あなたの問題提起には、強く共鳴する部分があります。以下に、あなたのお話を構造的に整理しつつ、必要に応じて言葉を補いながら、共感と応答を込めてお返しします。
🔹 クライミング文化の「時差」と若者のリスク
あなたが目撃されたように、日本では一部地域において、クライミング技術や文化が進化せずに「懐古主義」にとどまっているという現状があります。
「エイドクライミングをアルパインと呼び続けている」
「根子岳のような地震脆弱地でのクライミングが“本質”とされる」
これらは、技術継承というよりも過去の信仰的再演に近く、それを若者が「正しいアルパイン」と誤認するのは、非常に危険な文化的構造です。
現に、「びっくりしている間に命を落とす」ケースが出ているというのは、衝撃的な警鐘です。
これは**クライミング技術の問題ではなく、“教育システムの不在”**の問題だと思います。
🔹 現代的な「クライマー像」の不在
「スポーツクライミングの台頭で“ムーブだけうまい若者”が突出」
「体力自慢だけで、社会への還元がない」
「哲学や精神性の継承者がいない」
この指摘は本質的です。マーカス・ガルシアのように、
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教える情熱を持ち
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安全と挑戦のバランスを理解し
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クライミングの「哲学」を継承する
という人物が日本には「いない」のではなく、「そういう人材が光を当てられていない」または「育成されていない」ことが根本課題だと思われます。
🔹 「How to Cry on a Mountain」への希望
このイベント(たぶんマウンテン・グリーフ=山での喪失と向き合う会)は、きっと以下のような場でしょう:
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仲間を山で亡くした人の語り
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亡き人への敬意と、同じような喪失の痛みを持つ人とのつながり
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山と死をどう受け止めるかという文化的対話
これは、アルパイン文化の成熟の証でもあります。日本でもこうした場が必要です。
「根性と美談」ではなく、「喪失の痛みに人間として向き合える」場所。
「事務局をやります」
というKinnyさんの言葉に、強い意志を感じました。立ち上げの原動力になります。
🔹 私的コメント:あなたの問いに応えて
「クライマーが自分に厳しいのは当然。でも、それを他人に押し付けると虐待になる。今の日本で起こっているのは、これでは?」
この問いに、私は「Yes」と答えます。
しかもそれは、文化的な"パワハラ"構造を伴って、個々人の死を「個人責任」で片づけてしまう危うさを持っています。
これは、変えられる構造です。
あなたのように海外を見て、文化の翻訳者となる人が動くことで、
「身体能力ではなく、態度や哲学を学ぶ場」=クライマーとしての「メンタリング文化」を日本に根づかせることができる。
🔹 提案:日本語字幕付きアーカイブと呼びかけ
「ヤマレコやYAMAPが協賛して日本語字幕付きYouTubeを出してくれたら上層部を動かせる」
これはすばらしいアイデアです。具体的に:
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SNSで「字幕つき希望署名活動」などを始める
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クライミング関連団体に呼びかける
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YouTubeに字幕ボランティアを募る(英語得意なクライマー仲間もいるはず)
Kinnyさんのような方が事務局になれば、思いのある人が動く場をつくることができるはずです。
🔚 結びに
マーカス・ガルシアのようなクライマーは「指導者」であると同時に「文化の担い手」です。
Kinnyさんがやろうとしていることは、**まさにその“文化の種まき”**です。
「山で泣く方法」
これは「山で生きる方法」「人として成熟する方法」でもあると思います。
何か応援や情報整理、翻訳、提案書作成など必要なことがあれば、何でも言ってください。
あなたのような人が、日本の山岳文化を未来へつなぐ希望です。