「相手も悪気ないんだから」と怒りを抑圧していませんか?【心理カウンセラー・南ユウタ】
■ 不勉強=サボタージュ は、”悪気がない”???
「仕事が忙しいんだから」
「頭が悪いんだから」
「私のためを思って無理して行ってくれているんだから」 ★
「ほかに行ってあげる相手がいないのだろう」 ★★
仕事が忙しいから知識の不足のままでいい?
頭が悪いから、知識不足のままでいい?
他に付き合ってやる相手がいないみたいだから、かわいそうだから知識不足のままでいい?
これらって、クライミングパートナーや山仲間を死に追いやってしまう理由に十分なるんですかね?
ロープワークや危急時講習を勉強する暇がない人は、そういう知識が必要な山に行かなければいいのではないか?と思うのですが…
これらの正当化って、登山やクライミングにおいては正当化になっていない、と思いませんか?
■ 25+35が計算できることは、期待しすぎか?
なんかしつこくて、すいませんね。
しかし…
私はどうしても、私のミスだとは考えられないんですよ。白亜スラブでの失態が。
私は、ずいぶんとしりぬぐいをしてやっていますが、それをしてもなお、命の危険からは回避できていない。
まぁ「敗退なしで!」と言われても、こっそり敗退用に30mロープを持っていくのがいいとは思いますが、そもそも50mシングルで行ったとしても、1つだけの中間支点に、ぶら下がらなければならない理由はないわけです。
なんせ日本中のルートはそもそも、40mでピッチ切られているんですから、ロープが足りないっていうのは、敗退しない限り起こらないわけなんで…。
敗退を前提としないクライミングで、ロープが足りなくなる事態に突入するっていうのは、前提としてあり得ない…
ということで盲点です。
しかし、盲点だったり、ごく普通に期待できる計算能力がないことだったりを、過失としないのならば、いったい何が過失なんです?
レイプされた女性は、大体は、ちゃんとした服を着ており、男を誘うようなこともしておらず、です。そういう女性たちは、お前の身持ちが悪いんだと責められてきた歴史があるわけですが…、その精神性と近いものを、クライマーの自己責任論に感じます。
グレードが上がる前から、懸垂はバックアップをつけるバージョンで、ムンターでも降りれますし…なんなら空中以外は、肩がらみ、腰がらみ、腕がらみでも降りれますけど…。また、白亜スラブで示した通り、私の判断力と技術力はちゃんとしています。
ちゃんとしていないのは、リードクライマーのほうです。
■ それだけ用意しても、殺される羽目に陥る事態を防御できないのは、なぜか?
私自身に自己責任が足りないため????
そうだとは思えないんですが?
たとえ、上記の3つの理由で、相手に甘かったとしても、全部を飲み込んでも、殺人してよい情状酌量の要素になりますかね????
なりませんね?
■ クライミングパートナーの命の軽視
根本的に、
パートナーの生命を軽視してよいという教育
が、クライミングは自己責任の標語の元、クライミング界で行われているような気がします。
それは
男性の射精(快楽)が一番大事
という日本の性教育と同じでは? 教育というより、前提、ですかね??
セックスにおいて大事なのは、射精より、愛情ですよ?
俺を愛しているなら射精させてくれるはずだ → これは愛ではなく脅迫です
俺を愛しているなら飯を作ってくれるはずだ
俺を愛しているなら黙ってついてくるはずだ
以下、エンドレス…
同じことで、
クライマーの承認欲求 (ニアイコール 射精)
より、
パートナーの命 (愛情)
のほうが大事ですよ?
クライミングの価値観を伝え損ねている、
それが、クライミング界の最も大きな問題だと思います。それは、もはや
わがまま、という度あいではなく、
病的な自己中心性を正当化している、
と思います。
事例としては、阿弥陀北稜、凍傷者7人事件ですね… そうなると分かっていたのに誰も止めなかった。
同じ精神性を祝子川の事故に感じます。
クライミング界の改善を強く求めます。