2025/11/21

九州で起こったこと回想録その6。天狗岩とスピードウォールに関する裏切り

 さて、続きです。

私は以前、三井物産九州支社にしばらくいたんですよ、2008年のリーマンショックで山梨転勤になる前ですが。新事業開発室というところで、まぁ、九州の事業案件には何でも首を突っ込む部署でした。

門司港レトロの開発、博多駅前再開発、トマト輸出、いちご、博多港、トヨタ支援などがオンゴーイング案件で、他にめぼしいプロジェクトがあれば一枚噛みたいが、なかなかそんなのないよね…っていうので、「ビジネスは千三つ」を合言葉に、大体が資金協力のお願いで来る、小規模なビジネス相談をお断りする立場でした。

このころ知った福岡の優れた仕組みに、もやいバンクがありました。つなぎ融資を民間がやる仕組み。つぶれましたが、第三世界で成功事例のマイクロバンキングみたいな感じでした。

起業コンペの審査委員に上司が出ていたのと、私自身がグロービスでファイナンスを履修したところだったので、企業の財務内容をレポートにまとめるような仕事をしていました。

平素は、福岡財界のお偉方のランチミーティングなどに出たり、何とか経済セミナーっていうのは、経産省との付き合いで出ないといけないので、名刺を置きに行く目的で出る。大体の大事なことは夜の会合で決まるのねーみたいな仕事でした。ゴルフができればよかったのに…と女子ならゴルフができるだけで人気者になれます。

当時出た経済セミナーに、ラオス経済セミナーがありました。

で、当時も福岡では中国人の爆買いが話題でした。私が35歳のころですね。

で山梨になってしまい、それから、47歳で福岡に帰ってきました。

で、各地の岩場のある自治体に、岩場が観光資源として使えるよ、というお知らせ活動になったんですね。

■五木・天狗岩

で、私は米澤先生と当時登っていたので、先生の次なる開拓先はないかなーというので、仰烏烏帽子でのフクジュソウの観察がてら、五木の天狗岩の偵察に行きました。偵察って言っても、遠くから、へぇ~あれが天狗岩ねーと見ただけです。

大体、岩の山って花の山ですよねぇ。フクジュソウはいっぱい咲いていて、仰烏烏帽子は開拓しさえすれば、すぐにも登れそうでしたが、登るよりフクジュソウのほうが重要そうでした。

天狗岩のほうは川の手前で見たので、へぇーレベルにとどまりました。ここは、米澤先生は興味なさそうだな、ということが分かったので、まぁそれでいい感じでした。

熊本のクライマーも興味を持っていないらしく、地域おこしに使えるので、その旨を村に連絡。

村は、世界一番長い○○みたいなアトラクションで都市住民を引き付けたいらしく、事業主体でないと取引しない、と言われ、時代遅れな行政スタイルだなーと同じ県民ながら、納得でした。

まぁ、村が興味がないのであれば、別にいいので、あーそーという感じでした。岩場開拓は、結局「適切な人が現れたときに自然と進む」ので、無理に今やらないでいいですよね。。

しかし、天狗岩にはユージさんとサチさんが興味を持たれたんですよね。当時コロナで海外に行けず、退屈していたんでしょうね。

日本には、石灰岩の岩場で、安全に新人がクライミングデビューできるようなのが足りていない、とラオスに行った個人的感想で思っていたので、いろいろな、ド素人開拓者が、おれがおれが、と課題に自分の名前を刻むことを目的に開拓して、岩場全体のグランドデザインがなく、料理人多くして料理がまずくなる、船頭多くして船山に登るという状態になるより、海外経験もばっちりのユージさんが指揮を執る方が、上等の開拓が出来そうでした。

石灰岩の開拓だと、花崗岩のスラブやクラックの開拓と違い、グランドアップってなさそうで、上からになると、旧式クライマー、”ド”ストライク中の九州のメンツからは、開拓に名乗りを上げる人は出てきそうにないなと思いました。

で、樋口先生もユージが来るなら協力する、ということで、一時期、実現に傾きかけましたが、ユージさんのほうがあまり乗り気にならなくなったのと、時期的にコロナ禍で村のほうが嫌がったというのがありました。

九州の田舎で、周りの人と同じであることが至上価値のような価値観の人たちに、何を言っても無駄だよなぁと思いました。

コロナに惑わされた人は、ほんと、自分の思考能力の劣化を疑った方がいいですよ。ファウチは犯罪者扱いですよ、アメリカでは。

たぶん、ユージさんは、九州勢にユージブランドで持ち上げられるのが嫌だったんじゃないかな?

しかし、ほんと、九州内には、ユージクラスというか、”フリークライミング”のきちんとしたクライマーはいないんじゃないかと思います。

米澤先生は、古典的な山やで、フリーは、花崗岩どまりでしたし、その先生が一番まともだったので、みんなフリークライミングのきっちりした開拓は無理だったんではないかなぁと。あ、樋口先生はまともですね。

ただ、年齢的にユージさんや、サチさんのような世代はいない。石灰岩クライミング自体が、九州っぽさがない。

まぁ、九州でそのような強い若者で、開拓したい!って人が出るまで、手つかずで置いておけばいいんではないですかね?

もともと協力隊だった山本さんは開拓したそうにしていましたが…。なんかうやむやになってしまっていたので、まぁ、音頭取りはしたくないが協力するって感じかな?

そんなこんなで、天狗岩は次世代に取っておくことになりました。って、誰も率先する人がいないっていうだけですが。

でも、ほんと、俺が俺がスタイルの開拓にならないようにする方がいいですよ。岩場のグランドストラテジストを設定しないと、ぎゅうぎゅうの偉い目にあいますからね。

というのが天狗岩でした。

■多久高校

九州では、まともなクライミング指導が…という話ですが、九州ではというよりは、福岡でと熊本は、というくくりが適切かもしれません。

というのは、佐賀の多久高校は、トップレベルのクライマーを輩出しているからです。

これは、佐賀県が、指導者の招へいに補助金を出したり、クライマーの遠征に補助金を出してくれるからです。エリートクライマーの育成にはお金がかかるんですよ。

これでトップクライマーに最短距離で躍り出れますが、最年少で5.14みたいな世界観です。

私は子供のエリート教育は個人的に好きではありません。

というのは、真冬のプールで泣きながら泳がされていた弟を思い出すからで、こどもは好きでやっているのではないことが多いからです。親やコーチのために何でもしちゃうのが子どもです。そして、弟は若くして死んだのですよねぇ…。

https://youtu.be/b-PlQy3SV-8?si=UYG0FasRDL-TAzX1

この動画は、水泳選手で育成された子供の本音が分かる動画ですが…弟はこんな感じだったのではないかと思います。ともかく、姉としては、可愛そうでした、弟が

なので、人為的に育成されたエリート選手っていうのは、あんまり魅力を感じません。

おなじトップクライマーでも、ユージさんとか小山田さんとか、才能が萌え出る感じで、親の七光りというか親がクライマーだったから、みたいな成長とは全く違いますよね。そっちの方が好き。

親がクライマーで二世クライマーの人って、圧倒的に他者より有利な環境にいるので登れて当然という感じですし、多久高校でのトレーニングも同じかもしれません。

ただ、ユージさん型で突然才能を開花した子供がいたら、多久高校に送り込むのをおすすめしたいです。

ただ、グレードだけで言えば、世界の舞台に躍り出るのって、8aとか、TheCragとかに自分で自分の記録をアップすればいいだけなんですよ。

ボルダーで4段とか5段とか登れて、俺だってトップクライマーになれる!と思う人は記録をアップしたらいいんじゃないかな?

結構、すごい記録をアップすると、この記録ってホントですか?と第二登をしに来てくれるみたいですよ。たぶん、第二登がでないと、ホントにそのグレードなのか確定しないからではないですかね?

まぁ、本人が何度も、高いレベルで登っていれば、世界最高難度を登っても信頼されると思いますが、そうじゃない場合は、評価は保留になりますね。故・吉田さんも、どーんと、5.14と言っておけば確かめに来る人がきっといたんではないでしょうかね?

さて、そういう感じで、九州のフリーークライミング教育のメッカは多久高校です。

■スピードウォール?

当時、多久高校ではスピード壁が欲しいみたいでしたが、長崎県にも作るようにという進言を私がする羽目になり、これは完全に樋口先生にはめられた感じでした。先生はなぜあのような不必要な、操作的行為を行ったのか?不明でした。

オリンピックで勝ちたいような子供の選手にはスピード壁は合っていいのですが、成熟に向かう日本クライミングが、スピード競技に熱中するかというとしないでしょう。

おじさんクライマーおじいさんクライマーがスピード壁登ってるって、マッチします?しないですよねぇ…

まぁ、アイスでもコンペするとなるとスピードが図られます。何分で登るかくらいしか、競争できる要素がないというか…アイスってまぁ、直登のリードなら大体登れて当然というか、確実な登りなので、登れない人がいないというか…ムーブ自体はそこまで競争的な要素がないというか…まぁ、傾斜が付いて6級になれば、いろいろムーブもあるんですけど。

アイスのコンペがドライツーリング方面に進化しているのは、普通のアイスだと誰でも登れて競争にならないからなんですよ。だからヒールフックも禁止だし。

九州のアイスクライマーは一度岩根コンペに出てみれば、話が分かるようになると思います。

で、長崎にスピードウォールを進言する羽目になって嫌だった、先生の行為が謎だったということです。

■長崎のこと

長崎では、社会貢献活動をしました。

長崎の野岳の岩場はコンパクトで、全国レベルの開拓者東さんの開拓なので、そうそう変なランナウトなどないようです。

既存のルートに延長することはできそうでしたけどねぇ…。

私は、市民の憩いの公園の奥にあるというロケーションがいいと思いました。集落はもう廃村になりかけで、住んでいる人も少ない感じでした。廃校になった小学校が、廃墟ファンに尋ねられるような感じかな。

公園の側から行くとかなり平和です。山も小さいのがくっついているので、公園周辺と合わせて、一般市民がキャンプしたり登ったり、ハイキングしたり、面白自転車に乗ったり、竹馬をおじいちゃんに作ってもらったり、手作り品を販売したりと、平和で、市民的な集いに使えそうでした。

しかし、崩落があって長く通行止めでした。議員に岩場を案内するために行くと、登攀禁止なのに登っているクライマーがこそこそと逃げていきましたが、別に岩場はなんともないので、登ってもいいと私は思いましたけどね。

クルマがそこ通行できないだけで。

■竜頭泉

長崎は、ほかにも竜頭泉がありましたが、樋口先生は、ありゃぁ…っていうダメダメ支点を私に見せたくなかったんじゃないかなと想像しました。

竜頭泉は、荒廃した、人気のない景勝地で、クラックの開拓で、年配の方が開拓していましたが、同じ佐賀の人なのに、どうも樋口先生は気に入らないような様子でした。駐車場に岩が落ちるということを理由に、開拓自粛要請みたいな感じでしたが、ほんと来る人がまばらな景勝地で、行ったときに、複数の車を見ることがほとんどなく、クライマーしか来てないよなーって感じでした。

あのクラックは、北部九州では貴重な、易しいクラックではないかと思います。

なんせ、プロテクションを設置する技術を新人クライマーには教えないと、適切なボルト間隔が個人のリーチによって異なることなど、基本的なルートの理解が身につかないです。

現代のクライマーはボルトを追っかけることがクライミングだ、ジムではホールドを追っかけることがクライミングだ、と思ってしまうので、プロテクションという最大の技術がお留守になり、それがボトルネックになって、成長を妨げることになっているので。

まぁ、九州勢の内部での小競り合いにはかかわりたくなかったので、私としては、そのクラックにそこまで魅力は感じなかったので、まぁ一過的な扱いでした。

長崎では、若き議員の、大和君に出会い、彼が保有していた古民家に、大分の八面のお寺に引っ越したものの、子供がいじめられて引っ越しを考えていた女性に、大和君を引き合わせ、うまいこと、きのくに子供村へ子供は進学して、ちょうどよい住まいとなり、良かったです。

大和君のほうも住まい手を探していたから。

■国では王子

それで、引き合わされた、共産党の二世議員の女性が、ネパール人の男性に結婚詐欺にあっていた。「国では王子」と言われ、難民申請が通らないのが気の毒になって結婚したら、とんだDV男だということが判明した、のでした。

アメリカでは「国では王子」っていって近づいてくる男性は多く、私が見聞きしただけでも3人くらいおったなぁ…と高速道路を運転中に思い出し、それは、延岡まで走っているときでしたけど…

ふと思いついて教えたら、その男性が実際は国では王子でも何でもないことが判明しました(笑)。

というので、世界規模の経験値で社会貢献したなーって思っています。

日本人は一生その土地から出ない人も多いですが、そんな人は、コロッと騙されてしまいかねませんね。

海外で暮らす経験値は、合った方がいいですね。