■ クライミングによる地域おこし、で進捗があった。
瑞牆に家が見つかったのだ…。しかも、格安で貸してくれるという。
大家さんは、仏壇を残したり、法事などがあるときは地元に帰ってきたい。家族として使いはしたいんだけど、家は空きっぱなしではもったいないということだった。
■ どうやってこの家を見つけたのか?
さかさま不動産、というマッチングサイトで見つけました。
プレゼンシング。
思っているだけでなく、行動することが大事だ。
思っていても、行動していないことは、プレゼンシングしないからだ。
■ その地に生きることが第一で、二番目がクライミング
山梨で、クライミングは覚えた。
クライミングをするようになったのは、山梨という土地を、深く知ることになったら、もれなく、クライミングが付いてくるから…。クライミングしたいから、山梨、ではない。
これは山梨に住んでいて、山梨から出たことがない人にも言いたい…
自分の町の良さは何かな?と考えたときに、なぜ山や岩が入ってこないのかなぁ…
山梨にいるときから不思議だった。山梨県民の心は、東京への羨望に支配されているように感じられた…
山梨に親しむ、ということを考えると、山に親しむ、そして、クライミングに親しむということは避けて通れない課題だった…。 なぜなら、山梨こそ、日本のクライミングの発祥の地と言ってもいいような具合だからだった…。
分かりやすいように他の地域に置き換えてみよう。福岡県民にとって山に親しむというのは、特徴的行動だろうか?Noである。福岡には、特筆すべき山、というのはない。大きな山という意味でも”ない”し、個性的という意味でもない。もちろん、高いから尊い、個性があるから、尊いという意味ではない。単純に、福岡の山というのは、福岡という土地の個性として位置づけられるほど特筆的なものがない、ということだ。
山梨には、富士山があり、北岳があり、甲斐駒があり、大菩薩嶺があり、三つ峠があり、と日本を代表するような山がいっぱいあるのと違うでしょう…
あるいは、福岡の山の個性は、里山、つまり生活の場としての山であり、急峻な山というよりは、たぬきやいのししやサルが住む、里山。日本昔話の山だ。山梨の山は、奥山。そして岩山。
人間の役に立ってくれる生活の糧をくれるのが里山で、人が踏み込むことができない場所が奥山。
これくらい違いがあるんだが…私が山梨で山をするようになったのは、山梨にいたから。
私はただ、普通に山梨県民のふるさとの山…三つ峠や北岳、茅が岳に通っていたら…奥秩父最奥の地では、昇仙峡では、岩がにょきにょきと生えており、その岩は、登ることができる岩だった…というので、山梨を味わう、つまり地域の良さを知る、ということがテーマだったので…それで、登るようになったのだった。
なので、そもそもそこで暮らした最初から、ブドウの収穫は手伝いに行ったし、桃の滴果はしたし…地域に何か役に立ちたいということで、北岳を登る前から芦安で登山道の整備のボランティアに参加していた…
このような、
地域の催し、地域の保全活動に参加すること、
が、なぜ、”フリークライミングのクライマー”には、できないのだろうか?
不思議に思う…
今トッププライマーの平山ユージさんがクライミングによる地域おこしで、取り組んでいる、小鹿野でもこれは問題になっており、クライマーはクライミングしかしたがらない、クライマーズミーティングすら参加意欲がない、ということが問題になっていた…。
私が思うには、グレードにオブセッション、征服欲にオブセッションなんではないだろうか?しかも、あまりにもオブセッションなので、他のことを考えられなくなっているんではないだろうか?
■ 外国人を入れるとろくなことがない、よそ者を入れるとろくなことがない、は相手次第
クライマーのように、クライミング以外に一切関心がない人が村に入ると、地域活動には興味がないので、地域は結果としては安く利用されるだけになってしまう…(汗)
そうではない地域移住と言うのを私は八女や、和歌山で見てきました…
そもそも、クライミングと言うのは、その地域の特色の一つに過ぎないのです。
林間学校や、村内留学の一環として、クライミングが存在する、というのが、普通の位置づけなのです。だから、そういう風に移住してきた人はクライミングを何もかもに優先するということはしません。
八女では、農業の繁忙期や、地域の水路の掃除などは、外国人も参加です。もちろんゲストハウスキーパーだった私も参加でした。(クライマーなので結構戦力になった)
そういう地域の共同作業…消防団に参加するとか、組長をやるとか…
そういうのが大事なのです。
でも、フリーのクライマーって、登りたいだけだったりしますよね? 胃やフリークライミングも良い活動なのですが…
gグレードを追いかけている人っていうのは、征服欲にオブセッション、ということなのでしょうか?なぜクライミング以外の何の地域活動もしないで、クライミングだけしているのでしょう?
た確かにクライミングは究極の現実逃避ではありますが…。今ここ、というのは現実逃避って意味にもなるんですよ。
この地域はどうやって生き残っていくか?という課題に向き合わないといけないのですから。
その手段にクライミングはなりうるというのが私の意見ではありますが…
地域活動に参加して、みなでふるさとを盛り上げていく、そんな意思が欲しい、そう思うような、何となくリスクを感じる、事が、最近私の元では、起こっています。
味噌づくり。こういうのでも、バカにせず参加できるような人が必要なんですよ。
普通のおじちゃん、おばちゃんとどうやって交流しようというんです?こういうことをしないで…