2024/06/22

【指導記録】初心者に、山ヤの価値観を伝えることの難しさを実感中

■ アウトドアに来る人の期待値が、現実の山と大きくかけ離れている

先日は、初心者の30代男性3人と近所の裏山に行っていました。

山登りの際、私は、かれらに

 自分で道を発見することの大事さ

を伝えようとしていたつもりでした。

しかし、ルートファインディングをすることの大事さや、逆に面白さが、理解されなかったんだなぁと感じることがあり…、どうも怖くて懲りたみたいです…、心外な思いをしました。

■ こんな小さな山で、”懲りる”、かぁ…

今回の山登りでは、期待値が違うのではないか?と最初から少し不安でした。

どうも、なんとなく、いわゆる、”お花畑”を想定していそうだったんですよね…。梅雨時だし、標高500mの里山って、暖かい九州ではなくて、本州でも、もう不快な時期で、普通は行かないよなぁ…。

でも、えり好みしても行くところないしなぁ。油山は、観光開発されて、お金儲けの山になりつつあります。

今回行ったのは、その裏。子供が自由自在に遊んでも、親が心配しないで良いような山です。規模が小さい。

山梨のふるさとの山、茅ヶ岳を長年ホームグランドの山にして、同じような読図山行を初心者のころたくさんしていましたが、それでも1700はあるし…は、小さい里山、っていっても、小ささのレベルが違いすぎますね、油山とは。

でも油山は米澤さんのおかげで岩場もあるし、沢もあり、一応、すべての要素が揃っている山です。ミニチュアで、こんなに揃っている場所は、なかなかないです。

今回、油山を読図で1尾根、尾根を拾い、下りは一般ルートを歩いてきただけですが、最後、上級向け一般ルート(300mの北上)を歩いただけで、

 とても懲りた

と言われてしまいました…。

でも、山の難易度を下げるにしても、これ以上下げれないし、読図をするにも、これ以上小さくできない、小ささのレベル。しかも、公園で、最初に、道の見分け方まで、”予習”していったので、これ以上ないくらいの親切丁寧さ、レベルなんですよね…。

これで懲りるなら、もう、山の才能というか、そもそもアウトドアは全部だめな人なんでしょうかね…。

沢の水を触った手を、魚臭い、と言っていたことも驚きました。山に香水とか持ってこないでね~って感じかなぁ。それだけ、若い人が子供時代に、自然界で遊んでいない、ってことなんでしょう… 用水路とかでも遊ばなかったんですかね?

用水路などと比べると、上に人工物がない沢の水は、格段にきれいなのですが…。いや、あまりに自然界に、非自然的なものを期待して、当然視しているので驚きました。

あれかな? 自然を求めて、若い人が、人工の極みである”農業”に行ってしまったり、森林を求めて、”林業”に行ってしまって、むしろ自然破壊に汲みすることになってしまったり…という、そのパラドックスに気が付けていない状態なのかも?

本当の自然を知らなさすぎる、ということが問題なのかもしれません。

■ 自然を求めて、

私は、山登りは、ただのスポーツではなく、自分自身と向き合う貴重な時間、と考えています。

そのため、一つ一つのステップや景色を楽しみ、大切にすることを重視していました。

また、特に私の中で大切にしているのは、一番弱い人を大事にするという価値観です。

山登りの中でも、ペースが遅い人や体力がない人を気遣い、全員が楽しめるような環境を作ることが重要だと思っています。

■ オーダー

登山にはオーダーがあります。パーティで歩く場合の順番をオーダーと言います。

今回でいうと、一番強い人はAさんだったと思うのですが、Aさんが一番前を歩いてしまえば、その後ろの人は全員急いで歩かないといけなくなり、

 足を置く場所を自分で選ぶ

という肝心のところができなくなります。急ぐといい加減なところに足を置くことになるからです。

大体、一番弱い人が2番目と決まっているので、ので、正しいオーダーは、

歩く順番

 1)3番目に強い人が先頭

 2)一番弱い人、

 3)2番目に強い人、

 4)一番強い人、

が良かったかなと思います。

一番弱い人の歩きが、だいぶ雑になっていたので…。疲れると、誰でも雑になるのですが、昨日聞いたところでは、男性たちにとって、体力的な問題は何ともなかったようなので、疲れではないと思います。

一番弱い人を置いて、先頭が、たったか歩くので…たぶん、早く帰りたい!という気持ちが働いたと思うのですが…、最後とても残念でした。

山で大事なのは、一番弱い人を中心に行動を組み立てることです。

私なんて、七倉沢の講習会では、男性は普通に雪道を歩いたのに、一人だけ歩きが強かったせいで、ラッセルさせられました(涙)、罰ゲームみたいでした。

■ 地図を持ってこない

あと、地図を持ち、事前に標高差と距離を知っておくことも徹底しないといけません。

最後の道は、登山道で、読図の必要はなく、山ヤだったら、適当に歩いて補正すれば、道に出る、を繰り返すだけで、特に不安はないです。

もちろん、みんなはまだ山ヤではなく、今からなるところだから、不安があったとしても、それが当然なのですが…。

でも、非難する(他責)のは間違っていると思う。自然界のほうがあっていて、自分の期待ほうが間違っている、というのが正しい認知だと思う。

距離的に近いことがあらかじめ、分かっており(地図を見れば300m)、単純に谷の内部を北上すれば、道に出る、ということが明らかな場所です。

逆に言えば、谷内部であれば、どこで遊んでもいい。わーい、となるはずなんだけど、ならなかったのは、残念だけど、まぁいいです。

でも、私を責めるのはおかしいと思うんだけどなぁ。

テント泊しようが、焚火しようが、ここではOKです。尾根では焚火は厳禁です。

さて、連れて行った男性3人は、不安だったそうです…。残念。

こここそが私的には、遊び放題の場所だったんだけどなぁ…。

工夫次第でいろいろ遊べるのが谷です。安全安心に遊べる谷を持つのは、なかなかない特権です。ここではないですが、伝丈沢ではだいぶ遊んだな。沢筋で、誰も来ない上、手が入っていなくて、燃やせる焚火材料に事欠かない…。

■ 不安に対する耐性が低い

彼らの不安は、知らなかったことによる不安でした。まぁ、初心者の時に、道迷いの恐怖を感じて、地図を持つことの大事さを知るのは良いことだと思います。

私も不安を克服するのに3年くらいかかったし。しかし、自分があっている!こんなところはひどい場所だ、という感覚はなかったです。なんせ、最初の沢は奥多摩の海沢で、今思うと、沢っていうより、水遊びな感じでした。

■ 一人に権限委譲しすぎる

多くの人が、パーティの中の1人が分かっているからいい、と考える傾向があることが分かった。

しかし、山に行く全員が、できないなら、できないなりに、地図を見ないといけないです。

その辺を共有したかったのですが、伝わらなかった…。

チームっていうのは、能力の凸凹であって、役割の凸凹はできるだけないほうがいいです。

リーダーを助けようという意識が大事で、リーダーを責めるってのは、自己責任の棚上げです。

■ 懲りるのは良いことですが、懲りて反省して対策を強化せず、ただ一般登山道だけを登るのでは、むしろ、後退‥‥

まぁ、怖いのは、初心者の時は仕方ないと思います。

しかし、この経験が教えてくれることは

1)地図を持つことの大事さ

2)標高差・距離をあらかじめ把握しておくことへの反省

3)コンパスを持つこと、

4)ヘッドライトを持つこと、

5)失敗から学ぶことの大事さ

…どれをとっても、この山行を失敗と位置付けるのは、間違っていると思います。なんせ、普通に帰ってきているから、誰も困っていないし。

どれも、登山で、基本中の基本で、基本のキができないまま、一般登山道を登り続けたい、しかも安全に…というのは、無理な相談です。

それこそ、リスクが一方的に加算されていくだけの登山です。技術的知識ゼロで、体力度だけを上げていきたいって…意味ですよね。

高所遠足になってしまった高額公募登山エベレスト登山に続く方法論、だな。

■ 若い人の価値観の尊重は、基本的教育が終わってから…

もちろん、皆それぞれの価値観があることは理解していますし、それがそれぞれに違うこと自体に問題があるとは思いません。

山に景色を求める人がいてもいいし、おいしいコーヒーがいい、という人、整備されている道以外は歩かない、という価値観の人がいてもいいと思います。

しかし、山登りには、伝統があり、その伝統も尊重してもらえたら、山から生き方を見つけることができるのではないかと感じています。

道は、ヒトが歩くからできるもの。

他者が歩いたところをなぞるのは、ただの追随という行為です。

山の伝統は、自ら道を開くほうです。

山の水平道も、自ら道を見出して歩けない人が、クライミングになった時に、ホールドを見出せるわけがないです。自分の道を拓ける人になることが、山登りとクライミングの伝統です。

ブログを通じて、少しでも私の思いが伝われば、うれしいです。

もうどれだけ山を小規模にし、言語化を詳細にしても、ヒトの歩いた後を追随することが喜び、という価値観では…どんなに長年山を歩いても、山を何一つ分かったことにならないかもしれません。

しかし、私にとっては、こういうわけで…つまり、恐怖心による、技術の獲得の無視…で、登山遭難者数過去最大を記録しているんだなぁということが分かりました。

若者三人が恐怖に陥った道…394.8 と439を結ぶラインから出ている十字路を北上するだけの道。実際は、沢が2股に分かれているので、歩いていて、インゼルで行き詰まり、またよけると、道に出る。