2024/12/11

【クライミング心理学】自己愛的虐待を乗り越える〜回復中

■ 最近、だいぶ元気になってきました☆

長い時間だったなぁ…2020年から、4年。だいぶ長い間、クライミング界の闇に足を取られていました。最近、回復中。

動画はトップカウンセラーさんの南ユウタさんの動画です。

ナルシスティックアビュースとは?

 ・自分の欲求を優先して、
 
  1)あなたのニーズを無視する → 安全なビレイを求めるのは普通のことです
  2)あなたを過度に批判する  → 九州の支点が、ボロイのは本当のことです 
  3)あなたに勝手な期待を押し付ける →クライミング歴3年の人に期待が大きすぎます
 
の3つです。自分の欲求を優先、というところがポイント。とっても自己中って意味です。

■ 虐待の内容 過度の批判

「(95点をとったのに)なんで100点じゃないの?」

です。

「(3年目のクライマーなのに)なんで5.12登れないの?」

これを九州クライミングで私に起きたことに直すと すでに夢中歩行5.9もそれに続く初夢5.10aもオンサイトしているのに、次から次に難しいのに連れて行かれ、「こんなのも登れないの?」と言われる…。は?この課題を登りたいって、私、言ったっけ?でした。

日向神は本気ルートとは、とても位置づけられない感じでした。暗くてランナウトしていて、あんまり楽しい岩場とは思えなかった…。トレーニングならいいかもしれませんが。白くてきれいな岩場で登りたいです。

最初からオンサイトだったので、よっぽど楽勝で登っているように見えたのかもしれないですが、無理難題を突き付けられている感がありました。

支点のぼろさに九州の人は、無自覚だからです。

たしかに俺ってどーだ!というオーラを発しながら、登る九州男児と比べると、私はオーラゼロで登ったかもしれない。

挑発→応酬 で登るクライミングが九州では普通のようでした。それって、そういえば、ヒロさんもラオスで、韓国人男性に勝手にライバル視されていたよなぁ… あれって男性の遊び方?それが嫌でした。

”もっと頑張れ教”は、九州全体の洗脳のような気がします。

フリークライミングを私は楽しみたいのに、もっと上、もっと上と、まるで10代の学生の部活のようにやらされるのが嫌だったんですが…そんな登り方、楽しいです???でも、九州というか、日本全国、スポコンだからなぁ、日本では。

主体的にやるならいざ知らず。大人なんだから、もう、ほっといて!って感じだったなぁ。

私の強みは主体的学習にあり、子供の頃も、大人のやり方ではその子は学習できない、と思っていました。子供心に、しゃーないなー、って、大人に合わせてやっている、って気持ちでした。

なんでまた、大人になってまで、合わせてやらねばならんのだ。

あー、むかついた~。 何をやっても、不十分認定、ダメ認定、されるって感じでした。

その2)感情の無視 = 虐待

「そんなことで泣くな」のクライマーバージョンは、

 「そんな課題(高さで、支点で、ランナウトで)で怖がるな」

です。 続けると、感情を分かり合えない孤独な人生に落ちいるそうです。

その3)過剰な期待 

他人の期待に応えることに過剰に価値を置かれる。

他人の期待に縛られる人生。自分はどう生きたかったか分からなくなる。

その4)コントロール

条件を付けて操ろうとする。他人の指示に従わざるを得ない。服従が習慣になり、本当の自分の気持ちや意見が言えなくなる。他人に利用されるのでは?とびくびくすることになる。

受け身な人生。

その5) 親のニーズ中心の人生。仮面の人生。自分の本当の感情を隠してごまかしながら期待に応えようとする。

■ 解決策

1)怒りを解消する

可能な限り、過去の出来事を思い出して、怒りをよく思い出す。

2)専門家を見つけて話をする

火は消えていないが、煙は出ている、という状態は避ける。

3)喪失を悲嘆する

グリーフワーク。悲しみを避けて通れない。

4)防衛を乗り越える

殺意。強い怒り。抑え込む癖が、逆に生きづらさになる。

否認 あれはなかった
抑圧 覚えていない、何も感じない。不安の源になる。
知性化 理屈で解決
同化  あれは仕方なかった 
回避 もう考えたくない
自己犠牲 相手が幸せなら私はいいんだ → 燃え尽き症候群

■ クライミング界そのものが、自己愛的虐待の製造装置化しているような?

否認 → クライミング界に自己愛的虐待は存在しない
抑圧 → こんなのも登れねーの、弱虫~と言われて、傷つきを認めない。
     そういう世界なのだと無理やり納得する
知性化 → この自己愛的虐待も、強いクライマーになるには必要なのだ
同化 → そういう風に教育を先輩も受けてきたんだ、仕方なかったんだ
回避 → いまさら考ても仕方がない
自己犠牲 → クライミング界がハッピーなら自分はいいんだ 

となっているような? 

 クライミング界の、世界として見た場合のいびつさは、一般社会のいびつさをはるかにしのぐ、いびつさですよ…

こんな世界に誰がした? 私じゃないよ~。特に九州の人に言いたいですね!

参考:【アダルトチルドレン・自己愛】自己愛的虐待を乗り越える〜回復のガイド〜【心理カウンセラー・南ユウタ】