好きな人から裏切られた時の『正しい対処法』
という動画があるが、重要なチェックポイントが出ていたので掲載。
(タイトルが気に入らないが。別に私は相方を好きではなかったので。念のため。)
白亜スラブの登攀について考えると…
「やっぱロープは60mだね!」
は、
自分以外の何かを言い訳にする
のほうに該当するよなぁ…。
つまり、
変わる見込みはない
みたいですね…。 あとは誰がロシアンルーレットのババを引くか…だよなぁ。
■ 祝子川に2名で行って来いと言った指導者に忠告すべきか?
はっきり言って九州には、御大層な山はない。雪庇が崩れる、って可能性は雪がそもそも降らないんだからゼロだし…。大日岳の雪庇崩壊や那須岳の遭難事例を持ち出して、九州人が、襟を正すか?というと? まぁ、他人事感が強まるだけだろう。むしろ逆効果と言う意味です。
そんな中で重大事故多発の、祝子川は、例外中の例外だろう。
おそらくアイスのルート…宇土内谷なども同じであろう…。九州のクライミングの基準は、大体40年ほど遅れているのである。
福岡出身でも名を成したクライマーはいるんだが…実際にクライマーとして開花し、登っていた地は北海道だったりする。
逆に山梨で登っていて、全国的に通用すると思われる基準感覚でいた人…かの地では初級クライマーに過ぎない…が、九州にくると、自分が異様に高い位置…上級者…に位置付けられてしまう…。
振り返ってみると私自身もそうで、部外者クライマーである私をビビらせようとして用意された課題は…たとえば、初夢5.9などだろうが…、普通に、何が難しいんですか?と登ってしまえるわけである。私は山梨では完全に初級クライマーで登る課題探しに難儀するくらいだった。こちらでは、上手な方に入ってしまう…
ここで、ナルシシストタイプの人と普通の人は、反応が二分する。
ナルシシストタイプ → いえーい、俺ってかっこいー。ついに俺の時代が来た~♪
普通の人 → え?!みんな、そんなのも知らないの?(登れないの?)
つまり、基準が低いということは、ナルシシストにとっては、自分のナルシズムを充足させるチャンスに見える。
いや~。反応がこれだけ違うことにも全く気が付かなかったのである。
私にとって”え?ロープつけないの?な恐怖体験”でしかないことが、相方にとっては、他者から自分の無謀さを肯定され、自己肯定感があがり、楽しくて仕方ない活動だったみたいだった。
それは、九州にはリスクが存在しないから、わざとリスクを増すような、そういう登りをして無理やり楽しんでいた、というのが、本音なのだろう…
本当にリスクのある山で舐めたことをしていたら、本当に山に食われて終わりだからです。
つまり、イケイケは難しいことに取り組んでいない証、傍証になってしまいますね。
そのイケイケを自分の会の会員に進めるのは、どうなのか?その人本人が判断するしかないですね。なんせ、将来どんなクライマーになってほしいのか?によるよなぁ。
将来全国に通じるクライマーになってほしい → 易しいところで取れないセルフは難しいところで取れないと教える
九州内だけで通用すればいい → 易しいところだから、セルフは要らないと教える
■ 本州人が、祝子川に2名で行き、女性と組み、そして、確保方法が良くなかった場合
まぁ、これも無事に帰ってきたら、
勝てば官軍
ということになって、まったく反省の余地がなかったであろう…
大体、大きな事故の前には、無数のヒヤリハットがあるもの、である。
5つの重大事件の前に、300のヒヤリハットがある、と言われている。
つまり、死亡する事故が発生する前に、理論上は、事故を起こした人には、
60回のヒヤリハット
があったはずであり、それはいいかえると、
60回の反省のチャンス
があったということになる。
それらが何であるか?は、本人や周囲の人以外、知りようがない…
だが、相方が、25mピッチと35mピッチを50mシングルで来ているときにつないで、つないでしまったことを反省せず、「やっぱロープは60mだね~」と発言したことを考えると…
この回でも、相方は、
学習しなかった
ことになる。学習しない人の問題点は、ただ学習しないだけでなく、それが前述のように
自信
につながることである。
50mで来ても切り抜けられた、という経験値になってしまう
ので、次はもっと
リスクを加算しても良い
と考える。
これが、
栗城劇場が出来た理由
であるが…、それは一般のクライマー内にも蔓延している。
失敗の解釈が逆…
それは、この女性を犠牲者にしてしまった本州クライマーも同じなのではないだろうか?
彼には60回あった反省のチャンスをすべて見逃した結果が
死亡事故
として結実した、のではないだろうか?
■ 反省しないで済む環境づくり=ホモソーシャル
難しい点は、その自信を保護しようとする、ホモソーシャルな同族保護主義がクライマー界内部からもたらされることである。
もたらしている本人は
クライマー界を保護しているつもり (冒険主義の保護のつもり、あるいは温情主義のつもり)
であるので、ややこしい…。
理論的には、他者にも分かる、大きな事故を1つ起こす前に、その人は60回のヒヤリハットを見過ごされてきているのであるから、大事なことは、都度、つまり
60回、そのクライマーにイチイチ声をかけてやってきているか?
ということである。
したがって、反省したクライマーが、仮にきちっと反省していたら、60個には及ばなくても相当数の反省点が、これまでの山行すべてから見出されることだろう。
私はこの点…イチイチ間違いに声をかけてやっている点…については、かなりの自信がある。私が指摘できることは、アラーキーにはすべてしました。
■ 救えないクライマーの様子
しかし、指摘しても、逆ギレしてくるのが、救えないクライマーなのです。
例えば、カムの設置位置が悪い、とか、外れかけている、なんて、
ホワイトクライマーとブラッククライマーで反応が正反対
です。
ホワイトクライマー 「すいません…」
ブラッククライマー 「え~!なんでそんなこと言うんだよ!(怒)」
私はすでにミスを都度指摘しており、反応が
自分以外の何かを言い訳にする
と、更生の見込みがないケースだったのに、
”オンサイト出来たのがうれしかったから、こんなことを言ったのかもしれない”
などと善意に解釈してしまって、許すことを何度も重ねていました。
それが私の反省点です。次回から、
おかしな言動をしているクライマーは、切り分けられる
と思います。