■ロープに頼る=腕でロープを掴む
一昨日は山にいました。
そこで気が付いたこと、です。
■懸垂下降は、腰でぶら下がるへのパラダイムシフト
登山で出てくる鎖場になれてしまうと
(ロープに頼る=腕でぶら下がる) という思い込みが形成され、
それを
(腰でぶら下がる)
に変えることが懸垂下降の習得項目、といえるかもしれません。
登山道で、ロープや鎖が出てきたら、手でつかみますよね。それを引っ張りながら登れ、という意味に、誰も教える人がいない、一人で登っている、普通の人だったら、感じてしまいます。
■ 鎖は引っ張ってはいけない
本来は、鎖場の鎖って、引っ張ってはいけない、と私は教わりました。
九州では、山のグレーディングがないので、難しい山に老女が来てしまう。
ので、そういう特別に配慮が必要な人に向けて、ロープがアチコチについていて、山梨で登っていたころは絶対ここにはロープないよな、ってところにもロープが出ています。
なので、元気いっぱいの若い男性でも、
ロープを見れば、手で引っ張ることに ”無意識に”誘導されている
んでしょうね。
無意識だから、その箇所が
そもそも、ロープや鎖に頼らないと登れないようなところではない、
のに、使うように誘導されていることに気が付けない、ということです。
既設の鎖だと、毎年何十人もの人が鎖場の鎖に全体重をかけて、ゴボウで降りたり登ったりしている、ということです…。
支点に力が異様にかかって非常にむしろ、危ないです。
支点がロシアンルーレット化しています。
■ ロシアンルーレットを危険だと指摘すると、むしろ逆に無謀呼ばわりされる
それを危険だ、と指摘すると?
逆に、鎖なしで登れということを言ってることになり…老女に向けて、それはかわいそうだ、というのが、拡大解釈されて、元気一杯の男性でも、同じだ、となってしまいます。
鎖を使わず登れ、と言うなんて、ひどい奴だ、という解釈です。
■ 逆に体力的・技術的には無理をすることになる
九州のクライミング界で起きたことですが、逆に、私が支点の強度を問題にすると、じゃ支点を使わず登ればよい、という話になり、今度は保険なしに飛躍します…。
それは4級(5.8)40Mランナウトを、登れというのと同じことになってしまいます。
ロープをつけるのは正しいのですが、40mランナウトしたら、ロープをつけている保険には全くならない…。というので、部分点までゼロ点になってしまう…。ならフリーソロするほうがまだはっきりしているってことになります。
つまり、この辺のバランス感覚のずれ感、というのは、本州で普通に安全に登っているクライマーと登らないと、意味自体が分からないのかもしれないです。
5.8から上でランナウトを、フリーソロ出来る人が、40mランナウトしても、別に怖いとすら感じないのが普通だと思いますが、世の中には、若い男性でも、老女と同じく、山で弱者で、同じ5.8でも怖いと感じる人がいます。
5.10を登る人が5.7をフリーソロするのは、怖くないです。
また
5.12を登る人が5.9をフリーソロするのは怖くないです。
逆言えば、
5.7なら、5.10の人はフリーソロ出来る(するのが健全化は別)
この厚みは、個人別かもしれません。
最初から運動能力が高かったり山に向いているタイプは、保険なしでも、保険がないことにそもそも気が付かず、登りたい!と感じるようです。その人口比率は、たぶん3:1くらいなのではないかと思います。