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2025/01/04

【クライミング心理学】”過度な批判”の事例

次のような批判は

 過度な批判

と言われる内容で、

 自己愛的虐待

として、主に

 ナルシシティックなクライマー

が、他者をコントロールするために用いる手段です。

■ 事例

 1. 「お疲れ!でもさ、なんであのホールドでマッチしたの?普通にクロスムーブでいけたんじゃない?効率悪すぎだよ。」  

2. 「え、グレード更新したの?でもそのグレード、コンディション良かったら普通に登れるやつじゃん。もっと難しいのトライしなきゃ意味ないよね。」  

3. 「あのリード登れたのはすごいけど…なんであそこでクリップしたの?あれ、下手すると落ちてたよ。考え甘いよね。」  

4. 「トップアウトおめでとう!でも足の置き方ダサくなかった?あんな登り方じゃ他のクライマーに笑われるよ。」  

5.「えっ、そのルート登れたんだ。でも…なんで完登までに6トライもかかったの?1トライで登れたはずでしょ。他の人はもっと早かったみたいだけど。」

■ たぐり落ち

1. 「クリップ遠かった?それ、自分の力量不足でしょ。普通はもっといい体勢でクリップできるよ。そういうのも考えられないならまだまだだね。」  


2. 「手繰り落ちのリスク?それを防ぐのがクライミングの基本でしょ。あそこでそんな危ないことするなんて、クライマーとしてのセンス疑うわ。」  


3. 「リスクが高いとか言い訳してるけど、あの場面なら普通にクリップできる人いくらでもいるよ。もっとちゃんと練習しなよ。」  


4. 「あんな遠いクリップに手を伸ばすなんて、計画性ゼロだよね。落ちてたらどうするつもりだったの?危機管理甘すぎでしょ。」  

5. 「そもそもあそこでクリップ遠いって感じるのが問題だよ。身体の使い方とか足の置き方が悪いんじゃない?自分で気づいてないのが一番怖いよね。」  

■ 完璧でなければ愛されないビリーフのクライマーバージョン

1. 「ミスをするたびに、自分がクライマー失格だと感じるんだ。完璧じゃないと誰も認めてくれない気がしてさ。」  


2. 「あのルートで落ちた時、みんなが失望した顔を想像しちゃうんだ。それが怖くて、いつも完璧を求めてしまう。」  


3. 「トップアウトしても、他の人がもっと速く登ったって聞くと、自分が不十分に思えてしまう。完璧じゃないと意味がないんだよ。」  


4. 「失敗するたびに、『自分はこんなもんなんだ』って思われるのが怖い。完璧にやらないと誰も僕を尊敬しない気がするんだ。」  


5. 「あのホールドで迷った瞬間、みんなに『ダメなやつ』だと思われたんじゃないかって気がして、恥ずかしかった。」  


6. 「他のクライマーより少しでも劣ると、自分には価値がないように感じてしまうんだ。だから常に完璧を求めてしまう。」  


7. 「登り終えた後に『ここが悪かった』とか『もっと良くできた』って考えてしまうんだ。完璧じゃないと達成感が湧かないんだよ。」  


8. 「練習でミスすると、コーチにも仲間にも見放される気がする。だから誰よりも完璧でありたい。」  


9. 「毎回、登るたびに『これで自分を証明しなきゃ』ってプレッシャーを感じる。完璧じゃなきゃ存在意義がないみたいなんだ。」  


10. 「たとえ完登しても、小さなミスがあると自分を責めてしまう。ミスひとつで、愛される資格がなくなる気がして。」  

■ 感情を抑圧し、怒りを表現できないクライマーの事例

  1. 「別に悔しくないよ。うまくいかなかっただけだし、まあ仕方ないよね。」(本当は悔しいが感情を押し殺している)

  2. 「ミスはあったけど、それも含めて自分だから。怒るほどのことじゃないよ。」(怒りを否定している)

  3. 「みんな失敗することあるし、自分だけじゃないから気にしてない。」(怒りを他者との比較で無効化しようとしている)

  4. 「なんで失敗したか考える方が大事だし、怒っても意味ないから。」(論理的に感情を封じ込める)

  5. 「あのホールド滑ったのも自分の技術不足だから、誰も責められないよ。」(怒りの対象を探さないようにする)

  6. 「いや、怒ってないよ。ただ、どうしたら次は失敗しないか考えてただけ。」(怒りを分析と偽装する)

  7. 「あそこで諦めたのは自分の判断だし、怒る資格もないよね。」(自己責任を強調して怒りを抑える)

  8. 「ミスはミス。感情的になるより次どうするかを考えた方がいいでしょ。」(理性を優先するフリで感情を押し込む)

  9. 「正直、失敗しても別に何も感じないんだよね。それより効率的にやる方が好きだから。」(感情そのものを拒否する態度)

  10. 「自分のせいで負けたけど、怒っても変わらないから。それに、怒るのってみっともないじゃん。」(怒りの表現を恥ずかしいと感じる)

■ 過度な期待に応えようとするクライマーの事例
  1. 「このルート、みんなに『君なら登れる』って言われたから、絶対に完登しないとがっかりされそうで怖い。」

  2. 「あの岩場を登ったら地元のみんなに認めてもらえるって思うと、何としても成功させなきゃって思うんだ。」

  3. 「友達に『このルートはお前のためにあるようなもんだ』って言われたから、トライしないわけにはいかないよね。」

  4. 「先輩が『君なら簡単だろ』って言ったから、そうじゃなかったら失望されそうでプレッシャーがすごい。」

  5. 「一緒に来た仲間が、僕がこの岩を登るのを楽しみにしてるから、絶対に成功させないといけないと思う。」

  6. 「このプロジェクト、ずっと周りに期待されてたから、登れなかったら自分が恥ずかしいだけじゃなく、迷惑をかけそうで怖い。」

  7. 「他のクライマーが『このグレードなら余裕でしょ』って言った時、登らなかったら弱いと思われる気がして無理しちゃう。」

  8. 「岩場の地元の人たちに期待されてる感じがするから、完登して感謝の気持ちを示さなきゃって思うんだ。」

  9. 「家族が『そのルート、君なら簡単に登れるでしょ』って言ったから、期待に応えないといけないって思い込んじゃう。」

  10. 「登ったらみんなが喜ぶってわかってるから、少しくらい怖くても全力で挑まなきゃいけない気がする。」

■ 感想

これじゃー、

 クリップしてもダメな奴判定、しなくてもダメな奴判定で、結局のところ

 何をやってもダメな奴という判定をしてくる

って意味ですね(笑)。

まぁ、それがナルシストのナルシスト足るあり方ってことなので、そりゃそうか。

人に何を言われても、気にせず自分のスタイルを守って登りましょう。

命は一人一個しかありませんから。

初期のころはChatGPTはクライミング自体を分かっているのかなぁって返事しか返ってこなかったのですが、1年余りでだいぶ成長しました☆


【自己理解】明晰夢 NPD 

■ 日々の研究で、自分軸が弱いのは自己保身のため

で、それは魔女狩りの時代から、

 真実を語る女性は火あぶり

にされてきたからだ、ということが、今日の明晰夢で分かりました…。

実際、それが、九州でのクライミングで、私に起きたことです。

被害妄想ではなく、本当に殺されそうになりました。(祝子川の件)(白亜スラブの件)(北岳四尾根の件)(支点ビレイの件)(四阿屋の件)。

・自分の頭で考えておらず、
・周囲と同調するだけが戦略で、
・リスクを軽視し、
・全く危険予知能力ゼロで、
・危険予知自体をしなくてはならないという発想が欠如しており、

そういう人が

・リーダー

にいます。政治もクライミングも、場所を選ばず、どこでも同じです。日本国というか、儒教国の伝統なんですかね?

それは、そもそも九州では、厳しい自然界が存在していないという事情によるのだということは理解していますが、

だからと言って、相手が死ぬような羽目に追いやっていいということにはならない。(祝子川の件)

だからと言って、カットアンカーでバンバン落ちるクライミングをしていいということにはならない。

だからと言って、25+35を計算できないでリードしていい、ということにはならない。

当然でしょう。小さい種のうちに指摘しないといけない。種から花が咲いてからでは遅いのです。花が咲くというのは死者が出る、という意味です。

■ 明晰夢

このところ、毎晩のように明晰夢を見る。しかも、連荘の夢が多い。

今日は、古いドック(船を修理するところ)のそばのあばら家に住んでいる夢でしたので、植生の様子から、これは、どこかの東南アジアだろうか?という場所でした… 

なんと、階下で、夫が、なにやらスピーチをして拍手喝さいを受けているので、「はぁ~?その計画、私がほとんどやる奴でしょう!やるなら、私に一言断ってからアナウンスしろ!」と、夢を見ている自分からは理解できない外国語…でも内容は知っている…で怒鳴ったら、その男性、つまり、夢の設定では夫…が大慌てで、「ごめん、ごめん、ハニー」と、私を抱きしめに来たのでした… 意外な展開でしたが、しゃーないなー許してやるよ、となりました。

で、起きてから、

 ああ…、修行が足りんなぁ…

 こんなんで許してやっているから、あいつらが増長するんだなぁ…

と起きてから反省するという…。

で、今反省中です。

いくら頭が悪くて気が付かなったとしても、手柄の横取りは、横取りです。

■ あなたは本当はこうしたいんではないですか?と相手の都合を先回りして予想できてしまう=頭が良い=危険予知と同じ能力

人の手柄を自分の手柄にしてしまって、ナルシシズムの供給源にするっていうのを、

 そうしないとつらいんだよね、NPDの人は…

   先回りして同情

してしまって、それが

   イネイブル

になっているのです…。

私の感じる、相手を気の毒に思う、という感情に相手は、都合よく便乗している、利用している、

っていうことです。

夢は連荘で見て、今日も5本立てくらいだったのですが、他に、自分で住まいを作ったのに横取りされる、という夢も見ました…。

■ まとめ

・NPDのイネイブルを辞める ということは、男尊女卑を辞めるということとほぼイコール

・ASDではなく、NPD だ、というところがポイント

・NPDの人は、自分の思いを実現するためになら、脱法でも容易に行う 

・ルールや社会的常識という、欲望への歯止め力が非常に低い人たちで、最初から低い歯止めをさらにハードルを下げるような、”配慮”をしてはいけない


2025/01/03

【クライミング心理学】頼りにならない山岳会ニアイコール身勝手な親

【身勝手な親・アダルトチルドレン】身勝手な親への恨みを手放す方法【心理カウンセラー・南ユウタ】

■ これだな。

親だと、子供のお金の使い込み、という形で、

  本来、守ってもらえるはずの親から守ってもらえない子

という体験が

  本来、守ってもらえるはずの山岳会から守ってもらえない新人

というデジャブー体験になったんですねぇ…

納得した。

■ 山岳会そのものが新人クライマーを命のリスクにさらしています

下部核心の課題に取り付かせられる、とか
カムなしで比叡に取り付かされる、とか、
だらりんビレイで登らされる、とか
支点ビレイで登らさせられる、とか
雪上訓練なしで、いきなり冬山合宿とか、



と弾劾されるような山岳教育しかなかったよ… 九州…。

まじやばいですので、環境変えたほうがいいです。

指導者側が反省する、というのが大事なことです。これじゃ、山をやろうという新人さんが育つどころか、殺されていってしまいます。

合法的殺人と言っていいですよ、危険だ、と予見できる場所に、

 だいじょうぶ、だいじょうぶ、行って来たら~

と、薦めるということは…。

一貫山で、一人のおじちゃんが、太った年配の女性に山頂にある岩場のクラックを登るように薦めていましたが…。

見たところ、その太ったおばちゃんは、そのワイドクラックをとても登れるような体形ではなかったので、そのおじさんに、「こんにちは。私は、登山ガイドですが、知らない人に、岩を登るように薦めるなど無責任ですよ。そのせいで怪我をしたらどうするんですか?」と注意すると、そのおじさんは

「実は私は初めて山に登りました」

と言っていました。

 九州男児の責任感

なんぞ、その程度なんですよ…。これが悲しい現実です。山の世界のレベル低下は、目を覆いたくなる事態なんです。

上位山岳団体の方には、現実に目覚めてほしいです。 

いい子でいる場合ではありません。

2025/01/02

【クライミング心理学】自己敗北性パーソナリティ

■ 自己敗北性

 これかもしれません。

事故敗北性パーソナリティ障害(Self-defeating Personality Disorder)を持つ人物の行動として、良い出来事の後に抑うつ、罪責感、または苦痛を感じ、その結果として自分に対してネガティブな行動を取るようなケースを以下のように例示できます。

物語の例

登場人物: 山本さん(仮名)、30代前半、広告業界で働く女性

シナリオ

山本さんは、長年の努力が実を結び、念願のプロジェクトマネージャーに昇進することが決まりました。この成功は、彼女にとって大きな喜びであり、同時に長年の苦労が報われた瞬間でした。しかし、彼女の心の中にはすぐに不安と罪悪感が湧き上がりました。

成功のニュースを同僚に伝えると、彼女はみんなに祝福されますが、その祝福の言葉の裏に潜む「自分は本当にこのポジションにふさわしいのか?」という不安が彼女を押し潰します。心の中で、「私は他の人よりも優れていないのに、こんなに大きな役職をもらってもいいのだろうか?」と感じます。

数日後、山本さんは突然、プロジェクトの進行中に必要な資料を提出し忘れてしまいました。それにより、チームの一部で作業が遅れ、会議で上司から軽く注意されました。彼女はその失敗に激しく自己批判し、「どうして私はこんなにダメなんだろう」と深い罪悪感に苛まれます。

さらに、彼女は以前、上司から自分に対して期待されることにプレッシャーを感じたことがあり、そのプレッシャーが再び心の中で膨れ上がります。「私はただ失敗してしまっただけなのに、それを恐れて仕事に集中できなかった」と感じ、自己批判は強まるばかりです。

その夜、山本さんは普段なら絶対に取らないような行動を取ってしまいます。彼女は飲み過ぎ、無理に自己を忘れようとします。普段なら真面目で計画的に過ごしていたはずが、突然の反動で自己破壊的な行動に走ってしまいました。

結果とパターン

この物語で見られるのは、山本さんが成功を手に入れた際、素直にその喜びを受け入れられず、自己批判や不安、罪悪感に苦しんでしまうパターンです。彼女は自己価値感に大きな不安を抱え、良いことが続くと「それにふさわしくない自分」を感じ、無意識にその成功を自己破壊的な行動で無理にでも抑えようとしてしまいます。これが事故敗北性パーソナリティ障害の典型的なパターンです。

このような人は、自己否定的な思考パターンが強く、幸福や成功が自分には「不相応だ」と感じ、無意識にその幸せを遠ざけようとする傾向があります。彼らは自己批判に基づく強い罪悪感を抱き、成功に対して報いを感じることが難しくなります。

■ クライマーバージョン


クライマーバージョンの物語例(自己敗北性)

登場人物: 高木さん(仮名)、30代後半、クライミング歴15年の中級クライマー

シナリオ

高木さんは、長年挑戦してきた高難度の課題をついに成功させました。この成功は彼にとって夢にまで見たもので、クライミング仲間からも大いに祝福されました。当初は達成感を感じていた高木さんですが、その感情はすぐに複雑なものに変わっていきました。

「自分がこんな課題を成功させるなんておかしい。本当に実力があったわけじゃないのかも」と、自分の成功を疑い始めるのです。さらに、「他のクライマーが努力しているのに、自分が先に達成してしまって申し訳ない」という罪悪感まで抱くようになります。

数日後、彼は練習中に注意を怠り、普段なら問題なく登れる簡単なルートで手を滑らせ、足を捻挫してしまいました。この怪我は結果的にトレーニングを休む口実となり、彼は「やっぱり自分はこの程度のクライマーなんだ」と自己否定の気持ちを強めます。

その後、彼は仲間との交流を避け、「自分の成功が他のクライマーを不快にさせているかもしれない」と勝手に思い込み、孤立していきます。また、新しい課題への挑戦も避けるようになり、「無理をして怪我を悪化させたら困るから」と自分に言い訳をしますが、実際には新たな失敗への恐怖と罪悪感が影響しています。

結果とパターン

この物語では、高木さんが自己敗北性パーソナリティの典型的な行動パターンを示しています。成功により一時的に幸福を感じても、それを素直に受け入れることができず、自ら罪悪感や不安を増幅させる行動(怪我や孤立)を取っています。

彼は無意識に自分の成功を否定し、「自分にはそんな価値はない」という思いを強化しています。これにより、達成感を得るどころか苦痛を感じる結果となり、クライミング活動そのものへの意欲も低下しています。

このケースは、自己敗北性パーソナリティの特徴をクライミングの文脈で示しており、個人の心の葛藤がどのように行動や結果に影響を与えるかを浮き彫りにしています。

■ 考察

これが、

  • せっかくUIAAに誘ってもらったのにBMCトラッドフェスに行かなかったり、
  • 翻訳の申し出を断ったり、
  • その後、怪我を作ることになった

原因であるような気がします。


【クライミング心理学】本当の男らしさって何なのでしょう?

【伊藤貫の真剣な雑談 年末SP】伊藤貫×水島総「来年はどうなる?アメリカと世界」 [桜R6/12/30]

山梨→クライマー化→福岡転勤→失業→白亜スラブ(失望)→フレッドベッキー化→新NISA

と辿って、2024年に出会った伊藤貫先生… わざわざ東京まで講演会に出かけて行ったのですが…講演会ではあまりめぼしい情報はなく、先生は日本の政治家にはお詳しくなく、アメリカ史との関連で、あくまでに日米外交におけるアドバイスができるだけなんだ…と思いました。

しかし、海外にクライミングに行くにしても、世界情勢を知らないと、パキスタンで拉致されたトミー・コードウェルみたいな羽目になりますよねぇ?

みんな見ましたよね??? DawnWall… え? 見ていない?見ましょう。

大体、どんな作品を見ても、ど根性とスポ根以外の価値観を拾い上げる能力がないかのようなクライミング界…

スポーツとしてのクライミングだけをクライミング業界が30~40年にわたって、強化し続けたつけって感じです。

だから、クライミング先に言っても、例えばヨセミテに行っても、クライミング以外の何もできるようになって帰ってこない… ヨセミテと言えば、アメリカの自然保護の発祥の地です。写真家アンセル・アダムスの美しいヨセミテ渓谷の写真を見に、サンフランシスコ市内まで、アンセル・アダムスミュージアムを見に行く人はどれだけいるのでしょうか?

レッドウッドの森は非常に美しく、サンフランシスコ近郊です。レイクタホでは、ハウスボートにお泊りして、バケーションを過ごすアメリカの平和な家族生活が垣間見れます。

そしてゴールデンゲートパーク!ヒッピームーブメントの聖地です。グレードフルデッドの集会があったのもGGPだったと記憶しています。

ああ~またサンフランシスコに住みたいなぁ… 6回も引っ越したので、町の中には詳しいです。

あ、話がそれました。何が言いたかったか?というと…

 チョークのメーカーはどれが効きがいいか…

みたいなことに終始している日本のクライマー男子が…超かすんで見えるよ~ということです。

伊藤貫先生が話しているのは、世界の大局… クライマーが話しているのは、ミクロもミクロのいいところ、岩場でどっちの粉が良く止るか… うーん。現実逃避って奴なのか、アドレナリン中毒って奴なのか…一体どっちなんだろうか…。

日本男児よ、頑張れ。少年よ、大志を抱け。大志ってのは、5.17を登ろう!っていうのではなくて、多くの人を救う!ってのが大志なんですよ。

だって、男性性、つまり、男らしさって、自分が大事に思う人を守れること、守れる強さにあるんですよ?

逆に、自分が助けてもらわないといけないお荷物、脅威になってどうする?

2024/12/28

【クライミング心理学】自己愛性パーソナリティ障害の人だらけのクライミング界…

【自己愛性パーソナリティ障害】自己愛性パーソナリティ障害的な人との関わり方は?【精神科医が9.5分で回答】

■ これはめちゃめちゃ役に立つ動画ですね!

小鹿野町を訴えた人は、たぶん、NPD(Narcistic personal Disorder)入っていますよね…だって岩ごと剥がれた場合、クライマーの自己責任の最たる事例だということくらい知っていますもんね、誰でも。

九州では、NPDの人についての学習機会になりました。

それまで、自分がクライマーとして成長すること以外全く興味がなかったからなぁ…。人の性格まで興味がなかった。しかし、実害をこうむれば、興味を持たざるをえませんよね。

男を立てる= 相手の手柄ではないことまで、手柄にしてあげる =ナルシスト育成文化

です。

■ 登れない俺は価値がない?

『人を伸ばす力 内発と自立のすすめ』 エドワード・L・デシによれば、

”もしある男性の自己価値感が、仕事に励んで財産を築くことに依存している場合、彼は仕事に自我関与しているのであり…” (P160)

とあります。

”もしある男性の自己価値感が、クライミングに励んでグレードを上げることに依存している場合、彼はクライミングに自我関与しているのであり…”

となりますよね? 

人は年を取れば、誰でも、前に登れたところが登れなくなります。その時に、登れる俺に、

自我関与

していると、”登れない俺”を受けいれられないことになり、「俺は〇〇を登ったクライマーだろ!」とか叫ぶように主張して、誰かお願いだから、俺を認めてくれー!!となってしまいます。

だから、すでに辛く設定されたグレードを適切にする、という客観的にみたら、 

 ”ただの修正”

が、

 なぬ~!

となるわけです。 グレード=俺 になっているから。

その執着心グレードが、5.9にあるってのが、痛い。時代錯誤感あります。プライドを持つべきグレードではない。 

”俺にとっては5.9”は、辞めなくてはいけませんが、同様に、”俺にとっては5.12”も同じdすよ。

自我関与というのは、不思議で、プライドをかけて〇〇を登るという風にするよりも、自我関与しないほうが、スキル自体が上がるという不思議なことになっています。

俺ってかっけー、見てくれ、この俺を!とカッコつけて登るより、カッコつけないで集中して登ったほうが、上手になるって意味です。

■ グレードは 俺、ではない

今ロクスノで、たけちゃんねるがグレードの整理問題を扱ってくれていますが…アレックス君も6年も前に指摘していましたが‥‥

もう、グレーディングがちゃんとしないと、初めて外岩に登る人に対して、危険で仕方ありません。

そんなんでは、日本の岩場を海外の人にツアーしてもらいたくても、海外の普通のクライマーは登れません。

グレードって、自分はこのグレードであれば、取りついてもいい、っていう目安

として働くのが正しい機能ですが、

 エゴの道具となってしまっており、目安として機能全くしなくなっている

のが日本のクライミング界…。

■ 不適切なボルト間隔 = ミニマムボルト違反

ついでに適切なボルト間隔も修正お願いします。特に初心者向けルート。

20m 5ピンって離れすぎって意味ですよ。

20m2ピンとか、頭悪いって言ったほうがいいような?

2ピン打つくらいなら、もうフリーソロルートにしたほうがいいと思います。どっちにしろ、落ちれないんだから、あるだけ無駄ってもんです。

■参考

自己愛をこじらせた人の対処法
https://youtu.be/mpX2Vi0PKTQ?si=GIkjixdWzHmA80fm



2024/12/27

【クライミング心理学】私にクライミングで起きたこと…精神分析

■ しつこく付きまとう…根拠なき、”守られていない感”

女性性が、未熟な男性性により、脅威にさらされている感、なのではないだろうか?

その守られていない感により、自分で自分を守ることはできるスキルも能力もあるにもかかわらず、何度も何度も、懲りずに、成熟した男性性を探してしまう…

しかし、その肝心の成熟した男性性が、どこにも見つけられない…という挫折感。

今日は、こんな夢を見た。

ーーーーーーーーーー

空港の夢だった。男性”たち”にモテて、唇にお別れのキスを求められた…が、「そういうのじゃなくて…こういうのにしない?」と反論して、チークに変更。

男性たちのことはテキトーにいなしたので、ロビーでそろそろ出る時間だからと、父を探したら、さっきまでいたところにいない!というので、携帯で探すんだが、携帯で名前が出てこないで焦りまくる…という夢だった。

ーーーーーーーーーー

つまり、私は崇拝者の男性に、恋人関係ではなく、”友人関係”を求めているという暗喩だろう…

そして、父を探すが父が頼りにならない。父性を探しても得られない…テクニカルな事情で、という暗示、なのではないだろうか。

私は確実に言えることは、大体年配の男性は、全部、男性ではなく、お父ちゃん、性的な存在には全く見えないってことだ。年下の男性も同じ。素敵ね~、寝たいわーってなる?ならんよなぁ…。まぁ、おじさんたち…おじいさんの年齢でも…から見たら、74歳から見たら、49歳でもぴちぴちギャルって言われましたが…。

その辺が、パパ臭い!あっち行って!とかいう娘として、女性としての発達”あるある”を経験することなく、成人したので… 私の中では、

  年配の男性=大体は親切なおじちゃん化

しているのが問題なのではないだろうか・・・?というのは、アメリカでも、カフェで食事していたら、隣の男性が話しかけてきたので、?と思ってテキトーに返事していたら、周りのアメリカ人が、「この男性は卑猥なことを言っているんだよ」とか教えてくれたことがあるからだ。英語力がなくて、いまいちなんかよくわからなかったので、日本人らしく礼儀正しくしていただけなのだが。

自分が豊かに女性性を持っているときに、それを素晴らしいと賛美してくれる男性たちのうち、

 恋人にしたがる人→ お断り 父親役になって盾になってくれる人→募集中

みたいなことになっているのかもしれない…。

■ 過去の経験

成熟している男性性を持った存在として父親を頼るが、頼れない感。

 パパ―!と頼る赤ちゃん → 未熟な男性性により、溺死させかけられた

 ビレイして~!と頼る新人クライマーの私 → 未熟な新人クライマーは私を落とすので、別の成熟したベテランを頼るが、なんと頼れない… 

 ビレイして~と頼る私 → 女性クライマーは頼れた。たぐり落ちも、停めてくれた

 一緒に登ろう~と対等の関係性で年下男子とマルチに行くが…→ 弟格の先輩、つまり先輩だけど年下。でも頼れない…。ロープがアップされない。結局、彼のしりぬぐいクライミングをすることになった姉のワタクシ…。

■ モテがあだに

たぶん…私はクライミング界で、どちらかというと、モテモテだったのです…。

しかし…、そのモテと同程度に魅力的な相手がいなかった上、対等の関係性として見たときも、対等に返礼してもらえなかった… 私がスキルや資源リソースを出す一方でした。

私がふくらはぎの肉離れを起こした岸良のクラックは、私の車で行き、運転も私で、相方はただ座っているだけでした…。そんなお手盛りクライミング旅行で、怪我をしたのに、何にもしてもらえなかった、パートナーとしての”最低限の保険”にすらなってもらえなかったのです…。無能というか、高齢化でしょう…

同じ岸良へリベンジに行きましたが、その時、3人も、4人も、男性メンバーはいましたが、どの人も、私にビレイを申し出ず。1本も登ることなく、その地を去る羽目になりました。最も長くコンビを組んでいた男性クライマーは、私を捨てました。重大な裏切り行為をしたと彼も自覚があったようで、焦った調子で、のぼってやってもいい、みたいなことを言っていました。そういう言い方が、せいぜい彼ができる精いっぱいなのだ…と失望し、こんな奴ならいらねーと思いました。私はパートナーとして、彼にしてやれる最大級のリスペクトを与えて、しりぬぐいでしかないフォローもやってあげた(白亜スラブ)ので、そのお礼はないって意味でした。

その後、さらに泥を塗るかのように、貸したものを返さない、などのかなり失礼な事件が起こりました…いや~人間性の卑しさがにじみ出ているようなセリフを多数彼は吐きました。

そうしたことは、投影なのかもしれません。あるいは先祖が私を守るために彼を遠ざけようとしているとか…

女性のクライミングパートナー候補で、未熟な女性性を出してきた人…甲府時代は何人も女性で組みたがっている人が来ましたが…とは、ジムで登った後、うーん?と思案して、一緒には登れない、と判断して全部お断りしてきました…。正解でした。

■ 性格の弱さはリスクです

福岡でも、クライマー女性も同じでした…。今、クライミングガイドになっているア〇さんも、そもそもリスク管理ができていないと感じたのです。一緒に登ると、巻き込まれ事故になりそうで、お断り。三倉に行ったとき、事情を分かっていない男性クライマーが私と彼女を引き合わせようとしましたが、えー?やだよーって感じでした…。彼女の狙いは私のカムではないか?と思っていました(笑)。九州では人のギアで登るのがNG判定されていない。

それに、どういうクライミング内容の人なのか、すでに知っていました。着ているウエアがパタゴニアでシャイン割引きで買えると自慢するような…え?!な感じの幼稚な態度だったので、なんか感情面で反応している…と思って、リスクを感じました。嫉妬や負けん気などの、初歩的な感情で動かされているような未熟な人格だと、クライミングでリスクになる…

師匠の青ちゃんが、韓国で、韓国人クライマーに「日本人クライマーは登り方がダサい」と言われただけで、躍起になって、普段の登り方を変え、墜落して10m。かかとを骨折していました… そんな奴ほっとけばいいのに。それに日本人クライマーは、って…自分のこととなぜ思うのでしょう?

同じことで、知性があっても、性格が弱ければ、リスクになるのです。

■ 裏切られ経験を積んでいるところ

男性のクライミングパートナー候補は、大体、年下男性が多く、弟って感じですが‥頼りにしても裏切られた…という経験になった。

九州でのクライミングは、

 父親は、もはや頼りにならずもうろくしており =山岳会は高齢化で当てにできず

 弟は、そもそも頭が悪すぎて頼りにならない =若手の会は自分より頼りない…

…という挫折経験になった。

■ 私の中のインナーチャイルド

私の中のインナーチャイルドは、「パパ―(><)!助けて―!!」と泣いている、3歳以下の幼児の女の子の子供なのでしょう…

だから、年配の相方が、山に同行したときに、ご飯を作ってくれると… 

なんかときめきを感じました(笑)。

山でのご飯なんて、自分でも作れるし、対等の関係でいるだけの能力自体はあるのですが…

作ってくれると嬉しい☆みたいな感じでした。

■ まとめ

いや~ほんと、えらい目に遭ったよな~

まだ、ドラマに引きずり込まれる感は終わっていません…

今も、ドラマ真っ最中な気がします…。私はどうしたら、本来の自分を取り戻せるのでしょうか?

これは、7年前のものですが、私の人生で数少ない自分を取り戻した瞬間(抑圧がない状態)に、ニュージーランド人のエマがハッとして、わざわざカメラを取りに行き、大急ぎで、取ってくれたものです。


これが本来の私なのです… この私を私は救おうとしているのです。服も高価なものは着ておらず、ニコニコしているでしょう。クライミングすらしていません。でかい葉っぱを持っているだけ。豪華な宿に泊まっているわけでもないです。

なぜ、こんなささやかな幸せを得ることがこんなにも難しいのでしょう???

2024/12/25

【クライミング心理学】未熟な男性性 と 日本クライミング教育の教育レベルをどこにするか?問題

■ なかなか心理的なドラマを抜けられない…

うーん。私は一体、九州には何をしに来たのだろうか?

九州では、クライミングの相方のA木のアホさに呆れさせられる結果となった…。

お前は25+35も計算できないのか…その程度の知性のせいで、私たちは二人で一個のボルトに仲良く、ぶら下がる羽目になったのか…と心底、呆れさせられた。

さらには、そのことの反省が、「やっぱロープは60でしょ」の発言で、物事を正しく見る力もない、反省力もないことが分かった。もう、目も当てられない…。

さらに悪かったのは、このせいで、言語獲得以前に、父親にプールに突き落とされたフラッシュバックが蘇るようになったことだ…。

さらに追い打ちをかけるように、「〇〇さん(私のこと)は、A木と登れよ」と上級のクライマー、〇ボ―さんに言われてショック…

”お前にはこの程度の男で十分だろ”と、価値を下げられた気がしました…。いや~。そんなに素敵な奴だったんなら、〇ボーさんが奴と一緒に登ればいいと思いました。

…っていうか、登ってやってください。彼を男にしてやってよ。

■ 繰り返し…再演

”思慮の浅い男性に、命の危険にさらされて、一命を危うく取りとめる”…ということが、A木さんとのクライミングで、人生で3度目だったのです。

一度目は言語獲得前の赤ちゃんの時に、父親に水に落とされ、溺死しかける。2度目は、ビレイがダメなクライマーに墜落を停めてもらえず頭を縫う、3度目は、この件です。

もう、いい加減学べよ、みたいな感じですね。

■ 一回目 成功体験へ昇華

一回目は、言語能力獲得以前なので、私の記憶からは抹消され、何か理由は分からないけど、学校のプールの授業から逃げ回っていました…。例えば、プールの授業で自分が飛び込む番になるとトイレに行って、列の最後尾に並び、それを繰り返すと泳がないでいいというものです。たぶん、恐怖に顔が引きつっていたので、先生も何も言わなかった(笑)。

後は母にスイミングクラブに入部させられそうになり、行ってきたことにして、公園で頭を水でぬらして、ただいまーと帰ってきたことがありました。無言で受け入れてもらえました。仕方がないです。なんせ、下を向いて髪が洗えるようになるまで、8歳までかかりました…。ある日突然、下を向いても平気になり、一人で髪が洗えるようになったけど…。心の発達はどういう風に行われるのか?不思議ですね。

水泳の先生によると、溺れかけた人は、大人でもその回復にはかなり手こずるのだそうです。たしかに私も水中で目を開けている、というだけに2,3レッスンかかりました。なんか目をぎゅっと閉じている瞬間があり、前の人にぶつかったり… もうターンはあきらめモードです。

私にとってはバタフライが、転換点でした…。バタフライってドルフィンキックでしょう?あれで、イルカとびというドリルをするのですが…深く潜って、浮き出るときに浮力を感じます。あの浮力が、大丈夫、浮く、という感覚につながりました。だから、潜ったらよかったのです。でも、それができないから、怖いわけですよね。1mみたいな水深のプールが必要なのは、このためです。いったんできるようになったら、1mの水深でも、3mの水深でも、あるいは海でも、やることは同じです。ですから今は3mでも泳げるわけ。

これは、女性の指導者の下で泳いで、成功体験になりました。今では、みんなが羨ましく見て来る側です。

■ 2回目 中根さんの講習会に参加して昇華

2度目の事件は、兜岩で、はじめの一歩という課題で落ちたとき、きちんとビレイの保険が働かず、頭を7針縫ったということです。

この事件は、クライマー中で話題になり、みんなの知るところです。私は当時まだ初心者のクライマーで、5.12登れるという自己申告するくらいのクライマーなら、当然ビレイも習得済みの人である、と想定していました。そうではなかったのです。

しかも、「初めの一歩」という課題は、すでにリードして4度目だったので、飽きている課題であり、その時、ふと色気を出して、いつも左に行くけど、右に行ったらどうなるのかな?と思ってしまったのです。これはアルパインクライマーあるあるです。何か冒険、新しい要素がないと、つまらないと思ってしまうのです。

しかし、相手が悪かった。いつも一緒に登っているベテランではありませんでした。しかも、その彼、ちょっと発達障害チックでした。

間が悪いことにヘルメットもその時に限って被っていなかったのです。いつも被っているのに。

自分に過信があった?いや、過信があったにしても、私はすでに1ピン目を取った後だったので、落ちたクライマーをキャッチするのは、ビレイヤーの責任です。逆の立場だったら、私は身を挺してでも、クライマーの墜落を停め、怪我をさせるにしても最小限にすることができたでしょう…。しかし、相手は、自分と同じ能力はない。

これは救急車に登山口に来てもらい、病院直行で、いわばは血塗られた岩場となりました。

頭だったので、結構、出血しましたが…切っただけでホッチキスで終わりました。次の日は、楽しみにしていた、中根穂高さんのボルダリングの講習会だったので、頭を切った翌日でしたが、登りに行きました。これは、負けてはいけない!という感じがありました。

岩場では、6級でちょっとしたマントルがある課題があり、それはみんなに、あれ?登れそうなのになぜ登らないの?と言われましたが、とりあえず、マントル落ちは避けたいというので、登りませんでしたが、怪我の影響はそのくらいでした。

ので、落ちて頭を縫ったことも、否定的経験にせずに終わりました。

■ 未熟な男性性=ビレイヤー君

このビレイヤーは、後日、全く反省力がないことが判明しました。

ジムで、私を落とした日に居合わせた女性クライマーを私に紹介してほしいと言うのです。私を落とした奴を?あなたの彼氏にどうお?って?紹介できるはずがないだろ!アホ!と一蹴しました。全く自分の立場を理解していないことが判明。

その後、このクライマーは誰とも登ってくれる人がいないので、世界一流のギリギリボーイズのクライマーが拾ってやることになるという… もう、ごね得のクライミング界。クライミング界は本当に心優しい業界です。

私がアイスクライミングで登っているときに、お付き合いクライミングに来てくれたのは、こういうつながりです。

もう、前世でも同じことやっていたに違いない…。なんか因縁を感じますよね。

■ 3回目  知性の欠如

そして、3回目は、例の白亜スラブでの登攀です。

いい加減、ちゃんと教訓を覚えていなさい、という天の声に違いありません。

私は、早くに弟を亡くしました。私自身は26歳、弟は24歳での死でした。その弟には、彼が亡くなるまでの8年間、18歳から一度も会っていませんでした…。理由は、母からの自立が私にとってはかなり重荷だったためです。なんせ、弟と妹に進学にかかる原資…つまり、お金を譲るために、私自身は、夜学で、しかも、全生活を自分でねん出して、進学したのです。

いくら国立大学の学生寮が安くても、学生は学生です。学生アルバイトのお給料は最低賃金。その中から、学費と生活費を出すわけですから…。めちゃ大変です。なので、帰省するお金もなかったのです。

弟が死んだとき、お葬式に急遽、熊本に帰りましたが、飛行機片道5万円でした。クレジットカードで払いました。ラオスにクライミングに行ったら、トータル9万円でおつり来ますよ。そんな風に国内の運賃が激高なのです。これは、自民党の支配のためです。余談ですが。アメリカでは、ガソリン代が日本の4分の1で、サンフランシスコから関空の格安航空券が5万円でした。日本人の市民が一般的にどれだけぼられているか?ってことです。

そのぼられ具合を跳ね返すだけの力強さは、勤労学生の私にはまだなかったんですねぇ…。

だから、私の中の弟の顔は16歳の弟の顔のままで、死に顔は別人の顔のようでした。

■ 未熟な男性性への、未解決の強烈な怒り

さて、このように、何度も未熟な男性に命を取られかねない羽目に陥らされているワタクシ・・

南ユウタさんのカウンセリングで、父への手紙を書きました。

怒っている。絶対、許さない。という以外に、父への…というか、師匠だった青ちゃんへの愛憎が含まれる内容でした。師匠の青ちゃんというより、

 ”ちゃんとクライミングを教えていない日本クライミング界全般”、

 ”ペテラン”

を含め、

 ”すべてのベテランクライマーに対する、こんな幼稚な世界にしやがって、という怒り”

が込められていました。

大体、ペテランの方って、新人と自分を比べて、俺だってまだまだイケてるなーとやっていますよね? なんで40年登ってて、1年しか登ってない新人と自分を比べるのか謎。比べる相手が低すぎ。比べるなら、同じ40年選手と比べるもの、でしょう。要するに父性が育っていないのです。

父性というのは、男性性にアダルト自我である理性が加わってできるものです。

他者を養育する力=父性が育っていなくて、男性性があるというのは、どういうことか?と言いますと、未熟な男性性だけがある男性、ってことです。

■ 未熟な男性性とは?

 支配性
 自己中
 切り捨て
 自己愛 
 命知らず

です。どうです?ナルシストそっくり。ちなみに、これらは、

 自己主張
 自分を優先する
 自立
 決断力

の行き過ぎです。

いくら決断力があっても、根底に知性がなければ、ただの無謀になってしまいますよね?

例えば、こんな感じ…。
ーーーーーーーーーーーーーー
「よし!4ピッチ目、制覇!

 (このピッチは簡単だったな…いいや、次のピッチもつなげて登っちゃえ!)」
ーーーーーーーーーーーーーー

理性(この場合、単純な知性でもいいかもですが)が育っていると?

ーーーーーーーーーーーー
「よし!4ピッチ目、制覇!

(このピッチは簡単だったな…次のピッチもつなげて登ろうか?

いや、まてよ?50mシングルで来ているんだっけ?

あとロープ何メートル残っているんだ?50ー25だから…25mか。

ん?まてよ、次のピッチの長さはなんだったっけ?

うーん、覚えていない…。

25m以下である可能性は低いよな?

だとすると足りなくなるぞ。行くか?いや、辞めておくのがここでは確実だ…」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー

となるはずなのです。知性というかね、もう日本人なら算数で習うレベルのことなので…。

こういう発想にならなかったというのは、アルパインルートで、リード慣れしていない、って意味でしょう…

まぁ、慣れていなくても、初見でもロープ長くらい計算しながら登っていますけどね。

教訓:アルパインのルートに出るクライマーにはロープ長を計算させろ

■ 普段から、リードしてない?

要するに、普段から、

 ザイルを伸ばす

という”経験値”が、不足していたってことですね。 っていうか、私ですら、これくらいのことは考えながら、リードしているというか、”ザイルを伸ばしている”ので、私より経験値が低かったのかもしれませんが…。

”経験値”、ではなくて、”クライミングのグレード”、で言えば、彼がリードするのが適切かもしれませんが、こんなリード内容では、パーティ全体をリスクに陥れることになるのです。客観的事実として。

まとめると

    経験値 グレード
相方  低い  高い
当方  高い  低い

という組み合わせになり、お互いにLOSE:LOSEの関係になります。相方がリードすれば、経験値が低いことによって、パーティ全体のリスクが高くなり、私がリードすれば、グレードが低いことによって、相方は楽しく登り損ねるというわけです。クライミングは自分のレベルに合っていないと楽しくないので。

ということになって、パーティは組まないほうがいいと思います。

■ 女性性を”利用”された

こうしたクライマーの関係性の中では、私は、自分の養育的な資質…その養育的資質は、弟の死の悲嘆が済んでいないことからの罪悪感から来ていそうなのですが…

ナルシスト男性に、その資質を、”ちゃっかり”利用された…と思っています。

一緒にいる段階から、ちゃっかり感がかなり強くありました。なんか、相手に都合が良いことばかりになっているなぁ…というか‥。

そこには、俺らの活動に混ぜてやるよ、という傲慢さがあったと思います。

私はなぜ普段強い男性性、指摘する力、が弱かったのかなぁ…。自信がない、というのは、登攀グレードに対する自信、かもしれません。私なんて登れないんで…みたいな?

ここは改善しないといけません。

■ 傲慢さの中に優しさも

しかし、アラーキーがただ傲慢な奴だったかというと、クライミングに混ぜてやるよ、という気持ちの中には、優しさもあったともいます。

親戚の子を遊びの輪に入れてやるような感じというか…。

私は、どちらかというとワイワイ登るよりも、1対1でしっとりとしたパートナーシップの中で登るほうが好きですので、ちょっとタイプ的に合わないというのは、最初からありましたが、向こうからすると、女性は誰も一緒には登ってくれないという事情があったんではないかなぁ… 私からすると気の毒な人、って感じでした。パートナーに困っていそうでした。
 
なんせ、小さい男の子をベビーシッターする時みたいに、あれや、これやとリスクを指摘してやらないといけないので、初心者の女性だったら、女性の側がまだ面倒見てもらいたい側なんだから、というので、普通はベテランと登るほうが魅力的です。

優しいんだけど、優しさが見当違いだったりしたんですよね、元・相方。

それは、たぶん、失礼かもしれませんが、純粋に知性が低いから、みたいな気がする。そういう人が自衛隊の人で、前にいた山岳会にもいました。頭が悪いと頭が悪いこと自体に気が付けない…。その人は自分で気が付いていました。ビレイの習得に対してでしたが。

相方の優しさ、は、みそっかすの、仲間の輪に入れないでいる、男子に対する優しさで、女性から見ると、そんなの優しいにカウントされない、みたいな感じもしました。

僕がリードしてあげるよ~って言われても、その優しさの見返りが、あなたの命、俺にください、では、割に合わないからです(笑)。

私の立場で学習すべきことは、誰にでも彼にでも同情してはいけない、ということです。

頭が悪い人には、しっかり算数ができていない欠点を、相手がきちんと理解できる、分かるまでかみ砕いて解説しないといけない、という経験になりました。

■ 個人の取り組みでは限界

しかし、これは、私個人の取り組みで解決できるような問題ではなく、登山界・クライミング界全体で取り組まないといけない問題である、と思います。

教育の不在、と、どのレベルから教えないといけないか?という基準、という意味です。

25+35が計算できていなかった相方は、日本の平均的な知性と思います。偏差値74ではないです。だから、一億総大卒という時代になったら、山に行く前に、25mのピッチを登った後、ピッチを切らないとロープが足りなくなるよ、ということは、あらかじめ予習で教えないと分からない、というのが日本の真実の姿、なのです。

一方で、私は私で個人的に自己成長の道を歩みたいと思います。

■ 投影は続くよ、永遠に…

彼のことは、頭が悪かった弟と重ねていましたが、弟ではなく、父でした…

私は、赤ちゃんとして、子供として、娘として、

 未熟な男性性によって深い傷を負った女性

ということになります。一体全体、これは、

 未熟な男性性への復讐劇

なのだろうか? 

だとしたら、これは山梨時代から延々と続いており、フィナーレが彼だっただけで、Mさん、Nさん、S田さん、Wさん、クマちゃん、青ちゃん、と連続多発事件的なんですが…

事例は、子供6人いるから俺可哀そう、5.11ジムで登れるからバットレス四尾根、俺だって佐藤ユースケ、などなど・・・誰が聞いたり見てたりしても、

 えー?!

って思う内容のやつ…

ダメ男性 ひきつけているような?つまり投影?ということで、それがそうだとすると、これは私の内部で、抑圧した部分(子供自我)が、相手に投影されているってわけなので、その抑圧を開放しない限り、永遠に続くのだそうです…

一体、私は、何を抑圧しているんだろうか?

全く分かりません。抑圧は板につきすぎて、普通のことになっている。

2024/12/23

【クライミング心理学】自分のニーズの掘り下げ

■精神的サポートが必要

クライミングによる地域おこし活動をこのまま進めていくにあたって、私に必要なのは、

 精神的サポート

なのですが、それを得られるべき相手=夫からは得られない(理由:夫はクライマーではない)

…新人クライマーとして頼るべき相手(ベテラン)が頼りにならない、という九州は、なんか私の父娘関係を再演しているかのような経験でした。

  頼るべき相手に頼れるどころか、逆に殺されかけている、

という関係性です。

=父親と赤ちゃんの娘だった私の関係 (父娘関係)

ニアイコール クライミングパートナーと私の関係 (本来は対等であるべき)

ニアイコール 九州のペテランクライマー勢と私の関係(上下関係)

と類似して感じられています。

本来、クライミングのパートナーシップは、父娘関係のように一方的にサポートを受け取るという関係ではなく、普通に互いに支え合う関係だけどなぁ。

なぜか逆に、一方的に私が支える事になってしまっている…

■ 正常な判断ができる状態にまずもっていくのが大事…

私の発達した理性は、かなり戻っては来ているのですが…

まだまだ 戦いに、正常な判断ができる状態にないので、判断自体が保留になると?

停滞。

というメカニズムが働いています。

■ Vulnable

どうも、私自身が、Vulnarable な自己(私は弱い)という父との関係性での自己イメージが湧くことが、原因のような気がします。

私は全く弱くはない。

なのに、

  ”赤ちゃんの時の自己”

が出てくるってことですね。泳げないえーん(><)となる。

 だから、〇〇されたという表現になる。

例えば、白亜スラブで、25+35も計算できないで60シングルなら次回は大丈夫という反省の仕方をしてしまうのは、私のミスか?というと、一般的な小学生レベルの算数の課題なので、ここまで私がミスを救うべきだったか?というと、疑問だと思います。山行計画を立てるときに、前提として、トポを当然見ているはずだ、と考えるのは、一般的な期待、で、過剰な期待、とは言えない。

祝子川に2名で沢登り行ってらっしゃいというアドバイスも、私は受け入れなかったことが成功体験ということに、あとで事故死された女性が出たことで、結論付けられました。この事故の女性犠牲者に私がなっていてもおかしくなかったのに、ならなかった。

つまり、私自身が自分を守る力は、きちんとある、ということです。

海外で数年暮らしたことがありますが、まぁ、海外は、あからさまな詐欺だらけです。家賃を二回請求するなどは、ごく普通です。自己防衛力が必要。

九州での経験は、その力が十分ある、という証明にはなったかもしれませんよね。

■ 恐怖が原因みたいな?

一方的に受けいれるしかない、傷つきやすい自己、無力な自己、という自己観念ができてしまうトリガーは、恐怖、のような気がします。赤ちゃんは無力だから。恐怖=泣き叫ぶ、ということができればいいわけですが…。

正常な大人の恐怖に対する反応は、怖い、と声に出して言うことでしょう。

これが、言えない空気感…というのが、九州クライミング界の最大の欠点でしょう。

なぜなら、クライミングにおいて恐怖というのは大事なナビゲーションスキルだからです。

■ クライミングライフにおいて身に着けるべき能力

クライミング力とは? (ムーブの解決力) + (ロープワーク)です。

それだけでは、ルートには出れず、加えて

 (ナビゲーションスキル)=(読図) + (ルートファインディング能力)

 (危険予知による危険回避スキル)

 (野外のでの生活スキル)

の3つが必要です。

海外に行くには、加えて、(海外旅行を企画立案するスキル)に、(インターネットで調べ物をするスキル)が必要です。これは、旅行コンシェルジェという立派な職業スキルです。

ただであげなかったら、ケチ、と言われたみたいな感じの経験になっています。

■ どうすれば、エンパワメントされるのか?

赤ちゃんの私にエンパワメントするイメージワークを行えばいいのかなぁ…。

かんがえてみると、赤ちゃんの時、父に殺されかけたときは、母がその後何年もかけて、水が怖くて頭が洗えない娘を、しかたないね、と我慢強く辛抱して、寝かせて頭を洗ってくれ、その後、ある日突然、頭は自分で洗えるようになったのです。

水恐怖症は大人時代の後半に解決する課題となり、48歳で解決しましたが、解決には女性の母性溢れる人たちのお世話になった。80代のおばあちゃん先生でした。

…というわけで、

 (未熟な男性性に痛めつけられた傷)を(成熟した女性性)で癒すというメカニズム

になっています。



■ 未熟な男性性への恐怖心の克服が課題

今の私に必要なのは、成熟した人たち、です。

クライミングによる地域おこし、の活動で、出会いがちなのは、精神的に非常に未熟な未成熟者が多いのです… それが私が躊躇する理由です。

無責任で自分さえよければいい!というパワーをはねのける、自分の心的パワーが十分あるかどうか?が、不安な要素です。

というので、成熟、という面で、対等にサポートになってくれる人がいたらうれしい…

私は私の我慢力による、困難の乗り越えはもう嫌なのです。

私についている重石は、我慢による愛、です。

なんとセックスを断ったら、我慢しろ!といってきたんですからね… 嫌なもんはいやです。

https://youtu.be/CORrAGug2Qo?si=YD6L1JIWDLrKMkAg


2024/12/15

【クライミング心理学】カープマントライアングルに陥っていますね…

■ 山岳会衰退の理由=山岳会が陥っていた仕組み

こちらのカープマントライアングルの解説の引用より、

用語の置き換えにて、ケースを検討しています。

https://www.balancedgrowth.co.jp/column/dramatriangle.php

ドラマを演じている状況は慣れ親しんだ場所。1次プロセスです。ここは居心地の良い場所です。

ドラマを演じている場所 → 山岳会

迫害者(=山岳会・先輩)はパワーを駆使して犠牲者(新人・後輩・未組織登山者)を下に落とし込むことで、自分の存在意義を確認でき、自尊心を満たします。

救済者(=山岳会・先輩・あるいは登山ガイド、クライミングガイド)は正義の味方として振る舞う自分にOKを出すことができます。

犠牲者(=山岳会・新人・後輩)は、救済者(=山岳会・先輩・あるいは登山ガイド、クライミングガイド)から気づかってもらえますし、ダメ人間を演じつづければ本質的な努力をしないで済むメリットがあります。

そして、3つの役割全てに言えることは、

   オープンな本当のコミュニケーションを避けることができます。

本当の自分を勇気をもって見つめ、それに従って他者との意思疎通を行うのは、大変なエネルギーを必要とします。

一方で、ドラマトライアングルのどれかの役割を演じるのは、とても楽なことです。

これらの沢山のメリット、すなわち:

・慣れている

・相手に能力がないことで自分の能力が相対的に高く見え、自尊心を満たせる

・正義の味方になれる

・本当の努力をしないで済む

・本当のコミュニケーションを避ける

・エネルギーが節約できる

を手放すことがエッジとなり、多くの場合はドラマを継続してしまう(1次プロセスに留まりつづける)ことになります。

一方で、ドラマを演じ続けてはいけないことは、多くの人たちが薄々は気が付いています。そこから現れ出ようとしている2次プロセスとは何でしょうか。

今までは、逃げていた(避けていた)「本当の自分に向きあうこと」が始まります。

■ ここまで読んで、登山界、クライミング界の課題は何か?

・本当の自分に向き合うこと

=山岳会自体のレベル低下

=アルパインルートの荒廃

=クライミング教育の不在

=しょうもない事故の多発

=トンデモボルトなどのその他、不祥事

■ 王様は裸だ!

という役目がワタクシに…(涙)

ああ、大変でした…。

日本人は勤勉ですから、取り組みさえスタートすれば、あっという間に治りそうですけど!

■ 解消法 エンプティチェア療法

相手の立場に立ってみるという心理療法です。

各自に「なぜそのロールをとっているのか?」について考え、気づいてもらう

ここでは、自分以外のロールをとってワークしてみることが有効です。「被害者の椅子」「迫害者の机」といった具合に、3つの異なる場所を明確に定め、その間を当人たちに動いてもらうことが必須です。以下のような気づきが起きるでしょう。

 <今まで新人・未組織登山者・後輩だった人>

山岳会の先輩(クライミング上位組織)のロールをとると:楽でパワフルだ。事故は、全部新人のせい(=自己責任)にすればよいのだ。

(先輩、登山ガイド・クライミングガイド)ロールをとると:楽だ。良い人になって心地よい

 <今まで山岳会や先輩だった人>

新人・未組織登山者・後輩 ロールをとると:こんなに窮屈なのか。想像もしてなかった。頭が真っ白だ。

先輩・クライミングガイドなどのロールをとると:山岳会・先輩の人は怖い。この役割は安全だ。心地よい

 <今まで先輩・クライミングガイド、登山ガイドだった人>

新人・後輩・未組織登山者ロールをとると:予想していたけど、それ以上につらい。

山岳会・先輩、上位山岳団体ロールをとると:パワフルだけど、うしろめたい。

… 今まで放置プレイだったので、権力がある人が後ろめたいのは、正当な感じ方のような気がしますけどね。

こんな日本に誰がした?若い人のせいじゃないよ?みたいな…



2024/12/12

【クライミング心理学】 説明し続けようとする心理にハマっていました…

■ 以下抜粋

もう、ほんとにこれですね。

 なんど、優しく、丁寧に、言っても、”ナルシストやボーダーの人には”、分からない、のです。

ナルシストやボーダーではないクライマーと言うのは、現代では少数派なのです…

ーーーーーーーーー
いのち軸で自己肯定感を育む
心理カウンセラーの南ユウタです。

ナルシシストやボーダーラインの人の考え方や行動は、非論理的で利己的なことがよくあります。

感情的に未熟ですので、「子どもっぽい」ところがあります。

健康な人なら、ナルシシストやボーダーラインの人とかかわることがあっても、そうした子どもっぽさに対して怒ったり、困った顔をしてため息をついたりして、最終的には離れていきます。

でも、ケアテイカーの人は違いますよね。

ナルシシストやボーダーラインの人の非論理的な言い分に対して、

論理的に説得をしようとしていませんか?

「正してあげなきゃ」と思ってしまいませんか?

そして、長いことそういう

「何回も言って聞かせても、同じことをくり返される」

パターンを繰り返していませんか?

実は、それもナルシシストやボーダーラインの人と

ケアテイカーさん

の間ではよくある

「罠」

です。

加害者、被害者、救済者の3つの役割をくり返して抜けられなくなる「人間関係の昼ドラ」にハマる罠です。

僕も、高校生や大学生の頃、相当な時間とエネルギーをそういうことに費やしていました。

当時は言葉にしていませんでしたが、

「もし、僕が論理的に説明してあげて、わからせてあげられたら、もうこんな風にはしないはずだ。」

と信じていたのですよね。

あなたも、そんな風に信じていませんか?

実際には、ナルシシストやボーダーラインの人の思考回路の大きな特徴は

「ランダム性」

だと言われています。

論理的に考えられる時もあるけれど、非論理的な時も多くあります。

「そんなこと、普通の人でも同じじゃないか」と、思う人もいらっしゃるかもしれませんが、ナルシシストやボーダーラインの人の思考回路のランダム性は、そんなにかわいいものじゃありません。

非ナルシシストや非ボーダーラインの人なら、非論理的に考えふるまった後に、「あっ、これはまずかったかな」と気づく確率が高いですよね。

さらに、自分のふるまいが相手をどんな気持ちにさせたのか、想像がつきやすいです。

「私のあの時の言動は、きっとあなたを傷つけ、不快な気持ちにさせたよね」

みたいに考え直し、謝罪したり、関係を修復しようと努力できます。

ところが、ナルシシストやボーダーラインの人は、これがとっても苦手なのです。

また、思考の特徴として「自分を中心にしか考えられない」というものが出やすいです(いつもではないですが)。

こういう時のナルシシストやボーダーラインの人は、「論理でもの考える」のではなく

「感情でものを考える」のです。

だから、どうしても被害的に受け取ってしまうこともあります。

そんな状態の人に、論理的になるよう説得をしながら絡み続けると、

救世主のポジションに知らないうちにハマっていくのです。

そもそも、救世主を求めている段階や、救世主を実際にそばに置いているナルシシストやボーダーラインの人は、セラピーや心理治療の場にほとんど現れないです。

「自分で自分をよくしよう」とセラピーの主人公になっていないナルシシストやボーダーラインの人を、説得するのは無理があるし、原理的に不可能です。

ーーーーーーーーーーーーー

【クライミング心理学】4年の心理的苦悩のまとめ 1

■ 裏切りの傷

言語能力を獲得する以前に、父親にプールにつき落とされた。これが、クライミングでフラッシュバック(映像)で蘇るようになった。

この被・虐待経験が、

 子供時代の異様な水恐怖症の原因だ、

と分かった。 その頃、別の良いほうの友人たちから、ラオスに誘ってもらったんだが、出かけていくことができなかった。

その

  裏切りの傷

が目覚めたころだったためだ…。普段なら、ホイホイ出かけていくところだったが、「これは、要注意だ、誰が良い人で誰が悪い奴か、私には判別能力が足りていないのかもしれん…」と過剰警戒、が起きてしまったのらしい。その時は過剰警戒とは思っていなかったが。自分で自分が信頼できなくなることをガスライティングというのだが、なぜそれが起きたのか?

心理学を勉強して分かった。

ーーーーーーーーー

過覚醒(hypervigilance)として表面化する。

過覚醒とは、危害を加えられたり、拒絶されたりすることをあらゆる場面で想像し、いつも警戒状態にあることだ

ーーーーーーーーー https://forbesjapan.com/articles/detail/69882 より引用

普通に安全安心の良いクライマー(ヒロさん)に誘われていたのに、なんか用心が勝って、そして、出かけていくことができなかった…。その間に萩原さんは亡くなってしまった…。

… という

  機会喪失体験

になった前回のラオス…。 今回、足首は、全快じゃない。けれど、今回も、行けば行ったで、楽しく過ごせるだろう、なんせ行くだけで、外国であれば、どこでも楽しめるのが私なのだから…とは思うので、行くほうがいいのかなぁ…。思案中。

行くなら、今すぐ行動を起こさねばならんので、早く考えをまとめたほうがいい…。

■ 鬱の諸症状

考えをまとめようとすると… なんか脳がビジー状態…(鬱の症状)で、考えがまとまらないという問題が。書くとまとまるので、書いてまとめようとしているんだが… 書くにも体力が必要で、体力そのものを喪失しつつあった。

最近の発見は、絵を描いていれば、ビジーが収まり、考えがまとまるらしい…ということ。

あとは、散歩。散歩は、私は子供のころから、その辺をほっつき歩いて気晴らしする子供でした…。田んぼのあぜ道を良く歩いていた。

…というので、しょっちゅう、散歩に出ないといけないのです。

散歩=マインドフルネス。散歩で脳内ゴミがすっきりすると、大体

 ひらめき

という形で、考えがまとまります。このひらめきをどう起こすか?が核心みたいな感じ。

それでネパールへ歩きを目的にして行こうかなと思っています。超ロングを歩かないと、だめなんですよね… 例えば一週間以上、毎日8時間歩くと癒されます。

■ 一人で海外をほっつき歩く

昨日は、ジムで、ラオスの話したら… ジムのお姉さんですら、

 一回目は誰かについてきてほしい…

と思うそうでした。そうか~。1回目から現地集合というのは、普通の人には難しいということですね。

ちなみに、私は一回目から現地集合ですが。というか、初めて行ったパリでも一人で行きましたけど…。

さらに、その次の台湾は、1回目からラオスで知り合った外国人と現地集合。

こっちのほうが世界標準って意味です。

日本人の大多数がどうも持っているらしい、未知への恐怖症…にあまり縛られていないのが私なのです。それは、子供時代から、近所のおじちゃんやおばちゃんに助けられて、それが良い思い出だからです。

私の親友だったサー君のお母さん、パンツまでお古くれました。履かなかったけど(笑)。

他人は温かい。家族は無理難題を押し付けてくる。そんな原体験を持っています。

■ 地球家族

クライミングの良いところは、こういう感じで、

 世界中の仲間が地球家族化できること

だと思います。しかし、私たちは家族ね♪と思っているくらいな人に、

 自己愛的虐待

つまり、

 「お前はこんなところものぼれねーのか?」

とか

 「ランナウトが怖い?は?お前、金玉ついてんのか?」

とか、

 「たぐり落ちる? 俺にはカンケーねー」

とか

 「俺の自慢のクライマーになれ」

とか・・・ 全部、自己愛的虐待、ですから…。いや~、クライミングで、

 子供時代の虐待の再演

が起って、自分の子供時代に本当は何が起こったのか?やっと分かるようになりましたが、これは私の母や父がどうこうというより、

 九州の、あるいは、日本の、儒教的な生育環境

の弊害のような気がします。

私が長年学級委員長とか生徒会でいたのは、そういう

 儒教教育の弊害から、守られる、

という意味があったのだと思います。ほかのみんなは、竹刀で殴られたりしていました。別に悪いこともしていないのに。小学校、中学校、とエライ暴力的な学校に行っていたと思います。こどもたちはびくびくしていました。(余談ですが九州では今でも軍隊型教育らしいですよ)

しかし、それから教師による体罰から逃れられても、尊敬している先生から、道具扱いされる、ということは防げなかった(汗)。

ほんと、熊本高校に行ったのは、その先生のため、でした。そのせいで大人時代の半分以上を育英会奨学金返済で、苦労する羽目になった。

同じことで、クライミングでは、インスボンがこの手の経験に相当するかもしれません…。
あれ、行きたくて、行ったんじゃないからなぁ… 

相手が着いて来てほしそうにした心を、こちらが汲んで行った、行ってあげた、って感じだったから…。これは、白亜スラブでも同じです。(それで死にそうな目に遭った。ギブ&テイクでは、ギブのコストが高すぎます。)

相手が着いて来てほしそうにしている、だから行く、という風に心が動きがち、なのです。

それで、ヒロさんが誘ってくれたラオスは、用心のために行けなくなったのです。

あれは、あとで内容を教えてくれたクライマーがいて、とっても楽しそうだったので、しまったなぁ…行けばよかった…と思ったりもしたのですが。

というわけで、誰にでも彼にでも、最大級の警戒心を発動することになったのですが…

過覚醒という状態ですね。

■ 過覚醒の治し方、私バージョン

これ、大学のころ、私はそういう時代に居ました。どこにいても借りてきた猫状態でしたが、

1)大学の学生寮で、最下級生として暮らして、先輩たちに可愛がられ
 → 水泳を倣いに行って、70代、80代のおばあちゃんスイマーに可愛がられ、

2)アメリカに2年働きながら暮らしたら、元気になった
 → 海外にしばらく登りに行ったりすれば、元気になるかも?

みたいな感じかなぁ…。

■ なぜ、ナルナルクライマーに破壊力を与えてしまったのか?

俺をみろーみたいなナルナルクライマーって甲府時代にもいて、ジムで「あの人、腹の肉やばいなぁ」とあまりの浮き輪肉に思って、上裸の男性クライマーを見ていたら、その人が急に元気に登りだして、「あ、誤解された」と思ったことがあったなぁと思い出しました…。

当時は、そういうナルシストに出会っても、全く、ダメージではなかった、のです。

こちら側のメンタルが健全で元気だから、です。

心のエネルギーが枯渇状態=人の言いなりになりそうになる…

これがマインドコントロールの仕組み。

心がエネルギーがすり減る = 無理やり、ランナウトした、登りたくもないルートを登る

です。

ちゃんと登れており、落ちていませんからね! プンプン!

■ 元気になるパターン

大体、海外に行くと元気になる。 なんか、現実的な処理能力を活用する、って感じですかね?

大体、やることが次々にあって、ゲーム脳というか、いろいろこなさないといけないので、それで回復するのです。海外ってトラブル続きっていうか…えーそう来る?ならこういくよ~みたいな、ゲームのクリア感があります。

それで、自分が有能であることを確認する、っていうか…。

38歳で、流産して、うつ病ちっくになったときは、自分であらかじめピンチが自覚できたので、メルボルンに2か月退避していました。

メルボルンでヨガしていたら良くなりました。

…というのは、日本にいると、儒教的考えの影響が非常に強く、自分を大事に出来ない、ということがあるからです。

女性が自分を大事にすると、必ずと言っていいほど、わがままだという指摘が社会からなされます。

他の人の犠牲になれ、というエネルギーを感じる。

これは、日本社会の罠なんですかね?

それとも、個人の内なる親の声なのかね?

あるいは、男親が私はいなかったので、社会性に問題を抱えるとか?

そこらへんはまだ思案中ですが、どちらにしても、海外では、

 境界線の引き方が健全で、

で、女性だからと言って、他者への過剰な世話焼きは求められません…。むしろ逆で、女性であることを配慮してもらえるくらいです。ドアを開けてくれる程度ですが。でも、日本では、重たい荷物は女性が持つことになっていますよねぇ?

もっとも前回、ラオスに行ったときは60代の年配の日本人女性クライマーがいて、その方は、英語が話せるとかで、過剰な世話焼きにより、ビレイをゲットしたい!というので、年配の日本人男性クライマーの周りをひらひらと蝶のように舞っていたのでした… それで、「そんなことしないでいいんですよ」と進言したら、喧嘩になった…。

あなたとは価値観が合わない、と言われました。そのとおり!!

ビレイの代わりに自分の能力を無料で差し出せ、みたいなのって、価値観に合わないんですよ。ビレイってかわりバンコでしょう、特にフリーの岩場では。

クリップ前に核心がこなせないような作り、手繰り落ち危険がリーチが短い人には過剰にあるような作り、登れるようなものがない作り…に、しておくことは、男性の既得権を守ることになると思うんですけどね…。

ラオスはそんなことないのに、なんでその女性が、下手に回っているのか理解できませんでした。

受けてすらいない恩を、御恩と奉公風に丸め込まれるのって、日本独特。

そう、日本では

 俺の世話焼きをしろ、そうすれば、山にあるいはクライミングに連れて行ってやる

あるいは
 
 ビレイしてやる

という、”不平等条約”がありますよね…。日米安保みたいな。

それで、自分を高く売りつけるのが、ナルシストクライマーですが、ちゃんとしたビレイって、

 できて当然のこと、

で、大体の山岳会のおじちゃんらは、そのできて当然のことが習得できていないことが多いです。

2mも3mも離れたビレイとか…

お座りビレイとか…

支点ビレイとか…

できていない人に、なぜかできている人のほうが、媚を売らされる羽目になるのです。

そういうのが日本の社会の不健全性です。

トップのアルパインクライマーにもジムや岩場で会ったことありますが、ハーネス貸してくれたくらい親切で、その逆じゃなかったです。

ダメな奴には、お前はダメだと教えないといけないのです。男のプライドが傷つくから、とみんなが黙っているから、いつまでも改善されないんですよ。

ダメなのは私ではない。

以下、それらを表現する写真です。

        ”見知らぬ人”に、”正しく”ビレイされている私@ラオス

         私のリード中になぜ二人目のクライマーがいるのか?

             間違っていることを教えても聞かない

            もはや何も言うまい… 下の画像を見て判断せよ、です。
参考:ビレイを教えるチェックリスト


2024/12/11

【クライミング心理学】自己愛的虐待を乗り越える〜回復中

■ 最近、だいぶ元気になってきました☆

長い時間だったなぁ…2020年から、4年。だいぶ長い間、クライミング界の闇に足を取られていました。最近、回復中。

動画はトップカウンセラーさんの南ユウタさんの動画です。

ナルシスティックアビュースとは?

 ・自分の欲求を優先して、
 
  1)あなたのニーズを無視する → 安全なビレイを求めるのは普通のことです
  2)あなたを過度に批判する  → 九州の支点が、ボロイのは本当のことです 
  3)あなたに勝手な期待を押し付ける →クライミング歴3年の人に期待が大きすぎます
 
の3つです。自分の欲求を優先、というところがポイント。とっても自己中って意味です。

■ 虐待の内容 過度の批判

「(95点をとったのに)なんで100点じゃないの?」

です。

「(3年目のクライマーなのに)なんで5.12登れないの?」

これを九州クライミングで私に起きたことに直すと すでに夢中歩行5.9もそれに続く初夢5.10aもオンサイトしているのに、次から次に難しいのに連れて行かれ、「こんなのも登れないの?」と言われる…。は?この課題を登りたいって、私、言ったっけ?でした。

日向神は本気ルートとは、とても位置づけられない感じでした。暗くてランナウトしていて、あんまり楽しい岩場とは思えなかった…。トレーニングならいいかもしれませんが。白くてきれいな岩場で登りたいです。

最初からオンサイトだったので、よっぽど楽勝で登っているように見えたのかもしれないですが、無理難題を突き付けられている感がありました。

支点のぼろさに九州の人は、無自覚だからです。

たしかに俺ってどーだ!というオーラを発しながら、登る九州男児と比べると、私はオーラゼロで登ったかもしれない。

挑発→応酬 で登るクライミングが九州では普通のようでした。それって、そういえば、ヒロさんもラオスで、韓国人男性に勝手にライバル視されていたよなぁ… あれって男性の遊び方?それが嫌でした。

”もっと頑張れ教”は、九州全体の洗脳のような気がします。

フリークライミングを私は楽しみたいのに、もっと上、もっと上と、まるで10代の学生の部活のようにやらされるのが嫌だったんですが…そんな登り方、楽しいです???でも、九州というか、日本全国、スポコンだからなぁ、日本では。

主体的にやるならいざ知らず。大人なんだから、もう、ほっといて!って感じだったなぁ。

私の強みは主体的学習にあり、子供の頃も、大人のやり方ではその子は学習できない、と思っていました。子供心に、しゃーないなー、って、大人に合わせてやっている、って気持ちでした。

なんでまた、大人になってまで、合わせてやらねばならんのだ。

あー、むかついた~。 何をやっても、不十分認定、ダメ認定、されるって感じでした。

その2)感情の無視 = 虐待

「そんなことで泣くな」のクライマーバージョンは、

 「そんな課題(高さで、支点で、ランナウトで)で怖がるな」

です。 続けると、感情を分かり合えない孤独な人生に落ちいるそうです。

その3)過剰な期待 

他人の期待に応えることに過剰に価値を置かれる。

他人の期待に縛られる人生。自分はどう生きたかったか分からなくなる。

その4)コントロール

条件を付けて操ろうとする。他人の指示に従わざるを得ない。服従が習慣になり、本当の自分の気持ちや意見が言えなくなる。他人に利用されるのでは?とびくびくすることになる。

受け身な人生。

その5) 親のニーズ中心の人生。仮面の人生。自分の本当の感情を隠してごまかしながら期待に応えようとする。

■ 解決策

1)怒りを解消する

可能な限り、過去の出来事を思い出して、怒りをよく思い出す。

2)専門家を見つけて話をする

火は消えていないが、煙は出ている、という状態は避ける。

3)喪失を悲嘆する

グリーフワーク。悲しみを避けて通れない。

4)防衛を乗り越える

殺意。強い怒り。抑え込む癖が、逆に生きづらさになる。

否認 あれはなかった
抑圧 覚えていない、何も感じない。不安の源になる。
知性化 理屈で解決
同化  あれは仕方なかった 
回避 もう考えたくない
自己犠牲 相手が幸せなら私はいいんだ → 燃え尽き症候群

■ クライミング界そのものが、自己愛的虐待の製造装置化しているような?

否認 → クライミング界に自己愛的虐待は存在しない
抑圧 → こんなのも登れねーの、弱虫~と言われて、傷つきを認めない。
     そういう世界なのだと無理やり納得する
知性化 → この自己愛的虐待も、強いクライマーになるには必要なのだ
同化 → そういう風に教育を先輩も受けてきたんだ、仕方なかったんだ
回避 → いまさら考ても仕方がない
自己犠牲 → クライミング界がハッピーなら自分はいいんだ 

となっているような? 

 クライミング界の、世界として見た場合のいびつさは、一般社会のいびつさをはるかにしのぐ、いびつさですよ…

こんな世界に誰がした? 私じゃないよ~。特に九州の人に言いたいですね!

参考:【アダルトチルドレン・自己愛】自己愛的虐待を乗り越える〜回復のガイド〜【心理カウンセラー・南ユウタ】

2024/12/10

【クライミング心理学】自分は特別なクライマーだ?

■ 今日はジムで印象的な出来事があった

女性客が多いジムに通っているんだが…今日はいつもの受付のお姉さん…たぶんオーナーさん…ではなく、なんかなーと前回感じた、若い男性スタッフだった。

で、ちょっとがっかりしたのだった…。というのは、女性同士のよしみ、的な話がちょっと楽しいから。子供クライミングの話とか…。

で、印象的な出来事っていうのは…

その男性バイト君?が、「私は〇〇です」と自己紹介してくれたことだ…。いや、いいんですけどね…。普通の自己紹介って感じではなかったんだな…。こちらの名は尋ねず、一方的に自分を名乗りたいみたいだった。ので、違和感。

私が壁に取り付こうとしていると、視線を感じたので、「恥ずかしがり屋だから見ないでください、あっち見ていて」と言ったら、「いやダメ」という話でした(汗)。

なんで…(涙)と思いつつも、とりあえず、その課題は登れてよかった…。7級とかせいぜい6級とかしか、今は触っていないので…なんかなぁ…。値踏みされるようで、微妙だった。私は、小瀬の壁を一人で行ったり来たりするような人だったので、あんまりみんなでわいわい、がやがや登るタイプではないのです…。

…という自己紹介に関する行動が、ナルシスティックだなぁ…と思ったのだった。

ナルシスティックさが、漏れ出ているというか…。

私は名前を間違って呼ばれても、別に必要がなければ、訂正しないけれど…する人いますよね。そういうのって、なんでなんだろう?と、以前は不思議に思っても、ただスルーするだけでした。わざわざ突っ込んで、精神医学を調べたりすることはなかった。

九州に来てから、なんか、”?”な出来事が多くなり、明らかに変だと感じるので、ナルシストに関する心理学上の知見が増えました。

つまり、九州では、

 ”自己愛の傷つき”

を抱えた人が、とても多かった、ってことかもしれません。

誰にだって自己愛はありますから、人を呪わば穴二つ、で、自分にもそういうところがあるからなぁ…と一般的に良い人は思ってしまう。私もクライミングを経験するまでは、全くナルシシズムについて考える機会がなかったです。

でも、ナルシストには明白に特徴があり、ナルシストの弊害を避けることは、ほとんどクライミングライフの成否を分ける要素と言えるかもしれない…。

クライミングで、いろいろと問題になるナルシシズムの特徴というのは

 1)相手の立場や、相手のニーズを感じることができない(=共感性が低い)

です。 要するに全体最適が分からず、自分にとっての局所最適しか分からないのです。例えば、一升瓶を抱えて厳冬期のバリエーションルートに行くとか…。そりゃ、自分は豪傑気取りができて満足かもしれませんが、周りは大迷惑ですよね。

こうした”特異事例”は、積もり積もって、意外で身近な問題につながる。例えば、ピンが遠いとリーチがない人にとっては、たぐり落ちの危険が増えますが、ナルシストにとっては理解ができない。自分には危険がないから、分からない。そういう人が多数だと、20m5ピンでも、普通になってしまうし、自分の初登権利が拡大解釈されてしまい、斜陽みたいなことになるし、さらにサバージョババージョみたいな、排斥事件につながる。

つぎは

 2)反省力がない

です。事故の前には、ヒヤリハット、がありますが、ヒヤリハットをヒヤリハットと気が付く、ということができない。これは能力の問題らしい…。そもそも、単純な能力の欠落ですが、それでも家の中で末っ子だと大事にされてしまい、無敵の自己肯定感を持っていると、単純なミスを修正できないし、さらに文化的土壌次第では、助長されてしまいます。例えば、ロープ出さないことを九州では助長して、武勇伝にしてしまうから、悪い特徴が強化されてしまうということになってしまいます。もともとそうでない人も、悪い特徴を継続することになる。同調圧力にはナルシストでなくても負けます。ただナルシストとの違いは、本当にヤバイときと冗談の区別がないです。

最後がネーミングの元になっている自己誇大感なんですが…

 3)自分は特別な存在だから、特別扱いされて当然だ、と思っている。

です。もう、山梨でも同じでしたが、周りは、いろいろと振り回されます…。

おれのために酒を担げ、みたいな感じ。お前の存在は俺を引き立てるためにあるに決まってるだろ!みたいな。

さらに、その自己誇大感が、自己愛の傷つきになると、

 4)自己愛憤怒

という、周囲から見たら、え?!という不思議な、怒りの爆発になります。這っても黒豆みたいな、感じです。

そして、

 5)モラハラ体質

大体、パワハラとか、モラハラとかする、古い体質の社長さんみたいな感じ。大したことない会社で、自分を「社長」と呼ばせるような。そういえば、高校のころバイトしていたパン屋さんでは、オヤジさんを社長と呼んでいたなぁ…。あの頃、学習機会があったのに、あんまり気にしないでスルーしてきたんだなぁ…当時の生活が大変すぎて、社会監察どころではなかったので…。こうした無関心がナルシシズムを助長してきたとも言えますね。

特徴として、ナルシストは、こうした行為で、自分の異質さを客観視していない。

ので、ほとんどの人が、俺、変かも?と思わず、精神科を受診することはないです。

大抵は、周りが困って、本人は困っていない(笑)。本人は、俺を評価できない周りは、アホだ程度の理解です…。困ったことに、似た者同士が集ってしまうので、自己を客観視する機会も、なかなか起らないのです。

そういう意味では、ホモソーシャルな山岳会という小さな閉じた島では、こうしたナルシシズムをインキュベーション…育んでいる、とも、言えますね。

 6)理性の縛りが弱い、(してはいけないことと自分の欲で欲が勝つ)

ということになっていると思います。これ、その悪いことがバレた場合も、相手が悪いことにして他責、というのが特徴だと思います。

…というので、こういう人は、チッピング行為も、自己正当化できてしまいます。欲と社会のルールでは、欲が勝ってしまうのです。いとも簡単に…。普通の教育を受けた人なら、持って当然の葛藤がないのです。

たぶん、自分のミスで人を大怪我させたり、死に至らしめても、ナルシストは、そういう奴と一緒に行く奴が悪い、で事を片付けたがると思います。

■ 自己愛性パーソナリティ障害【「自分が特別」と思う認知の偏り、精神科医が17.5分でまとめ】

山の世界から冒険がなくなったのは、ナルシストのたまり場になってしまったからかもしれません。

■ 回復

回復は、本人が気が付くしかないのですが… その気づきの内容が以下です。

 1)自分は少なからぬ人を傷つけていた (加害の自覚)

 2)自分は、自分が思ったほどは成功していない (実力の客観視)

 3)自分はむしろ疎まれていた (人気がないことの自覚)

です。

これに気が付けるか?どうかが分かれ道。その後は、受容のプロセスをたどる。

1)否認 
2)怒り
3)取引
4)抑うつ
5)受け入れ

です。 クライマーバージョンに直すと…

そんなはずはない!俺は特別なクライマーだ!そう言ってくれ!→ なんでみんな、俺を認めてくれないんだ! → 俺だって、いいところがあるだろう? だから… → 俺は普通のクライマーだったのか…と落ち込む → 今の俺にできることは何だろう?

…と進むようになるようです。このプロセスは、ほとんどの人に同じです。

挫折などの逆境体験は一般に、昇華によって結実・解消されますが、昇華にも良い昇華と悪い昇華がありますが、良い方に昇華すると

 人間的成熟

へ。ここへ進むのは、ナルシストにとっては大変難しいそうです。

うーむ。山岳会でも、クライミングジムでも、ナルシストが増えて目につくのは、少子化で、子供が減り、子供間の競争がないことで、親の注目の中心にいる時間が長いからですかねぇ・・・ ナルシストって、若い男性の間に、ものすごく増えている気がします。

ナルシスト日本代表選手だったのは、栗城さんでした…。どのような事情で栗城劇場ができたのか?九州に来て分かったけれど…。

 自己誇大感 × クライミング教育不在 

のかけ合わせの結果でした。 40年前の知識のままで(古い本を読んで)、自分のインドアジムでのクライミンググレードを考えると、俺ってもしかして天才?ってなりますよねぇ…ものすごいルートが俺だって登れる!ってなってしまいます…。

特に周囲にリアルにトップクライマーが存在しないと…間違った自己像が矯正される機会がない。

特にナルシシズムがない男性でも、女性からヒーロー扱いされるのが男性は大好きです。

しかし、女性の側も、男を立てる、なんていう古臭い因習から自由にならないと、男性たちの人間的成熟を阻害してしまうことになりますね…

だって、医学部入学で合格者の8割が女性っていうくらい、女性のほうが正直、知性という面では、少なくとも18歳時点での能力では勝っているのです。

なぜか社会が男性中心主義のまま、変わり損ねているのですが、それは生理による女性の気分の変化がほとんど一生続くこと、出産にまつわるまとまったタイムアウト時間が必要なことによると思います。

本来、男性は、そうした女性をサポートすることができるのに、その逆に弱みに付け込む、という結果が男性中心主義というわけだったのですね。

■ 現代基準でのトップクライマーの要件

トップクラスのアルパインクライマーの人たちって、5.13、5.14は登っているみたいです。

ただ、フリーのクライマーではないから、再登記録に名前が出ないだけで。佐藤ユースケさんとかは、フリーの記録にも名前が出ていたような気がしますが、ジャンボさんが5.14を登っていたとは全く気が付かず…。古いクライマーに教えてもらいました。

ということなので、現代の若者は、

 5.12 × 40kg 

では、もう古く、

 5.14 × 40kg

を目指さないといけないみたいです。スーパーアルパインへ進みたいという人は、ですね。

5.13でも、もはや一般人って意味ですよ。5.12なら、なおさらですな。

倉上さんは亡くなってしまいましたが、心臓のことがなければ、アルパインに進んでも、トップクライマーになれた、最も近しい立場にいたのかもしれません。冬山の印象はないですが…新潟大学だったら、雪になれていたのでは。

全く冬山のイメージがなかった宮城さんも黒部横断に行ったくらいなので、冬山経験値というのは、基本的な山岳会での経験があれば、ツッコんだ知識に関しては、周囲のメンバーで補いあえるものなのかもしれません。

今日は、ナルシシズムについて、ちょっと印象深い出来事があったのでした…。

もう一つ、喜ばしいことがあったので、そちらも今から書きます。

2024/12/06

【クライミング心理学】クライマーの集団病理はこれだ!怖くなんかない!という自分を作らざるを得ない


4:38の当たりがクライマーあるあるです…

反動形成、という心理で、

 「ふーんだ!怖くなんかないもん!」って自分

を作らざるを得ない

= バカにされたから

ってわけでした。九州でランナウトだらけなのは、この反動形成で作られた自我で登っている人が多いからですねぇ…

そうだと思っていたけど、やっぱりそうだった。

同じ穴のムジナになろうよ~という圧力が嫌だった…

私は怖いんですよ!だって小さいんですから、クリップ届かない。怖いのは当然です。

連れていくvs連れて行かれる問題

■ いったい何が、連れていかれる山で、連れていく山なんだろうか?

山や登攀ルート… 一体、どういう状態が、

 連れていかれている状態で、

 連れて行っている状態

なんだろうか???

私の印象では、一般に、山岳会における、連れて行く・行かれる関係では、一般的には、

1)一回目は、”連れて行き”、

2)復習は自分でやってね、

というのが、自立と依存のバランスの取れた姿であるように、私の少ない経験では、思いました。

というのは、師匠の青ちゃんが、トップクライマーの伊藤さんに連れられて、荒船昇天に行き、その復習で、私やほかの人をセカンドにしていたので、なるほどねぇ、と思ったからです。

この仕組みで行くと、最初にルートに行った人以外は、全員が暗記の山…誰かに連れて行ってもらう、そこを次は自分が連れて行く、という順送りの”恩送り形式”で、このやり方だと冒険もない代わりにリスクもないでステップアップできる、からです。先輩から後輩へ、順繰りに下賜される…(笑)アルパイン界のレッドポイント登りっていうか。

それで、自分でルートファインディングする経験はゼロなのに、ルート経験は豊富という結果というのは、なるほど、こうしてできるのか、と思った経験があるからです。

■ 私を誤解する人々…

いつも一緒にいて気の置けないクライミングパートナーを、今度、あの岩場に…というのは、”連れて行く”に入るのだろうか?それとも、”一緒に行く” になるのだろうか?

私が案内した昇仙峡は、一緒に行った人たちにとっては、”一緒に行った”に入るのだろうか?それとも、連れて行ってもらった、に入るのだろうか?

…というのは、以前、私は師匠の青ちゃんを昇仙峡やその他山梨の岩場に”連れて行き”、そのお礼が、このブログの初期の佐久の岩場&宴会なのですが…。

「(〇〇さんばっかり)連れて行ってもらっている!」という非難を私は非常によく浴びているように感じるからです。特に九州で。

これは、もしかすると、私の側の心理学的な投影かもしれませんが…。

■ 後輩を連れて行っていても…

以前、小川山に、熊本から進学し東京農大に入った若い男子を、私は完全におんぶにだっこで”連れて行き”ました…。というのは、なぜか九州で会った山岳会の会長さんに、この子を託されてしまったから、でした。

しかし、当の本人は、”連れて行ってもらった”と全くカウントしてないようだったのです…。運転も、どこを登るか?どこに泊まるか?も私が決めているにもかかわらず、です。

その様子から察すると、彼からすると、

 ”私が連れて行っている”事実

については、なんとなく私の印象では、スルーされており、一方で、私が荒船昇天などの

 ”私が連れていかれている”事実

のほうが、このブログにせよ、他のクライマーにせよ、強く意識に登っているのではないか?という風に思われて、何かアンフェアな感じ、を感じています。

■ 感謝が誤解を受ける元なのか?

これは、私が、”感謝”を前面に出すタイプだからなのかもしれません???

話の流れで、感謝する。すると、そういう言葉遣いになるから?

だって、「連れて行ってくれてありがとう」と人は言い、

「一緒に行ってくれてありがとう」とか、「ついてきてくれてありがとう」と言いませんよね?

■ 一回目から、連れて行く側だけど…

これはルートでも同じで、私は初めての山岳会である御坂山岳会の1回目から、他の会員の人たちを”連れて行っている”側でした。例えば、3月に行った川俣尾根というバリエーションルートは、120%私の企画でした…。これは別の山岳会のリーダーがパクッて、それが入会希望者だった私にバレてしまったことがありました…。どこの会でも、オリジナリティのあるルートで、そう難しくなく、しかし、人のあまり入らない場所で、いろいろな要素が詰まった山というのは、物色中なのです。

入会後1回目の山から連れて行っている新人なんて、聞いたことがありませんが…、やっぱり、いつも”連れていく側”でした。これは、ありがとうというなら、

 ついてきてくれてありがとう

な山でした。というか、ついてきてくれたせいで、山のサイズ感として小さくなり、予定より短縮コースを行く羽目になりました。というのは、60代の歩けない女性までついていくと言い出したからで、断り切れなかったからです。

私のポリシーで、足が弱い人にも会は合わせるべき、というのがあり、それで山を小さくする羽目になった。ので、一緒にいることで、山が成長するのではなく、縮小することになりました…(笑)。

ただ、このときのお礼で、私が、100%連れて行ってもらった、と考えているのは、

 前穂北尾根

です。これは、明らかに連れてってもらったなぁと思っています。

■意見の相違はなぜ生まれるのか?

あとは、連れて行ってもらった、というような山はないよなぁ…と個人的には考えていますが、

連れていく、連れて行かない、問題

では、最初に師匠である浮雲の鈴木さんと意見の相違があったことがありました…甲斐駒です。

私には、鈴木さんに連れて行ってもらった、とは考えられない、一回目の厳冬期甲斐駒で、鈴木さんは連れて行った、と感じたようでした。

朝、登山口で合流して登ったのですが、私は無雪期に甲斐駒はすでに黒戸尾根で登っていたので、特に難所を感じず山小屋までご一緒し、登頂も、翌朝、流れでご一緒して、あまり問題点を感じなかったのです。ロープも出しませんでしたし…。

しかし、鈴木さんの言い分は同じタイミングで山小屋を出たことで、その登頂判断に私が便乗した、と感じたようでした。私の側は、いつも山で会った人と同行する場合、相手に合わせたり、自分の都合がとくにある場合は自分の都合で動きます、と声をかけたりで、その時は自分の都合が特にはなかっただけだ、と感じました。

師匠はこれには不服だったようだったので、それで、甲斐駒は一人で登りなおしました。

■ プライドがあると連れて行けないことを白状するのも一苦労…

そのあとですが…ある先輩が正月に甲府の我が家に泊まり、黄連谷を計画したのですが、たぶん、わざとだと思いますが甲斐駒へ続かない遊歩道をどんどん速足で進み、敗退になり、転進で石尊稜と言われたんですよね(笑)。

あれ、思い出すと今でも笑ってしまいますが…きっと本音は最初から石尊稜に行きたかったんでは… 先輩は、登山計画書を書くときに、まさか、石尊稜と書けないから、黄連谷としたのではないか?と思えました…。というのは、あんな明瞭な登山道を間違う人なんていないからです…。ただ、あの時、私は一度もその先輩とアイスをゲレンデでも行ったことがなかったので、なんか、予習なしで本番って変だなぁと思ったりしていたので、間違いを指摘しないで、事が流れるままにした…のでした。

女性にとって一番安全な山は自分がリーダーシップを取る山です。

■ 連れていく、連れていかれる、一緒に行く

この3つは、登山でも、クライミングでも本当に分かりづらいです。

ラオスでは、私は、N保さんに誘われて、”一緒に行った”、のか?それとも、”連れていかれた”、のか?? 

現地集合は連れて行った、に入るのか?

それとも、一緒に行った、に入るのか? 

実は、ラオスでは、私はほかの外国人と登れ、そのほうが日本人と登るより成長できました。

一方、同行者のN保さんは、私がいないと、一緒に登ってくれる人を見繕えないようでした…。

白亜スラブは、トップが、セカンドの私を連れて行った、のか?

それとも、私とトップが一緒に行った、のか? 

彼の中では、確実に、俺は連れて行ってやったぜ!に入っていると思うのですが、私の中では、私は対等のパートナーとして行った山になっています(笑)。

なぜなら、私なしでは、あれはヘリレスキューになったからです。

■ 連れて行ってもらってる!?(笑)

インスボンも同じで、一回目は、連れて行ってくれた、という認識が私はあるのですが、2度目は、”一緒に行った”認識です。

なぜなら、パートナーがいなくて困っていたので、”付き合ってあげた”からです。これは相方もそう言っていました。

しかし、そのお礼で行った、3度目のインスボンでは、”連れて行ってやった”3人目、つまり、白亜スラブでまともなトップが勤められなかった人の視点では、”連れて行ってもらった”くせに、たぶん、”一緒に行ってやった”と思っていると思います…(笑)。

この人、誰にどこに連れて行ってもらっても、いや違う、”一緒に行ったんだ”と言いそうです。

なんせ、私のほうが岩場から遠く、私が負担が重いのに、途中から合流して車を1台にするのに、ガソリン代取ろうとした人でした…、つまり、相手の優位に立つ、ということを視点に行動しているタイプで、協力ということは視野になさそうでした。 

私はO君という大学生の後輩がいたのですが、ほぼ、毎回、”連れて行って”、いましたが、彼から宿泊費どころか、交通費すら、請求したことはないです。なんせ彼がいないと私もルートに行けないわけなので。

彼を連れて行ったと感じるのは、彼には、そこへ行く発案能力、ナビゲーション能力がゼロだったからです。

同じことで、夫は全部連れて行っている、と思いますが、お君も夫も、私に

 ついて行ってやっている、

と思っているのではないでしょうか(笑)?

お礼を言われたことがないので、そう思います(笑)。

■ 主体性、と リーダーシップ

最近、カウンセリングにかかっており、

 私は、生まれながらにリーダー

であるようで、何か行動を起こすときに、


 自分も含めた全体の人たちにとって最も良き解


を自分の考えや希望、要望、として出すのに対し、一般の人は、


 ”自分だけの都合” 

を自分の希望や要望として出すようです。

そのやり方で行くと、どんどんと、私の個人的なニーズは、ないがしろにされていく結果になります。

なぜなら、私が出す要望には、自分を含めた全体の最適解、であるのに、相手の出す要望には、私の側の都合への配慮はゼロだからです。

それが、クライミングで起きていることだし、私の結婚生活で起きていることなんですよ。

カウンセラーさんによると、これは、


 リーダーシップをとっている


という状態で、 


 自分の要望を通している


という状態ではないそうです。

だって、3回目のインスボンって、膝が脱臼している状態で行きました…

全体最適解がそれだったからです。残りの二人は、どちらも、私が参加しなければ、飛行機代を無駄にして、いーかない、って話になりそうでした…。

そうすると、師匠の青ちゃんの、素晴らしいロープワークの妙技を見る機会が永遠に失われます。

■ 山のリーダーシップが取れる人かどうか?

ルート経験数に戻りますが、自分がトップを取るか?どうか?は関係がなく、

 山の計画を自分が立てるかどうか?

が大事なのではないかと思いました。判断を自分が行う、ということです。

そういう意味で行くと、みんなが〇〇というルートを登るから、俺も、と考える人は、大体が便乗派つまり、主体性がなく、リーダーシップがない人であり、どんだけトップを登っていたとしても、”連れていかれる”側ですね。

それは、もしかすると、これまで私を育ててくれた師匠や先輩も同じかもしれません。

それだけでなく、ほとんどすべての男性クライマーは同じかもしれません。

山ヤ独特の言い回しで

 自分の山

という言い方をしますが、行きたいところがある、ということが、計画を立てるに該当しますが、自分の山があることは、他の人に来てもらうということになり、弱い立場です。

 弱みを握られている、相手に対して、優越的な立場に立てない、

という意味になるので、ナルシスト男性たちからはその立場に立つこと自体を避ける意味から、主体性がない山、皆と同じ山に、みんなで同時に行こうぜ、ということになるのではないでしょうかね?

本当に自分の山、には、ほとんど、みんな登っていない、ような気がします。 

2024/11/20

【クライミング心理学】ランナウト自慢=自己愛の傷つき

■ 未処理の恥の感覚

やっぱり、地方の課題が、グレードが辛くて、なおかつランナウトをわざとしているようなのは、(未処理の恥の感覚)=自己愛の傷つき、のためではないでしょうかね?

自尊心が傷つきやすい人への処方箋 【自己愛の傷の癒し方】


■ 小川山だって相当ランナウト

小川山もひどいよね~という話を、最近ジムの店長さんとしました。

女性の店長さんと男性の店長さんでは、ずいぶんと感想が違い、

大阪のジムの男性店長さん=小川山の話をしてもスルー。たぶん行っていない。関西の超怖いランナウト課題は、グレードが低いので登ったことがなく、自分でヌンチャクが掛けられるような距離感にないことを知らない。たぶん、最初からボルトが近い5.12程度から上しか取り付いていないから、低グレードの課題では、落ちれない配置になっていることに気が付いていないのだろう。

女性のジム店長さんが持ち出した課題は、小川山物語…え?!この課題、私がまだ5.8をやっとこさでオンサイトした時期から、登るだけなら簡単だったし、1本目はプリクリ決定だたっただけで、ムーブは簡単だったけどなぁ… 2本目も遠いって言っていたけど…。そうだったかどうか、覚えていない…

という結果になり、女性と男性で、ランナウトに対する認知が大きく異なることが分かった。

男女差が大きいので、男女で組んで登るときは、当然ランナウトのリスクが少ないほうが先にリードしたほうが安全である。

なんで、180㎝の人と登って、私がリードしてあげる羽目になったのか?謎だなぁ。

しかし、自分で自分のケツが拭けないのに、なんで男性は、いつも、これくらい行ける、と思うのか?ということは分かった。

単純な足し算ができないくらいしか、そもそも、考えていない、目の前のことに手いっぱいで、行動した結果、どういう悲惨な結末になるか、ということを考えていない。

それは、たぶん、小川山で、広場の駐車場が一杯開いているのに、転回用のスペースに車を止めてしまって、非常に迷惑である車に乗っている人と同じで、

 前の前の欲 vs 行動の結果

を比較検討する機能が弱く、目の前の欲、を深い考えもなく優先するからだろう。

そういう人は

・ルールを守ることに対する精神的な強度も低いし、
・倫理的な行為への精神的強度も低いし、
・必要なら赤信号無視で突っ走る
・例えば、性欲に負けてしまう = 子供が6人
・かと言えば、今晩の宿がない程度で右往左往
・ちょっとした距離を歩くだけでも、文句たらたら
・「めんどくさい」
・残置のカラビナは、ねぇみんなで山分けしようよ、という

ような気がする。そして、大体はナルシストであるような気がするんだが、

 賞賛

を与えてしまうことが、こうした犯罪行為に近しい行為の栄養、となっている。(と目撃した)

こうした行為を目撃したことが、私の人生にどういう意味を与えるのか?というと…

こういう”おじさん”文化には、女性の人生を破壊するだけの破壊力がある、ということだ。

このような人たちが、かわいそうか?気の毒か?というと、そこは疑問であろう…

■ 子どもを産ませて女性を捨てた男性がかわいそうか、どうか?って問題

しかし、なぜ、可愛そう、気の毒ということで丸めようと子供の私がしたのか?というと、それは、親というのは自分の一部だからである。

母もそうだし、父もそう。

母のことも、父のことも、かわいそうだから、ということで相手の責任を肩代わりしてあげる理由にしていたんだろうと思います。

実際に、両方の遺伝子からしか子供はできないのであるから。

しかし、一番かわいそうで、一番苦労しているのは、どう考えても、子供であった私のほうであろう…。

■振り返り

私は、放蕩息子の父と裕福なお嬢様育ちの母の間に生まれた長女である。

結局、そうなると、どうなるか?
 
親が頼りない=子が自立する以外ない、ということになる。

私には弟と妹がいる。すると、弟と妹は年下で、子供時代の2歳差は顕著な差なので、一番先に、成長する=一番先に頼りがいがある存在になる、ということだ。

結局、この構図だと、家族の中で、唯一、現実処理能力がある、ということになる。

この子供時代に、さらに、学校生活でまで、人の世話をやらされていたんだからなぁ。

大変だった。

■ 経済的な苦難

そもそも母子家庭で、大学に進学する費用が出ると思います?

誰が考えても、でませんよぇ。

私はトップ進学校に進学したので、学校前に”補講”じゃなくて朝バイトして自分の授業料をねん出した高校生でした。

そういう人が、可愛そうって、親のお金で大学を出た人に、こちらが自己犠牲してあげるって変だよなぁ…

それで、大学は自分のお金で出ました。夜学です。受験費用も自腹。お昼代をケチって頑張ったおかげです。

でも、世の中のほとんどの人は、お金の面で私をうらやむようです。自分が仕事して稼いだお金なのに?

それが嫌なんです。

クライミングの面でも同じで、なんか謎だった。

私が自分で努力して得た成果なのに? 山岳総合センターに行って、雪上確保やスタカットを先生から学んだ人は、私であって、パートナーじゃないですよね…で、その私にしりぬぐいクライミングをしてもらった山行がなんで、すごいね、って賞賛の対象になるのか?謎。

海外に行っていいわね、とか、国立大に行っているからリッチなんだね、とか、親に学費出してもらった人が言うんです…けど、

 なら、自分でやって見ろよ!

って思いますけど…。

私はいい人だから言えない。言わない。

っていうか、言ったほうが相手のためになるんだろうか?

■ 弱者っているの?

私は大きな成功は望んでいないのですが、貧しい人を助けたいと思い、なぜなら自分が、食べ物に飢えた子供時代を過ごしたから、なんですが…

探しても探しても、どうも、”飢えている子”は、いないみたいだったんですよ。日本には。

学生時代には、ネパールの子供に毎月5000円の支援をしており、日本でも、と思ったので、部落の子供向けの家庭教を無料で引き受けたことがあるのですが… そもそも、勉強したくないって言うし…。したくないんだから、できないのは当然ですよねぇ…。

私は勉強したくても、させてもらえないで育ったのに…。

サンフランシスコ時代は、教会で炊き出しのボランティアもしたんですが、黒人の女性に一晩の宿代をねだられたので、彼女の生活が整うまで、私の部屋で寝泊まりしていいよ、というと、断られた‥え?今晩泊まるところないんじゃないの…?みたいな感じでした。

日本では、実はお金余りなんですよね…。物産時代はベンチャーキャピタルと仕事して、垣間見ました。それに、インパクト投資と言って、社会的に弱者救済になるベンチャーキャピタルの投資もみてきたんですが…温かいお金という言い方をしたりします…しかし、昨今、弱者と言える人たちがいなく、投資先がなくて困っているんですよ…。投資だからね、消費ではなく。

貧しい人を助けよう、と思って私も大きくなりましたが、助けようとすればするほど、詐欺とか変なのに、ひっかかって、自分がむしり取られる=むさぼられるばかりで、なんだかな~と思って、ヨイ子病は悪人が付け込みやすいのだと、ここ7年くらいで学習しました。

クライマー業界はヤバイ。ただの甘えん坊が自分は弱者だ!と主張している…

男性に手柄を持っていかれるなんて言うのはしょっちゅうで、OL時代も同じ問題がありました。実際に仕事しているのは私で、賞賛は男性が持って行ってしまう。持っていかせないと、

男を立てろ

とか言われる… ナニ、コレ?

■ お姉ちゃんだけずるいという人がずるいのでは?

ほんとは全然かわいそうではない人に、おねえちゃんだけずるい、と言われているような?

弟と妹が、私より幼くて、理解ができないことを気の毒だなぁとは思って大きくなりました。

頭が悪いから、理解ができない…ってことは弟との関係性で頻発… 例えば、長ぬん使うべし!ということを分かっていない、5.12クライマーとか…。ランディングがボルダリングの安全管理のミソだと分かっていないクライマーとか。

そういう人に対しては、気の毒観がある。理解力が不足して、大事なことが理解できないのだろうと。

そうなると、私だけ分かっていて悪いなぁ、となる=罪悪感。

分かっている人が知識を広めるべきだ=義務感。

という構造かもしれません。

これは、周囲の大人が、自分たちがサボタージュするのに都合よく、優等生を利用する仕組みです。先生が、先生として機能せずに、「〇〇さん、解法を板書して見せなさい」と先生が私ともう一人、優秀だった子に、数学を教える日を作ったことがあった。あれは一日だけだったので、思考回路の差が分かって興味深かったけど…。

でも、学級の運営が楽になるから、顧問って…先生のやるべきことを私が肩代わりしていたと言えるかもしれないです。

クライミングでも同じことが起きようとしていた…特に九州では。

■ 日本全体のクライミング界の行方を見る立場

日本全体で、こうも危険予知や、リスク管理についての教育が、登山界から消えてしまったのは、
 
 行き過ぎた結果主義

の影響でしょう。グレードだけで、結果さえ出せれば、あとは問わない、という教育の結果でしょう…

それを正常に正すには、やっぱり、

 山の記録を誠実に書く習慣

が大事だと思います。山の中身が評価の対象で、結果ではない、ということにしないと、リスク管理ゼロのクライマーを、どの分野でも量産するだけになってしまいます。

どの分野でも、というのは、スポーツやコンペだけではなく、フリークライミングやアルパインクライミングでも、という意味です。

■ ヨイ子病を利用しようとしている大人社会が透けて見える

私は自分がした苦労の価値がイマイチ分からない、という弱みがあると確かに思います。

私と同じような、夜学出身の人も、私と同様に、ヨイ子病をわずらって、私のアトピーなどより深刻な病気である、ガンをやったり、親の介護で、気が付いたら、また人のために生きる人生になってしまっていたり…、ヨイ子病から抜けるのが難しいようです。

一体どうすれば、ヨイ子病から抜け出て、クライミング界に多いナルシスト男性に搾取されず、自分の望みを軸に人生が組み立てられるのか?ってことが課題かなぁ…

生きることはそもそも、自分の望みをかなえていくプロセス、です。

実際にそのようにプレゼンシングしてきたのに、なぜか果実を他者が取って行こう、盗んでいこうとし、そして、それを阻止することができない…というのが悩みです。

私だけ幸せになってはいけない、という禁止令なのかもしれません。




2024/11/11

【クライミング心理学】頑張り教では、アウトドアクライミングのリスクは排除できない

■ 定期Youtubeライブ(9)被害者思考からの抜け出し方

■ クライミング界=スポ根=頑張る教

南ゆうたさんの今回のライブが秀逸だったのですが、この動画は、クライマーみんなに役立つような気がしたので紹介します。

スポ根で彩られている日本クライミング界… なんかオリンピックも同じですが、すごい歪んだ精神世界が垣間見えて、私としては、そんなところに首ツッコみたくない…という気持ちがありました。

スポーツって、競技、競い合う、っていうのがありますが、競っても、基本、遊びとして、ですからね… 

日本では、遊びになっていない。

頑張らない奴はダメな奴だという恐怖で彩られている。

アスリートレベルになると、これが、遊びでなくなる…っても、ある意味仕方ないですが、そうでない、普通のアウトドアクライミングでも、この価値観が根強いです。

アウトドアクライミングでは、アスリートレベルにならなくても、ごく普通の一般人が、アスリートと同じくらいの真剣度で取り組まないと、自他を危険に陥れます。

気軽なスポーツ、誰でもできるスポーツと言われるのは、一般的に言えば、アルパインクライミング上がりの人から見た、外岩です。

アルパインや登山を経由していない、外的リスクのないインドアクライミングの人が外岩に来たら、リスク管理の穴だらけです。全く安全ではないし、気楽に取り組める活動でもありません。

昨今ではアルパイン経由の人もきちんとリスクを理解してアルパインクライミングをしていたわけではなく、単に形骸化した山岳会に所属して、そのために誰にもミスを指摘してもらえないまま登り、その上、大きな事故を経験せずに済んだだけ、という、ラッキーだっただけの場合もあるので、さらに要注意です。

さて、南さんのライブを聞いてほしい人のリスト。

・「いつまでもダメな私」という感情に半ば飲まれ、半ば自分から浸る感覚がある方
・「こんなに頑張っているのに」と不満を感じやすい方
・身の回りに「あなたはまだまだ頑張りが足りない」と言ってくる人を引き寄せがちな方
・見捨てられ不安が強く、「もっと頑張らなければ見捨てられる」と考えがちな方
・「がんばらないと愛されない・うまくいかない」という悪夢(見捨てられビリーフ)から醒めたい方
・「がんばることが正しいこと(善)」という想いが強く苦しい方
・子どもの頃からガマンばかりで、親に本音を言えなかった方

スポ根の人は、「がんばることが正しいこと(善)」という想いが強い方、に該当。

私が出会ったことがあるクライマーの中には、

・見捨てられ不安が強く、「もっと頑張らなければ見捨てられる」と考えがちな方


・「がんばらないと愛されない・うまくいかない」という悪夢(見捨てられビリーフ)

がある人もいました。

しかし、アウトドアのリスクって、

 頑張り

で、回避できます?

いや、できないのです。必要なのは、”頑張り”ではなく、

 冷静なシミュレーション

のほうです。

例えば…?

岩場で、落石があるところにピクニックシートを広げる…という行為。

岩場では、運よく、「〇〇さん、そこは落石があるよ~」と誰かがいつも教えてくれるわけではありません。

ところが、落石って、そう頻繁に起きることではありませんから、1回や2回の外岩クライミングで、そこにピクニックシートを広げたことで、ひどい目に遭うことは少ないです。

しかし、一回でも、人の頭大の石が落ちてきて、それが当たったとしたら?

大けがであり、大事故であり、そして、死亡事故も起こりえます。

そして、それって、”運が悪かった”と言えますか? 

正直、言えません。

落石が予想できるところにピクニックシートを広げるべきではないからです。

昔から、山の人の間では、

 落石が起こるような岩の通り道にはピクニックシートを広げない、と

いうことが伝承され続けているのです。

しかし、そうした伝承が途絶えて、それを守っていなかった。

だから、いつか落石に当たることは時間の問題、だったのです。

これは、客観的に見てギャンブルで、続ければ続けるほど、ギャンブルで当たる確率が上がっていくので、ロシアンルーレットと言う意味です。

これは、一般の社会でも、同様の現象が起きています。

例えば、低い土地に、多くの人が集合する設備などを作らない、という知恵などが無視され、田んぼとして利用されていた場所に、駅ができたり、学校ができたり、家を建てたりした結果、何年間かに一度の津波で流される、などです。

■ アウトドアクライミングのリスクは、危険予知力。

でしかありません。危険予知の分野では、日本は全体に後進国です。

林業でもそうですし、建設現場などの危険予知でも、後進的です。

その原因を考えて行きたいと思いますが、その一つには、

 行き過ぎた勇気主義=ヒロイズム

があると思います。

つまり、お前、男だろ、これくらいで怖いとは何だ!という奴です。

しかし、怖いのは、リスクを感知した、という動物の本能、お知らせ機能ですので、危険を察知したら、危険でなくなるように行動しなくては意味がありません。

そこでグッと我慢するのが良くないのです。

そこで我慢するようになっているのは、自動反応です。男が廃る!みたいなやつです。

だからと言って、ヘタレを正当化しないようにしてくださいね。人工壁で誰でも登れるように設定されている5.9でトップロープ掛けてください、みたいなのは、本当に男が廃っている事例ですよ、誤解しないようにしてくださいね。いますから、そういう人。

我慢する、というのは、自動反応(無意識)なので、本人は気が付くことができません。

それを利用して、奮発させよう、という競争による行動喚起が、男性社会には良く見られるようです。

漫画とかでもよく出てきますよね。そして、バカにした、バカにされた、という関係で、どっちが上か、みたいなのです。それで、いつか見返してやるぅ、というパワーにするのです。

友人のK君は、屋久島で、腐ったボルト1本にぶら下がるのが怖かったのに、なんだお前はそれでも男か、とバカにされたのだそうです。それで屋久島フリーウェイに対してリベンジクライミングを考えていたみたいです。

こういう関係性って男性社会独得で、女性の社会で、こんな働きかけ、虚勢を張らせるような声掛けはめったにありません。

これは、なんだ、お前それでも男か、とか言われなくても、「ふーん、怖いんだ」とかでも同じです。

私はメールで、「安全マージンが厚すぎる」と言われたのですが… これは遠回しにビビり過ぎだと言われたのと同じですが…。

(この時は、カムで登る岩場に行きたい私が、そのクライミングを断られ、山口県のエイドクライミングをお断りしたときに言われたので、は?ってなったんですが…。だって、エイドって…。流石に指摘が的を得ていないことは、明らかすぎますよね)

このことがあったので、長年かけて、安全マージンについて考察することになりましたが、ある時、大阪のクライマーと登り、私の安全マージンは厚すぎるどころか、薄すぎるということが分かりました。

安全マージンについて言えば、インドアの5.12が登れる実力になってから、5.9をリードするように教育されるのが、大阪のクライマーのようでした。(余談ですが、関東では、これは、インドア5.11だという合意がそこはかとなくあると思います)

こうしたグレードに転換する話は、グレードさえ上げておけば、アウトドアも安全に登れるという錯覚を起こしやすいので要注意です。

いくら高いグレードが登れても、落石があるようなところにピクニックシートを広げてしまうのが昨今のクライマーです。

それは、逆説的ですが、私のようにあまり登れない時期から、アウトドアクライミングそのものに触れて成長してくるほうが、反省をする力がある人にとっては、危険予知には長けることができるのです。

その際、必要なのは、きちんと危険予知ができる人と一緒に行き、その人から危険予知をきちんと言語化して教わる、という行動です。

昨今、同行だけでは、見て盗めない人がほとんどなので、言語化が重要です。

これができるクライミング指導者がいないのが、ボトルネックになっている。

昔は、みな、自分たちの行動記録を書くことで、自覚ができたのでした・・・。

■ 今のクライマー界のほとんどの人はスポコン礼賛

日本の登山文化を作為的に作っている?のかどうか分かりませんが、既存の山岳組織のトップの人たちが押しなべて、みな、高難度フリーの記録だけを価値評価してきたので、当然の結末として、日本はスポーツクライミングは強いのに、遭難者数や事故者数は毎年うなぎ上りという結果になっています。

なぜなら、高難度フリーの記録を登っている人の中には、ビレイができず、登るだけの人もいますし、自分で登る課題を選んで登ってきたのではなく、コーチに言われるがままに、これを登りなさい、あれをのぼりなさい、と指示されて、記録を作ってきて、結局、アウトドアでも、おぜん立てされた中で登ってきただけの人もいるからです。

特にジュニアはそうです。自らの力で、登ってきたアウトドアクライマーが少ないです。

高難度になればなるほど、落ちる確率が高いわけですから、ボルトも整備され、登るだけしか必要ない、ということに結果としてなっていくのです。ですので、原理的に高難度を登っている人ほど、危険予知に疎くなる可能性が強くなります。

すると、支点が整備されていない場所やもろい場所などのような、いわゆる”アルパインっぽい”場所については、無知、ということになります。

コンペクライマーで沢をやります、雪をやります、という人は非常に少ないです。

逆に沢や雪をやっていても、その人が危険予知に長けているか?というのは別の話になり、沢や雪をしていたことがあるから大丈夫とも言えません。

なんせ、ロシアンルーレットで逃れてきただけでも、沢や雪はできるからです。

記録を見るなり、その人の言葉を知るなり、発想を聞くなどして、その人が危険をどう捉えているか、どれくらいの感度があるか、個別に見ていくしかないのが現実です。

■ これまで見てきたおや?と思うべきポイント

1)事故時の緊急連絡先の交換がない
2)計画の相談がずさん 特にロープの相談と下山路、敗退の基準
3)心配で相談してくる人=可能性が良い人
4)不必要に高額で高機能なシュラフを持っている人=危険予知お留守の可能性あり
5)宿泊先など、クライマーならどうとでも対応できるような、些細な未知が許容できない
6)ビレイなどの講習を受ける気がない 
7)周りの人を見て自分の行動を決める
8)運転が荒い 林道でスピードを出し勝ち
9)ロープへのリスペクトが低い 人のロープで自分の本気ルートを登る
10)ボルトへの関心が低い 沢にあるボルト=終始水がかかっているのでは?など発想できない

2024/10/24

弟恋し…とクライミングの結末、ブレイムシフト

■ 私のロッククライミング=弟の死への代償行為?

なのかもしれません。だとしても、

なんせ無意識なんだから、分かるはずがない。

(ということで、自分を許します)

ーーーーーーーーーーー 棚田克彦 メールマガジンより引用ーーーーーーーー


家族の誰かに突然の死や早すぎる死が起きると
残された家族のメンバーに無自覚に
死に向かう衝動が現れる場合があります。
無自覚に死に向かう衝動を持つ者は


・ 大きな事故や怪我を繰り返す
・ 深刻な病気(ガン、糖尿病、うつ、拒食症等)や自殺衝動に苦しむ
・ 生命を危険にさらす職業に従事する(冒険家、レーサー、とび職、消防隊員、機動隊員等)
・ 生命の危険を伴う趣味を楽しむ(スカイダイビング、危険な登山やロッククライミング、バンジージャンプ等)

といった症状を示します。

そして、その背景には

・ 愛する大切な人を失った寂しさ
・ 自分も死んで早く愛する人のところに行きたい恋しさ
・ 愛する人を救えなかった罪悪感が存在します
ーーーーーーーーー


■ 罪悪感のこと

長く、クライミングで危険なことをする人たちに、

 なぜ、このブログのように、ここまでかみ砕いて説明しても、理解自体ができないのだろうか?


と思っていました… その疑問は解決しました…。


その理由とは、そもそも、クライミングをしたいのではなく、カッコをつけたい、仲間から尊敬されたい、女性からモテたい、が目的だったのです…。


なので、こうした人たちは


 クライミングそのものには全く興味がない、


というわけです。

クライミングに興味があれば、栗城劇場が生まれるでしょうか? ムササビスーツで死んだヨセミテクライマーは、クライミングそのものに興味があるのではないのは、明らかでしょう? あれって冒険? 冒険ってより、死への希求でしょう… 興味があるのは死であって、クライミングではない。

一般的に、こうした人が興味があるのは、

どうやったら、有名になれるか?
どうやったら、カッコつけることができるか?
どうやったら、仲間に認められるか?
どうやったら、女性にモテるか?

つまり、賞賛 ほしさ。

のほうで、その手段として、危険なことをする、ということを選んでいるだけなので、全然クライミングそのものには興味がなかったりします。

こういう人たちのことを 

  ナルシスト

というのです。 これは健全な自己愛とは全く異なるものです。

クライミングに興味がある人が、60シングルロープで、今25m登っていて、次のピッチは35mのとき、ロープが足りないことに気が付かないはずがないです。

登攀中のクライマーの頭の中というのは、自分が取れるリスクと現在のリスクの常時比較状態なのです。

というわけで、私はクライマーではない人たち、からの攻撃にさらされていたのでした…。

(ちなみに、今現在、自分が取れるリスクと現在のリスク常時比較というストレスに対する強さ=クライマー資質は、今、私はトレーディングで生かしています。)

■ 弟への愛が、私の脆弱性の理由だった

まぁ、誰でも分かりそうな、ナルシストを見逃してしまった理由は、

弟へのトラウマ反応でした。

トラウマって気が付かない間に発動しているのです。そこが厄介です。

私は、弟を早く亡くしたため、弟への愛情や弟を救えなかった罪悪感が基盤にありました。

弟の死のように、無駄な死を作りたくない、という無意識のトラウマ反応です。

さらに、このトラウマを強化する数々の死がありました。

最初は新井和也さん、レジェンドクライマーで私がビレイをさせていただいた故・吉田和正さんの死、そして、山岳総合センターの恩師村上周平先生の死。

罪悪感が強化されました。

その罪悪感を憤りに変換したのが、自分が殺されかける経験です。しかも複数回…。

そして、なんとしても思い出さないといけない記憶…父に殺されかけた2歳児の記憶まで私はなんとか、復活させたのです…

記憶というのは必要ないと忘れてしまうのです。こいつらはオヤジと同じだ、と思い出す必要があったのです。

■ まともなクライマーの死が利用されている

いや~、まともなクライマーも死んでる。野田勝さん。平出和也さん。杉野保さん。きのぽん。

カッコつけたいだけのクライマーはもっと死んでる。

カッコつけたいだけのクライマーたちの死を、まともなクライマーの死が、利用され、正当化することになってしまっています。

まさしく冒とくですね…

だって、エベレストで死んだマロリーが、栗城さんに天国であって、よお!というと思います?まともなクライマーなら思いませんね。格が違いすぎます。

私はまともなクライマーの死は悲しみの必要はないような気がします。というのは、

 良く生きて死んだ、

のだからです。

もったいないのは、犬死って奴です。させられそうな羽目になりましたけど!

■ 罪悪感については解消しました

罪悪感の出所は、まったく別のことでした…

また別途解説したいと思いますが、結論的に言えば、

 責任を回避したい

というブレイムシフトという転移にありました。

クライミングで私が経験したようなことは、ごく一般的なことです。

そのため、1世クライマーは、自分の子供である2世クライマーをこのような経験から、守ろうと必死です。

それは、自分の弟子を師匠がどう扱うか?ということから分かります。青ちゃんは、私に対して、あいつはやめとけと、ああだ、こうだ、とイチイチうるさかったです。というのは、このような惨状であることを40年登っている自分が一番良く知っているからでしょう…

私はなぜ、こんな、ひどい目に遭ったのか?それは、このことを

 世に知らしめるため

です。でも、私は

 その責任から逃れたかった

のです。 だって…

 なんで私が??

って私でなくても、誰でも、思いますよね。

私は一般クライマーです。才能のあるクライマーでも、上級のクライマーでも何でもありません。

なのに、なんで、私にこのお役目が来るの? って、私の立場に立ては、誰だって思いますよね?

ということで、私は自分の責任に立ち向かうのが、不満だったのです…私より適任者はいくらでもいると思っていました。例えば、今動画を出している若い人など、良く頑張ってくれていると思っていますが、この問題については触れることができないでいるようだ、と観察しています。というのは、ビレイがまずいクライマーなんて、ゴロゴロいるからです。

なんで私が?感の中には、、こう言っちゃあなんですが、クライミングで良い目に合ってる?合ってないですよねぇ。むしろひどい目に合ってる。3回のインスボンで、この大役を引き受けることになる?いやならんだろう…だって、アレ、お付き合いクライミングよ?

なので、そこも不満でした。

しかし、結局、弟がくれたギフトはこういうことだったのです。

私はこの罪悪感をシフトして、夫のせいで、社会のせいで、イケイケクライマーのせいで、自分が生き生きと登れないのだ、と思っていました。

主婦は家に居ろ、みたいな世間の声と混線していました。

私の夫は、私の幸せを望んでくれていますが、ビレイはできません。

彼には適性自体がないのです。(そこは別途書きますが、ビレイってピンチに強いメンタルの人向けです。なんせ、登っているクライマーがギリギリに挑む=落ちるかもしれない、って意味ですから、メンタルが弱い人はそういうクライマーを見ているだけでストレスなのです。)

そして、夫はビレイをできないけれども、私の幸福を望んでくれていると思いますので、ひとりで、あちこちクライミングに行っても、別に問題になることはないのです。

にもかかわらず、儒教国の九州では、女性は男性を立てろ、とかいう謎の文化圏ですので…(実際はほとんど女性が支配している)、おかしなことになってしまったわけです。

ということでした。

罪悪感はもはや消えました。分かってみたら、なんだーバカみたい、と思いました。


ーーーーーーーーーーーーーー 棚田メマガ より引用

愛する人の後を追って 自らの命を絶ったとしても 誰一人として喜ぶ人はいません。 

もしも本当に愛する人のことを大切に思うならば 死を思いとどまって幸せになることが、先に亡くなった人物に対する 最善の愛の表現方法です。
ーーーーーーーーーーーーー






2024/10/20

父へのトラウマ反応

以下は、南ゆうたさんのメマガより引用です。

当方、HSP。

ーーーーーーーーーーーーーー 

アダルトチルドレン(AC)や愛着障害、HSPの方の中には、過去の怖いお父さん、厳格過ぎるお父さん、自己中心的で支配的なお父さんのトラウマ記憶に悩まされている人も多いです。

トラウマ記憶は、「思い出している」という感覚抜きに蘇りやすいです。

だから、最初のうち、アダルトチルドレン(AC)や愛着障害、HSPの方の多くは「これは過去のお父さんを重ねてしまっているのだな」と気づいていません。

例えば、あなたに上から目線で話しかけてくる子どもっぽい男性の同僚。

例えば、短気でわがままな上司の男性。

例えば、無口でぶっきらぼうな喋り方をする男性。

人により引き金は異なりますが、過去のお父さんとよく似た人に対して、無自覚にトラウマ反応が出ている人が多いです。

ーーーーーーーーーーーーー

■ 私がトラウマ反応を起こす相手

1)ナルシスト男性

2)子供っぽい男性

3)無責任で酒飲みな男性

■ トラウマ反応を抽出すると?

1)自力で何とかしようとする

2)相手を助けようとする

3)相手に同情する

4)相手に近づこうとする

5)相手のせいで自分がこうなったと糾弾する

なぜなら、本来、親であるべき相手が、ナルシストで、子供っぽく、世話を必要としている場合、子供である自分が、

 世話が得られず → 自力で何とかするしかない

 親のほうが助けを必要とし → 助けようとする

 それを正当化してあげないといけない → 親にはそうせざるを得ない理由があるんだ、と合理化しようとして同情する

 子どもの立場は親を必要とする → クライマーはパートナーを必要とする

■ 事例

事例1: 子供が6人もいるから俺は被害者だと嘆く登山ガイド

事例2: ジムで5.11が登れるから北岳バットレス四尾根

事例3: 阿弥陀北稜へ一升瓶担いでいき7人凍傷

事例4: 40年登っているのに新人と比べて俺のほうがすごいというベテラン 比べるならトップクライマーと比べないと意味がない

事例5: 25+35=60が計算できないでツッコんで行ってしまい、やっぱりロープは60だねと的外れな反省をしてしまう人

事例6: 現代の記録とならないようなしょぼい記録を気づかずに公表してしまう若い人

■ 反応の仕方

以上の事例で、ぜんぶ、”私が何とかしてやらねば!”と反応(境界線侵害)してしまっていたのでした。

私の責任かというと?

全然違う。全部、単に相手の知性が足りないんじゃないの?という事例だ。

しかし、その知性の足りなさ、に対して、本当に何ともやりきれない、すごく嫌な気分がするのだ。ヤレヤレ感もそうだし、再教育しないといけないんじゃないの的な。誰か何とかしてやって!的な。

しかし…

心理学で明らかになったところによると、これらの人々は

 脅迫的な自己中心性 

をもった

 ほとんどパーソナリティ障害

に近く

 自ら、メンタルクリニックやカウンセリングに訪れることは、ほとんどない

のだから

 自ら、クライミングの教科書を読んで自学自習することはほとんどない

のだ。

クライミング×SNSという活動が、彼らのナルシスティックなエゴのエネルギーの供給源になっている。(賞賛をエネルギーとして彼らは行動する)

賞賛が、自分に向かっていないと、誰に対しても攻撃するのだ。

それが明らかに表れたのが、私がアイスクライミングで韓国に行ったときだ。私が登れるようになってしまったら、師匠はなぜか怒り心頭、だったのである。普通は組んでいる相手がより上手に登れるようになれば、うれしいはずだ。

まぁ、その所作で、私はすごく上手に登っているんだなぁということが、明らかになって、私の側は自分の動画などを確認しなくても、エライ自信になった。

■ 離れられなさ =トラウマ反応

相手のメンタルが通常状態ではない=自分が窮地に置かれる

その上、相手や状況が変わる可能性がない場合に

 このような状況は、相手のせいだ!と糾弾・指摘する行為から、離れられない

のがトラウマ反応だ。

一回の指摘なら普通だ。しかし、繰り返しとなると?

離れられなさ…が一般の人との違いだ。普通の人は、ここまで執着しない。とらわれない。さっと手放すことができる。

■ なぜ手放せないのか? 理性での正誤の判断に囚われているため。

 親であるはずの親が親として機能していないのは、実際に、事実

であるので、指摘は間違っていないからだ。

指摘が、事実か?事実でないか?正しいか?正しくないか?で判断すると、事実であり、正しいのである。

つまり、理性で判断すると正しい。私は間違っていない。強い理性の力が、自分を不利にするという逆効果になっている。

 クライミングで指導する側が間違った指導をしている、のも事実

であり

 クライミング教育が不在

というのも、全く事実の指摘なのである。(やってもあいつらは来ないが)

■ 社会性

また、社会的に正義かどうか?で判断しても正義であるので、変に正義感や使命感を刺激する社会背景…社会にとって役立つこと、正しいことをすべきだ…があると、手放せない。

社会的に意義があるか?ないか?で判断しても、間違いを辞めさせ、正しいことを広めるのは、社会的に意義があるのである。

そもそも、私が2歳で親に殺されそうになった、というのは事実であったし…

・クライミングパートナーに殺されかけた、というのも事実であるし…

・クライミング界が、新人さんを庇護していないというのも、全くの事実である。

これは、したがってクライミング界への指摘というのは、最初にスタートしたところがトラウマ反応であったとしても、客観的で正しい指摘、だと思う。

■ なぜ40年も放置されていたのか?

というか、トラウマ反応を起点にするくらいの人でないと、こんなしょぼいヤレヤレ感満点の、バカっぽい行動に対しては、間違いが明らかすぎて、大人なら自分で直せよ、みたいな感じなので、まともなクライマーは

 誰も指摘する気力すらわかなかった

んじゃないだろうか? 

それが何十年も、間違いが放置された理由で、その放置によって、間違ったクライミング技術や自己顕示欲だけのクライマーがイネイブルされてきた理由だ。

■ 立場の考察

では、だとしても、クライミング世直しをするのに、私が適した立場か?

いや違うだろう。

クライミングをスタートして3年でフリークライミングのレベルに来たが、まだフリークライミング自体をスタートすらしていないのだから。

もっと楽しんでどっぷりつかった人たち、このような文化をイネイブルしてきた、放置してきた人たちこそ、世直しの責任者にふさわしいだろう。

平たく言えば、なんで私が?である。

楽しんでもいないのに、最初から、世話を焼かされる羽目になるのはいやだ。

子供役をやっていないのに、親役をやらされるのは、いやなだけでなく、そもそも無理であるのは、だれしも当然である。

しかるに、私は適任者ではない。

そう私の理性が言うから、今立ち止まっているわけだ。

■ 癒し&対策

さて癒しについての考察。

本来の友情で結ばれた、クライマーとしてクライマーらしいクライミングをする。

それ以外はスルーする。

同情はするけど、手助けはしない。