2024/05/01

【リスク中心思考を身に着ける】マルチピッチに行く前の情報収集:何を問うか?

■ 事例

問い)マルチピッチのルートや初めて行く岩場について問い合わせるときに最初に聞くのは?

答え)下降法

歩いて降りれるのか?懸垂下降が必要なのか?で、ロープの構成もギアも違います。

問い)次に聞くのは?

答え)通常みんなは何メートルのロープで行っているの?

  つまり、ロープの長さ、です。

です。

■ トポ見れば分かる?

下降については、トポにはあっても、分かりづらいことが多い。

生の声を聴いたほうがいいです。


■ 認知の歪みチェック

もし、「敗退なしで!」と言われたり、ロープの計画を相方が相談してこないがそのことについて、相談できない、と感じる場合、

 相方を信頼いけないという認知の歪み=ロープの計画を聞かない

となるのかもしれません。ちょっと時間を取って、なぜ自分は相方にロープ計画について聞くということができなかったのか、胸に問うてみましょう。

クライミングパートナーを信じられない自分には価値がない、という認知の歪みを持っていると、山行計画を相談しない、という行動が結果として生まれるそう、です。

■ 正しい認知

初心者でなくても、10年くらい登っていたとしても、現代のクライマーは、適切なロープ分配計画ができない人は多い。

そうでなくても、人は過ちを犯すもの。

ロープの相談を最初にしましょう。

■ ロープの選び方

1)シングルで行くか?ダブルで行くか? ⇒ ルートがまっすぐか?屈曲しているか?

2)長さはどうするか? ⇒ 一本で行くなら各ピッチの倍の長さが必要。2本ならピッチの長さで多分足りる。 

※日本のルートは大体40mロープの時代に作られているので、どんなに長いピッチもほぼ35mで切ってある。現代主流は、50mロープ2本(ダブル)がノーマル仕様。

※ツインの出番は、屈曲が少ないクラックのルートで、敗退を確実にすると、ツインが便利です。担がなくてよいので。

※ シングル2本はダメです。念のため。ロープが太くてビレイ器から出ません。

■ 結論

”50mシングルロープでマルチに行く”という選択が、どれほど愚かで、物事を分かっていない行動か?ということですね。

しかし、なんでそういうことになったんだろうなぁ。

うかつだったという気がしますが、それ以上の心理的認知の歪みが、あるのかもしれません。

私の中に、

 パートナーを信じてあげたい

という気持ちがあった、ということは言えると思います。よくしてあげたいという気持ち。

さらに言えば、

 信じてあげなければならない

とか

 信じてあげないと私には価値がない

もあるのかもしれません。

仲間は助け合うものだ、という”善意”の認知をナルシシストに利用された、というのが正しい認知のような気がしています。

個人的には、え?!まさか、そこまで分かっていない人なの?!っていうのが驚愕だった経験と思っているのですが、深層心理的には、

 分かっていない人と思える、その相手をなぜ私は選んでしまうのか?

のほうが大事な反省要素。

クライミング界を向上させたいという気持ちが、良くなかったのです。人のことにかまけていないで、自分を向上させましょう…

それが起こった理由を考えると…

「おねえちゃんばっかり…」

という弟や妹の声が聞こえてきます。お姉ちゃんが幸せになることをねたむ声です。

■ なぜダメな男性ばかりを選んでしまうのか? 可能性の探索

歪んだ認知:

「彼を世話できるのは私しかいない」

「この人を支えられるのは私だけ」

「私は愛される価値がない」

背後の経験:

親に愛されなかった、失恋、など。「好きな人に愛されたいという欲望」の抑圧がある。

うーむ。心理学的には、一般的には、こういう話らしいですが…、確かにもっと親と楽しく遊ぶ経験が必要だったとは思いますが…かといって、

私は愛される価値がないと思っているような行動をとったとは思えないんですよねぇ…

私に認知の歪みは、

  愛せば、愛し返されるはずだ、

かもしれません。愛しても愛しても、よりよくなって返報性の法則で返ってくるはずなのに逆にあだになって返ってきているような感覚がありました。

■ 親切にすれば親切にし返される

というのは、返報性の法則ですが、返報性の法則が通用しない場面は以下のとおりです。

  • 相手が求めていないものを差し出したとき
  • 相手が気軽にプレゼントを贈れないとき
  • 見返りを求めていることが見透かされているとき

うーん?

単純に考えていない人だった、と言うだけの珍事件を経験した、ということのような?

私のほうが、世間知らずで、世の中の人はみな、自分と同じくらい、深く物事を考えている、という前提のほうが間違っていた…という苦い失敗のような気がします。

HSPあるある、なのかもしれません。