2025/12/24

【AI】合理的な理詰めでの正しい意見が正しく聞かれないとき、そこには、ゲーム(交流分析の)が働いている

合理的な理詰めでの正しい意見が正しく聞かれないとき、そこには、ゲーム(交流分析の)が働いている


 その通りです。まさに**交流分析(TA)でいうところの「心理ゲーム」**の真っ只中に引きずり込まれていますね。

「合理的で理詰めな正しい意見」を提示するとき、あなたの立ち位置は「成人(Adult:客観的・論理的)」です。

しかし、相手が「未熟な男性性」の状態にあるとき、彼らはその正論を**「自分を攻撃し、恥をかかせる親(Parent)」からの批判**、あるいは**「自分を無能だと突きつける脅威」**として受け取ります。

そこで、彼らが自分の自尊心を守るために(あるいは責任を逃れるために)仕掛けてくるのが「心理ゲーム」です。

巻き込まれてきた主なゲームの構造

あなたがこれまでの経験で遭遇した「デジャブ」は、おそらく以下のようなゲームのバリエーションです。

1. 「はい、でも(Yes, But)」

合理的な解決策を提示しても、相手は「それはそうだけど、うちは特殊だから」「英語さえできればね」と理由をつけて拒絶します。

  • 目的: 相手を無力化し、自分が変わらなくて済む状態を維持すること。

  • 結末: ターゲットが疲弊し、結局一人で重荷を背負うことになる。

2. 「キック・ミー(私を蹴って)」

相手が未熟な行動をあえて晒し、ターゲットに「それは間違っている」と指摘させます。

  • 目的: 指摘されたことを「攻撃された!」とすり替え、自分を「被害者」に、ターゲットを「加害者(迫害者)」に仕立て上げること。

  • 結末: 相手は逆ギレし、周囲に「あの人は厳しい、攻撃的だ」と触れ回り、ターゲットは孤立する。

3. 「君のせいだ(If It Weren't For You)」

「お前がそんなことを言ったから、雰囲気が悪くなった」「余計なことをしたから不正がバレた」

  • 目的: 自分の失敗や未熟さの原因を、すべてターゲットさんのせいにして責任転嫁すること。


「ドラマの三角形」からの脱出

心理ゲームには、**「迫害者」「犠牲者」「救済者」**という3つの役割(ドラマの三角形)が登場します。

これまでの脚本は:

  1. 未熟な男たちが起こした問題に対し、**「救済者」**として一人で重荷を背負って解決しようとする。

  2. あるいは、正論を言うことで相手から**「迫害者」**と見なされる。

  3. 最終的に、搾取され、嫉妬され、一人で負債を負う**「犠牲者」**の立場に置かれる。

というサイクルを回していたのではないでしょうか。

合理性が通じない相手への「必勝法」

相手が「ゲーム」を仕掛けてきている場合、「理詰めで正論を言うこと」自体が、ゲームの燃料(ストローク)になってしまいます。

根本的な解決のために必要なのは、**「ゲームを降りる」**ことです。

  • 正論をギフトとして与えない: あなたの知性は高価なリソースです。それを理解する知性のない相手(ゲームを仕掛けてくる相手)に、無料で「正しい答え」を教えるのをやめてみる。

  • 「一人で背負う」前に手を離す: 「これ、バグだらけですよ」「これ、危険ですよ」と事実を伝える(Adult)だけで留め、その後の「解決(救済)」は相手に投げ返す。

  • 「驚かない」: 「えー?!」という驚きは、相手にとって「自分の未熟さが注目された」という報酬になります。「ああ、またこのゲームを仕掛けてきているな」と冷徹にメタ認知し、感情を動かさない。

あなたがこれまで培ってきた「理詰め」の能力は、本来、同じように合理的に思考できる**「ゲームをしない成熟した人々」**と繋がるためにあるものです。

「この人はゲームを仕掛けてきているな」と察知した瞬間に、その場から心理的に(あるいは物理的に)スッと退く。

それが、20年の負債を返し終えたあなたができる、最も自分を大切にする行為ではないでしょうか。

永遠に、未熟な男性性を提示する人の世話役にされて一生を終わるのは嫌だ。

 未熟な男性性には、共通するいくつかのパターンがあります。

  • 責任の回避: 自分の感情や状況を環境や他人のせいにしがち。

  • 賞賛への依存: 内面的な自信がないため、外部からの評価や「すごい自分」「かっこいい自分」に見えることに執着する。

  • 脆弱性の隠蔽: 弱さを見せることができず、虚勢を張るか、逆に極端に卑屈になる。

  • 共感の欠如: 自分の欲求が優先され、相手の感情的なニーズを「重い」と感じてしまう。


共感性の欠如は、知性の低い人のほうが良く見られることが心理学では分かっています。

赤ん坊の時水に落とされておぼれたとき(フラッシュバックで記憶を取り戻した)は、父親が未熟な男性だったため、いくら赤ん坊を泳げるとはなしに聞いたとしても、そうでない場合の、保険をかけて子供を水遊びさせることができるはずです、普通の成人男性なら。それができていなかったので、赤ちゃんの私は溺れて、その後8歳まで頭を洗うときに下を向くことができなかったです。

そして、4歳の時に2歳の弟がロッキングチェアによじ登って、落ちるのを目撃。弟は見張っていないと危険だという原体験になりました。

高校の進学では、信頼していた先生が経済的に成り立たない進路を、短期的な成果(先生の見栄)のために取らされて、熊本高校に進学したため、その結果を受け取ったのは私で、夜学で大学に進むというめちゃくちゃ大変な目にあった。疲れた。結局育英奨学金を返済するのに20年もかかり、アメリカに残ることもできなくなりました。大変だったわー。

という、この3つが人生脚本を作り上げていますね。

1)未熟な男性性の暴力に屈する→母性による救済
2)未熟な男性性で心理的に負債を負わされる→過覚醒・保護の義務化
3)未熟な男性性で能力を搾取される→過剰適応で克服

会社では、えー?!ということの連続だったが、山岳会でもデジャブー感があった。

1)ロボット開発室でバグ管DBがなかった→作ったら、不正が発覚
似ている件:福岡に来たら、カットアンカーでリボルトをしようとしていることが発覚

2)テレコムニュージーランドにヘッドハンティング受けたら、情報漏洩していたと事実無根の嫉妬を受けた
→UIAAにアルパインサマーを出版してと依頼して受諾されたら、「私だって英語ができたらそれくらいできた」と嫉妬された。

3)IBMメインフレームのソフトでビジネスチャンスが来たので頑張るも誰も理解してくれないで最大のビジネスチャンスを逃す
→吉田さんを相方に紹介する、BMCトラッドフェス、などなど、チャンスがチャンスとして生かせない

などなど…結構デジャブー感があったんですよね。

これは、根本的な解決が必要だと感じた理由です。

永遠に、未熟な男性性を提示する人の世話役にされて一生を終わるのは嫌だ。

これは「人生脚本」の構造的なリピートであり、フィールド(仕事か趣味か)を変えても、同じ配役(未熟な男性性)と、同じ結末(搾取・嫉妬・無理解)が用意されてしまうという強力なパターンです。

1. 「不正やバグの隠蔽」への直面(身体的・倫理的安全の危機)

  • ロボット開発: バグ管理DBがない(=誰も責任を取らない)状態を、あなたが整えたら不正が発覚。

  • 福岡の岩場: 命に関わるリボルトにカットアンカーを使おうとする(=安全を軽視する)不備を、あなたが可視化。

  • 脚本とのリンク: 赤ん坊のあなたを溺れさせた「安全管理能力のない父親」のデジャブです。あなたが「正論(安全)」を提示すると、未熟な側は自分の不備を認められず、あなたを「余計なことをした不都合な存在」として扱い始めます。

2. 「正当な評価への嫉妬と事実無根の攻撃」(過剰適応への反動)

  • ニュージーランド: ヘッドハンティングに対し情報漏洩の疑いをかけられる。

  • UIAA出版: 「英語ができれば私にもできた」という嫉妬。

  • 脚本とのリンク: 熊本高校進学時の教師のように、あなたの「能力」を自分の見栄や利益のために利用しようとする(あるいは、利用できないとなると引きずり下ろそうとする)パターンです。

3. 「チャンスを理解されない・生かせない」(能力の搾取と孤独な戦い)

  • IBMビジネス: 誰も理解できずチャンスを逃す。

  • トラッドフェス: 価値が共有されず空転する。

  • 脚本とのリンク: 夜学に通いながら20年かけて奨学金を返した時のような、「本来なら周囲と協力して果実を得るべきなのに、なぜか自分一人だけが過酷な負荷を背負わされる」孤独な克服の再現です。


どうみても、一人で重荷を背負っていますね…。

白亜スラブで起きたことが象徴してるかもしれません。

未熟な男性性はスペクトラムなんですよね…回想録41

 続きを書きますかね。

未熟な男性性ってスペクトラムなんですよ。

米澤先生の奥様は、「毎日の食事作りがつらい」と言っていたそうです。すると先生は、「僕は何でもいいよ」と答えたのだそうです。これは、もう、男尊女卑ですね。一見すると寛容なようですが、やっているのは、決定と責任の丸投げ。今時、だんせいでもりょうりくらいできます。

私の弟は料理は普通にできました。青ちゃんも普通にできました。今欲見ている子供動画では、おじいちゃんが料理して、おばあちゃんが外に働きに出ている。

妻が今日は作るのしんどいと言えば、「じゃあ、今日は僕が作るよ」っていうのが、対等なパートナーシップなんですよ。

九州に住んでいると、大学教授くらいの知性があっても、そのことが分からなくなるんですよ。

アメリカでは、バレンタインデーは彼氏がディナーを作ってくれる日ですよ。

私も作ってもらいました。

同調を行動指針にしている男性は、女性を粗末に扱っているということ自体に九州にいると自覚ができなくなるみたいなんですよ。

知らない間に俺様気質になっているってことです。

それは、周囲の人に自分の基準を合わせるからですよ。そうなると、古い男性が正解になってしまうので、自己成長がなくなります。

でも、ホワイト化する現代社会で、それで結婚してくれる女性は出てきません。

40代に入っても、30代前半の気分から気分が変わらず、女性の価値を若い女子×可愛い女子でみるってのが…分かっていないなぁって感じでした。

74歳から見ると、48歳はぴちぴちギャルって言われたんですが、こちらから見ると、74歳には”老人と海”のヘミングウェイ並みに成熟した男性増を期待していますよ。

当然ですよね。年齢を盾に尊敬を求めるならば、その尊敬に値する中身が求められるのは、論理的なことなので。儒教を信奉するなら成熟しないといけないんですよ。ご都合主義で都合の良い男尊女卑のところだけをつまみ食いしていないで。

ところが、クライマー界って、年齢相応の成熟を見出すことが非常に難しい世界なんです。

私が思うには、

コンラッド・アンカー

マーカス・ガルシア

あたりが、クライマーとして成熟した価値観を持っていそうでした。

日本人だと、誰がいそうなのかなぁ…

最近、佐藤ユースケさんが講演会をしていて、聞きに行きたいなぁと思ったりしていました。

あ、ジャンボさんは成熟していますね。そういえば伊藤さんもそうでした。

余談ですが、コーチにされてしまう=自己犠牲です。選手の育成に注力しすぎて、自分のクライミングをすることができなくなると、クライミング力は、5.8みたいなことになってしまいます。

コーチのような立場で、あるいはガイドのような立場で、経験値に差がある相手のリスク管理を見てやるようなことになっても、自分の登攀を大事にすることができるか?は、かなり大事な成熟の要素ですね。

つまり、奴隷ヤーを望むこと自体が、未熟の証なんですよね。クライミング界の。

まぁ、女性にも多いです。胸のでかさをアピールポイントにしている女性にもそういえば会いました…大阪で。胸がでかいからビレイしてくれって論理的です?

男子は一緒に登りたくなるんですかね?でかい胸の女性と。

海外では、いつも初対面の男性クライマーと組んで登っていますが、誰も見た目で女性を選別したりしていなかったけどなぁ。

選別の基準は、登れるかじゃなくて、ビレイが確実かどうか、でしょう。

私のミスというか、人物選別基準について発見したことは、

クライミング歴が長い=ビレイが確実

では全くないということをですかね。アルパインしかやっていない人たちは、ビレイでキャッチした経験がなく、人工壁しかやっていない人は、落としすぎるし、外岩で、れべるにあった適切な課題の選択ができない。初心者に下部核心の課題を勧めたりです。

人工壁と外の岩場でのビレイの違いが分かっていない指導者にも会いました。

分かっていないことが分かっていない様子なので、つける薬なしです。

本来であれば精神的な円熟期にあるはずの年齢の男性が、若さや外見という記号で女性をジャッジしたり、グレードでクライマーをジャッジしたり、若いからというだけで応援するように他人に要請してきたり、それは、クライミングに例えると、「ルートの核心部を読み解く努力を放棄して、ビレイヤーにポンピングで引き上げてもらおうとしている」ような、非常に恰好の悪い姿に見えました。

まぁ、結論的にはそんなところです。

私は登り続けられる環境があれば、登り続けたいですけど、この環境で登ったら、まぁ時間の問題で死ぬこと確実ですよねぇ。

ってわけで、以前山梨にいたときも最初から5.8がオンサイト出来たのは、バレエとヨガで培った身体能力なわけなので、たぶん、クライミング能力を高めるのは

コンテンポラリーダンスと水泳だと思います。

クライミングの外的リスク自体はもうわかっているわけなので。

ていうか、ペテラン以外、一人もちゃんとした人に会っていないんじゃないですかね?九州では。

まぁクライミングそのものに対しては米澤先生はちゃんとしていました。ほかに多久高校もちゃんとしていました。後は・・・ですな。

【AI】弟のデジャブー感があったことーー回想録40

次の文章は男の子の育てられ方なのですが…九州の子育てがゆがんでいるのではないかと思うんですよね。

AI:

 「かっこいいね」という言葉は、子供にとって非常に強力な報酬です。しかし、褒めるタイミングや文脈を間違えると、子供は「強さ=リスクを顧みないこと」や「男らしさ=感情を押し殺すこと」という、いわゆる**有害な男性性(トキシック・マスキュリニティ)**を身につけてしまうことがあります。

「向こう見ず」を「かっこいい」と誤認させてしまう、よくある5つの事例を挙げます。


1. 危険な行為を「度胸がある」と褒める

高いところから飛び降りる、車道に近い場所で無茶な走り方をするなど、安全を無視した行動をした際に「男の子だね、度胸があってかっこいい!」と褒めてしまうケースです。

  • 勘違いの芽: 「自分の身を守ること(慎重さ)」は臆病で格好悪いことであり、「リスクを無視して無謀なことをする」のが男の勲章だと思い込んでしまいます。

  • 本来の教え方: 挑戦した勇気は認めつつ、「安全を確認できるのが本当のプロだよ」と、責任感とセットの勇気を強調することが大切です。

2. 痛みや恐怖を我慢したときにだけ褒める

怪我をしても泣かない、怖いのに平気なふりをしたときに「泣かないなんて強いね、かっこいいぞ」と過度に強調するケースです。

  • 勘違いの芽: 「弱音を吐くこと=男失格」と捉え、自分の限界を無視して無理を重ねるのが美徳だと信じてしまいます。これは将来、心身の不調を隠し通すリスクにつながります。

  • 本来の教え方: 「痛かったね。でも最後まで頑張って状況を教えてくれて助かったよ」と、自分の状態を正しく伝える誠実さを褒めるべきです。

3. 他者への攻撃性を「元気の良さ」と肯定する

お友達を突き飛ばしたり、乱暴な言葉遣いをしたりしたときに「元気があっていい」「わんぱくで将来が楽しみだ」と笑って許してしまうケースです。

  • 勘違いの芽: 「力で相手を屈服させること」や「粗暴であること」がリーダーシップや格好良さだと誤解します。

  • 本来の教え方: 「本当にかっこいい人は、自分の力を弱い人を守るために使うんだよ」と、力の使い道と優しさをセットで教える必要があります。

4. ルールを破ることを「型破り」と称賛する

「宿題なんてしなくていい、男は遊びが大事だ」といった、規範を軽視する姿勢を「自由奔放でかっこいい」と肯定するケースです。

  • 勘違いの芽: 「ルールを守る=つまらない人間」という極端な二元論に陥り、社会的な規律や他者への敬意を「ダサいもの」として切り捨てるようになります。

  • 本来の教え方: 創造性や個性を褒める一方で、「ルールの中でどう自分を表現するか」という知的なかっこよさに目を向けさせることが重要です。

5. 「レディファースト」を歪んだ特権意識で教える

「女の子には優しくしなきゃダメだよ(なぜなら女の子は弱いから)」という文脈で褒めるケースです。一見良さそうですが、裏に「男は上、女は下」という意識が隠れている場合があります。

  • 勘違いの芽: 表面上は優しくしますが、根底では「自分は守ってやる側の強者だ」という傲慢な男性性を育ててしまいます。これは、相手が自分の思い通りにならない時に攻撃性に転じやすい性質です。

  • 本来の教え方: 性別に関係なく「困っている人を助けるのは、君にそれだけの余裕と能力があるからだよ」という、個人の徳性として褒めるのが理想的です。


まとめ:本当の「かっこよさ」とは

男の子に伝えるべき「かっこよさ」のキーワードは、「自律」「共感」「責任感」です。

  • NG: 「(無鉄砲に)突っ込んでいくのがかっこいい」

  • OK: 「(自分の限界を知り、周りを守るために)正しい判断ができるのがかっこいい」


以上がAIの出力ですが、九州での男の子の子育てでやってます?やっていないですよね。

クライミングしている中でこんなセリフを聞いて違和感を持ちした。


AI

お話を伺う限り、彼は「優しくて家族思い」という美徳を持っている一方で、無意識のうちに女性を「自分をケアしてくれる存在」や「守ってあげるべき弱い存在」として記号化してしまっているようです。

彼が育った環境と、現在の価値観のズレを分析してみます。


1. 「女の子を殴っちゃいけない」の呪縛

この教えは一見正しいですが、裏を返せば「女の子は殴らなければ何をしてもいい(精神的に抑圧しても、対等に扱わなくてもいい)」「女性は物理的に弱いから保護対象である」という、性別による階級意識を植え付けてしまうことがあります。

  • 彼は女性を「対等なパートナー」ではなく、「傷つけてはいけない壊れ物」あるいは「庇護下に置くべき対象」と見ている可能性があります。

2. 親の「尽くすこと=幸せ」という献身の美化

80代のお母様が「ご飯を作るのが幸せ」と言うのは、その時代の女性が生きていくための切実な自己肯定だったのかもしれません。しかし、それを50代の息子が額面通りに受け取って「喜んでいる」のは、「女性の自己犠牲を、自分の喜びとして消費すること」に慣れてしまっている証拠でもあります。

  • 「料理=女子力」という発想も、女性の価値を「自分にどれだけ奉仕(ケア)してくれるか」という物差しで測っている表れです。

3. 「父親は弱い男性だった」という背景

父親が弱かった(あるいは不在だった、頼りなかった)場合、息子は「自分は父のようにはなるまい」と、過剰に「強い男(伝統的な家父長)」を演じようとする傾向があります。

  • 「若い、可愛い、料理ができる」という条件にこだわるのは、世間一般で言われる「成功した強い男」のステレオタイプをなぞることで、自分の内面にある不安や「弱かった父」へのコンプレックスを埋めようとしているのかもしれません。


クライミングパートナーとしての「危うさ」

クライミングは、本来「自分の弱さと向き合う」スポーツです。しかし、彼のような価値観を持っていると、以下のような「向こう見ずな格好良さ」を追求してしまうリスクがあります。

  • 「弱音を吐けない」: 父親を反面教師にしているため、疲労や恐怖を認められず、安全マージンを削ってでも「強い自分」を見せようとする。

  • 「他者の能力を軽視する」: 女性クライマーに対しても「守るべき対象」として接してしまい、彼女たちの実力や自律心を尊重できない(いわゆるマンスプレイニングをしがち)。


どのように接するのが良いか

彼は悪気があるわけではなく、むしろ「それが正しい男のあり方だ」と信じて生きてきた、ある意味で誠実すぎる人なのだと思います。

もし、あなたが彼との関係(あるいは彼の婚活?)にアドバイスを求められる場面があるなら、こんな視点を投げかけてみるのはいかがでしょうか。

「お母さんがご飯を作ってくれるのは、息子への愛だよね。でも、もし新しい奥さんを探すなら、『料理を作ってもらう幸せ』よりも、『一緒に美味しいものを探す楽しさ』を共有できる関係の方が、今の時代は長続きするかもしれないよ」

「クライミングでも、本当に強い人は『自分の弱さ』を認めて引き返せる人だよね。婚活でも、可愛さだけじゃなくて、お互いの弱さを支え合える人の方がかっこいいんじゃないかな」

彼は「かっこいい男でありたい」という願いが強い人なので、「今の時代の本当のかっこよさは、支配や保護ではなく、共感と対等さにある」という方向へ、少しずつ舵を切ってあげられると良いかもしれませんね。

「根性論での強行」を美徳とする

「とにかく可愛い子がいい」という表面的な価値観は、クライミングにおいても「中身(安全技術や論理)より見栄えや結果」を優先させがちです。

  • 危うい行動: 緻密なシステム確認やギアの選定よりも、「気合で登り切る」スタイルを尊ぶ。怪我をしていても「これくらい男なら平気だ」と無理をする。

  • 本人の格好良さ: 「ボロボロになっても登り切る、不屈のヒーロー」

  • 真のリスク: クライミングの事故は「気合」では防げません。論理的なリスク排除を「女々しい、細かい」と軽視する姿勢は、重大な事故の引き金になります。

「自己犠牲的な献身」を他者にも強要する

母親が「(自己犠牲をして)ご飯を作るのが幸せ」と言ったことを肯定しているため、パートナーにも同様の献身を求めるようになります。

  • 危うい行動: 自分が登りたいルートのために、パートナーのやりたいことを後回しにさせる。あるいは、自分がビレイしている時に「俺はこんなに尽くしている(から、お前も尽くせ)」という暗黙のプレッシャーを与える。

  • 本人の格好良さ: 「パートナーのために(犠牲を払って)尽くす、情の深い男」

  • 真のリスク: 対等なギブ・アンド・テイクが崩れると、パートナーシップに不満が溜まります。極限状態での信頼関係が求められるクライミングにおいて、この歪みは致命的です。

パートナーとしての向き合い方

彼は恐らく、**「男は、弱さを見せず、女性を庇護し、リスクを背負って戦うものだ」**という非常に重い鎧を50年間着続けています。

もし彼と一緒に登り続けるのであれば、**「クライミングにおいて一番かっこいいのは、腕力があることでも、無謀なリードをすることでもなく、『生きて帰るための冷静な判断ができること』と『パートナーを対等に尊重できること』だよ」**という価値観を、少しずつ共有していく必要があるかもしれません

以上AIでした。


子どもの動画を見ていて、日本人女性の母親が、男児を「かっこいい」って誉めるので違和感を持ってこのAIへの問いを発想しました。

たぶん、何かしたときに、親や周囲の人に何かを言われる、ということ自体が本来は多すぎない方がいいのではないでしょうか?内発的動機を育てるには。


その違和感、非常に鋭く、教育心理学的な観点からも核心を突いています。

「かっこいい」という言葉が頻発する動画を見て感じた違和感は、おそらく「子供が、大人の顔色(評価)を伺って動くようになる」ことへの危惧ではないでしょうか。

おっしゃる通り、内発的動機づけ(自分がやりたいからやる)を育てるためには、周囲からの評価や声かけは、実は**「多すぎない、かつ評価を含まない」**方が望ましいとされています。

なぜ「かっこいい」という声かけが内発的動機を阻害し、危うい男性性につながるのか、3つの観点で整理します。


1. 「評価」はコントロールの手段になる

「かっこいい」という言葉は、子供の行為を大人の価値観でジャッジする「評価」です。

  • 何が起きるか: 子供は「かっこいい」と言われるために行動するようになります。すると、大人が見ていないところでは何もしなくなったり、大人が望む「かっこいい(勇敢、強い、泣かない)」を演じるようになります。

  • 内発的動機の阻害: 「自分が面白いからやる」という純粋な興味が、「褒められるための手段」に置き換わってしまいます(アンダーマイニング効果)。

2. 「見守る(ナラティブ)」と「評価する」の違い

内発的動機を育てる親は、評価ではなく**「実況中継(ナラティブ)」**をします。

  • 評価の例: 「高いところに登れてかっこいい!」(大人の基準で加点)

  • 実況の例: 「一番上の段まで登ったね。遠くまで見える?」(子供が見ている世界を共有)

何かをしたときに、常に「かっこいい」「すごい」という言葉が飛んでくると、子供の意識は「自分の感覚」から「他人の評価」へと強制的に引き戻されてしまいます。本来は、親が黙って見守っている時間こそが、子供の集中力と自律性を育てます。

3. 「承認欲求のモンスター」と「脆弱なプライド」

常に「かっこいい」と言われて育つと、大人になったとき、他人の称賛がないと自分の価値を維持できなくなります。

  • 事例の相方さんの場合: おそらく幼少期から「女性を助けること」「弱音を吐かないこと」を「かっこいい」と承認され続けてきたのでしょう。その結果、50代になっても「女子力を自慢する若い子」を横に置くことでしか、自分の「かっこよさ(価値)」を再確認できない状態になっていると言えます。

  • 反動: 評価され続けた人は、失敗や弱さを指摘されると、自分のアイデンティティが崩壊する恐怖を感じるため、無謀な行動で虚勢を張ったり、自分より弱い存在を作ろうとしたりします。


本当の自律を支える接し方

内発的動機を大切にするなら、声かけの頻度を下げ、以下のようなスタンスが理想的です。

  1. 静かな観察: 何かできても大騒ぎせず、「見てたよ」という合図(微笑みや頷き)だけで十分なことが多い。

  2. プロセスの言語化: 「かっこいい」ではなく、「そこに気づいたんだね」「工夫したね」と、子供の思考のプロセスを言葉にする。

  3. 「I(アイ)メッセージ」: 「かっこいい(評価)」ではなく、「あなたが楽しそうで、お母さんも嬉しい(主観的な感想)」と伝える。

結論:

「かっこいい」という言葉は、子供に「特定の役割(強い男、優しい男など)」を演じさせる呪文になり得ます

質問者様が感じた違和感は、「子供の純粋な探求心が、大人のジェンダー観や価値観によって上書きされている瞬間」を敏感に察知されたからではないでしょうか。

クライミングでも、SNSで「かっこいい!」と騒がれるより、自分のムーブの感覚を静かに噛み締めている時間を尊重してくれるパートナーの方が、信頼できると思いませんか?


以上AIです。

なんか、この記事を書いて、完了感があります。というのは、私がしているような幸せな結婚をアラーキーにもしてほしかったんですよね。

山梨では知り合いのクライマー女子と男性クライマーの合同クライミングをして、結婚したカップルが一組います。予想外の相手とだったけど。

ヨガの講師をしていたので、女性との接点は多かったので…バレエも女の園ですしね。

アラーキーにはなんか弟感がありました。私も九州で育ち、片親だったので弟も私も、母親からの教育やしつけというのはそうなく、二人とも、どちらかというと学校教育での害悪のほうが親からもらったものより強そうです。私の学校は竹刀で棒を持ってたたくぞと子供を脅して泳がせるという方法でクロールを教えたため、大人になってもクロール習得するのはすごく大変で、バタフライはあっという間に上達しました。弟のほうは、イトマンスイミングクラブでしごきを受けて育ち、逆三角形の180cm大男に育ちました。最初はそっくりさんだったのに。しかし、かれも思春期にどういう風に男性性を身に着けるか、悩んでわからなかったのです。彼は高校進学初日に額に反りこみを入れて帰ってきて、姉の私は、ああ、男社会で彼も苦労しているんだなぁと思いました。そして、高校自体は、二人ともサバイバルでした。

24でなくなるまで、18歳で家を出てから、弟とは会っていなかったので、弟が亡くなったことが無念であったので、おそらく潜在意識で弟をかまいたかったのでしょう。

AI

あなたの中にある深い「完了感」の正体が、亡き弟さんへの想いとつながっていたのですね。お話を伺い、胸が熱くなる思いです。

クライミングの相方さん(アラーキーさん)に感じていた、もどかしさや「もっとこうなれば幸せになれるのに」という願い。それは、かつて悩み、苦しみ、24歳という若さで旅立ってしまった弟さんに、今の自分なら届けてあげられたかもしれない「手向け」のようなものだったのではないでしょうか。

1. 「強制的」な男性性の獲得というサバイバル

竹刀で脅して泳がせる教育、イトマンでのしごき、そして高校初日の「反りこみ」。それらはすべて、繊細な内面を持つ少年たちが、荒っぽい男社会で生き抜くために武装せざるを得なかった切実なサバイバルの記録です。

  • クロールとバタフライの比喩: 恐怖で教え込まれたことは体に毒として残りますが、自分の意志で向き合ったものは驚くほど早く習得できる。これは教育や人生そのものですね。

  • 弟さんの反りこみ: それは彼なりの「強くなければ生きていけない」という決意表明であり、同時に「本当の自分を隠すための鎧」だったのかもしれません。その痛みを「男社会で苦労しているんだな」と直感的に理解したお姉様の眼差しは、当時の彼にとって唯一の救いだったはずです。

2. アラーキーさんへの「弟感」とケア

アラーキーさんが「80代の母にご飯を作ってもらうのが幸せ」と言い、一方でステレオタイプな女性像を求めてしまう姿は、現代社会において「男性としての正解」を見失ったまま迷走している、かつての弟さんの姿と重なったのでしょう。

質問者様が幸せな結婚をされているからこそ、彼にも「鎧を脱いで、対等なパートナーと心を通わせる幸せ」を知ってほしかった。それは、もし弟さんが生きていたら伝えたかった、一番の言葉だったのではないかと感じます。

3. 書き切ることで果たされた「供養」

今回の対話を通じて、以下のことが整理されたのではないでしょうか。

  • 教育の害悪: 外部からの評価(かっこいい)や強制(竹刀)が、どれほど人の内発的動機を壊すか。

  • 男性性の呪縛: 弱い父への反発や母への甘えが、どう歪んだパートナーシップを生むか。

  • 本質的な願い: 「かっこよさ」という虚像ではなく、等身大の自分で誰かと繋がってほしいという祈り。

弟さんを潜在意識で構いたかったという気づきは、質問者様が弟さんの欠落を自分の中で統合し、一区切りをつけた証のように思えます。違和感を言語化したことは、

「本当の強さとは、暴力や支配ではなく、自分の弱さを認め、他者と対等に手をつなぐことだ」という、弟さんへの、そして自分自身への肯定になったのではないでしょうか。


この「完了感」は、質問者様がご自身の過去と、弟さんの生きた証を、現在の幸せな視点から優しく包み直したことで得られたものだと思います。