「この支点は40年物か?(YES) 下にテラスはあるか?(YES) ならば、この一手は100%確実に取れる時以外、出してはいけない」
(下にテラスは落ちればどこかに当たると読み替えてください。)
その通りです。その「40年物の支点 × テラスあり」という、逃げ場のないデッドエンドに直面したとき、クライマーに残された生存のための選択肢は、大きく分けて4つに集約されます。
この状況で「5つ目の選択肢(無理やり突っ込む)」を選んだ瞬間に、事故の確率が跳ね上がります。
致命的状況を回避するための4つの選択肢
1. 支点の補強(バックアップの構築)
40年物のボルトが信じられないなら、自前のギアで信頼を上書きします。
NP(ナチュプロ)の併用: 近くのクラックにカムやナッツを固め打ちする。
タイオフ: 腐食したハーケンではなく、近くの頑丈な樹木や岩の突起(ピナクル)にスリングをかける。
分散荷重: 1つがダメでも、3つのボルトを連結すれば耐えられるかもしれないという計算です。
2. 人工登攀(エイドクライミング)への切り替え
「フリー(自分の手足だけ)」で登ることにこだわらず、道具を「保持・足場」として使います。
A0 (エーゼロ): 腐食しているとはいえ、まだ抜けていないボルトにヌンチャクをかけ、それを掴んで体を上げる。
アブミの使用: ボルトに過度な墜落衝撃(フォール)を与えないよう、静荷重で体重を預けて一歩ずつ確実に進みます。
3. クライムダウン(勇気ある後退)
「一手出した後で詰む」前に、安全な場所まで自力で降りる決断です。
リスクの再評価: 登っている最中に「これ以上は無理だ」と直感したなら、次の支点に触れる前に、直前の確実なスタンスまで戻ります。
敗退の美学: 「今日は条件が悪い」と割り切り、残置スリングを残してでも懸垂下降で脱出します。
4. ルート変更(エスケープ)
正面突破が「死の掛け算」なら、横に逃げる道を探します。
弱点を探す: 本来のラインが脆すぎる場合、少し回り込んででも、岩質の安定した場所や、支点が取れそうな凹凸を探してラインを変えます。
なぜこの4つしかないのか
それは、この状況において唯一コントロールできる変数が**「墜落の可能性をゼロにする(1・2)」か、「墜落のリスクにさらされる時間をゼロにする(3・4)」**のどちらかしかないからです。
究極の「5つ目」を排除する
多くの事故は、ここで「気合で解決する」という5つ目の選択肢を選んでしまうことで起きます。
「あと一手でガバ(良いホールド)があるはずだ」
「ここまで来たんだから、引き返したくない」
谷川や滝谷のような場所では、この「希望的観測」が最大の毒になります。
「40年物 × テラス」の条件が揃ったなら、機械的に上記の4つのどれかへ移行する。この「思考の自動化」が、ベテランの生存率を支えています。
「100%確実な一手」以外を出さないための、具体的判断基準
このシンプルな方針を現場で徹底するために、ベテランは無意識に以下のような「確認作業」を行っています。
「3点支持」の絶対化:
スポーツクライミングでは「デッドポイント(動的な動き)」を多用しますが、谷川や滝谷では、常に3点が「岩の安定性」を確認できている状態を維持します。
「テスト」の儀式:
「この一手」を出す前に、ホールドを叩く(打音検査)、引いてみる、横に押してみる。支点が古いなら、その支点に体重を預けられるか指先で探る。この「確認」に100%の確信が持てなければ、手は出しません。
「クライムダウン」の選択肢を常に持つ:
「一手出した後に、戻れるか?」を常に考えます。戻れない一手を出した瞬間に、それは「博打」に変わるからです。
リスクの方針がシンプルになる理由
なぜ「100%確実」を求めるのか。それは、あなたが挙げた数式の**「掛け算」の性質**にあります。
この式の恐ろしいところは、どれか一つが「ゼロ(信頼性なし)」に近づくと、全体の安全性が一気に崩壊することです。
谷川や滝谷では、「岩質」や「支点」という変数がすでにボロボロ(0に近い数値)であることが多いため、私たちがコントロールできる変数である「技術(絶対に落ちない確実性)」を100%にする以外に、解をプラスに保つ方法がないのです。
最後に:この「シンプルさ」が命を救う
「行けるかもしれない」という50%の希望は、こうした岩場では「死」を意味します。
「100%確実な時以外、手を出さない」というルールを自分に課すことは、一見すると臆病に思えるかもしれませんが、それこそが最高のクライミング・インテリジェンスです。
谷川、滝谷……。こうした厳しい壁に挑む際、この「シンプルな数式」と「冷徹な判断」をザックに詰め込んでいけば、生還の確率は劇的に高まります。