2024/12/04

【クライミング心理学】 もう、本音を言います!

 映画を見ました☆ とても良い映画でした☆

  https://youtu.be/Wq-GQ3Ym8NM?si=rcBNvGytGkSmoUR-

一言でまとめると


 ”『言ってはいけない』と思っていることを言ってから始まる…”


家族って、こんな感じですよね…って感じです。

言いにくいことが言えない… 家族であるからこそ、相手を大事にするからこそ、言いたいことが言えないわけですね。

どうでもいい相手であれば、言いたい放題をしたら、良いわけで…。

安楽死をテーマにした映画ですので、最終的には、安楽死の是否を、考えていく映画になるのだと思いますが、私がこの映画を見たうえでの感想は、

 安楽死 賛成

でした。安楽死が無かったら? これを言ったらお終いだ!って内心、思っていることを言う=本音を言う、ありのままの自分でいる、という機会も生まれないでしょう…

それに、娘たちに看取られて死ぬという人生の贅沢も味わうことができない、でしょう…

人生の最高の贅沢は、子供に看取られること、ではないかと思います。

■ ネタばれアリなので、見たい人は、ここから先は読まないように…

1)姉と妹の確執

 母親の方針により、お姉ちゃんは強く育ち、妹ちゃんはめそめそ派(双極性障害)。

で、妹が自殺未遂をしたことを、「親の注目を集めるため」と姉に批判されるので、妹は、自殺未遂を秘密にして言わないのです。

なんか分かる―と思いました。妹はめそめそ…、実は私の妹です。めそめそしても、何も解決しないのに…。

家族全員がめそめそ派だったので、姉である私は、相対的にバランスを取って、どんどん、強くなるように追い詰められるのです… 

というのは、現実的な問題には、向き合うこと=強くなることだけが解決の道だから… 

私の場合ですが、これに単細胞の弟も加担して、姉だけが強さを発揮しないといけなくなり、私はかなり大変な子供時代を過ごしました…。

家事もやって、姉役だけでなく親役もやらされそうになり、学校でも優等生…疲れた。それで、その役は15歳で降りました。九州のクライミングで、またやらされそうになり、嫌だったなぁ。降りた役をやらされそうになり、嫌でした…。

姉の強さも、周囲が一方的にダメダメである状況から、作られざるを得なかった強さなのだ、と理解してもらいたいです。

一人に負担を押し付けないで、自分たち自身が強くなってください。

2)オークワードネス漂う画面

この映画、なんとなく、腫物に触るような、遠慮した感じが漂う、そんなシーンが多い映画です。

日本的だなぁ…と思うと同時に、アメリカ的でもあり、現代版いい人、の概念ってコレではないか?と思いました。

親の安楽死に立ち会うって、どう向き合ったらいいのか?分からないって意味で、こういう振る舞いになるのは自然なことだと思いました。

3)安楽死反対派の人の動き

家族ではない登場人物の一人が、安楽死反対の妹の代弁をして、それを内部告発するんですが…それで、妹が母親の死を受け入れていないことが分かって、それが愛ある行為で良かったです。

心理学のコンサルタントの行う、いわゆる、”介入”ってやつ。 

私はこの立場に立つことが子供時代、多かった気がしました…。介入、は、自己表現が下手な人たちには、必要な措置です。

分かり合えないでいる人たちの間を取り持つということですね。

4)成熟者としての夫

死を選んだ主人公の夫である、おじいちゃんに、孫がなぜおばあちゃんは安楽死を選んだのか?聞きに行きます…

解説する様子が、いいなぁと思いました。率直なシーンはここだけかなぁ…

素直に、なんで?という疑問に、誰もが心の中で答えを自問自答で出しますが、それを自問自答ではなくて、他者からもらいたいのが、若い人、子供、です。

こういう人が私の人生には足りていなかったので… なんで?と聞いて、素直な理由を、本人は内心分かっていたとしても、教えてくれる人の存在は大事です。

5)姉の夫の脱皮

姉の夫君は、言いたいこともきちんと言えない、妻の尻に敷かれているわけでもないのに自らわざわざ敷かれに行くような、自己主張のない男性ですが、”あなたの”意見はなんなの?と妻に問い詰められて、答えに窮し、暴力的に妻とセックスするという…

脱皮体験をします。

これ、心理学のトランスコーチングで使う手法でもあります。抑圧が強い人に対する、挑発みたいな感じですね。

ということで、この男性の本音=男性性…暴力??? 本当は暴力的な部分が男性だから、だれでもあるわけですが、それを抑圧しすぎていて、暴力を振るわないだけでいいのに、自分の意見自体もなくなってしまっていたみたいなんですよね。

あとで、誰もいない空に向かって吠えていました… 俺は男だぞーって。

クライマーが吠えるのも、これなのかもしれません。

6)妻と夫 Faithfull husband

夫の役割が素晴らしい。常に妻の意思をサポートする味方。私の意思をサポートしてくれる夫が欲しいです。意思と言うのは、感情でぐらつくからです。

”子の親”である以前に、”妻の夫である”、というのが大事なことですね。

7)不倫

子と夫を託す女性に、親友を選んだ主人公…ということで、納得ずくで、夫と親友の女性にくっついてもらったらしい…

それを知らない娘たちは、ママは騙されている!と反発するわけなんだが…

夫と親友をくっつけたい気持ちは分かるなぁと思いました…。自分がいなくなった後、夫が一人寂しく取り残されるのを見るのは、忍びない…。

だれか信頼できる人に夫の力になってやってほしいと思ったら…親友しかいないですよねぇ・・・

7)姉の性格

姉の性格が常に批判にさらされている、というのが、印象的だった。

OK、I’m Bossyと自分でも言っています…けれど、言っている内容は、いつも正論だと思いました。

要するに正論がBossyとイコール換算されるわけなんだろうなぁ…

私も正論と正義を信奉するタイプなので、こういう人の心の安らぎはどこにあるのか?

気になりました。このタイプの人は、こどもっぽい人にイライラするので、先ほどの自己主張のない夫と一緒にいる、のです。

8) 主人公の性格

最後に主人公が死ぬ時、娘二人に看取られて死ぬのですが…

 I am scared

と言います。このセリフは正直な気持ちで、常に理性で感情的にならずに打ち勝ってきたと思われる主人公の精神的成熟を意味すると思いました。

感情を受け入れる、というのは、勇気がいるのです。

9) 一人で泣く夫

私が印象に残ったのは、この全体的な安楽死という苦悩の引き受け手、としての夫の解消の仕方です。

妻の安楽死の支え手になる、ってすごいメンタル負担です。それをどうやって乗り越えたのか? 

ミニトマトをちぎりながら泣く夫が印象的でした…

だよねぇ… 苦しみを吐露できる人間の相手は、ここにはいない。

だから、トマトで涙を流すわけでしょう。

妻が、愛人をあてがってくれたと言っても、妻があてがったもの、でしょう…

■ 私が怖いのは?

私が怖いのは、この立場に立たされそうなことです。

というか、今立たされていると思う。 

自分だけが結末が見えていて、やっぱり、自分はその結末を一人で引き受けざるを得ないのだ、という感覚です。

なぜなら、それが、母との関係で私に起きたことだったからです… どうなるのか?私は知ってるよ、結局、一人で戦わないといけないんだよね…みたいな感じ。

私の問題じゃないのに…。

山梨の山で癒されたのは、その”未消化の感情”でした。大変だったねぇ、でも今じゃないよねぇ、みたいな…?それで、だいぶ子供時代の傷に決別はついたかも。

しかし、ラスボス残っていましたねぇ…

まさか、父親に2歳で殺されかけたとは… 山にいては、水と戯れる機会がいないので、一生気が付かずに済ませられたことでしょう…。まさか、私の水恐怖症が、父親由来とは気が付きませんでした…。

クライミングによる地域おこしは私の課題ではない。ローカルクライマーたち、これまでクライミング界で有名無形の資産を受け取ってきたクライマーたちの課題です。

クライミング界に、確立したクライミング教育マニュアルがなく、きちんとしたクライミング教育の手順が確立していないこともそうです。

私のせいではないし、ましてや私が何とかできる問題でもありません。

そのように感じさせられるのは、たぶん責任転嫁のエネルギー…

また、他のクライマーから、私のクライミングに対する成長に関して、足を引っ張られることも嫌だった。

”私だって英語が話せたら同じことができた”、というお姉ちゃんが羨ましい路線のアキさん

 &

”なんでねえちゃんだけ注目浴びるんだよ~俺だって”のダメダメ系弟路線の前のパートナー

が印象に残った時代でした。

結論、

私は、別の人間関係を選びたいです。

■ 俺だって私だって=羨ましい 

俺だって、私だって、というのは、私が羨ましいって意味でしょう…

ならば、自分が努力してそうなりなよ!って感じだよなぁ…。

ああ~ うっとおしかった!

クライミングに関しては、もう、十分、

  優しく、何度も、丁寧に、解説してやったぞ!

っていう気分です!

誰ですか、そういう知性的に欠如している人たちでも、何度も優しく解説すれば分かってくれると言っているのは…?

分かりませんよ、彼らは。だって目的が目立つこと、なんだから…。

そして、その、”優しく、何度も、丁寧に、解説を試みる私” を利用し、便乗しようとしてきた”大人たち” 役の、九州の指導者たち…

指導する能力自体がそもそも、ないのではないか?と思いました。

いくら、自分の会の人たちにも、本格的な山…アイスクライミングなど…を味わってもらいたいからって…

指導したりするのは、偉い人の座に座っているあなた、であって、なんで私に若い奴を回してくるのか?

この子、登れる子だから、引き取ってーみたいな感じでした。

その人材自体が、ダメダメだったし…

私の責任じゃない人を回されて嫌だったなぁ、もう!

そもそも、私だって3年のクライミング経験しかなく、私の責任能力の範疇を超えます。

しかも、クライミング界最弱者の私に

 指導力

を求めるのか?意味不明ですよね!!

      あー、本音がやっと言えてスッキリしましたー!!