2024/05/30

【分析】祝子川事故に見る、遭難事故が減らない理由

■ 事故分析

1)私がごく普通に予見できるリスクを大抵の男性クライマーは予見できない

2)男性にリスクを指摘したり、同行を断ると、怒ったり、逆ギレしたりする。女性に精神的被害を与えようとする。

3)その原因は、彼の中の女性観、文化的側面にありそうだ

4)クライミング界のホモソーシャル性が事故の精神的温床になっている

5)これは、西洋のクライミングコミュニティには、文化的に存在していないリスクである。

6)女性は、日本でクライミング活動をする場合は、特にこの側面に気を付けていないと、相手のチョンボで殺されるという、悔やんでも悔やみきれない被害…殺人の被害…に合うことがある。(女性は、男の言いなりになるべきだという、暗黙の攻撃の対象とされている)

7)当事者間で事故報告書は作成され、一般公開されないため、事故の教訓は、社会には還元されない

8)したがって、同じ原因による事故は減らない

9)また、被害者は基本的に泣き寝入りを強要されている

10)そのことを社会が認知していない

11)内輪の人間が、加害者の保護のために動く

12)この構造は、日本の性的被害やいじめ事件のもみ消しに酷似している

13)一般男性は、日本社会の男性ホモソーシャル性には気が付いておらず、だからこそ、11)に動く。つまり、自分自身を加害者を重ねており、そのために、加害者の保護のほうが、被害者への救済や、再発防止策より、優先される。

■ 小鹿野とは違うよ

小鹿野で起きた、岩ごとボルトが剥がれ落ちたのに、岩場がある町を狙って訴訟を起こした事故とは全く本質が違うので混同しないでください。

あれは、逆恨みみたいな事故でした。

岩が剥がれ落ちるリスクと言うのは、最初からクライミングに内包されたリスクです。

しかし、この

   男性のチョンボで、殺されるリスク

っていうのは、当の本人が、パートナーを殺すことがあるという自覚がないので

   優しく何回も説明する

って対応では、無効だ、ということが、歴史上、証明されていますよねぇ?

男子は人の話、聞いていません(笑)。

小学6年生の男子の集団と、精神的になんら変わりがないのが、まぁ一般的な平均クライマーのありよう、で、

・自分が支点ビレイされていても気が付かない

・カムでロープがスタックしていても、それが登攀不能につながるとは気が付かない

・カムが3つ飛んで落ちても、反省どころか、自信につながる

・お母さんが俺のために飯を作ってくれるから自己肯定感が上がる

・遅れそうなら、赤信号無視

・25mと35mのピッチを50mシングルで来ているとき、つないでしまう

とか、そんなレベルなんですよ?

心の在り方が、非常に幼稚で、社会ルールへの逸脱に対する心理的抵抗感が非常に低く、自己客観視能力が低いです。

■ 危険な男性クライマーの特徴

・Aをしたら、A´になる、というシミュレーション能力が低い

・その能力が低いことに無自覚

・周囲と同調することだけが、正しい在り方だと考えている

・社会規範を逸脱することへの心理的抵抗感が低い

・自己客観視能力が低い

・周囲を観察する能力が低い

・自己像が巨大 

・巨大化した自己像について無自覚

結局、誰からも、お前はもうちょっとちゃんとしないとだめだぞ?と諭されたことがないのではないですかね?

30代、40代になって、自己客観視ができない、というのは、周囲の人間が、腫物を触るように、彼の実力について、本当のことを言わないでくれている、ということなのではないか?と思います。

まぁ、自覚がない、というのは、ご本人は幸福だと思いますが、

巻き込まれる他人にとっては、たまったもんじゃありませんね。

命は一人あたり一個しかありません。自分の分は大事にしましょう☆

        ランヤードによるセルフを取っていない工事現場の作業員