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2026/10/20

【心理学】コブラ効果

 「コブラ効果(問題解決のための報酬や評価制度が、かえって逆効果を招く現象)」を、クライミングのグレード制度やジム運営・トレーニングに当てはめて分析すると、以下のような現象として捉えることができます。

  • 「完登数(本数)」や「グレード」を目標・評価基準にすることの歪み

    • クライミングジムなどで「何級を何本登ったか」「最高何段を登ったか」という数字やグレードの達成を過剰に評価・目的化すると、本来の「身体操作の上達」や「純粋にムーブを楽しむこと」が二の次になり、数字合わせや形骸化が起きる。

  • 事例1:グレードのインフレと「甘い課題」の乱立

    • ジム側やセッターが「完登者数や客の満足度(数としての実績)」を重視しすぎると、客が喜びやすい「実際より簡単な高グレード課題(甘い課題)」を量産してしまう。その結果、客は「自分は高グレードが登れるようになった」という一時的な報酬(承認欲求や達成感)を得るが、外岩やシビアなコンペでの実力(本来の課題解決能力)が伴わなくなるといった、実質的な技術低下や評価の形骸化を招く。

  • 事例2:数字稼ぎのための「登り方」の妥協

    • 「グレードを更新すること」自体が最大の報酬(目的)になってしまうと、ムーブの美しさや正当な手順(ホールドの限定や足の使い方のルール)を無視して、ダイナミックすぎる無理やりな動き(ラウンジ的な跳びつきなど)で力任せに完登を急ぐようになる。結果として、怪我のリスクが増えたり、基礎的な技術が育たなくなったりする。

  • 教訓

    • クライミングにおいて名誉やグレード、初登という「外発的な報酬・数字」ばかりを追い求めると、かえって本質的な上達(技術力や身体能力の向上)という本来の目的が損なわれてしまう。

    • 制度や目標を設定する際は、その数値やグレードが「本当に実力や技術を測るものになっているか」、あるいは「不要な歪みを生んでいないか」を見極める必要がある。

2026/10/06

【クライミング心理学】再演

これが再演構造のような気がしますね。


  • 「優等生(ゴールデンチャイルド)」から「問題児(ブラックシープ)」への移行プロセス [00:00]

    • 優等生としてのスタート: 学校の成績やスポーツなどで優秀な成果を収め、親に自慢されることで、親の承認や満足感の源となっている状態から始まります [00:03]。

    • 変化の訪れ: やがてルールに従うのをやめ、自分の意見を主張したり、これまでタブー視されてきた問題について話し始めたりします [00:10]。

    • 「問題児」扱いされる理由: 境界線(バウンダリー)を持ち、自身の真実を語ることで周囲に気まずさを与え、他者に内省を促す存在になるため、「ドラマチックすぎる」「敏感すぎる」として非難の対象や「問題」にされてしまいます [00:20]。

    • 脅威となる変化: 周囲の期待通りに振る舞い、他者を安心させる役割を降りたことで、結果的に周囲にとっての「脅威」とみなされるようになります [00:39]。

2026/10/04

【クライミング心理学】這っても黒豆の理由

 1. 「同調圧力への同化」がもたらす無謬性の錯覚(アイデンティティの砦)

危険をあえて冒す文化やコミュニティ(サブカルチャー)において、その規範(「リスクを取ることこそがかっこいい」「恐怖に打ち克つのが本物のクライマーだ」という価値観)は、単なる意見ではなく集団に所属するための忠誠の証として機能します。

  • 規範の内面化と防衛: メンバーがその規範を疑うことは、自分が属するコミュニティからの「精神的な追放」や、自分自身のアイデンティティの崩壊を意味します。したがって、現実の事故や合理的な批判(「リスクは避けるべきだ」という現実)が突きつけられたとき、それを直視することは自己否定につながるため、人は無意識に認知の歪み(防衛機制)を起こします。

  • 「同化していることへの絶対の自信」の正体: あなたが看破されたように、彼らが依拠しているのは「リスクそのものに対する冷静な計算」ではなく、「この過激な規範を疑いなく体現している自分(および仲間たち)は、選ばれた強者である」という集団的確信(同調の正当化)です。この同調に疑いを持たないこと自体が、彼らにとっての絶対的な自己肯定の源泉(自己愛の補給源)になっているため、現実のデータや否定的な現実が入り込む余地がなくなります。

2. 現実の否定と「認知的不協和」の解消

現実の危険や非合理性(=否定する現実)に直面したとき、本来であれば行動を修正すべきですが、人間は矛盾を抱えたまま生きることが心理的に苦痛なため、「認知的不協和」を解消するためのバイアスが働きます。

  • 合理化の逆転: 「危険すぎて合理性がない」という現実に対し、「それをあえてやる俺たちは特別だ」というロジックにすり替えることで、現実のショックを無効化します。

  • 客観的事実の排除: 安全管理や客観的なリスク評価という「外部の基準」を、「それは萎縮した者の言い訳だ」「魂の無い安全主義だ」とラベリングして排除することで、内側の閉じた論理体系(エコチェンバー)を維持します。ここには、客観的な妥当性よりも、内輪の論理(同調圧力)を優先させる構造があります。

心理学者としての総括

あなたの仮説通り、彼らの姿勢が現実の前でも覆らないのは、それが「リスクテイクの技術論」ではなく、「危険な規範に完璧に適応・同化している自分への絶対的な信仰(およびそれをもたらす集団への帰属意識)」によって支えられているからだと考えられます。

つまり、彼らが守っているのは「生身の身体の安全」ではなく、「過激な世界観に耐えうる強靭な自分」という幻想のアイデンティティであり、それを脅かす現実は、どれほど明白であっても心理的防衛によってシャットアウトされてしまうのです。

2026/10/01

【クライミング心理学】クライミングにおける「同調圧力」と「鏡映欲求」

 クライミングにおける「同調圧力」と「鏡映圧力(鏡映欲求からくる圧力)」が、どのように絡み合い、なぜ命に関わる危険な事例につながるのかを分かりやすく整理します。

1. 二つの圧力の定義とクライミングでの表れ方

  • 同調圧力

    • 意味: 「こうあるべき」「ちゃんとしなきゃいけない」という無言の規範やルールを周囲に押し付ける圧力。

    • クライミングでの事例: 「このルートはこう登るべき」「これくらいのスピードで行くのが当然だ」と、自分の規範や効率性をパートナーに無言または有言で強制すること。

    • 悪く出ると「敗退ロープなし」「残置無視」「これくらいで怖いとは何だ」など、無謀のほうへ振れる。

  • 鏡映圧力(自己受容の不足からくる称賛の強要)

    • 意味: 「自分の強さや決断力をすごいと言ってほしい」「かっこいい自分を賞賛してほしい」という欲求を満たすために、周囲を巻き込む圧力。

    • クライミングでの事例: 「迷ったらハードプッシュ(ゴリ押し)」「敗退なし」「残置無視」など、自分のナルシズムや「強い自分」を演出するための、無謀な行動に、パートナーに付き合わせること。

2. なぜ「命にかかわる危険な事例」になるのか?(構造的破綻と実害)

この二つの圧力がクライミングという極限の現場で合わさると、「実害付きのデス・トラップ(死の罠)」に変わります。

  • 危険な事例のメカニズム:

    1. 計画の破綻: 例えば、50メートルのロープに対し、35メートル登った後に残りが25メートルしかなくなるといった、物理的に最初から、計算が破綻している無茶なルート取りや計画をリーダー(または相方)が持ち出し、当然視します。

    2. 鏡映欲求の発動: 相方は「俺についてこい!」「こんなの余裕だと思える俺ってかっこいいだろ?」という自己顕示欲(鏡映欲求)を優先させます。

    3. 同調圧力による封じ込め: そこに対して「ロープが足りない」「危なすぎる」と慎重意見を言う側を、相方が「臆病だ」「何をビビっているんだ」と攻撃したり、無言のプレッシャー(同調圧力)で従わせようとします。

    4. 命の代償: 一般社会であれば「わがままな人だな」でスルーできる人間の承認欲求の歪みが、山の中ではそのまま「墜落」や「死」という取り返しのつかない実害になって直撃します。

3. 注意するべきポイントのまとめ

  • 「自分のすごさの証明」に付き合わせる相方は即座に排除する

    • 相手が「かっこいい自分」を演じるためにクライミングをしている場合、こちらの安全や計算の整合性は後回しになる鉱山が高いです。クライマーとしての限界を無視して「ハードプッシュ」を強要してくる場合、それは単なる性格の不一致ではなく「命を奪う加害行為」となる可能性が高いです。なぜなら、ハードプッシュができるパワーと言う資源は、男性クライマーにはあっても、女性クライマーにはありません。あったとしても、ごく例外です。リン・ヒルですら、スキル派です。

  • 「正しさの圧力」と「命の危険」を混同しない

    • 「菓子パンの外装を捨てるときに結んだ(きっちりしている)」のような日常の同調圧力は息苦しくても命までは奪われませんが、クライミングにおける「同調圧力」は、誤った計画や危険な判断に巻き込むための武器として使われるため、絶対に呑んではいけない。

  • バウンダリー(境界線)を引く

    • 相手の自己受容のなさや「称賛してほしい欲求」に自分の命をリソースとして差し出す必要は一切ない。「この人のやり方は物理的に破綻している」と客観的に見極め、その場から離れる(ロープを一緒に組まない)ことが最大の防御となります。

架空の事例:「夕暮れの北壁・ハードプッシュの罠」

1. 登場人物

  • リーダー(先輩・仮名:Tさん): ナルシスティックな一面があり、「困難な状況でも自分の力と気合いで突破するカッコいい俺」に酔いやすいタイプ。エニアグラムタイプ3的な「目標達成」という強いこだわりを持つ。

  • パートナー(後輩): 安全確認やルートの計算(ロープの残りの長さ、時間管理など)を冷静に行う、慎重で現実的なタイプ。

2. 状況設定

標高の高いアルパインの岩場(マルチピッチ・ルート)。 夕方になり、すでに予定より2時間遅れで行動している。このまま進むと暗闇の中でロープワークを強いられるリスク(下降路の迷失など)が高いため、本来ならここで「敗退(エスケープ)」または安全なテラスでのビバークを判断すべき場面。

3. 圧力の発生と崩壊のプロセス

  • ① 鏡映欲求の発動(「カッコいい俺」の演出) Tさんは焦りを隠すように、胸を張ってこう言います。

    Tさん: 「おい、ここで引き返すのか? それじゃダサいぜ。ここをフリーで一気に押し切る(ハードプッシュ)のが男のクライミングだろ。俺たちの技量なら行ける! この難局を突破する俺たち、最高にかっこよくないか?」 

  • ② 同調圧力による封じ込め(慎重さの否定) あなたは客観的なデータを元に反論します。

    あなた: 「残りピッチの計算が合いません。今の残置ロープの長さと私たちの登攀スピードを考えると、次のピッチの途中で確実に暗くなります。リスクが高すぎます」

    Tさん: (顔を曇らせ、冷たいプレッシャーを放つ) 「お前はいつもビビりすぎなんだよ。そんなこと言ってっからいつまで経っても伸び悩むんだ。俺の判断を信じられないのか? それとも俺の足手まといになりたいのか?」 (「強いリーダーに従うのが正しい」「不安がるのは臆病で悪だ」という道徳的・心理的な圧迫=同調圧力)

  • ③ 構造的・物理的な破綻(実害と死の危険) Tさんの「ハードプッシュ」という主観的なノリと、「俺の言うことに従え」という同調圧力に押し切られ、あなたは不本意ながら登攀を続行してしまいました。 その結果、Tさんが見立てを誤り、中間支点の取り方が不十分なまま暗闇に突入。疲労と焦りから足元を滑らせて墜落。幸い死亡は免れたものの、二人とも身動きが取れなくなり、夜通し寒さと恐怖に震えながら救助を待つ事態に――。

この事例の教訓

  • 一般社会なら「スルー」できるものが、山では「命取り」になる 日常会話やSNSで見られる「私をすごいと言って!」という鏡映欲求や、「私のやり方に合わせなさい」という同調圧力は、会社や友人関係であれば「めんどくさい人だな」と聞き流して終わり(無害)にできます。

  • しかし、クライミングにおいてこれが発動すると… 相手の「カッコいい自分を演じたい欲求(鏡映圧力)」や「自分の正しさを押し付ける圧力(同調圧力)」は、物理的な計算違いやリスクの軽視(次元Aの破綻)を覆い隠すための「凶器」に変わります。

「この人の自己受容のなさに付き合わされて、自分の命を危険に晒す必要は1ミリもない」――この境界線(バウンダリー)を引くことが、極限の環境で身を守るための最大の鉄則となります。

2026/09/25

【クライミング心理学】ギンちゃんの百四丈滝

ギンちゃんがまたやりましたね。

https://www.instagram.com/p/DdjRa-7ktRI/?stkn=MzRlODBiNWFlZA==

5.12a,5.12c,5.13aの3ピッチ、100mのライン

こういうのが現代の初登で、クロスケオテ谷をエイドで落としました、って言われても、「え?!今時、エイドで?!」ってなったんですけどね。

ギンちゃんとは、ドラツーの練習で行った岩根で会いました。アイスクライミングをしている人は、ギンちゃんとは、みんな知り合いなのではないかと思いますが、コンペに出ないと、接点がないかもしれませんね。

現代のクライマーは人工壁で上げた実力を外壁に持っていく

と言うのが基本的戦略になっていて、それは、

外壁5.7を安全に登れるように、インドアジム5級が必要
外壁5.9を安全に登れるように、インドアジム4級が必要
外壁5.12を安全に登れるように、インドアジム2級が必要
外壁5.13を…は経験していないのでわからないがおそらく同じです…

という風にジムグレードとの開きがあっても、だいたい呼応しています。

ところが、この逆が成り立たないんです。

インドアジム5級が登れるから、外壁5.7が落ちない?かと言うと違って、落ちるか落ちないかは本人の意識が半分以上を占めるので、インドアジムで落ち癖をつけると良くないのです。

私は最初からジムでも落ちない登り方で、クライムダウンをしています。それは、外壁での能力をジムでも高めるためなのに、勝手に勘違いした男子クライマーが、「そういう時は落ちたら腕力セーブできますよー」というわけです。余計なお世話。

これが「より視野の狭い側」が「より視野の広い側」を見下して、自分のほうが分かっていない側とも知らずに説教してくるパターンです。

しかも、普段から外岩を登っていない人が、5級を登っている私を見て、「あんなおばちゃんクライマーで5級しか登れなくも、外岩5.9がリードできるんだー」と思ったりしたら…その人、下手したら、1本目の外岩で死ぬかもしれません。

九州のローカル岩場での話で申し訳ありませんが、インディアンサマー5.10bは、実際は10dでした。日向神愛のエリアの初夢は、5.9って書いてありましたけど、実際は、「上で5.10bのムーブが必要なんだよー」と”楽しそうに”ローカルクライマーは教えてくれました。

つまり、実際にルートについているグレードと実感が異なることが、自己陶酔の源泉になっている。それは楽しそうに話してくれることからわかります。

しかし、現実問題、そんな外岩事情を知らないクライマーが取り付いたら、たのしくはないです。騙されることになってしまう。

つまり、たのしそうに話しているローカルクライマーに対しては、この態度は、なにかおかしいなと警戒心を持つべきところです。

その警戒心が、同調圧力があると持てないみたいでした。「5.9って書いてあるけど5.10bのムーブがいるんだよー(楽しいよね~)」です。

本当に送っている裏面メッセージは、「楽しいよね」です。

楽しいです?楽しくありませんよ。

5.9しか登れない人は、必ず追い詰められるように設計されているんですから。

(ちなみに、私はこれはオンサイトしています)

私が”出し”にされそう

私がこのような態度に警戒感を持つのは、出汁にされそうだからです。

私はクライミング界の最弱者です。そりゃそうでしょ、43歳でクライミングをスタートしているんですから。私が故・吉田和正と登ったのは、そういう人にこそ、一流の指導が必要だからです。男子みたいにパワーでごり押しとかできないですし、ケガしながら登るなんてありえません。吉田さんがくれた私への唯一のアドバイスは、「ジムに長居しすぎだ」でしたし。

私はジムでは5級までしか登れませんが、外壁では5.11が届くか届かないかくらいまで登っていました。これは、男性に換算すると、5.12が届くか届かないかくらいな感じで、要するに平均的と言う意味です。女性でも3年も外岩をやっていれば、それくらいになるのが普通のスピードでの成長だと思います。

しかし、それを見て、「なら、俺はもっと行ける」とジムの初日に5級が登れる男子が思ってしまうと事故になります。

たとえば、ギンちゃんの、この記録がだせるのに、どのような能力が必要か?をGeminiに出してもらったのが以下です。

5.13なんて、その辺の一般クライマーでも登っている現代、俺だって登れるぜー(ダニングクルーガー効果)と男子が思っても不思議ではありませんが…。このルートは、そう思う男性クライマーたちのほとんどが登れません。

普段、ジムで、最低でもボルダリングで初段、V10前後/数え方によるが、3〜4段、あるいはジム内の最上位クラス、インドアのリード壁でも5.13台後半から14台、を登っていないといけない、のです。

こんなの、登っているアルパインクライマーはいません。ピオレドール受賞者の天野和明さんだって手に負えないと思います。それでユージさんに登場してもらっているのがギンちゃんの本音ではないかと思います。

つまり、ココの初登を落とすには、パートナーで適任者がユージさんしかいなかったってことです。”世界のユージ”しか…。

普通のジムクライマーは、沢もやらないし、外岩って言ってもゲレンデレベル。ロープワークがゼロに等しいからです。

わたしを真似て外岩に出て怪我する男性クライマーがいたら、それはピンキリのキリ、一番最下層の男性クライマーと思いますが、ギンちゃんが必要とするパートナーのニーズと私の必要とするパートナーのニーズは同じです。

外岩のリスクを分かっていること、ジムグレードが上の方が上という短絡思考がないこと、アウトドアでのビレイやロープワークが確実なこと。

これらが現在のクライミング界からは得られなかったので、クライミングはできなくなりました。

ギンちゃんがユージさんを頼らないといけないのは、まぁトップレベルのクライミングなので、仕方がないとしても、私のように底辺のクライマーですら、指導者層を頼れない…というのは、クライミング界がいかにレームダック化しているかを示しています。

女性を出しにして、他の男性クライマーを勇気づけないといけないほど、落ちぶれている、と言うのが正しい姿です。

心理学的に何が起きているか?

ジムグレードをそのまま、アウトドアに当てはめるときは、ダニングクルーガー効果が起きています。

ローカルエリアの辛口グレードを「楽しそうに」語るカルチャーや、それを安易に消費する姿勢には、一種のモラルハザードが起きています。

本来、命に関わるリスク(=死の危険)が伴う環境であるにもかかわらず、それを「武勇伝の素材」として内面化してしまう現象です。

この二つが起きていることが、一般クライマーには経験不足からわかりません。

そして、同調圧力に屈して、モラルハザードを”文化”として取り入れてしまうのです。

そんなのは、文化ではありません。

ジムしか登っていないクライマーの思考の事例

https://note.com/keen_deer851/n/n5593f599d0a7

この人が悪いと貶めたいわけではなく、この思考回路と、外岩は全く別物である、と言う事例として、参考にしてしてください。

余りにも違うので、ニアミスすらしないほどです。 誰かが決めたルートを落とせるかどうかがゲームの本質だと語っています。もう前提からしてクライミングを理解していないです。

【クライミング心理学】九州クライミング界の集団催眠のこと

だんだん体も元に戻ってきた。

21日には、MTBのライド会で、昨日はラクロール海連にいたのですが、九州の人の「体力おばけ」への憧れについて、気が付きました。

■九州スポーツ界の集団催眠のこと

私はロッククライミングの聖地、山梨県でクライマーとしては、スタートし、さてアルパインはひと段落したのでこれからフリークライミングを頑張ろうかなってところで、福岡に来たのですが、なんか、おかしな思想が九州クライミング界にはびこっているので驚きました。

40年前、50年前の思想が残っていて、アップデートされていませんでした。


端的に「制動確保」&「ランナウト」の信仰が根強く、それをそのまま信じた若い人が次々と「重大事故」になっており、それを指導層は「自己責任」で片づけている。

え?!私はそんな風には教わりませんでしたけど?

■九州人は自覚できない

不思議なのが、それが九州人は自覚できないみたいだったこと。

お前が間違っている!という強い圧を私は受けました(ガスライティング)。

しかし、間違っていると言われたって、私が指導を受けたのは、長野県の山岳総合センターであり、労山登山学校校長先生の青ちゃんであり、故・吉田和正であり…なんか指導者レベルが違いすぎます。周囲にいたクライマー集団も、ピオレドール受賞者のギリギリボーイズの皆様だったし…。

さらに不思議だったのは、私同様に山梨のクライミングも経験している人でも九州に戻れば、それを受け入れてしまうこと、です。山梨では危険なクライマー扱いされていたアラーキーは優等生扱いでした。

え?!です。

一種の集団催眠みたいになっています。

■水泳も、競泳一点ばりの集団催眠状態

九州は大変なスイミング王国で、世界水泳もあるし、子供の水泳が非常に盛んです。

ところが、これも、スポコン。競争を旨とする、まるで信仰になっています。

普通に、水泳原理を考えたら、競泳の原理って、水の原理に逆らっているところがたくさんあります。

なぜなら、筋トレにするなら、抵抗が大きい方がいいからです。

それが効率よく泳ぐための泳法ではない、というのは、わたしのように数年しかやっていなくても気が付きますけど、なぜか何十年もやっている人は、全然気がつかない。


■マウンテンバイク

どうもマウンテンバイクも同じようでした。大会出場者の人たちは、修行のようになっているそうで、自然を楽しむとか、地図を読むとかの、知的要素が削り取られ、マラソンのようにひたすら、自分を追い込む活動に変容していると、主催者の人が言っていました。

私はそうでない集まりに入っている(谷口ケイさんも参加していたグループ)ので、「そういう文化土壌なんですよ」って世間話したという意味です。

しかし、このグループではない人たちは、そうやってMTBの大会に勝つ、が目標になっているそうです。いやはや。

マウンテンバイクもこちらでは、本州と比べると不利な活動です。

登山道の取り合いで、登山者との競争になったのだそうです。なんかありそう。
分け合って楽しむってできない体質っぽいです。


■マラソン王国

一方、大濠公園を走っている人口は多く、なんか自分をいじめるのが大好きっぽいです。

以前聞いた話だと、ゆっくり走るグループと、修行するグループの軋轢もすごいそうでした。マラソンへの姿勢をめぐって、ものすごく対立しているのだそうです。

最近お友達になった人が、仮装して福岡マラソンを楽しく走っているのを見ると、ずいぶん違います。

どうも私は少数民族とどこにいても引き合うようです。

この自虐が文化である点や、そうでない人との対立構造は、全国的なロッククライミングの文化圏も同じです。

若いクライマーは、エンクラ(エンジョイクライミングの略)と言って、市民クライミングを楽しむ人たちをバカにしている人が多いですが、「修行こそ善」みたいなのは、どこから来たんだろうかなぁ。そんなことをしても、すぐに指がダメになり、登れなくなるのに。

海外ではそんな対立は起こらず、老若男女、協力して、楽しく登っています。

■体力おばけ??

そこでよく聞こえてくるのが…「体力おばけ」と言う言葉。

他を圧倒する体力、他を圧倒する実力、への憧れが根強い。
根底には、承認欲求があるのでしょうか?
それとも、他を圧倒したい!という気持ちがあるのでしょうか?

でも、私もプールで延々と泳いでいるので、見る人によっては、体力お化けに見えているかもしれませんが、実際は体力お化けなのではなく、水泳の原理原則に忠実に練習しただけですけどね。ずるいって言われても困るわ。

原理原則に忠実だと体力が要らなくなるので、運動にならないなぁ…と最近は感じています。

■「努力している姿」「苦難に耐えている状態」「圧倒的な体力」を満たして初めて周囲から認められる、あるいは自分自身の価値を感じられるという認知の歪み

これにより、合理性よりも「どれだけ苦労したか」が自己肯定感のよりどころになりやすくなります。

■同調圧力の受容=安心感

独自の合理的な判断軸を持つことよりも、地域やコミュニティで共有されている古い規範(スポコンや精神論)に従うことで、仲間外れになる恐怖や孤立感を回避しようとする心理が働きます。

客観的な検討を行わずに受け入れる背景には、異端視されることへの防衛反応があります。

■身体的疲弊を通じた万能感の追求=おしん

限界を超えた運動量や「体力おばけ」への憧れは、過酷な環境を耐え抜くことで一時的な全能感や優越感を得る手段として機能することがあります。

自分の脆弱性や限界を直視することを避け、耐え忍ぶことで強さを誇示する構造です。

つまり、まだ「おしん」をやっているってこと。


「過酷さに耐え抜くことでしか、承認や居場所を得られない」
という環境的圧力の中で形成された適応行動


として捉えることができますが、これってとっくに時代遅れですよね?
そもそも過酷ではない(笑)

そもそも、クライミング環境(=登山環境)で言えば、九州って全然過酷ではない(笑)。
それどころか、ぬるま湯です。なんせ高い標高もシビアな気候もないんです。
車で岩場に横付けできるのが九州の強み。

なんだったら、それを強みとして受け入れたほうが(笑)。

過酷でないところで、過酷さに耐え抜くことで承認を得ようとするから、ランナウトしないといけなくなるのかもですねぇ…。

そして、しないで指摘する人には、「自己責任ハラスメント」を行う。

それが、九州の同調圧力、であるということみたいです。


2026/09/22

【クライミング心理学】自己責任ハラスメント

 「自己責任ハラスメント」の構造をクライミング(特にフリークライミングやマルチピッチ、ジム外の自然の岩場)に適用すると、ベテランや強い climbers(クライマー)が初心者の同行者やパートナーに対してやりがちな「都合の良い責任転嫁」や「マウンテン・ハラスメント(マウンハラ)」の構図が浮かび上がります。


クライミングにおける「自己責任ハラスメント」がどのように発生するかを、典型的なパターンで解説します。

クライミングにおける「自己責任ハラスメント」の4つのパターン

1. 「行ったお前が悪い」の論理(誘引しておきながらの突き放し)

  • 状況: 経験豊富なクライマーが、「ここ面白いから行こうよ!」「大丈夫、俺がプロテクションも支点も全部しっかり作るから安心して」と、自分の技量やペースに引っ張り込むように未熟なパートナーを誘う。

  • ハラスメントの発生: いざ取りついたものの、ルートの難易度が高すぎたり、プロテクションの間隔が遠くて恐怖で動けなくなったりしたとき、あるいはトラブルが起きたとき、そのリーダーは「行くって決めたのはお前だろ」「自分の登攀能力を超えるルートを選ぶな。自己責任だ」と突き放す。

  • 構造のずるさ: 「連れ出した側の主導性や安全管理の責任」を一切無視し、結果(登れなかったことや恐怖で萎縮したこと)だけを相手の責任にすり替えている。

2. 「道具や事前の勉強不足」を盾にした安全配慮の放棄

  • 状況: マルチピッチなどで、リードする側が圧倒的に強く、ビレイヤー(下でロープを操作する人)の経験が浅いことを知っていながらパーティを組む。

  • ハラスメントの発生: 万が一フォールした際やビレイミスが生じかけたとき、あるいはルート上で迷ったとき、ベテラン側は「ビレイヤーならこれくらいの技術は当然持っていて当たり前」「予習してこなかったお前が悪い、自己責任だ」と切り捨てる。

  • 構造のずるさ: 本来、パーティ内のリスクや技量のギャップを調整・カバーするべき立場にある「経験者・強い側」が、その義務を放棄して「能力不足な個人」を攻撃する武器として自己責任論を使う。

3. 「フリーソロや危険なランナウト(プロテクションの間隔が広い)」への同調圧力

  • 状況: 「このルートはプロテクションが取れない(または難しい)けど、男なら(クライマーなら)これくらいノープロで抜けなきゃ」という空気を出す、あるいは「ここは落ちたらやばいけど自己責任でよろしく」と軽く言ってリードを押し付ける。

  • ハラスメントの発生: 断りにくい空気や「ここで怖がるとダサいと思われる」という同調圧力(ピアプレッシャー)に負けて取りつき、恐怖で精神的に追い詰められたとき、トラブルが起きると「自分の意思で登ったんだろ」と言い放つ。

  • 構造のずるさ: 場の雰囲気や「舐められたくない」という心理的隙を巧みに利用してリスクの高い選択を実質的に強制しておきながら、いざとなれば「強制はしていない、自己責任だ」と安全ネットから外れる。

4. ガイド・指導の免罪符(教える側の放棄)

  • 状況: スクールや講習、あるいは先輩・後輩の関係で、見習いや初心者を連れて岩場に行く。

  • ハラスメントの発生: 適切なリスク評価や事前のブリーフィングを怠り、現場で事故や重大なミスが発生した際、「自然の山なのだから何が起きるか分からない」「すべて自己責任と最初に同意したはずだ」と、指導者・引率者としてのリスクマネジメントの不備を棚に上げる。

クライミング特有の性質と「自己責任」の罠

クライミングの世界は「自分の身は自分で守る(セルフレスキュー)」が原則の世界であるため、「自己責任」という言葉が最も正当化されやすい(=ハラスメントが隠蔽されやすい)フィールドです。

しかし、真に成熟したリーダーやベテランは、「個人の自己責任」を口実に相手を追い詰めるのではなく、「自分たちが組んでいるシステム全体の安全性(リスクマネジメント)や、力関係の歪みをどう調整するか」に責任を持ちます。

「自己責任だから」を免罪符にして、相手を自分のペースやリスクに巻き込み、都合が悪くなったらその一言で切り捨てる――これこそが、岩場における「自己責任ハラスメント」の正体であり、大人のスマートさのかけらもない最も卑劣な構造と言えます。