■ ひさしぶりに山書 読了しました☆
歩ける、ということのありがたさ…
私は、個人で独学して、積雪期ガイドステージⅡが取れるだけの力をつけたクライマーです。
一般ルートからテニクニカルルートへステップアップし、そこから、さらにフリークライミングのマルチピッチに、ステップアップしたため、歩くだけで良い、易しいルートには、九州にきた地点では、なかなか、再度、魅力を発見することが難しくなっていました。
というのは、九州には、リスクのない、簡単な山しかないからです。
北ア、南アのおひざ元から来てしまったので…。九州の山で最初の山は、脊梁縦走です。
その縦走の最後で読図で山を下りたら、同行者が「うちの会の人には無理」と言ったので、超がっかりしたんですよね。
ま、登れる、というより、歩ける、ということが一般ルートでは大事です。
■ ”歩ける”、なしで、”登れる” に来る若い人
歩けるが卒業してから、登れる へ進む人は昨今少ない。
自分の”歩ける”スキルの軽視が、若い人がグレード中心思考になり、山を楽しめなくなっていった理由の一つかもしれません。
私自身も陥ったかもしれません。今後は反省して”歩ける”を強化しよう。
再度、”歩ける”の強化をしなくては行けなくなったので、これは歩けることにも感謝しようという活動かもしれない。
『彼女たちの山』 を読みました。
小屋番をしている彼女たちについては、よく書けても、やっぱりクライマーではない人が書く人物評は、クライミングにおける心理的な機微については描けないと思いました… 森山編集長が書いた、ユージさんの人物評を読み、ほんとに良く書いてあると思いました…
両股小屋に出向いていたころ…ほんとの登山スタート時ですが… とても楽しく、ただ林道を歩いているだけで、オコジョにあった。深い山の中で、小屋番として暮らす星さんに会いに行っただけなので山は登らないで帰ったんですよね。
両股小屋への道 |
今ではすっかり、星さんが苦手のチェーンソーも、ユンボも使えるようになり、なんならログハウスの作り方まで知っていますが…
あの頃から比べると、ほんとに別人と言うくらい、成長したかもしれません。
フリークライミングの世界では、ペーペーですけど、まぁ5.10c程度の実力だって、5.7止まりの往年アルパインのクライマーの基準から見れば、そこそこちゃんとしているわなー。
まぁ、ノースフェイスだとか、おしゃれブランドと化したファッションブランド店の店員の男性には、5.9だって登れないもんなぁ…
しっかし、私の自己評価が低い、のではなく、彼らの自己評価がものすごく非現実的に高まっている、ということだと思うぞ?
だって、ユージさんはじめ、クライマー各氏は、世界列強列伝、系です。
ユージさんを解説したもの:
https://www.redbull.com/jp-ja/climbers-story-01
しかし、これを見て、男子は俺も、と思うわけですが… 実際は、50代女性が登れるところも登れない。
そこには、登山教育の不在があります。教育不在だと、ほんとに才能がある人だけが、勝手に独学で、成長でき、教育に依存していた普通の才能の人は、成長そのものができない…
その結果、山では遭難。岩場では事故=アクセス問題。
原因は教育の不在であり、若者のほうではない。
私は、一般的山ガールよりも、かなり高いところにいます。当然、世界列強には含まれません。そんなの当然、わかるでしょ…。でも素人さんよりは、玄人さんに近い場所かな。
そこが、教育不在だと当然分かる、でなくなる…。
客観視の欠如、メタ認知力の低下、が、栗城劇場の作られ方だと分かったことが、九州での成果かな。