https://suzuki-akiko.com/5240/ よりまとめます。
⑥身体化 (somatization)
抑圧された感情や葛藤が無意識に身体症状になって現れる防衛です。
身体化によって、葛藤や衝動、感情に意識上で向き合うことを避けることができ、自我の安定が保たれると考えられます。
脳は身体の一部であり、身体から切り離され独立した監督者ではありません。身体と思考、心は互いに密接につながり影響しあっていて、思考は身体に対してリーダー格というわけでは決してありません。
身体化の例1)
「成績優秀な生徒が高校に入学し、特進学級に入る。有名大学進学のプレッシャーの下、毎日勉強に励むうちに、1日に20回程度失神するようになり、受診」。
この例では、「勉強をしたい欲求」「勉強すべきという価値観」と、「休養したい欲求」「勉強をしないことへの不安」とが葛藤し、その葛藤が身体化していると考えれられます。
また、極端な的な例としては、運動選手のイップス、歌手の失声などがあります。
私のアキレス腱断裂と悪性貧血は身体化と言う防衛機制が働いた結果ではないかと思います。
防衛機制⑦ 行動化
行動化 (acting-out)は、言語化されない無意識の衝動、欲求、葛藤、感情などを行動によって表現する防衛です。行動化によって、その無意識の衝動等に意識的に向き合うことを回避し、自我がその安定を保つことができると考えられます。
行動化が防衛として未熟なものと分類されるのは、無意識の感情等について言語化がされていない段階での防衛であるからです。つまり、発達段階でいえば、言語獲得以前の乳幼児期から私たちが使ってきた防衛だと考えられます。
私は、水に対して、子供のころ行動化していました。母が水泳部に私を入れようとしたとき、公園に行って、水着を水でぬらして、行ってきたーと言って帰ってきていました(笑)。バレバレですが、誰にも何も言われませんでした。
行動化は一般に、言語化の回避のようです。
意識化を回避したい無意識の葛藤や欲求があり、それを抱えきれずに無意識に行動に移す。
感情的に明確に把握 (emotionally articulate)できていないものの表現である。
⑧ 極度の解離
身体離脱症状のことです。
自分の適応能力をはるかに超えた苦痛や経験から自我を守るために、その時の感情、思考、体験を自我から切り離すための防衛として作用する解離もあれば、日常的で問題のない解離もあります。いずれの場合も、通常であれば、感情、行動、経験、意図などが自分の体験として統合されるのですが、解離によってその統合が失われます。
日常生活で起こる解離としては、テレビに夢中になって周囲のことに反応しない、飲み過ぎた夜の出来事を翌日になると全く思い出せない、などがその例です。
私はアイスクライミングで、相沢大滝55mをリードしているはずなのですが…乖離していたのでしょう、全く現実感がありません。あれってホントの出来事だったのかな?って感じです。
トラウマ的体験、つまり戦争や大災害、大手術など生命が危険に晒されるような強烈な体験の際に、時に人は解離という防衛で自我を守ることはよく知られています。
トラウマなのではないので、シンプルに解離しただけだと思います。若いころに解離した経験があるので、乖離しやすいのかもしれません。
⑨ 抑圧
抑圧は、とても辛い感情や耐えられない記憶などを意識の外、つまり無意識に押しやり閉じ込めることで、それを意識から排除する無意識の心理的作用です。
⑩ 退行
退行は誰にでも起きることがあります。例えば強いストレスをさらされている時には、大人であってもお気に入りの縫いぐるみを抱いて寝たり、口当たりの良い食べ物をやけ食いしたりという風に。以前の発達段階での態度をとることで、安心を感じ、エネルギーを回復しているのだと考えられます。
⑪ 感情の分離
現代社会では、感情を抑えて理性的でいることを尊ぶ傾向が強いので、感情の分離という防衛はその傾向と親和性が高い言えます。明らかな虐待経験がなくとも、親の子育てのスタイルと子どもの資質の巡り合わせによっては、子どもが感情の分離を主な防衛として発達させることもあります。知人や友人の中に、いつも感情を表に出さず、周囲の人が喜んだり悲しんだりする場面でもクールなままで、理性的な事がらのみ表明することを理想化している人がいるかもしれません。
(14) 打ち消し
「打ち消し」は、「空想上のまたは実際の行為よる罪悪感や恥の感情を打ち消すために何かをする」という防衛です。
例:
・夫婦喧嘩の翌日にいつもより豪華な朝食を用意する、
・期日までにレポートを添削して学生に返却できなかった教授がそのレポートの評価をAにする、
などです。
自分の過去の過ちや失敗について、それが現実のものか空想上のものかにかかわらず、強く自責する傾向のある人は、生涯をかけて防衛の打ち消しの性質を持つ活動に取り組む場合があります。ある研究によると、死刑制度廃止のために長年熱心に活動をする人びとには、打ち消しの特徴が見られることが示唆されたそうです。また、幼少期に好意を持っていた人が人種差別に苦しんでいるのを救えなかった経験が元になり、人種差別根絶のための活動に生涯を通じて関わった例もあります。「自分の犯した罪に対する恥や罪悪感に対抗し打ち消せるような活動をする」のが防衛の打ち消しですが、こう考えると崇高な目的への無意識の動機付けになる場合があることがわかります。
昼夜を問わず会社のために仕事をする「熱血会社員」は強迫行為的だと言えますが、本人の動機に無関係に前向きな価値判断をさせることもあれば(「頑張っている」「根性がある」等)、本人がいかに遣り甲斐を感じていたとしても「ワーカホリック」と否定的に価値判断されることもあります。
クライマーはクライミングについて強迫的に取り組んでいると思います(笑)。
⑮ 自分自身への向け換え
「自分自身への向け換え(turning against the self)」は、その名称から想像できるように、他者に対する否定的な感情を自分に向ける防衛です。例えば、自分の幸福を左右しうる権威を持つ人に対して否定的な感情を持つことは葛藤を引き起こすので、その否定的な感情を自分に向けます。権威者に対しての批判は危険なものですが、自分を批判することは安全です。子どもの場合、養育者は自分の生存を左右する存在です。その養育者が安心や信頼を感じられる人物でない場合(例えば自殺願望のある親、一度家を出ると数日間返ってこない親、虐待する親)、子どもにとってはそれを認めることは脅威に感じられるので、子どもは自分を責めることで防衛します。状況を変える力を持たない子どもにとっては、自己批判的な気持ちがどれほど不快なものだったとしても、自分の生存が現実的に脅威にさらされていることを認めることよりはマシだからです。組織の上長と部下、グループリーダーとメンバー、先生と生徒などの関係においても使われると考えられます。
「自分自身への向き換え」は、精神的に健康な人にもよく使われ、問題を他人の責任と考えるよりも自分の責任を考えます。自動的かつ強迫的にこの防衛を使う傾向は、抑うつ的パーソナリティまたは関係性の自己虐待的なパーソナリティに共通してみられます。
これっぽいですね…