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2024/04/05

【心理学】愛着が人間精神活動の中心 読了『死に至る病』

 ■ 読了『死に至る病』

人間の愛着について語った、『死に至る病』という本を、今回の旅の中で読んだ。

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というのは、アクセス問題は、愛着に問題がある問題児の行動…例えば、小学生がお母さんの愛欲しさに、わざと問題行動を起こして見せて、親の注目を引く…のと同じだと思われるからだ。

 俺を見て!

これは、クライマー界ではかなり根強い欲求で、男性クライマーは、ほとんどの人がこの欲求で登っているんじゃないだろうか…?ちなみに登山のほうも同じで、主たる登る動機が自己顕示欲…。

その動機は、思春期だとか、人生の早期には役に立つし、人間発達のプログラム進行の中で役立つものだと思えるが…、40歳、50歳、60歳、ましてや70歳でそれをやるとなると…。もう少し円熟を期待したいのが人情だろう。

なぜこんなにも、子供時代に満たされてしかるべき欲求が満たされていない大人が、その欲求の矛先に山やクライミングをあてがわざるを得ないようになったのか?

そこが疑問だった。

■ 愛着が健全でないと人は死んでしまう

実験動物のサルに愛着を与えないと、そのサルは死んでしまう。

つまり、人間の自殺も愛着の障害と考えることができるし、依存も愛着についての問題なので、根深い。

いわゆる、”ライナスの安心毛布”の対象に、依存先がなる、ということで、依存先は、アルコールとは限らない。

酒・薬物・セックス・過食、は、分かりやすい自己破滅的な依存対象だが、勉強、スポーツ、仕事、子育て、などが依存の対象となることもある。

クライマーは、クライミングに依存している、ということは言えるし、仕事に中毒症状を起こす人も珍しくない。

そうしたバランスを欠いた執着心は、愛着が子供時代に形成されそこねた…1歳半までの親とのかかわりで、十分乳児としての欲求が満たされなかったためだと思われるのだ。

日本で愛着に問題を抱える人が増えたのは、戦後で、女性の社会進出が進み、子供に十分なケアを掛けれなくなり、あるいは、子育てが女の仕事、とさげすまれるようになり、金銭を稼ぐこと以外の労働が、重要視されなくなったためのようである。

このことをクライミングに置き換えると、クライミングから、絆や友情、が奪われ、岩場への従属感覚や仲間意識が奪われ、グレードだけがクライマーの価値とされる。

すると?

クライマーはデスウィッシング(命知らずアピール)になって、わざと自分を損なうようなことをしてまで、注意を引こう!としてしまうのである。

それもこれも、愛着が充足されないからである。

■ 愛着こそ生きる喜び

愛着は、生きる喜びの源泉で、これを絶たれると人間は死んでしまう。

太宰治や三島由紀夫の人生も、これで説明がなされている。

1歳半未満の時に、母親に愛されなかったこと、それはその後の人生を大きく変えるのだ。

クライミングになぞらえても同じではないだろうか?

クライマーは、最初の数年は、何がクライミングなのか?分かっていない。

そこで、先輩後輩の絆で、深く、先輩や師匠から愛される必要がある…それにも関わらず、愛してもらえない、つまりルートに連れ出してもらえない…となると、

「俺だって、こんなに登れる!」という必死の自己PRが始まるのである…

俺を見て!ほら、俺だって!というので、ビレイヤー(親)を求めるのである。

振り返ってみると、私は師匠の青ちゃんとの関係性では、常に(親)をやってきた。

私がリードを取れないのは、リードできないのではなく、青ちゃんが私の心の安全基地として、つまりビレイヤーとして頼りにならないからだった。

オンサイトを中心に私が登らざるを得ないのも、結局のところ、リスクへチャレンジするのに十分な心の安全基地…ボルトの信頼性に加えて、ビレイヤーの安全性、クライミング理解に対する安心…を安全基地として、クライマーの私に提供されないからだった。

その証拠に、見ず知らずのクライマーとロープを結んで、ラオスや台湾ではマルチピッチまで登れているのである。

一方、何年も投資して、日本では白亜スラブのような程度の低いクライミングパートナーしか得れていない…

私が日本のクライミングに失望をするのも仕方がないことだろう…。

多くが愛着に問題を抱えており、自分のグレード自慢に終始して、肝心のビレイがお留守、というクライマーばかりあてがわれたのでは…

それで、ちゃんと登るほうがおかしい、くらいなレベル感である。

それで死に至ることなく、今生き延びれているのが、奇跡、ということなんである。



2024/04/03

【心理学】開拓クライマーはエンパス

■ 開拓クライマーはエンパス

開拓者

=開拓時の岩との対話…岩との駆け引き…を体験して、それを味わって、楽しむ

=その人の思考回路を追体験してそれを味わって楽しむ

=オキシトシンの楽しみ

=エンパス


一般クライマー

=登れたか/登れなかったか、の白黒思考の楽しみ

=達成/非達成のドーパミンの楽しみ

=非エンパス

参考: https://note.com/awaisou/n/nf27f1f9f1606

参考: https://note.com/mandala_village/n/nb479a25a32ff

だから、登れたか登れなかったか?だけの一般クライマーとは、話がなんか合わない、ってことになるんですよね。

私は、大体、いつも、開拓クライマーとは、話が合うのです(笑)。

それは、私がエンパスだから、です。別に故・吉田さんにえこひいきされていたわけではありませんね(笑)。アルパインをちゃんとやってきた人と話が合うのも同じ理由で、山との駆け引きを楽しむのが私にとっての山だったから、です。

百名山スタンプラリーの人とは、全く話がかみ合わないんですよ。

つまり、同じクライミング、同じ登山をしていても、やっている中身が全く違う。事故を起こしているのは、白黒思考でやっている方たちです。そりゃそうだ。山を征服したろ、クライミングでは、グレード稼ぎしたろ、お買い得ルートなら登ろ、と思っているわけですから。

私と氷との対話結果



【心理学】危険認知の有無についての東西クライマー格差

■ 天真爛漫系男子?

こちら(九州では)男子は支点ビレイされても気が付かない上、その鈍感さを自慢に思っており、気が付くような観察力があることをクライマーの資質としてはネガティブ資質だと思っている…という件について書きます。

例えば、私が九州でしばらく一緒に登っていた相方は、自分が支点ビレイをされても、

「そんなの、みてなかった」

とさも自慢げにニコニコ笑いながら、話してくれました。

笑っているという非言語が意味することは、

 そんなこと気にしていたら登れるところも登れないよ

です。気にする方が悪いってこと。

■ 危険認知できない、しないクライマーが褒められる西日本クライマー界

つまり

まるで、支点ビレイされていることに気が付く私のほうが悪い、みたいな?

これが、ガスライティング、です。

私は危険認知をしているので、正しいのです。正しいほうが、まるで間違っている人、になることが、ガスライティング、です。

■ 男らしさ=向こう見ず の価値観

彼がそういう鈍感さに自信を持っているのは、それが男らしさである、と思っているから。

しかし、クライマーに必要な資質は、リスクに気が付くほうです。

高度なクライミングをすればするほど、繊細で完璧な注意力、集中力が要求される。

それが、クライミングで、鈍感でいい、というのは、全くないです。

逆に言えば、九州では高度なクライミングがないので、鈍感でいても、まぁ構わないというか、気が抜けた状態でもOKです。

例えば、鈍感で、雪崩が起きよう、というときに、鈍感でグーグー寝ていたら、雪崩に飲まれてしまいますよね?

本当にリスクがあることをしていたら、鈍感さを気取って、男らしさ、のドラミングなんてできないのです。

相方は、山梨では、その点を「反省しろよ」と周囲から思われているクライマーでしたが、なぜか九州に戻ったら、彼は仲間から受け入れられ、私は排除されることになりました。

彼は、その仲間から受容されたという感覚のために、イケイケにさらに拍車がかかった。しかし、彼と組むクライマーがいない…というのは、それだけ、彼がカマかけられていた、九州のクライマーから、こんな罠に簡単に引っ掛かるとは…と舌を出されていたんではないかと思います。

そして、それは白亜スラブになった…。周囲の九州クライマーは、誰も彼のフォローをしてやらなかったので、被害を被ったのは私でした(汗)。

しかし、結果としては良かったのではないでしょうか?

九州のクライマーがフォローをしていたら、25+30が60であり、50mシングルで2ピッチ連結しようと発想する時点で、遭難、という、登る前遭難”だったことは、秘匿されたままだったでしょう…

白亜スラブが実際にはどのような登攀内容だったかについて私が記載したことで、暴露系クライマーブログ?みたいになったけど、それは私のせいではない。

■ 根拠なき自信の根拠

彼がそのような自信を得るに至ったのは、ポジティブ思考の結果ではなく、どちらかと言うと、文化的に受容されたことによる、行き過ぎ、つまり、過剰な自信、お調子者、のような気がします。

また、第二子というのは、常に追い越す対象がいることで、誇大な自己像を抱きがちだと心理学の本に書いてありました。

第一子は責任、第二子は、誇大な自己、末っ子は甘やかし、がネックになります。

山梨時代は、相方は、クライマーとして自己肯定感を持つことが難しかっただろう、と思います。

山梨ではあれができていない、これができていない、できていないロープワークや支点の知識不足を指摘され、その不足が、いったいどういう意味なのか?彼本人は、具体的に理解ができていないようでした。

なので、人のセリフの受け売りで、ひん曲がったRCCにリスクを感じたりしていましたが、ひん曲がったRCCが意味するところをきちんと彼が理解できていたか?というと、たぶんできていなかったでしょう…

あんな脆弱な視点で登るんですよ~ 俺って勇気ある~ みたいなはしゃぎ具合でした。

RCCが打ってあるスラブは、現代の小川山などで上級のスラブ登攀を身に着けたクライマーなら、特に難しいはずはないです。それより、ひん曲がっているということは落を意味します。

そして、感じるべきは、打ちながら登った、という困難さのほうで、いくら登攀が易しくても、支点を作りながら登るのと、ただ既存の支点にドローを掛けながら、登ればいいだけ、なのでは雲泥の差。

そういうことを感じながら登ったか?というと登れていなかったと思います。それは、登るだけでアップアップだから。

■ 危険認知ができないのはクライマー適性がないって意味ですよ

オーソドックスなクライマー感性では、危険認知ができない人はクライマーとしての適性がない。

ところが、九州では危険認知ができない、できないのではなくしない、ことをクライマー適性という理解でいます。

本末転倒です。

これは九州だけではなく関西もそうかもしれないです。

このような東西差がクライマー界にはあります。たぶん、東京方面の先駆的クライマーたちに対する羨望が、素直でない態度を関西以西のクライマーに取らせるためでしょう…

雪がないことコンプレックス、が発祥です。

でも、フリークライミングの時代になったら、雪なんてないほうが年中登れていいんですよね?

だから、東京への当てつけ(北アや南アがあっていいね、とか、岩場が豊富でいいね、という羨望の裏返し)は、よく考えていないで、ただ空気に流されているだけの人の思考です。



2024/03/28

【ナルシスト対策】クライマーの世直しには、ナルシスト対策は必要ですよ

 ■クライミング界の世直し=アクセス問題の解消には、ナルシスト対策が必須です

こちらの中村りんさんの動画から抜粋です。 https://youtu.be/MvKYsyl8wfY?si=Tkw2xF0lnD8ehwGo


汚い言葉でののしる。自分ではなく、この人がおかしいという(ガスライティング)。

これが私が受けたことです。AIが出て自分が間違っていないことが分かった(笑)。
■ 本文

You are a worthy bait for my narcissism

I had my first depression at age 7. When I proceeded to elementally school there was not enough emotional support (attachment)from my mother, who were primary attachment giver to me as a child... I remembered that I could not mix well with the school, and went back to my kindergarten missing that days there...  

In retrospect, my depression started when my attachment was threaten, since I overcame that with crying and crying for my grand mother who was second attachment giver to me... I decided I don't know how to kill myself and my grandmother will be so sad if I die, so I  decided to live the best version of me.  

I think my mom had used this, me becoming a best version of myself, a caregiver to my siblings and to my mom, as a source of her narcissism to be fulfilled.  I was a proud of her, and I did not feel the same way to my mom.  I was not very much proud of my mom, and I knew as a child I HAD to be her source of pride or she will collapse.. if she collapse, my siblings and I as her kids will lose the mean to survive... we all need someone to attached to... 

So I accepted to be her "Source"... this feeling had gone since I independed fully from my family, but I had this same feeling when I was climbing Ao, the climbing mentor... he wanted me because "I was an asset" a good mean to go abroad, and I think I was introduced to him by the other climber, so I have been used by those people...  Now I know.  

Climbers male world is the world of competition, you use the others or being used. Because it is sooooo narcissistic... matter of fact, I think over 90 percent of climbers are narcissist including woman... they try to look "bad ass". That is not at all climbers soul and sprit actually... they got it all wring but it's such a strong temptation to pretend "bad ass" when you are so weak in your inside.

They just don't know how to be truly strong...   because they've lost the iconic something... or somebody... 

There used to be a mountain.. stands for that sprit. A difficult to climb mountain was, giving climbers trial or should I say ordeal, climber had to pass a very difficult test to be a pronounced climber, 

but now anybody can climb K2 or Mt.Everest so they've lost the truth in climbing... 

Free-climbing the same thing... now anybody can climb 5.12 so they've lost what they should really aim, a goal to climb... tritely magnificent climb. 

Instead, easily done plastic climb is a thing of boom and they are only into competition... not connected to the nature as rock nor connected to inner god of themself as a body... so sad. What is happening is so sad. 

■ 和訳: お前は私のナルシシズムにふさわしい餌である

私は7歳のときに初めてうつ病になった。小学校に進学したとき、幼い私に愛着を与えてくれた母からの精神的なサポート(愛着)が十分でなかった...。学校とうまく溶け込めなかったことを思い出し、幼稚園の頃を懐かしく思いながら戻った...。 

振り返ってみると、私のうつ病は、愛着が脅かされたときに始まった。私は自殺する方法を知らないし、私が死んだら祖母が悲しむだろうから、最高の自分を生きようと決めたの。 

母は、私が最高の自分になること、兄弟や母の介護者になることを、自己愛が満たされる源として利用していたのだと思う。 私は母を誇りに思っていたが、母には同じようには感じなかった。 もし母が倒れたら、母の子供である私たち兄弟は生きる術を失ってしまう。

だから私は、彼女の「源」になることを受け入れた...この感覚は、私が家族から完全に独立してからはなくなっていた。でも、クライミングの師匠であるアオに登っていた時も、同じ感覚を抱いていた...彼は、「私が海外に行くための良い手段」である「財産」だから私を必要としていた。 今ならわかる。 

クライマーの世界は競争の世界だ。実際、女性も含めてクライマーの90%以上はナルシストだと思う。それはクライマーの魂や精神とは全く違うものなんだ......クライマーはすべてを手に入れたんだけど、内面がとても弱いのに「ワル」を装うのはとても強い誘惑なんだ。

彼らは、人として本当に強くなる方法を知らないだけなのだ...象徴的な何か...あるいは誰かを失ってしまったから...。

かつて、その精神を象徴する山があった。

登るのが難しい山は、クライマーに試練を与えるものだった。

しかし、今では誰でもK2やエベレストに登ることができる。

(アルパインクライミングではなくて)フリークライミングも同じだ。誰でも5.12を登れるようになったから、クライマーが本当に目指すべきもの、登攀の目標......つまり、本当に偉大な行為を失ってしまった。

その代わりに、簡単にできるプラクティックのクライミングがブームとなり、彼らは競技に夢中になっているだけだ...岩という自然とも、肉体という自分の内なる神ともつながっていない...

とても悲しいことだ。何が起きているのか、とても悲しい。


2024/03/27

【心理学】クライマーに無条件の愛は要らない

■ アリス・ミラー『才能のある子のドラマ』


より引用です。

大人には無条件の愛は要りません。

しかるに

クライマーにも無条件の愛は要りません。

岩場に行くのに違法駐車はダメです。

うんこ紙に火をつけて山火事にするのは、基本的なアウトドアリテラシーが低いだけです。

放尿・うんこは、マーキングですか? 誰だって軒先にうんこされたらいやでしょう?

雄たけび?それかっこいいんですか?逆に自分の山で意味不明の叫び声が聞こえてきたら、どうですか?

アルピニズムを持ち出して、神聖なものを登った冒とく行為を自己正当化するのは、辞めましょう。

クライマー内は、内部で自浄作用を持たなくてはいけません。

そうでなければ、アルピニズム自体が冒とくされてしまいます。

どうして、こんなことが分からなくなってしまったのか?

それは、

「だって俺クライマーだから…」

が、ワイルドカードの免罪符になってしまったからです。

人は弱くていいです。でも、許してくれるのは、仲間、だけで、理由は仲間だから、ですよ。

社会の中では、何をしても許されるわけではありません。

殺人しても、親はあなたを愛してくれるから親なんですよね? それと同じことです。

殺人そのものを社会が許してくれるはずはありませんよね?それと同じことですよ。


2024/03/26

【心理学】チッピングするクライマーの行動原理

■ 要約

次の文章は、クライマーの行動原理について語っています。
  • クライマーの行動は、本人だけしか理解できない内なる声に動かされています
  •  チッピングは、過去の傷つきが原因で、「俺なんて」とふてくされている小さな男の子の心の叫びです。
  •  違法駐車、雄たけびなど、社会規範の逸脱は、男性性の傷つきが原因です。
  • クライマーに必要なのは、承認ではなく、一緒に登る仲間です。
**解決策**
  • クライマーを批判するのではなく、慈悲の心で接し、一緒に登ろうと誘う。
  • クライミングの本質は遊びであり、誰が一番でもどうでもよいことを理解する。
  • メディアの賞賛に惑わされず、自分たちのペースで楽しむ。

**行動指針**
  • クライミングは遊びなので、楽しくなければ意味がない。
  • 一緒に登る仲間を増やし、互いを尊重し、共に成長する。
  •  過去の傷つきに囚われず、今この瞬間を大切に登る。
**あなたにできること**
  •  クライマーの行動を理解し、批判せず、温かい目で見る。
  • 一緒に登ろうと声をかけ、仲間を増やす。
  • クライミングの本質を忘れず、自分たちのペースで楽しむ。
**補足**
  • この文章は、クライマーの行動原理を理解し、共に登るためのヒントとなるものです。
  • すべてのクライマーに当てはまるわけではありません。
  • クライミングは、様々な楽しみ方ができるスポーツです。
**キーワード**
クライミング
チッピング
男性性
遊び
慈悲

■ 本文

行動原則を指摘する、ということ。

昨日は、神先生のセッションをデモで見せてくれる日で、6回のうちの最後の会でした。

それである公務員の男性が、クライエント役になりました。

その方、なんか女性に対して蔑視があるなぁ…男が上だと思っている様子が、体からにじみ出ているなぁ…と、私の方からは感じられる人でした。

まぁ、私のことは苦手だろうなぁ…。私と言うか、枠からはみ出ているタイプの人全員が嫌いなんですよね、そういう人は。

世の中の大体の男性(標準的な日本の教育システムで男女観を身に着けた人)は、自分より上か下かで相手を計るので、自分のモノサシに入らないタイプの人は嫌いです。

公務員には多いタイプ…自分で自分の枠を決めて自分で勝手に入っているのに、なぜかそれについて、なんで俺が!と怒っているタイプ…。

実は、私の最も苦手なタイプです。私自身が、もうそれこそ子供‥まだ6歳とか7歳とかで、困難に直面し、それを乗り越えてきたので、枠は自分で広げていくものだ、という人生経験があり、そこに成功体験を持っているからです。そういう人から見たら、あなた、何に囚われているの?って感じで、意味不明な怒りをぶつけられても、ただの八つ当たり、だからです。

いますよね、おじさんで、飲むと絡んでくる人… 承認されたいんだろうとは、誰でも分かりますが、めんどくさい。だから人が離れていく。離れれば離れるほど、さらに承認されたくなるという悪循環…。

■ 非言語に注目

しっかし…、その人が夢を語ってくださいとコーチが促すと、本当に嫌そうに、苦虫をかみつぶしたような顔で、夢を語るのです…。

そういう非言語の本音を見た場合、「それって、夢でも、なんでもないんじゃないの?」と、グサッと、ほんとのことを言うのが、子供のころの私でした。無邪気な子供は、鏡のように相手の心を映し出すので、本当の意味でのコーチなんですよね。あなたの心の鏡、って意味です。

子供時代は誰でも無邪気なので、私も例にもれず、それを母にやって、私は、「は!かわいくない!」と母に言われるので、その攻撃が不本意で、”はぁ?”と思って、黙ってしまうという自動行動を作りました。つまり、これが私の行動の制限でした。

大人になってからは、本当のことを言うのは、失礼なんだな~と理解して、相手の失礼さを黙って見守るようになりましたが…これは良くないですね。

黙って見守る=ドアマットにされる、です。

さて、それで、その男性は、コーチからこういわれるのです。

 「ちょっと待ってください。夢を語るのになぜそんなに楽しくなさそうなんですか?」

と言われ、しばし沈黙…。

 「今、何が起っていますか?」

と言われると? どうも、怒りの感情や、依存的感情を、コーチに向けるのをやめ、自分の内部の感情を探索し始めるようです。

■ 足りないのは内省力

この「今、何が起っていますか?」という促しが、

 現代日本人には全く足りていない

んですね…。

私は実はあまりに人生がつらかったので、小学生から日記をつけています。

が、みんなはつけていない…。だから、内省する力が育っていないのです。

その内省力の欠如を埋めるのが、コーチ、なんですね。

■ 団結

その内省力をサポートしますよ、というのが、作業団結…一緒に作業していきましょう、と言うことです。

私はこの力が強いので、よく学生時代も、人の人生の問題解決を手伝ってきました。

しかし、これがお金になるスキルとは、考えたことがなかったです。

■ 神先生のようにセッションを見せることで、一度に多くの人の思い込みを解決することができる解決が早くなる

さて、この方のセッションを見たことで、クライマーについて分かったことがあった。

彼らは、私個人やチッピングされているクライマー個人、あるいは、岩場がある地域そのもの、をいじめようとしているわけではないということです。

彼らの内部の、”非常に個人的な行動原理”、その人しか理解できない摩訶不思議な内なる声…に動かされて、なぜか、他人には、一切、理解できないような行動をしているんですね。

その声は、パーソナリティを構成する人格のうちの一つです。

例えば、チッピングを例にとると、「小山田大だけ、いつでも開拓の名誉をもらっていて許せん!」みたいな声が内部にあるわけです。 

もう、この声を解析しただけで、誰が何を許すの? みたいな意味不明な声ですよね? 

しかし、それを彼の内部で、誰かが言っているんですよ、その人の中で…。

そして、さらに別の人格が「そうね」と言い、「なら、あいつのルートをチッピングしてやれ!」(CP自我)というわけなんですよ…。

その別の人格が「おい、待て」というが声(A自我)は消え入りそうに小さく、代わりに、「そうだ!そうだ!」(FC自我)とけしかける…。

その異様な循環にいるわけですが、その分裂したパーツと呼ばれる自我による、内的会話が行われている間、彼の本当の自己…真我とヨガではいいますが…は、全く何も言わないんですね…。

すっかり偽りの自己(パーツと呼ばれる自我の一部、小さい自己=エゴ)に取り込まれてしまい、本当の自己がお留守になってしまうんですね…。

もしかしたら、学校だか、なんだかで、もしかしたら好きな女子にカッコつけたのに気が付いてもらえなくて傷ついたのかもしれません…。

その”チッピングを肯定する”自己が彼の中で巨大化した”きっかけ”は、本人にしか分からない、摩訶不思議な出来事があったわけです…。彼本人は、そのことを何歳になっても、引きずっており、それを克服しようともがいている=それがチッピングを繰り返す行為、なわけなんですよ…。

でも、チッピングって単なる明確な道徳違反なので、彼が欲しい承認は一生得られない…なんという悪循環でしょう!

たぶん、声にならない小さな内なる声が、そんなことをしていても何にもならないと言っているのですが、それでは彼には分からないんですよね…。

■ クライマーが起こす社会問題 ニアイコール 男性の精神病理

違法駐車に山火事、雄たけび、放尿、うんこ垂れ流し、不必要なランナウト、「俺が男だー!」とちんちん丸出しにして、叫んでいる割には、誇示している一物が、ミニチュアサイズなんですけど?みたいな、40m5.8ランナウト…って、そうした社会規範の逸脱ができた背景には、どれほど深い、

 男性性の傷つき あるいは、小さな男の子の傷つき…

があったことか…ということが想像できませんか?

もしかしたら、幼少期にお母さんを助けてあげられず、おれなんて、と意気消沈したのかもしれませんし、仕事で実績を上げられず、クライミングの実績だけにしがみついているのかもしれません。

妻にどうしても認めてもらえなくて、あなたって駄目な人ね…と長年、非言語に受け取り続けているのかもしれません…。

どちらにしても、要するに、こういうことなんですよ…。

なので、

・チッピングする人、

・わざと自分を破滅に追い込むような行為をしている人、

の中には、実は

   俺なんてとふてくされている小さな男の子がいる

ってことなんですよね。こういう小さな男の子に必要なのは

   慈悲のこころ

です。

男性は、この慈悲の心を恋人になる女性に求め、女性は、共感性の高さから、かわいそう、と無条件に思ってしまいますが…。よく考えたら、何がかわいそうなの?全然かわいそうではありません(笑)。そして、女性の心をゲットできた成功体験が一度でもあると、この手が使える!と分かった男性側は、同じ手をいつも心理ゲームとして仕掛けてきます。こないだも、体育会系の迷惑おじさんが、3回結婚した、と自慢していましたが、それって自慢にならないでしょう?3回も女性に捨てられたってことなんで。もしあなたがそんなに素敵な人なら女性は手放さないです。というわけで、女性は心が優しく、男性が仕掛ける心理ゲームに載ってしまうと、一杯食わされます。もう、クライミングでは嫌というほど、このゲームを仕掛けられていました。

クライミング界に、本当に必要な慈悲の心は、

 一緒に登ろうよ

です。本当は、その子も、一緒に遊びたい、のです。なぜなら、

クライミングの本質は遊び

であり、それ以上でもそれ以下でもないからです。

クライミングに不必要な名誉をなぜか与えてしまったがために、なんか変なことになっていますが、クライミングをはじめすべてのスポーツは遊びなんですよ。遊びなのですから、楽しくないと意味がありません。遊びなのですから、誰が一番でもどうでもよいというか、一時的なことです。

特にフリークライミングって、5.14でやることも、5.9でやることも基本同じというか、延々と同じことをみんなで繰り返している感じです。なんでトップクライマーだって、一般クライマーだってやってることは同じなんですよ。

ただ雑誌やSNSのメディアの賞賛が変な方向に向かってしまい、世界最高難度しか価値がないみたいな世界観を作ったがために、一般クライマーたちの心に影を落としているだけです。

そんなことは関係ないラオスみたいな世界に触れると分かりますよ!

傷ついたクライマーはみな、ラオスに行って、国際社会で癒されて帰って来ましょう!

一緒に登ろうよ!と言えば、みんな、一緒に登ってくれますよ!英語力なんて要りませんよ!いるのはきっちりしたクライミングシステムの理解です。残置に直掛けなんてしていたら、あちゃー!ってなるだけでしょう。



2024/03/22

【ChatGPT】人の人生を羨ましがる人の心理

■ 問い)人の人生を羨ましがる人の心理を教えてください

ChatGPT

人が他人の人生を羨ましがる心理にはいくつかの要因が関与しています。

1)比較と競争: 人は自分と他人を比較し、競争心を持つ傾向があります。他人の成功や幸福を目にすると、自分の欠点や不満を感じ、その人のようになりたいという欲求が生じることがあります。

2)社会的影響: 社会や文化は、成功や富、美しさなどの特定の価値観を推進することがあります。これにより、他人の人生が望ましいものとして描かれ、それに影響される人がいます。

3)自己評価と不安: 自己評価が低い人や、不安を感じやすい人は、他人の人生を羨ましく思いやすい傾向があります。自分と比較して劣っていると感じると、他人の成功や幸福を見て、不安や焦りを感じることがあります。

4)欲望と欠乏感: 他人の持つものに対する欲望や、自分に足りないものに対する欠乏感が、他人の人生を羨ましく思う要因になります。特に、物質的な成功や社会的地位、愛情や承認などの要素が関与します。

これらの要因は個々の心理や状況によって異なりますが、他人の人生を羨ましく思う心理は一般的に人間の心理に根ざしています。

■ 私の人生、羨ましいです?


もうね、ラオスに登りに行っていたのは、かなりアメリカ時代とダブりました。ほんとはアメリカ人になりたいんですよ。日本人は足を引っ張りあうので、お前ら、どんだけ~?って気分です。甘ちゃんほど、人の足を引っ張る。引っ張らないでくれるだけで、日本で平均以上の人は、躍進できると思います(笑)。

もう、ほとんど全部自分で起こした奇跡のようにしか私には感じられず、どうもそれに便乗したいって人が集まるだけのような気がするんですが…?

違うんですかね?

■ 羨ましい人は、競争している人

競争をあおると、うらやましい人を増やす

当然ですね~。

今まで、グレード更新競争だけをあおってきた日本クライミング界。その結果のアクセス問題。

少なくとも、私は問題を作った側ではないですからねー!いっときますが。

結局、コンペで誰それが優勝したというニュース以外が流れない、クライミングネット…

ヒマラヤ登山とか山野井さんみたいな先鋭登山をしている人が、毎年ヒマラヤ行けると思います?本当に難しいことをしていたら、毎シーズン勝つとかできるわけがないですよね?

だって、5.14にチャレンジしていたら、2か月かかるんですよ?トップクライマーでも。

頻繁にニュースに名が載る…= すぐに達成できることしかしていないって意味では?

私が思うには、ジムクライマーと言う雑誌を別に作って、そっちはそっちで、アウトドアの世界と切り離して語るべきだと思いますね…

なんせ、インドアジムってリスクゼロって意味ですよ?

アウトドアクライミングは、リスクと向き合う活動、なのに。全く真逆ですよね。

自然農の大家、川口由一さんは、

 問題ではなく、答えを生きろ、

と言いました。クライミングにおいて問題ではなく、答えを生きる人が増えることを望みます。

2024/03/20

【心理学】劣等感を持っている人の防衛機制=ガスライティング=クライミングは自己責任という常套句の悪用

■ ”劣等感”に対する防衛機構

昨日は、心理学の講座仲間が、私のプロフィールの宿題を手伝ってくれるというので、話を聞いてもらったら、心理学でいうところの、防衛という機構が働いて、彼女がマシンガントークを始めました…(汗)。

防衛機構… 劣等感が、根底にあると思われました。

これが核心かなぁ。 

つまり、

”水泳で金づちの30歳も年下の女性が泳げるようなったことで、80代の女性が嫉妬を抱く”ように、

”クライミングでも、自分より20歳も30歳も年下の女性が、5.9をすいすいと登れるようになった人に対して、お前は「可愛くない」(笑)と師匠がいう”。

いつまでも、俺を仰ぎ見て、頼ってくれる、”可愛い”後輩、が、欲しいわけですからね…

そんなにすごくない俺を「すごい、すごい」と仰ぎ見てくれるためには、ダメクライマーでい続けないといけない訳です。

だから、わざと若い男子ではなく、年増のおばちゃんクライマーを相手に威張るわけですよ。

それは、(後輩の成長)が、(相手の劣等感)を強く刺激する、のかもしれません。

特に、クライマーって、最盛期はたぶん25歳くらいなんです。それ以降はみんな下り坂。

あの頃のすごかった俺ができたことは、今の俺はできない。そんなところに、現代クライミングの、”グレード至上主義”で自分を自己判定してしまうわけですから、年配のクライマーにとっては、当然、面白くないでしょう。

勢い、「俺だって、時代が時代だったら佐藤ユースケ(平山ユージ、小山田大)」と自分に言い聞かせてしまい、その結果、その人の犯罪などに対する自己統制力の強さいかんで

「許せん!」=チッピング

となるのかもしれません。

そんなの、その人の問題、と言えば、それまでなんですが、それが

 クライミング界全体で、巨大なガスライティングを行う温床

になっているとすれば…、そして、そのガスライティングが、

 クライミング事故が減らない

業界内部から真の対策が取られないことへのメンタルブロック

になっているとすれば…

■ 私に起こったことは氷山の一角

私に起こっていることは、氷山の一角として、端的に見出されただけのことで、実はほとんどのトップクライマーに対する嫌がらせとして起こっていることなのではないでしょうかね?

それを私のように、文章に書いていると時間がかかって面倒なので、みんなやっていないだけで、それはもう、ごまんと同じようなケースがあるから、

この記事が出て以降

・菊池さんの団体が作られたり

・九州のクライマーが似たような意味不明の団体を作ったり

したんでしょう…。菊池さんの取り組みは、根本原因にアクセスしようという試みであり、もっと評価されて良いと思います。

それこそアドボカシー賞ですよ。

■ 本来あるべき姿

昨日、ギンちゃんが天野さんと登っているアイスの話が回ってきましたが、本来あるべき先輩後輩の姿がそこにあると思いました。

FBより引用


本来は、一般クライマーも、自分に合ったレベルでそういうことが起きているべきなのです。

天野さんは、日本が誇るピオレドール賞受賞クライマーで日之影町のお隣の高千穂に奉納のクライミングに来ていました。このことを高千穂で自然学校をやっている知人に教えましたが、え?誰、それ?っていう塩対応でした。

世界に羽ばたく門田ギハードについても、中津の八面で知り合った池田さんの後輩ということでしたが、九州では、誰それ?扱いです。

二口を登った石原さんや、ギンちゃんの記録がほぼロクスノに取り上げられないで、なんで比叡の雌鉾が数ページの記載なんですかね?? アイスやってるクライマーなら誰でも気が付くおかしさ。

トップクライマーの偉業は、クライマー本人が記録を自己申告してくるのを待たず、ロクスノの側が取材記事に取り上げるべき内容だと思います。

例えば、ユージさんのデイドリとかもそうです。

■ 取材努力ゼロで紙面を作る

要するに、取材努力を欠いており、それでも紙面をうめないといけないから、手ごろで当たり障りのないことを書いてきた一般クライマーの記事を紙面埋めに使ったということでしょう(低レベル化)。

その低レベル化、手抜きが起ったところで、記事掲載されたクライマーが、

 まるでトップクライマーのようにもてはやされて、偽りの自己肯定感UP

で、実力不相応な高い評価を受ける。

それを見た別のクライマーが、

 ”あいつがあんなに高い評価を受けるなら俺だって!”

となり、

”どれだけ低いレベルで、高い評価を受けたほうが勝ちか?という競争”に、いつの間にか競争の中身が、すり替わってしまう…

ということが今、登山界、クライミング界で起きていることだと思います。

そのあだ花が、栗城さんであり、なんとかマリンさんなんですよ。

栗城さんなんて、巻き添え死を作っており、誰が見ても三流クライマーなのに、世間はそのことが一切理解できなくなっていました。死後も正確には評価されていない。

■ 健全化

ダークサイドが栗城&まりんであるとすると、健全化した場合はどういう行動になるでしょうか?

回答: 自分たちも自分たちのレベルで出来る挑戦に挑んでいる、

    そのことについて過剰な他者の賞賛を必要としていない

    自己受容が進み、正しく自分を位置づけ、後輩は指導し、先輩は尊敬ができる

です。

人の能力はそれぞれなんですから

 登れない俺には価値がないという内なる声

に打ち勝てればいいわけですよ。頑張るなら、そっちを頑張りましょう。

2024/03/12

【クライミングによる地域おこし】 自己愛性パーソナリティ障害と戦え!

 ■ 小鹿野のクライマーズトーク


これにもし、入れ知恵をするなら、小鹿野町の 一般住民の皆様 に案内状を回します。

一般住民の方々が一番上座で、来賓扱いで、案内状を回すべきです。当然、参加費は無料です。

クライマー自身の等身大の姿を見せるのが大事です。中には理解者も現れるでしょう。

そして、このトークの動画を撮影しておき、市役所等の市の広報の場で公開します。もちろん、YouTubeに小鹿野のサイトがあってもOKです。

最も大事なお客様は、小鹿野一般市民で、クライマーではない、ということが分かるようにしておくのが大事なことです。

なんせ、クライマーは、岩場で登らせていただいている、ということを、油断したらすぐ忘れる人種が7~8割なのですから…。

登らせていただいている、という感謝の気持ちをすぐ忘れて、”俺が登ったんだ!”とか、”登ってやったんだ!”という言葉を使い始めるってことです。

■ クライマー側は理解者を利用しようとしてはならない!

自己愛性パーソナリティー障害の人がやりがちな、道徳違反、倫理違反があります。

もちろん、クライマー内にも普通の人もいますが、2,3割と少数派なので、クライマー内でも、なぜ同僚のクライマーがそんな行動をとるのか分からないのです。

それも当然で、自己愛性パーソナリティ障害というのは、病気なのです。しかも、本人は自覚が薄く、精神科を訪れることはほとんどなく、周りの人だけが、? となっていることが多いのです。

以下にリストを挙げます。

■ 自己愛性パーソナリティ障害の人が行いがちな人道的過ちリスト

1)「お前、階段、何段飛べる?」系の競争を持ち込む

2)自画自賛

3)無責任:自分が寝坊したのに「なんで起こしてくれなかったの」

4)自分がトンデモで非常識であることに気が付いていない

5)相手を自分の評価を上げるための道具として使う

6)俺が言ったことなんか信頼しちゃだめだよ、と自分で言う

7)非共感性:相手が自己開示をしたときに、その人の心を踏みにじる

8)貸したものを返さない (バウンダリーが緩い)

9)肥大した自己を指摘されると、逆ギレする (自己誇大妄想)

10)倫理的に間違ったこと…誰かのピンハネをしたとか…をどうどうと自慢する

です。以下詳細。

1)「お前、階段、何段飛べる?俺9段!」系の競争をクライミングに持ち込む

 → 速攻、クライミングが事故だらけになります。

これをやっているから、今までアクセス問題の歴史が積みあがった。

これはアルピニズムでも何でもありません。

2)自分で自分を褒める 

例:「俺ってこんなにきれいに登っていたの?」「おれ、4段は15で登れた」、SNS自撮り、雄たけび映像だけ見せる、努力している姿は見せないで結果だけ見せる 

→ 一般的な価値観の人は、スゲー!っては思わないです。これで、すげーって思うのは、自己愛性パーソナリティ障害を持つ、ほかのクライマーだけであって、一般の人は、「こんな自己顕示欲だけの活動には、町のお金や公費を費やす意味はない」と結論します。なぜあなたの個人的自己PRに公費を費やさねばならないのでしょうか?

町おこしにクライミングを、と思っているなら、冷静になり、町の人にとって魅力があるクライミングとは何か?を冷静に判断しましょう。

3)逆ギレする

例:自分が寝坊したのに「なんで起こしてくれなかったの!(怒)」

例:岩が剥がれて落ちたのに、町が管理責任取れ!

→ ボルトが抜けなくても、岩ごと剥がれるのは自然の摂理。

 俺のせいじゃない!俺のせいじゃないなら誰のせいだ?→ 町のせいだ! 

の思考回路の結果、何にも関係のない町を訴える。

これに自己正当性がある、と結論してしまうのが、自己愛性パーソナリティ障害なのです。

管理責任は町にある、というなら、町の人が、クライマーに登る許可を出すでしょうか?

そんなの、1秒、考えたら分かりますよね??

4)自分がトンデモで非常識であることに気が付いていない

→ 例えば、上記の事例で訴訟を起こし、弁護士を雇うとか…。よほど自分のほうに理屈が通っているという自信がない限りしないでしょう。

町や地権者としては、寛大にも登るのを許可してあげているのに、逆ギレして訴えてくるなら、管理なんかよけいな義務を負わされるんであれば、登れなくても地権者としては痛くもかゆくもないんで、登攀禁止にして、一件落着です。地権者はクライマーでも何でもないのに、管理責任なんて負わされるくらいなら、普通に禁止にしますよ。

管理するとして、あなたなら、いくらなら俺が管理してもいい、と思うでしょうか?年間100万円?1000万円? 管理者責任を主張するなら、それ相応の金銭による対価が発生するのが応分で、その額を日割り×頭割りすれば、一人当たりクライマーの個人負担額が出ます。

例えば、1000万円の管理費が、月100人の来訪者がある岩場にコストとしてかかるとすれば、一人当たり1000÷100×12万円…概算1万円の管理費がかかるってことですよ。訴訟されるとしたら年1000万円の管理費は安いと言えると思います。で、クライマーは、一人当たり、月1万払え!と言われて払えます?

払えないからボランティアで運営し、地権者の好意にすがってタダで登らせてもらっているんですよね?

自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分の立場をすぐ忘れる大天才です。

5)岩場を自分の名誉を上げる道具にする

自己愛性パーソナリティ障害の親は子供を自分の評価を上げる手段・道具として使います。

その応用で、彼は、その岩場の〇〇っていうルートを登ったことを俺の自己評価を上げる道具として使うでしょう。町を盛り上げずに自分を盛り上げるということです。

その岩場の〇〇っていうルートを登った俺はすごいという自己宣伝に岩場を使うということです。

町の人から見たら、そのルートのすごさは関係なく、町にいっぱいお金を落としてくれ、産業を作ってくれる人が偉い人なんですよ?

個人のすごさ(無謀さ)をPRするっていうのがアルパインクライミングの本質だ、と思ってしまっている古参のクライマーが多いので、誤解を解くのが大変です。

”俺のすごさ”ではなく、努力のプロセスの尊さを教習してください。

例えば、あなたが半年に一回しか行かない店で店主があなたの好みを覚えていてくれたら、どうですか?その人が驚異的な記憶力を持っていることを示したことになりますよね?

実力とはそのようにして示すものです。

6)俺が言ったことなんか信頼しちゃだめだよ、と自分で言う

”瑞牆のトポが出たとき、白鳳会の人が「俺らに無断でトポを出すとはけしからん」と言った、という話(A)”を若いクライマーから聞きました。その話をしたら、”「おれらの話を信頼しちゃだめだよ」”とその当人が言ってきました(B)。 

(A)の時点では、古いクライマーを敵に回した発言をする方が相手に取り入ることができ、(B)の時点では、古いクライマー側についたほうが相手に取り入ることができる、と判断したってことですね。

(A)の裏面交流は、”私は古いクライマーには賛同していません”であり

(B)はその逆だからです。

つまり、その人は日和見主義で、目先の損得だけで動いているよ、と(B)の裏面交流で述べたってことです。

そのような人たちを地域の人々が素敵なクライマーだ!クライミングって人格形成に価値がある!信頼ができる!と思うと思いますか?

7)相手が自己開示をしたときに、その人の心を踏みにじる

「へぇ~、家が家が貧乏だったんだ」「へぇ~〇〇大学しか行けなかったんだ」などなど、自己開示と言う一般的には人に話さないようなことを話したときに、わざと傷に塩を塗るようなことをするのが自己愛性パーソナリティー障害の人です。

それは、その人が本当の意味での自信はもっておらず、相手を下げることで自分を上げることを常套手段にしているため、自己開示と言うのは相手が弱みをさらけだしてきたということなので、相手を貶め、自分のコントロールを高めるチャンスだ!という風に、自己愛性パーソナリティー障害の人には見えるからです。ガスライティングと言う名前がついています。

岩場の地権者に、「ここには古い祠があってね…」なんて話されたときに、そこでおしっこする、とか、自己愛性パーソナリティー障害の人は平気でやりますから、気を付けてください。

みんなが共同で使っている川辺の共同の湯に、「さっき放尿しました!」と放尿動画を上げるとか…

岩場にある、有名課題で女性クライマーたちが使っているホールドを、「俺は初登者だが、俺はこのホールドを使わなかったから削った」などど自慢げにアップするようなことがあるかもしれません。

あるいは、小山田大さんのような人気のある特定の人物に向けて、私怨でその人が初登したルート狙いで執拗にチッピングを続け、証拠が出ていないから、訴えられないのをいいことに嫌がらせを続けるかもしれません。

このように、”一般の思考回路では理解ができない行動”をとるのが自己愛性パーソナリティー障害なのです。

8)貸したものを返さない

人のロープで登ったり、貸したギアを返さないのは、境界線侵害の明らかな例ですが、岩場はタダで使わせてもらって当然だというクライマー界の伝統的前提にも、境界線に関する、自己規律の弱さが表れています。

たとえば、トップロープ張りっぱなしにして、課題を独占するクライミングガイドは、素敵なクライマーでしょうか?

このような行為が、自己中を表すということを町の人が理解すれば、

 〇〇町では、トップロープを張りっぱなしにしてルートを占領するクライミングガイドによる岩場利用をお断りします

と発表することができます。

同様に、特定の人気ルートに人数制限を設けたり、時間制限を設けたりすることも可能です。

 例: 屋〇岩2峰のセレクションは人気が高く、日没の時間を過ぎて、下降になるクライマーによる事故が後を絶たないため、〇〇町では、一日5パーティのみ、登攀開始時間を朝9時以前に取り付けるパーティのみに限定しています。

 例: 〇〇フリーウェイはロングルートであり、隔絶されているので、村内では人的資源の点から、事故や遭難があったとしても、レスキュー隊の派遣が迅速にできません。したがって、12ピッチを〇〇時間内で登れた実績のあるパーティにのみ、登攀を許可しますので、登攀申請時には登攀実績を出してください。少なくともパーティ内の一名は、危急時の心得があることを分かるような内容で提出してください。

 例:カサ〇ランカは人気ルートですので、独占を避けるため、土日祝日のガイド講習での利用を禁止します。

9)肥大した自己を指摘されると、逆ギレする

大体のクライマー男性で初心者の方は、自分の実力を客観視する能力に欠けています。

一方で親に甘やかされて育っていることが昨今は多いため、俺様自我が発達しており、とんでもなく難しいルートを自分が登れると思っています。

例としては、3級しか登れないのに2段をノーマットで登る!というボルダラーや、ジムで5.11が登れたから、バットレス四尾根に登る!と発言するなどです。ロープドラッグやカム位置不全によるスタック、60mのピッチを50mロープで登ろうとするなど、10年やっていてもやらかします。

つまり、現代クライマーは年数があっても、瞬間風速グレードしかなく、経験の厚みはありません。

無謀で危険なのですが、それを指摘すると、逆ギレします。ビレイも同じです。

そして、自分が登れたルートは、初級ルートだったり、エイドで登っていたりで、今の時代には、全く何の自慢にも何にもならないものをロクスノに自慢話として掲載したりしてしまいます。

普通のクライマーはその記録掲載が、自慢であるより恥さらしであることが自明なので、正直に教えると相手のメンツをつぶしてしまうと思い、遠慮して黙っています。すると図に乗って再度掲載する、という繰り返しが起きます。これが栗城モンスターが出来上がった仕組みです。

今の時代では、その記録が意味をなさないことを誰かが指摘してやらないといけないですが、一般の人は価値が分からないので、俺は〇〇を登った!と言えば、よく分からないので、とりあえず、「すごいですね~」というでしょう。その賞賛が自己愛性パーソナリティ障害の人にとっての狙いです。

したがって、町の人に、その町にある地域の岩場で、どこがどうすごいルートなのか?なんとなしでも、分かってもらっていることが大事です。

同じ昇仙峡を登った!という事実でも、私のように入門者で「ジャムジャム84をリードするのが目標です!」ってクライマーと、「デイドリームを第5登しました」ってクライマーの差をローカルクライマーは分かりやすく、町の一般ピープルに説明できなくてはなりません。それがローカルクライマーの役割です。

そうでなければ、どうでもいいクライマーがやってきて、「俺だって、時が時なら、ユージ(ユースケ)になれたんだぜ」と言い始め、町のえらいさんとしては、それが本当かどうか分からないので、そうかもしれないと思い、そのどうでもいいクライマーの名前を冠した講演会を開いてしまいます。

”現代の平〇○”などと、その土地に古くから伝わる偉人の名を転用したりして、威光を高めようとしていることがあります。そういう講演会は、ちゃんちゃらおかしいので、山を分かっている山岳会の人は来ない。一方、山のすごさを判定する能力がない一般市民がいっぱいです。

ところが、その人がクライマー内部で何をしているか?というと撮影クルーの荷物運びに、富士山のボッカに呼ばれる程度のことです。

一般市民を味方につけると、どういうことが起こるか分かりますか?栗城さんです。

クライマー内で実力が認知されたり、賞賛されていない人を、内部事情が分からない対外的な人だけが賞賛している、という分かりやすい事例が、栗城さんです。

あのようなことの相似形がミニチュア版で各地で起こっています。例えば福岡では、なんとかマリンさんを一流クライマーとして山岳協会が主催する、講演会開いていました。は?あの人、阿弥陀北稜程度をガイド登山で行って、落ちて遭難した人ですよね?

それは、結局、持ち上げられている人が自己愛性パーソナリティ障害であることを示す傍証です。普通は現代登山を理解していたら、自慢にならないことを自慢するなど、できないからです。それを持ち上げている事務局長などの立場の人は、無知な登山を世の中に広める片棒を担がされているということになります。

10)倫理的に間違ったことを堂々と自慢する

例えば、自分が募った公募隊員でいくら儲かったか、後日雑誌で、ピンハネ自慢を披露したりします。普通、自分がピンハネしたら、そんなこと対談で話しますか?

それを堂々と自慢しているのを見た、若いクライマーが、この業界はそれでいいんだ、と思って自己愛性パーソナリティー障害を発症するという負のサイクルをクライマー界は量産しています。

そのようなブラック産業になり下がったクライマー界を擁することを、町の人が誇りに思え、クライミングを推進することを擁護しようとすると思いますか?

たぶん、現在は、クライマー界の7~8割は自己愛性パーソナリティ障害のある人ってことになっていると思います。

そういうところに、エンパス(共感性が高い人)が行くと、自己愛性パーソナリティ―傷害の人は「俺がいかにかわいそうか」を延々と説きます。許してもらえた、という利得の経験がそうさせるからです。

理性が発達していない人は、かわいそう…と騙されてしまいます。

地権者にも、やられた人がいるでしょう。

例えば、御坂山岳会にいるときに、阿弥陀北稜で凍傷者を当会から3人も出した先輩は子供が6人いるから、いかに俺がかわいそうか、を私に納得させようとしたんですが…。それって、その人がかわいそうだから、一升瓶を代わりに背負ってあげるべきだってなりますか?

小学生でも分かりますよね?

そういう感じのことが起きます。 

一般的に見て、どこがかわいそうなのかなぁ?って感じのことをかなりくどく主張します。

それを女の人にお股を開いてもらう口実にする人もいます。

私の経験した事例では、パソコンが苦手な理由を、大昔に社内LANのスイッチを入れるのを失敗したことを盾に、理解してもらおうとし、一緒に行く海外登攀で、私がすべての渡航手配をするのに自分は便乗しようとします。おれアホなんだから、やってくれて当然でしょ、って手です。

これには後日談があり、話を深く聞いていたら、結局そういう人って、誰かの便乗で、これまでも山岳会でうまい汁吸ってやってきたみたいなんです(汗)。

昔はアルパインルートって、リードが取れるまで5年でも短いほう、と言われていたそうです。

そういうエリートコースと、現代のクライマーの成長の仕方…5.7のスラブ3ピッチの春の戻り雪でリードするのを同列に語ると混乱します。

昔は、ルートも先輩にリードされてセカンドで行ったのを暗記し、何度もパートナーと登りなおしてロープの流れを良くして、スムーズに登れるまで復習する。

そして、最後に、それに後輩を連れていく。そういう風に事が運んでいたわけですが、現代は、ランクをだいぶ下げて、一度、春の戻り雪に先輩に連れて行ってもらったら、あとは、当人同士で納得いき、登攀時間が短くなり、楽勝と感じられるまで登るわけです。

ほんとにだいぶランクは下がりましたよね?

このようなルートは、例えば、積雪期アルパインなら阿弥陀北稜とかです。大体、登攀自体を学ぶところではなく、慣れたらフリーソロでも登れるけれど、岩場のあれやこれやを学ぶところが多いルートです。登攀自体は登れない人がいないくらい簡単です。

その段階のことを学ばないでグレードだけ上げているクライマーが事故をするわけです。

誰かの便乗で自分の登攀人生を創ってきた人は、オンサイトというのは、実際、ほとんどしていません。オンサイトではなくエイドの時代の人なんですから…。

しかし、そういう人でも、そのあと後輩を連れていくことで復習山行はしてくれますから、面倒見がいい人と誤解されて、その誤解は当人が自己評価を上げるのにうまく利用しています。

分かります?この感じ…。

ただ自分の都合の良いことをしているだけなのに、なんかいい人のように解釈されちゃっていますよね?周囲の人に。

しかし、その人と深く付き合っている人…例:当人の奥さん、なんかは、とっくの昔に愛想つかして、離れて暮らしていたりするんですよ…。なんせ、一番近い人にとっては、行動原理が丸見えなので。

私も分かるまで、時間がかかりました。

こういう人はクライマー界には非常に多く、動機を肯定的な方向に、方向付けをしてやることが大事です。 

クライミングの価値観の中で、良いものを与えるということです。

例えば、

”レスキューはすごいことなんだ!”、とか、

”人命を第一に考えるんだよ!”、とか、

そうじゃないと、

どうやって自分がすごいことを示すか?ということに心身ともに魅了されている

ので、全然すごくないこと・・・例えば、俺は〇〇人の女と寝たんだぜ!とか、東京都の水源地で放尿してやったぜ!とか、古いピトンをつかんで登り落ちたことがある…、とか、全く自慢にならないことを自慢し始めてしまうんですよ。

これがチッピングが止まない理由です。

注目が欲しい。

だいぶ長いこと心理学を勉強して、ようやっとわかるようになりました。

クライミングを地域おこしに使うということは、このような人たちを良い方向に動機づけし、クライマーと言う人種が、社会不適合者ではなく、地域の貢献者となる手助けを行うという、崇高な仕事なんですね。

小鹿野にはぜひ頑張ってほしいと思っています。

2024/03/08

【心理学】クライミングにおけるバウンダリー侵害事例 :「不適切な行動をする自己中心的なクライマー」

■ 南ユウタさんのメマガから

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心理カウンセラーの南ユウタです。

たとえば、あなたの家のドアを勝手に押し開けて入ってくる人は、自分と他人の間の境界線(バウンダリー)を大切にしていないことになります。

・人のプライバシーにずかずかと土足で侵入してくる

・「俺を怒らせるな!」と自分が悪いのに相手のせいにする

・深夜に何度もメールやLINE、電話をして、やめてほしいと言ってもやめない

・約束の時間をいつも破られる

・お金を借りているのに返さない…

これらは全て境界線(バウンダリー)を大切にできていない可能性があります。

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■ ChatGPT

この事例は、個人や組織のバウンダリーを侵害するさまざまな行為を示しています。それぞれについて、以下のような解釈ができます。

1. 人のプライバシーにずかずかと土足で侵入してくる: この行為は、個人のプライバシーを尊重せず、その人の個人的な領域に無断で侵入することを指しています。

2. 「俺を怒らせるな!」と自分が悪いのに相手のせいにする: これは、責任転嫁や攻撃的な言動を行うことで、他者にストレスや不安を与える行為です。

3. 深夜に何度もメールやLINE、電話をして、やめてほしいと言ってもやめない: この行為は、他者の時間やプライバシーを無視し、しつこく連絡を続けることでストーキング行為に該当します。

4. 約束の時間をいつも破られる: 他者との約束を守らず、その人の時間や信頼を無視する行為です。

5. お金を借りているのに返さない: 他者からお金を借りているにもかかわらず、約束通りに返さないことは、信頼関係を損なう行為です。

これらの行動は、相手のプライバシーや権利を尊重せず、個人や組織のバウンダリーを侵害するものとして考えられます。
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クライミングに関連する事例に変更します。

  1. 他人のルートを占有してクライミングする
  2. 自分の技術不足や判断ミスを認めず、他のクライマーを非難する
  3. 混雑した壁で他のクライマーを妨害するような行動を取る
  4. 約束の時間に遅れて現れ、他のクライマーの計画を狂わせる
  5. 他のクライマーから借りた装備やギアを返さない
もちろんです。それぞれの事例について解説します。


1. **他人のルートを占有してクライミングする**: クライミングでは、一つのルートや課題を複数のクライマーが利用することがあります。しかし、他のクライマーが挑戦しようとしているルートを自分が占有してしまうことは、フェアな振る舞いではありません。これは他のクライマーに不快感や不公平感を与える可能性があります。

ーーーー> これはトップロープ終了点への直がけのことです。


2. **自分の技術不足や判断ミスを認めず、他のクライマーを非難する**: クライミング中に技術的な課題や失敗が起きることはよくありますが、その際に自分の責任を他のクライマーに転嫁するのは問題です。自己責任として挑戦することがクライミングの重要な側面であり、自分の技術や判断ミスに対して責任を取ることが求められます。

ーーーー> 50mロープで60mを登ろうとしたことが該当します。


3. **混雑した壁で他のクライマーを妨害するような行動を取る**: クライミングジムや人気のある登山ルートでは、他のクライマーとの共有スペースでの挑戦が必要です。しかし、意図的に他のクライマーの進行を妨害するような行動は、クライミングコミュニティに対して不敬な行為と見なされます。

ーーー> ロープ掛けっぱなし


4. **約束の時間に遅れて現れ、他のクライマーの計画を狂わせる**: クライミングパートナーシップは信頼と相互尊重に基づいています。約束の時間や計画を守らないことは、他のクライマーの時間や計画を無視することになり、信頼関係を損なう可能性があります。


5. **他のクライマーから借りた装備やギアを返さない**: クライミングコミュニティでは、装備やギアの共有が一般的です。しかし、他のクライマーから貸し出された装備やギアを返さないことは、信頼関係を崩壊させるだけでなく、そのクライマーの安全を脅かす可能性もあります。

■ 「不適切な行動をする自己中心的なクライマー」 はヒーローか?

不適切な行動の正当化: 不適切な行動をする人物がヒーローとしてあがめられる風潮では、そのような行動が正当化される可能性があります。これは社会的規範や倫理的な基準を歪め、混乱を引き起こす可能性があります。 模倣行動の増加: ヒーローとしてあがめられる人物の行動は、他の人々に影響を与える可能性が高いです。そのため、不適切な行動をする人物をヒーローとしてあがめる風潮は、同様の行動を模倣する人が増える可能性があります。 社会的価値観の歪み: 不適切な行動をする人物がヒーローとしてあがめられる風潮は、社会の価値観やモラルを歪める可能性があります。これにより、健全な社会関係や倫理観が損なわれるおそれがあります。 被害者への影響: 不適切な行動をする人物がヒーローとしてあがめられることは、被害者にとっては追い討ちをかけるような感情的な負担を与えるかもしれません。被害者の権利や尊厳が軽視されることになり、彼らの立場が弱体化する恐れがあります。 これらの要因は、不適切な行動をする人物をヒーローとしてあがめる風潮が社会に与えるマイナス面の一部です。

■ 当方の経験

1)伝統的な無法者クライマーがあがめられた結果、不適切行動を不適切行動と理解できず、無断でのボルト打ち、無断…もしくは、地権者の無知に付け込んだ、口頭などでの気軽な許可程度でしっかり理解を得た上での許可ではない、岩場の開拓の蔓延…それによる事故の多発、および、地権者の不信感による、信頼の低下、それによるアクセス問題。

2)チッピングの横行。

3)過剰な権利意識…。岩は叩きながら登るものですよ。

4)反省の不在。 過ぎたことは考えても仕方がない、というのは欺瞞です。

5)横行する手抜き・汚職・怠惰。 日本には、日山協と労山という二大山岳組織がありますが、いったい今まで何をしてきたんですかね? 仕事してきて、このていたらく?

現行の日本の岩場の実態は、九州の岩場で体験しました… いやはや…目を疑うような事例ばかりでした。

九州4年の総括




2024/03/02

【心理学】クライミング界における事故防止とクリティカルシンキングの利用

非クライマー地域住民(クライマーをサポートし守る存在)とクライマー(守られる側)の適切な関係性と、その構築方法についてChatGPTに相談しました。
  1.  コミュニケーションを重視する: 非クライマー住民はオープンで健全なコミュニケーションを確保し、他者の意見や感情を尊重する。
  2. 自己決定権を尊重する: 非クライマー住民はクライマーの自己決定権を尊重し、自分自身の選択をする自由を与える。
  3. サポートと励ましを提供する: 非クライマー住民は、クライマーの目標や夢をサポートし、クライマーの努力を励まし、自信を持たせる。
  4. 適切なガイダンスを与える: 非クライマー住民は、クライマーが困難に直面した時には、適切なガイダンスを提供し、クライマーが自分の道を見つける手助けをする。
  5. 個別性を認める: 非クライマー住民は、クライマーが独自の個性や興味を持っていることを認め、それを尊重し、肯定的に受け入れる。
  6. 限界を設定する: 非クライマー住民は、岩場への愛情と共に、クライマーに対して適切な限界を設定し、クライマーが安全で健康的な環境で成長できるようにする。
  7. 共感と理解を示す: 非クライマー住民は、クライマーの立場や感情に共感し、クライマーの視点や経験を理解しようと努める。
  8. 批判的思考を促す: 非クライマー住民は、クライマーに対して自己批判的思考を促し、自分の意見や信念を疑問に思うことを奨励する。
  9. 興味を共有する: 非クライマー住民は、クライマーの興味や活動に関心を示し、一緒に時間を過ごすことで、地域愛と絆を深める。
  10. 許容と包容を示す: 非クライマー住民は、クライマーが失敗したり間違ったりしても、許容し、クライマーを支えることで、自己成長と学びの機会を提供する。

これは誰に対しても同じことが言えますね。

このような関係性を築くことは、地域とクライマーの健全な関係性と経済発展に有効でしょう。

■ 詳細

失敗や間違いを受け入れることについて:クライマーが自分の決定を誤ったり、失敗したりした場合でも、その経験から学ぶ機会として受け入れ、クライマーをサポートします。失敗や間違いは成長の機会であり、それを尊重して共に乗り越えることが重要です。

興味や才能を尊重することについて:クライマーが特定の興味や才能を持っている場合、それを尊重し、サポートします。クライマーが自分の興味や才能を追求する自由を与えることで、クライマーの個別性を育みます。

独自の考えや意見を尊重するについて:クライマーが独自の考えや意見を持っている場合、それを尊重し、クライマーの声を聞きます。個別性を尊重することで、クライマーが自信を持って自分の考えを表現できる環境を作ります。

■ 健全なバウンダリーを設定することについて

非クライマーである地域住民は、以下を行います。

岩場の利用の管理:クライマーが岩場でのトレーニングや登攀を適切な時間内に行うようにする。例えば、平日は夕方まで時間、週末は日没までなどの制限を設けることができます。

屋外登山の制限:クライマーが登山する時間や場所を制限する。例えば、日没前に山を降りるように制限を設けるなどの安全面を考慮した制限があります。

体調管理と休息:クライマーが適切な休息を取り、過度の負荷や怪我を防ぐために、トレーニングや登山の間に十分な休息を取ることが重要です。例えば、週に1日以上の完全な休息日を設定するなどの制限があります。

目標設定と計画:クライマーが安全かつ効果的に目標に向かってトレーニングや登山を行うために、計画的なアプローチが必要です。例えば、特定のルートへの取り組みや特定の山の登頂を計画し、適切な実力の枠内で実行することが重要です。

休暇やリフレッシュの時間:クライマーが疲れを取り、モチベーションを維持するために、定期的な休暇やリフレッシュの時間を設けることが重要です。

岩場の適正利用については、ローカルクライマー間での話し合いと合意が必要ですね。

特定の人だけが岩場で登れるように、現在は配置されていると思います。

■クリティカルシンキングについて

批判的思考を促進するために行えることをいくつか挙げます:

  1. 問いかけを奨励する
  2. 情報の信頼性を検証する習慣を育成する
  3. 議論やディベートを促進する
  4. 質問を歓迎する文化を醸成する
  5. 問題解決のフレームワークを提供する
  6. 裏付けのある意見形成を助ける
  7. 自己批判を奨励する

■ クリティカルシンキングへの評価

クリティカルシンキングの成功事例として、自動車の購入を考える場面を挙げてみましょう。

例えば、あなたが新しい自動車を購入することを検討しているとします。クリティカルシンキングを活用すると、以下のようなプロセスが考えられます:

  1. 情報収集:最初に、様々な自動車メーカーやモデルについて情報収集を行います。価格、燃費、安全性、信頼性など、重要な要因を考慮します。
  2. 選択肢の評価:収集した情報を分析し、複数の自動車モデルを比較します。各モデルの利点や欠点を考慮し、自分のニーズや予算に最も適した選択肢を特定します。
  3. 論理的な判断:各選択肢の利点や欠点を論理的に考え、自分の価値観や目標に合致するかどうかを判断します。たとえば、家族の大きさや趣味に応じて車の大きさや機能を選択するなど、論理的な判断を行います。
  4. 選択の妥当性の検証:最後に、選択した自動車モデルが自分のニーズや予算に適しているかどうかを検証します。実際にテストドライブを行ったり、他の所有者のレビューや評価を参考にすることで、自分の判断を確認します。

このように、自動車の購入におけるクリティカルシンキングのプロセスでは、情報収集、選択肢の評価、論理的な判断、選択の妥当性の検証というステップが重要です。

クライマーバージョンクリティカルシンキングをクライミングに適用する場合の例を挙げてみましょう。

仮に、あなたがクライミングを趣味として追求しているとします。ある日、友人たちと一緒に新しいルートに挑戦することになりました。

  1. ルートの評価:最初に、ルートの評価を行います。そのルートがあなたのクライミング経験や能力に適しているかどうかを考えます。ルートの難易度や傾斜、岩の質など、重要な要素を評価します。
  2. リスクの分析:次に、挑戦するルートでのリスクを分析します。岩の剥離や天候の変化など、潜在的な危険要素を考慮し、安全な登攀を確保するための対策を検討します。
  3. プランの立案:その後、登攀のための具体的なプランを立案します。ルートの進行方向や難所の克服方法、必要な装備品などを計画し、グループ全体が安全に登攀できるよう準備します。
  4. ディスカッションとフィードバック:プランを仲間と共有し、フィードバックを受けます。他のクライマーたちと意見を交換し、可能なリスクや課題に対処するための戦略を改善します。
  5. 実行と評価:最後に、プランを実行し、登攀を行います。登攀中に起こる変化や問題に対応し、柔軟に対応します。登攀後には、挑戦の過程や結果を評価し、次回の登攀に役立てるための学びを得ます。

このように、クライミングにおけるクリティカルシンキングは、

①ルートの評価、
②リスクの分析、
③プランの立案、
④ディスカッションとフィードバック、
⑤実行と評価

というプロセスを通じて実践されます。

念のため言っておきますが、女の私が言うことを聞けなくても、みなさん、ChatGPTが言っていることなら聞けますよね?











2024/02/24

【心理学】自分の失敗パターンが出そろった感じですね

ーーーーーーーー南ゆうたさんのブログよりーーーーー

「あなたは自己中心的で、わがままで、上から目線で、偉そうだ!」という悪口

を言ってくる人は、もしかしたら、

その人自身がその傾向があるだけ

かもしれません。

その人自身が自己中心的だから、他人からの健全なNOやお断りも「自己中心的」に見えるのかもしれません。

この場合、「他人は私の要求に従って当然」と思っている傲慢な人ほど、「思い通りに動いてくれない相手」に、「自己中心的」だと言っているのですね。(CP自我)

「自分を中心にすべき」なのに、そうしてくれない相手に被害者感情を抱き、「あなたはなんて自己中心的なのだ!」と悪口を言ってしまうのです。(FC自我)

また、その人自身が「上から目線」だから、他人からのちょっとした意見にも過敏に反応し、「あなたは上から目線で偉そうだ!」と言っているのかもしれません。(CP自我)

この場合、その人自身が他人を見下して優越感に浸る必要性に駆られています。

「あなたは私より下の位置にいるべきだ(CP)」と思っているからこそ、相手があなたに意見した時に「下の者が偉そうに言うな!=あなたは上から目線で偉そうだ!」と感じるのです。

ーーーーーーーーーーー

ああ~ これだな。

これ、私の母がFP自我の人でした。

 一人ぼっちでかわいそうな小さい〇〇ちゃん…って自己イメージ

だったんですよね、母は。

だから、娘の私は、「ママ、かわいそうじゃないよ~私がいるよ~」と言ってあげる役でした。

母の自由で奔放なところは、過保護ですべての石を取り除いてレールを敷こうとする一般的な親と正反対で、私はそんな母が自慢でした。ママがディスコで、ディスコクイーンになって帰ってきたときは、あきれましたが、それでも、一人で夜遊びもできない世間の母親たちよりはかっこいい、と思いました。

私は12歳でしたが、あまりに早熟で20歳に見えていたので、町を歩いていると、良く男性にナンパされ、心配した母は私を夜の店に連れて行き、アルコールで飲んではいけないものを教えました(笑)。母の教育はそっち。門限作る、とかじゃなかったのです(笑)。

でも、15歳でアメリカに行きたいというときに、私の進路はお金がないからという理由で阻まれ、あとで聞いたらたったの30万円。母がローンを組んで買ったお着物50万円…。娘の私の教育は着物より重要じゃなかったんですよね(笑)。まぁ、いいけどさ。だから、母は幸せだったと思うので。

しかし、それらの過去の出来事は、すっかり子供時代に置いていた!と思っていたのに、

クライミング活動で、再現が起きて、

”全然、かわいそうじゃない人が俺をかわいそう認定”していて、周りの人からの親切を要求していたり… (例:子供が6人いる男性)

日本の年齢順の秩序の中では、目下に当たる私の側が、100%合わせてあげて山が成り立っているのに、「わがままだ!」と言ってきて、”ほへ?なんじゃ、これ?”って思ったりしました…。

俺は日ごろ過去の栄光を自慢してるけど、もうデブで登れず、かわいそうな奴なんだぞー、それくらい分かれ!って態度???

なら、自慢しなかったらいいのでは…。

膝が脱臼していて、”痛くてつらい”、って言っているのに、なんでよりによって、ステミングが必要なルートを選ぶ?

それって、わがままなの、あなたのほうですよね?

ってなりました…。

そりゃなるよなぁ。右ひざは一人一個しかなく、右足は一人一本しかない。替えは効かないのである。

それでも、私が子供時代に培った、

 ガマンと忍耐

で、この局面を乗り切ってしまったので…さすがの神もあきれ、さらなる試練を私に課すことになった…。

余りにパートナーのアラーキーに「上から目線で偉そうだ」と言われるので、

一体私の何がそうなのか?自問自答してみましたが、

私の知性が優れていることは欠点ではなく、

クライミングや登山でのリスクを未然に防ぐのに有用な資質

としか思えませんでした。

それでも、私の側が間違っているのか?

それを証明するために、登ることになったのが、白亜スラブで、相方は

 25+35が50ではないことを計算できない知性

であることを行動で、自ら証明することになりました…。私のせいですかね? 

いや、たぶん、計算ができなかったとか、の知性の問題ではないな。

要するにめんどくさく、怠惰だったんでしょう…

だって、子供って、そういう風にしますよね。

■フラッシュバック

一方の私は、この経験で、2歳の時に父親にプールに落とされて溺れかけた、というトラウマのフラッシュバックを経験するようになりました。

これだったんですね、意味もなく水が怖い理由…。

おかげで学生時代はプールの授業から逃げ回るのに、いろいろと大変だった…

2歳の赤ん坊を水に突き落とす父親は、どのような人物ですか?

2歳の赤ん坊を水に突き落とす父親は、非常に危険無責任な行為をしている人物です。

子供に対する暴力的な行為であり、法律で明確に禁止されています。

このような行動は子供に深刻な身体的・心理的なダメージを与える可能性があります。

父親としての責任愛情が欠けている可能性が高く、精神的な問題を抱えている可能性もあります。子供の安全と幸福を守るためには、このような行動を取った父親に対して法的な措置が取られるべきです。

クライミングパートナーを自分がめんどくさかった程度のミスのためにリスクに晒すクライマーは、どのような人物ですか?

クライミングパートナーを自己中心的で無責任な行動によって危険に晒し、最悪の場合、死に至らせるクライマーは非常に危険無謀な人物です。

クライミングは信頼と責任の重要な要素を含む危険なアクティビティであり、パートナーシップと相互の信頼が不可欠です。

自己中心的な行動やミスは、クライミングパートナーの生命や安全を脅かすことになります。

このような行為はクライミングコミュニティで厳しく非難され、しばしば法的な責任を問われることもあります。クライミングにおいては、安全が最優先であり、パートナーとの信頼関係やコミュニケーションが重要です。

これ、私が言っているんではなく、ChatGPTが言っているんですからね…

傲慢で上から目線だ!とChatGPTに言ってくださいね。

これ以上、言わなくても、分かりますよね…

心理学によるとこのように、相手を非難してくるパーソナリティーの人は

  ナルシシストやボーダーラインの人

だそうです。納得しました。

心理的障碍者だったんですね。

私においては、警戒しないといけないのは

 危険予知能力

が、父親への信頼感や愛情、あるいは、パートナーに弟を投影してしまったことで、弟への愛情が私の弱点となって、無責任さ、言い換えれば、知性の低さ、ですが…への警戒心が薄れ

 抜け道化

してしまったということです。普段どおりの冷静な判断力が発動できなくなっていたってことですね。

■ 一般化

これを一般化すると、エゴグラム診断によって、

 クライミングシーンで、その人が事故に遭いやすいパターン

が検出できるかもしれません。

FCが強い人が山の世界ではほとんどで、それで、無謀登山が多く、日本の登山界では遭難件数が毎年過去最高を記録中です。特に団塊の世代。いまだにバブルよ、もう一度って思っている人たちですからねぇ…

というわけで、登山者の性格を事前に登山グループ全員が把握することで、

事故に陥るパターン

を統計化すれば、そこから、ミスの本質が導けるような気がします。

これは、登山程度では、死ぬことは起こりにくいですが、クライミングでは、ほんの些細なミスが、死亡しうる事故に直結しますので、有効な手段のような気がします。


普通の人はこの赤い線のところにも来ない人が多いそうです…



2024/02/11

【クライミング心理学】レスキュー勉強しないで来るクライマー、ロープを持たないで来るクライマー=無条件の愛をパートナーに要求する人

■ みなみゆうたさんのメマガより引用

-------

「無条件の愛情」にこだわる代わりに、「限られた条件の中で、できる限りのサポート」をしましょう。

「限られた条件」とは、あなたの時間、予定、体力、気力、お金などなどです。

なぜこういうことを言うのでしょうか?

それは、依存的な人や支配的な人ほど、相手に「無条件の愛情」を求めるからです。

この場合の無条件の愛情とは、「底なしの愛情要求」です。

依存的な人や支配的な人たちからの「無条件の愛情」の要求には、あなたの時間や体力、気力、お金などに対するリスペクトがないのです。

無条件の愛情とは、「なんでもあり」ではありませんよ?

電車で足を踏まれても、目の前で嫌味を言われても、暴言を吐かれても、「赦してあげる」のが無条件の愛情でしょうか?

それはやさしさではありませんよね。

成熟した人間関係には「条件」が絶対に必要です。バウンダリーの感覚がマヒしたり、融合していたり、侵入しがちな人の言う「無条件の愛情」は、「すべて私のために犠牲にしてね」という要求になります。

だから、あなたが言いなりになる必要はありません。

ーーーーーーーーーーーーみなみゆうたさんのメマガより

■ クライミングバージョン

「いつでもロープ組んであげる」にこだわる代わりに、

 「いつもはできないけれど、できる限りロープを組んであげる」

をしましょう。

「限られた条件=いつもはできない」とは、

 あなたの時間、

 予定、
 体力、
 気力、
 お金
 性別
 体重

などなどです。

なぜこういうことを言うのでしょうか?

それは、依存的な人や支配的な人ほど、相手に「無条件の愛情」を求めるからです。

この場合の無条件の愛情とは、「底なしの愛情要求」です。

依存的な人や支配的な人たちからの「無条件の愛情」の要求には、あなたの時間や体力、気力、お金、性別、知力、などに対するリスペクトがないのです。

無条件の愛情とは、「なんでもあり」ではありませんよ?

ロープを持ってこないけど、ビレイもできないけど、あるいはめんどくさかったからと言う理由で足りないロープで2ピッチつないで、一つのボルトに仲良くぶら下がることになっても、危険個所でロープを出さないでも、「赦してあげる」のがクライミング仲間の絆でしょうか?

それはやさしさでも、クライミング仲間の絆、でもありませんよね。

成熟した人間関係には「条件」が絶対に必要です。バウンダリーの感覚がマヒしたり、融合していたり、侵入しがちな人の言う「無条件の愛情」は、「すべて私のために犠牲にしてね」という要求になります。一人、一個しかない命までも。

だから、あなたが言いなりになる必要はありません。

ーーーーーーーーーーーーみなみゆうたさんのメマガより

■ バウンダリーの問題

クライミングにおける心理学的問題は、ほとんどがバウンダリー問題だということができると私は思います。

大体バウンダリーの侵害が起きているときに、よろしくない事故やパートナーへの人権侵害が起きる。

共依存的関係に持ち込むことで、成功をクライマーとしての成功をゲットしてきた経験がある人は、山岳会に多いです。昔の山岳会のシステムは、昔の会社と同じで、年功序列なので、下の人が無条件に歩荷してくれ、上の人は、歩荷せずに山に登れて、栄誉を自分のものとすることができた、という流れがあり、それを手放すのが惜しい人が少なからずいます。

例えば、私の前の会の阿弥陀北稜の会山行は、一升瓶を新人に背負わせ、てんやわんやの宴会をして、泥酔状態で北稜に登り、凍傷者3名というていたらくでした。阿弥陀北稜って私が、初見フリーソロ、で登った尾根です。どんだけレベル低下というか、わざと事故を招くようなことをやっているか?分かるでしょう…

そういう意味では、カニを担いで黄連谷行きました、とかも同じメンタリティで、カニをかついで、のところで、いかに黄連谷が簡単か、ということをアピールするのが目的なんですが、新人は、これに騙されないように、ある意味搾取されないように賢くないといけませんね。

なんせ、黄連谷って時点で、すでに諸先輩方のスキルレベルからすると地に落ちたレベルということがうかがえ、それを、カモフラージュするためのカニ、なんですから…。

もちろん、黄連谷であっても、そこが初めての人にはチャレンジですが、チャレンジだと思って行けば成功するものが、カニなんて活がされていけば、死に至る可能性があります。

阿弥陀北稜で、一升瓶活がされた新人、と同じです。私も比叡では同じ目に遭いました。

■ ”カニ担いで黄連谷”と同じ、”敗退ロープなしで!”

この、「一升瓶担いで阿弥陀北稜」「カニ担いで黄連谷」は、「敗退ロープなしで白亜スラブ」と同じメンタリティです。

わざと一升瓶やらカニやら、敗退ロープなしやら、をやるのは、そのルートが楽勝だ、ということをPRするためです。

しかし、現実は、楽勝PRどころじゃなく、アップアップ、死の瀬戸際。

しかし、現代クライマーは、”都合の悪いことは山行記録に書かない”というこれまた不文律があるので、会の中ですら、実際の、

 等身大の山

が共有されていなかったりします。それで、指導する側も、「よし、ここが登れるなら次のステップへ」とか考えてしまい、実際の実力より上のルートを勧めてしまったりします。

なんせ現代の男子は、たったの10cで2時間半かかっても、挫折感ゼロなほど、おぼちゃまくんに育っているんですよ?

結局のところ、(拡大したエゴ)を(等身大の自分)に直す機会が、ほとんどないんですよね…。特にクライミングや、アルパインクライミング、ロープが出る本格的な山はそうです。一般市民の誤解に基づく尊敬のまなざしが気持ちよくて仕方ない、ってことになっています。

なんで、白亜スラブを敗退ロープなしで行きたかった彼は、ほんと、ダメクライマーの伝統のほうを引き継いでしまったみたいなんですよね… (とても残念)

考えてみると、青ちゃんは依存的な人、アラーキーは支配的な人、でした。

■ 教育の失敗

なぜこういうクライマーができてしまうのか?というと、まぁ本人の性格もあるとは思いますが、登山者教育、クライマー教育が適正でない、ということも言えるでしょう。

これは、どうもアメリカでも同じ事態なんではないか?と思いますが。

しっかし、こんな、山の指導者のていたらく、新人の側が、怒りを感じて当然です。

威張るだけ威張って、能力なしという、いったい何やってんだ、っていう情けない状態、っていうのが、客観的な姿ですよ。

■ 対策


相手の気持ちを察する=自分を理解してくれているという誤解(期待)

クライミングで威張りたいんだなぁ=俺を立ててくれるに違いないという期待

2024/01/02

【心理学】心を満たすとは? 自分の本当の気持ちを受け入れること 

■ 精神科医のYouTuber続々

■ この動画のまとめ

中核感情とは何か?

1)つながり → 虐待 → 愛着形成 → 親密性回避
2)有能でありたい → 過保護 → 対人不安
3)承認欲求 → 条件付きの愛 → 自己犠牲・他人軸
4)自由でありたい → 制限・権限を与えられる → べき思考・完璧主義 自由な人へのイラつき
5)自制心を身に着けたい → 自分を抑えられるようになりたい → 利己主義・万能感

1~4)は子供が子供らしく生きたいということで、満たされすぎると、5)が満たされなくなる。やりたい放題になってしまう。この世の中あなたのモノよ、と言う感覚になる。

■ 5つの傷

リズの5つの傷に対応しているので、かなり精神医学に近いことを言っているのが、興味深いですね。

1)親密性回避 ネグレクトされてきた人。愛着をきちんと作る
2)対人不安がある人は、過保護にされてきた人。有能感を満たす
3)自己犠牲・他人軸がある人は、条件付きにしか愛されてこなかった人。承認する
4)べき思考がある人には、コントロールされてきた人。自己権限を与える
5)利己主義がある人は、躾けを教えてもらえなかった人。自己規律を考えさせる

■ 自分で自分の心を満たすには?

・自分の心は自分で満たす
・自分のネガティブ感情を受け入れる 例:寂しい、怖い、つらい、今は無理と言う気持ちすら受け入れる

コーチやカウンセラーを雇い、自分の中核的感情欲求に気が付く。

■ ポストトラウマティックグロース

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ポストトラウマティックグロースとは何ですか?
PTG(Posttraumatic Growth;心的外傷後成長)は、「トラウマティック」な出来事、すなわち心的外傷をもたらすような非常につらく苦しい出来事をきっかけとした人間としてのこころの成長を指します(Tedeschi & Calhoun, 1996)
ーーーーーーーーーーーーーーー

を目指しましょう☆

■ 青ちゃんの韓国アイス

そういえば、師匠の青ちゃんは、実は韓国のアイスクライミングでどっかぶりロングルートに挑戦したかったのに、心の支えが欲しかったんですよね…。

あれは、そうだろうなぁと思っていました。というのは、そのどっかぶりアイスルートの話をなぜか私にしてきて、そんなの、アイスクライミング初心者の私に言われてもなぁ…真意は何だろうか?と思っていたんですよね。

人は一般に自分の挑戦の価値を共有してくれる人を、必要とします。すごい挑戦の場合は、つまり、自分のコンフォートゾーンを抜ける挑戦の場合は、怖いのが当然で、その怖さを乗り越えるのにも、誰かとその理解を共有する必要があります。

たぶん、ご家族がクライミングしないので、私を理解者としたかったのでしょう。つまり愛着基地としたかったということですね。

あれは私としては、カウンセラー業者、理解者役としては成功しました。というのは、大阪に帰った時に、彼から報告があったからです。

正しく愛着形成されていれば、相手に報告したくなる、というのが精神医学では言われています。

ので、彼は欲しいものを私から得て、きちんと自分のチャレンジを全うしたのでした。


カウンセラーとしては成功体験になりましたが、私は子供のころから、母の専属カウンセラーなので、正直、カウンセラー役はうんざりなんですよねぇ…。

私は誰かの愛着基地にいつもされているのに、誰も私の愛着基地になってくれないですよねぇ??

私は上等のビレイをいつも提供しているのに、信頼できるビレイのお返しは来ないんですけど??

ま、自灯明(心に従う)、法燈明(合理思考に従う)を広げていくのが私の使命なのかもしれません。

2023/12/18

【心理学】発達心理学をアクセス問題に応用すると?

■ 心理学をアクセス問題に応用すると

「地権者をはじめとする地域の人々にとって、クライマーは、ど のように見えるのだろう」

「クライマーにとって、地権者をはじめとする地域の人々はどのように見えているのだろう」

と自問することが

解決のカギになりそうですね。

クライマーとして尊敬されるには

高いグレードが登れるだけではなく、地域のルールを順守するクライマーであること

が尊敬の条件となる文化が必要です。

今の文化って、社会人としてのルールを破っている奴がよりえらいみたいな感じだもんなぁ。

ーーーーーーーーーーーー  

この段階をここに含めたのは、それが自己 防衛的段階の思考から順応的段階の依存へと 至る認知的な変化を示しているからであり、 そしてまた心の成長に関する論理的なつなが りをもたらしてくれるからである。この段階は、注釈7で述べられているように統計的に 非常に少ないため、一連の段階には含まれていない。

  この段階では、人は様々な見解のあいだを揺れ動く。時には「あなたにとって、私はど のように見えるのだろう」と、時には「私にとって、あなたはどのように見えているのだ ろう」と自問する。今や彼らは、特徴や振る舞いに関する外面的な差異を認識できるのである。多くの場合、学校に入学した子どもたちはこの発達段階に進入している。規則志向段階で描写されるのは、2人称的視点(second person perspective) を発見しつつあり、単純で外面的な比較や、具体的な心的操作を行い始めたような成人でもある。


  彼らは、受け入れられ、そして好かれることを必要とし始めるため、社会的な慣習やルールを見つけ出すことに夢中になる。「よく」て、受け入れることのできる人間だと見られたいので、外面的な魅力や容貌を重視する。この段階にある人々は、ルールに従うことで受容と保護が得られるので、以前よりも信頼感を示す。世界は、自己防衛的段階の人たちが感じているほど敵対的ではないように感じられる。人々は、尊敬される(re-spect)──それは他者によって見られる(seen) ことを意味している──ことを望む。今や尊敬は、力ではなく、集団の規範を固守することによって得ることが出来る。この段階にいる人はまた、他者に注意を払うという形で他者に対して敬意を払う。私がここにいるとき、人々は私に気づいてくれる。私が彼らの話を聞き、彼らが私の話を聞く。2人称的視点を用いることで、簡単なフィードバックの可能性を発見するのである。他者が私について考えていることを、私は見つけ出す。「私は友人に何を考えているのか尋ねることができる。彼らは教えてくれる。そして世界は崩壊しないのだ! 私は彼らを信頼している」。2人称的な視点をとることは、社会的相互作用の発達における重要な段階なのである。



  この段階では、他者との表面的な類似性が見出されるが、それは心地よいものとして感じられる。私は孤独ではないのである! このような新しい感情は、クラブ活動のようなゆるい結びつきのなかで味わわれる。そこで人は、似たような行動的興味を共有するのである。



○言語上の手掛かり:

  規則志向段階の主体は、事実に基づく単純な言明を幾つか述べ、具体的な振る舞いや単一の外見的特徴に言及する。彼らは刺激に対しては消極的に反応し、困難に巻き込まれることを避けようとするが、そうする方法をはっきりとは知らない。何か間違ったことをしたと感じうるが、どのように間違っていたのか、なぜ間違っていたのかを述べることができない。多くの場合、彼らの言い方には感情が欠けている。


ーーーーーーーーーーーー

https://integraljapan.net/articles/JTA2018EgoDevelopment.htm

2023/11/21

【心理学】国民的トランスジェネレーショナル・トラウマ

[目撃!にっぽん] “ずっと父が嫌いだった” 家族が向き合う戦争の傷痕 | NHK

■ 戦争体験=心の崩壊

戦争体験世代 → 戦争トラウマ 心理的に子供と愛着が築けない
子世代 → 親と分離トラウマがある = 自閉症、愛着障害、ASD、ADHD等
孫世代 → 分離トラウマにとらわれた親に育てられたアダルトチルドレン

となっているようです。

私の事例では、祖母は戦争トラウマがあり、満州からの引揚者でした。その子供である母は、忙しく自立した女性に育てられたため、ASD受動型みたいでした。つまるところ、おとなしく、頼りなく、とても寂しがり屋でした。えーん、と泣いている小さい子供が、母。
そのような母のもとに生まれたのが、私です。私はかなりたくましいですが、それは、真逆にたくましくない母に生まれたせいですが、既存の”自分では何もできない女性”という女性像を塗り替えたいという思いで、私は母のもとに生まれることを選んだのではないでしょうかね?

英語が話せ、ITができ、しかもチェーンソーも使えて、クライミングもできるって、ただのじゃじゃ馬じゃないですよねぇ…自分でもなんでこうなったのか謎。私は楽しいことを勉強してきただけですが。

さて、この動画の人は、

戦争体験世代 → 戦争トラウマ 心ここにあらずで心理的に子供と愛着が築けない
子世代 → 父に反発 あんな男にはならない!と強い男になる

となっています。では孫世代はどうなるでしょうか?

孫世代 → 子世代の父の強さに反発して、優しい男性になる、があるかもです。

私の夫は、孫世代の、心優しい男性、かもしれませんねぇ…。

■ 屁のツッパリで、40mランナウトの方々の世代背景

を見ると、大体、戦争時に親が戦地に出ていた子供世代でしょう…

帰ってきたら、親は、魂を抜かれ、戦地の悲惨さが分からない村の人に、戦争ボケと呼ばれて、見下されている。そんな親を見て育った子供は

 俺は勇敢なんだ!!!

と聞かれてもいないのに、主張するために、4級で40mランナウトする羽目になったのかもしれませんね…

■ 心優しく

そういう時代背景で、明らかに心理ゲームによって動き、翻弄されてしまっている人に、

2020年においては、5.12でエルキャップをフリーソロする時代ですよ~

と教えてしまうのは、

 心無い行為

だったかもしれません。だって、その人は、自分が翻弄されていることに無自覚なわけですから…。裁判だって、犯罪を犯罪と分からない子供には罪を着せません。

と言うわけで、なんで九州の年配の人は、ランナウト自慢なのか謎が解けました。

ズバリ指摘して、すいませんでしたね。いや、時代錯誤感がかなりあり、おったまげてしまったためです。九州の若い人は、もうとっくに分かっていたよーということなんかね?

最近の若い人は心優しいですね☆

だからと言って、こんなクライミングは常識の範囲外ですので、やめましょう。左が私です。

一人のビレイヤーが2名のクライマーをビレイ中ってことが分かる写真(汗)。本番ならカム持っているのに、この日はアイスクライミングの転進だったので、ゲレンデクライミングだと思っていたら、本番リードを初対面の人に対してする羽目になった。めちゃランナウト中。しかもリードなのに50リットルザック付き。

この山岳会の会費を一年分払い、1回比叡に行っただけで、この写真をもらって、この人たちは何にも分かっていないと思い、退会。

のこり11か月の返却をお願いしたら、これは特別措置で普通は返さない金だ、と言われました。

は?どんだけ?盗人猛々しいのか… 恩着せ合戦になっているよなぁ。使っていない金を返すのは当然です。

しっかし、この登攀、危険だったよなぁ…。

青ちゃんとインスボンでたくさん登っていたことが身を救いました。師匠、ありがとう。

参考:命あってのものだね

2023/11/14

【クライミング心理学】クライミングの教え方がエボカティブすぎる件

 現在のクライミングって、

1)ロッククライミング、のインストラクターズマニュアルが存在せず

2)プラスチッククライミング、の登り方で、みんなが岩場に来る、ために、

 岩場でのリスク管理ゼロ

状態で、みんなが岩場に来てしまい、

 危険回避能力がない

ってのが問題です。

さらに、

1)ロッククライミングでスタートした人は、プラスチッククライミングが苦手

であるため

2)クライマー階級社会から否定的&屈辱的扱いを受ける

ってことになっています。

まー、インドアで5.12とか、岩場で5.12が登れても、山にある5.9もとい10cで二時間半ってのが、プラスチック出身の若い男性の真実の姿であり、その上、それでも俺イケてるって思うみたいなんで、なんか、双方向に誤解がかなり激しい事態なんである…。

最近、統計おねえさんのサトマイさんが、子供たちの学力低下、語彙力低下を指摘しているんだが…。

クライマー界にもありそう…。https://www.youtube.com/watch?v=Et1KYbVhYLA

セルフ取りました、でセルフを解除してしまうという誤解が定番だが、そういう、ちょっとした言葉の綾程度で死んでしまうような事例が、もうほんとに、たくさんあるんである。

■ 解釈は内なる自分の投影…Foodのアップは、女子力PRと思っていた相方

私の相方(1年程度しか組んでいないが)は、私が食事をアップすると、

 女子力PR

と思っていたそうである(汗)。私は、

 アウトプット命

と思っていただけである。

勉強でも、運動でも、アウトプットしないと定着しないというのは、独学が身についている人なら、誰でも知っている事柄である。ので、別に自己PRではない。

バレエも同じで、彼は、女性のナルシズムの表現と思っていたそうである。驚いた。バレエを雑念滅却以外の要素でとらえたことがなかったためだ。バレエってのは、一日休めば自分に分かり、二日休めば先生に分かり、3日休めば観客に分かるという…活動だ。したがって、大体バレエ好きな女性というのは、派手さと無縁の質素な生活、修行的な生活を好む人だ。

クライミングが修行僧であるのと同じだと思っていたが…。

どうも彼の中では違ったらしい。

■ 人は、自分の内にある心を相手に投影している

ここからが心理学の出番で、

 相手がしていることの解釈=本人の心の投影

であることは、別に心理学の勉強を詳しくしていなくても、分かる。

つまり、この男性は

  クライミングをナルシズムの表現としてやっていた

ってことが逆説的に証明されてしまったってことだ。

そして、それを言葉で聞くまで、私には、彼が自己PRとして登っているということが、理解ができなかったので、私はそうした発想自体を持っていなかったってことだ。私の中にはナルシズムは強く存在しない。

■ なんでそう反応するのかな?なことが多かったオールドクライマー

師匠と組んだときは、鈴木さんでも青ちゃんでも、なんでそう考えるのかなーと私にとっては謎なことが多かった。

例は、湯川で、一緒に明神主稜に行った男性クライマーとアイスを楽しもうということになり、私が彼を終了点に案内したら、青ちゃんは激昂したのであった…

これは、あとからメールで説明したら、なぜか理由は分からないが、機嫌が直ったが…。

終了点には一人だけだと言っただろ!みたいな怒りで、でも、終了点を教えないと、トップロープ支点を作って彼が別の仲間を連れてゲレンデに来るって、できないのだし…と思った。

自立するように促すのが、先輩クライマーの私の務めであると思っているのだが、古いクライマーは、支点のことも含め、他人に教えたがらない。なぜなのだろう…

そこらへんに文化の差がありそうだ。

昔は、特定のリーダー候補、幹部候補とみなされた人にしか終了点を作る技術、いうなれば、リードクライミング技術を教えなかったのだろうか?と思っているんだが…その辺は歴史的な経緯に属すので、私には分からない。

しかし、そう考えなければ、青ちゃんの反応が説明できない。

クライマーとして自立するための、肝心かなめの情報、どうやってトップロープ支点にたどり着くか?みたいなことを教えないため、若いクライマーは自律的に成長していくことができないんじゃないかと思うんだけど…

■ 念のため情報

大体のトップロープ支点は、危険な場所にあります。なので、立木から懸垂下降、もしくはローワーダウンで、ロープを張りたいトップロープ支点にアプローチしてください。

男子は大体、ノーザイルでそこへ行きたがります。がダメです。なぜなら、クライミングの対象となる崖より、”崖っぷち”のほうが、もろく崩れやすいからです。

要点: トップロープ支点に行くときに落ちる事故が多い。行くときは懸垂でいく。

■ エボカティブ(喚起的)すぎる

このような、コミュニケーションは、結局のところ

 前提としている知識・状態

が違いすぎて

 新旧のクライマー同士がすれ違いすぎている

と思われ、これを

 エボカティブなコミュニケーション

と言ってイイのか?はてな?って感じだ。

ジェフ先生は、ジェスチャーなどが意味するところの文化的意味合いには注意が必要、と言っていたが、日本人クライマーたちは、昔のクライマーの常識と現代のクライマーの常識の

 すり合わせ

が、全くゼロのまま、互いに

 これがクライミングってものだろー

と主張しあって、全くかみ合わないでいる、みたいに思える。

そもそも、言語化をさぼっていることが、ミスコミュニケーションの原因なのではないか?と思うんだが…。

エボカティブなコミュニケーションが本来は最強のコミュニケーションだが、現在のクライマー業界で、何をエボカティブにコミュニケーションしてしまっているか?というと

 登れないお前には価値がない

って価値観になってしまっている…だから、足の引っ張り合いになるんだろう。

2023/10/29

【心理学】付き合ってみたらトンデモだったりした件

■ 心理の流れ…

少し買う

=「○○で一番死に近い男」と言われているクライマーと、「ゲレンデなら、まぁいっか」と登ってみる


よし!

=一回目のニードル (マルチ)


すごい!

=一回目のめんぽこ


買い増し!

= 日ごろのゲレンデクライミング


あれ?

= 運転荒い 


なんだこりゃ?!

= マスターズルーフ


うそ!

=ロープドラッグをショートで教えてやったが、なんだよ!って返事


助けて!

=白亜スラブ


すべて損切り

=岸良


あれ?

=クロスケオテ谷、今時エイドの記録を発表


あれれ?

= 特待生と扱われる。不名誉な失敗の登攀が、逆に、すごい人ってことになっている


もう二度と投資なんかしない(涙)

=もう二度とちょっとでも違う感じがする人とは登らない 



ってことになっているような気がするよなぁ(笑)

https://media.rakuten-sec.net/articles/-/43059?page=2 より引用

■ 自分を許す

しかし、だとしても仕方ないよなぁ…。

なんせ、命は一個しかないから、なぁ。

お金なら失っても、まぁ、取戻し可能でしょう。死んじゃったら…というか、殺されちゃったら… もうどうしようもないもんなぁ。

■ 弟を救うのは無理だし、しなくていい

私が死んだ弟をクライマーで私より若い男性に重ねていたのは仕方ないが… 父を年上の男性に重ねていたのも仕方ないが… (自分を許そうと思うが…)

私が九州で見たクライマーの実態は、

 予想をはるかに上回るバカ…

ってことでした。

 25+35が計算できないほどのレベルで、

 九州大学卒でも同じ

でした…。つまり、知性が問題なのではなくて、

 なんらかの心理的な問題を抱えた人たちである

ってことです。これは、トップクラスの心理療法士とかでないと、治療が困難なレベルの人たちってことですよ?

■ 自分の命を軽視するのは勝手だが、相手の命を軽視してはいけない

自分が勝手にリードで大ランナウトし、5.8とか5.9レベルでぶいぶい言わせてカッコつけ、粋がるのは、そりゃ本人の価値観で、本人の勝手ですが…

それを人に強要

するのは、人権侵害。境界線の侵害ということです。

■ あなたは女性だから、境界線を侵害させてくれますよね=男尊女卑の儒教文化

女の人に、立ててもらう(自分の価値観を優先してもらう)ってのが、儒教文化です。

これじゃ、俺様な態度、が治らないのは、仕方ないですね…。

間が悪いことに、アレックス・オノルド君の映画が、変なタイミングで出ちゃいましたからねぇ…。でも、フリーソロってリハーサル何百回もしました、って世界なんですよ?

参考:

https://www.sato-alp.com/wp-content/uploads/2023/05/2a84e81394445539d7ef61e7f6b20926-1.pdf

・5.12がいつでもオンサイト出来る人が

・何度もリハーサルして

・自動化し

・これならロープないほうがむしろ楽

って確信を得てトライするもの…

そもそも、

・核心のルートをオンサイトする能力がない人が

・いざとなればエイドがあるからいいかと初見でとりつぎ

・保険になる敗退ロープも持たず

・ミスばかりのリードをし

・保険になっているのは、むしろセカンドの技術力

・なのに、のぼれたー!と自己評価

…じゃない。

そこにあるのは、手柄は俺のもの、バレなきゃ一見、成功に見えるからOK、って…

全然、自己肯定感低いってことですよね? 

メンタルセラピストが必要なのは、私ではなく、むしろ、九州男児の皆様のような? 自己愛性パーソナリティー障害みたいな感じだよなぁ…

■ フレネミーを見分ける

私の側の反省としては、フレネミーを見分ける必要がありますね。

これでかなり根深い男性不信と言うか、女性も含めて

 クライマー不信

になったぞ?

なんせ、コスタリカ人、ロープもATCも持ってこないで、登る気でいましたからね…

私のビレイは誰がするんだ?はぁ?って感じです。

■ フリークライミングの世間的評価が甘ちゃんを集めてしまう

こんな甘ちゃんばかりを集めてしまうクライミング…なんでそうなったか?

本当はリスクを取っていないのに、世間が誤解しており、すごいすごいと言ってくれるから。

楽して、

 すごい!

が稼げるからですね…。

つまり、楽してすごいを稼ぎたい人が集まっているのか?


2023/10/06

【心理学】憤怒のチャイルド

■ 自己愛性と境界性 

これだな~というのが来ました。

南ゆうたさんのメマガより引用。

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あなたの周りには、劣等感に触れられると激怒する人はいませんか?

または、見捨てられ不安を感じると激しい攻撃に転じる人はいませんか?

そのような状態に陥る人の心には、「憤怒のチャイルド」が住んでいるかもしれません。

ーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーー

憤怒のチャイルドは、劣等感や恥、寂しさや不安が刺激されたときに出てくるチャイルドです。

牙をむいて威嚇するかのように、攻撃性や怒りでもって相手に向かっていきます。

あまりに強烈で激しい怒りで、しかも自らの正当性を一ミリも疑わないので、歯止めが効きません。

憤怒のチャイルドの背景には何かしらの怖れが見つかることがあります。怖れていることが表面化しそうだから、怒りで何とかしようとするのです。

たとえば、自分の恥ずかしい部分が人にバレるのを心底怖れている人は、憤怒のチャイルドになって誰かに責任転嫁し、「お前のせいでこうなった!」と当たり散らしてしまうかもしれません。

自分の致命的な欠陥をまざまざと意識しそうになると、代わりに憤怒のチャイルドが出て来て他責や攻撃やこき下ろしを始めることもあります。

または、見捨てられ不安を感じると、理想化していたところから一転、相手への攻撃やこき下ろしを始める場合もあります。

健康な怒りと憤怒のチャイルドが違う点は、前者は自分を受容できており、相手に何をしてほしいかが明確で、後者には自己否定や劣等感などの苦痛な感情から何とかして身を守りたいという気持ちがあるという点です。

憤怒のチャイルドは、「あいつのせいでこうなった!」と復讐に燃え、被害者のポジションから抜け出せなくなることもあります。

憤怒のチャイルドは、自己愛性パーソナリティ障害や境界性パーソナリティー障害の人がよく抱えているチャイルドです。

一般的な傾向として…

自己愛性の人は、劣等感を刺激されると憤怒のチャイルド化します。

境界性の人は、見捨てられ不安を感じると憤怒のチャイルド化します。

ーーーーーーーーーーーーー

■ クライミングのパートナーシップにも、心理学が必要

と感じたのは、師匠との韓国クライミングで、

 私がクライマーとして成長する = 師匠が見捨てられ不安に陥る 

みたいなことが、再三、起きたからです。

ラオスで成長して帰ってくるとそれが気に食わないみたいだったんですよねぇ…。なんで?

ふつーに考えて変ですよねぇ? 自分が教えている人が成長したら、ふつーはうれしくないです?私だったら、後輩が、自分のロープ買いました!とか、○○に行ったら登れました!とか報告してくれたら。うれしいけどなぁ。

まぁ、心の傷はひとそれぞれ。私にはてんで意味不明だったので、心理学を勉強しようという気になったので良かったのかもしれない。

■ クライミングには、安定的な愛着関係が必要

詳細は省きますが、

 安心安全のクライミング

は、

 安定したメンタル基盤の上

に育まれるもの。 私のクライミングが上達する度に、あるいは男性の仲間を連れてくるたびに、

 お前とはもう登らない!!

と脅すような人だと、どうやって安定した関係を築いたらいいのだろうか?ということです。

■ 憤怒のチャイルド対策?

このメマガの話では、どう対策したらいいのか分かりませんが、

   一般的にはインナーチャイルドを癒す

という手段が有効です。どう見ても過剰反応しているときは、

   相方の中のインナーチャイルド癒し

が必要ですが、問題は、

自己愛性や境界性の人は、自分を顧みる力がかなり弱い、ってことなんですよね…

■ 治療

1)証法的行動療法

週1回の個人およびグループセッション。ストレスに対処する、より適切な方法を患者が見つけるのをサポート。怒りのコントロールに効果的。

2)システムズトレーニング(STEPPS)

週1回のグループセッションを20週間行う。自分の感情をコントロールし、否定的な予想の正当化を疑い、自分自身を適切に対処。

3)メンタライゼーション(メタ認知)

人が自分や他者の心の状態について考え、理解する能力をメンタライゼーションと言う。自分と周りの人の感情や思考などを理解し、それらが自分と他人の行為にどう影響を与えるか、距離を置くかトレーニングする。

4)転移焦点化精神療法

患者と精神療法家の交流に重点を置く。質問を行い、患者の非現実的な自己像や歪められた思考に対して、どう対処するかサポート。患者が自分と他者について、安定した現実的な感覚が育める。

5)スキーマ療法

生涯身についた思考、感情、行動、対処法に関する、不適応なパターンを明らかにし、健全なものに置き換える。少なくとも週1~2回、3年間のセッションが必要。

6)一般的な精神医学的管理

一般医向けにデザインされた療法。患者の自立心を高めるために、人間関係の構築する能力を優先的に治療。

です。クライミングって、ほんと、心の比重が大きいスポーツですよねぇ…

【心理学】反省力がないのは父性愛の欠如のせいなのか?

 ■ トライアル&エラー

青ちゃんは、「山は傾向と対策」と言っていたと思いますが…

山に限らず、人生は、トライアル&エラーの繰り返し、です。

昨日の学習によると、

 母性愛 → 失敗しても、あなたはいい子よ、いいよと全面肯定する愛

 父性愛 → でも、次はこうしよう、ああしよう、と現実的に教える愛

なのだそうです。自己肯定感は

 母性が先で、父性が後。

だということでしたが、なんか、母性愛しか受け取っていない生い立ちの人が多いから、何年登っていても全くトライアル&エラーのフィードバック回路が働いていない人が見受けられるのかもしれません。

■ なんか父性愛過剰なワタクシ

なんだか、母性愛的自己受容よりも、父性愛的自己受容のほうが、強固に発達していそうな私ですが…

我が家は母がメンヘラチックで、私は母の親役というよりも、あとで考えたら、母の夫役を母には期待されて大きくなったのかもしれないと考えるようになりました。

それは、母は、兄弟げんかがあるときに、裁判官役を私に求めてきた、からです。

すごく嫌だった。うまく行かないに決まっているからです。

というので、結局、私が父性…合理的思考力…が強く育ったのは、何の影響なのか?

読書でいろいろな本を読んだことくらいしか、思いつかないですが…。

■ クライミングでも読書しましょう

一般的に、男性クライマーたちの様子を見ていると、本を読んでさえいれば分かるというようなことも知らなかったりし、私に師匠がいた、という特権的条件とは関係がないような気がします。

例えば、九州で、結び変えを教えず、カラビナにロープをじかに掛けて降りるのがローカルルール…っていうのは、普通にペツルのクライミングに関する項目…スリングの解説書やドローの解説書を見ていたら、分かることです。

一番正確な技術解説書は、クライミングギアの取説です。大体、みんな取説、読んできていないですよねぇ?

ビレイ器だって、取説にきちんと使い方書いてありますけど、取説を参考にせず、隣の人だの、友達だのを参考にしているから間違うんじゃないでしょうか?

  みんなと同じにしていたら大丈夫

っていう人生訓がそもそも、もはや機能していないのに、しがみついているような気がしますが。

■ みんなの真似してうまく行く人はいない

なぜなら、

 もしみんなの真似でうまく行くなら、今はみんなうまく行っていないといけない

からです。

 みんながうまく行っている 

ということが、みんなの真似をしてよい、という前提条件ですが、

 そこはそもそも崩れています

模倣は学習の基本なので、別に模倣してもいいのですが、するならば、

 うまく行っている人の真似をして、そうでない人の真似はしない、

が、大事なことですね。

まぁ、言われたら当然のことですが、なんかうまく行っているの定義がおかしいのかもしれないですね。

■ 父親不在家庭

戦後70年、経済成長だけに身を捧げ、両親揃っていたとしても、実質的には父親不在の家庭が多かった日本社会。

そこで育った男性たちがママボーイに育つのは必然かもしれません。

そう思えば、トンデモクライマーたち、みな、も、

 みな社会の被害者

お気の毒な境遇は共通ということなのかもしれませんね。




            年配の人でも、ちゃんとしたビレイ