■ 自分が知性に優れるだけでは、”相手のバカの壁”は、破れない
私は、これまでの様々な人生の困難を、”知性化”という防衛機構を発達させることで、発達させてきたのですが…
その”知性化”という防衛機構は… 白亜スラブで、もろく崩れ去りました…(笑)。
まさか、相方が、25+35が計算できない人だったとは…(汗)。
いくら、危険予知(KY)に優れた人でも、これは予想できませんでした…。
■ 〇〇県警YouTubeがおすすめ!!
森山元編集長の、過激系な山岳遭難Youtubeが常軌を逸してあおっている件をこのブログでも取り上げましたが、まともな山岳遭難関連動画を見つけました。
■ 富山県警YouTube
■ 長野県警Youtube
■ 情報公開がないところには、対策もない。
事故を未然に防ぐための危険予知もない
結局のところ、九州には、危険予知を必要とする山自体がないんですよね…
それで、危険予知する習慣がない。
相方の場合は、山梨でも、九州と同じノリで山をやっていたと思います。
それじゃ、危ないので、誰かがその度に、しりぬぐいのためについてきてやっていたんだと思います。
その役目をしていた人が、ついにいなくなって、九州では私にお鉢が回ってきた、というところでしょう…
で、私は記録を克明に描くので、彼の登攀の内容が明らかになった。
あの内容は、これまでどんな登攀をしてきたか、ということを示すものだった…。
つまり白亜スラブは、原因ではなく、結果、ということです。
数々のヒヤリハットを見逃してきて、何度も過去に合った反省のチャンスで、反省しないまま、逆に成功体験として数えてきた人の”成果”でした。
ホント、命という代償で、払わされるところだった(祝子川に2名で誘われた…)。
他の女性が亡くなったことで、私の危険予知が杞憂ではなく、的確な危険予知だったことが証明されてしまった…。
■ 着地点が間違っている!
私は、亡くなった女性を責める気持ちには一切なれませんが…
クライミング界は、
「一緒に行く判断をしたのは本人だろ」
という結論に着地したがるのではないか?と思います。
しかし…
この着地点は正しいのでしょうか?
私には、正しいとは思えないんですが…。
■ 相手の善意を利用するのは正しいことなのか?
この事件とは別として考察します。
相方とのパートナーシップが、私の希望や都合というより、
私の善意を相方が利用したもの、
だったからです。
Give&Takeの不均衡、いびつさ
がありました。そして、その不均衡やいびつさは、合理的な理由…例えば、背が高いほうがかけた方が楽、など…ではなく、男尊女卑に立脚しているような気がしました。
■ NoBig Deal
例えば、1ピン目にあらかじめプリクリップするのって、背が低ければプリクリ棒を使わないと届きませんが、背が高ければ、手が届くので、特に大した苦労はありません。
師匠は、1ピン目をかけるのは当然やってくれていました。
相方は? なんかエライ恩着せがましかった。
でも、なんで?
男性が、固く締まったビンの蓋を開けるのは、たいした苦労ではない。
なんで、そんなたいしたことないことを高値で売られるのか?謎でした。
そして、私の命の価格は?夏ミカン一個くらいみたいでした。(白亜スラブのあと持ってきた)
明らかに(自己重要性)と(他者重要性)に、いびつな不均衡があります。
彼にとって、自分の重要性は異様に大きいが、他者の重要性は異様に小さい。
相手の能力は過小評価するが、自分の能力は過大に評価している。
■ トラウマ
赤ん坊を水の中に投げ入れる、という行為が私の父の中に生まれたのは、彼にとって、
A)「赤ちゃんって、教えなくても泳ぎを知っているっていうけど、本当かな?」という自分の思い (好奇心という名のエゴ)
が、
B)”でも、まてよ。もし、溺れたらどうなる?” (命の重さ=行為の結果)
よりもよりも、重要だったということになります。
A > B
という構造にあり、この構造が同じなのです。
■ 祝子川
祝子川の件の、加害者となってしまった男性が、この同じ構造にあったのかどうか?は分かりませんが…
(自分の行為・能力を過大に評価する)
(行為の結果や相手の命を過小に評価する)
という心的な習慣は、クライマー界に非常に根強いと思います。
私が思っているのは、そもそも、クライマーって努力自体、したことがない人たちだから、なのではないですかね?
苦労せずに、周りの人がやってくれて、実現してきた人って意味です。
つまり、おぼっちゃま君…。周りの人が何とかしてきた、ってこと。
ナルシストができる理由はどうも、母親の甘やかしにある、と私は思うのですが…。