■今日は夢3本立て
くらいで、そのうち1本は、非常に核心的な夢だったので、見た後反芻して覚えたのに、次の夢を見たら忘れてしまった…。めちゃ残念。
■ 山がリベレーションだった…
私にとって山をすることが開放、リベレーションになったのは、
自分の力による、ということ、
だからだ。
学校・会社などの人間社会では、他人の力による、他人を自分の言うとおりに動かす、ということが権力の拡大であり、自由の意味だ。
しかし、アウトドアでは、風が吹いたら服を着る、というのは、天候という母なる地球の要請でしかなく、自然界に合わせる、というのが原則。自然界に合わせるのは苦にならない。
人間に合わせると、その時々で要請は一貫性がなく、バラバラだ。(母がそうだったのだろう…)
しかし、自然界は常に法則を基にして動いており、その点でストレスがない。これは海でも同じだった。海でも山でも、自然界に合わせて生きるのは、まったくストレスにならない。
たぶん、私以外の他の人はストレスと考えているようなのだが。
■ 雪の山
雪の山で、タカマタギという豪雪の山に行ったことがあるんだが…あの経験は、強烈だった。
山というより、下山後の車の脱出が核心の山で、一晩で2mくらい積もった。車は、周辺にあと1台しかなく、道路の除雪をみなで手分けしてやったのに、その車は自分の分が除雪されるとさっさと出て行ってしまい、こちらの車が出るのを手伝わなかったので、6人で除雪することになった。
これが大変で、人との協力、が必須、という意味だった。孤高の人、なんてとんでもないわけだ。もちろん、車を使わず、全部歩けば、”孤高”は可能なんだが。
というので、私の孤高が完結できる山のレベルが分かった。八ヶ岳レベルなら、孤高、は誰にとってもそう難しいことではない。
八ヶ岳は積雪量が多くなく、しかも寒いので、乾いているというメリットがあり、濡れに対する管理があんまり厳しくない。
しかも、山自体があまり大きくないので、節度を守っている限り、死ぬことはほとんどない。不確実な要素も多くない。南岸低気圧で、せいぜい30cmが最大の山と、2mつもる山で、雪崩のリスクが6倍というのは当然分かるだろうし、道迷いのリスクに至っては、数ばいと測れる以上のリスクになってしまう。タカマタギは、なんせ、30分で6人でラッセルしたラッセル痕がいなくなったのだ。
そして、物足りない、困難にしたいのであれば、バリエーションや人気があまりない登山道など、 雪深さも味わえる。例えば、アイスの入門ルートの峰の松目は、1月に行けばアイス入門だが、2月以降はラッセルの山で、とても簡単になる。
というので、いかに私が、八ヶ岳 という雪の山と運命の出会いをしたのか?ということが分かった。
山がない、と私がぼやくので、久住だの、なんだのとこちらの山を登って見せてくれるが…困難とそれに伴う美しさがないので、夏の暑い時に避暑に行くことになっている。
別に、冬季の今行っても普通に登れるんだが…テント泊も、この様子なら、連泊もできるんだが、そうしたところで、何の意味があるのかな?と思ってしまう。
-25度に耐えることができるか?というチェックをしたり、2月に雨が降ってきて、対応力を求められたりしたのが面白かったので、普通に滞りなくテント泊できて、普通に山を歩けたら、まぁその通りだよなぁという結論になるだけだ。まぁ、温泉が秀逸で温泉には入りたいんだが。
こちらの隠れた名山を捜すというのも、もともと、里山があまり好きでないことがあって、そそられていない。
ただ、九州では農業をしたことで、どんなに小さくても、山は山だな…と思った。起伏があることで、微小な気候の差…日影が多いとか、北面で涼しいとか、しっけている、とか、その程度、でも、作物の生育には大問題で、それが作物のバラエティをもたらす。
私のいるところでは、トマトは全然育たない。糸島でトマトやってます=ハウス、であり、自然界の現状では、糸島でトマトをやる合理性はゼロ。
一方、山梨の明野にいたころは、トマトは楽勝作物だった。
分子栄養学を学習して、セロトニン、ドーパミン、などの神経伝達物質は、食べ物がダイレクトに作ると知った。つまり、土地からとれるもの、と、人の性格、はダイレクトに結びついているのだ。
とすれば、住み続けている人たちが異なる気質を持つのは不思議ではない。
一般に暖かい気候のところは、菜食主義を実践するのが楽勝で、九州でも真冬の今、キャベツやら白菜やらが収穫期で、私も実際、去年の今頃は、自分の畑で取れた大根を食べていたんだが、そうすると、どうなったか?鬱になってしまったのである。
セロトニン分泌には、タンパク質、B6、鉄、葉酸が必要で、このうちタンパク質が欠けると、セロトニンは合成されない。
九州にきて、自然農をやるようになったが、変にメンヘラチックな人が多いか、自己承認欲求の強すぎる人が多い。これは、偏った食生活のためではないかと思う。
味噌、豆腐程度の蛋白では、人は精神の平衡を保てないのだ。イノシシが熊と違ってこちらでは、主たる獣肉だが、イノシシはあまり食べられていない。豚の飼育は容易なのだが、ブタも、家畜の主力ではない。鶏が主力で、鳥になると栄養学的は、B12の不足が出てくる。
というので、農業的な意味合いでも、気候的に、魅力を感じていない。
というのは、単なる、私見で、多分に私の九州が好きになれないという先入観入りだが…。
私の生い立ちを聞けば、誰だって、そんな嫌なものは捨てたい、と思うだろうと思う。
好きなもの、嫌なものを、強く認識する、嫌なことは何か?ということが明らかになった、際立った、という意味で役に立ったかな…。
今日は美しい夜明けです。