2019/10/15

私のパートナー遍歴

基本的には、やはり”無知”ということに、”コミュニケーション能力”の不足で対抗できなかった歴史、ということになりそうです。

■ 登攀の出る山への入り方

私は雪の山で山を始めました。ので、雪山で一人で歩ける山は全部終わった後(つまり悪天候下の鳳凰三山の冬季縦走後)、いよいよ物まねでは済まないピッケル・アイゼン技術が必要となり、教えを乞う意味で、無名山塾を打診しました。その後、山岳総合センターのリーダー講習に応募したら、受かってしまい、受講。

■ パートナー遍歴

1)講習でのバディ
リーダー講習では、4人1パーティ、講師1名です。10班の内の10班目みたいな感じでした。5人いた女性は初日に3人に減りました。最初の”バディ”の人たちは、お粗末でした。講習では完全初心者向けに教えてくれるのに、エイトノット一度習ったの、復習してこない。雪山合宿では春山なのに、5cm厚のマットを持っていても文句言う。5人で6テンで狭いと文句言う。歩荷すら女性の私より弱い。最悪はタダのキックステップができない。何度教えてもできるようにならない。滑落停止、一番上手なの私でした(汗)。講師が私にほかの人を教えるように指示。講習では、先生たちが班分けを考え、良かれと思って、女性の私に体力が揃うよう、どちらかというと、軟弱目の男子と組ませてくれているわけですが、こんな程度の人たちと登ったら、一番大きなリスクを取って体を張る役目は、むしろ私になってしまう…と思って途中で辞めました。山を初めて3年しか歩いていない私が、一番登れて担げて歩けて結べるバディなんてレベル低すぎです。初心者なんだから、もう少し頼りになる人たちと登りたいと思いました。いや、敗退を重ねながら勝ち取るピークは好きですが、一度の無知による些細な行為が致命傷になる段階です。実際、講習生で死んだ人が出ました。

2)一番目の師匠
その後、一番目の師匠に会いました。ドラマチックな出会い。三つ峠で岩場で、たたずんでいたら、下からクライマーが登ってきて、私に「流動分散をしてみせなさい」と言いました。やってみたら、「あってる。けど、間違ってる。興味があれば、ここに電話しなさい」と言われました。それからこの方と2年近く登りました。ほとんどすべての技術は、鈴木さんからもらいましたので、すごく感謝しています。他会の会長さんです。

3)一番目のパートナー
私は夏山は知らないので、岩登りスキルは全くダメと自覚があり、師匠と行く山と並行でジム通いをしていました。ジムでめっちゃ意気投合した男子とザイルを結ぶように。毎日ハニームーンでしたが、「北岳バットレス四尾根に行こう!」と言われ、私はその目標が、”3年後のゆくゆくは…”という意味だと思っていたので、快諾。ところが、今年の夏って話でした。これは、他の人が太刀岡左岩稜で相方にロープワークの稚拙さを自覚させてくれて、今年は無理と理解してもらい、解決しましたが、相方は私より、美人で登れるもっと素敵な女子な女子が現れて、組みたくなり…、一方、私は相方とは別れたかったので、ちょうどよく渡りに船。この件が最も大きなリスク回避でした。”能力の過大評価”と”人に認められたい!”と思って選ぶルート選択、です。

4)一番目の先輩と2番目の先輩
私は人工壁はビレイの習得のために通っていたので、ひと夏捧げ、山梨アルパインクラブの先輩が付き合ってくれました。バンバン落ちる先輩=いい先輩。自分もこのころは平気で落ちていました。落ちるの、普通の会だったので。

5)家庭的会
個人主義の会では合宿経験が積めないので、地元の会にもいました。こちらの会で合う人たちは基本的には反面教師でした。でも、難しいことをしないだけ安心でき、合宿は楽しく、一人の先輩は、すごく渋くていいルートを考えてくれる先輩でした。信大の先輩。が先輩は仕事で載っている時期で、あまり山には時間を割けない。私の行きたいところ、行けるところのほうが、会が行けるところより、入会時から上で、会といくと、会が足手まといになってしまう…という関係にありました。会の人たちと行くには、山を縮小してあげないといけない。しかし、参加する人は、それがワカラナイ。参加してあげてる気になってしまうのです。だいぶ、この会では無料のガイド山行を行いました。厳冬期の金峰山、アイス、初級の岩などです。

6)クラブ蒼氷IW田さん
最初の相方を小川山レイバックに案内して会った。尊敬している。なんと山岸尚政さんにワイドを教えた人でした。感謝していましたが、雪山で骨折の怪我をされて、復帰では私のほうが登れるようになってしまいました…バツが悪くなり登らないように。

7)アイスの後輩
アイスフェスで、できた後輩。23歳。大学院生。初心者。賢くてもビレイを正しく覚えるのは、相当大変と理解。しっかり教え切らないまま、九州に来てしまい、後を先輩たちに託したのですが、「だめだよ、この手の子は」みたいな感想。そ、そうかなぁ…

8)2番目の師匠
後輩にアイスを教えていたら、会ったアイスベテラン。インスボンベテラン、31回目くらい。先日、口げんかして捨てられる。でも、この人、いつも、すぐ捨てる捨てると言うのが口癖で、たぶん年を取ると、いつ自分が捨てられるのかと寂しくなるのだろうと理解。気分屋なので、気にしていない。山友というより、酒飲み友達。リードさせてあげないと機嫌が悪い。

9)佐賀の先輩
山梨の初心者当時からのビフォーアフターを知ってくれてる先輩。九州の色々な岩場に探検気分で行くのが楽しかった。クラックに初めて連れて行ってくれた人でクラック友達。

10)米澤さん
屋久島フリーウェイの開拓者。家が10分。しかし、肉離れした後、歩くのも痛いと訴えているのに、二日も家に返してくれず、決裂。もう泣きそうでした。優秀な人は、そうでない人が理解できないのです。

と言う具合で、遠隔地(ハレの場)で一緒に登る人はいるのですが、近所で一緒に、地道なトレーニングを共有してくれる人がいないのです。普段着の登攀。

九州の岩場だったら、もう大体総なめしたので、案内は必要ないですが、楽しく背伸びせず登れると助かります。

今のところ、楽しく背伸びせず登れるのが、ラオスのみ。ほかの岩場では緊張しないといけないので、勢い、行きたい気にもあまりなれない。

グレードも、国際グレード6Aなら全部オンサイト、って程度のレベルです。日本だとグレード辛くて、5.9でも跳ね返されたりしています。日本の課題は、海外とは違う思想で作られている。開拓者と同行して理解しました。

私は身長が低く(152cm)リーチでお得がないクライマーで、パワーでも当然、稼げない。となると、長い間、このグレードに、とどまる見込みが大きいです。10台前半ってことです。

こう推論する理由は、昔はリーダーをしていたクラスの人たちでも、体力が衰えると(つまり、年を取ってパワーが亡くなり、もっている資産がリーチだけ)になると、5.11がいいところだからです。これは長年山岳会のリーダーであった、師匠1、師匠2がこのレベルで安定しているためです。リーチでお得がない私の場合、彼らが若い当時、努力して勝ち取った12と同じだけの努力が、私が11を勝ち取るには必要そうです。

その努力をしたいかというと?したくないので、万年10台で不服はないです(笑)。

先日180cmの人のクライミングを見ましたが、核心飛ばせるので、みたとこ、私の5.10Aでの困難度が、その男性の5.11Aの困難度です。ワンポイント程度ってこと。

まぁ、登攀に対する姿勢は人それぞれであり、楽しいと思うことをそれぞれ、楽しくやって行けばいいのであり、マルチに行くときは、リードできそうなピッチを交代するだけでも、相当にスピードアップに貢献するはずです。

クライミングは言うまでもなく、一人ではできない。

日本ではビレイヤーの地位が異様に低いです。しかし、ビレイヤーは、ただのセカンドではなく、それなりに技術も洞察力も、アシスタントとしての能力の高さも、必要です。アシスタント能力のない人を連れて歩くと分かる。ただのお荷物の人がこないだの外人さんです。5.11登れても何にもパーティには貢献していません。ムードメーカーにすらなっていない。運転の邪魔すらしていました…。アメリカ人は、基本的に共感能力が低いです。

同様に、登攀力があって登れるだけで、登る以外の技術の磨かれていないクライマーと登ると、セカンドはフリーでは登れず、自己確保で登ることになり、得るところがありません。

ので、一緒にどこかを目指そうというような感じより、日ごろのトレーニングで、末永く互いにサポートしあえるような関係がいいなと思っています。

ちなみに、私はアルパイン寄りで、沢もやれば雪も、アイスもやります。岩は、むしろ基礎力的な位置づけです。

海外に行くのは、ボルトの整備や岩登り環境が海外のほうが日本よりも良いからです。