■『諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない』
を読みました。 https://amzn.to/3QI4zOy
為末さんみたいに、競技人生から人生のエッセンスを語ってくれる人、登山界になかなかでないですね…。
■ 為末語録 1 勝てなくて申し訳ない = 罪悪感
お気の毒人材NO1は 野口選手ですよね…
しかし、実は、私は
父親が元クライマーで息子にクライミングを…という2世にも人によっては、
気の毒感
があります。私も「チャングム、母の仇をとっておくれ」路線で育てられたからな~
子どもは親を喜ばせたいので、子供本人の望みなのか、親の望みなのか?分からなくなるんですよね。
私の母は、私が常に100点を取るので、95点だと怒るし、高校ではビリになったのに、厳しくしさえすればいいと思ったみたいでしたが、どうあがいても、超えれない違いはあります。
15歳の人と、50歳が同じ成長スピードで成長したら、その50歳の人は、人間じゃないです。
私は普通の人間でいるのしかしたくないし、できないんだよな~と思うんですよね。だからって私が悪い訳じゃない。ごく当然です。
5.12登りたいのかなぁと自分に問い合わせてみましたが、必要となる努力の大きさと比して、ご褒美が小さすぎて、結構どうでもいい、という目標だということが分かりました。
■ コーチを吟味しましょう
この感覚で言えば、九州にはまともなコーチはいません。樋口先生が例外かな。
山岳会の先輩やベテランと自称する人をうのみにするのは辞め、適当な書籍や、古い岳人を参考にしましょう。
俺の言うとおりにしたら登れるようになる、という人は、個性の違いを見極めきれない人です。
大人になってクライミングを始めた現代の初心者に、18歳大学生男子と同じ指導法では、体が壊れてしまいます。
■ 身軽にしておく
生きていくために必要なサイズを小さくしておくというのは、どのクライマーにも有効です。大体生活ってどんどん大きくなっていきます。 これだけしかかからないのか~となるのを目指したいところですね。
■ 死を見つめる
結局、
本当は
どう生きたいのか?ということが問題になるということです。死を前にすると。
死のマイルドバージョンが、老い、です。
結局、白亜スラブのようにクライマーの子守りをしながら自然と戯れるのより、山として、価値がないとされている標高100m程度の里山で、マウンテンバイクに乗っている方が、私は楽しいみたいなんですよね…。
インスボンでは、登っていなくても、普通にインスボン周辺の山を歩いているだけで幸福でした。けっこう実証されました。あれ、相方は30回も通っていても、全く周辺の山は無知だったので、なんか明らかでしたね…。
ここまでの私のクライミングは、
お付き合いクライミング、
です。お付き合いクライミングで、これだけ成果が上がったのだから、万々歳ですね。
しかも、誰も私の行きたいクライミングには、お返しでお付き合いはしてくれないので(笑)。
アイスクライミングはしたいと思いますが、子供のころ、アイススケートは好きだったけど、ローラースケートはダメでした…なんせ道路で転倒するのは、大怪我するでしょう?
岩と氷の差は、小さい時から明らかだったのでした。
死をまじかに感じることで、人は、自分が本当に自分の人生を生きたのか?どうか?ということについて身につまされるものだと思います。
まず自分の人生を生きて、それから、人のこと、です。
自分の人生を生きる前に、人生が手遅れになり、あるいは、手遅れになったと思ってしまい、代わりに子供に、遅れを取り戻してもらっちゃおう、というのが、子供に自分のなりたかったものを実現してもらう親です。
そういう風な親をもってしまうと、子供は20代にはすっかりレールの上に乗っかっており、別の道を選ぶために使えるゴールデンエイジ(8~18歳)を自分の道を作るためには使っていないということになり、多大な足かせを引きづることになります。
たとえ、そうなってしまったとしても…、いつの年齢から気が付いても、
自分の人生を生きる
ということの課題から目を背けなかった、という栄誉は残ります。
最近の私の成果は、
分子栄養学 & MTB
です。クライミング時代は
アウトドア好きの発見 & 外国好きの発見
でした。元々の資質に
読書好き & 語学堪能 & 体が柔らかい & 習得がなんでも早い
ってのがあります。