2023/01/10

クライミング界でもヤングケアラーをしてしまったこと

このような動画にヒットしました。それで、分かった。

クライミング界でもヤングケアラーをしてしまった…
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ヤングケアラーたちは健気なので、(育児放棄の母親を)クソババァと怒るよりは、むしろ助けてあげたいと思います。
頼られることの満足感・充足感もあり、自分のためにエネルギーを使うよりは、困っている家族を助けてあげたいと言う気持ちでいっぱいになってしまうようです。
でも周りの子供たちは、僕もそうでしたが、自分のことしか考えていません。
自分がいかに良い成績を取るのか、競争に勝つのか、自分の能力を上げていくのか、自分のキャリアをどうするのかといったことしか考えていないのに、自分は母親や家族の平和を考えたりしているという価値観のギャップに苦しんだり、自分はどう生きたら良いのかということに困ってしまいます。
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→ これをクライミングに置き換えると?
 

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ヤングケアラーたちは健気なので、機能不全家族と同じ状態に陥っている山岳会を、「何、この山岳会?」、「なに?この下手くそビレイヤー?」あるいは、「なんだ、このトップの登りは?!」と、怒るよりは、むしろ助けてあげたいと思います。
 

頼られることの満足感・充足感もあり、自分のためにエネルギーを使うよりは、困っている山岳会、現代新人を助けてあげたいと言う気持ちでいっぱいになってしまうようです。

 

でも周りのクライマーたちは、僕もそうでしたが、自分のことしか考えていません。


自分がいかに良い成績を取るのか、競争に勝つのか、自分の能力を上げていくのか、自分のクライミングをどうするのかといったことしか考えていないのに、自分はパートナーやクライミング界全体の発展‥‥事故防止や教育問題、を考えたりしているという価値観のギャップに苦しんだり、自分はどう生きたら良いのかということに困ってしまいます。


ーーーーーーーーーーーー 引用 終わりーーーーーーーーーー

引用元:早稲田メンタルクリニック https://www.youtube.com/watch?v=RMdAxzE24s8

このような心を見透かされ、便乗されて、良いとこどりで、ポイっと捨てられました(笑)。

しかし、正直に言うと、殺されるかもしれないという不安の源泉は、彼の無謀なクライミング行為だったので、一緒に登らなくなって、心が安定しました。無理していたんですね…

■ 相手の行為を常に親切心だと受け取る

私は、物事をポジティブに受け取るタイプで、甘えられると、相手がわがままだな、というよりは、きっと困っているんだな、助けてあげよう、と、考えるタイプです。

それは、自分が困っているときに助けられてきたからですね…。例えば、アメリカ時代、ちょっとお金に困ったことがあり、近所の古着屋で買ったコートを別の古着屋に持って行き、買い取ってもらって現金を作ったことがありました。

一世一代の大芝居を打ったわけですが…たぶん、買い取ってくれた人は、私が困っているのを分かって買い取ってくれたと思うんですよね…。そういう経験から、困っているときはお互い様、と思ってしまうのです。

私はこのように、他の人より高いハードルをくぐって大人になったのですが、その時の心象(思い込み、ビリーフ)から逃れられていないことが、クライミングという活動で明らかになったということです。

■ 利用されていたことを自覚

 パートナーがテイカーであり、ただ私を利用したいだけのことで、私と組んでいたことが分かったのは、彼がボルダラーとボルダリングばかりに行き始めてからです。

私は右の膝を脱臼して、それが再発が怪しくなっており、怪我に怪我を重ねることはできないにも、関わらずです。

しかも、そのボルダラーの人、彼と登りたい、と言ってきた人ではなく、私と登りたいと言ってきた人だったんですよね…。ところが、私を介さず、そのボルダラーに約束を取り付けて、私を後から誘い、私のことは混ぜてあげるよ、というスタンス。

はぁ?!です… そもそも、そのボルダラー、私のパートナーになりたかった人でしょう?

その人は、私から誘われるも、彼から誘われるも同じだと思って、OKしていただけでしょう…だから、その人には罪はないが…。

相方はチャッカリもいいところです。パートナー泥棒です。パートナーを探す努力すらせずに、私の力で得た人をかっさらって行ったのです。

私は、怪我にけがを重ねたくないので、ボルダリングは全部お断りしないといけません。

つまり、わざと私が自分で自発的に離れていくということで、相方は、罪悪感なく、私を捨てることができるわけです。これのどこが、心のつながったパートナーシップなんだ?!

というので、私は非常に腹が立ちましたが、このようなことが怒っていることが、外野からは、分かりません。お前が誘っても来ないじゃないか、と言えば良いだけだからです。怪我した時に、さらに怪我するようなクライミングに誘うパートナーって、どうよ?

私は、この相方は、郵便局にお勤めで休みが不定期であることが気の毒で、特別待遇で、どんな私には意味のないクライミングにも付き合ってやるようにしていました… あれはホント良くなかったと大反省中です。 

なにしろ、中央アルプスのアイスに行ったときは、高速代を半分持ってあげただけで、一回もアックスを振ることがないようなのに、付き合ってやって、何も文句を言わなかったんですよね… まぁ、空振りもあるよな…と。それが図に乗ってしまった理由だとこれも、男性心理の動画を見て分かるようになりました。男性というのは、女性に対して図に乗る、ものなのだそうです。

元が男性というのは、母親の愛に守られている=自信満タン、のものなので、文句を言わないと図に乗るのです。図に乗った結果が、白亜スラブの登攀、みたいなことになります。

この世は、私の考えるより、自分のことしか考えていない人で一杯、ということを学ぶのがクライミング界です。

相手の意図をより深く洞察する能力が、クライミング界でやっていくには必要です。それは、サラリーマン稼業でも同じですね。

私は、学生時代、OL時代を通じて、総じて、男性より、普通にしていても能力が高く、あれもこれも、と頼まれて、その成果の方は、何もしていない男性が横取りしていくので腹を立てていました…それは、

 弟に甘い

 親に従順

 自分に近づく人は、みないい人、善意だと思っている

のような子供時代の自動思考によるものだったということです。子供時代の我慢、努力、自責のストラテジーは、大人になってからは、むしろ邪魔です。

しかも、8歳~18歳という、才能が発達するゴールデンエイジに私が何をしていたか?と言えば、親の期待、先生の期待、など期待を満たすこと、だったわけですから…。

相手の”期待”は、楽に見えてしまいます。

ま、私はこのパートナー泥棒が起こった時、私に来てくれたボルダラーには悪かったけど、相方にそのボルダラーはくれてやりました。

なぜなら、この状況では、誰からも支援がなく、私が腹を立ても、誰からも何が起こったのか見えず、私が馬鹿のように見えるだけですし、そもそも、私とそのボルダラーの人が二人で楽しく登る、という状況は起こりそうになかったからです。

彼はボルダリングには詳しくても、ビレイの習得はまだで、怪我をした私は教える人としては不適切でした。落ち役はできないということです。

しかも、アルパインについては、当然ですが、かなり素人そうでした。スポーツルートですら、ボルトの知識などなさそうでした。(ボルトは九州では40年前のものです)

ので、私の指導力では、難しい。一般男性のクライマー集団に交じってもらい、一年くらいは、非・主体的な活動が、そのボルダラーには必要だ、と分かっていたのです。つまり、混ぜてもらうことで、リードクライミングって、へぇ~こんなことか~と分かる時期、って意味です。混ぜてもらっても、鋭くない男性だと、リードのあれやこれやが分かるようになるには時間がかかります… そのために、私は日ごろの相方とのクライミングにボルダラーを誘って連れて行ったのですから…。

さて、そんなこんなで、私は善意からボルダラーに良かれと自分たちのクライミングに混ぜてあげたわけですが、私の親切心は踏みにじられ、相方は、利己心から、私に来たパートナー候補を自分のパートナーに仕立ててしまい、私は、集客用の都合の良い人、として利用されていたことが分かったのですが…。(ちなみにチャッカリされたのは一回だけではない。私の新品のロープで自分の課題を登るなど、予兆は一回目のクライミングからあった。)

それが鮮明に分かったのは、相方が私に断りを入れず、このボルダラーと二人だけで、出かけ始め、ピタッと私を誘って来なくなったためです。

それまで毎週のように誘いがあり、それに合わせてあげるのが大変だったのに。

しかし、この時も私は、怒りを表現せず、スルーしました…。というのも、

 白亜スラブで凝り過ぎて、あんなクライミングに今後も付き合うのか… 反省もしている様子ないどころか、もっと自信つけちゃったしなぁ…どうしたものか?

と頭を抱えていたからです。あれじゃ、マジ、引率のお母さんです…。(記録はこちら

最近、ジャンボさんも、ある意味、”引率のお母さん”を彼のレベルでやっていることがうかがえ、なんか、私だけじゃないと思ったので、だいぶ心も癒されましたが…。

打開策、見えず、だったので、一体どういうことが、この白亜スラブで自信をつけてしまうような勘違いクライマーの理解を正常に戻せるか?想像もつかなかったのです。つまり、私は、”男の子の子育て経験”は、ないわけなので…(笑)。

師匠の青ちゃんがどういう指導をしていたか?というと?? コラっ!と大声で怒鳴るとか、下手くそロープワークを見て、けっ!って顔をするとか、思い浮かびますが…そんなことができる、上級クライマーが周囲にいないし…。師匠の話では、相方は、アイスで散々、懲りたハズだったんですが、ダメだったんですかね?

一般に、最近のベテラン(九州のベテラン)は、登攀力自体が落ちて引け目に思っているので、若いクライマーの失敗した登攀を叱ったり、何が良いスタイルなのか?を自分の身をもってクライミングで示したり、ということをすることができない…

ので、叱ってくれる、まともな師匠がいれば、まともに育ったかもしれないクライマーも、俺ってかっこいい~、イェイ、登れるぅ~という、大誤解が解けないまま、危険を自ら引き寄せているようなクライミングを続けて、デシマルのグレードだけが上がっていきます。

この仕組みがわかっただけでも、だいぶ進捗かな…(と思うことにしよう…)

■ クライミングのスタイル教育不在=かっこつけるための記録 

現代は、スタイル教育不在です。ので

  内容の良いクライミングをしよう、

というよりは、そもそも、

 俺がすごいことを示すためにルートに行っている

ので、失敗を自覚したり、反省することなく、行っただけでルートコレクションの中に、ルート名が入ってしまうのです… 

そのルート名を聞いた側の人も、問答無用で、すごい!って言ってくれるからですね…(環境による正のフィードバックが働いている)、今のクライミングカルチャーでは…。

内容は問われず、内容がしょぼくても…誰にも分かりっこない!で行けてしまう…

という状況にあるのは、何も相方だけでなく、

 ほとんどの若いクライマーがそうだ、

ということが、こちらの若いクライマーのアルパインクラブのHPに記載されている山行と、私が同行した山行の印象を比べて分かりました…(マスターズルーフ)。

相方だけでなく、男子みんなそんな感じなのです。恥ずべき失敗山行も、そうとは書いていない…。なんせHPにそんなことを書けば、新人、来ないですよねぇ?

なので、若い男性が書いた山の記録は、結構、眉唾もの、と学習したのでした。

■ 正直さがあったジャンボさんやユースケさんの記録

K7について書いた横山さんの山行記録は、情けない俺、も含めて書いてあったと思います。

山岳会が廃れて、先輩が書いてくれる山行記録を読まなくなり、どの程度の山でどの程度正直に書くか?みたいな、相場感覚も失われたのかもしれません。

何が自分のスタイルとして自慢になるか?もです…

さてと。私は、ヤングケアラーとしての自動思考(非合理的なビリーフ)を乗り越えなくてはなりません。

あー忙しい!