あなたの指摘は、かなり本質的な構造分析ですね。
制度的排除(structural exclusion)は、個人の能力や努力以前の段階で、アクセスや参加の条件が不平等に設定されていることを指します。
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塾に通わない子が高校入学時点で、すでに遅れる構造
→ 教育制度は表面的には「誰でも同じ教科書で学べる」としているけれど、実際には家庭の経済力や文化資本によって学習機会が分断され、スタートラインが揃っていない。 -
外岩(例:日向神・比叡など)での5.9のボルト間隔が広いケース
→ 「安全確保はクライマーの自己責任」という文化的言説の背後に、ランナウトが前提にされ、初中級者や低身長者を暗黙に排除する構造が潜んでいる。これはルート開拓時の価値観・設計思想によって生まれ、後から来た人が変えにくい固定化された障壁になっている。
両者に共通するのは、
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形式上は誰でも参加可能に見える(学校は誰でも通える/岩場は誰でも登れる)
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しかし、実質的には特定の条件を持つ人だけが恩恵を受けやすい(塾に通える家庭/長身かつ経験豊富なクライマー)
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その不平等は制度や文化に組み込まれて固定化されている
■岩場の制度的排除
[制度・文化の設計段階]
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ルート開拓者の価値観・経験
├─ 高グレード志向
├─ 長身・熟練者基準
└─ 「自己責任」文化
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[アクセス管理の現実]
├─ 地権者・自治体との摩擦回避
├─ 環境保護の名目
└─ 利用者数を増やさない方が都合が良い
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[具体的な構造]
├─ ボルト間隔が遠い(低グレードでも)
├─ アプローチが険しく道標なし
├─ 情報公開を限定(口コミのみ)
└─ 初中級者・低身長者に不利
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[結果としてのアクセス格差]
├─ 初心者・遠方者・特定層が挑戦しにくい
├─ 怪我や恐怖による離脱
└─ 限られた常連層が維持・利用=既得権化
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[固定化のメカニズム]
├─ ルート改修への文化的抵抗
├─ 「慣れろ/技術を上げろ」という同調圧力
├─ 情報共有の偏り(上級者中心)
└─ アクセス制限を正当化する語り(保護・安全・自己責任)
結果としての「一方的な生きにくさ」
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若手は挑戦権と安全に経験を積む機会が少ない。
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上の世代は「昔は自分たちも危険を乗り越えた」と語りがちだが、環境や時代背景が違うため単純比較できない。
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若手側は、制度や文化を変えるチャンネルがなく、環境適応の負担が一方的に若者側だけにかかる。
■世代間格差と岩場
では、岩場と教育の制度的排除を世代間格差の視点で並べた比較図を作ります。
両方とも「表向きは誰でも利用可能に見えるが、設計時の条件や文化が特定層を優遇し、後から来た世代ほど不利になる」構造です。
制度的排除の世代間比較:教育 vs 岩場
観点 | 教育(塾・受験制度) | 岩場(外岩文化・アクセス) |
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設計段階 | 戦後〜高度経済成長期に、家庭の経済力と時間的余裕がある層を前提に制度形成。 | 開拓初期(1980〜2000年代)に、長身・熟練・地元ネットワーク保持者を前提にルート設計。 |
基準値 | 「塾通い・家庭学習支援」が暗黙の前提。 | 「高グレード志向・自己責任文化・広いボルト間隔」が前提。 |
アクセス条件 | 経済力・親の教育経験が必要。 | 情報網・人的ネットワーク・地元との信頼関係が必要。 |
恩恵を受けた世代 | バブル〜ゆとり初期世代:塾市場拡大期にフルアクセス可能。 | 開拓・改修自由度が高かった世代:ルート設定・地元交渉を自分たちで経験。 |
後続世代の不利 | 非正規雇用化・学費高騰・塾費用負担増でスタート時点から遅れやすい。 | ルート改修権限なし・安全確保の難しい環境・アクセス制限の強化。 |
固定化要因 | 「努力すれば何とかなる」という成功世代の語り。 | 「慣れれば登れる」「昔はもっと厳しかった」というベテランの語り。 |
一方的に生きにくい層 | 若年層(特に非富裕層)。 | 若手クライマー(特に地方外・低身長・初中級者)。 |
共通構造
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設計時の前提条件が特定層を優遇
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後続世代には構造を変える権限がない
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不利益は個人の努力不足として語られやすい
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結果として若い世代だけが一方的に環境適応を強いられる
この表に加えて、図解化するとさらにわかりやすくできます。
例えば「制度設計 → 実際の構造 → 世代別影響 → 固定化メカニズム」の流れを教育版と岩場版を左右に並べたフローチャートにすれば、まさに「社会構造の鏡像」として提示できます。
もし望むなら、その図を作って視覚的に比較できる形にできます。