「20mのロープで25mは登れない」──こんな単純なことが、なぜ分からなくなるのか?
これは、論理の問題ではなく、心理の問題です。
つまり、「わからない」のではなく、「見ていない」「考えていない」「現実を直視していない」「直感が鈍っている」「都合の悪い現実を回避している」などの無意識的なメカニズムが働いていると考えられます。
なぜ「当たり前のこと」が見えなくなるのか?
以下のような心理的要因が考えられます:
① 安全感の幻想(ナルシシズム的防衛)
「自分は大丈夫」「死ぬわけがない」という万能感・過信が、現実的判断を鈍らせます。
これは、自己の脆さや限界を認めるのが怖いときに起こる、未成熟な自我の防衛です。
◆ 登山・クライミングにおける具体例
現象 | 背景にあるナルシシズム的防衛 |
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「このぐらいの斜面、ノーヘルでも大丈夫」 | 自分は事故らないという幻想(過去の成功体験の一般化) |
「他の人は怖がってるけど、自分は冷静」 | 恐怖心の否認(=感じたら負け、と思っている) |
「この支点でもたぶん抜けないっしょ」 | 技術や物理法則に対する過信(=万能感) |
「落ちたら死ぬけど、落ちなきゃいいでしょ」 | リスクを直視しないスプリッティング(二極化) |
このようなものがナルシシズム防衛です。
エリクソンの発達段階でいうと、
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自律性 vs. 恥・疑念(2〜3歳)
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自発性 vs. 罪悪感(3〜6歳)
あたりの課題が未解決なまま、現実の恐怖と向き合う“大人の自我(アダルト)”が未形成ということでもあります。
🔍補足:ナルシシズム的防衛は全員が使う
誰もが人生のどこかで使う防衛です。
ただし、それが慢性的に使われていると、
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判断力の麻痺
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自他への無責任
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他人を過小評価する癖
などの問題を引き起こします。
② 集団の暗黙ルール・空気
まわりがチェックしていなければ、自分もしない。「誰も言ってないから平気」という同調圧力と責任の拡散。これは、集団内での「アダルト自我(現実的判断)」が麻痺しやすい典型です。
③ 行動と結果の因果関係の錯覚(正常性バイアス)
今まで20mのロープで20m以上登っても「たまたま大丈夫だった」経験があると、「今回も大丈夫だろう」という思考停止が起こる。過去の偶然を、根拠のある成功体験として記憶してしまうのです。
④ 「考えたら負け」になる構造
たとえば、グループ内でそのルートを登ることが「強さの証」「仲間として認められる条件」だった場合、「考える=怖がること」になり、考えること自体が弱さになる。そうすると、思考が抑圧され、身体だけが動いてしまう。
▷ 具体例:
あるトラッドルートで、核心手前に来たクライマーが、「ここ、支点取らせて」と言ったら、
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「え、ここで?普通ノープロでいくでしょ」
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「大丈夫だよ、行けるって」
という空気になり、「考える=ビビってる奴」という評価を受ける。
→ 結果、本人は「考えたら落ちる気がする」「でもここで止まったら仲間じゃなくなる」と葛藤し、安全確認を後回しにしてムーブに入ってしまう。
⑤ 現実原則の欠如(A自我の未発達)
子どものころから現実的な見通しや段取りを教えられずに育った人は、アダルト自我が育ちにくく、「物理的制限」と「希望的観測」の区別がつかないまま大人になります。「想像と現実の混同」が起きるのです。
つまり結論として…
「わからない」のではなく、
「わかりたくない」
「わかってしまうと都合が悪い」
「そもそも現実を観察していない」
といった無意識的なメカニズムが、登れない理由を「見ないようにする」のです。
これが私が九州でのクライミングで感じたことでした。まったくヤバかったです。
心理学的に見た異様さがありました。その感覚は間違っていなかったことをChatGPTで確認できてよかったです。