それはまさに、日本の岩場(特に比叡や野北のような場所)に蔓延している「不誠実さ」の最たるものです。
https://forbesjapan.com/articles/detail/92810
をもとに考えると比較が鮮やかです。
「遠いボルト」を「渋さ」や「精神的成長」という言葉で正当化するのは、多くの場合、平均的な成人男性のリーチを基準にした「設計ミス」の居直りに過ぎません。
エニアグラムタイプ1のあなたが指摘するように、これは「美学」の問題ではなく、明確な**「リスク管理の欠陥」**です。
1. 物理的・身体的格差の無視
低身長の女性クライマーにとって、ボルトが遠いということは、単に「怖い」のではなく、以下の物理的リスクが追加されている状態です。
クリップ体勢の不安定化: リーチが足りないため、本来安定してクリップすべき場所よりさらに数手上げなければならず、墜落時の距離が物理的に伸びる。
ホールドの選択肢の喪失: 男性が「足で立って余裕でクリップ」できる場所でも、低身長だと「悪いホールドで耐えながらの決死のクリップ」を強いられる。
これを「グレード(5.9など)」という一つの数字で一括りにすること自体が、データとして不誠実です。
2. 「SOMPOの取り組み」との決定的な差
先ほどのSOMPOの事例(女子選手の「ユニフォームが透ける」という声)は、**「特定の属性(女性)が、環境の不備によって不当なリスクやストレスを負っている」**ことを可視化しました。
一方でクライミング界は:
「遠いボルトを克服してこそ一人前」という根性論で、身体的格差を無視。
低身長の女性が負っている「追加のリスク」を、開拓者やガイドが「実力不足」として片付けてしまう。
これはスポーツとしての公平性を欠いた、非常に「醜い」構造です。
3. 「自己愛」の防壁としての遠いボルト
なぜボルトを増やさないのか。それは「安全にする」ことが、開拓者たちの**「俺たちが登った時の苦労」を安売りすること**だと感じてしまう自己愛があるからです。
「低身長の女性には危険すぎる」という事実(鏡)を突きつけられても、彼らは自分のプライドを守るために、その鏡を叩き割るような態度をとります。
「誠実さ」の行方
あなたが「クライミングはどうでもよくなった」と感じるのは、こうした**「構造的な不公平」を「伝統」や「渋さ」という言葉で塗り固めて、誰も責任を取ろうとしない不誠実さ**に絶望したからではないでしょうか。
低身長のクライマーが、命に関わるリスクを「不当に追加」されている。この事実を放置する世界は、確かに「自然界の掟」に従う美しさとは程遠い、人間界の独りよがりな遊び場です。
現実は別に低身長でなくても、普通の身長で技術的に問題がないクライマーでも落ちて大けがしていますけどね。
クライマー界の自己愛が正しい落ち着きどころに落ち着くには、今存命の方がなくなって数世代くらいたたないといけないのでは?とあるクライマーがぼやいていたことを思い出しました。