、そうならない=危険信号。

そういうことがよくあったなぁと思ったりしています。





2024/08/25

【クライミング心理学】トランスコーチングで自分と同じ人の事例を見る

 ■ トラウマが深刻な人は、オープンカウンセリングに向かない

神さんという人がやっているトランスコーチングのオンライン教育に一年近くの時間をかけて参加しており、昨日がその最終回だった。

これに参加したのは、傾聴を主体とするセラピーは、トラウマがある人にとっては、トラウマ体験を思い出すことで、傷が深くなるだけで良いことがない、という確信があるからだった。

もうね、自分の子供時代が大変だったことについては、語りたくないんですよ…というか、終わってせいせいした!というのが、18歳で家を出て経済的に独立したときの感想だった。

当時私は、アメリカ”黒人”女性文学史の学徒だったが…アメリカで黒人で、女性って三重苦って意味で、その人たちに共感するくらいだから、母子家庭で、長子で、女性って、日本では三重苦です。どれくらい、しんどい子供時代だったかというと、奴隷と同じくらい、って意味です。現代日本なのに。

まぁ、一般的には、そんな大げさな…と子どものたわごとと思われるだけなのです。お母さんはそれでもあなたを愛していたんですよ、みたいな。しかし、私、過労で玄関で気絶しましたからねぇ…。子供は加減を知らない。その上、日本では、儒教教育と、体育会系ののりと、奴隷根性丸出しの勤労の美徳の押しつけ、があるのである。これだって三重苦だな。

その”勝者”にいったんはなったんだが…それは非常にメンタルに悪い。

幸福からは遠ざかる道だった。というので、傷を広げるだけで、癒し効果がないセラピーには、正直うんざりしていたのである。

世の中は素人セラピストであふれており、安直な銭稼ぎに目がくらんでいる人たちが主体である。

目を付けたのは、神さんのセッションではなく、スティーブ・ギリガン先生やアメリカの女性の先生のセッションのほうで、日本人はなぜか、直接こうした偉人のセッションを受ける機会が授与されていないようである。

さて、ここまでがオープンセッションを受けない理由だ。傷が深くなるから。

で、まぁ、ある意味、損はしている。

昨日は、佐藤さんという方のオープンセッションを解説してくれる日で、眠い目をこすりながら見た。

見たのは2度目なのに、ああ、この人は私と同じ傷を抱えているのだ、ということが分かった。

キーワードは、長子、親の期待、成功、である。

■ 長子という病

簡単に言えば、

 ①彼は、親の期待に答えなくていい、

 ②自分の好きに生きていい、のに、

 ③そのエネルギーが出なかった、のである。

長子の病、とでもいうべきだろうか? 最初の子供には、親の期待は非常に大きい。長子が担う責任の重さはかなり重たい。

私が感じていた期待の重さは、アトラスが地球を背負っている、その姿くらい。山登りが好きだったのも、重たい歩荷に自分の人生の重荷を重ねていたからである。

重たい… でも、頑張らねば…それは、私自身の姿。その先には、ご褒美として、山の景色があるのである…

しかし…そうしたことを、クライミングに来て、”倒錯” と感じるようになった。

わがまま放題に甘やかされて育った男性クライマーは、自分で自分のロープを担ぐことすら、”え~” っていうのである。彼らはひたすら、自分が楽にかっこよくなることを目指しており、そのために他者を利用することすら、いとわない。その他者が、たとえ、自分より弱いもの、社会的に、弱者であっても、利用するものは利用するのである。

そんな、”お子様”のクライマー連中を見て、私は思ったのである。 

「へぇ~ 世の中、そんなんでも生きていけるんだ~」

そう。生きていける、のである。

日本ほど、日本男児にぬるま湯な世界はないであろう…

現に、クライマー界は、トンデモレベルの人のほうがトップに座っていたりする。まともな社会人っているんだろうか?くらいなレベル感でクライミング界は、成り立っている。

事例としては、ビジネスの勉強なんかしなくても、クライミングジムビジネスは楽勝だったらしいですよ(笑)。というのは、全くビジネスに関心がそもそもないジムオーナーの様子から、逆算して、うかがえるのである。

要するに、世間は私が理解しているより、相当、ぬるま湯。

なぜ、私は、世間を厳しいもの、アトラスのような姿に誤解したのだろうか?

それは、幼少期の苦難がそう思わせるのである。

■ あれ?みんなレベル低い?事例

だから、いきなり、アメリカに行っても、”うちにも来てくれ”とベビーシッターの仕事が引く手あまた…となってしまい、結果的に収入は普通のアメリカ人並みになって自立出来たのである。あれ?1号事例。

だから、いきなり、新卒入社した人が、”一流企業”の”開発部”で、”業務改善”してしまい、問題が明るみに出て、最後は”研究所付きのエンジニア”になってしまうのである…。あれ?2号事例。

だから、いきなり、登山で雪の山に行っても、これの何が難しいのですか?となり、一升瓶担いで阿弥陀北稜なんて馬鹿げているでしょ!ということになり、山岳会の恥部が露呈してしまうのである。あれ?3号事例。

同じことで、白亜スラブの登攀や九州クライミングで起きたことは、ぜんぶ、私にとって、

  なんで普通のことがみんなできないのか?謎

であった。

50mシングルで行っているときに、25mと35mのピッチをつないだらどうなるか?なんて、天才でなくても、計算改めてしなくても、無意識レベルで分かりますよね?

壁から離れたビレイとかも同じである。ロープの意味ないじゃん、それ。

ランナウトも同じで、ランナウトって地面にぶつかりますって意味で、それ以外のものは、そもそも、ランナウトと呼ばない。ただピンが遠い、っていうだけのことだ。ランナウトにはRをつける、

…というわけで、私からすると、もう、どんだけ~ な感想であった。

そして、どうも、世間の基準は、どんだけ~と私が感じる、その甘々の側に合わさっているのである。

どれほど、過酷な子供時代を生き延びたか…ってことです(ーー;)。

リビングのモノの配置が昨日と変わっていないというだけで、掃除していないでしょ!で、ビンタ打たれるくらいの厳しさで育ちました(ーー;)。

■ 生き延びただけでオッケーと思っていた

というわけで、ほうほうの体で、子供時代を生き延びたため、私の中では、この後の人生は、ただ

生きてさえいれば、もうけもん

ということになっていました…。もうこれ以上の成功をおさめなくても、自分がただ生き延びていれば、もうこの回の今生は、OKだろうと。なんせ社会貢献みたいなことは、すでに小学生、中学生でやった。

すでに子供時代に、人生一回分の成功体験と苦難は確保した、みたいな?

これ以上、私に”成功”を求めないで、みたいな?

もう何も出ません、くらいに、心的エネルギーは、すっからかん、だったのである。

■ まだ出せるらしい

しかし、私はトラウマによる、無意識の自動行動で、

・ナルシスト

・依存者(被害者タイプ)

に対しては、能力や時間、愛情を無限供給してしまうのである。

あれ?供給してしまう?まだ、タンクに入っているのかな?

そうなのである、空っぽと思ったら入っている。

以下は、南ユウタさんのメマガの抜粋である…

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あなたも、「与え過ぎる人」ですか?

他人に率先して親切にすること
他人に親切にしてもらったらお返しをすること
子どもにとってやさしい良いお母さんになるために、毎日がんばること
恋人のために一生懸命にがんばること


これらは、それ自体は本来はとても素晴らしいことですよね。


でも、行き過ぎるとあなたも相手も不幸になります。

なぜか?


そもそも与え過ぎる人は、「与えないと不安になる」のです。

単に与える人は、「与えることが喜び」です。
与えないでも不安には特になりません。

与え過ぎる人は、一度与えても、それが相手にとって良いものになるか確信が持てません。

だから、また与えようとします。

こうして、気づいたら次から次へと与えまくる人になるのです。

中略‥‥

「与えないと、私が価値のない人間になってしまう(そう評価されてしまい、見捨てられたり、無価値感を味わう)」


という、いいね軸の生き方特有の不安が根底にあるのです。

だから、過保護過干渉気味なセラピーになります。

すると、本来は「相手のためfor you」にセラピストになったはずなのに、気づけば「自分のためfor me」のセラピーになっちゃうんですよね。

また、こういうタイプの人は、「オレ様タイプ」や「被害者タイプ」のクライエントからは餌食にされます。

全部、セラピストである、あなたのせいにされます。(ガスライティング)

本人は、そもそも他人への過度な依存心自己中心性が本当の課題なのに、そこには気づくことはありません。

あなたがケアテイカーとして、救世主になろうとしてしまうからです。

(中略)

これは恋愛にも、夫婦のパートナーシップにも、子育てにも共通します。

脱出のためには、「与えなくても大切ないのち」という「いのち軸」な生き方へシフトすることです。
ーーーーーーーーー

これは、クライミングのパートナーシップでも言えます。

私に近づいてくる人は、今のところ、ナルシスト君、もしくは、依存ちゃんの2パターンでした。

■ 傾向と対策

さて、ここまでで、①親の期待に答えなくていい、の原理が、

  期待に答えないと不安に駆られるという原理

であることが分かりました。

敵は、期待をかけることで、こちらを利用したり、コントロールしたりしようとしてくるということです。

期待が武器で、目的はコントロールとこちらのリソースの搾取、です。

クライミングに置き換えると、期待という武器は、

 クライマーは自己責任、とか、クライマーなら〇〇して当然…、女性は〇〇してくれるおもの…という押しつけで

目的は、ドレイヤー、ゲット。そして、こちらのリソース、いつでもビレイに出て行ける時間的ゆとり、豊富な安全知識、そこまで労をいとわず来てくれる親切さ誠実さ、ギアを充分持っていること、IT知識が豊富で頼れること、語学力などのリソースへの便乗です。

仲間意識、俺はダメだから、俺は男だから、などを不当に利用しようとします。

一般に、それくらいしてくれるのが当然だろ、と押し付けられるので、有償だと何十万も掛かるお世話をしても、なぜかお返しも、感謝もない、ということから、一方通行、つまり、テイカーだと分かります。

ナルシストの場合は、強い奴が得するのは当然だろ、みたいな行動原理です。

普通の感性の人は、何かしてもらったらお返しをする、というマッチャーの感性を持つのが普通です。

つまり、この人たちには、この返報性の法則という心理が働かないです。頼んでいないんだから、してもらって当然感があります。

たとえ、俺ってかわいそうアッピールを200%出していても、です。おれ子供が6人もいるんだ~とか。明瞭に、こちらの慈悲の心にすがろうとして、してもらったことは、してもらった、には彼らには入りません。

■ 好きに生きる には?

さて、期待通りに生きている人は、親の敷いたレールに載っていることが多いものである。

佐藤さんもそうだった。しかし、はた目には、本人がそれを負い目に思っていることは分からない。

なぜ、いきなり、なんか厳しい様子で、出入り業者を責め立てるのか、傍から見たら分からないが、彼の内部では、公僕としての使命感で、税金から出てるんだぞ!ちゃんとやれ!と思っているから、ガラの悪いあんちゃん、が出てくるのである。

正義感があることは悪いことではない。その正義感を肯定できないのはなぜか?

好きに生きている人は、自分の正義感も、肯定できるだろう…

自己受容ができていない、と指摘するのは簡単だ。

しかし、自分でもなぜ、ちゃらんぽらん系業者がいい加減な見積もりを出してきたときに、こんなにも、厳しく追及をしたくなるのか、本人には分からない。

ACは、チャイルド自我で生きている人を見ると、腹ただしいという法則の発現事例なのです。

しかも、これ、課題の分離という定番心理技法では解決できない。

課題は分離されていて、業者は自分の責任をきちんと全うしていない。クライマーも同じで、自分の命をきちんと面倒見る奴は、人のロープでリードしようなんざ思わない。

課題を分離したら、お前ちゃんとやれよ、で終わってしまうし、ちゃんとやらない人は、困っていないので、カウンセリングには来ないのである。

と、ここで既存の心理学だと袋小路に入ってしまうのである。

さりとて、この問題をうっちゃって、

 もーいい!

と怒り、

 自分の好きに生きよ!

と開き直っても、それってどんなのか?具体的には分からない。

今、好きに生きていないのか?と言われても、それなりに好きに生きている気がするし…。

同じように、ちゃらんぽらんになんてなりたくないんである。

これは、俺様タイプのカウンセラーにかかると、コンフォートゾーンから出なさい、などと的外れな指摘をされて終わりである。

とっくの昔に出て、立派に自分をイジメた結果、今があるんですよ。

■ 無意識に状況を探してしまう…

例: そろそろ息子も大きくなったし…

好きに生きていない傍証は、

 周囲とのハーモニー、調和を取ろうと先に考える

ことから分かる…

自分がしたいかどうか?よりも、状況や、都合、を優先的に考えている、ということである。

たとえば、

・今は時間がないから…時間が出来たら…

・今はお金がないから…お金が出来たら…

・今は子供が小さいから…

・今は夫が忙しいから…

分かりやすい事例で行くと、お金が出来たら開業する、と思っている人は、お金ができない。開業を避けるためにお金を作らないという行動に無意識で出てしまうからだ。

逆に、開業するためにお金を貯めています、という人は、思わぬ収入増加で、開業が早まることがある。

これは、私の人生で2度、具現したことがある。英語とプログラミング言語の習得。話せるようになってからアメリカ行こう、とか考えたこともなく、とにかく行くんだから、困らず話せるくらいには…と、起きてから寝るまでを飛行機内で読み込んだ。プログラミング言語も同じで仕事を受けてから、勉強した(笑)。上手く行かない人は専門学校へ行こうとする。

たぶん、クライミングも同じで、登ったから、登れるようになっただけで、登るためにジムに行くってのは、本末転倒な気がしたんだよなぁ。

さて、話を戻すと、

 ○○したら、×× する

式の思考法を、「反映分析型」と梯谷先生は呼んで、自己実現の阻害要因として挙げています。対比されるのは、「主体行動型」です。

主体的行動がとれていない、って意味です。

逆に言えば、何か状況に依存ではなく、主体的にやっていれば、それが大げさな、いわば、大文字の

 自分の生きたい生き方

ではなくても、そんなキラキラワードでなくても、それが”あなたらしい”ということです。

ただ、反映分析は戦略的に有効なことがあります。私は高校英語では赤点です。わざとやっていました…。こんなところで暗記に労力つかうなんざアホ、と思っていたのです。なので、他のこと、例えば、もっと重要だと考えていたリスニングに時間を回せました。

その時は状況反映型思考のほうが、”したいことの実現に有利”だったのです。

■ 選択の練習

自分の生きたい生き方をできていないとき、選択の練習をするのは有効かもしれません。

小さなことでは、今日食べるものを選ぶとか、着るものを選ぶとか。

しかし、これは、オフィスに行くのにジーパンを履きたい、というのと、はき違えると良くないです。ジーパン履きたいから、きちんとした仕事に就けない?それ、単なる甘え、ですよね?

ここで、出てくるのが、昨日、紹介したチョイスセオリーで、選択した後、自分の思考が良い思考になり、感情が良い方向に動き、神経物質で言えば、コルチゾール以外が出る、という行動をチョイスするのが大事です。

自己観察はここでしましょう。

■ ③そのエネルギーが出なかった

のも、当然なのです。

心的エネルギーが出るようなことをやっていないのだから…

周りの人の都合に合わせて自分を押し殺していて、心的エネルギーが出る人いますかね?

いませんよね。

誰かの期待に応える活動で、心的エネルギーを消耗する

→ 心的エネルギーが出ないから、自分のしたいことが分からない

→ さらに、最低限人の要求にこたえることだけして生きよう

となる…

まずは、テイカー、自分から心的エネルギーを奪い取っていく人や活動から離れましょう。

そして、休息。たぶん年レベルで必要かもしれません。

なんせ、20年、30年、50年と人のために消耗してきたとしたら…枯渇具合は、かなりなものになっているでしょう…

それに環境も大事です。私はアメリカでは、自由に生きれました。日本では、難しいです。

なんせ、日本では、女とみたら、自分のメンタルトイレにしてよいと思っている人が人口の半分も、いるのです。

そして、自分のしたいことが何か、今すぐ分からなくても、そりゃ当然です。

そのセンサー、かなり麻痺していますから。

大体の男性は、センサーは、かっこいい、です。おれ、かっけーって感じることが、大体は、その人の正解です。(違う人もいるかもしれませんが)

女性は、もっと複雑です。これは別に詳述することにしますね。

まぁ、総論として、

 日本では、ナルシストと被害者タイプは、好き勝手に生きている

 世界では、基本、みんな好き勝手に生きている & してはダメなこと以外は全部していい、

です。

今は目標やビジョン(上質世界)が見えていなくても、人だからそんなときもあります。

いつでも、がつがつビジョンに向けて猪突猛進している人なんて、絵にかいた餅です。

あの、ユージさんですら、前回のオリンピックでは、もうやだ、とケツまくって逃げているシーンがありました。嫌なことからは逃げてもいいのです。

何もしなくても、あなたはあなたのビジョンを体現していますので、安心しましょう☆

神さんのセッションでは、佐藤さんは、先祖からエネルギーをもらっていました。それも一考です。

          前から雪が好きって言ってるんだけどなぁ…




2024/08/24

【クライミング心理学】グラッサーの”選択理論”、学習中

 ■ グラッサーの選択理論

は、一言でいえば、

 気分 は 自分で 選べる。

です。もう一つは、

 脳内伝達物質は、自分で選べる、です。

詳細はこちら: https://www.choicetheory.jp/about/

■ 基本

行動(アクションとは?)

= 行為 + 思考 + 感情 + 脳内物質

という基本公式から成り立ちます。

ある行為を選ぶ。

すると、思考が湧きます。

すると、感情が湧きます。

すると、それに応じた脳内伝達物質が出ます。

■ クライミングは分かりやすい…アドレナリンジャンキー?

行為:クライミングに行く

→ 思考: これ、おっかねー

→ 感情: 恐怖

→ 脳内物質: ノルアドレナリン / コルチゾール


行為: 登れる

→ 思考: やったー!

→ 感情: 達成感

→ 脳内物質:ドーパミン


行為: 登れない

→ 思考: なんで登れないんだー

→ 感情: 俺はダメな奴だ 

→ 脳内物質: コルチゾール

うーん。クライマーはどこで倒錯したんだろうな?

登れないのが楽しいって感覚は、違うかもしれんなぁ…。

■ 登れない課題にしつこく登ろうとする=良いことだ、みたいなのが、クライミングの成長阻害要因のような??

しかも、クライマーたちの性格が、

 相手に厳しく(して)

 自分に優しい(自分を持ち上げる)

の結果になっている理由のような気がします。

大体、クライミングって非日常動作なので、結局のところ、触った量とどれだけ幼少期から接するか?が運動理論的には、優位なので、個人の資質より、おかれた環境依存のような気がします。

大体、ツヨツヨクライマーって二世ですもんね…。

■ 自分で自分の機嫌を取る

ここ数年、キーワードで出てきていたのが、男性は

 自分で自分の機嫌が取れない人が多い

ということでした。 最近、Youtubeで子育て動画見て、

 子供は自分で自分の機嫌が取れない

 &

 お母さんに機嫌を何とかしてもらうのが前提

となっているんだよなぁ…と再確認中…私も小さい母として、弟や妹の機嫌を取る子供時代で、えらく疲れました。それで、大学で学生寮に入寮したら、最年少で、誰の機嫌も取らなくていいので楽だった…(笑)

私は勝手にお菓子を作って遊んでいました☆

アメリカでは、ベビーシッターで生計を立てましたが、子供は機嫌を自分で取れる年齢だったかも。マシュー元気かなぁ。

■ 私は私の機嫌をどう取るか?

私は、何があると、ご機嫌なのか?

ちょっとした冒険と発見、かな~。

昨日、メキシコ雑貨のトンボラさんを見つけたら、トキメキました(笑)

発見、大好き。

発見をどうやったら、持続可能に出来るか?やっぱり読書かなぁ。

グラッサーの選択理論も、野口先生の動画から、おすすめされたものです。

これはいいな!と思いました。

感情は選べる。脳内物質の何を出すか?も、選べる。

ならば、幸福も選べる。

幸福を選択するには? 何を選んだらいいのか? そこが個人差があるみたいですね!

メキシコ雑貨屋さんで買ったキッチンクロス、サビニャックのマグ、グラッサー


■ 今までに貯めた、感情と機嫌の経験則

自己犠牲感 → 選ぶと不幸

だれかへの非難 → 選ぶと不幸

不満 → 選んだ方が良い場合もある、不満は表明すべき

自分への非難 → 選ぶ必要なし 

自分への反省 → 自己肯定感上がる

他の可能性を考える → 自己効用感が上がる

動画などを見るときに、どの脳内物質が出るか?考えながら見るといいかもしれませんね。


      メキシコのヒンメリ 麦わらあれば作れるんだけどなぁ





2024/08/22

【近況】最近の様々な進捗…AC進捗とクライマーの宿ガイジン対策の充実

人間関係で疲れてしまう人の5つのタイプ 【アダルトチルドレンの処方箋】

■ その1 アダルトチルドレン関係

私にとって、クライミングは、子供時代の再体験と同じ意味であった。

そして、それは、白亜スラブの登攀で、2歳時の非言語のトラウマ記憶が、映像でフラッシュバックする、というトラウマ記憶の復活によって終わりを迎えた(汗)。

父親に殺されかけた…

これが、私の原体験か。

■ AC離脱の旅がスタート中です

いや~、その自覚から、AC離脱の旅が、本格的にスタートしたともいえると思う。

幼少期の心理的なトラウマは、心の外傷、であり、その傷は、骨に刻まれているのと同じく、そこにあり、消えない。

しかし、それ自体とともに育ってきているため、自覚すること自体が難しいのである。

自覚したら自覚したで、苦悩が長い。ACである、と思っていても、実際の傷を具体的に見るまでは、自分でも、まさかそんなにズダボロとは思っていないのである。

いろいろなカウンセラーさんの本を読んで、その人の傷について話を聞いたが、

 え?そんな程度でそんなに大きな傷を受けるの?

と驚くような、些細なことだった…。これは口が裂けても当人には言えない。が、由井寅子先生の傷を見て、私の傷が些細だと思えたのは、錯覚だったんだなと分かった。

ここでは当方の傷の話は端折るが… カウンセラーになったほどの人と比べても、かなり重症患者なのだと分かったので、その重症の自覚自体が、重たく、苦しく、悲しいのであった。

その沼にいたのが、3度目の鬱時代だったのだろう…

■ 大阪にいて幸せ

ところが、立山に行き、なんか、小屋バイトしている、のんき気ままな人達と過ごし、まるで私の母のような神経質で理不尽な様子の親父さんに、高校生ですら、全くスルーで動じない姿を見たら、「ああ~、私は、まだ幼い子供で、そして深く母を愛していたから、母の無理難題に振り回される結果になっただけだったんだ…」と心底、分かった。

オヤジさんはアスペだった。青ちゃんもアスペだった。私のママは、ASD受動型だった。自閉症スペクトラムの人に振り回されるのは、相手がこちらの生死を握っているときだけだ。

逆に言えば、相手から見れば、あなたが唯一、自分の不機嫌に振り回されてくれる相手、だ。

そりゃ~、未練があるだろう…

さて、福岡にいれば、ビンビン念として感じられる母の未練たらしい、子供を支配したい気持ち…チャングムや、親孝行しておくれ…みたいなやつ…を、大阪にいれば感じずに済む。

大阪にいたら、やっぱり人情味あふれる大阪だと思え、だいぶ幸せになってきたのである。

大事にしたのは、花。(という自然)

福岡では、切り花だが、大阪では、ドライやプリザーブド。

そして、人。笑い。食。

今日は、豆乳ヨーグルトが成功していた。

2歳で、父親にプールに投げ入れられ、溺死しかけた。親に裏切られた、文字通り、投げ捨てられ、死の淵に追いやられた、ということが、私の視点…男性と社会に対する、原風景なのである。

あいつらは危険だ、と思っているってこと。

私が、社会を安心の場、私にとって危険はない場、と認識するのが難しくても、まぁ、不思議はあるまい。一度、殺されかけているから、そうそう、信頼できるはずはないのである。


  ビレイヤーに落とされて頭7針縫いました。殺されかけたの、2歳から数えて2度目。
せっかく、社会を信頼するという方向に進んで治癒していたのに、落とされた。その後、白亜スラブで、これでもか!とトラウマフラッシュバック。

そして、その資質が、登山をするにあたっては、プラスに働いた。

下界並みの安全安心感覚で、つまり深く考えもせず、クライミングのマルチピッチに行くことが、まぁ、若い男性クライマーの主たる死因である、と究明できた。もちろん、平出さんなどのきちんとしたクライマーの死は、これに該当しない。

ということで、AC関係のことで進捗があり、山に呼んでくれた、おかみさんには本当に感謝している。

今日、細口ポット届きました☆ コーヒー淹れたら、やっぱりおいしかった。

■ 三の舞を避けたこと。

ジムつぶれそう…? 私が救世主?な、タダ働きする羽目になる、三の舞を避けれたのは、実は、店長さんが正直な気持ちを表現する人…あの~迷惑なんです~という人…だったので、三の舞が避けられたんだが…。

私自身は、これが、

 お金に困っているママを助けなくては!というインナーチャイルドの発動

だということに気づくことができなかったので、一人で、いや~、このジム、このままいくと、倒産だよな~と、”なんとかしなくては”というストレスを貯めていたんですよね。

私の母は3人も子供がいるのに、50万円のお着物を買ってしまっても危機だ、という自覚がない人だったんですよね…。まぁバブル期で浮かれていた世間の空気に流されたというのもあると思うが。

後日、大人としての目で見ると、母はASD受動型だった。この病名は最近知ったが、中学2年頃から、母の大人としての人格には、?と思っていた。というのは、月収が25万円の時に50万の買い物をすると、帳尻が合わないことは、小学校レベルの算数でも分かるから、だ。

その当時、私は天才児路線を突っ走っていたが、どう考えても、我が家は、恐慌、ならぬ、破滅の道を突っ走っているようにしか見えなかったのである。

それで、14歳の私はパニックだった。14歳で大人並みの知性というのは、別に珍しくない。でも、14歳には働く権利が授与されていない。今の社会と違って、当時は14歳の言うことを誰も聞いてくれない。ので、私は17歳から経済的には自立しているが…いやはや、あれは本当に大変だった。

このときの不安が、再発したのだ、ということに気が付けたのは、店長の小島さんのおかげだ。正直者万歳。

アラーキーについても、彼がロシアンルーレットを地で行っていることを教えてやらなくては、と、私は、一人で責任をしょい込んでいたのである。

死にたい人は勝手に死んでください、ただし、私を巻き込まないで。

■ 自分の課題へ戻る

17歳当時も、母を助けるということ、つまり、境界線の越境、ではなく、自分の問題に集中したので、あれは正しかったと思う。

一方で、今だが、お金を稼ぐ、ということについて、ビジネス上の知見はもう十分あるのに、なんか私にとって業務上のチャレンジじゃないんだよな~と感じて、自分のことは、後回しにしているのであるが…(脳内の親が、なんとかしろよ、と突っ込むが)。

なんか違う感というか…。

そのなんか違う感を掘り下げると…。私が自営ビジネスに猛攻性をかけないのは、観光ガイドとしての活動は、HPなんて作らなくても、私の場合、口コミで、海外のお客さんは、それなりに来てくれるのである。また、今度、瑞牆に行くことになったし。

しかし、これは、私の個人の魅力であって、

 非俗人化 = ビジネスの仕組み化 = マーケ化

しないと、私がいなかったら、回らなくなってしまう…というのでは…。もうスタートするより先に失敗だなって感じなのである。

そのための仕組みとして、小値賀島の仕組みを考えている。一般家庭に民泊してもらうことで、人と人の関係を築く、というもの。

■ 治外法権化は阻止しないといけない

でも、山小屋勤務で分かったが、

一緒に暮らすだけでは、相手…この場合、日本人だが…の価値観に、自分から配慮するということが外人さんにはできない。

外人さんは、下着姿で歩いたり、公衆の面前で抱き合ったり、そういうのが日本では、顰蹙を買う、ということに気がつくこと=自己抑制…ができない… 

ということは、雷鳥沢でも、

 そりゃ、管理側が管理しないといけない問題だよ~

ということを海外ヒッピー歴の長い管理職の人、複数に教わった。外人って基本そういう奴らでしょ、ってわかってるじゃん、って話だった。分かっていて雇っているのだから、管理側の管理責任ということだ。というので、

 ここは日本です、という運営

が必要だと分かった。のが、著しい進捗だった。

・室内では靴を脱ぐ

と同じレベルで、

・公衆の面前ではキスをしない、熱烈のハグ禁止
・下着同様の姿でウロウロしてはいけない

と言っておかないと、ダメなのである。

■ 脳内の親を育てなおす

ということで、一人インチャ発見できた、良かった。

それに、リスクも一つ排除できた、良かった。

いくら読書で対策しても、生の経験による学習には、かなわない。

■ クライミングより、食?

私は子供のころから、料理しているのであるが、あまりに便乗されるのが嫌だったので、料理そのものが福岡では嫌でたまらなかった。

なんか、夫にうまいことしてやられたというか… 私は3度目の無理強いされた失業で、苦戦を強いられた上、夫にとっては、専属シェフ付き。あなたはいいわね、豪華なお身分で、ということに丸め込まれ感があった。もちろん、いい身分なのは夫の方である。

それは、夫がどんどんと、赤ちゃん化していった様子から明らかだった。

なんで、赤ちゃん?みたいな感じだった。私は夫の母親役に仕立て上がられてしまったわけである。

私は結婚はしたが、妻になったつもりであって、夫の母親になったつもりはない。

というわけで、福岡時代は徹底抗戦していたわけなんだが… 大阪に帰ってきて、戦う相手がいなくなると?

これが料理が楽しいわけなんである。毎日、分子栄養学的に正しいお食事作りが楽しい☆

買い物に行く豆腐屋さんとの会話も楽しいし、お魚屋さんなんて、もう常連である。

山小屋では、無意識だと思うが、

 賄いは自分たちで食べるものを自分で作るのは当然なのだから無償労働

となっているが、9人分を1人が作り、しかも、誰も手伝う気配を見せないのだ…。

なぜなら、お母さんを模した社会が形成されるため。お母さんを手伝う発想が子供役側にはない。

その”お母さん役”が嫌な役であることは、山小屋の親父さんが困り果てているところから、性差の問題ではなく、誰だってその立場に立てば、

 なんで俺だけ…(こんな目に合わなきゃならないんだ?)

になるのである。私が福岡で、なんで私だけ…?になったのと同じである。

つまり、日本の文化では母親役って、誰が引いても、男が引いても、ババ引きのババってことである。

解決案は、すでに近隣のホテル系山小屋では提供されていて、

 賄いを作る専門職

の人がいるのである。山小屋として働きやすかった岩根山荘も、井出さんという板さんが賄いを作っていたので、バイトはホントに楽でよかった。

逆に、五竜では最悪で、私はどこに行っても年長者になるため、男子といれば、お母さん役にされてしまい、ママ、ご飯まだ?というノリに、誰も疑問をいだかない、自動的にババを引かされるのである。それで同じ時給で続く人がいるはずがない。

ということで、賄い専門職を山小屋は雇ったほうがいいですね(笑)。

そして、私の料理嫌い化は、

料理が嫌いなのではなく、料理によって対価がゼロどころか、みなのメンタルトイレにされる立場

が嫌なのである、とはっきりした。

こないだ、春子さんとランチボックスを作ったが、それは相当に楽しかったのである。

そりゃ子供役をやったんだから、当然であるが。

ということで、このツアーに出かけたのは、心理カウンセラーのセッションに出るより意味があった。

ということで、最近の進捗は、かなり良い。

これで、AC改善の旅への幸先はだいぶ良い、ということが分かった。

飲食店でアルバイトしようかな~

2024/08/19

【クライミングジム】ジム運営が楽しくて仕方なくなる方法

 ■ 昨日は楽しかったなぁ…

楽しいってどういうこと?っていうことが、もしかしたら、古いクライマーは分からなくなっているのかもしれないなぁ…

 ガハハ~ とか、ワハハ~

とか

ニコニコ顔で笑っているのが、

 楽しい!!

って意味ですよ~ 

眉間にしわ寄せて、うんうん唸っているのが楽しいんだ、ってことに倒錯してるのかもなぁ…

実はバレエは、女性版クライミングみたいな感じで、Mな業界なんですが…。本音は、もう、めちゃ大変なんです。なので、そういう

 M的な倒錯に、慣れていた、

というのが、私がクライミング界に来たときに、すでに免疫持っていた理由なのかもしれません(笑)。

■ クライミングジム同志が仲良くないのかもしれない?

クライマーは、ローカルクライマーと、都会からのビジタークライマーでは、全然仲良くない…。

チームたわしの内藤さんは、荒らし、だったのだろうか…?よく分からんが、

  外部の人が来ると、グレード激辛になる

そうです(笑)。小鹿野で聞きました。すぐ競争したがるところが、男の子は…、って感じ。

上手く行っているクライミングジムに視察に行く、とか、沽券がかかわるのかもしれないなぁ…と想像したりしています。

でも、沽券とジム存続では、沽券?存続?

■ もう限界?

やれること全部やってから、もうダメ~(><)というのなら、分かるけど、やれることやらないで、もうだめ~って言っているような印象を持っていたりする。

もちろん、閾値はそれぞれなので、違うのかもしれないが…。

東京へ行くつもりで、沖縄方面に向かっているような努力をしていませんか?

もし、ラットレース(走っても走ってもどこへもつかない)にハマっているような気がしたら、立ち止まり時、ですよ。

■ ルートセットが、”消費される問題” への解決策

どこかのジムで、ルートセットが、お客さんに”消費される問題”ってのが語られていたんだが…

この消費への簡単な処方箋は?

ホームジムのピラニアでは、すでに処方されていました。

ピラでは、常連さんは、自分で課題を設定して、公開するんですよ。

それで、「誰とかさんの課題、もう登った~?」「ううん、まだー」みたいな会話が成立します。

私は、小瀬人工壁育ちなので、もう最初から、自分でホールド見つけて登らないといけない、感じでした。誰もセットしていないので。

セットをするのは、セッターだ、

とか

ビレイをするのは、コーチだ、

とか、

先輩は落ちないからロープは持っているだけでいい

とか、

(マルチの)セカンドのビレイはどうでもいい

とか

全部、心理学上の課題で、間違ったクライミング指導法による弊害ですよね…。

ジムの運営とか、マーケティング手法の問題ってよりも…

■ 問題解決が得意です☆

あー、また

 問題解決志向

になってしまった… と、こういうことを考える度に反省しています。

問題解決が得意な人に育ってしまったんですよねぇ…。子供時代から、親の親をやっていたため…。

大学進学費用がない!っていう問題すら、自力解決してしまった…ワタクシ…。

本当は、問題解決志向ではなく、

 目的志向型

でありたいな~と思ったりしているんですが、今、適切な目標が見当たらないんですよね。

目的志向などの言葉は、梯谷先生の心理技法で、私も気に入っていた女性スピリチュアルリーダーの体に聞いて食べなさい、の著者、リズ・ブルボーの理論をさらに発展させたものです。

■ 問題回避型と目的志向型とは?

 問題回避型=俺を馬鹿にしてきた奴らを見返してやりたい!

 目的志向型=目標、ゴールが明確

です。

見返してやりたいクライマー多いですよねぇ… 

3級しか登れないのに2段をノーマットで登りたいって言ってたボルダラー、あの後、登れるようになったのかなぁ…。2段に行く前に足の骨、折るよね~な方でしたが…。

このように、何となく、劣等感チックなのです…。問題回避型の人って。

昔バカにされた、とか、貧乏から抜け出したい、とか、自分を変えたい、とか、生きている感覚がほしい、とか、

なんか、クライマー界で良く聞きそうではないです?

それ、楽しくない原因です。

だって、

 昔バカにされた → どーだ!(観客が必要)

 貧乏 → 成金見せびらかし (観客が必要)

 自分を変える系 → どーだ!(観客が必要)

 生きている実感 → アディクション (依存症)

と 上の3つには、幸福感に 観客、が必要、最後の一つは、アディクション(依存症、中毒)ってことになってしまいますよね。

つまり、自立していない。自分で自分を幸せに出来ていない。

■ 劣等感を見直す

つまり、もし何かが上手く行かない場合、自分の劣等感を見直すと、うまく行き始める場合が多いです。

人が、何を行動の動機にするか?という、動機の点で、人の動機には

 問題回避型

 と

 目的志向型

の二つがある、ということなのです。

■ 悲観的防衛主義を持とう

が、クライミング界では、例外的というか、悲観的防衛思考が不足しており、

 外岩に出る前に、ロープの技術を全く学んでこない

クライマーが多数です。

■ 岩場のマナー違反が減らない理由… 疾病利得、です

私の経験では、10年登っていても、50mシングルで、25mと35mのピッチをつなげて登ろうとすらします。それで、10年、5.12RP、偏差値50の普通レベルのクライマーです。

そんな状態で40年登り続けているのですから、そりゃ当然アクセス問題にもなろうというもの…

いくらJFAが口を酸っぱくして、迷惑駐車はダメだ、残置ビナは持って帰るな、等々、PRしても、そりゃ~こういう人たちが聞くわけないですよね…。

逆に聞いているヨイ子ちゃんだけが、閉鎖された岩場から登れなくなり、肝心の迷惑行為組は、JFAが言えば言うほど、ガラガラで空いてる岩場になって登りやすくていいわーとなります。

貸しきりにしたい、ってのが迷惑クライマーの真意で、ホワイトクライマーは一杯食わされています。コロナの時、閉鎖の岩場の最寄り駐車場にいっぱい停まっていましたよね。

というわけで、クライマー界の実態は、悪いことをしている人が現実的には利益がある、ようになっているんですよね。罰則などもないわけですし。

これは、心理学で、疾病利得、って言われています。

一般に無自覚ですが、クライマー界では、自覚ありそうです(笑)。

余談ですが、これ、アメリカの銃規制と同じなんですよ。アメリカでは規制しても悪い人は規制無視で、良い人だけが規制を聞くので、聞いたほうが損することになっている。

■ 自分のビジョンを確立するのが大事

さて、話を戻しますと、

一般に行動の動機は

 A)ネガティブを避けたい

 B)ポジティブを得たい

の2つの方向があります。 

ネガティブな出来事を避けたい人は、備えます。一番の備えが、保険ですね。あまり行き過ぎると失敗を恐れて前に出れなくなります。

ポジティブを得たい場合の代表的事例は、何でしょうか?モテたい、なら、ヘアカットする、とか、そういうのですかね?モテたい男性が、一流企業に入るとかも入るかもですね。

人間は、どちらもしますが、ポジティブな動機、〇〇したい、が強いほうが、行動の動機として強力だということなのです。

なので、例えば、ジムの経営にしても、

 ビジョンを持つ、

というのは大事なのです。

■ ビジョンは持っていないようで、皆、持っているもの

私は、別にビジョンなどなく、クライミングはただ楽しいからやっていたんですが、言われてみたらありました。

師匠の青ちゃんとの二人だけのクライミングには、いつも、できるだけ若い男性などの、

 今からの子、

を連れていくようにしていました。だから、ギリギリボーイズの伊藤さんも来てくれたのです。

大体、クライミングで安全なのは、3~4人だし、あと一人いないと、写真も取れないし、ビレイがちゃんとしているか、見張りもできない。

つまり、私のビジョンは、

 みんなで登る

だったわけです。インクルーシブ、ということです。

これって、

 岩場の課題がそもそも挑戦状

 これを登れない奴は来んな!

と言っている外岩の構造と真逆ですよね?

つまり、日本の外岩は、大体全部、インクルーシブの反対で、エクスクルーシブなんです。

特権主義的という意味です。

これをクライミングジムに置き換えると?

もし、初心者もどうぞ~とインクルーシブなPRをホームページで歌いながら、実際のジムは、常連さんが固まっていて、なんか居づらーい雰囲気だったりしたら…?

要するに、言っていることと現実がマッチしていない、

つまり、マーケティング失敗事例ってことですよ。

処方箋は、自分はもともと、どんな思いでジムを立ち上げたのか?初心に帰ることです。

自分を固めた後、立ち止まって、本当はどんなジムにしたかったのか?心に問いましょう、そしてそれを実現させる活動をしましょう。

そうすれば、生きていることが楽しく、ジム運営が楽しくて仕方なくなりますよ!


2024/07/02

【クライミング心理学】軒先貸して母屋取られないクライマーになる


5 Ways a Super Empath Destroys a Narcissist

1”. A Super empath destroys a Narcissists sense of entitlement

・質問を使う。
「被害者の権利は踏みにじられていいのですか?」
「この状況で、もっともかわいそうなのは誰ですか?」

2.A Super empath sees through a Narcissists mind games

 ・被害者のフリに騙されない
 ・”シンパシーバンパイア”という言葉を知る
 ・ナルシストの常套手段について知る
 
3. A Super empath destroys a Narcissist ego
 ・ナルシストには、賞賛やバリデーションが必要だが、それを与えない
 
4. A Super empath does not take anything a Narcissist says seriously
 ・Blame sifting =責任転嫁に騙されない

5. Super empaths fight a Narcissist real hard
 ・相手の行動が予想できるので良く戦える

 ■ 期待に応える人生はしんどい

倉上慶大さんの業績と死を考えていて、期待に応える人生は、大変だということを改めて考えていました。

クライミングで、クライミング史上誰にも成し遂げられなかったことをしたのに、それでも、不満で、もっと!もっと!とクライミング界が彼に求めたことが、彼の死の遠い原因だったんではないかと思います。

こちらにロビン・ウィリアムズの死について述べている心理分析があります。

https://youtu.be/uARqjJb1tc4?si=epofyX5caT2_QhkJ

私は梯谷先生の、”息子、やったな”論を支持しているというか、直接の原因は病死でも、わざわざ心停止を招くような、富士山をやっての死なので、自分自身で期待された死だったのではないかと思います。

■ 期待に応える=エンパス 期待が理解できる人&能力がそもそも高い人

私はもともと、エンパスであるために、6歳で、母が困っているということが分かりました。(普通の子は14歳でも分からない)

エンパスであるために、本で読む内容がすごく理解できたのだと思います。エンパス能力は共感力であり、本に書かれたことを共感する力=理解力なのです。

そして、親の期待は、大体は子供の幸福を願ってのことなので、私は相手の期待を

 善意だと勘違いする癖

があります。これは、気が付いたので改めて行こうと思います。

善意ではなく、悪意のことがあります。

■ 例) 相手の期待をすぐ善意の期待に勘違いする癖 

例えば、白亜スラブの時は、

あ、私が一人で龍洞に行くと言っているから、応援で、クラックを登らせてくれようとしているんだな…

と相手の意図を善意に勘違いしてしまい…

実際は、殺されそうになった…(><)

なので、私の解釈がかなり歪んでいる、という問題があります。

おそらく一般の人は、同じ人が同じように言っても、ひっかからないのではないかと思います。

原因としては、私が、愛情にあふれた、良い生い立ちで、周りがいい人ばかりだったということなのかもしれませんが…。愛されて育ったということです。

逆に感謝体質だったのが良くないのかもしれません。

子どもには与えられて当然の愛にも、感謝してきたということです。

相手の意図が、全部、善意に見える、っていうのは、どういう病なのでしょうね?

■ 父にも愛されたという前提で生きたかった

あ、分かった。私は愛されて生まれてきた、と思いたかったのですね…。

実際は、父に、2歳でプールに突き落とされ、子供として、”父親への信頼と愛を裏切られた”のですが…、それを実感するのは、後回しと言うか…父は実際のところ、いないほうがよかったような父だったのです。なので、子供時代の本音は、あんな父ならいらない、でした。

父親に愛されなかったという事実はつらすぎるので、受け入れたくなかったがために、

 あれは、私のためを思ってやったのだ

と思いたかったんですね…。しかし、完全にナルシズムの勝利でした。

子ども相手だから、勝って当然ですね。

逆に私が大人になってからは、私を打ち負かすことはできない、という証明に、青ちゃんとの関係がなってしまったかもしれません。父へ報復する代わりに、青ちゃんにしてしまったかもですねぇ…

■ エンドレスに求めてくる人=共感吸血鬼=シンパシーバンパイア

母に始まり、子供時代の弟、妹、祖母、そして元クライミング・パートナーに至るまで、彼らは、私がいくら与えても、もっともっとと求め続ける......。そんな感じでした。

ありがとう、はなし…。

クライミングでは、一人一個しかない私の命を奪われそうになった。

それでもありがとうはなく、最後は暴言を吐かれました。全く感謝がないし、反省もゼロだったみたいだった。彼らがナルシストかどうかの試験は、例えば、貸したものを返さない、ロクスノを返さないとか、そういうことでも分かります。

あとは、犯罪への抑止力が超弱いです。残置のカラビナ、ねえねぇ一緒に山分けしようよ、って感じです。逆に、貢献への意欲は低く、JFAの井上さんが訪ねてきてくれた時は、一緒に会おうと誘いましたが、嫌がってきませんでした。ので、せっかく良い仲間が出来たかもしれない可能性の芽が摘まれました。逆にいえば、私の善のエネルギーより、彼の悪のエネルギーが勝っていたから、彼は組みたかったのです。

私の命は、彼のエゴより重要ではなかった。彼にとって、クライミング・パートナーの命は、ナルシストの人にとっては、ものすごく軽い。自分がかっこつけるために、相手の命は軽んじてよいと言語化して思っているわけではないだろうが、行動の結果は、そう示しています。

エンパスがナルシストに主導権を渡しているフリをするのは、めんどくさいからです。うまくこちらが従うふりをして御したほうが、正面から対決するより楽、と思ってしまうのです。

たとえば、なぜ、実際にマルチピッチに行く前に、ロープの計画を立てないといけないのか?なぜロープは2本なのか、説明する手間が…始めると一から十まで説明してやらないといけなくなります。

相手はそうしたことをマスターしてからクライミングに来るのがマナーだ、とは考えておらず、来ましたー、俺、どうですかーでOKだと思っているのです。

特にクライミング界自体が、「クライミングは自己責任」という標語で、無知で無学の上でパートナーを殺してしまう側の権利を擁護して、不当に殺されてしまった側に、自己防衛できなかったのは、「自己責任だから仕方ない」を押し付けている。

ある意味、それこそが、ナルシストにとってクライミングが魅力的である理由なのです。

かれらから見れば、チャンス!と映ります。自己責任って「人にせいにしていいって意味ですよね」としか聞こえないのです。

死んでしまうほどのことがあるのだから、きちんと勉強してから挑め、という意味には聞こえていません。

その上、業界的な文化的後進性が彼らの態度を後押しし、正当性を与えています。

これは、彼のナルシズムが山梨では抑えられ、九州で炸裂したことで伺えます。

要するに元から赤でしたが、朱に混じれば赤くなるの、赤が、濃くなるってことです。悪い人でも、良い環境にいれば、悪さはできないですが、悪い環境にいれば、やっていいんだーと抑制が外れるって意味です。

■ 自分への課題

日本のクライミングコミュニティで、私がクライミングを続けるためには、白亜スラブのようなことが、私に二度と起こらないように、予防し、防御しなければならない。

■ ナルシストから身を守る

倉上さんは、秀でることで、世間から自分を守ろうとしたのではないか?というのが私の読みであり、それは、私自身の戦略が、初期にそうだったからです。

強くなりたい… 母を守れるほど…

強くなりたい… 家族を守れるほど…

それが私の子供時代の強い願いだったので、神は私に試練をもたらしたが…

試練から帰ってみると、強さとは、孤独のことであり、弱者であると主張する人たちからエンドレスに搾取され続ける人だということが分かった。

その上、大人になれば各自自分を守れるのです。守ってもらわなくても。

■ もっともっとの名誉搾取

もっと成果を、もっと名誉を、もっとメダルを、の”もっともっと”は、スポーツ界に顕著に言える。ぼろぼろになって、引退するまで、搾取され、続ける選手たち。結局、もうかっているのは、企業であるスポンサー。アスリートは使い捨て、です。

クライミング界においては、クライマーは、集客力がないのが、そこそも幸いしているのではないだろうか?エンドレスな搾取は、まだ聞いていない。

スポンサーは、金をくれてやっていると思っていると思う。

しかし、お金をもらう側は、魂まで売り渡していないか、気を付けなくてはなりません。

優れた選手になれば、スポンサーがついて、クライミング三昧できると思うだろうが、そのお金はひも付きであり、人であることを超えるほどの挑戦をしても、さらなる挑戦を追いかけることが前提の金だ。無理です…は、許されない。

そんな苦しい立場に自分を追い込みたいです? 戦略的に脆弱性があることは、予見できますよね?

■ 14歳の時 ライオンズクラブの奨学金を断りました

私は、上記と同じ理由で、14歳の時、月3万円のライオンズクラブの奨学金を断ったことがあります。

魂を売り渡すのはいやだったんですよね…

それで相当貧しい生活を潜り抜けることになりましたが…今でもよかったと思っています。

クライマーも同じで、

スポンサードされて羨ましいなぁ

ではなく、自分の足で立って、そしてクライミングしていくということのほうが、よほど立派ではないでしょうかね?

人生はだれのものか?あなたのものですよね?スポンサー企業のものではなく…

その独立を守るカギは、お金。だから、伝統的にクライマーは超ビンボーを受け入れて、クライミングしてきたのでしょう…。

その伝統に立ち返ったほうが強い。山野井さんは、人にお金をつけてもらわないクライマーで有名です。