■ ランナウトという言葉…
が、もしかして、分かっていないのかなぁ…と思って以前、ランナウトを解説する記事を書きましたが、もしかして、実は九州では
アルパインのルートにボルトがある状態が矛盾と気が付いていないよう
なので、あれ?と思い、そもそも、アルパインのルートがどういうものか?(山に残置はありませんよね?)という理解から、ボタンが掛け違っているのではないか?と思ったりしました。
例えば、錫杖の『注文…』とか、クリーンナップされています。
でも、九州ではどうも、そのことに意義を唱える人がいるみたいなんですよね… なんでかな?
インスボンのように、スラブはきちんと信頼できるボルトを死なないような間隔で打ち、クラックはボルトレスっていうのが王道のような気がしますが…。
■ そんなことをしたら誰も登れる人がいなくなる?
という心配のためなのでしょうか?
でも、現代のカムって性能が良くなり、カムの設置をマスターすることは、必要な時間をかけさえすれば、可能なことですので、ボルト設置にこだわる必要はないような気がします。
まぁアプローチ5分というようなルートは、アルパインルートとして位置付けるより、練習用ゲレンデ、と位置付けたほうがいいのかもしれませんが…。
なんせ、歩荷1時間しないとルートの起点にたどり着けさえしない三つ峠は、本州では、ゲレンデ、です。残置一杯ありますが、どれも信用して登る人などいません。
三つ峠で、○○が登れたと言って自慢する人っているのかなぁ…いないように思うんですが…なんせ、前穂北尾根とか、もっとちゃんとした山のルートに行くのが本番で、三つ峠は練習場という納得があるからです。
一方、比叡って、みんなにとっては、本番っぽい位置づけのように思います。けど、本番で、アプローチ5分とかって、本番ぽくないですよね…。しかも、ボルトがあったら、なおのこと本番って感じじゃなくありませんか?
実際私たちも、最初のルート、ニードルに行ったとき、あ、ペツルあるね~と歓声を上げたほどです。ニードルも九州の人気ルートで、アプローチも大して要らないのですが、アルパインの本チャンルートみたいな位置づけですが…ボルトルートです。
つまり、お買い得品なのかなぁ…。
■ アルパインルートからボルトを抜く活動が遅れているだけ?
九州のクライミングの教え方は、
終了点にロープ直がけしていいよ~
みたいな感じで、(技術力を身に着ける) vs (怠惰) では、怠惰の方が勝っている教え方です。
教える方が教える苦労を端折って、めんどくさいから教えない。めんどくさいの自己正当化に、自己責任が、使われています。自分で勉強するのが自己責任ですよ、みたいな。
で、終了点直がけでいいよ~となる。これって、こちらの超有名山岳会の出身の人に言われましたから、その人はそういう指導を受けたってことですよね…。
ということで、技術力の不足を、いいよいいよ、って言ってきたのが、九州のクライミング教育の蓄積なのではないかと思います。
で、私は偏差値74の熊本高校出身ですから、予習の習慣を高校時代に叩き込まれて、身について、だいぶクライミングでも、予習しましたけど…普通の男子って、つまり偏差値50の人ってそんな経験ありますかね?ないからみんな、予備校に行ってお金払って予習させてもらうわけですよね?
だから、今なくて困っているのは予備校レベルで懇切丁寧に教えてくれる指導者なのでは?
■ ランナウト
例えば、”○○会で一番死に近い男”と言われたら、”もっとロープワークという名のクライミング技術について理解しなくては”という意味です。
ですが、それが、どちらかというと、誉め言葉になるみたいだったですよね…。なので、もしかして、ランナウト、もそうなのかもしれません。
ランナウトは危険です
と言われると、え?!危険なことをするのがクライミングで楽しいのに…という理解になってしまうので、ランナウトをしないように登れ、というクライマーなんて、クライミングじゃね~みたいな理解になるのかも?
ランナウトは岩の都合で、したくなくてもせざるを得ないことが起きます。その時に耐えるもので、わざとしなくてもいいのです。わざとしたら倒錯、です。
危険なことをするのがクライミング、
というそもそものクライミングに対する理解が間違っているような?
■ バンジージャンプとイコールなのがスポート(ボルト)ルート
例えば、バンジージャンプは危険ですか? 全く危険はないですよね? あれは冒険ですか?全く冒険ではないですよね? ボルトルートってそういう意味ですよ?
ボルトルート=スポートルート=バンジージャンプと同じで怖いけどリスクフリー
というのが世界中のクライマーの共通認識と思うのですが。
ランナウトすればそうならず、ただ意味のない傷を岩につけただけになる。
■ 佐藤ユースケさんの文章から
ーーーーーーーーーーーーー
「このラインは、本当に人間に登れるのか?」と不安にかられながらも、突き進む時の別次元の真剣さを私は知っている。
それが本当のオンサイトだと私は思っている。
「このラインは5.12で登れます」と教えられて登るのとは訳が違うのだ。
ーーーーーーーーーーーーー
本来、ランナウトしたグランドアップの課題が、後に続くクライマーに伝えようとしているのは、
このラインは、本当に人間に登れるのか?」と不安にかられながらも、突き進む時の別次元の真剣さ
だったんではないですかね?
しかし、結局ボルトがあることで、それは伝わらない。
ボルトがあると、昔の人はすごいなーとは誰も思わないってことです。
昔のクライマーより、現代のクライマーは登攀環境的に恵まれています。ジムに週二回、週末は外岩というライフスタイルがクライマーの定番です。そういう生活をしていれば、例え38歳で山をスタートした人でも、6級の氷柱がスイスイ登れるようになったり、43歳から3年程度、修行して、5.9ならオンサイトレベルに持ってこれたりします。昔とは違うのです。
その昔より恵まれたクライマーに、ボルトという補助輪、あげなくていいんじゃないですかね?
ボルトじゃなくて、もはや、ボルトの痕跡、くらいでも、ルートファインディングの助けになってしまいます。
■ 現代クライマーが弱いのはルーファイ力
私も恥ずかしながら、沢で敗退ハーケンで降りたことがあります…。
現代クライマーは、色のついたプラスチックホールドを追いかけるのがクライミングだという先入観をうえつけられた状態で岩場に来ます。
登山から入る人はめったにいないのです。この業界は。
しかるに、色がついていないと、何をホールドに持っていいのか?から分からなくなり、固まります。
外ボルダーに行っている人など、ビデオトポとか言って、ビデオを見て、どのホールドを使うか?を教えてもらっているほどです。
つまり、このホールドを使いなさい、というのがボルダーにおける開拓者の役目みたいになっているんですね…
それは、本来、クライマーが自ら発見していくもの、それが喜びなのに。
ホールドが決まっていたら、その配置に合うフィジカルの人しか登れなくなりますね、究極的には。
■ マルチはチーム作業
岩はルートファインディングが、アイスよりシビアです。アイスは、ザクっとしたルーファイで登れる。例えば、シャンデリアは使わないとかです。
岩の場合、下から見て、ガバじゃーん!と思ったら、スローパーだったり、あんな小さいカチ持てない!と思ったら、インカットされていて、あれ、このカチ、めちゃ効くじゃん!と嬉しくなったりします。
背の高いクライマーが使わないフットスタンスを、チビクライマーは使わないと、当然ですが、同じガバには届きません。つまり、マイクロレベルで、常にシットスタートの不利があります。
一方、デカいクライマーは内面登攀の時、入っただけで人間チョックストーンになってしまい、登るなんて不可能です…。特に、オフィズスサイズのワイドクラック。
つまり、人間のフィジカルタイプにより向き不向きがあります。
そういうことをチームで組み合わせて乗り越えていくのが楽しいのが、マルチです。
こういうのは、経験から学ぶものです。
本来の本チャンは、ゲレンデのクライミングで、そういうのが分かった人が、身についた技術を生かして、チャレンジするものでしょう…。
だから、出来るだけ、ズル、がない方がいいわけです。ズルという言葉があれなら、あんちょこ、ヒント、でもいいです。
ボルト= こっちを登りなーというヒント、です。
どんなに高いグレードを登っていても、ヒント付きで登ろうとする限り、
根本的な他者依存体質
は、変わっていません。だれかがこっちだよ、と敷いたレールの上を歩もうとしている、ってことです。
レールの上には、真の冒険はありません。
真の冒険がないということを本心では知っているという後ろめたさがあると、結局は、でも俺だってすごいんだもん、という自己顕示に着地するしかなくなります。
白亜スラブは、マックス11で登れるという情報がすでにあるのですから、(本当に11かどうかは別として)、やっぱりボルト、どうせ、古いカットアンカーで役立たずなんだし、本州の強いクライマーに頼んで抜いてもらったら、どうですかね? 終了点だけグージョンに打ち換えるとか。
なにしろ、ここは、フリークライミングのルートではないという位置づけらしいので。
ーーーーーーーーーー
本来的な意味合いからすれば、トポからグレードを知ったうえでトライするクライミングもオンサイトとは違うはずだ。
「このルートは5.11aだからこんなムーブは出てこないだろう」とクライマーは違うムーブを探りなおせる。
ーーーーーーーーーーーーー 以上 引用終わり