■ 根強い無価値感とクライミング業績
最近、若手のトップクライマーで倉上さんが亡くなられた。
以下は、私が、心理学をこの6年間(+甲府時代)勉強してきた中での、考察であり、なんら、それ以上の根拠に基づいたものではない…。なので、根拠の希薄な、戯言と受け止めていただいて構わない。
梯谷さんは、心の傷と人生に起こす現象、がどう関連しているか?を研究されている研究者だ。
その中に、「息子、やったな」というのがある。
https://youtu.be/yqhxhgGNyj8?si=xgsNvmUsFFcBb8e9
親:日ごろから、あれやれ、これやれと過干渉
子ども: ほら、ワクチン打って失敗したじゃない!と親を責めるために、異物入りワクチンを引き当ててしまう
親を責めるために、子供は自殺します。分かりやすい自殺ばかりではなく、異物入りワクチンを引き当てるみたいな死に方もします。
ほら、親も、間違ったじゃない…。私の弟は、24歳の速さで心臓発作(正確にいえば、原因不明)で突然死で夜中に亡くなったのですが…彼の死は、
親の道具である人生から逃れるための死
でした。姉の私は、弟の死を、”弟、やったな”と捉えました。私の直感です。弟の死の検証は、ここでは控えますが。
■ 倉上さんの死
運動誘発性の狭心症を持つ人が、有酸素運動がリスクだと分かっていて、富士山に行くのだとしたら、死の確率を高めに行っていませんかね?
富士山にトップアスリートがいくのは、標高になれる、空気の薄さになれる、というのが大体のセオリーです。
海外遠征で、パタゴニアみたいな高い標高の場所を控えていたのでしょうか…。 ネパールの沢と倉上さんは、セットで考えにくいです。ジャンボさんとお親しかったことを考えるとパタゴニアかな、と。
標高に慣れる目的なら、富士山でなくても、たとえば、標高1350mの川上村に引っ越すとか、標高2400mくらいの山小屋でひと夏働くとか、標高に慣れる方法はあります。
しかし、有名クライマーになって顔が割れてしまうと、そういうことができなくなりますよね…。人気とは皮肉なものです。
アレックス・オノルド君が、エルキャップフリーソロしてしまったので、あれ以上の記録を出さないと世界を驚かせることにならない。
次なる挑戦は、前の挑戦が非常に困難なものだったので、難しいのです… しかし、倉上さんがやったことは、普通のクライマーなら、一生に一回やれば、その後、十分、一生食っていけるだけの”賞賛”を稼いだはずでした。もし、賞賛を糧に生きていくのであれば、ですが。
でも、彼はとても謙虚で、そして、クライミング界の伝統は
さらに上を目指せ
それ以外を教えていないのです。
頂点に上り詰めた人が、さらに上を目指せば?落ちるしかなくなりませんか?
そこのところを、クライミング界は少し考えたほうがよくはないでしょうか?
人間は機械ではない。もっともっと、と言われても、限界があります。
ましては、人としての限界を一度超えて見せた人に対して、さらなる期待、って、もう神になれ、とでもいうんですか?みたいな期待ではないでしょうかね?
■ 期待に殺される!
私も、期待に殺される!という気持ちを知っています。
クライミングでは、祝子川に2名で行ってらっしゃいと言われたときとか…
私は親がなく、母親も、私以外に二人も子供がいて、大変だったので、大学の進学費用は、全額、自腹です。
みなさん、そのことを、入学金、授業料のことだと思うでしょう…違います。高校時代の毎月の学費、食費、模試代、Z会の通信教育代、参考書代、受験にかかる交通費、宿泊費、…そういうのをすべて自分で出して、大学に入ったのです。
朝は5時からバイト、そして高校に出勤するのです。夜は友人宅で勉強し、家に帰るのは2時ごろです。なんせ早く帰ると親につかまって家事をさせられ、勉強できなくなります。
もう、すごく大変でした。大学受験に合格することに事態にあくせくしたことはないです。そんなの、失敗が許されない受験なのですから、余裕のよっちゃんで合格できるところしか最初から受験しないに決まってるでしょ。絶対、落ちない40mランナウトの5.8みたいな大学しか選ばないですよ。
そのおかげで私の人生は首がつながり、晴れて大学生になることができました… もうマジ、スレスレでした。大学に入った後も、入学式前からバイト。受験したその日に生協バイトを決めて、毎日1円を数えて、支出より収入が多いことを安心の材料にして、生きていました。大学自体も、働きながら出たんです。
そのような私に…さらに、社会での繁栄と成功を求めるなんて…。
いや~、もう18歳で大学に入学した時点で、ヘロヘロの、ゴールに倒れこんでいるマラソンランナーみたいな状態なのですから…
そんなマラソンランナーに、あと4kmです、とか言います?言いませんよね、普通。
ところが、自分自身が苦しい目に遭ったことがない人は、ヘロヘロの人を見ても、ヘロヘロだと分からないし、もっと頑張れ、というんですよね…。
倉上さんは、そのような状態だったんではないか?と思います。
もちろん、私は彼を個人的には存じ上げないので、想像だけです。しかし、あのような緊迫した、偉業を成し遂げた背景には、心の問題が必ずあったろう、と思います。
5.14RXですからね。
■ 生きている意味を感じたい
動物的な生存と言う意味で、生きることが容易になってしまった現代日本で、動物として生きている、ということを強烈に実感するのが、クライミングです。
7歳で、死を思った私のような過酷な生い立ちの人ですら、クライミング中に、ここは落ちれないな…と思うと、やっぱり死ぬのはいやだ!と思って、頑張ります。頑張ります、というか、頑張れます。
そう、もうヘロヘロなので、追い込まれないと、頑張れない、んですよね…。
頑張らなくても生きていけるなら、頑張らないで生きていきたい。
追い込まれたら、そりゃ生きるのに必死という動物的な本能が目覚めて、必死に岩にしがみつく、ということになります。
私にとっては、クライミングは少なくとも、30%くらいは、そんなところが動機でした。
ああ、私って、まだ生きていたいんだなぁ…って。
■ 消耗
しかし、そういうクライミングも、どんどん高度化していきますよね…
最初は、5.5くらいで、ひえ~と思っていたんでした…。ところが、今では、5.10aくらいでも、これ10aくらいかな~、やさしいな~、となってしまいます。もちろん、ちびの私には、10Aとは言えないような課題もあるから、私には、その難度で十分なんですが…。
それより、心が摩耗したのは、
もっともっと
の周囲からの要求です。
43歳でクライミングを本格化して、46歳で海外に行き、47歳で一人で海外登攀に行ける力って、それなりにすごい達成だと思いますよ。私はアイスクライマーで岩のクライマーではないですし、一度も岩のクライマーとして自分を好きになったことはありませんし。
なんか、世間の期待が、人間としての限界を超えた期待を持たれているようで、謎でした。
私は、期待され慣れているので、そんな場違いで、的外れな期待、スルーする能力が育っていますが…。それでも、嫌なものはいやだったなぁ…
例えば、スポーククライミングの野口啓代さんって、無理難題みたいな期待ばかりをかけられて気の毒なクライマーだな~って、手記を読ませていただいたときに思いました。日本スポーツクライミング界を無理やり背負わされていたような印象を受けました。
クライミング界は、みんなで背負うモノですよ。一人の肩に載せるなんて、かわいそうです。
結局、スポーツクライミングの分野でも、フリークライミングの分野でも、親の期待を背負った二世クライマーの再生産、量産をしていて、勝つことでうれしいのは、親のほうのようでした。親がうれしいから俺もうれしい、みたいな、まだ成熟していない子供の心をスポーツ振興に利用している。
子供は、子供らしく、自分の好き勝手に生きるのが一番幸せですよ。
まだ、何が自分の幸せなのか理解できない子供の、親を喜ばせたいという気持ちを利用して勝たせて、その子は将来どうやって生きていく心のエネルギーを得るのだろう、と思います。
話がそれましたが、5.15、5.16.5.17…と、どんどん高度化して行って、人類は、どうするつもりなんでしょうかね?
5.20になったら、5.30になったら、5.40になったら…???
その間に、スタイルが付与され、RやXがつけ足され、エルキャピタンフリーソロも、おれは3時間30分で、お前は、3時間40分だから、お前が負けだ!とやるのでしょうか?
■ 食事
倉上さんは、ヴィーガンに傾倒したのではないか?と思っているのですが…私も一時完全ヴィーガンになりましたが…
脳内伝達物質の不足は、セロトニン不足になり、無価値感を強化します。
https://youtu.be/DLBBshmjA98?si=ABRMDq2H0uFJxlbO
もともとあった心の傷の傾向に加えて、栄養状況も加担したのではないか?と思いました。
肉が食べれなくなるのは、消化器系の機能に、不安が影響して、消化液を分泌しなくなるからなんですよ。なので、元気がないと、食欲も出ないでしょう。
不安が消化には良くないです。
■ 自分が楽しむ
”そんな承認欲求のクライミング、何が楽しいの?”
って、誰かも言っていましたよね。
海外で有名なクライマーですが、鈴木英貴さんとか、クライミングはすっかり飽きちゃってカイトサーフィンしてます、みたいな感じらしかったですが…先日は展覧会あったみたいですが…自由気ままで軽やかだなと思ったりします。
ユージさんも軽やかですよね。好きなことしかしない。
結局、心が震えることをやるのが、どんなことをしているにしても、人間は幸せなのです。
幸せに基づいてしか、他の人に幸福を分け与えることはできない。
恐怖を乗り越えることに、心のときめきを覚えてしまう回路がつながってしまったのは、心の配線ミス、みたいなものかもしれません。アドレナリンジャンキーってことです。
子供時代、非常に大変な目に遭うと、そうなることが心理学では明らかにされています。そこには、無意識と言う心理領域の働きがあります。
そして、限界を超える期待には、
答えられません、と口で言う代わりに、体で言うのです。
身体化、と言います。
■ 以下、リズ・ブルボーの『からだの声を聴きなさい』より引用
心臓にトラブルのある人は、限界を超えて、無理な努力をし、肉体を酷使しているのです。そんなとき、心臓は次のようなメッセージを送ってきています。
「お願いだから、自分を愛して!」
心臓にトラブルを抱えている人は、自分自身のニーズを無視して、他の人たちから愛されるためにすごく無理をしているのです。自分自身を愛していないので、何かをすることによって、他の人たちから愛されようとするわけです。