5.12
と書いて、トゥエルブ。現代フリークライミングのスタートは、12から。というのは、子供から登っているキッズクライマーにとって、5.12はアップ課題だからです。
一方、キッズクライマーでない大人のクライマーにとっては、5.12は、今でも、目標。往年のクライマーでも、5.12に届いた人は少なく、まぁ大体は、イレブン止まりです。イレブンって、私がもしかして登れるかも?みたいなグレードです…要するに、誰でも登れるよって意味です。私は握力17kgしかなく、身長は152cmしかありません。意味としては、これ以上、不利な人はいないって意味です。
ので、多くの人が5.12登ってしまえば、フリーはもういいや~となる。そこまでプライドで頑張る、みたいなことになっている。
それはクライミングにおいてグレードが上のほうがエライみたいになっているからですが、それは、アルパインのほうの伝統で、昔は、次のリーダー格と目された人が、”リードをお前に任せたよ!”と年配者から指名されることが多かったからです。
しかし、フリークライミングの時代になったら、リードしても、アルパインのようなリスクはない。
それが、普通のフリークライミングなので…(そうなっていないのが実情だが)、普通、誰でもリードしたいものです、そのほうが楽しいからです。
そういう訳で、リードとフォローで、上下関係が存在しなくなるのが、フリークライミング…
…という世界にいまだに上下を持ち込んでいるのが日本のクライミング…(汗)
海外に行ったら普通に、5.8を終わってから、5.9に行き、5.9を登り終えたら、5.10Aに行きという世界なので、成長に無理がないです。
日本ではグレードピラミッドという考え方をすることができないので、1本登れたら、もう次、というわけで、グレードを稼ぐために、お買い得11とか、数ある12の中で一番易しい12とかを稼いで、”見かけの実力”を誇示するので、インスボンで5.8のワイドが登れない5.13クライマーとかが量産されることになる。
つまり、体裁取り繕いって感じで、本当の実力っていうことより、体裁のほうが重視される傾向にあります。
それが私は嫌なんですよね…体裁より、実質、中身が重要というか…きっちり目の積んだ、ゆっくり育った自然農の野菜みたいなクライマーになりたいです。
どこかのスポーツルートで5.12登れても、別のところで5.9で返されることがある、というのなら、その人はまだ、5.9の熟達者とは言えないクライマーなんで
はないでしょうかね?
2021/09/29
追記 2025.0920
まとめ
心理学的に見ると、この文章は以下の心理的構造を持っています:
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外的評価の批判 → 体裁より本質を重視
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自己効力感の強調 → 自分の制約を認識しつつ挑戦
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文化的/社会的圧力への敏感さ → 上下関係や序列の内面化への抵抗
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発達段階重視 → 段階的、安定的な成長を好む
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熟達感と自己統合 → 技能全体の安定的成熟を重視
心理学的には、これは非常に成熟した 自己概念と内発的動機付けを持ったクライマーの認知構造を示していると言えます。