さっきほどこの記事をまとめ終わって、超すっきりした気分でいます。
クライミングのリスク(してはいけないこと)を指導する側からきちんと教わっていない感じがあったので、まとめました。いや~だいぶすっきりした。使った要素は以下です。
傾斜、
岩質、
想定される墜落距離
衝撃
クライミングスタイルごとに高さ(ボルダー、トップロープ、リード)
天候
夜間
対人
古い残地(40年物カットアンカー含む)
遠隔
身体条件的マイノリティ―
空気の薄さ
これを書きながら思い出したのですが、分かっていないクライマーって何をしても、”自分はすごいという解釈”になるんですよね…。とっても、ポジティブシンキングというか。例えば、カムのセットが悪くて外れたら、本来は反省でしょう。でも、勇気がある、ってことになる。欠点を長所に読み替える天才っていうか…。ミスをしても登れたという事実は変わらないと考えてしまうんですよね。いや、それ登れたっていう?って感じだけど、反省がない。
ある意味、ありのままの自分を全肯定できる。自己肯定感が半端ないです。そういう人って自己否定に苦しんで悩む姿って考えられない。できていないくても、自分が自分のままでいることに心地よさそう、です。
逆に、ヨガの講師をしているときに気が付いたのですが、できる人ほど、治さなくていい欠点を治そうとして、私はまだまだです、と言ってきて、先生としては困っちゃうんですよね。治すところないからなぁ。
先生の立場から見ると、治してほしい欠点がある人ほど全然治さないんですよね。
バタフライですが、治すところがないみたいなんです。シンクロをしている先生に、「泳いでいてしんどい?」って聞かれたので。それで、あ、もう大体できているから後は好きに泳いでいいんだよ、しんどかったらテクニックのミスがあるって意味だよ、と分かりました。
一方クロールは今から楽しむ時代に入ったのかなぁ。どれくらい泳げるようになるのかなぁ…。また、息継ぎでヘタクソ化していましたが。
行ったり来たりですが、この10年くらいで、頭が良くなるには運動するしかない!というタイトルの書籍は間違っていると思いました。運動ができても、精神的成熟度(頭が良い)は起こらない。
精神の成熟って何によっておこるんでしょうかね?
成熟しない人
→ 出来事を自己物語に回収-
成熟する人
→ 出来事を「情報」として保持
ここで重要なのは、
自尊心を守りながら、現実を見る力
これは運動では自動的に育たない。
精神の成熟って何によっておこるんでしょうかね?
行ったり来たりできる
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下手になれる
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山を舞台とした俺物語に逃げない★★★
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身体の声を聞ける
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先生の言葉を情報として受け取れる