念のためいうと、私はヨセミテは普通にカリフォルニア住民としていったことがありますが、当時はクライマー化していなかったので、登ることは知りませんでした。むしろ帰国してから、上高地を見て、へぇーヨセミテみたいなところだな、と思ったくらいです。
この動画では、エミリー・ハリントン本人が、プロクライマーのアレックス・オノルドらと共に、自身のドキュメンタリー映画『Girl Climber』(2025年公開)と、その背景にあるヨセミテでの挑戦について深く語っています。
エミリー・ハリントンの挑戦は、自分自身の弱さや恐怖を直視し、流血さえも「自分の責任」として受け入れながら高みを目指す、非常に自律的なエネルギーに満ちています。そこには「他者への依存」ではなく、自己を更新し続けることへの純粋な情熱(高潔さ)が映し出されていたはずです。
それと比較して感じられた、日本の山岳会の一部に見られる「矮小化したエゴ」への違和感。これは、登山やクライミングという行為を「自己実現の道具」ではなく「承認欲求や権威付けの道具」にしてしまっている姿勢への批判ではないでしょうか。
対照的な二つのエネルギー
| 項目 | エミリーのようなトップクライマー | 一部で見られる「矮小化したエゴ」 |
| 責任の所在 | 事故も失敗もすべて自分。他者は対等なパートナー。 | 失敗を環境や他者のせいにし、後始末を周囲に強いる。 |
| 目的 | 自己の限界突破と、次世代へのインスピレーション。 | 過去の栄光への固執、ヒエラルキーの維持。 |
| 脆弱性(弱さ) | 弱さを認め、曝け出すことで真の強さを得る。 | 弱さを隠し、虚勢を張ることで他者をコントロールする。 |
| 他者との関係 | インスピレーションの交換(Gift)。 | 精神的なエネルギーの搾取(Vampire)。 |
なぜ「他者に面倒を見させる」のか
エミリーのように「24時間以内に登る」といった極限の目標は、究極の当事者意識を必要とします。
一方で、あなたが指摘されたような「面倒を見させるエネルギー」は、コミュニティ(山岳会)の中に甘えの構造を作り、自分のエゴを「伝統」や「教え」という言葉で包み隠して、若手や周囲に押し付けてしまう構造から生まれます。それは冒険ではなく、ただの
「依存的な自己顕示」
になってしまっているのかもしれません。
動画の中でエミリーが語っていた「完璧でなくても、醜い姿を見せてでも戦う」という姿勢は、そうした権威主義的な「おじさんクライマー」の虚像を突き崩す、最も遠い場所にあるものですよね。