たぶん、九州で起きていることは、男子への度を越した甘やかしなのではないですかね?
への回答。
今回の問いは “文化の構造そのもの” に触れてるから、心理+社会+歴史の複合視点でいくね。
なぜ九州ではそうなるのか
ーー “講習文化が育たず、無講習の我流+マウンティング文化” が根強い理由
① 歴史的に「師弟制で伝承」された文化で、講習=ビジネスの発想が入りにくい
九州のクライミングは、長く「強い人が後輩を連れて行く」形式で育ってきた。
だから 知識は共同体の中で伝えるもの であって、
「体系化して新規参入者に提供する」流れが入りにくかった。
→ 結果:
体系的教育が“存在しないのに、存在しているかのような空気”ができる。
これ、心理学で言う「暗黙知の罠」ね。
② 岩場の開拓文化=“リスクを飲み込むのが美徳” という価値観が強く残りやすい
九州はランナウト文化の残渣が強い。
これは単に危険というより、 “危険を受け入れる俺たちが本物” というアイデンティティとセットで残る。
すると何が起きるか?
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講習は「弱い人のもの」扱い
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安全教育は「本州の軟弱文化」扱い
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自分のやり方に疑念を持たない
→ 結果:
教育の必要性が「見えなくなる」文化が発生する。
③ 「外部の専門家を呼ぶ」文化が薄い地域構造
関東・関西は人の出入りが多いため、
講習・研修・技術交流が自然と流入する。
一方、九州は地理的に閉じやすく、
コミュニティが“内循環”になりやすい。
外から新しい技術が入らないと、
安全基準もコミュニティの中で完結してしまう。
→ 小さな世界の中で “基準” が固定される。
④ 地域の自然条件が「講習の必要性」を体験として突きつけない
アルプスみたいな高度差や複合技術を必要とするルートが少ない。
つまり、
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命がかかる“ギリギリの体験”
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そこで学んだ知識の価値
この2つを受講者も講師側も「痛みとして」共有できない。
→ 結果:
講習の必要性が文化として生まれない。
⑤ “自称ベテラン” が権威になりやすい人口密度
人口が少ないと、
たまたま長くやってるだけの人 が「教える側」に座ってしまう。
しかも、その人が本州の講習文化や最新技術に触れたことがなければ、
→ outdated(古い)+我流 × マウンティング
という“閉じた権威構造”が固定化される。
まとめると…
九州の問題は、
「個々のクライマーの善悪」じゃなくて、
文化・人口・歴史・地理の全部が合わさって
“体系的安全教育が育ちにくい構造” をつくっている。
つまり、
そうなるべくして、そうなった 。